「1冊」の辞書、のまちがいじゃない?
いえいえ、これはまさしく「1本」の辞書!
1本、2本と数えるものばかりを集めた、「ものの数え方」にかんする本なのです。
私たちは細長いものを本と数えます。
では、いったいどれくらいの長さになるとそう数えるようになるのでしょうか?
もしそれが筒だったら? 片方が閉じてただの容器になったら?
細長いけれど、電車は一本? それとも一台?
遠くに見える高層ビルは一本? それとも一棟?
わたしたちは、細長いものばかりを本と数えるわけではありません。
サッカーのシュート、宝くじ、それに「カツオの一本釣り」なんて言葉も。
まだまだたくさんあるんです!
どうして細長くはないそれらを本と数えるのでしょう?
大人も夢中になって「へえー!」とうなり「なるほど!」と手をたたく、ものの数え方にかんする興味深いコラムをはさみながら、本と数えるいろいろなものを「細長いもの」と「細長くないもの」とに大別して掲載しています。
ふだん何気なく使っている言葉について見直し、深く考えるきっかけになる一冊。
また、「1本」と数えるものごとを分析し、分類し、さらに調査していく課程が描かれているので、気になったことについて深く知るにはどうすればいいのか、その方法の具体的なイメージを学ぶのにもオススメです。
「みんなでつくる」と題された本作。
本作を読んでから、あらためて本と数える身の回りのものを探してみてください。
あたらしい発見があるかも!
1963年にアメリカで出版された作品のこみやゆうさんによる初邦訳です。
主人公はイタリアの村に住むルイージという男の子。
ルイージは毎週末、バスで10分ほどのスイスの町へ国境を越えてバイオリンをならいに通っていました。
タリアティーニ先生はもうおじいさんですが、このあたりではいちばんゆうめいなバイオリンの先生なのです。
土曜日になると決まって黒いバイオリンケースとお弁当、おかあさんがデザートに先生と食べなさい、と持たせてくれたケーキを抱えてバスに乗るルイージは、今まで国境の兵隊さんに荷物をとがめられたことはありませんでした。
でもある日、いじわるな兵隊さんがルイージの荷物をあけさせるようになって……。
ルイージのバイオリンをひどい音で弾いたり、大事なケーキを押しつぶしたり!
それが何週間もつづき、ついに大きなシロップ漬けさくらんぼを勝手に食べられてぐちゃぐちゃのチョコレートケーキを見たタリアティーニ先生は、腹を立ててこう言いました。
「もうがまんならん! こうなったら、わしもバスにのるぞ!」
さあ先生の仕返し、いや、「とくべつレッスン」がはじまります……!?
うきうきする軽やかなタッチ、きれいな色合いのカラー挿絵たっぷり!
じつはなぜ兵隊さんが荷物をあけさせるかというと、国境を越えて高価な物を売買する密輸人をさがすためだったのですが……さて結末はいったいどうなったのでしょうか?
「イッター―!!」と大声をあげたのは誰だったのか?
いじわるな兵隊さんの言動をおおげさに読めば、子どもウケもばっちり、間違いなし!
親子で読むのもおすすめ、総ルビなので小学生低学年の一人読みにもおすすめです。
お話の最後まで、ユーモラスな空気が絵と文章からあふれます。
思わずくすくす笑いたくなるような、さわやかな気分で読み終えられるお話です。
その動作を「ドラミング」と呼びます。
敵を脅し、戦いをはじめる合図として鳴らす恐ろしい音……
以前はそう考えられていました。
そう、ゴリラはただ敵を威嚇するために胸を叩ているわけではなかったのです。
そこには、ゴリラのおどろくべき高度な社会性や、平和を愛する穏やかな性格に関係する、実にさまざまな意味が隠されていました。
観察レポートという形をとっている本作、小学校中学年以上を対象としていますが、大人でも楽しめるとても充実した内容です。
なぜドラミングをするのかという表題のテーマ以外にも―
子どもはドラミングをするときに胸を叩かない!?
ドラミングは大人のオスにしかできない理由がある!?
胸を叩く時の手の形はグーじゃない!?
大人にとっても興味深い、ゴリラに関する新鮮な知見がふんだんに盛り込まれています。
一方で、「ゴリラになんてぜんぜん興味ないや」という人にもぜひ読んでもらいたい作品でもあります。
というのも、この作品はゴリラの生態を通して、人間である私たち自身に他人との接し方を振り返らせ、多くを反省させてくれる本でもあるからです。
「仲裁してくれる仲間がいるからこそ、ゴリラたちは自己主張しあい、対等な関係を保っていられるのです」
作中で描かれる、自己主張しつつも互いを認め合い譲り合うゴリラの精神からは、大人も学ばされることがたくさんあります。
ゴリラに興味がないからと知らないでいるにはもったいない一冊!
]]>働き者の彼らは、虫たちにたのまれて、花畑やきれいな庭を作る仕事をしています。
ある日、とのさまがえるのお店で、たらふくお酒を飲んだあまがえるたち。
お酒の代金を払えなくなった彼らは、とのさまがえるの家来にされてしまいます。
「あしたからみんな、おれの命令にしたがうんだぞ、いいか!」
さんざひどい仕事をさせられ、ぼろぼろになってしまうあまがえるたち。
そこに突然、「ひとにものを言いつける方法」と題した、国のあらたな決まり事が定まって──
働くことと、働かせること。
労働をテーマにした風刺的な作品であり、太陽や草木、ちいさな生き物などの自然に対する敬意と愛情に満ちた、いかにも宮沢賢治らしい作品「カイロ団長」。
悲しくなったり、あわてたりすると、すうと青色に透きとおってしまうあまがえるたちの体や、お日様の光で照らされる自然の様子などが、幻想的に語られています。
暗い色の体をしたカイロ団長が、いっぱいに描かれている表紙を見ると、いささか地味で沈んだ色合いの絵本に感じられてしまうかもしれません。
ところが、表紙から受ける印象は最初のページですっかりくつがえってしまいます。
日に透けたようにうっすらと朱の線でふちどらた、鮮やかな緑色のあまがえるたち。
にじむように繊細なタッチで描かれる、色とりどりの草花。
王様の命令を伝える、虹のような体と殻を持ったかたつむり。
そして最後のページがみどころ!
30匹のあまがえるたちがいろいろな草花に囲まれてゆかいに働く姿を描いた場面は、鮮やかな色彩がまぶしいほど。
今は使わない物の単位や古い言い回しがありますが、巻末にまとめてそれらの意味や、今の単位でどれくらいに相当するかが記載されています。
すんなりと読み進むには少し、むずかしいところもあるかもしれませんが、宮沢賢治の不思議な懐かしさのある繊細な言葉選びを、音読でいっしょに楽しんでみるのはいかがでしょうか。
]]>ダムに沈むはずだった熊本県五木村(いつきむら)にある、鎮守の木、大銀杏です。
昔、この木の洞に入って修行したといわれる安心(あんじん)和尚の伝説と、根元によりそう村の共同墓地とともに、ひとびとの暮らしの根っこにあったふるさとの木です。
写真家の大西暢夫さんは、1996年頃からこの場所に通いつづけ、村と大銀杏と、ある老夫婦を撮り続けてきました。
本書はそのドキュメンタリー写真絵本です。
日本一の清流ともいわれ、アユが豊富に泳ぐ川辺川。
昭和30年代からダム計画がもちあがり、それから約50年、村はダム計画に翻弄されてきました。
貴重な生態系を残した一帯がダムに沈むことに根強い反対があり、ついにダム工事は中止されることになるのですが、紆余曲折あった長い年月を経て、村は高台への移転を決めます。
すべてのものは取り壊され何もなくなった村のなかで、尾方茂さん・チユキさん夫婦だけが暮らしつづけていました。
『おばあちゃんは木になった』で日本絵本賞、『ぶた にく』で産経児童出版文化賞など、写真絵本で数々の賞を受賞してきた大西暢夫さん。
あたたかで透明なまなざしは、ただそこにある人間や生き物の、結晶のような息づかいをつかみだして、わたしたちに見せてくれます。
本文のモノクロ写真は、大西さんが通い詰めたその土地の“光”にまるで祝福されているように、輝く美しさです。
かつては子どもたちの歓声がひびくにぎやかな山村だった五木村。
食べ物も着る物もすべてあり、お金はなくても暮らしていけた村。
誰もいなくなってしまった村で、茂さんとチユキさんは次に畑を耕す人のため、小石をひろいます。
その心をおしはかることは、今の子どもたちにとってかんたんなことではないかもしれません。
でも……この本を読む子どもたちが、いつか大きくなり、先人たちからそっと届けられる有形無形のいのちの記憶を、感じる日がくるかもしれません。
「ここで土になる」という言葉にこめられたものは、そのときに魂をもつのではないでしょうか。
]]>「ねえ、あたしのおとうと!」
それは、ぼくが生まれる前に亡くなった、お姉ちゃんの声だった。
「いっしょにいこうよ」
「夜になったら、むかえにくるからね!」
お姉ちゃんの声に誘われて、ぼくはその夜、
お姉ちゃんと一緒に、自転車で出かけて行った……。
ベルギーの作家シェフ・アールツが自身の子どもの頃の経験を元に描いた本作は、
亡くなった姉と弟の一晩の冒険を通して、
大切な人を亡くした悲しみに暮れる人々の心にそっと寄り添うように、
静かに物語を紡いでいきます。
そして、画家マリット・テルンクヴィストの手によって描かれた
幻想的な雰囲気が漂うファンタジー世界は、
この世ではない美しさと悲しさを醸しながら、
どこか明るく、優しく幼い姉弟を包み込んでいるように感じます。
オランダの銀の石筆賞、ベルギーのボッケンレーウ賞を受賞し、
国内外に高く評価された絵本がついに日本でも発売となりました。
「死」について考えるとき、そっとそばに置いておきたい一冊です。
]]>パパと一緒に台所に向かいます。
パパがご飯を炊いている間に、はなちゃんが作るのは、
ママが教えてくれた「おみそ汁」。
前の夜から準備をしていた昆布と削ったかつお節で“だし”を取り、
包丁を使って、具を切り、おみそをとかして、ていねいに作っていきます。
はなちゃんは、このおみそ汁を5才の頃から作りつづけているのです。
それは、なぜかというと……。
2014年に出版され、多くの読者の心をつかんだ、
実話を元にしたノンフィクション『はなちゃんのみそ汁』。
2015年にはテレビドラマ化、2016年には映画化も予定されているベストセラー作品が、
絵本になりました。
物語は、小学生のはなちゃんを通して、
はなちゃんがおみそ汁を作るようになった理由や、
はなちゃんのママが娘に伝えたかったことなどが、
何気ない日常の様子とともに、とても明るく、ていねいに描かれています。
絵本を読むと、はなちゃん家族に訪れた悲しい別れや、
はなちゃんがママから教わったことが、特別な家庭のできごとではなく、
私たちの身近にも起こりうることのように思えてくるふしぎな感覚……。
生きることについて話したいとき、命について考えたいときに
手に取りたい一冊です。
]]>あるとき彼女らのもとに、身なりのよいちいさなカエルと、月よりも気高いバラの娘があらわれます。
カエルいわく、バラの娘はとある医者の力で美しくなったとか。
ところが、彼らの正体は悪魔の化身なのです。
美しくなりたいひなげしたちのもとへ、くだんの医者に化けた悪魔があらわれて―
ひなげしたちの持つ手鏡のデザインが、それぞれ異なっているのがとてもかわいらしいみどころ。
いっぽうで、ひなげしたちが物語を通して決してその手鏡を離さずに描かれているのが、ゆきすぎた美への執着を思わせて恐ろしくもあります。
ひなげしたちを見守るひのきの言葉によって明確に教訓が示されているので、他の宮沢賢治童話と比べて、込められたメッセージがわかりやすいのもポイント。
ひなげしやチョウによって、しっとりとした華やかな色合いで彩られていたページは、物語の終盤に暗い色合いへと沈みます。
それがひなげしたちの哀れさや、もの悲しさを引き立たせており、この物語の教訓をより切実なものとして伝えてくれています。
古い作品ということもあり、聴覚障害者を指して現代では差別的とされる表現があるので、その点ご留意ください。
満天の星空を背景にして、あるがまま生きることついて説くやさしいひのきの言葉。
そこに込められた宮沢賢治らしい普遍的な哲学は、どんな年代の人にとっても大きな力になってくれるはず。
]]>「ぼく、チャーちゃん。
はっきり言って、いま死んでます」
から始まり、いきなりドキリとさせられます。
「死ぬ」とは、どういうものなのでしょうか?
