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「日本初、バリアフリーと多言語で鑑賞できるオンライン型劇場『THEATRE for ALL』、2021年2月オープン!配信作品第一弾発表!時事通信 2020年12月21日付

記事は長いですが、「障害の有無に関わらず楽しめそう!」や、「この情報を、すぐ広めたい!!」という強い思いから、掲載を即決しました☆以下は原文のままです。

[株式会社precog]

だれでも、いつでも、どこからでも。ひとりひとりが繋がれる “劇場”。

<下へ続く>


 国内外でのイベント企画・運営を行う制作会社 株式会社precogは、日本で初めて演劇・ダンス・映画・メ ディア芸術を対象に、日本語字幕、音声ガイド、手話通訳、多言語対応などを施したオンライン型劇場“THEATRE for ALL”(シアター フォー オール)を2021年2月にオープンいたします。
https://www.theatreforall.net/

※今年度の事業は、令和2年度戦略的芸術文化創造推進事業『文化芸術収益力強化事業』バリアフリー型の動画配信プラットフォー ム事業として、実施しています。



  当プラットフォームでは、新型コロナウイルスで外出困難となった方、障害や疾患がある方、子ども、母語が日本語以外の方、また、芸術に対して「わからなさ」がバリアとなり馴染んでこられなかった方などに対して、開かれた劇場?を目指しています。オープンに先立ち、現在、様々なアクセシビリティに対してリサーチ活動を行う「THEATRE for ALL LAB」を立ち上げ、障害当事者やその他様々な立場の視聴者、支援団体などと連携しながら研究を重ねています。その成果や分析結果をオープンに公開していくことで、次なる議論や問いを生み出し続けます。
THEATRE for ALL LABマガジン:?https://note.com/theatre_for_all

 また、作品の配信に加え、鑑賞者の鑑賞体験をより豊かにし、日常にインスピレーションを与えるラーニングプログラムの開発に力を入れています。作品解説や対話型のワークショップ等を通して、さまざまな違いを持った視聴者やアーティスト、色んな地域に住む人と出会い、思考を深め、新たな一歩を踏み出すきっかけとなるような体験を生み出します。

 “THEATRE for ALL”では、その人にとってのアクセシビリティを高め、オンライン上で“劇場”を体感いただき、アーティストと鑑賞者が対話できる場をつくることで、一人一人の日常、一つ一つの作品をもっと面白くする新たな可能性を育んでまいります。2月から3月にかけてバリアフリー対応つきの映像作品約30作品、ラーニングプログラム約30本を配信予定。今後も新作を含む配信作品を随時発表してまいりますので、ぜひ、ご注目ください。





取り組みの特徴

1. バリアフリー・多言語対応を施した動画配信
2. ラーニングプログラム
3. 様々な当事者性に対してリサーチとコミュニティ活動を行い、成果・分析を発信


第一弾配信作品、5作品発表!

【演劇】PARCOプロダクション「ボクの穴、彼の穴。The Enemy」
    原作:デビッド・カリ イラスト:セルジュ・ブロック 訳:松尾スズキ
    翻案・脚本・演出:ノゾエ征爾 出演:宮沢氷魚 大鶴佐助
【演劇】チェルフィッチュ×金氏徹平「消しゴム山」「消しゴム森」
【メディアアート】SIDE CORE「ナイトウォーク」
【ダンス】湯浅永麻 Dance New Air 2020->21「 n o w h e r e 」
【映画】西原孝至「もうろうをいきる」


"THEATRE for ALL"サービス概要

サービス名:バリアフリー型の動画配信プラットフォーム「THEATRE for ALL(シアターフォーオール)」
サービス開始日:2021年2月5日(金)予定
料金(1作品あたり):無料・500円・1000円・1800円・3000円など
提供コンテンツ:演劇、ダンス、映画、メディア芸術分野の動画配信
1. 動画のアクセシビリティ対応 ・聴覚障害向け日本語字幕、多言語字幕、かんたん日本語字幕、視覚障害向け音声ガイド、日本手話、国際手話、その他THEATRE for ALL独自に制作するインクルーシブなガイドも予定
2. ラーニングプログラム
・鑑賞のウォーミングアップとしての事前動画「2つのQ」シリーズ
・対話や表現活動を行う双方向を中心としたワークショップなど
・ファシリテーションスクール
鑑賞方法:配信作品ページより鑑賞したい作品のチケットをご購入のうえご覧ください(要会員登録)。


第一弾配信作品紹介

★は、アクセシビリティです。

【演劇】PARCOプロダクション「ボクの穴、彼の穴。The Enemy」
原作:デビッド・カリ イラスト:セルジュ・ブロック 訳:松尾スズキ
翻案・脚本・演出:ノゾエ征爾 出演:宮沢氷魚 大鶴佐助
本作のテーマは「戦争」。塹壕の中で「見えない敵」と闘う男を描いた物語は、まさに世界中がウィルスという見えない敵と闘う今こそ上演されるべき作品。 松尾スズキの初 翻訳で話題となった絵本を2016年にノゾエ征爾脚本・演出で舞台化した傑作を、宮沢氷 魚、大鶴佐助が熱演。
★ノゾエ征爾(演出家)監修・聴覚障害向け日本語字幕、音声ガイド


https://stage.parco.jp/program/bokuana2020/



【演劇】チェルフィッチュ×金氏徹平「消しゴム山」「消しゴム森」
同じコンセプトに基づいた2作品。劇場版『消しゴム山』、美術館版『消しゴム森』。
<山> 人間のスケールを脱する演劇とは?人、モノ、時間、空間、言葉が、未知のすがたで現れる。コラボレーターに美術家・金氏徹平を迎え、「映像演劇」の手法も取り入れて挑む新機軸。
<森> 人間のスケールを脱する演劇、美術館へ。美術家・金氏徹平が作る“彫刻”空間、ライブパフォーマンス、 「映像演劇」が一体となり挑む進化形。
★<山>日本語字幕、英語字幕

チェルフィッチュ:岡田利規が全作品の脚本と演出を務める演劇カンパニーとして1997年に設立。独特な言葉と身体の関係性を用いた手法が評価され、現代を代表する演劇カンパニーとして国内外で高い注目を集める。その日常的所作を誇張しているような/していないようなだらだらとしてノイジーな身体性は時にダンス的とも評価される。

金氏徹平:2001年京都市立芸術大学在籍中、ロイヤル・カレッジ・オブ・アート(ロンドン)に交換留学。2003年京都市立芸術大学大学院彫刻専攻修了。現在、同大学彫刻専攻准教授。日常の事物を収集し、コラージュ的手法を用いて作品を制作。 彫刻、絵画、映像、写真など表現形態は多岐にわたり、一貫して物質とイメージの関係を顕在化する造形システムの考案を探求。国内外での展覧会のほか、舞台美術や装丁も多数。

https://chelfitsch.net/works/eraser-mountain/
https://chelfitsch.net/works/eraser-forest/

【メディアアート】SIDE CORE「ナイトウォーク」
「風景にノイズを起こす」をテーマに作品制作やキュレーションを行うアートチーム「SIDE CORE」による、街を巡るイベント「ナイトウォーク」を映像作品化。「生きている東京」展開催中のワタリウム美術館からスタートし、渋谷駅までの間にある様々なストーリーに出会う。道端でアーティスト達の作品を目撃する他、街角の忘れられた歴史を知るなど「街の新しい見方」の開拓に挑む市街劇の映像化。
★日本語字幕、多言語字幕(英・中)




