ベッド de お座り (長座位)
ベッドサイド de 遊び(吹き出し)
主人公は数字のゼロ。
ある日、自分のからだの真ん中に大きなあながあいていることに気がつき思うのです。
いいなあ、みんなはかぞえられる数字で。
「1」の力強くて、堂々としたからだになったらなかまに入れるかな。
ゼロは、自分のからだをひっぱったり、のばしたり。ひねってみたり。
でも、ゼロはゼロのまま。
中身がからっぽだと思うと、自信が持てないのです。
「どうせ、わたしは なにを やってもダメなんだ。」
それを聞いてアドバイスしてくれたのが、赤いからだの「7」。
「もっと よーく じぶんを 見てごらん」
その言葉の通り、ゼロは自分をしっかりと見つめ直します。
すると自分の中にひかりを感じ・・・。
ゼロは、自分とみんなの違いを受け入れられずに悲しくなったり、自分自身を恨めしく思ったりします。そんな様子を見て乙武さんは言います。
「私と似た境遇と言えるかもしれない。しかし、大きく違うのは、そうした境遇の捉え方。私は友人たちをうらやんだこともなければ、自分を恨めしく思ったこともありません。それは、両親をはじめ、周囲の人々が幼い頃から私の存在を認め、愛情を注ぎ続けてくれたからだと思うのです。」(巻末の訳者のことばより抜粋)
自分にしかできないこと、自分だからできること。
それに気付くことができるのは、案外まわりの人のささいな声かけがきっかけになるのかもしれません。
「みんな ちがって みんな いい。」
この絵本が、悩める子どもたちにとって、何かのヒントになってくれますように。
プログラムは「せいめいのれきし」。
地球上に生命が誕生した瞬間から、地上でひとびとの暮らしが営まれている今、この時までのおはなし。
主役は三葉虫、頭足類、恐竜から、鳥、家畜に人間まで。そして植物たち。
長く壮大なこの舞台、心ゆくまでお楽しみください!
地球が生まれるより果てなき昔、太陽誕生のプロローグからはじまり、第一幕の舞台は古生代。
およそ5億年前、海底の王様といわれた三葉虫が進化し、やがて魚、両生類、昆虫たちが登場します。
動物たちとともに大きな進化を遂げたのは、植物。
岩でできた地面のなかに根を持ち、茎や葉をそなえて、太陽に向かって手を伸ばし始めました。
緑の大地、生命の息吹に満ち溢れる地球が生まれたのです。
この後、地球は、生命は、どんな進化を遂げていくのでしょう。
・・・まだまだ4幕のストーリーが待っています。
1964年の刊行からロングセラーとして読み継がれてきた絵本『せいめいのれきし』。
本書は、半世紀ぶりにアップグレードされた改訂版です。
監修を手がけたのは、小さい頃からこの絵本を愛読してきたという、恐竜研究第一線で活躍中の真鍋真さん。
石井桃子さんの名訳はそのままに最新の学説が反映された本文、どんなところが変わったのかな・・・旧版と読み比べてみるのも、楽しみの一つになりそうですね。
見開き左ページは生きものたちの進化の歴史が、右ページには舞台、その時代の地球の風景が広がります。
博物館に足しげく通い、8年かけてこの本を完成させたというバージニア・リー・バートン。
生きものたちの骨格や植物の葉や枝の形の細部までこだわって描かれた絵は、くまなく眺めるほどに新しい発見に出会うことでしょう。
専門的な内容にもかかわらず彼女の手にかかれば、地球誕生からの46億年の生命の歴史は、なんとも叙情的でファンタジックな世界。
46億年前も5万年前も、200年前も25年前も、そして昨日も。この地球の上で連綿と続いてきた時間のほんの一瞬。
圧倒的なロマンを体感しながら、今、その時間の上に自分が、家族が、仲間がいるという不思議な奇跡に、胸は躍ります。
第5幕を終え、46億年のときを超えた舞台はようやく終幕…ではないようですよ。
「さあ、このあとは、あなたのおはなしです。主人公は、あなたです。」
時は、今。生命のリレーのバトンを受け取ったのは、この絵本を読み終えたあなた。
「せいめいのれきし」の舞台は絶えることなく、新しいストーリーがつむがれていきます。