チャーちゃんは言います。
「死ぬ と 踊る の違い?
よくわかんないな、ぼくは。」
そして、黒が基調となっている表紙の絵とはうってかわって、草花溢れる明るい草原のような場所で、飛び跳ねるように踊る子猫。
とても楽しそうで、幸せそうで、孤独でもなくて。
死ぬというのは、こんなにも喜び溢れる世界に行くということなのでしょうか……?
ひとつ注目したいのは、全編を通して子猫の絵が描かれていますが、「チャーちゃんは子猫」とは、どこにも書かれていないこと。
もちろん猫や大切なペットの話としても受け取れますが、チャーちゃんは、あなたの大切な「誰か」とも読むことができるのです。
大切な人を亡くしたとき、すぐにこんな風には思えないかもしれませんが、あの人がチャーちゃんのように幸せに満ちた草原で踊っているとしたら、この悲しみもいつかは癒されるかもしれません……。
]]>でも、かぜをひくとどんな症状が出るのか、きちんとわかっている子どもは少ないかもしれません。
(実際にかぜをひいているときは、それどころではないし……)
この絵本では、
「なんだろう? はながむずむず……」
から始まり、くしゃみ、鼻水、悪寒、せきなど、主人公の少年がかぜをひく様子が丁寧に、かつコミカルに描かれています。
「さあ ちゅうしゃを うとう」
と、ひげもじゃで怖い顔したお医者さんが巨大な注射を持って登場。
さらに、恐ろしい「かぜばいきん」もやってきて、がおーと戦いが繰り広げられ……熱でうなされて怖い夢を見る様子も描かれています。
この絵本を読んでかぜのことを知っておけば、「かぜ予防」にも役立ちそうです。お風呂上がりにパジャマを着るのを嫌がったり、帰宅してもうがいや手洗いをしない子には、「かぜばいきん来るよ?」と言ってみてくださいね!
そしてもう一人の主人公は、全ページに渡って登場する黄色いネコちゃん。クシャミに驚いたりかぜばいきんと戦ったり全快を祝ったり、とってもいい味を出しています。オチにもなっている裏表紙にも、ぜひご注目ください。
]]>オルゴール人形のドラマチックな運命の物語。
お人形のくるくるちゃんは、むかし小さな女の子と暮らしていましたが、
年月が過ぎ、博物館の中でオルゴール人形として、毎日楽しく
くるくる踊っていました。
でも、他のお人形とリズムが合わないからと、
学芸員さんに外されてしまい、窓のそばのカゴに置かれることに。
すると、ある風の強い日、窓から落ちてしまい…。
広い世界に放り出されてしまったくるくるちゃんに、
どんな運命が待っているのでしょう。
こみねゆらさんは、数々の絵本でヨーロッパ調の美しいイラストを
描かれている人気の絵本作家さん。絵本創作と同時に、
お人形制作もなさっているそう。本作は、お人形に寄り添った、
まさにこみねゆらさんらしい世界ですね。お人形の衣装、室内の
描写なども、魅入ってしまうかわいらしさ。
お人形の目から見た世界の、ちょっぴり切なく厳しい現実が続きますが、
ここぞという時、勇気をもって行動するくるくるちゃん。
何だか読んでいるとわたしたちも勇気をもらえる気がします!
その勇気があったからこそ、最後すばらしい再会が待っているのですよね。
ハラハラどきどきの先にある心温まる物語を、
ぜひたっぷりお楽しみください。
]]>マーガレット・ワイズ・ブラウン再話の13篇に、フランスの画家アンドレ・エレの絵が添えられています。
“ラ・フォンテーヌのおはなし”は、紀元前から語り継がれてきたイソップ童話を下敷きに、詩人ラ・フォンテーヌが、17世紀当時の皇帝ルイ14世の6歳の王太子に捧げたといわれる寓話集です。
シャガールら有名な画家がこの寓話集に心惹かれ、絵をつけてきましたが、アンドレ・エレもその一人。
アンドレ・エレが素朴で味わい深いタッチの挿絵をつけフランスで出版した絵本を、さらに再話編集したアメリカ版が1940年に出版され、本書はその日本語訳なのです。
主人公は動物たち。ひとつひとつの話は1、2ページでともすればあっさりと読み過ごしてしまいそう。
でもそこには人生のおもしろみや切なさ、深ーい真実がうつし出されています。
わが家の4歳の娘が好きだったのは「二頭のロバ」。
片方のロバは背中に積んだ黄金を自慢に思っていましたが、どろぼうに襲われて死にそうな目にあいます。
一方、干し草を積んだロバは無事で、「金目の荷物をはこんだり、りっぱな役目をめいじられたりすることが、かならずしもいいとはかぎらないんだよ」と襲われたロバを諭します。
「アリとコオロギ」「オオカミとヤギと子ヤギ」(7匹ではなくここでは1匹の子ヤギ)など、知っていそうで「あれ?」と違いに驚くお話もありますよ。
あなたはどんなお話が好きでしょうか?
絵も言葉もむずかしくないからこそ、隠れたエッセンスが光ります。
一口には味わいきれない、ちょっとずつ時間をかけて読みたい絵本です。
]]>スヌーピーにとって初めてとなる3D映画の公式絵本です。
物語の主人公は、スヌーピーの飼い主、もとい“親友の”チャーリー・ブラウン。
いつもドジばかりで何をやってもうまくいかないチャーリー・ブラウンが、お向かいの家に引っ越してきた赤毛の女の子に一目ぼれ!
自分はダメダメだと思っているので、なかなか声をかけられません。
どうすれば仲良くなれるか、お友だちのルーシーに相談すると、
「女の子は『成功』が好き!
あなたはなにかの成功者になればいいのよ」とアドバイス。
(すごいアドバイスですが……ルーシーのこの「ちょっと小悪魔な感じ」も、スヌーピーワールドの魅力だったりします)
ダメダメだった自分を脱ぎ捨てて「成功者」になれるよう、ひたむきに努力するチャーリー・ブラウン。
赤毛の女の子とお友だちになれるかな……!?
3Dで描かれた絵がとても綺麗で、1ページ1ページ隅々までじっくり見たくなる美しさです。
さらに、スヌーピーやチャーリー・ブラウンをはじめとする登場キャラクターたちの表情も、優しさとコミカルさが同居する「いつもの表情」で、スヌーピーファンならずともときめいてしまうこと間違いなし。
最新の技術が産み出した3Dによる美しさと、スヌーピーが長年培ってきた温かさ、その両方をたっぷりと堪能できる絵本です。
悔しいときには相手に向かってふりあげられる、げんこつげんたろう。
悲しいときには自分の顔の涙をグッと拭う、げんこつげんたろう。
くすのきしげのりさんの詩は、シンプルでありながら、子どもたちの心情を語りかけ、伊藤秀男さんのダイナミックなタッチの絵が、詩の世界をさらに鮮やかに私たちに見せてくれます。
絵と言葉の重なりが、絶妙に合わさり、読者の想像力を膨らませる手法は、まさに絵本ならでは。
この作品を手にした子どもたちは、いったいどんな世界を思い描くのでしょうか……。
「すこやかな心をはぐくむ絵本」シリーズ第9巻。
今回、画家の伊藤秀男さんは、男の子の心の動きがより読者に伝わるよう、和紙にクレヨンと水彩を使って描く手法に初めてチャレンジしたそうです。
相手と仲直りするために、ギュッと握ったげんこつを開くことができるのか……。
子どもたちが日常生活の中で感じる、リアルな心情を是非、お子さんと一緒に味わってみてください。
なじみやすく誰にも愛されるかわいらしい画風で、そんな「えんぎがいい」動物たちを紹介する本作。
ぴょんぴょんはねるウサギや、子どもをたくさん生む犬など、生態から連想して縁起が良いとされている動物。
おいなり様をはじめとした、神様の使いであるとされて神社に祀られている動物。
名前が縁起の良い言葉と似ている動物。
こうして学んでみると、縁起が良いとされる動物がこんなにもいるのかとびっくり!
改めて身の回りをふりかえってみると、縁起ものの動物たちが私たちの生活にあまりにも自然になじんでいることに、また驚かされます。
そしてみどころは、名前が縁起の良い言葉と似ている動物たち。
「ふくろう(不苦労)」だから「苦労をしない」や、「おめで鯛」など、彼らはいわゆる「ダジャレ」で縁起が良いとされているのです。
そんな縁起の良い「ダジャレ動物」を自分で考えてみるのも、楽しいかも知れませんね。
ありがたみがない?