SIDE CORE:2012年より活動開始。メンバーは高須咲恵、松下徹、西広太志。ストリートカルチャーを切り口にアートプロジェクトを展開。「風景にノイズを起こす」をテーマに、都市や地域でのリサーチをベースにアクションを伴った作品を制作 。ギャラリーや美術館での展覧会開催の他に、壁画プロジェクトや街を探索する「ナイトウォーク」など野外空間での活動を 展開。全てのプロジェクトは公共空間での視点や思考を転換させ、表現や行動を拡張することを目的としている。主な展覧会に「大京都芸術祭」(京丹後/2020)「生きている東京展」(ワタリウム美術館/2020)「Out of Blueprints by Serpentine Galleries」(NOEWNESS/2020)

https://www.instagram.com/side_core_tokyo/

【ダンス】湯浅永麻 Dance New Air 2020->21「 n o w h e r e 」
様々なボーダーの問題を自身の表現に織り込んできた国内外で活躍するダンサー・振 付家の湯浅永麻がプラネタリウム・クリエイターの大平貴之、ダンサー・振付家の柿 崎麻莉子とのコラボレーションで新作を制作。この公演を元にTHEATRE for ALLに向けて映像作家・山城大督が撮影/編集、湯浅ディレクションのもと、新作インクルーシブダンス映像作品を制作する。
★映像そのものが視覚・聴覚・精神・発達などに障害のある人たちも楽しめるように作られるインクルーシブな作品を予定。



湯浅永麻:ネザーランドダンスシアターに11年間所属後フリーとなり、マッツ・エック、サシャ・ヴァルツ、向井山朋子などの作品に出演するなど国内外で活躍。渡辺れい・小?健太と共同でOpto、シディ・ラルビ・シェルカウイ率いるEASTMANに所属。ジャンルの違うアーティスト達とのコラボレーションや、演劇への出演など活躍の場を拡げている。第13回日本ダンスフォーラム賞受賞。

http://dancenewair.tokyo/2020/

【映画】西原孝至「もうろうをいきる」
目が見えず耳も聞こえない盲ろう者たちの日常を追ったドキュメンタリー。日本中のさまざまな地域で暮らす盲ろうの人たちに密着。盲ろう者自身についてや、盲ろう者 と周囲の人たちとの関係性が描かれる。コロナ禍の盲ろう者たちの生活を追った新作ドキュメンタリーも配信予定。
★<既存映像・新作短編ともに> 聴覚障害向け多言語字幕(日・英・韓)、音声ガイド(日・英)



西原孝至:1983年生まれ、富山県出身。早稲田大学で映像制作を学ぶ。14年に発表した『Starting Over』は東京国際映画祭をはじめ、国内外10箇所以上の映画祭に正式招待され高い評価を得る。現在、TVドキュメンタリー番組のディレクターとしても注目を集めている。

http://mourouwoikiru.com/


“THEATRE for ALL”立ち上げの経緯

新型コロナウイルスの感染拡大を受け、パフォーミングアーツは劇場での上演を従来の規模・方法で発表することが難しい状態が続いた一方、オンライン配信ならではの新たな映像作品や芸術鑑賞体験が生まれました。同時に、東京オリンピック・パラリンピックの開催計画を機に高まったバリアフリー・ダイバーシティ化の機運も、大会開催延期を受け、中断や延期されている状況にあります。この社会的な背景を受け、多様な人たちが多彩な芸術にアクセスでき、より多くの人々が文化的な生活を送れる社会の実現を目指すため、これまでなかなかバリアフリー対応やeラーニングプ ログラムの取り組みの機会がなかったアーティスト・事業者の方々にお声がけしながら立ち上げに至りました。


“THEATRE for ALL”ロゴについて

かたちは、曲線を多く用いることでやさしさや親しみやすさを現しています。さまざまな色は、落ちつきの中にもPOPさを感じさせ、特にグラデーション部分は無数の色によって多様性を表現しました。ひとつのイメージにとらわれず、いろいろな方向に想像が広がるロゴとなっております。
(いすたえこ:THEATRE for ALL アートディレクター)


主催者

文化庁:令和2年度戦略的芸術文化創造推進事業『文化芸術収益強化事業』バリアフリー型の動画配信プラットフォーム事業


株式会社precog:国内外で実施される様々な『イベント』を成功に導くための企画や運営をおこなう制作会社です。観客やアーティストとともにワクワクするような化学反応を起こし、日々更新される“現在”の面白さを伝えていきます。precogならではのネットワークやリレーションシップを活かし、多角的な視点からのリサーチを重ねることで、作品や上演の質を上げ、プロジェクトの同時代性や事業の継続性を追求し続けています。日常にある“表現”に価値を見出し、国際的なシーンや地域コミュニテ ィと繋がり、教育や福祉を視野に入れて、“表現”の未来をつくります。https://precog-jp.net





パートナー企業

合同会社ARTLOGY(事業コンサルティング)
シティライツ法律事務所(契約・法務・権利処理)https://citylights.law/
一般社団法人DRIFTERS INTERNATIONAL(ファンコミュニティ醸成のための企画・運営)
http://drifters-intl.org/about/
Palabra株式会社(バリアフリーコンテンツの監修)https://palabra-i.co.jp/
株式会社ミミクリデザイン(ラーニングプログラム監修)https://mimicrydesign.co.jp/
株式会社メジャメンツ(アクセシビリティ監修)https://www.measurements.co.jp/
株式会社MOTION GALLERY(クラウドファンディング企画・ファンコミュニティ醸成)https://motion-gallery.net/about

  • 2020.12.29 Tuesday
  • 09:47

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ジャニー喜多川さんへ…所属タレントが追悼【コメント全文まとめ】2019年7月10日 20:24ORICON NEWS

 ジャニーズ事務所代表取締役社長のジャニー喜多川さんが9日午後に87歳で亡くなったことを受け、近藤真彦、木村拓哉ら同事務所の所属タレントたちが10日、相次いで追悼コメントを発表した。

 以下、コメント全文を掲載(近藤真彦、木村拓哉、嵐、KAT-TUN、NEWS、関ジャニ∞、Sexy Zone、A.B.C-Z、屋良朝幸、ジャニーズWEST、内博貴、生田斗真、中山優馬の順)。

■近藤真彦さん
倒れてから3週間、病室で数々の奇跡を見せて頂きました。
あらためてジャニーさんの強さを感じました。
タレントと社員が、もしかしたらという心の準備をする時間もいただきました。
さすがジャニーさん、最後まで最高なセルフマネージメントでした。
長男でいながら、何度も泣いちゃいました。叱られそうです。
ジャニーさんありがとう。
今の僕があるのは、ジャニーさんのおかげです。
あの頃、13歳のあんな僕に声を掛けてくれてありがとうございました。
ゆっくり休んでください。

■木村拓哉さん
今の自分があるのも、ジャニーさんとの出会いが無ければ……。と思うと感謝してもしきれません。常に現場に立ち続けた姿勢を手本にさせて頂きます。ゆっくりと、休んでください。

■嵐

【大野智さん】
ジャニーさん。
長い間、本当にご苦労様でした。
ジャニーさんと出会えたことで僕の人生は大きく変わりました。
嵐をつくってくれてありがとう。
まだ何の実感もないですが。
感謝です。
感謝でしかないです。
ゆっくり休んでねジャニーさん。
本当に、ありがとう。