]]>わら、木、レンガ。それぞれの長所を生かした家を造るにはどうしたらいいだろう。「ジャックと豆の木」のつるは、富士山より高かった? 「ヘンゼルとグレーテル」のお菓子の家を実際に造るとしたら? 「大きなかぶ」はどれくらい重かったの? 「うさぎとカメ」の速さはどれくらい差があったの?など、童話を科学の目で読み解くと違った面白さが見えてくる。想像するだけでも楽しい不思議からちょっと難しい算数のなぞまで、豊富な写真とイラストで視覚的にも理解しやすくできている。
]]>このレックスの考え方は哲学用語で「虚構主義」(虚構とわかりつつもそれを有効なフィクションとして利用すべきだとするスタンス)と呼ばれるといいます。
子どもの質問では他にも「自分の見えている赤という色は、ママにはどんな赤に見えているの?」という質問が収録されています。これは哲学用語で「表現の不可能性」や「私秘性」というそうで、尋ねられたら思わず「そ、それは…どう説明すればいいんだろう」と言葉を詰まらせてしまう方も多いでしょう。
本書に書かれている5つの言い回しを覚えれば、手強い哲学的な話し相手である子どもと、いくらかキャッチボールを楽しむことができます。
深く突きつめて考えていたといいます。
あなたもデカルトと同様、あれは夢だったのかと驚いたことや、やれやれ夢でよかったと安堵したことがあるはずだ。だとすれば、いま自分は夢を見てるのではないと確信することは難しい。
いま自分は目を覚ましているかどうかさえ確信できないなら、これまで経験してきたことの確かさを確信できるはずがない。
深く突きつめて考えることは、自分の「世界の見え方」を変えるだけでなく、多様な他者の「世界の見方」を想像することにもつながるでしょう。経営育児・教育・コミュニケーションなど、幅広い分野に活用できる教えが収められている一冊です。
]]>「はじめは地球や月や太陽はもちろん、すべての星がぜんぶいっしょに目に見えないほど小さい点の中にぎゅっとつまっていたんだって。これが宇宙の始まりといわれている。この目に見えない点が、1秒もしないうちに信じられない速さでふくらみ、ちりやガスや粒子をまきちらした。それが何十億年以上もかけて少しずつくっつき、いろいろな星になって宇宙ができた。」
子どもには難しいかな?と思っていたビッグバンの説明です。
この絵本では、数々の素朴な疑問に対して、科学的根拠に基づいた丁寧でわかりやすい答えを、なんと飛び出る「しかけ」で教えてくれるのです。
・地球はどうやってできたの?
・生命の始まりはいつ?
・地球はわたしたちの足の下で動いているの?
・どうして雨がふるの?
・天気はどうして変わるの?
・海はどうして動くの?
・炭素って何?
・植物はどうやって生きているの?
・食物連鎖って何?
わたしたちの住んでいる「地球」のひみつ!
たくさんの「なるほど」がこのしかけ絵本にはつまっています。写実的な科学絵本が多い中、優しくあたたかいイラストで描かれた本書は、子ども達に大切な事実を伝えながらも忘れてはいけない「Wonder」や「Imagination」を感じられる心を刺激してくれます。大人も目からウロコの発見が盛りだくさん!是非とも、親子でしかけを引っぱったり回したりしながら、素晴らしい「地球のひみつ」を発見してくださいね。
]]>「1冊」の辞書、のまちがいじゃない?
いえいえ、これはまさしく「1本」の辞書!
1本、2本と数えるものばかりを集めた、「ものの数え方」にかんする本なのです。
私たちは細長いものを本と数えます。
では、いったいどれくらいの長さになるとそう数えるようになるのでしょうか?
もしそれが筒だったら? 片方が閉じてただの容器になったら?
細長いけれど、電車は一本? それとも一台?
遠くに見える高層ビルは一本? それとも一棟?
わたしたちは、細長いものばかりを本と数えるわけではありません。
サッカーのシュート、宝くじ、それに「カツオの一本釣り」なんて言葉も。
まだまだたくさんあるんです!
どうして細長くはないそれらを本と数えるのでしょう?