いえいえ、たとえば「置くとパス」するからと、受験に縁起の良いとされるタコが現れたのは近年のこと。
案外あらたかな御利益があるかも?
長く子どもたちに伝えていきたい、日本人の生活に深くかかわるユニークな伝統を学ぶことのできる一冊。
]]>スイスで生まれた美しい冬のメルヘンです。
赤いマフラーが力強くたなびき、その上を、雪と氷の国からやってきた
白くまが気持ち良さそうに飛んでいるすてきな表紙。
清々しい風を感じながらわくわくする気持ちでページを開くと…。
ゆきいちごを積みに出かけたマリーが雪深い森でみつけたのは、
不思議な赤い冷蔵庫。そのトビラを開けるとあらわれたのは、
なんと、大きな白くまのスノーベア!
「いつも何を食べているの? どうしてこの森にいるの?」
マリーの質問に、スノーベアはやさしく答えてくれます。
「いい風がふいて来たら、空を飛ぶんだ…。」
スノーベアの話に、マリーは目を輝かせます。
そしてマリーが自分の夢をスノーベアに打ち明けると…。
静かであたたかい心の交流の物語を書かれたのはサイードさん。
イラン生まれでドイツに渡り、詩や散文の作家として活躍されてきた方です。
マリーネ・ルーディンさんによるのびやかなイラストにも
すっかり魅せられてしまいます。透明感ある美しい色彩には
あたたかい感情が満ちていて、雪景色すら明るくほんわかしています。
どのシーンにも風が感じられるのもこの作品ならでは。
マフラーが生きているように風になびく描写がすてきなので、
ぜひご注目くださいね。
最後、スノーベアはマリーのマフラーをどうするでしょう。
胸がきゅんとするラストが待っています。
個人的には、最後の言葉のない見開きが大好きになりました。
みなさんはどのシーンがお気に入りになるでしょう?
]]>いつできたの? どうしてできたの?
当たり前のように使っているけれど、いざ聞かれるとむずかしいですね。
著者マーティン・ジェンキンスさんも、そんな素朴な疑問を持ったひとり。
だからこそ本書では、子どもたちにも理解しやすいように、
お金の歴史、成り立ちをわかりやすく書いてくれています。
ちょっと中をのぞいてみましょう。
人間は、最初は自給自足で暮らしていたけれど、
物々交換するようになり、定住して財産を持つうちに、
自分がどれくらい所有しているかを記録するために、
粘土を丸めたおはじきのようなものを使い始めたんだって!
そして、その記録を使って物を売り買いできるようになり、
そのうちに、アクセサリーやお守りに使っていた金、銀といった金属が、
価値を共通に認められるという理由で、物と交換できる「貨幣」に
なっていったんだって。
なるほど〜!
ここまで読んで来ると、もう、この本にすっかりはまってしまいますよ。
朝の身支度から、着替え、トイレ、食事、片づけ、夜のお風呂、寝るまで。
子どもたちが生活の基本を身につけられるように作られた、心強い本です。
分厚くボリュームたっぷり。大きな文字が見やすく、カラフルなイラストが豊富で飽きません。
ストーリー仕立てのイラストは『ツレがうつになりまして。』などで人気、子育て真っ最中の細川貂々さん。
朝、昼、夜と色でタグ分けされた図解には、絵本作家としても活躍されているスギヤマカナヨさん、つがねちかこさんはじめ素敵なイラストレーターが参加しています。あれ、この絵見たことある!?と思うページも多いかも。
服のたたみ方、お手伝いの仕方、日常生活のマナーやルールなど、大人が子どもに教えてあげたいことはいろいろありますよね。
でも忙しいとつい「(やり方が)ちがうでしょ」「ママがやるからいい」という対応になってしまいがち。
本書のいちばんのポイントは、「子どもが『一人でできる』をアシストする」視点で作られているところなんです!
イタリアの教育思想家モンテッソーリの考え方に基づき、作者の田中昌子さんがていねいに生活を解剖し、技術指南しているのが特徴です。
ちなみにわが家の7歳にとっても「知らなかったことがいっぱい出てる」とか。
「かみのけをむすぼう」のページを見て「まとめた髪を、さいしょに左手でもてばいいんだ……!」と納得顔。
お弁当の包み方やちょうちょむすび、ふきんでテーブルでふく作法など、しっかり解説されているのがおもしろいそう。
子ども自身が「今できていること」と「まだできていないこと」が分かるって、すごく大事なのですね。
]]>眠る前にいつも同じことをしてベッドに入る人は多いのではないでしょうか?
子どもにとって、絵本の読み聞かせが夜の習慣になっているお家もあると思います。
この絵本の主人公、りすのエメラルドも同じ。
いつも、うさぎのガーネットに大好きな物語を読んでもらってから、眠りにつくのです。
しかしある夜、ガーネットが出かけてしまい、エメラルドは本を読んでもらうことができませんでした。
自分で本を読んで眠ろうとするけれど、まだ文字の読めないエメラルドは続きを読むことができません。
おはなしを聴かないと眠れない……、エメラルドは物語の続きを読んでくれる誰かを探しに窓から外に出ました。
エメラルドは、最後まで本を読んでもらうことができるのでしょうか?
水彩や墨などを使って、柔らかなタッチで描かれた絵は、まるでお布団の中にくるまれているように暖かな気分になります。また、エメラルドの寝室の周りの小物や家具、食器など細かい部分まで描き込まれていて、見れば見るほど、発見がありそうです。
くまやひつじ、こぶたの家を訪れて、本を読んでもらうエメラルドの、かわいらしく動く様子やくるくると変わる表情がとってもキュートで、女の子なら特に感情移入する子も多いのでは?
特に乳幼児期は、脳の発達が著しい時期でもあります。
この時期に指をたくさん動かして色んなものに触れることで、脳が活性化するだけでなく、根気強さや我慢強さが育ち、感受性が豊かになるとも言われているそうです。
本書は、そんな脳の発達の理論に沿って、楽しみながら指先を使い、どんどん脳を活性化させましょう!という目的の絵本。
まず登場するのは、一本の木。この木を「なでなで」すると、次のページでたくさんのカラフルな実がなります。そこへ、ぞうさんがやってきました。ぞうさんが木を「とんとん」と揺らすと、次のページで、ぞうさんが可愛い水玉模様に!
そのあとも動物たちがやってきて・・・?
「なでなで」(手でなでる)「とんとん」(グーでとんとん)「ぐるりん」(指で円を描く)、3つの指の動きで絵本に触れると、ページをめくるごとに楽しい変化が起こります。この行動と絵本の展開が一致していて、自分の動きによって絵本に変化が表れたように感じられるので、お子さん自身が絵本の主人公になったようにも思えるかもしれません。
お話の中で出てくる、「ありがとう」「どういたしまして」のごあいさつの繰り返しも楽しく、まるで絵本と会話をしているよう。
楽しく遊びながら脳を活性化し、ごあいさつも学べる、一冊で三度美味しい絵本です。
「だれが いちばんに いうのかな?
『おはよう』って いうのかな。」
男の子がまず「おはよう」を交わしたのはとなりのおばあちゃん。植木に水をあげながら男の子とにっこり手をふりあいます。
おばあちゃんは、散歩中のおじいちゃんとも「おはよう」とおじぎを交わし、公園の犬は「ワン ワン」、塀の上のねこ同士も顔をあわせ「おはよう」をします。
ゆっくり目覚めていく町。「おはよう」がつながっていく町。
だんだんと景色が広がっていく絵のなかで、男の子の家から幼稚園までの風景が自然に描かれます。
町の「おはよう」を感じたぼくは、朝、どんなふうに支度をして幼稚園に行くのでしょうか。
先生にどんな顔で「おはようございまーす」って言うのかな?
細かく描かれたたくさんの「おはよう」と「にっこり」に、それぞれの人たちの暮らしがわかる絵探しも楽しめます。
ジョギングする人、登校する子どもたち、牛乳を配達する人、ごみ収集車の働く人たち、お茶を飲む人、お店を開ける準備をする人……。
見返しの地図「ぼくのまち」で、男の子がどの道を歩いたのか、お子さんと一緒にたどってみるのも楽しそうですよ。
あいさつや笑顔が、いろんな人やものとつながる最初の一歩なのかもしれません。
明るくはつらつと、すがすがしい心で1日をスタートできたら、どんなに楽しい1日になることでしょう。
お子さんと一緒に読み、おしゃべりすることで、心を見つめるひとときとなりますように。
]]>ある小さな町に、ギャングの一団が乗り込んで来るというニュースが舞い込みます。
でも、街の署長さんとお巡りさんたちは、のんきに川へ釣りに出かけてしまい、
街の人たちは大弱り。
ところが、おとなもこわがる16人のギャングに、堂々と勝負を挑む
ヒーローが現れたのです。
それは、ちびっこの少年ウォーリー。
ギャングたちはちびっこだとバカにしますが、
賢いウォーリーは、かけっこやはしご登り、力比べ…
あの手この手をつくして、ギャングたちに競争を挑むように見せかけ、
言いなりに動かしていくのです。
さあ、最後に待っているのは、ギャングのボスと対決。
いったいどうなる?
はらはらドキドキしながら読める、痛快なストーリー展開が楽しい
ウォーリーのお手柄劇。ウォーリーの知恵に、拍手喝采!
]]>ちいさな その手と わたしの この手を つないで いっしょに でかけてみよう。」
花の咲く林の中、雪の中、夏の海岸、秋の夕暮れ。
ページごとに、移り変わる季節が描かれ、
どのページでも、大きいねずみと小さいねずみが手をつないで寄り添っています。
並んで歩き、同じ景色を眺めて見つめう2匹。
全編語りかけるような言葉で紡がれますが、
作品を通して「あるいていこう」「たのしもう」「〜しよう」といった前向きで希望に満ちた言葉が散りばめられていることに気がつきます。
雨降りや、凍える冬のページでも、
「だいじょうぶ」「あんしん」「しんぱいないよ」といった言葉に、ふたりが一緒にいる安心感やあたたかさが際立ちます。
「手と手をつなげば いつも しあわせ。」
大切な人と過ごす時間に、ぜひ声に出して読みたい一冊。
親子や家族、パートナーと本を開けば、
疲れたときや心細いときでも、美しい絵と言葉が、優しい気持ちで包んでくれることでしょう。
]]>雪をかき分けてラベンダー色のラインが入ったはやぶさが北の大地を走る姿を見ると、心が高ぶる方も多いのではないでしょうか!?