【櫻井翔さん】
ジャニーズ事務所の一員として人生を歩むこととなるのも、人生を“嵐の一員”として歩むこととなるのも、ジャニーさんがいてこそです。
いま、エンターテイメントの世界に身をおく全ての源泉は、あの日あの時に僕を見付けてくれたから。
どうかゆっくり休んで下さい。
眠っているかのような顔を見ると、ふと声が聞こえてきそうでした。
本当にありがとうございました。

【相葉雅紀さん】
ジャニーさんには感謝しかありません。
ジャニーさんに教えて貰った事と思いは一生忘れません。
本当にありがとうございました。
本当に本当にお疲れさまでした。

【二宮和也さん】
収録中に今回の訃報を聞き、収録終わりで駆け付け最後に皆で挨拶が出来て良かったです。
ジャニーさんには感謝しかありません。
この感謝を返せる様にこれからも頑張っていこうと思います。

【松本潤さん】
23年前、一本の電話で僕の人生を変えたのはジャニーさんです。
それから数々の夢を見せてもらいました。
もっとジャニーさんのつくるショーが観たかった。
もっと話がしたかったです。
ジャニーさん、僕をエンターテイメントの世界へ導いてくれてありがとう。
そして嵐を作ってくれてありがとう。
心よりご冥福をお祈りいたします。

■KAT-TUN

【亀梨和也さん】
ジャニーさん。
今まで、休んでいなかった分、少しくらいゆっくりしてね。
で、、、 またダメ出ししてね。
消えないこの絆。
ありがとう。

【上田竜也さん】
ジャニーさんとの思い出は書ききれないくらい沢山あります。本気で怒られた事、沢山褒めてくれた事。
事務所に所属して以降、ジュニアだった時、そして最近会った時も、生意気な僕にユーはそのままでいいよ。といつも言ってくれてました。
ジャニーさんのその言葉にいつも救われていました。
ジャニーさんに教わった事を志とし、これから先もジャニーさんに恥じないように仕事に精進してまいります。
ジャニーさんの子供になれて誇りに思います。
ジャニーさんが作り上げたジャニーズ事務所に所属できて誇りに思います。
育ててくれてありがとう。

【中丸雄一さん】
今はジャニーさんがいなくなったことを受け止める事ができずにいます。
私にとって、芸能に関する根本的な事は全てジャニーさんから教わり、存在は父のようでした。
病室に集まる多くのタレントを見て、いかにジャニーさんが深い愛情を持った人で、そして愛されていた人であるかを改めて知りました。
ジャニーさんの考え方やセンスを身近に見られたことは、自分にとって幸運で、共に過ごした日々は一生忘れることはありません。

■NEWS

【小山慶一郎さん】
ジャニーさん寂しいです。
お見舞いに行かせてもらった時に、もう一度お話し出来る事を信じて祈ってました。
悲しいけど、今は感謝の気持ちしかありません。
高校生でオーディションを受けて、その会場で『YOU来週もおいで』これが初めてジャニーさんにかけられた言葉です。
そこから19年、僕に居場所をくれてありがとうございました。
敬語を使うと怒るジャニーさん。
いつも目線を合わせてくれて、何でも相談出来ました。
NEWSでデビューしたのが大学に入学してからだったので、ジャニーさんに大学をどうしても4年で卒業したいと伝えた時、『YOUの授業表貸して』と言われて、『出来る限り授業がないところで仕事を入れる』と言ってくれました。
いつもいつも寄り添ってくれるジャニーさんです。エピソードをあげたらきりがありません。
ジャニーさん、
夢を持たせてくれてありがとう
大切なファンのみんなに
出会わせてくれてありがとう
ジャニーさんが作ってくれた
『NEWS』を大事に大事にしていきます。
これからもNEWS小山慶一郎は、
精一杯、夢を追いかけていきます。

【加藤シゲアキさん】
入院の報せからずっと奇跡を願っていましたが、突然の訃報に驚き、いまだに受け入れられていません。
入院中、ジャニーさんに伝えたいことがあったのに、顔を見た途端、これまでのたくさんの記憶が蘇り、言葉になりませんでした。本当なら直接、今までの感謝を伝えるべきだったのに。
それでも、ジャニーさんに伝えたいのは、心からありがとうございました、その思いです。
僕の人生は、あなたの与えた愛情のなかにあります。
いつもタレントのことばかり考えていたジャニーさん。
これからはゆっくりと眠ってください。あなたがこれまで作ってきた子供たちは、これからもたくさんの愛情を届けていきます。本当にありがとうございました。

【増田貴久さん】
ジャニーさんと出会えて本当に幸せでした。
事務所に入れてもらえてジャニーさんの元で最高のエンターテイメントの世界を見せてもらっています。
一緒に過ごしたたくさんのキラキラした思い出が蘇ってきます。
これからもジャニーズの名前に恥じぬよう日々頑張っていきます。
大好きだよ
ずっと見ててねジャニーさん。

【手越祐也さん】
僕の歌を認めてくれてジャニーズの歌に対するイメージを変えて欲しいと期待を込めてNEWSというグループに選んでくれたジャニーさんに感謝しかないです。
ジャニーさんの前で初めてカラオケで歌った曲はX JAPANのForever Loveで、その時にYOUやばいよ。って言ってくれたジャニーさん。
サッカーしか取り柄のない1人の15歳のJr.歴のない僕を勇気を持ってNEWSに選んでくれた。
もしかしたらもっと有名なJr.を入れろよ!と思った当時のスタッフ、ファンもいたかもしれません。
ただジャニーさんなりにあの時にチャレンジをしてくれたのかもしれません。
僕の人生を救ってくれて明るいものにして、こんなに毎日楽しく生きられているのも全てジャニーさんのお陰です。これは誰になんと言われようが間違いない。
これからのタレント、ボーカリストとしての手越祐也の歌を、YOU成長したね。って言ってもらえるように努力し続けます。
ジャニーさんの事だから天国からニコニコ見守っていてくれると思います。
ここまで全力でチャレンジし、駆け抜けてきた世界一のプロデューサー、ジャニーさん。
ゆっくりと休んでください。たまには何も考えず休むのも大切だよ。
ジャニーさん本当にお疲れ様でした。

■関ジャニ∞

【村上信五さん】
7月9日が忘れられない日になってしまいました。
僕みたいな大阪のクソガキを見出してくれ、素敵な先輩方の背中やジャニーさんと出会って無ければ決して見る事のできなかった数え切れない景色の数々は宝物でしかありません。
悲しくないと言ってしまえば嘘になります。
が、Jr.時代に舞台の千秋楽で泣いていたら怒られた事を思い出しました。
「何泣いているんだよ! 泣いてる暇なんかないんだよ! そんな時間があるなら、次のステージをどうするか考えるんだよ!」と、常に先を前を向き続ける重要さも10代の頃に叩き込まれました。
なので、しっかりと前を向いてやるべき事、やらねばいけない事を見据えます。
じゃないと、また怒られるので(笑)。
これからの自分の想いはジャニーさんの手を握り、ジャニーさんだけに伝えてきました。これは2人だけの約束です。
自分に甘える事なく、これからもみんなのことを見守ってくれるジャニーさんをガッカリさせない様、先輩、後輩一丸となってエンターテイメントに尽力したいと思います。

【丸山隆平さん】
このような出来事に直面することは、この生涯で、一度きりだと感じます。
今、訃報が届いてすぐなので、まだ気持ちの整理もついていない状況なので、正直どう言葉にしていいのかが、みつかりません。
ただ、一緒に過ごした劇場、焼肉屋、ラーメン屋、ファミレスに行けば、その当時に今も戻って、ジャニーさんに会える気がして仕方がありません。
僕は、ジャニーさんが教えてくれたエンターテイメントへの愛を受け継いで、これからも世界に届けていきます。
ジャニーさんへの言葉にしかどうしてもなりませんが、ジャニーさん、これから関ジャニ∞はツアーやで!
観ててや。沢山のファンのみんなにエンターテイメント届けてくるで!