大人も夢中になって「へえー!」とうなり「なるほど!」と手をたたく、ものの数え方にかんする興味深いコラムをはさみながら、本と数えるいろいろなものを「細長いもの」と「細長くないもの」とに大別して掲載しています。
ふだん何気なく使っている言葉について見直し、深く考えるきっかけになる一冊。
また、「1本」と数えるものごとを分析し、分類し、さらに調査していく課程が描かれているので、気になったことについて深く知るにはどうすればいいのか、その方法の具体的なイメージを学ぶのにもオススメです。
「みんなでつくる」と題された本作。
本作を読んでから、あらためて本と数える身の回りのものを探してみてください。
あたらしい発見があるかも!
1963年にアメリカで出版された作品のこみやゆうさんによる初邦訳です。
主人公はイタリアの村に住むルイージという男の子。
ルイージは毎週末、バスで10分ほどのスイスの町へ国境を越えてバイオリンをならいに通っていました。
タリアティーニ先生はもうおじいさんですが、このあたりではいちばんゆうめいなバイオリンの先生なのです。
土曜日になると決まって黒いバイオリンケースとお弁当、おかあさんがデザートに先生と食べなさい、と持たせてくれたケーキを抱えてバスに乗るルイージは、今まで国境の兵隊さんに荷物をとがめられたことはありませんでした。
でもある日、いじわるな兵隊さんがルイージの荷物をあけさせるようになって……。
ルイージのバイオリンをひどい音で弾いたり、大事なケーキを押しつぶしたり!
それが何週間もつづき、ついに大きなシロップ漬けさくらんぼを勝手に食べられてぐちゃぐちゃのチョコレートケーキを見たタリアティーニ先生は、腹を立ててこう言いました。
「もうがまんならん! こうなったら、わしもバスにのるぞ!」
さあ先生の仕返し、いや、「とくべつレッスン」がはじまります……!?
うきうきする軽やかなタッチ、きれいな色合いのカラー挿絵たっぷり!
じつはなぜ兵隊さんが荷物をあけさせるかというと、国境を越えて高価な物を売買する密輸人をさがすためだったのですが……さて結末はいったいどうなったのでしょうか?
「イッター―!!」と大声をあげたのは誰だったのか?
いじわるな兵隊さんの言動をおおげさに読めば、子どもウケもばっちり、間違いなし!
親子で読むのもおすすめ、総ルビなので小学生低学年の一人読みにもおすすめです。
お話の最後まで、ユーモラスな空気が絵と文章からあふれます。
思わずくすくす笑いたくなるような、さわやかな気分で読み終えられるお話です。
その動作を「ドラミング」と呼びます。
敵を脅し、戦いをはじめる合図として鳴らす恐ろしい音……
以前はそう考えられていました。
そう、ゴリラはただ敵を威嚇するために胸を叩ているわけではなかったのです。
そこには、ゴリラのおどろくべき高度な社会性や、平和を愛する穏やかな性格に関係する、実にさまざまな意味が隠されていました。
観察レポートという形をとっている本作、小学校中学年以上を対象としていますが、大人でも楽しめるとても充実した内容です。
なぜドラミングをするのかという表題のテーマ以外にも―
子どもはドラミングをするときに胸を叩かない!?
ドラミングは大人のオスにしかできない理由がある!?
胸を叩く時の手の形はグーじゃない!?
大人にとっても興味深い、ゴリラに関する新鮮な知見がふんだんに盛り込まれています。
一方で、「ゴリラになんてぜんぜん興味ないや」という人にもぜひ読んでもらいたい作品でもあります。
というのも、この作品はゴリラの生態を通して、人間である私たち自身に他人との接し方を振り返らせ、多くを反省させてくれる本でもあるからです。
「仲裁してくれる仲間がいるからこそ、ゴリラたちは自己主張しあい、対等な関係を保っていられるのです」
作中で描かれる、自己主張しつつも互いを認め合い譲り合うゴリラの精神からは、大人も学ばされることがたくさんあります。
ゴリラに興味がないからと知らないでいるにはもったいない一冊!
