秋の園遊会が開かれ、ピョンチャンパラリンピックのメダリストなど1800人余りが、天皇皇后両陛下や皇族方と和やかなひとときを過ごしました。来年4月の天皇陛下の退位を前に、両陛下が臨まれる最後の園遊会となりました。
園遊会は、両陛下の主催で、毎年、春と秋の2回、東京の赤坂御苑で開かれています。来年の春の園遊会は、天皇陛下の退位を間近に控えて取りやめられるため、両陛下が園遊会に臨まれるのは最後になりました。
9日は、雨の中の園遊会となりましたが、両陛下は、ふたりで1本の傘を握り、寄り添うようにして招待された人たちと言葉を交わされました。
女性の皇族方は、色とりどりの和服で会場を彩られ、療養中の皇太子妃の雅子さまは、15年ぶりに最後まで行事に臨まれました。
今回は、ピョンチャンパラリンピックで活躍した選手たちが招かれ、アルペンスキーで金メダルを含む5つのメダルを獲得した村岡桃佳選手や、スノーボードで金メダルと銅メダルを獲得した成田緑夢選手など、4人のメダリストが両陛下などと懇談しました。
また、国際宇宙ステーションで科学実験に取り組んだ宇宙飛行士の金井宣茂さんや、ドラマや映画で数多くのヒット作を生み出した脚本家の三谷幸喜さんらも招待されました。
園遊会に出席した1800人余りの人たちは、庭園を回って記念写真を撮るなどして和やかなひとときを楽しんでいました。
宮内庁は、来年の秋の園遊会についても、皇太子さまの即位に関する儀式が続くため開催は難しいとしていて、次に園遊会が開かれるのは再来年の春になる見通しです。
園遊会とは 招待者は
園遊会は、天皇皇后両陛下の主催で、毎年、春と秋の2回、東京の赤坂御苑で開かれています。
両陛下や皇族方が会場の日本庭園を回り、招待された人たちと言葉を交わされます。
園遊会は、明治13年に国際親善のため外交団を招いて開かれた秋の観菊会と翌年に開かれた春の観桜会が前身とされています。
観菊会と観桜会は、戦争の影響で昭和12年の4月を最後に開かれなくなりましたが、戦後、昭和28年の11月に、「園遊会」の名称で新たに開催されるようになりました。
当初は秋にだけ開かれていましたが、昭和40年からは今のように春と秋の年2回になりました。
園遊会に招かれるのは、総理大臣など三権の長や国会議員、都道府県の知事、市町村長、各界の功績者、それにそれぞれの配偶者などで、毎回、2000人を超えます。
このうち各界の功績者は、産業や文化、芸術などの分野で功労のあった人で、各省庁が推薦します。
勲章や褒章などを受けた人たちのほか、オリンピック・パラリンピックのメダリストなどのスポーツ選手や、芸能人、文化人などさまざまで、その時々の世相をあらわす人たちが、園遊会を華やかに彩ります。
来年の春の園遊会は、天皇陛下の退位を間近に控えて取りやめられるため、両陛下が園遊会に臨まれるのは今回が最後になります。
園遊会に招かれると
園遊会の招待者に決まると、金ぱくがほどこされた菊の御紋入りの招待状が届きます。招待状が入った封筒には、会場に入るためのチケットにあたる「参入券」のほか、受付時間や会場の地図が記された案内の紙が同封されています。
案内の紙には服装についても記されていて、男子は、モーニングコート、紋付羽織袴、制服、または背広、女子は、デイドレス、白襟紋付、または訪問着などと指定されています。
また、ただし書きとして「荒天時は中止」と書かれていますが、平成に入ってから、天候を理由に中止になったことはありません。
園遊会の当日、招待された人たちは、午後1時から午後1時50分までの間に、赤、桃、緑、黄といった「参入券」の色に応じて、指定の門から赤坂御苑に入ります。
受付で「参入券」を出して名札を受け取り、胸元などにつけます。
招待された人たちは、一般の人は原則入ることができない赤坂御苑の日本庭園で、5つの池の周りを囲む玉砂利の敷かれた散歩道を自由に散策することができます。
春は新緑を、秋は紅葉を楽しむことができます。
会場では、宮内庁楽部の楽師が雅楽を、また、皇宮警察本部の音楽隊が民謡などを演奏します。
さらに、ジンギスカンや焼き鳥のほか、サンドイッチや洋菓子などが、ジュースや酒などとともにふるまわれます。
招待された人たちは、食事や会話を楽しんだり、写真を撮ったりして、思い思いの時を過ごします。
午後2時すぎに両陛下が会場に到着し、皇族方と丘の上に並ばれると、皇宮警察本部の音楽隊が「君が代」を演奏し、はじめに総理大臣や最高裁判所長官らが両陛下や皇族方にあいさつをします。
そして、両陛下が皇族方と丘から下り、2つの池の間にある中島通りをゆっくりと歩きながら、およそ40分間、通り沿いに並んだ招待者と言葉を交わされます。
招待された人たちから両陛下や皇族方に話しかけるのは禁止されているわけではありませんが、行わないことが慣例になっているため、両陛下や皇族方から言葉をかけてもらえればと、早くから前列に並ぶ招待者の姿も見られるということです。
両陛下は午後3時ごろ、会場を離れられます。その後も園遊会は続きますが、午後4時ごろ、終了を告げるアナウンスが会場に流れます。
招待者には、会場をあとにする際、お土産として、菊の御紋の焼き印が入った和菓子が手渡されます。
園遊会のおもてなし
園遊会の会場では、あちらこちらにテントが設けられ、さまざまな料理が、お茶やジュース、酒などとともにふるまわれます。
サンドイッチやオードブルなど、都内の有名ホテルが手がける軽食のほか、メイン料理の1つで招待された人たちに人気なのが「ジンギスカン」です。