では、列島縦断、新幹線の旅に出発しましょう!
この絵本の最大の特徴は、
「表紙から読み始めると北海道から九州へ」
「裏表紙から読み始めると九州から北海道へ」
と、どちらから読んでもつながるように作られていることです。
自分の住んでいる場所から近いほう、なじみがあるほうから読みはじめるのもいいかもしれません。
作者は、鉄道絵本の名手、間瀬なおかたさん。
見開きごとに「秋田・青森・山形」「関東」「九州」など、地域ごとの地図の上を新幹線が走る様子が描かれますが、登場するのは新幹線だけではありません。各地の在来線、私鉄まで、細かに描かれているのです!
千葉の久留里線、静岡の大井川鐡道、和歌山の和歌山電鐡貴志川線、四国の土讃線など、観光列車として、各地で暮らす人々の大切な足として活躍している様々な路線が、特徴をとらえた車両とともに紹介されています。
一体いくつの路線、いくつの電車が登場するのか、とても数えきれないほど!
さらに、真ん中のページの観音開きのしかけを開くと、「全国新幹線路線図絵」が。
鉄道ファンのお子さんは、このページだけでも、何時間でも見ていられるかもしれませんね。
他にも、仙台の伊達正宗像、日光東照宮、金閣寺、長崎の平和祈念像など、各地の名所もあちこちにちりばめられています。
まだ行ったことのない場所、見たことのない名所、そして乗ったことのない電車……読めば読むほど、夢が膨らみます。
ところが汽車は、突然の急ブレーキ。なんと、橋が壊れていたのです。
乗客は途中にある町に泊まり、橋が直るのを待つことに。
そうしてリッキーとアンが降り立ったのが…
「さかさ町」
さかさ町ではなにもかもがあべこべ!
子どもが働きお年寄りが遊び、建物は屋根を下にして建ち並び、もちろん文字も上下逆に書いてあります。
リッキーとアンはさかさ町にあるいろいろな場所を巡りますが、そのどれにも、ふつうとはぜんぜん違うあべこべな部分があるのです。
「いったい今度はなにがあべこべなのだろう?」とわくわくしながら読み進めていけば、「なるほどやっぱり!」と笑わせられることもあり、「ええ!そこが逆なの!?」と驚かされることもあり―
懐中電灯ならぬ「懐中消灯」や、後ろにハンドルがついている車など、奇想天外な「あべこべ道具」。
学校や病院における、さかさ町ならではの独特な仕組み。
それらを知ると、物語の中では描かれていないさかさ町の広がりが想像されて、とても楽しくなります。
しかし、ゆかいな町での冒険と並んで、この物語における大きなみどころのひとつは、大人の目から見たさかさ町の姿です。
さかさ町の経済や福祉医療、教育のあり方は、私たちの社会のそれとは大きく異なるものですが、しかしそこにはただの奇抜なファンタジーとして片づけることのできない説得力があるのです。
たとえばさかさ町では、ものを覚えるためにあるはずの学校で、「忘れるための技術」の授業があります。
「もし、わたしたちが、人からされたいやなことをわすれることができたら、世のなかの口げんかや争いがいかにすくなくなるか」
とは先生の言葉。そして彼はこう続けるのです。
「わすれるということは気づきだ」と。
子どもにはわくわくを、大人には気づきをくれるさかさ町。
さあ、リッキー、アンといっしょに、世にも奇妙な町を冒険してみませんか?
本作は、まさに築地市場の日常を切り取り、絵本の中に写し込んだ、実録レポートともいえる作品です。
作者のモリナガヨウさんが、築地市場に魚が運び込まれる午後11時から市場が閉まる午後1時までの市場を訪れ、せりや仲卸などの様子、そこで働く人々の姿を観察した絵を、1枚1枚とても丁寧に描き上げています。
この作品を読むと、海で釣られた魚がどのようにして船に乗せられ、漁港にたどりつくのか。1日どれだけの魚が市場に集められ、どのような形でせりが行われるのか。「仲卸売場」がどんな場所で、どのような人たちが買い付けに来るのかなど、大人も知らない築地市場の裏側まで知ることができます。
学習絵本としての価値が高いことはもちろんですが、それだけでなく、モリナガさんと一緒に築地を訪れている「タコ」と「イカ」のとぼけたキャラクターにクスっと笑ってみたり、カバーで探し絵遊びをしてみたり。遊び要素もそこここに隠されています。
何より、今後失われてしまう場所にかつてあった活気を一冊に残す……、絵本にこんな力(機能、役割)もあったのかと、驚かされます。築地市場を知っている大人たちが懐かしむためにも、これからの子たちが、かつて築地に存在した一大魚市場を知るきっかけとなるためにも、後世に伝えるべき作品となることでしょう。
]]>定番の語り出しではじまる物語。
ところが中身まで定番とはいきません。
この昔話のおじいさんとおばあさんは、土を焼いて土偶を作り、それを子どもの代わりにしようとしました。
ふたりの願いが通じたのか、できあがった土偶はなんと立ちあがり、言葉まで話し出したではありませんか!
「はらへった! はらへった!」
さわぐ土偶におばあさんは食べ物を与えますが、いっこうに満足する気配がありません。
村中の食べ物を食べ尽くしてもまださわぎ続けます。
しまいにはついに、おじいさんとおばあさんを…
え!?まるごとごくり!?
それでも満足しない土偶は、食べるものを探して村に出ていきます。
いったい村はどうなってしまうのでしょう?
]]>ネコのクルツは腕利きのカメラマン。この写真館に来れば、どんな悩みや問題も解決してくれて、ごきげんな写真を撮ってくれると評判なのです。
やって来たのは、「強そうに撮ってもらえませんか?」という、気の弱そうなライオンさん。クルツは、助手のチュータと一緒に、ひげをブラシでとかし、たてがみをカールさせて…ここまでは、ふつうの写真館と同じです。違うのは、クルツが、ちょっとしたハプニングのシャッターチャンスを逃さないこと! テーブルからすべり落ちそうになったチュータを助けようと、がしっとテーブルをつかんだ瞬間のライオンさんを、パチリ! 強そうなポーズで撮れた写真に、ライオンさんは大満足。るんるんで帰っていきました。
「甘えんぼうの子がポケットから出てこなくて…」というカンガルーのお母さん。クルツは、キッチンのオーブンから焼きたてのクッキーを出し、ポケットから顔をのぞかせた、いいお顔のぼうやをパチリ!
最後は、「写真なんてやだよ!」とご機嫌ななめのふたごのこぐまたち。さあ、クルツはどうやって解決するでしょう?
加藤晶子さんは、『てがみぼうやのゆくところ』で講談社絵本新人賞を受賞された絵本作家さん。あたたかくて、どこか懐かしい色合いの画風は、表情豊かな動物たちのユーモラスな物語にもぴったりです。写真機が収まった棚や子ども向けのおもちゃが並んだ棚…インテリアの細部までおしゃれなのも見どころです。
写真って撮るのも撮られるのも楽しいけれど、いい表情の写真を撮りたいと気負うとむずかしいこともありますよね。こんなすてきな写真館があったらなあと思わせてくれるお話です。
]]>おはなが ながいのね
そうよ かあさんも ながいのよ
みんなが大好きな童謡「ぞうさん」。この歌の歌詞が詩人まど・みちおさんの作であることをご存知でしたか?
この絵本は、こぐま社の50周年を記念してつくられた一冊。「ぞうさん」の歌の情景が絵本として綴じられたこの絵本は、すべての子どもたちへあたたかい詩と歌の贈り物となりそうです。
まどさんの詩「ぞうさん」は、使われている言葉が最高にシンプルなのに、親子のあたたかい関係が心にくっきりと浮かんできます。子どもはもちろん、おとなも、自分のお母さんのことを思い出したり、親子ってあたたかいなと感じてうれしくなりますね。
歌で聞くのとまた違い、絵本になることでゆったりと、まどさんの詩に向き合うことができます。まどさんの言葉のひとつひとつに寄り添ったイラストを描かれたのは、『わたしのワンピース』『ふんふんなんだかいいにおい』等で大人気の絵本作家、にしまきかやこさん。小さなぞうの子がおかあさんぞうをトコトコ探しにいく様子が、美しいパステルの色合いで、素朴に、愛らしく描かれます。にしまきさんは、詩のような作品を描きたいとずっと思われていて、この絵本を鼻歌を歌いながら楽しく描かれたそうです。あたたかいオレンジ色の表紙もすてきで、お誕生祝いにもぴったりの一冊です!
赤ちゃんに読んであげるときは、やさしくゆったりした声で、繰り返し読んであげてください。歌いながら、あるいはハミングしながらページをめくってあげてもよいですね。やさしさと安心感がいっぱい伝わりますように。お子さんが少し大きくなったら、一緒になって歌えるようになったり、長く楽しめそうな絵本です。
「そろそろ、うどんとラーメンのどちらがおいしいのか、決めようではありませんか」
そう、それはラーメンからの果たし状だったのです!
決闘の場であるつるつる公園にて、ラーメンの到着を待つうどん。
そのとき―
ぺちん、ぺちん
うどんを襲ったのは、もちもちでおいしい、ナルトの手裏剣!?
なんの変哲もない公園で巻き起こる、はげしくもおいしい(?)必殺技の応酬。
忍術、魔法に、巨大ヒーロー……
なにが起きるかまったくわからない!
予想を裏切り続ける展開には爆笑必至。
どうしてラーメンは妙に口調がお上品なの??
どうしてラーメンだけそんなにリアルなおじさんの顔なの??
うどんの宿敵であるラーメンのキャラクターからして、ツッコミどころ満載。
影ながらおかしいのが、すさまじい必殺技がくり出されているすぐそばで、はげしい戦いなど見えていないかのように公園で遊ぶ、のどかな親子。
戦うふたりと親子との温度差がとてもシュールで、物語を一層コミカルに引き立てます。
奇想天外な宿命の対決は、いったいどうやって決着がつくのか!?
