ピョンチャンオリンピックのスノーボード男子ハーフパイプで、平野歩夢選手が2大会連続で銀メダルを獲得し、地元の新潟県村上市は大歓声に包まれました。
決勝のパブリックビューイングが行われた村上市の施設には大型スクリーンが設置され、平野選手の親戚や地元の人などおよそ280人が集まりました。
平野選手が登場すると、集まった人たちは金メダルをイメージした金色のバルーンをたたいたり、日の丸の旗を振ったりして大きな声援を送りました。
2回目に平野選手が高さのある大技を決め高得点をあげると、会場からはひときわ大きな歓声が上がりました。
そして、平野選手の2大会連続の銀メダルが決まると、会場は大歓声に包まれました。
表彰式のあと、会場では「祝 銀メダル 平野歩夢選手」と書かれたくす玉が割られ、しばらくの間、応援グッズをたたく音が鳴りやみませんでした。
平野選手の伯父の田中幸一さん(50)は「みんなの期待を背負って、本当にすごいと思います。本人が金を取ると言っていたので、4年後必ず挑戦してくれると思います」と話していました。
「小さい頃から負けず嫌い」
新潟県村上市で、平野選手が3歳のころからスノーボードやスケートボードを教えていた齋藤和善さんは、「小さいころから負けず嫌いで、一生懸命滑っていました。きょうの滑りも最後まで諦めず獲得した銀メダルだと思います。精神的に強くなってたくましくなったと感じました」と話していました。
中学校時代の担任は
パブリックビューイングが行われた施設には、平野選手が中学生の時に担任を務めた梅沢怜史さんも訪れました。梅沢さんは、「スノーボーダーを目指す人にきっかけを与える選手になってほしい」と話していました。
また、平野選手と一緒にスノーボードの練習をしたことがあるという村上市の男子中学生、上村波音さんは「僕も世界で活躍して金メダルをとりたい」と話していました。妹で小学生の海音さんは、「1本1本違う滑りをしてすごいと思った」と話していました。
練習重ねた山形 小国町でも祝福
平野選手は、4歳のころから、地元の新潟県村上市と接する山形県小国町のスキー場に通い、練習を積み重ねてきました。
14日は小国町の道の駅に住民などおよそ40人が集まり、特別に設けられたスクリーンで決勝の様子を見守りました。
2回目の滑りで見事な大技を決めてトップに立つと、歓声をあげて喜び、その後は固唾をのんで、ほかの選手の滑りを見ていました。
アメリカのショーン・ホワイト選手が平野選手を上回る得点をマークすると、あちこちでため息が漏れましたが、最後には万歳三唱をして銀メダル獲得を祝いました。
74歳の男性は「2大会連続で銀メダルを獲得できたことはすばらしい。本当におめでとうと言いたい」と話していました。また、平野選手が通っていた横根スキー場でハーフパイプの整備を担当し、平野選手を幼いころから見守ってきた高橋恒行さんは、「金メダルではなく本人は悔しいと思いますが、オリンピックを本当に楽しんでいる様子でよかった。4年後もまた頑張ってほしいと思いますが、まずはお疲れさまと言いたい」と話していました。
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