【安田章大さん】
ジャニーさんが作ってくださったこれまでの道をこの先の耕しつつ、まだ無い新境地も模索し開拓し広げていけるタレント一同でありたいと思います。
休む間も惜しんで走り続けてきたジャニーさんなので、この先の余生は健やかに穏やかな刻が流れてくれることを命の底から祈っております。
心配せず安心して休んでね。

【横山裕さん】
いまだに信じられない思いです。ベッドでのジャニーさんは本当にきれいで、安らかな顔をしていました。
ジャニーズ事務所のタレントがジャニーさんに声をかけているのを見てると、本当に偉大さ、そして優しさを強く感じました。
僕がこれからできる事はジャニーさんの意思をついで、エンターテインメントを全力でやることだと思っています。横山裕の「YOU」はジャニーさんにつけてもらった名前です。僕の一生の宝です。
横山裕を頑張ります。
本当にお疲れさまでした。
ありがとう。

【大倉忠義さん】
言葉がありません。言葉にするにはまだ時間がかかりそうです。ジャニーさんとの思い出は、僕の中で宝物です。時間がたてば、どこかでお話できたらいいなと思いますが、大事にとっておくかもしれません。
ずっと走り続けてきたジャニーさん
長く眠っている姿は見たことがありません。
ゆっくりと、安心して眠ってね。
みんな頑張るよって言ってたね。
見守ってあげてね。

【錦戸亮さん】
教わったことを思い出すのが困難なくらい、
今時分の中であたり前の事として根付いています。
感謝の言葉しかありません。
ゆっくり休めることを祈っております。

■Sexy Zone

【中島健人さん】
ジャニーさんと出逢えたから、今の僕がいます。
僕の言葉で笑ってくれたこと、たくさん愛をくれたこと、ずっと忘れません。
これからもずっと見守っていただきたいです。
ジャニーさんの夢を必ず叶えます。
本当にありがとう。
ジャニーさん。
これからもずっと愛してます。

【菊池風磨さん】
ジャニーさん
今まで本当にありがとうございました。
今の自分があるのは、紛れもなくジャニーさんのおかげです。
僕が中学二年生だった入所当時、「この仕事はどう?」というジャニーさんの質問に対し、素直に「めちゃくちゃ楽しいよ!」と答えた際に「You 最高だよ!」と、とても喜んでくれたことが印象的で、今でも鮮明に記憶に残っております。
ジャニーさん、お陰様で僕は今も変わらずこのお仕事がめちゃくちゃ楽しいです。
これからもきっとずっと楽しいです。
天職を授けてくれたこと、そして素敵な仲間に出逢わせてくれたこと、心から感謝申し上げます。
ありがとうございました。
ジャニーさんの作るショービジネスが、そして、ジャニーさんのことがずっとずっと大好きです。
心穏やかに、ごゆっくりとお休みください。

【佐藤勝利さん】
ジャニさん!新しい舞台の打ち合わせに、なぜか出ない僕を呼んで参加させたね。打ち合わせ中に横から、ユーはでないの?と寂しそうに何回も呟いてたね。
本当は出たかったよ。ジャニさんの舞台またやりたいよ。また一緒にステージ作ろうね。ジャニーズの仲間に入れてくれて本当にありがとう。これからも仲良くしてね!

【マリウス葉さん】
ジャニーさんの「YOU 日本に来ちゃいなよ!」の一言がきっかけでドイツから日本に来ることが出来ました。
そして、ジャニーさんがプロデュースし続けてきたジャニーズという伝説の舞台に立つことが出来ました。
一緒に活動しているSexy Zoneのメンバーとそんな僕たちを支えてくれるファンの方々に出会えたのもジャニーさんのおかげです。一人のアーティストとしてだけではなく、一人の人間として、自分の存在意義を見つけるのを助けてくれて、本当にありがとう。これからは、ジャニーさんが言ってたように、世界に羽ばたいて一人でも多くの人を幸せにできるよう頑張ります。

■A.B.C-Z

【戸塚祥太さん】
ジャニーさん、ありがとう。
そして、お疲れ様でした。
頂いた言葉、愛、全部が宝物です。何があっても手放さないでずっと持っているつもりです。
サプライズ好きなジャニーさんのことだからいつか復活しそうな気がしています。
なので、ジャニーさん、またね。

【河合郁人さん】
ジャニーさん。
A.B.C-Zを誕生させていただきありがとうございました。
ジャニーズ伝説という舞台をA.B.C-Zにやらせていただきありがとうございます。
愛してます。今までもこれからも。
ゆっくり休んでください。

【塚田僚一さん】
昨年のジャニーズ伝説で
「僕はA.B.C-Zのファンだから」と言ってくれました。
今までで1番嬉しいお言葉で、その時の記憶を大切に保管してあります。
まだ実感が湧きませんが、恥じる事のないよう日々精進していきます。
ジャニーさんありがとう。

【橋本良亮さん】
尊敬の人ジャニーさん
最愛のパパ、ジャニーさん
お見舞い時にジャニーさんは絶対大丈夫だと、自分の中で言い聞かせてました。
なので本当にショックでした。
一晩ずっとジャニーさんとの思い出を、
思い出しながらニュースと見つめ合い本当に素晴らしい方と一緒に居たんだな、と改めて思いました。
僕はこの時代に産まれたこと、
ジャニーさんに出会えた事を誇りに思います。
A.B.C-Zを作ってくれてありがとう。
天国でも素晴らしいタレントを作るに違いありません。

■屋良朝幸さん
ジャニーさん
本当にお疲れさまでした。
入所して24年が過ぎた今。
エンターテイナーとしてジャニーさんに認めてもらえなかったけれど、いつか「YOU 最高だよ」と言ってもらえる時が来ると信じて自分の道を作ってきたけれど、その夢は叶わなかった。
とても悔しいです。
でも、エンターテイナーとしてお客さんを楽しませる作り方、誰にも真似できないような演出。沢山、勉強させて頂きました。
本当にかけがえのない物を与えてくれました。
これからは更に自分のスタイルを貫いてパフォーマンスして行くから、たまには見ておいてほしいな。
ジャニーさんの“最高”って言葉をどこかから貰えるように。もう少し走ってみようと思います。
心からありがとう!