]]>働き者の彼らは、虫たちにたのまれて、花畑やきれいな庭を作る仕事をしています。
ある日、とのさまがえるのお店で、たらふくお酒を飲んだあまがえるたち。
お酒の代金を払えなくなった彼らは、とのさまがえるの家来にされてしまいます。
「あしたからみんな、おれの命令にしたがうんだぞ、いいか!」
さんざひどい仕事をさせられ、ぼろぼろになってしまうあまがえるたち。
そこに突然、「ひとにものを言いつける方法」と題した、国のあらたな決まり事が定まって──
働くことと、働かせること。
労働をテーマにした風刺的な作品であり、太陽や草木、ちいさな生き物などの自然に対する敬意と愛情に満ちた、いかにも宮沢賢治らしい作品「カイロ団長」。
悲しくなったり、あわてたりすると、すうと青色に透きとおってしまうあまがえるたちの体や、お日様の光で照らされる自然の様子などが、幻想的に語られています。
暗い色の体をしたカイロ団長が、いっぱいに描かれている表紙を見ると、いささか地味で沈んだ色合いの絵本に感じられてしまうかもしれません。
ところが、表紙から受ける印象は最初のページですっかりくつがえってしまいます。
日に透けたようにうっすらと朱の線でふちどらた、鮮やかな緑色のあまがえるたち。
にじむように繊細なタッチで描かれる、色とりどりの草花。
王様の命令を伝える、虹のような体と殻を持ったかたつむり。
そして最後のページがみどころ!
30匹のあまがえるたちがいろいろな草花に囲まれてゆかいに働く姿を描いた場面は、鮮やかな色彩がまぶしいほど。
今は使わない物の単位や古い言い回しがありますが、巻末にまとめてそれらの意味や、今の単位でどれくらいに相当するかが記載されています。
すんなりと読み進むには少し、むずかしいところもあるかもしれませんが、宮沢賢治の不思議な懐かしさのある繊細な言葉選びを、音読でいっしょに楽しんでみるのはいかがでしょうか。
]]>ダムに沈むはずだった熊本県五木村(いつきむら)にある、鎮守の木、大銀杏です。
昔、この木の洞に入って修行したといわれる安心(あんじん)和尚の伝説と、根元によりそう村の共同墓地とともに、ひとびとの暮らしの根っこにあったふるさとの木です。
写真家の大西暢夫さんは、1996年頃からこの場所に通いつづけ、村と大銀杏と、ある老夫婦を撮り続けてきました。
本書はそのドキュメンタリー写真絵本です。
日本一の清流ともいわれ、アユが豊富に泳ぐ川辺川。
昭和30年代からダム計画がもちあがり、それから約50年、村はダム計画に翻弄されてきました。
貴重な生態系を残した一帯がダムに沈むことに根強い反対があり、ついにダム工事は中止されることになるのですが、紆余曲折あった長い年月を経て、村は高台への移転を決めます。
すべてのものは取り壊され何もなくなった村のなかで、尾方茂さん・チユキさん夫婦だけが暮らしつづけていました。
『おばあちゃんは木になった』で日本絵本賞、『ぶた にく』で産経児童出版文化賞など、写真絵本で数々の賞を受賞してきた大西暢夫さん。
あたたかで透明なまなざしは、ただそこにある人間や生き物の、結晶のような息づかいをつかみだして、わたしたちに見せてくれます。
本文のモノクロ写真は、大西さんが通い詰めたその土地の“光”にまるで祝福されているように、輝く美しさです。
かつては子どもたちの歓声がひびくにぎやかな山村だった五木村。
食べ物も着る物もすべてあり、お金はなくても暮らしていけた村。
誰もいなくなってしまった村で、茂さんとチユキさんは次に畑を耕す人のため、小石をひろいます。
その心をおしはかることは、今の子どもたちにとってかんたんなことではないかもしれません。
でも……この本を読む子どもたちが、いつか大きくなり、先人たちからそっと届けられる有形無形のいのちの記憶を、感じる日がくるかもしれません。
「ここで土になる」という言葉にこめられたものは、そのときに魂をもつのではないでしょうか。
]]>「ねえ、あたしのおとうと!」
それは、ぼくが生まれる前に亡くなった、お姉ちゃんの声だった。
「いっしょにいこうよ」
「夜になったら、むかえにくるからね!」
お姉ちゃんの声に誘われて、ぼくはその夜、
お姉ちゃんと一緒に、自転車で出かけて行った……。
ベルギーの作家シェフ・アールツが自身の子どもの頃の経験を元に描いた本作は、
亡くなった姉と弟の一晩の冒険を通して、
