今月、夏山シーズンが始まった世界遺産、富士山。毎年30万人近くの登山者が訪れます。日本一の頂で登山者を迎えるのは、高さ4メートルの大きな鳥居です。多くの登山者に山頂の“シンボル”として親しまれてきたこの鳥居が、ことし、老朽化により76年ぶりに建て替えられました。風雪に耐えながら、登山者を見守り続けた鳥居を見つめました。
(静岡放送局・奥田紀久カメラマン、野村祐介カメラマン)
突然ですが、富士山に登ったことはありますか?
実際に登ってみると「思っていた以上に頂上が遠いなあ」と感じた方が多いのではないでしょうか?
独立峰の富士山。登山中、周囲の景色はほとんど変わりません。山頂に目をやっても、頂はいつもはるかかなた…。自分の一歩一歩は本当に意味があるのか、疲労とともに気持ちが重くなります。さらに頂上直下で待ちうける胸突き八丁。傾斜は急になり、足場も一層悪くなっていきます。頭痛や吐き気といった高山病の影響が出ることも。意識がもうろうとする中で、ようやく山頂にたどりついた登山者を出迎えるのが浅間大社奥宮の鳥居です。
「やっと山頂に着いた」
リュックをおろして座り込む人、手を合わせて柱に触れる人…。
山頂に無事到着したことを、実感するときです。
風雪に耐えた76年
静岡県側の山頂にある鳥居が76年ぶりに建て替えられると聞き、歴史的な瞬間を記録しようと、私たちは今月、富士山に登りました。高精細4Kカメラなど撮影機材は60キロを超えました。
山頂に近づくと高山病の影響か、強烈な頭痛に襲われました。息苦しく、わずか100メートル進むのも、とても遠く感じました。
私たちは2日かけて、鳥居が建つ頂上に到着。すぐそばで鳥居を見上げたとき、とてもホッとしたのを覚えています。
76年の歳月を経た鳥居は、周囲の岩の色に同化して、山頂の風景に溶け込んでいるようにも見えました。鳥居に近づいてみると、木の節が飛び出るほどすり減って、凸凹しているのがわかりました。ところどころひび割れも目立ちます。手で触れてみると、見た目から想像できないほどどっしりとしていて、表面は堅く、とても滑らかなことに驚きました。流木の表面をもっと滑らかにしたような、独特の手触りでした。
この鳥居が建てられたのは、1941年(昭和16年)。太平洋戦争が始まった年です。登山者の安全を願って、富士宮口の標高3720メートルの地に建立されました。
真冬の富士山頂は、氷点下30度にまで冷え込みます。鳥居がすっぽりと雪に埋まってしまうこともあります。毎秒40メートルを超える猛烈な風で飛ばされた石が鳥居にぶつかり、木の皮が剥がれ、徐々に削られていきました。76歳となった鳥居の柱は、元の太さより5センチもやせ細ってしまいました。
それでも、山頂の過酷な環境に耐えながら、鳥居は76年もの間、倒れることなく、立ち続けてきました。
耐える姿に励まされて
この鳥居を特別な思いで見続けてきた人がいます。神奈川県に住む佐々木茂良さんです。年齢は76歳、鳥居と同い年です。これまでに1402回も富士山に登頂しました。自宅には、登山のたびに欠かさずつける登頂日誌がありました。
「3時間で登頂成功!」
「強風で手がかじかむ」
「本日もシンドイ」
決して楽ではない富士山登山の様子が伺えます。
それでもなぜ、富士山に登り続けるのか。佐々木さんに聞いてみました。
「それはね、自分自身を変えたいと本気で思ったからです」
佐々木さんは、中学校の教員として35年間、無欠勤で勤め上げました。しかし、定年を迎え、自分の人生を振り返ったとき、つらいことがあるとすぐに気持ちが折れそうになる自分の性格を変えて、″生きなおしたい″と感じるようになったと言います。
それまで最も苦手だった山登り、しかも日本一高い富士山に登り続けていけば、自分を変えることができるのではないだろうか…。
佐々木さん、63歳のときの大決意でした。
富士山に登りはじめて13年。登頂の証に撮った写真に写る佐々木さんの背後には、いつもあの″鳥居″がありました。
「登るとね、“きょうも無事山頂まで来れました、ありがとうございました″と、感謝の気持ちでいつも鳥居に軽く触るんです」
雨の日も、雪の日も、風の日も、76年もの間、山頂に立ち続ける鳥居。佐々木さんは、鳥居に自分の人生を重ねるようになったと言います。
今回、老朽化で建て替えられることになった鳥居について尋ねると、残念そうな表情でこう話してくれました。