■ジャニーズWEST

【桐山照史さん】
ジャニーさんがお亡くなりなられたと聞いて未だに信じられない気持ちです。
まだ明日起きたらYOUお腹空いてない?YOU達もコンサート出ちゃいなよ。と声が聞こえそうです。
ジャニーさんには本当に感謝してもしきれないくらいです。自分の歩く道を作ってくれました。
自分達がデビューする時に「僕が育てた子供達がいつまでも何処でも輝いてくれる事が僕の夢」って言ってくれたのを胸にこれからも輝き続けられるように邁進していきます。

【中間淳太さん】
ジャニーさんの訃報、大変悲しく思います。
僕たちジャニーズWESTは、それぞれデビューのお願いだったり、ジャニーさんと沢山コミュニケーションをとっていたグループだったと思います。
僕たちのお話も悩みも、沢山沢山聞いていただきました。
それはきっと、僕たちだけではなく、どのグループもだと思います。
所属タレント1人1人に、ジャニーさんとの想い出があります。
これだけ1人1人の人間に向き合って、親身になってお話を聞いてくださる社長は、世界中を探したって中々いないと思います。
そんなジャニーさんと出逢えたことが、自分の人生の中で最大の幸せな出来事だと胸を張って言えます。
ジャニーさんの名前が入った、このジャニーズWESTというグループをこれからも大切にしていきたいと思います。
ジャニーさんのご冥福を心よりお祈りいたします。
ジャニーさん、本当にありがとうございました。

【神山智洋さん】
この度はこのような結果になってしまいとても残念でなりません。ジャニーさんには生前、ジャニーズJr.時代主に関西での仕事が中心であったころから関西に足繁く通って頂きコンサートや舞台等を見て頂き沢山の指導やアドバイスを頂きました。ジャニーズ事務所のタレントとして活動出来ているのはオーディションで僕を見つけてくださったことから始まり、沢山のお仕事を頂き、ファンの皆様や関係者の皆様との出会いを頂いたことにあると思っています。そんな芸能界の父であるジャニーさんには感謝の言葉だけでは伝えきれない程の恩を頂きました。ジャニーズWESTとしてデビューをさせて頂けたのも、ジャニーさんが僕達からのお願いを受け入れてくださったのがきっかけでございました。ジャニーズWESTとしてデビューをさせて頂けたこと、ジャニーズWESTのメンバーと出会わせてくれたこと、ジャニーズWESTのメンバー一同、とても感謝しています。天国で見守ってくれているジャニーさんにも届くように今後の芸能活動、より精進してまいります。楽しいことが大好きだったジャニーさんへ僕達とファンの皆様、そして関係各所の皆様との笑顔を届けられるよう精一杯務めてまいります。

【濱田崇裕さん】
ジャニーさんが亡くなられてしまったことをとても悲しく思います。
僕たちジャニーズWESTにジャニーさんは本当に家族のように接してくれました。返しきれないご恩と愛情をありがとうジャニーさん。
最後にジャニーさんの顔を見てお別れをしました。
しんみりした空気は嫌いなジャニーさんだったので、明るくお別れをしました。
心よりご冥福をお祈りします。

【藤井流星さん】
ジャニーさんへ
ジャニーさん、長い間お疲れ様でした。
僕は、昔あまり積極的にジャニーさんと喋れるタイプではなかったけれど、ここぞ!と言う時に悩み相談やお願い事を電話でした時に絶対に話を聞いてくれてそれに答えてくれたり助けてくれたりした時の事を思い出すと、ジャニーさんの言う「タレントはみんな息子」という言葉が今、再度身に染みて思います。
困った時は絶対助けてくれていた、そんなジャニーさんは僕にとってヒーローでした。
そして、ジャニーさんの名前が入ったジャニーズWESTというグループ名をつけて下さって、メンバーに出会わせてくれてありがとうございます。
この名前に恥じない様、これからも精進します。
ジャニーさんのいつまでも新しいエンターテイメントを求めて作り続ける背中は人として、男として尊敬しています。
これからもジャニーズを盛り上げ続けて、天国のジャニーさんがずっと笑顔で居られる様にジャニーさんが作り上げたエンターテイメントをもっと日本中、世界中に発信していける様に全力で頑張るからずっと天国から見守っていてください!
ジャニーさんの息子になれた事は僕の人生で一生の宝物です。
本当に本当に長い間お疲れ様でした。
ありがとうございました!

■内博貴さん

今は正直まだ現実を受け止め切れてませんが、ジャニーさんへの思いを書かせて頂きます。僕にとってジャニーさんは第2のお父さんのような存在でした。今でも覚えてるのは大阪から東京に来る度に、東京駅に車で迎えに来てくれて自ら運転して稽古場まで行ってました。終わった後は良く焼肉屋さんやラーメン屋さんや色々な所に連れて行ってくれました。
僕が昔、不祥事を起こしてしまい、自分なりにケジメをつけようと思い直接辞めさせて頂きますと言ったら、内お前はそんなに自分勝手なのか?我慢というものを知らないのか?と、人生というものは誰しも失敗して成長して行くもんなのだと。強く説教されたのを覚えてます。それがあって今の僕が居るんです。ジャニーさんとの思い出はここで書けない程沢山あります。
ジャニーさんが居なくなっちゃったなんて、本当にまだ信じられません。
こんなの夢であって欲しいと強く思ってます。。長文失礼致しました。
最後に、ジャニーさん大変お疲れさまでした。普段から全然寝てなかったと思うから、ゆっくりお休みして下さい。
そして、ありがとうございました。

■生田斗真さん
ジャニーさんが私のような異端者を認めてくれているのか、ずっと気がかりでした。
昨年、ジャニーさんとお話をしたいと思い、ジャニーさんが作った稽古場を訪れた際、みんながいつでも来られるようにと、タレント全員の名札が用意されているのを知りました。そこにはしっかり私の名札もあり、誰一人欠ける事なく全員平等に愛情を持ってくれているのだと感じ、胸が熱くなりました。
ジャニーさんが望んでいた、エンターテイメントで世の中を幸せにしたいという思いを胸に今後も精進して参ります。
ジャニーさん、本当にありがとう。
長い間、本当に本当にお疲れ様でした。

■中山優馬さん
ジャニーさんの姿勢、人柄から本当にたくさんの事を学びました。
伝えきれない程感謝の気持ちでいっぱいです。
ありがとうジャニーさんお疲れ様でした。




NHK公式ホームページ:http://www.nhk.or.jp

NHK 公式Twitter:@nhk_news
  • 2019.07.11 Thursday
  • 12:38

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『香取慎吾さん、SMAP解散後の心境を語る「経験は本当に大きなもの」Music Voice3/21(木) 23:57配信 』

昨夜の放送を観た方はどれほどいらっしゃいますか?

私は今も純粋な心を持ち続けている香取さんの話を母と楽しみました(^-^)以下は、原文のままです(^-^)


 香取慎吾さんが21日放送のNHK『ニュースウオッチ9』で単独インタビューに応じ、2016年末のSMAP解散以降の自身の心境を率直に語った。

 この日の放送で、香取さんにインタビューをおこなった同番組。香取さんは現在、自身初の日本での作品展を開催しており、その会場に番組司会を務めている有馬嘉男アナと桑子真帆アナが訪ねた。

 2016年末にSMAPが解散し、草剛さん、稲垣吾郎さんとともに「新しい地図」としての活動をスタートさせた香取。桑子アナは「私はアナウンサーの桑子真帆って言いますけど、香取さんはご自身のことをどういう肩書で?」と率直に尋ねた。

 すると、香取さんは「一番しっくり来るのは“慎吾ちゃんです”みたいな感じですかね。アイドル香取慎吾。子供の頃からずっとここにいるから、見てもらわないと死んじゃうみたいな」と“見られる”ことが自身にとって大切なことであることに触れた。

 有馬アナは、SMAP解散後、この2年間でファンが香取を見る機会が減ったことを取り上げつつ、この2年間で「想定外だった」と思うことについて尋ねた。

 香取さんは「全部と言ってもいいくらい。最近で言うと、稲垣と草なぎとファンミーティングというのをやって、久しぶりにステージに立って、歌って、踊って、この1年ちょっとでそんなときが来るとは思わなかった」とした。

