今月8日に亡くなった大相撲の元横綱 輪島、輪島大士さんの通夜が、14日夜、都内で営まれ、多くの関係者が輪島さんの死を悼みました。
輪島さんは、25歳で第54代横綱に昇進し、左を差してからの強烈な下手投げは「黄金の左」と呼ばれ、14回の優勝を果たしました。
横綱 北の湖と白熱した取組を繰り広げて「輪湖時代」と呼ばれ、昭和56年の春場所を最後に現役を引退し、その後は、プロレスラーやタレントとして活動していましたが、今月8日、都内の自宅で70歳で亡くなりました。
輪島さんの通夜は、14日午後6時から東京 港区の青山葬儀所で営まれました。
日本相撲協会の広報部長を務める芝田山親方など角界関係者のほか親交のあった多くの人が訪れ、焼香をしたあと、土俵入りをしている輪島さんの遺影に向かって静かに手を合わせ、別れを惜しんでいました。
輪島さんの告別式は、15日午前10時から同じ青山葬儀所で営まれます。
芝田山親方「学ぶこと多かった」
元横綱 輪島の付け人を務めていたことがある元横綱 大乃国の芝田山親方は、「横綱・輪島さんの付け人をしていたのは、名誉なことだったと今でも思います。かわいがってもらいました。現役当時の遺影を見て昔を思い出していました。輪島さんの横綱としての強さ、土俵入りの格好よさなど学ぶことが多かったです」と話していました。
同郷の力士・輝関「強くなって恩返しを」
亡くなった輪島さんと同じ石川県出身で大相撲の幕内力士の輝は、「輪島さんは偉大な人だったので寂しく思います。強くなることでしか恩返しができないので、強くなるだけです」と話していました。
田淵幸一さん「男がほれる男」
輪島さんと親交のあった元プロ野球選手の田淵幸一さんは「まさかこんなに急に亡くなるとは思っていなかった。男がほれる男で、人に愛されうそをつかず、裏切らない横綱だったので友達も多かった。横綱とは40年以上のつきあいで、食事やゴルフ、温泉など思い出がたくさんある」と別れを惜しんでいました。
元横綱 若乃花 花田虎上さん「もう少し生きてほしかった」
幼い頃から輪島さんと親交があったという、元横綱 若乃花の花田虎上さんは「自分が産まれたときから側にいた人で、横綱だったが“輪島ちゃん”って呼ぶとニコっと笑って、“まさる”って言ってくれていた。もう少し生きてほしかった。本当に悲しいし残念だ。お顔を見ておやじと2人でゆっくり話してね、と声をかけてきました」と話していました。
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