これまた予想外ながらも、これ以上ないというくらいキレイに話をまとめてくれるオチが、この物語のいちばんのみどころです。
彼はある日、おじいちゃんの部屋で一冊のノートを見つけます。
「このあとどうしちゃおう」
そう書かれたノートには、自分が将来死んでしまったら、どうなりたいのか、どうしてほしいのかが書いてありました。
ピザ屋さんもいいな、クラゲもいいな。生まれ変わったらなりたいもの一覧。
天国ってこんなところにちがいない。テーマパークのような予想図。
こんな神様がいてくれたらいいな。いろいろな神様たち。
ナゾナゾが書いてある!?ころころ転がっちゃう!?建ててほしいお墓のデザイン。
おじいちゃんの絵と文字でいきいきと描かれる、ユーモアたっぷりな天国の姿。
それを読んで、男の子はとってもわくわくしてきました。
「ぼくも天国に行くのが楽しみになってきた!
おじいちゃんは、死ぬのが楽しみだったんだろうか?」
でも、ふと男の子は考えるのです。
「ちょっと待てよ。もしかしたら、逆だったのかもしれない─」
大ヒット作『りんごかもしれない』、『ぼくのニセモノをつくるには』に続く、ヨシタケシンスケさんが独特の視点で描く「考える絵本」!
『りんごかもしれない』で目に見えるものについて、『ぼくのニセモノをつくるには』で自分自身について考えることを描いたヨシタケシンスケさんが、今作で描くのは「生きることと死ぬこと」。
過去作に劣らない、奇抜でおもしろい発想でいっぱいの一冊です。
「ちょっと待てよ。もしかしたら、逆だったのかもしれない─」
大ヒット作『りんごかもしれない』、『ぼくのニセモノをつくるには』に続く、ヨシタケシンスケさんが独特の視点で描く「考える絵本」!
『りんごかもしれない』で目に見えるものについて、『ぼくのニセモノをつくるには』で自分自身について考えることを描いたヨシタケシンスケさんが、今作で描くのは「生きることと死ぬこと」。
過去作に劣らない、奇抜でおもしろい発想でいっぱいの一冊です。
「豊かな世の中とは、どんなテーマでも品のあるユーモアで、きちんとふざけられる世の中のこと」
本作についてのインタビューでそう語るヨシタケさんの言葉通り、生と死をテーマにしているのにまったく重たくなく、天国に思いをはせるおじいちゃんの数々のアイデアが、おかしくてかわいらしい作品です。
とくに、「いじわるなアイツは、きっとこんな地獄にいく」と題された地獄の世界の予想図がとっても愉快!
じわじわとイヤなことばかりで、「たしかにこれはイヤだな〜」と納得してクスクスさせられます。
おじいちゃんと同じように、「このあとどうしちゃおう」ノートを作ろうとする男の子。
ところが、いざ何を書こうかと考えはじめると、今の自分に必要なのは別のノートだと気づきます。
「自分が死んじゃったあとのことを考えようとすると、今生きているうちにやりたいことがいっぱいあることにきづいた」
公園と男の子とを描いた最後のページ。
おじいちゃんの「このあとどうしちゃおう」ノートを読んだ人にだけ、その光景の中に、男の子を見守るおじいちゃんの姿が見えるんです─
]]>私たちのふだんの食卓にも、外国にも、じつは「干したもの」がいっぱいあるって知っていましたか?
アジアを旅し、いろんな食べものを撮影してきた森枝卓士さんのユニークな写真絵本です。
野菜や果物、干すとどうなるか。
太陽の下でしわしわになって、水分が抜けて、軽くなる。
生の大根と、干した大根をくらべてみたら、びっくり!
生の大根のほんのすこしの切れ端で、山のような干し大根と同じ重さになっちゃう。
梅干しや魚は、日本の食卓になじみ深いものだから、みんなも知っているかもしれないけれど……
アジアの国々には、カエル、ネズミ、コウモリの干物だってあるんです!(すごい!)
なっとうを干したものもあるし、チーズを干したものもある。
どれも、それぞれ干して長持ちさせ、腐りにくく、ちがうおいしさにすることができるんです。
びっくりするほど広がる「干したもの」ワールドに、子どもたちの目はまんまるになりそう。
]]>受賞会見での「私の仕事は微生物の力を借りているだけ」「微生物がやってくれた仕事を、整理したようなものですから」という控えめなコメントが、印象深かった方も多いのでは。
山梨県の農家に育った大村さんが、どのように研究をつづけ、ノーベル賞受賞に至ったか、本書では小中学生向けにわかりやすく書かれています。
意外だったのは、勉強一筋の子ども時代ではなく、家の手伝いをしてのびのびと過ごしたり、卓球やスキーなどスポーツに打ち込んだりした学生時代であったこと。大学に至っては、たまたま大学名を知ったことと、自宅から通えるというので地元の大学を受験したというのです。でもトレーニングのために大学までの15キロメートルの道のりを、なんと「走って通った」というのですからすごいです。
人との出会いを大事にしてきた大村さんが、節目、節目で心に刻んできた教えの言葉……たとえば母の「教師たる資格は、自分自身が進歩していること」や、「社会に出てからの5年間が勝負。がんばれば学生時代よりもっといい勉強ができる」などの言葉は、読んでいる私たちにも、大村さんの当時の感動と「よし」という気持ちが伝わってきます。
静岡県のゴルフ場のそばで偶然採取した土のなかにいた微生物が、大村さんの研究チームによって培養され、アメリカの研究チームと共同研究され、薬となって年間2億人を感染症から救うことになり、ノーベル賞受賞へとつながっていくのですが、本書はノーベル賞学者誕生の背景をわかりやすい言葉で綴ると同時に、人生はあらゆることが糧になるんだと再確認できる本でもあります。
そして、ふだんから日本のなかだけで成長しようとしないこと、世界を相手にしようと決めたのが大きかったのだと実感します。学者としてエリート育ちではなかった大村さんの歩いてきた道は、これからの時代を生きる子どもたちへの大きなメッセージになるのではないでしょうか。
]]>おじいさんが大切に育て、畑で立派に大きくなったと喜んでいたさつまいもが、盗まれてしまいました。
夜の間にだれかがこっそり盗みにくるのです。
畑にかかしをたてても、わなをしかけても、落とし穴をつくっても。
おいもはどんどん減っていきます。
いもどろぼうはいったい誰!?
前半まではなぞかけが楽しい展開ですが、後半、にわかに深い話になっていきます。
丹精込めて畑を耕し、おいもに水をやった、おじいさん。
では、おいもが育つための地面、雨、太陽は、いったいだれのおかげでしょう。
キツネ、サル、シカ、ノネズミ、モグラ、ウリボウ、イノシシが言います。
「いもは つちの なかで じぶんで そだったんじゃ ないのけ?」
「そう、あめ ふって たいよう あびて そだったはずや」
「それとも あめや たいようも にんげんが つくったって いうのけ?」
どろぼうは誰なのか。ひとりじめしているのは誰なのか。
作者のきむらゆういちさんは『あらしのよるに』などで人気の作家さん。数々のロングセラーが子どもの心をつかんでいます。
絵は、こちらも多くの絵本作品を描いてきた田島征彦さん。土の生命力あふれるダイナミックな絵、縦開きの画面もあり、勢いとすごみを感じます。
人間中心の世界に、投じられた一石。
どっちがどろぼう? 誰がどろぼう?
作者お二人のユーモアとやさしさがにじむ力強い作品です。
おじいさんにたいして決してゆずらない動物たちの生き生きした姿と、おじいさんの表情の変化にもご注目くださいね。
]]>とおい むかしの はなしです。
よくは おぼえて おりません。
とにかく、ママは チョコでした。」
こんな文章からはじまる本書、一人前のチョコになったチョコたろうが旅に出るお話です。
チョコたろうは、とくせいの「ミルクミルクチョコ」をさしだし「ちょこっと チョコは いかがですか」。
大人たちのケンカや、前髪を切りすぎて泣いている女の子の涙をしずめていきます。
文のリズムはまるで落語のよう。チョコたろうの旅姿は、半纏、袴に、足元は足袋、ぞうり。
笠はかぶっていないけれど、チョコたろうは和風ヒーローになるの?と思いきや……!?
ホテルバイキングでケーキ、プリン、おしるこ、鯛焼き。たっぷりスイーツを食べる姿は和洋折衷。
おまけに甘いもの好きの盗賊団のせいで思わぬ目にあい、チョコたろうは涙をぽろりぽろり。
うわあ、チョコたろう、泣き出しちゃった!
どうなっちゃうのかな?
直木賞作家、児童文学作家としてジャンルの枠をこえて活躍する森絵都さんの文と、青山友美さんの絵が、今までにないポップなキャラクター「チョコたろう」をうみだしています。
あまいこえで「ちょこっと チョコは いかがですか?」と言われてみたい!
子どもたちには夢のようなチョコづくしの場面、盗賊団のまぬけでかわいい場面もどうぞお見逃しなく。
(この盗賊団、甘いものをやめられないちびっ子たちみたい、と思うのはわたしだけでしょうか?)
濃い茶色のチョコたろうを見て、やっぱりチョコを食べたい!と思うか、チョコはもういいよ……と思うでしょうか。
チョコづくしのチョコたろうの絵本。
チョコ好きのみなさん、ぜひ読んでみてくださいね。
]]>想像してごらん。
その世界では……
「ふんわりと地球の上をただよえば、空のかなたが見えてくる」
「岩山のような波を船はのりこえ、頂上めざし、のぼっていく」
「ひとりでいると、さそいこまれる。心に秘めた夢の場所に」
幻想と現実がゆるやかに混じり合う、イマジネーション豊かなだまし絵に、画家本人が詩を加えた本作。
「その世界では」のフレーズではじまるそれぞれの詩が添えられているのは、詩の内容をまさしく描き出した、まか不思議な世界です。
アインシュタインが見つめる先で、黒板は広大な宇宙のさなかへと変わり――
女性が見つめる窓の外の夜の景色には、いつのまにか、明るい空と、朝の山岳がそびえます。
まるで、その人の頭の中が漏れ出して、現実をなめらかに変容させてしまったような光景。
子どもたちの見ている世界は、あるいはこういうものかもしれない。
そんなふうに感じさせる、ロマンチックな景色でもあります。
また、別の世界では……
海中のおだやかな世界とそこで泳ぐ子どもたち。
そして、鳥の視点からながめる、緑豊かなとある島の海岸。
決してひとつの視界の中には収まらないはずのふたつの風景が、その世界では、なんの継ぎ目も違和感もなく、ひとつに溶け合っているのです。
どうしてこんな奇妙な世界がありえるだろう?