大切な人を亡くした悲しみに暮れる人々の心にそっと寄り添うように、
静かに物語を紡いでいきます。
そして、画家マリット・テルンクヴィストの手によって描かれた
幻想的な雰囲気が漂うファンタジー世界は、
この世ではない美しさと悲しさを醸しながら、
どこか明るく、優しく幼い姉弟を包み込んでいるように感じます。
オランダの銀の石筆賞、ベルギーのボッケンレーウ賞を受賞し、
国内外に高く評価された絵本がついに日本でも発売となりました。
「死」について考えるとき、そっとそばに置いておきたい一冊です。
]]>パパと一緒に台所に向かいます。
パパがご飯を炊いている間に、はなちゃんが作るのは、
ママが教えてくれた「おみそ汁」。
前の夜から準備をしていた昆布と削ったかつお節で“だし”を取り、
包丁を使って、具を切り、おみそをとかして、ていねいに作っていきます。
はなちゃんは、このおみそ汁を5才の頃から作りつづけているのです。
それは、なぜかというと……。
2014年に出版され、多くの読者の心をつかんだ、
実話を元にしたノンフィクション『はなちゃんのみそ汁』。
2015年にはテレビドラマ化、2016年には映画化も予定されているベストセラー作品が、
絵本になりました。
物語は、小学生のはなちゃんを通して、
はなちゃんがおみそ汁を作るようになった理由や、
はなちゃんのママが娘に伝えたかったことなどが、
何気ない日常の様子とともに、とても明るく、ていねいに描かれています。
絵本を読むと、はなちゃん家族に訪れた悲しい別れや、
はなちゃんがママから教わったことが、特別な家庭のできごとではなく、
私たちの身近にも起こりうることのように思えてくるふしぎな感覚……。
生きることについて話したいとき、命について考えたいときに
手に取りたい一冊です。
]]>あるとき彼女らのもとに、身なりのよいちいさなカエルと、月よりも気高いバラの娘があらわれます。
カエルいわく、バラの娘はとある医者の力で美しくなったとか。
ところが、彼らの正体は悪魔の化身なのです。
美しくなりたいひなげしたちのもとへ、くだんの医者に化けた悪魔があらわれて―
ひなげしたちの持つ手鏡のデザインが、それぞれ異なっているのがとてもかわいらしいみどころ。
いっぽうで、ひなげしたちが物語を通して決してその手鏡を離さずに描かれているのが、ゆきすぎた美への執着を思わせて恐ろしくもあります。
ひなげしたちを見守るひのきの言葉によって明確に教訓が示されているので、他の宮沢賢治童話と比べて、込められたメッセージがわかりやすいのもポイント。
ひなげしやチョウによって、しっとりとした華やかな色合いで彩られていたページは、物語の終盤に暗い色合いへと沈みます。
それがひなげしたちの哀れさや、もの悲しさを引き立たせており、この物語の教訓をより切実なものとして伝えてくれています。
古い作品ということもあり、聴覚障害者を指して現代では差別的とされる表現があるので、その点ご留意ください。
満天の星空を背景にして、あるがまま生きることついて説くやさしいひのきの言葉。
そこに込められた宮沢賢治らしい普遍的な哲学は、どんな年代の人にとっても大きな力になってくれるはず。
]]>「ぼく、チャーちゃん。
はっきり言って、いま死んでます」
から始まり、いきなりドキリとさせられます。
「死ぬ」とは、どういうものなのでしょうか?
チャーちゃんは言います。
「死ぬ と 踊る の違い?
よくわかんないな、ぼくは。」
そして、黒が基調となっている表紙の絵とはうってかわって、草花溢れる明るい草原のような場所で、飛び跳ねるように踊る子猫。
とても楽しそうで、幸せそうで、孤独でもなくて。
死ぬというのは、こんなにも喜び溢れる世界に行くということなのでしょうか……?
ひとつ注目したいのは、全編を通して子猫の絵が描かれていますが、「チャーちゃんは子猫」とは、どこにも書かれていないこと。
もちろん猫や大切なペットの話としても受け取れますが、チャーちゃんは、あなたの大切な「誰か」とも読むことができるのです。
大切な人を亡くしたとき、すぐにこんな風には思えないかもしれませんが、あの人がチャーちゃんのように幸せに満ちた草原で踊っているとしたら、この悲しみもいつかは癒されるかもしれません……。
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