前回に引き続きより身近に感じて…
「私がもし、東京で体験した東日本大震災よりも、大きな災害にあった時に、いったいどこまで情報収集が可能となるのか」について、想像しながら読みました。以下は原文のままです。
「1歳3カ月の孫の成長が楽しみ」。手話でいきいきと語る高橋靖子さん(安芸市内)
「生き延びる」を意味する古い土佐の言葉を用い、高知新聞社が2016年に始めた防災プロジェクト「いのぐ」。その一つとして、障害のある人や家族、支援者の「いのぐ」を考えます。
高知県に暮らす身体、知的、精神の障害者手帳を持っている人は約5万5千人(16年度末)。私たち記者もまず、彼、彼女たちの言葉、言葉にならない思いをみつめることにしました。
リビングの窓際に取り付けられたオレンジ色の回転灯が回った。「お客さんかな」と高橋靖子さん(59)=安芸市。自宅に構える理容店のドアが開いた知らせだという。
小学生の頃、事故で頭を打ち、聴覚を失った。学生時代は補聴器である程度聞き取れたが、聴力は次第に落ち、今は大きな音でもほとんど聞こえない。夫も聴覚障害がある。
出しっ放しの水道、料理の焦げる音、洗濯機の終了アラーム。“日常”が届いてこない。「毎日の生活も注意しながら、です」
コミュニケーションは声ではなく手話で。今回のインタビューも手話通訳者を介して答えてくれた。
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「目で情報をキャッチしないといけないので、(回転灯の)ライトは目線の高さに設置しています」。オレンジ色の下には行政防災無線などに反応するという緑の回転灯があって、その隣には放送内容が文字で流れる電光表示板もある。
それでも、「視覚情報がないとたちまち分からなくなる」ことが、災害への不安を大きくさせる。
「夜は本当に困ります。明るいうちに避難する道や溝の形状を確認しないと。懐中電灯も(家の)あちこちに置かなければ」
「物の下敷きになった時、救助に気付かないと声も出せない。叫び続けるわけにもいかないし、笛を用意しないと」
「みんなの話す内容が分からないと避難所でも不安は増大する。筆談してくれる余裕のある人がいるか分からないし、自分もお願いすることをためらいそう」
災害時は情報収集と判断の早さが命運を分ける。
行政防災無線などを知らせる機器を自宅に設置する前、地域内に緊急放送が流れたことがある。高橋さんは放送に気付かなかったが、手話を習っていた地域の人が連絡をくれ事なきを得た。「聞こえないことに理解がある人がいなければどうなっていたか…。早い段階で他の住民と同じように情報があれば不安もないんですが」
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津波を知らせる音声放送や、濁流の音。東日本大震災では“危険”が聞こえず、奪われた命がある。
生き延びた後も困難が待ち構えていた。岩手、福島両県で行われた聴覚障害者への調査では、病院で話ができない▽役場や銀行では連絡手段として電話を指定される▽話し相手がおらず孤立する―など、コミュニケーションの壁に苦しむ姿が浮かび上がった。
高橋さんは随分前に防災訓練に参加したことがある。その時は周りが何を言っているかが分からず、取り残された気分になった。多忙もあり、訓練からはしばらく足が遠のいていた。
この9月3日。久しぶりに地域の訓練に参加した。東日本大震災などを教訓に、自分たちが参加する重要性に気付いたという。
「周りの人は私が聞こえないことを知っても、何に困ってどんな支援が必要なのかは知らないはず。情報を視覚で得られれば、自分で判断も行動も、支援もできる。支援を待つだけではいけないなと思いました」