]]>おしりは ぺっちゃんこ どんぐりはちくりしょ♪
“どんぐりころちゃん”のわらべ歌をもとにした、おはなし絵本です。
秋の日。ぽーん、ころころっ。
どんぐりころちゃんが木から飛びおりてきました。
どんぐりころちゃんが「どんぐりはちくりしょ♪」と歌いながら行くと、むこうから別のどんぐりが手をつないでやってきます。
ちょっぴり形がちがうどんぐり2人です。
でも「ぼくたちも ころちゃんだよ」と言います。
「へえー、それなら ころちゃんが 3にんだね」
またまた歌いながら行くと、また別のどんぐり、そして栗もやってきます。
「ぼくもころちゃんだよ」と言うのですが……本当かな?
とにかく7人に増えたころちゃんたちが、さらに歌いながら行くと、りすに通せんぼされて……?
わらべ歌の「どんぐりはちくりしょ♪」のくりかえしが楽しい絵本。
巻末には楽譜がついています。短い曲なのでお子さんと音符をたどって歌ってみてくださいね。
]]>みかん、みかん、みかんがぎっしり。
親戚のおじさんからみかんが届き、箱をあけてみると、みかんがいっぱいです。
男の子はよろこんで
「すごいね。みかん、いっぱいだね」とお母さんに言います。
お母さんは
「うん。おじさんちは みかんの めいさんちだからね」と答えます。
え? めいさんちって、何だろう……?
お母さんから「名産地」について説明してもらった男の子。
でも想像の中の「めいさんち」は、本当にみかんだらけ!
幼稚園の園バスはみかん号。みかんの名札の、みかん組。みんなでみかんの歌を歌います。
公園にはみかんの形の遊具がいっぱい。ブランコもすべり台もみかんの形。
お誕生会にはみかんのケーキ、水道からはみかんジュースが出てきて飲み放題!
うわぁ……。さすが、みかんのめいさんち。
縁日も、お正月も、節分も、みかんづくしです。
]]>こんなときは決まって、おいしいおやつを作るとき!
「ねえ なに つくるの? わたしも つくる!」
くうちゃんはわくわくして、ママの横でいっしょにホットケーキ作りをはじめました。
でも、卵はつぶれちゃうし、ひっくり返すときに失敗しちゃうし……。
くうちゃんはママが手伝ってくれるのが気に入らず、とうとう怒ってしまいます。
ぷりぷり怒るくうちゃん。
そしたらママもだんだんぷりぷりして「そんなに おこるなら、やらなくていいよ!」
くうちゃんは「いいもん! もう やらない!」
となりの部屋にかけこんで、バタン!と扉を閉めてしまいます。
すると誰かがドアをノックして……?
「あるある」と思わずうなずきたくなるこのやりとり。
母と娘にはとってもありがちです。
楽しいおやつ作りなのに、「自分でやりたい」っていう気持ちが強くて、どうしようもなくなっちゃう。
ぷりぷり、めそめそ、ぐすんぐすん。
この気持ちをどうしたいいのかしら?
ひとりでなんでもやりたい。でもひとりじゃできない。
3、4、5歳くらいの女の子にぜひ読んであげたい絵本です。
日常では大人はついイライラしちゃうけど、子どもの「やりたい」「できる」「できない」の思いは成長のあかし。
ママみたいにまあるい形に焼けなくても、おいしければ言う事ありません!
「じょうず!」って褒めてあげたいですね。
ところで、さっきドアをノックしたのは誰だったでしょう?
絵本を読んでのお楽しみ!
一人前にエプロンをつけて泣いたり怒ったりするくうちゃんの表情が愛らしいです。
親子でホットケーキをつくりたくなりますよ。
]]>国同士のとりきめによって、一度も会ったことがないのに結婚させられることとなったふたり。
そんな結婚を望まないふたりは、それぞれがお供を連れて、自分の国から逃げ出しました。
ところが、逃げた先でレオンスとレーナは、偶然にも巡り合うこととなるのです。
そして互いの正体も知らないまま、ふたりは恋に落ちてしまって――。
ドイツの劇作家、ゲオルグ・ビューヒナーによる名作喜劇が絵本に!
月明かりで淡く白んだ夜と、赤くまがまがしい月とのコントラストが、なんとも魅惑的な表紙。
描くのは、国際アンデルセン大賞を受賞するなど、世界的に高い評価を誇るリスベート・ツヴェルガー。
日本でも根強いファンの多い、オーストリアの絵本画家です。
]]>みーちゃんにとって今日は、待ちに待った特別な夜です。
なんてったって生まれてはじめて、オーケストラを聴きにいくんですから!
ママと選んだかわいいドレス、おそろいのリボン、よそゆきのコート――
広いコンサートホール、大きなステージ、高い天井――
今夜の演目は「歓喜の歌」で有名な、ベートーヴェンの交響曲第九番!
特別な夜の華やかな空気が、みーちゃんを包みます。
パパがオーケストラの指揮者という女の子、みーちゃんを通じて、オーケストラの魅力と音楽の喜びを伝える本作。
作者は、年末に行われる「一万人の第九」や、テレビ番組「題名のない音楽会」などで知られ、ウィーン・トーンキュンストラー管弦楽団の主席指揮者を勤める佐渡裕さん。
みーちゃんがオーケストラをどう味わい、どう心を動かされたのかが、実に子どもらしく率直な言葉で語られています。
そして、日本人が慣れ親しんだ第九の音楽性に、絵本として目で楽しめるように色をつけ、形を与えたのは、多彩なタッチでさまざまな味わいの絵本を生み出してきた、はたこうしろうさん。
楽章ごとに異なる、情感あふれた色彩とファンタジックな光景は、第九を聴いて想起したイメージの記憶と結びつき、かのメロディが耳によみがえるようです。
音楽の原初的な楽しみを、なんと雄弁に語った作品でしょう!
そして、オーケストラコンサートの空気感を、なんとリアルに描いた作品なのでしょう!
そわそわと浮き足立つコンサート直前の空気。
オーケストラの演奏をホールで、生で聴いたときの、衝撃と感動。
最後の音が消える瞬間の静けさ。
そのあとにわき起こる、拍手と熱狂。
そして、閉幕後の、うっとりとしていて喜びに満ちた余韻。
その全てが、繊細であたたかな色彩により、臨場感たっぷりに描き出されています。
みーちゃんの忘れることのできない特別な夜を、あたかもその場にいるように追体験させてくれる、音楽愛にあふれた一冊。
さあ、オーケストラコンサート、その魅惑の世界へ!
]]>印象的な1ページ目をめくると、重力によって落ちてゆく一冊の絵本があって、その向こうに、壮大な海と山の景色が広がります。
落ちてゆく絵本には、1ページ目と同じ、月の浮かぶ宇宙の光景が!
そう、その絵本は、まさに読者が手に持っている一冊なのです。
今読んでいるページが次のページで現れたり──
あるいは逆に、次のページの一部が今読んでいるページのすみに差し込まれていたり──
絵本の中にこの絵本自身がたびたび登場し、読者がページをめくるのに先立って次々と場面展開していく、ふしぎな演出がなされている本作。
まるでぱらぱらマンガのように絵の変化は連続的なのに、その独特な演出によって、舞台がダイナミックに変化していきます。
その動きはあたかも、壮大なスケールの映像作品を見ているよう!
独特な演出。
トリックアートのようにシュールな世界観。
ロケットのなかの宇宙飛行士と交信しているような、ゆっくりとしたテンポの文章。
それらが相まって描かれる、重力のなくなってしまった地球や無重力の宇宙は、ふしぎな浮遊感に満ちていて、ふわふわと、なんだかふしぎな読み心地……。
それによってこの絵本は、ある種の実感をともなって、重力というものの奇妙さ、おもしろさを描き出しているのです。
知ってるようで知らない、この地球上のすべてのものに働く力、『重力』。
さあ、この「読み聞かせができる科学絵本」で、重力のふしぎを知る旅へ!
なぜなら、地球がどんどんあったかくなって、ペンギンたちの氷のおうちがとけてしまったから。
「もっとすてきなばしょがきっとある」
そう信じる、うすべに色のペンギンたちは、つるつるの氷のお船にのって出発進行!
南にあるはずのきれいな海。
東にあるはずのきれいな原っぱ。
西にあるはずのきれいなお花畑。
北にあるはずのきれいな森。
うきうきわくわく夢を見て旅しても、ペンギンたちがたどりつくのは、真っ黒い海や黒いけむりが広がる場所ばかり。
ペンギンたちの期待でいっぱいの色あざやかなページから、黒いすすけた色におおわれたページにうつるたび、胸が痛くなります。
「このちきゅうには ぼくたちのすめるばしょは もう なくなってしまったのかな?」
ペンギンたちはどこへ向かうことにしたのでしょう。
最後にペンギンたちが口にした言葉は……?
2013年に日本人として初めて、ボローニャ国際絵本原画展で国際イラストレーション賞を受賞した刀根里衣さんの絵本。
そのファンタジックなイラストレーションには、なつかしさと新しさが感じられます。
「地球温暖化」という言葉を知らなくても、子どもたちは本書を読んでペンギンの引っ越し先に心を寄せるのではないでしょうか。たったひとつしかない「地球」にも。
うすべに色のペンギンたちは可愛くてやさしげで、なんだか弱い存在にも見えます。
黒く汚れた場所に行けば、体のきれいな色も見えなくなってしまいます。
でもじつは84羽のペンギンは、1997年の京都議定書に最初に署名した84か国を象徴しているそうです。
ペンギンたちの決意は、わたしたちにとっても大事な決意です。
最後まで読んで、作者のメッセージを感じてくださいね。
]]>よく知られているのは、「ライオンとネズミ」「ウサギとカメ」「アリとキリギリス」などでしょうか。
でも……あれれ?
知っているはずのおはなしとちょっとちがう……?
それもそのはず、この本はエリック・カール流にかかれたイソップ。
たとえば「ライオンとネズミ」では、ライオンに食べられそうになったネズミが命乞いをして「こんどもし、あなたがなにかでこまったら、そのときはぼくがあなたをたすけるよ」と言います。
ライオンは笑って本気にせず、昼寝をはじめますが、それを聞いていたオオカミが眠っているライオンを太いひもで木にしばりつけてしまいます。
小さなネズミは、鋭い歯で縄を噛み切ってオオカミを助ける……というおはなしです。
話の流れはほぼ同じなのですが、最後にエリック・カールが教訓として書いているのは、「ともだちになるのに、姿かたちは関係ない」ということ。
なるほど、大きかろうが小さかろうが、ともだちとして互いを助け合うことはできるんですね。
多くのイソップ寓話では「情けは人のためならず(自分のため)」だとか、たとえば「ウサギとカメ」ならば「競争は必ずしも足の速いものが勝つわけではない」とか戒めふうの教訓が込められているわけですが、エリック・カールさんにかかると、ほんの少し変わって、できごとのよい面をとらえたりやさしく言い聞かせるような教訓に変わってます。
では、あの「アリとキリギリス」の結末はどうなったのか? エリック・カールさんが添えた一言は?