「76年間、朽ち果てないで、倒れないで、すごいじゃないですか。僕もこうありたいと何回願ったことか。今は、無事に務めを果たしたことに″ご苦労様″と声をかけたいですね」
これから100年のために
鳥居の建て替えは、地元の静岡県富士宮市で社寺建築を専門に手がける塩澤宏章さんが担当することになりました。
塩澤さんが、76年前と全く同じ鳥居を再現しようと過去の資料を探したところ、富士山ふもとの富士山本宮浅間大社に、手書きで書かれた当時の資料と図面が唯一残されていました。
しかし、上部に反りがある「明神鳥居」と呼ばれる伝統的な建築であることはわかりましたが、資料に記されていたのは、材木の種類や簡単な工程のみ。76年前、どのように木を削り出し、どうやって山頂まで運んだかについては謎のままでした。
縮尺図面を頼りに計測し、実際の大きさを割り出してみると、1本の柱だけで、長さ5メートル、重さは250キロにもなることがわかりました。これには担当した塩澤さんも驚いたと言います。
「昔はすべて手作業でしょう。重機なんてものもないし、1本250キロもある柱をどうやって運んだのか。先人たちの偉業には感心させられるばかりです」
建て替えのため、ご神木として使うヒノキは、直径40センチ、樹齢150年程の堅くて丈夫なものが必要になります。通常の神社で使用するものより直径で10センチも太いものです。塩澤さんは、さまざまな取引先と掛け合い、城の補修のために切り出していたヒノキの中から希望のサイズの木材を特別に譲り受けることができました。
さらに、山頂の雨風に耐えられるよう、かんなだけで極限まで丸く削り、水を弾きやすい形に仕上げました。塗料は一切使いません。
「これから先、70年、80年、もっと先まで立ち続けてほしいと願って作りたいと思います」
役目を終えた鳥居
静岡県側の山開きとなった7月10日、古い鳥居の解体が始まりました。御来光を目当てに訪れた登山者のほとんどが下山した午後、静かになった山頂に重機の音が響き始めました。
作業は順調に進み、1時間ほどで鳥居は姿を消しました。神社と山小屋の関係者たちが、76年間山頂にあった鳥居の最期の姿を見守りました。
しばらくして、解体され横たわる柱に近づいていく塩澤社長の姿がありました。木にそっと触れながらたたずむその背中からは、古い鳥居への“畏敬″と、工事完成に向ける“決意″をひしひしと感じました。
新しい鳥居
7月11日、新しい鳥居の設置作業が始まりました。
今回、山頂には、鳥居に使うヒノキなど1.4トンの材料を荷揚げ用のブルドーザーで運びました。
今後100年、鳥居が過酷な環境に耐えるために最も神経を使うのが、土台を設置する作業です。寸分の狂いも許されません。足場が悪い中、測量計で傾きなどを確認しながら慎重に進めます。
鳥居はクレーンでつりあげ、土台に据え付けます。
最後に鳥居の根元には動かないよう石をしっかり固定しました。
作業開始から2日。富士山頂の青空に向かってそびえるように新しい鳥居が完成しました。
新たな姿で見守り続ける
7月13日、登山道には1403回目の富士登山に挑む佐々木さんの姿がありました。右手にストックをついて、左手でロープをつかみながら岩場を進みます。そのペースはゆっくりですが、決して歩みを止めず、一歩一歩踏みしめながら登っているようでした。
自分を変えたいと富士山に挑み続けた佐々木さん。その姿からは、最後まで諦めない強さを感じました。
雨に打たれ、時折強い風が吹くなか登り続けて、およそ5時間。
1403回目の頂上で佐々木さんを迎えたのは、真新しく生まれ変わったばかりの鳥居でした。工事用のロープが張られ、いつものように鳥居を手で触れることはできません。佐々木さんは、しばらく無言で鳥居を見つめていましたが、おもむろに帽子を取ると手を合わせました。少し寂しげな表情の中に、76歳にして新たな目標に向かう決意をかいま見たように感じました。
「少しずつですけど、自分が我慢強く変われてきたのは鳥居のおかげだと思っています。これからもこの新しい鳥居を目指して登り続けたいと思います」
富士山頂で、登山者を見守り続けた鳥居。日本一の頂から、新しい姿でこれからも私たちを励ましてくれるに違いありません。
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