栃木県にある皇室専用の御料牧場で育った羊の肉が使われていて、宮中晩さん会などで提供されることがありますが、ふだん、一般の人が口にすることはないということです。
このジンギスカン、特徴は「たれ」にあります。
天皇皇后両陛下や皇族方の日々の食事を支える宮内庁の大膳課の職員が考案したもので、しょうゆや日本酒、野菜、果物、それにスパイスなどおよそ30種類をブレンドして、3年間、熟成させたということです。
また、御料牧場で育った国産の鶏の品種「はりま」の肉を使った焼き鳥も人気があるといいます。
羊の肉と鶏肉の料理をメインにしているのは、招待者が宗教上の理由から食事を楽しめないことがないようにという配慮からだということです。
招待者が会場を後にする際には、お土産として和菓子が手渡されます。
この和菓子は、あんを、どら焼きに似た皮で包んだもので、菊の御紋の焼き印が入っています。
宮内庁の大膳課では全員の分を作りきれないため、都内の老舗和菓子店に作ってもらっているということです。
この店では、予約に限って一般にも販売していますが、園遊会で配られるものとは、菊の御紋の形を変えているということです。
園遊会の名場面
園遊会は、平成に入ってからことしの春までに52回開かれ、延べ12万2700人余りが招かれました。
園遊会には、スポーツ界で活躍した人たちが数多く招かれてきました。
平成に入って初めて開かれた平成2年の春の園遊会では、千代の富士が、天皇陛下から「1000勝を挙げられておめでとう」と言葉をかけられると、「おかげさまで。日頃の稽古を怠りなくやっております」と緊張した様子で答えていました。
このあと、千代の富士は、報道陣から「今場所と比べてどちらが緊張したか」と尋ねられると、「園遊会のほうが緊張する」と話し、ようやく笑顔がこぼれました。
ことし春の園遊会には、ピョンチャンオリンピックのフィギュアスケート男子シングルで66年ぶりの連覇を果たした羽生結弦選手が招かれ、天皇陛下から「本当におめでとう。ずいぶん練習を重ねられたのでしょうね」と言葉をかけられました。
羽生選手は、「けがをしてしまい直前はうまく練習できませんでしたが、その期間も学べることがたくさんあり、いい機会だったと思います」などと答えていました。
園遊会には、国民的人気キャラクターにゆかりのある著名人なども招かれました。
「アンパンマン」のシリーズで知られる漫画家のやなせたかしさんは、平成3年の秋の園遊会で、天皇陛下に「きょうはアンパンマンの服を着ようかと思いましたが、失礼に当たると思いやめました」と話し、周囲の笑いを誘いました。
平成5年の春の園遊会には、長寿の双子で国民的人気者だった「きんさんぎんさん」、成田きんさんと蟹江ぎんさんが招かれ、天皇陛下から「お二人の元気な姿を国民みんな大変喜んでいると思います」と言葉をかけられました。
このあと、きんさんは、「どきどきした」と、また、ぎんさんは、「神様、仏様のようでした」などと振り返っていました。
平成9年の春の園遊会では、テレビドラマの水戸黄門役で知られる俳優の佐野浅夫さんが、天皇陛下に、「きょうは、白いひげを落として諸国漫遊の旅先から参上いたしました」と話しました。
平成24年の秋の園遊会では、テレビアニメの「サザエさん」の声を長年担当してきた声優の加藤みどりさんが、両陛下に「サザエでございます」と自己紹介しました。
平成の時代は、噴火や豪雨、地震や津波など自然災害に見舞われた時代ともいえます。
被災地の知事や市長などが園遊会に参加すると、両陛下は、被災した人たちの生活や健康を気遣う気持ちを表すとともに、ねぎらいの言葉をかけられてきました。
平成5年の春の園遊会で、天皇陛下は、長崎の雲仙普賢岳の噴火災害の当時、地元の島原市長を務めていた鐘ヶ江管一さんに、「被災の方々、本当に大変だと察しております」と言葉をかけられました。
両陛下は、この2年前に、雲仙普賢岳の噴火災害の被災地を訪れ、被災者を見舞われていました。
鐘ヶ江さんは、「暑い中、お見舞いいただき、みんなが生きる望みを持ちました」と答え、肩を震わせ涙をこらえながら深く頭を下げていました。
柔道金メダル 野村忠宏さんは
オリンピックの柔道で3連覇を達成した野村忠宏さんは、1996年のアトランタ大会で初めてオリンピックの金メダルを獲得し、その年の秋に園遊会に招かれました。
園遊会で、野村さんは、天皇陛下から「いい成績をオリンピックで収められて本当によかったですね」と言葉をかけられると、「試合前にけがをしましたが、自分でできるかぎりのことをやりました」と緊張した面持ちで答えていました。
野村さんは当時を振り返り、「両陛下とお会いし、優しく温かい雰囲気で包み込まれるような気持ちになりましたが、やはりすごく緊張しました」と話していました。
そして、「美しい庭園の中で、華やかな皆さんが、笑顔で少しそわそわしながら園遊会の雰囲気を楽しむイメージがすごく残っています。招かれたすべての方が幸せな思い出として大切にしていると思います」と話していました。
また、来年4月の天皇陛下の退位を前に、今回が、両陛下が臨まれる最後の園遊会になることについて、野村さんは「今でもすごく思い出として残っているので、個人的にはさみしいです」と話しました。
そのうえで、「今も柔道に携わりながらいろいろな事にチャレンジしているので、自分の第二の人生の中で、再び園遊会に招待いただけるような歩みができたらいいなと思います」と話していました。
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