ぜひ本書を読んでみてください!
イソップを、人生をたのしむ応援メッセージのように感じることができる1冊。
一枚一枚、色あざやかな絵の中に描かれる動物たちは、優雅でおしゃれな衣装を身にまとっています。
これもきっとエリック・カール流のお楽しみですね。
おうちや学校で、それぞれ気に入ったおはなしを見つけてくださいね。
お人形を抱えた女の子が呼んでいます。
女の子の名前はみなちゃん。
「ねぇ! おえかき いっしょにして!」
「おかあさん みて!」
あかちゃんのお世話で大忙しのお母さんは、なかなかみなちゃんをふりむいてくれません。
ごはんのしたく、あとかたづけ。
やることはいっぱい。
「いまいそがしいの あとにして」
「おねがい みなちゃん あとにして」
お母さんは言います。
あかちゃんが泣き出し、ミルクがこぼれ、どうしたらいいかわからなくなったみなちゃんは……暗いクローゼットにかくれます。
おねえちゃんだから、はみがきだっておきがえだってがんばったよ。
でもいっつもひとりぼっちみたいだったの。
なんでおねえちゃんになったんだろう。
いつまでおねえちゃんなの?
みなちゃんの気持ちを思うと、切なさにぐっと来てしまいます。
心もとなさと子どもの強さが、みやこしあきこさんが描くやわらかい線に浮かび上がります。
作者のLEEさんは『ヨクネルとひな』(酒井駒子・絵)の文章を手がけている作家さん。
みやこしあきこさんとはじめて組んだ作品です。
クローゼットのなかでひとりぼっちに思えたみなちゃんですが、ひとりぼっちではありませんでした。
みなちゃんを待っていてくれた、くまのヨーンやうまのモクモク。
みなちゃんがいつも遊んでいる世界のなかにも、みなちゃんを支えてくれるものがいるんですね。
(人形たちの表情の愛らしさが、さすが、みやこしあきこさんです。)
「みてみて!」にいつもふりむいてあげられなくても、こんなふうにおいしい時間を一緒にすごせたらいいな。
最後の場面にほっとして、子どもを抱きしめたくなる絵本です。
写真をたっぷり使用した、ビジュアルの大判絵本。
「基礎知識編」「支える人たち編」「資料編」と3つにわかれた構成で、能と狂言についてわかりやすく伝えてくれます。
そもそも能と狂言ってなに? どうちがうの?
じつは能と狂言をあわせて「能楽」というそう。能楽は700年ものあいだ演じられてきた伝統芸能です。むずかしいというイメージをもたれがちですが、小学生にも楽しめる作品も中にはあるのだそうです。
まずは、能楽を演じる舞台、「能楽堂」に入ってみましょう。屋内なのに、能舞台の上には屋根がついているのですが、これはかつて野外に建っていたものの名残り。正面奥にはかならず松が描かれていますが、これは神様は松の木におりてくると信じられているから……。
前半では能のキャラクター図鑑や、楽器、お面、道具などについてもわかりやすく解説。
後半では狂言について解説しながら、能と狂言のちがいを教えてくれます。たとえば、能は、謡と舞が中心。狂言は、セリフが中心。狂言は「喜劇」といわれますが、庶民のよろこびやかなしみがこめられていることなども解説してくれます。
能も狂言も、今は子ども向けの公演もありますので、興味をもったら本書がとても参考になりそうです。
「支える人たち編」では能面が作られる過程や、装束復原への挑戦、扇作りの作業過程など、たくさんの写真を並べて解説。職人たちのミニインタビューも挿入され、読みごたえがあります。「一見むずかしそう」に見えた伝統芸能の世界が、様々な人たちによって支えられ、いきいきと今も生き続けているのがわかります。
むずかしい漢字にルビがふられ、小学生のお子さんでも読める貴重な一冊です。
このシリーズには他に『文楽』『歌舞伎』『落語・寄席芸』もありますので気になったものから手にとってみてください。小学生や中学生にとって、伝統芸能鑑賞の、最適の参考書となる一冊です。
]]>さいきんねずみさんが夢中になっているのは、チョコレート!
「むかしはくすりとしてもつかわれていたんだって。たべるとげんきがでるおかしなんて、すごいよねえ!」
本を読みながら感心しきりのねずみさんですが、食卓はチョコレートあじの食べ物だらけで、きつねはちょっぴり困り顔。
お店に出す、チョコパンの種類もどんどん増えていきます。
そんなある日、ハムサンドイッチを欲しいお客さんがやってきましたが……?
ねずみさんたら、「しんはつばいのチョコハムサンドイッチです!」とか、にんじんパンを買いにきた馬さんに「まるごといたチョコパンがおすすめですよー」とか、ちょっとやりすぎじゃないかしら……。
あら、でも、チョココルネじゃなくて、コーヒーカップの形のチョコパンなんておもしろそう!
この絵本、実は絵のところどころに写真がコラージュされていて、それがまたユニークなんです。
食をテーマにした物づくりや料理を手がけるGoma(ゴマ)のお二人による絵本。
本書は『へんてこパンやさん』『オバケカレー』につづく、シリーズ3作目です。
巻末にはレシピもついて、これまたびっくり。コーヒーカップチョコパンや、チョコのたねパンが本当に作れちゃうなんて。
「チョコのたね」って聞いたら、みなさんはどんな木にどんな実がなる「たね」だと思うでしょうか。
お話が楽しいだけじゃなくて、カカオの実からチョコレートを作る方法を知ることもできるんですから、おもしろい!
研究心と遊び心を刺激されるお菓子絵本です。
]]>雨? 川? 海?
私たちの体の約60%を占めること?
地球の7割が海だということ?
「水とはいったい何なのか?」そう問われたら、差し出したい絵本が生まれました。
主人公は、ひとりの女の子。
少女は、口にした一杯の水とともに川を流れ、木の根から吸い込まれ、
ほかの生き物の生きる糧となります。
そうして、再び自然に帰り、空へと昇っていきます。
勢いのある筆のタッチが紡ぐのは、青や緑の世界。
ときに激しく、ときに優しく進む物語は、全編を通して水の喜びにあふれ、生き生きとした生命賛歌のようです。
誰かに知ってほしいけれど、誰にも教えたくない、宝物のような絵本です。
名前は「ヒーロー」だけど、ぼくはぜったいにヒーローにはなれない。
ぼくは、ぼくより弱いやつにあったことがない。
いや、弱いっていうならまだマシだ。
それは戦いの舞台に立っているってことだから。
ぼくは、そこにすら立ってない。
友だちに怒って手をあげて、けっきょく自分がケガをして……
人のケンカを止めようとして、巻き添えくらってやっぱり流血……
挙げ句の果てには、ごっこ遊びで戦いの真似事をしていたって、ぼくが関わるとロクなことにならない!
ぼくは「争いごと」にむいていない。
だからトラブルは避けて、多少の理不尽だってがまんしながら、平和にやってきたんだ。
あの、とんでもない転校生が現れるまでは──
穏やかな日色の日常に、突如として現れた転校生、「真中凛」。
きれいな彼女に、クラスのみんなは大注目!
しかし、すぐに彼女はクラスで浮いた存在になってしまいます。
真中さんは、まちがっていることをまちがっていると指摘することに、なんの遠慮もないのです。
トラブル? ケンカ? おかまいなし!
クラスメイトが音楽室にあるバッハの肖像に言った悪口にすら、「謝りなさい!」とつっかかっていく始末。
そんな真中さんの目には、日色のことなかれ主義がとても臆病に映るようで──
「日色? ヒーローっていうより、チキンだね」
真中さんが日々巻き起こすトラブルに巻き込まれて、しなくてもいい損をする日色。
そんなある日、真中さんが「正直であるため」に払った「おおきな犠牲」について、日色は知ることになります。
「まちがったことなんてそこらじゅうに転がっていて、そういう中でぼくらはがまんしたり、見て見ぬふりをしたりして、毎日をクリアしている」
日色の語るそれは、大人も子どもも関係ない、だれしもが自然とおこなっている処世術です。
あちこちに転がっているまちがいを正そうとして、そのたびにいちいち声をあげていたらどうなるでしょう?
「うざい」
「空気が読めない」
真中さんがそう思われたのと同じように、おとなの世界でだってきっと、そうして白い目で見られてしまいます。
人に対して、そして自分に対しても、「正直であるということ」のほんとうの意味。
それが人を傷つけるものだとしても、正直さはぜったいに正義なのか?
そして、だれもがいつの間にか学び、和を守るため無意識に実践しているウソや無関心。
それは悪いこと? それとも良いこと?
こなごなになった本、焼けてしまった故郷。
無事だったのはただ一冊、ピーターのお父さんが図書館から借りていた、赤い表紙の本だけ。
敵に追われて町の人びとは旅立ち、ピーターとお父さんも、その過酷な旅路に加わります。
冷たい風と雨にさらされ、夜は身を寄せ合って道端に眠り、何週間も歩き続けたピーターたち。
しかしとうとうお父さんが力尽き、倒れてしまいます。
最後にピーターが託された、鉄の箱。
中にあったのは、戦火を逃れたあの、赤い表紙の本でした。
「ぼくらにつながる、むかしの人たちの話がここにかいてある。おばあさんのおばあさんのこと。おじいさんのおじいさんのまえのことまでわかるんだ。ぼくらがどこからきたか。それは金や銀より、もちろん宝石よりもだいじだ」
過酷な旅もまだ道半ば。
自分の荷物さえ運ぶのがやっとなのに、鉄の箱を持っていくことなどできるでしょうか?
みなが置いていけと諭すなか、しかしピーターは一冊の本のため、代わりにみずからの荷物を捨ててしまいます。
]]>山口みちこ、5さい。
でも、「わたし」って誰なんだろう?
生まれたばかりのあかちゃんから見ると「おねえちゃん」。
お兄ちゃんからみると「いもうと」。
お母さんやお父さんから見ると「むすめ」だし、おばあちゃんやおじいちゃんからみると「まご」。
先生から見れば「せいと」だし、みっちゃんからみれば「おともだち」。
犬からみれば「にんげん」だし、宇宙人から見ると…「地球人」!?