 さらに、稲垣さん、草さんについて、「新たな道なき道を一緒に歩いてみよう、としている2人ですかね。3人で一つになって何かをやってみようよということじゃなかったので、始まりが」と語り、『新しい地図』がスタートした当時を振り返る。

 続けて「今でもそうですけど、2年前、今とは違う、どこか先はまだ見えないけど、新しい道、歩いてみようかなって言ったときに同じように横に2人がいたんですよ。歩いてみるつもりなの? みたいな。そんな感じです」と笑顔を見せた。

 今回、大きな個展を開催することができた背景に、香取さんは“経験”が支えになったという。有馬アナは「SMAPにお別れしたことで新しく得た世界なのかなと思ったけど、必ずしもそういうことでは…」と投げかけると、香取は「ああ、全然違うかもしれないですね」と応じた。

 昨年、フランス・パリのルーブル美術館で個展を開催した香取さん。当初はその会場の大きさに目を見張ったというが、「あっ、東京ドームと比べたら超小さくない? と思って」とSMAP時代にコンサートを開催したこともある東京ドームと比較することで「その時に一気にリラックス」できたのだという。

 香取さんは「今までやってきた経験は本当に大きなもので、それがなくなっての新しい道とは思ってないですね」とし、変化した部分もあるとした上で「今までどおりの気持ちで進んでいる部分があるから、こんなふうに今日も僕はいられるのかな」との心境を述べた。

 有馬アナは「今後」について尋ねる。香取はいったい、どこに進んでいくのか。

 これに香取さんは「僕が教えてもらいたいんですけど」と笑顔で応じつつ、「きっと、今以上の僕が僕を超えてくれると思います。今の僕にはわからないですけど、僕が驚くようなことをしてくれると思ってます」と自身への期待感を口にした。

 そして、「まだ1年、一歩一歩。続けられるどころじゃないですね。超えていきますよ」とし、自身の信じる道を進んでいきたい気持ちを語っていた。

 香取さんは3月15日より、自身初の国内作品展『サントリー オールフリー presents BOUM ! BOUM ! BOUM ! 香取慎吾NIPPON初個展』を東京・豊洲のIHIステージアラウンド東京で開催している。
  • 2019.03.22 Friday
  • 10:15

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「手話ができるゴリラのココ、死ぬ 子猫の育児や画家の才能も JST 2018年6月22日付」

この一報を目にした瞬間、信じられない感情に駆られました。そして、とても寂しいです。
今、伝えたい事は、「手話で話してくれて嬉しかったよ、ありがとう」

以下は、原文のままです。





(CNN) ゴリラ保護の非営利組織、米ゴリラ財団は、手話を覚えて世界中で有名になったゴリラの「ココ」が死んだと発表した。

ココはメスのニシローランドゴリラで、発表によると、19日、眠っている間に死んだという。46歳だった。

1971年にサンフランシスコ動物園で生まれ、子どもの頃に手話を習得。1974年にはスタンフォード大学に移され、ゴリラの保護を目的としたゴリラ財団が創設された。その後はカリフォルニア州サンタ・クルーズ・マウンテンズに移されていた。

ゴリラ財団によると、ココは本を読むことや読んでもらうことが好きで、大好きな部分に差しかかるとのどを鳴らしていたという。

子猫たちの母親代わりになって面倒を見たことも何度かあり、猫たちを優しく可愛がる様子が印象的だった。

俳優の故ロビン・ウィリアムズさんやテレビ司会者のフレッド・ロジャースさんとも「友達」になり、手話を使って会話した。

英語の話し言葉は2000ほどの単語を理解でき、大抵は会話についていくことができたと言われている。ココを通じ、ゴリラの感情や認知力について多くを学ぶことができたと財団は振り返る。

ココのドキュメンタリー番組も何本か制作され、ナショナル・ジオグラフィック誌の表紙には2度登場した。表紙に使われた写真のうちの1枚は、ココが鏡に映った自分の姿を撮影したものだという。

ココと子猫たちの写真集も出版されたほか、画家としての才能も発揮していた。

財団は今後も、ゴリラ保護の取り組みを継続する。
  • 2018.06.22 Friday
  • 21:16

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「永野芽郁さん主演【半分、青い。】初回21.8% ORICON NEWS 2018年4月3日付」

好発進、嬉しいですね!以下は、原文のままです。


 女優の永野芽郁さんがヒロインを演じるNHK連続テレビ小説98作目『半分、青い。』(月〜土 前8:00 総合ほか)が2日より放送開始され、初回の視聴率が関東で21.8%、関西19.2%、BSプレミアムで5.2%だったことがわかった(ビデオリサーチ調べ)。

 岐阜県東部の架空の町・東美濃市梟(ふくろう)町の小さな食堂を営む夫婦の長女として生まれた主人公・楡野鈴愛(にれの・すずめ)。毎日野山を駆け回る元気な子だったが、小学3年生のとき、左耳の聴力を失ってしまう。けれど、雨音が片側しか聞こえないことをおもしろがり、雨上がりの青空を見て「半分、青い。」とつぶやくような、ユニークな感性の持ち主でもあった。そんな彼女を励ましたのは、わが子を愛してやまない両親と、同じ日に同じ病院で生まれた幼なじみだった…。

 “恋愛の神様”の異名を持ち、数々のヒットドラマの脚本を手掛けてきた北川悦吏子氏によるオリジナル作品。大阪万博の翌年、1971年に生まれ、ちょっとうかつだけれど失敗を恐れないヒロインが、高度成長期の終りから現代までを七転び八起きで駆け抜け、やがて一大発明をなしとげるまでの、およそ半世紀の物語を描いていく。

 初回放送では、冒頭に高校生の鈴愛(永野さん)と、幼なじみの萩尾律(佐藤健さん)が登場。両親が新たな命を授かり、胎児の母・晴(松雪泰子さん)は、やってくる陣痛に大騒ぎ。父・宇太郎(滝藤賢一さん)は、愛する妻の手助けもできずにオロオロするばかり。同居する、宇太郎の父・仙吉(中村雅俊さん)と母・廉子(風吹ジュンさん)も、孫の誕生を今か今かと待ちわびる。一方、胎児は親の思いも知らずにお腹の中で調子に乗って暴れまくり、思わぬ事態に…。ヒロインの人生が胎児の頃から描かれる、斬新なスタートとなった。

 さらに、ラジオ等のメディアではもちろん、事前の告知番組でも未オンエアだった、星野源が担当する主題歌「アイデア」が、ドラマのオープニングで初放送。主演の永野らも絶賛していた、作品のイメージにもすごく合っているような、星野らしさも十分に感じられる楽曲が半年間、日本の朝を彩ることになる。
  • 2018.04.05 Thursday
  • 10:48

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『赤江珠緒さん「陣痛はマヨネーズ」を語る たまむすび myearnZZ 2018年4月2日付』

一昨日の放送内容の中で、こちらが1番おもろくて存分に目で聴けました!書き起こしを実行してくださった方に、感謝申し上げます(^O^)以下は、原文のままです。

TBSラジオ『たまむすび』に復帰した赤江珠緒さんが自身の出産体験を振り返り。陣痛の痛みについて「陣痛はマヨネーズ」と話していました。



(カンニング竹山さん)いまね、『たまむすび』始まって5分ですけど、この5分でもう1年前に戻ってます。なんの支障もなく、1年前の『赤江珠緒たまむすび』と同じようになっていますから。大丈夫だと思いますよ。

(赤江珠緒さん)フフフ(笑)。そうですかね。本当にリスナーのみなさんにも1年間守っていただいて、聞いていただいて。出産の際にはお守りなんかもたくさんいただいて。ありがとうございました。ちゃんと出雲大社に全部お返ししましたから。

(カンニング竹山さん)奉納しに行ったの? うわっ、偉いなー。

(赤江珠緒さん)ちょうど行った時は神在月というね、全国の他の神様が来る季節だったんで。それで見事に返せたかなと思って。

(カンニング竹山さん)うわっ、偉いな。すごいですね、それは。

(赤江珠緒さん)あの、うちの親が……(笑)。

(カンニング竹山さん)フハハハハハッ! お前じゃねえのか!(笑)。

(赤江珠緒さん)ちょっと私、行けなかったので、うちの親が代理で行きました(笑)。

(カンニング竹山さん)そうですか(笑)。どんなことが変わったりとかあったんですか? 1年間、ママになって。休んだり、子育てをしていたんでしょう? それで感じたこととか、あるんですか?

