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「合言葉は『おまけの人生』」

「合言葉は『おまけの人生』」1《誕生から就学前まで》

出生時刻は、 午前6時28分。
水頭症を合併した二分脊椎症者の私は、1983年11月27日に産声をあげずに生まれた。出生時の体重は、3080g。分娩室に入ってから28.5時間経っての事だっただけに母には、「喜びなんてなかった、3分間隔がとんでもない展開になった」と、いまだに言われる。電話で生まれた事を知らされた父は、状況の把握が出来ないまま産院へ行き、私と対面。生まれた産院では、対応出来ない旨の説明をされた上で、一緒に病院に行ったと聴いている。
誕生からこれまでの人生で、手術室に入って受けた手術だけで10回程。
両親が、この子に本当に生命力があるのかと見続けた結果、本来ならば生後すぐに行うのが一般的である脊髄髄膜瘤の手術を、生後半年が経った頃に受けた。最初の病院では、体質の問題もありシャント術を3回するも全て失敗。次の病院で行った4回目でようやく成功。3歳ぐらいの時にとりあえず入退院終了。
その後、初めての集団生活が通園施設。
途中から一般の幼稚園にも通園。
そして、年長の一年だけ保育園生活。
この年長さんとして入れた保育園が大泉学園だった事から、朝霞から大泉学園へ引越して都民になる。幼稚園・保育園に行けたのは、通園施設と特別支援学校を除いては、特に障害者に対して理解のある所を選んだのではなく、受け入れてくれる場所に出会えたタイミングがよかったからだった。そして、より早く行くことが出来たのがたまたま幼稚園となったです。幼稚園と保育園で共通していたのが、障害児がほとんどいないという事。そのため友達から、「なんでオムツしているの?」、「なんで歩けないの?」などの質問は自然な事だった。その様子を見守っている母は、「全部本人に聞いて」と、私自身に答えさせるトレーニングとしていた。そのおかげで、自分なりにその都度、障害について説明できるようになり、成長するににつれてその内容も変化していった。家の中でも母から「なんで歩けないの?」、「なんで頭が大きいの?」と私の反応を観るべく、よく聞いてきたものです。そして、「歩けないものは歩けないんだよ!」、「頭が大きいのはしょうがないんだよ。」と明るく答えていたのでした。この母とのコミュニケーションと、診察での母とドクターとのやり取りを聞いたり、ドクターから私に対して質問された内容に答える中で、自分なりに病気に関連する事について理解できることは自然と身についてきたと感じています。
  • 2017.12.27 Wednesday
  • 16:16

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