「わたし」は「わたし」。
一人のはずなのに、こんなにもいっぱいの呼び名がある。
れすとらんへ行けば「おじょうさん」って呼ばれるし、映画館ではただの「こども」になる。じゃあ、私のこと知らない人から見たら…?
考えはじめると止まらない。
今まで見ていた景色がちがってみえる。
自分の世界がぐらぐら揺れる、はじめての「哲学絵本」!
]]>とても気になる語感です。すっぱり? めがね?
ぼくの持っている不思議なめがねは「すっぱりめがね」。
このめがねをかけてのぞくと、なんでもすっぱり。
「すっぱり」とは?
……なんと、中身が見えてしまうのです。
のぞいた物は、みんな断面図として見えてしまうのです!!
この絵本では、その「すっぱりめがね」でのぞいた身の回りの中身を見せてくれます。おにぎり、ラーメン、腕時計からピアノ、車まで。次々に登場する断面の絵、それはそれは緻密です。なにしろ「すっぱり」切られている訳ですから、その切れ味の鋭さも見事なのです。ラーメンの断面図なんて考えた事もなかったですし、サッカーボールと野球ボールの違いも面白い。でもやっぱり、圧倒されるのはピアノと車。子どもの頃に読んでいたら、何時間でも眺めていたことでしょう。
そうなってくると、なんでも「すっぱり」したくなるのが読者の心情です。サービス満点なぼくは、自分の住んでいるおうちだってすっぱりと見せてくれますよ。のぞき見している様な気分になってきちゃいますね。
ありそうでなかった「すっぱり絵本」。小さな子もページをめくるだけで、その意味は伝わるはず。大人だって…すでに好奇心が止まりません。
日和にとって家は、いつも緊張し、気をつかわなければならない場所だった。
日和は、妹の紅子が怖かった。
紅子は母にとっての女王様で、妹の機嫌を損ねれば、母に疎まれることになるから。
そして日和は、いつも祈っていた。
いつか、母が自分を愛してくれるようになる、そんな日を信じて──。
疎まれ、嫌われ、それでもなお母に愛されたいと願う日和。
家族がばらばらになってしまうことを恐れて、妻と娘の歪な関係から目をそらしつづける父。
そして、なんとかして我が子を愛そうともがき、しかし叶わずに苦悩する、母の愛子。
すれすれの均衡でなんとか家族の形を保っていた日和たちだったが、ある日、愛子の誕生日にその均衡を崩す事件が起きる。
「母は、娘を愛することもできず、捨てることもできなかった。だけど、あたしはちがう──」
『糸子の体重計』や『空へ』、青少年読書感想文全国コンクールの課題図書に選出された『二日月』、『チキン!』など、今もっとも注目される児童文学作家いとうみくがあらたに描くテーマは、”子どもを愛することのできない母親”。
もしこの物語が、日和ただひとりを主人公にしたものだったら──
もしこの物語が、愛子のことをただ「娘を憎むいじわるな母」として描いていたら──
もしそうであったなら、この切なさも、やりきれなさも、いくぶんかは軽かったろうと思います。
しかしこの物語では、中学一年生の日和はもちろん、その母親である愛子も、また悩み、戦い、もがく主人公のひとりなのです。
「あの子を抱くと、苦しかった。お母さんってすりよってきたとき、ぞっとしたこともある」
木の兵隊さんが病気になったときも、テディ・ベアが転んで鼻血を出したときも、消防士の人形が足を折ったときも…。
シロップを飲ませたり、はちみつ味ののどアメをあげたり、添え木をしてあげたり。
赤い縦縞のシャツに蝶ネクタイ。ツイードの上下に、黄色いチョッキ姿がかわいらしいひげ先生は、どんなときも快く親切に人形たちの面倒を見てやります。
はしかと、おたふく風邪と、みずぼうそうと、百日咳にいっぺんにかかってしまって外に出られないピエロの人形には、毎日りんごを届けてあげたんですよ!
人形たちは、みんな、ひげ先生を頼りにしています。
ところが、ある日、ひげ先生が風邪を引いてしまったからさあたいへん…!?
『おやすみなさい おつきさま』など名作絵本を描いたマーガレット・ワイズ・ブラウンが文章を書き、あたたかく懐かしい感じの絵をJ.P.ミラーが描いています。
まるで『ガリバー旅行記』のガリバーのように、大の字で倒れたひげ先生のまわりに、人形たちが集まって、あれやこれやと世話をする姿の、ユーモラスなこと。
先生の熱をはかろうとしたり、のどをライトで照らそうとしたり…、消防士が先生のひざをたたいてみて、足があがるかを試しているのもご愛嬌。
人形たちは、ひげ先生にしてもらったことを、同じようにしてあげているのですね。
「びょうきになったら、でんわだよ。はやく、はやく! それであんしん、もうだいじょうぶ!」
ひげ先生がいたら、どんな人形も、きっと安心。
本書を読む子どもは、人形たちに心を寄せ、お話の世界に入り込むのではないでしょうか。
ほっと安心する子どもの幸福感が、じんわり伝わってくるような絵本です。
]]>どうやら彼らは、とっても小さなサイズの家族。どのくらい小さいかというと、みんなの履くスリッパの片方の中に一家まるごとすっぽり入れちゃうくらい。
そして、彼らを説明する言葉はただひとつ、「ねむたいひとたち」。
ねむたいひとたちは、ねむれる場所さえあれば、どこでもいいのです。いつもとってもねむいんです。おねまきを着て、ナイトキャップをかぶって、あくびをして…。ねるまえには、とうさんが探してきたココアとクッキーで「ねるまえのスナック」をもぐもぐ。ココアをのんでいるうちに目はとろんとろん。とうさんも寝息をたてはじめて。
私たちは、いったいなにを見ているのでしょう。ねむたいひとたちがお休みする時間? それとも彼らの大事な仕事の時間?それとも可愛いあくび?…どちらでもいいですよね。大切なことは、かれらが部屋のどこかすみっこに住んでいるのかもしれないってこと。私たちも、かれらと一緒におやすみしましょうね、「すーすーくーくー」。
人生においての幸福とはなにか、特に誇張することなく、いつも淡々と問いかけてくれるゴフスタインの作品。この『ねむたいひとたち』は特に直接的で、誰にでも共感できて、とてつもなく愛らしい。子どもたちと一緒にかみしめたい一冊です。
]]>ちょっとだけ疲れていたり、何だか泣きたい気分になった時。
この絵本を親子で一緒に読んでみたらどうかな。
「おひさまが あはは」
「おおきな きが あはは」
「ことりが あはは」
みんな、それはそれは大きな口を開けて思いっきり笑っています。
さあ、一緒に声に出して笑ってみよう。
「おはなが あはは」
「こいぬが あはは」
なんだか元気が出てきたな。
でも…あれ?
今度は、ぼくだけしかめっつら?
どうしたの?
そうしたら、ほらママの出番!
黄色い表紙に元気いっぱいなおひさまの顔。
この絵本には、理屈抜きの笑顔とパワーがあふれています。
やっぱり思いっきり声を出すのって、気持ちがいいんです。
みんなで一緒に笑っちゃおう。
「あははあはは」!
]]>表紙の左下の角が大きく欠けています。これはいったい?
1ページ目を開けば、すぐその使い方にピンときます。
「きょうは めでたい けっこんしき。
はなよめさんは にっこり えがお。」
日本髪に結った華やかで立派な花嫁さんです…が、肝心なお顔がありません。あるはずの部分がまあるく半月型に切り取られているのです。ということは?
そう、あなたがはなよめさんになるのです。
使い方は簡単。開いたままの本をカチューシャの様に自分のおでこにぴったりはめて…顔をあげて、キメ顔で、はいポーズ! あっという間に大変身です。お見事。
もちろん、これだけでは終わりませんよ。ちょんまげ頭のおむこさんに音楽家、おひめさまや板前さん、宇宙人まで!? 次々に登場するので、どんどんなりきってくださいね。どうやらこれは、大人も子どもも関係ありません。どちらが面白くなりきることができるか、勝負です。親子で、大勢で、盛り上がりながら楽しめる1冊です。「おでこはめえほん (1)」ということは? 期待しちゃいますよね。
]]>神のそのひとことからはじまる、七日間の創世。
アダムとイブが食べた禁断の果実。
すべてを無に帰す大洪水とノアの箱舟。
天へ届けと伸び上がり、神の怒りにふれたバベルの塔。
海を割り、十戒をさずけられた預言者モーセ。
そして、イエスの起こした数々の奇跡。
なんとなく聞いたことはあるけれど、くわしくは知らないという方も多いのでは。
本作は聖書に描かれた物語を、再編成した一冊です。
主だったエピソードをシンプルにまとめ、全体を俯瞰しやすいひとつながりの物語として描き、聖書世界を楽しみながら知ることのできる作品になっています。
そして、そんなあらたな聖書に色を与え、景色を与えたのが、国際アンデルセン賞受賞画家リスベート・ツヴェルガー。
オーストリアの絵本画家で、オズの魔法使いや不思議の国のアリス、おやゆび姫といった古典童話の挿絵は、世界的に高く評価されています。
夢の景色を想わせるような、独特の味わいを持つツヴェルガーの絵。
それが本作では聖書という骨組みを得て、より神秘的でおごそかな空気をまとい、作品世界を彩っています。
]]>これって、なんだかわかりますか?
上から読むと「うた うたう」。
下から読んでも「うた うたう」。
あ、一緒!
これが、「さかさことば」。「ことばのひろば」シリーズに、東君平さんが作った「さかさことば」と絵が楽しめる絵本2冊の登場です。
『うた うたう』は、春・夏・秋・冬の季節にちなんださかさことばが次々に登場します。「くちなし と しなちく」「かいすいよくよいすいか」「この き に きのこ」など、シンプルだけど、なんだかクスっと笑っちゃうような言葉に、カラフルで愛らしい絵が合わさって。見ているだけでもユーモラスな遊び心がたっぷり味わえるつくりになっています。小さな子は響きをそのまま楽しんで、少し大きくなったら言葉遊びを堪能して。さらに自分でも「さかさことば」を作れるようになったら上級者!
君平さんの絵と言葉があまりにも可愛いので、作ってみようと挑戦してみると、意外にこれが難しい。意味が通じるような、通じないような…。こんな風に、パッとイメージが浮かびあがる、明快で軽快な「さかさことば」が生まれるのは、やっぱり君平さんのセンスなのでしょうね。
もう一冊の『こねことこねこ』は、動物がテーマ。こちらも一緒に揃えたくなる愛らしさですよ。
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