(赤江珠緒さん)それでね、もう言いたいことが本当にいろいろあるんですけど……。

(カンニング竹山さん)それは1週間に分けて言いなさい(笑)。

(赤江珠緒さん)本当にいろいろとあるんですけど……先週、それこそ吉田明世ちゃんと竹山さんが、明世さんもいま妊婦さんということで、もう間もなくご出産ということでそういうお話をされていて。竹山さんがさ、「赤ちゃんがおへそから呼吸している」っていう話をしたでしょう? 私、あれをもうすっごい爆笑しちゃって(笑)。

(カンニング竹山さん)わかんないからさ。そういうことが(笑)。

(赤江珠緒さん)まあ、そうですよね。たしかに人体の神秘みたいなものはわからないですよ。よくよく考えたら。

(カンニング竹山さん)わからないですよ。男だし、子供もいないから。

(赤江珠緒さん)でもまさか、へそから赤ちゃんが呼吸していると思っているとは思わなくて……(笑)。

(カンニング竹山さん)「へそがつぶれた」って吉田さんがバーンとへそを見せるから。

(赤江珠緒さん)そう。お腹が張ってきてね、クルッとなるんで。

(カンニング竹山さん)つぶれたからさ、「大丈夫?」って心配になったんです。あれがだから、忍者で言うところの水遁の術みたいなものだと俺、思っていたから。
赤ちゃんはお母さんのへそで呼吸している?




(赤江珠緒さん)アハハハハハッ! そこから息をしていると?

(カンニング竹山さん)と、思っていたんです。だからへその緒って大切だと思ったんですよ。

(赤江珠緒さん)ああ、そうか。いや、だからやっぱり自分が関係していないことに関してはわからないことって世の中、いっぱいあるんですよね。そうですよね。それで言うとね、「陣痛」ってあるじゃないですか。出産の痛み。人体の神秘の中の陣痛っていうのだけは私もよくわからなかったんですね。で、明世ちゃんももうすぐそれを経験することになるのかな? なので、それに関して私、研究・分析した結果があるので、それだけちょっとお話していいですか?

(カンニング竹山さん)世の中、いまだって同じようなママになろうとしている人がいっぱい聞いているかもしれないから。

(赤江珠緒さん)1年前、私も妊婦だった時、あんまり出産のことを考えないようにしていたんですよ。で、ドーンと構えているみたいな。あんまり準備とかもしていなくて。出産準備とか、みんなは細々と洋服を用意するだの、保育園問題を用意するだの、一切動いてなくて。動じてないから、「さすがにやっぱり歳くっているだけあって堂々としているね」なんて言われていたんですね。で、「そうですね。まあまあ、結構人生経験積んでますから」なんて言っていたんですけど、正直言って怖かったんですよ(笑)。

(カンニング竹山さん)やっぱり怖いんだ。みんな、そうだろうね。

(赤江珠緒)「痛い」って聞くし怖いから、子供産む時のことはあんまり考えたくなかったの。どうせいつかは出さなきゃいけないから、その時に真剣に考えればいいと思っていて、なるべく後回し後回しに、頭の隅からのけるようにしていたんですよ。で、普段どおりなるべく暮らすようにはしていたんです。でも、だんだん差し迫って来て。『たまむすび』も休んでいよいよ里帰り。家に帰ったりして。そうなると、いよいよ迫ってきているわけだから、どんな痛みかこれは聞いた方がいいと思って、周りのうちの母とか姉とか友達とか、出産経験のある女性に「で、どういう痛みなのよ?」と聞いたんですよ。

(カンニング竹山さん)はい。

(赤江珠緒さん)そしたら、一般的には「スイカが鼻の穴から出るぐらいの痛みだ」とか「トラックにバーッとお腹がひかれた感じ」とか言うんですけど、なんか漠然としていてよくわからないし。うちの親とか姉に聞いたら「すんごい、本当に痛い。そりゃ痛いよ。だけど、忘れた」って言うんですよ。で、「忘れるってどういうことよ? そんな強烈な体験して、なんで忘れるの?」って。だいたいみんな、「すごい痛いけど、忘れた」って言うんですよ。で、「忘れるか?」って思って。自分が経験した時には忘れないようにしようと。

(カンニング竹山さん)うん。その痛みをね。
陣痛の痛みを忘れないように……

(赤江珠緒さん)それだけはどういうことなんだ?っていうのを考えようと思って、そのことに至ったわけです。それで自分が産んですぐに忘れないようにノートにバッとメモったことがあるんですけど。産み終わって夜。自分の部屋に戻ってベッドで横になった。でも、テンションが上っているから眠れない。その時になんだったのか?っていうのをノートにバーッと書いたんですよ。それをいま、見たら……。

(カンニング竹山さん)なんて書いてあるの?

(赤江珠緒さ)あのですね、「陣痛はマヨネーズ」って書いてあるんですよ。

(カンニング竹山さん)フフフ(笑)。「陣痛はマヨネーズ」? ちょっとそれは、全く意味がわかりませんので、ちょっと教えていただきたいんですけども。

(赤江珠緒さん)これがね、なぜみなさんが「忘れた」と言うのかが、だいたい痛みって人間、火傷とか切り傷とか人によっていろんな痛みを人生の中でしてきているじゃないですか。で、私も結構ケガが多い子供だったんで、それなりに痛いことは経験してるんですけど、その痛いのってだいたいその患部が痛い。その場所が痛いじゃないですか。

(カンニング竹山さん)そうね。切った場所とか。

(赤江珠緒さん)右腕を切ってるんだったら、「右腕のここが痛い!」とか。だからそこが痛いんだけど、そうじゃなくて。そういう痛みが陣痛に関しては「動」なんですよ。「静と動」で言う「動」。動く。

(カンニング竹山さん)動く?

(赤江珠緒さん)陣痛の痛みって動くんですよ。

(カンニング竹山さん)じゃあ、下っ腹が最初は痛いと思ったら、次は上っ腹が痛くなったり? 胸が痛い、首が痛い、肩が痛いとか?

(赤江珠緒さん)そうそう。波のように痛みが行ったり来たり、動くんですよ。で、その時に私が思ったのは自分がマヨネーズの容器になった感じがしていて。マヨネーズの容器、真ん中をギュッとつぶすと、上からグーッと出るじゃないですか。あんな感じでギュッと押されてグーッとなって、痛みが頭の上、脳天まで来てポンッて出るみたいな。痛みが1回1回、引いたり抜けたりするんですよ。

(カンニング竹山さん)ああ、全身を使って、赤江珠緒の体を使って痛みが抜けたと思ったら、また生まれて?

(赤江珠緒さん)そう。また波がやってくるので。痛みがすごく動くので、それで最終的に忘れちゃうんだろうと。同じ患部がずーっと痛かったら覚えているんですけど、忘れるんですよ。

(カンニング竹山さん)はー。痛みが1回抜けちゃうから。生まれて、それが全身から抜けて。

(赤江珠緒さん)そうそう。だからずーっとね、「うわっ、マヨネーズの容器、押されてる!」って……。

(カンニング竹山さん)フフフ(笑)。……安心しましたね。赤江さん、なんにも変わってないね!

(赤江珠緒さん)なんでですか! すごい大発見だったのに!



(カンニング竹山さん)安心した。わかった人、いるかな? わかった人、いたら……「私もマヨネーズだった!」ってお母さんがいたら、メールください(笑)。

(赤江珠緒さん)すいません。こんな感じでまた今日からよろしくお願いします。

<書き起こしおわり>
  • 2018.04.04 Wednesday
  • 14:47

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『赤江珠緒さんが産休から復帰 たまむすびに1年ぶり登場で「戻って参りました」 miyearnZZ Labo2018年4月2日付』

皆様、この時間のTBSラジオを楽しまれていますか?私は、一昨日の放送中はTwitterで、放送終了後は以下の記事が読み満喫しました!今日も13時から、お聞きの方が多いでしょうか?以下は、原文のままです。


 フリーアナウンサーの赤江珠緒さんが2日、TBSラジオ「たまむすび」に1年ぶりに復帰した。赤江アナは「送別会をしてもらったのが1年前なのに、つい2、3週間前のような気がする」と1年のブランクを感じさせない雰囲気で登場。カンニング竹山さんから顔が黒くなったことを指摘されるなど久々のラジオを楽しんだ。

赤江アナは冒頭「ただいま、戻って参りました。なんか不思議な感覚です」としみじみ語ると、カンニング竹山から「新鮮さがないね」と突っ込まれ「そうなんです。送別会してもらったのに1年前、つい2、3週間前のような(気がする)」と語った。
 さらに竹山さんから「顔、真っ黒に日焼けしてる」とからかわれた赤江アナは「まだ母乳やってるんですけど、カルシウムとかビタミン持って行かれて。やせるんですけど、その分ビタミンC持って行かれてるんじゃないかなと私の中では分析」と、美白に効果があるとされているビタミンC不足ではないかと訴えた。
また、母乳を続けていることで「カルシウムもサプリメントを取り入れないと、体がもろくなっている気がする」とコメント。仕事への本格復帰はこの日からとも説明し「馴染みの場所で皆さんの声を(産休中)聴いているが、この場所に自分がいるのが不思議」とも語っていた。
 赤江アナは昨年2月に妊娠と3月いっぱいで産休入りすることを報告。7月27日に第1子の女児を出産した。
  • 2018.04.04 Wednesday
  • 13:17

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「永野芽郁さん、次期朝ドラ『半分、青い。』で胎児役に初挑戦 苦戦した製作裏明かす Real Sound 2018年3月8日付」

ついに今日から放送開始!皆様は、ご覧になられたでしょうか?私は、ヒロインの胎児の頃からスタートしたストーリーがとても新鮮で楽しみました!以下は、原文のままです。

 4月2日から始まるNHKの連続テレビ小説『半分、青い。』の第1週完成披露試写会が東京・渋谷のNHKにて行われ、主人公・楡野鈴愛(にれのすずめ)役の永野芽郁さんをはじめ、松雪泰子さん、滝藤賢一さん、矢崎由紗さん、脚本家の北川悦吏子さん、制作統括の勝田夏子さんが登壇した。

 岐阜県と東京を舞台に、鈴愛が高度成長期の終わりから現代までを七転び八起きで駆け抜け、一大発明を成し遂げるまでを紡ぎだしていく本作。第1週「生まれたい!」では、鈴愛の胎児時代と、矢崎演じる小学3年生の姿が描かれる。


永野芽郁さん
 永野は第1週を観てこれから面白いものができていくのではないかと期待に胸を膨らませ、「自分に自信を持つことができました」と喜びを見せた。また、鈴愛の母・晴役の松雪さんは「娘との空想の中の会話が、行間が詰まっていて大好き」と北川の脚本を絶賛。第1週のメインとなる、現在8歳の矢崎が「まだわたしが生まれる前の時代ですが」と切り出すと会場からは笑いが起こり、「ふくろう商店街の店や衣装がとっても可愛くていいなと思いました」と愛らしいコメントをした。

 星野源さんによる主題歌「アイデア」が流れるタイトルバックは、巧みな演出が光り、今までの朝ドラの中でも非常に革新的で見どころのひとつ。永野さんと星野さんは『真田丸』で父娘役で共演していたこともあり、主題歌を星野さんが務めることを聞いた際、永野さんは「お父さんが主題歌なんだ」と驚いた様子。「なんとなく『半分、青い』、源さんだったらいいなと言っていたので、そんなことあるんだと思って……」と自身も星野の楽曲が好きなことを打ち明け、朝からほっこりするような曲に負けないように、笑顔で撮影に挑んだと言う。滝藤さんも「見ていただければとっても素敵な1日が送れるのではないかと思います」とその出来を絶賛していた。


北川悦吏子さん
 朝ドラでは通例、幼少期のヒロインが描かれることが多いが、本作では異例の胎児時代がCGで描かれる。これは脚本家・北川さんたっての願いだったと言い、「ずっと勝田さんに反対されていて(笑)。本当は1週間やるつもりだったんですけど、『お願いだから3日にしてくれ』って言われて(笑)」と裏話を明かすと同時に、具現化してくれたことへの感謝を述べ、自信に満ちた表情を見せた。

 また、第1週で胎児時代のナレーションを務めている永野さんは、人生で初めて胎児に声を当てたため、アフレコは長時間かかったことを告白。赤ん坊っぽくというオーダーに苦戦したと言い、「赤ん坊は喋らないし、どういう風にやったらいいかわかんなくて結構悩んだんですけど、『良かったよ』って言ってくれる人がいて、今後も胎児のナレーションはできるんじゃないかな」と冗談交じりに語った。


松雪泰子さん
 第1週の見どころについて松雪さんは、鈴愛誕生の瞬間と最後で食べる卵かけご飯のシーンだと語る。矢崎は、同級生とのけんかシーンが見てほしいポイントだそうだ。「新しいタイプの朝ドラが生まれた」と制作統括の勝田が自信を見せる本作。登壇したキャストとスタッフの表情からも、高いクオリティーのものができ上がっているような雰囲気がうかがえた。


(取材・文=阿部桜子さん)

■放送情報
NHK連続テレビ小説『半分、青い。』
平成30年4月2日(月)〜9月29日(土)<全156回(予定)>
作:北川悦吏子さん
出演:永野芽郁さん、松雪泰子さん、滝藤賢一さん/佐藤健さん、原田知世さん、谷原章介さん/余貴美子さん、風吹ジュンさん、中村雅俊さん/豊川悦司さん、井川遥さん、清野菜名さん、志尊淳さん、中村倫也さん、古畑星夏さん
制作統括:勝田夏子さん
プロデューサー:松園武大さん
演出:田中健二さん、土井祥平さん、橋爪紳一朗さんほか

  • 2018.04.02 Monday
  • 10:58

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『草なぎ剛さん、大杉漣さんへの思い語り涙浮かべる 訃報に「しばらくダメだった」香取さんが明かすmodel press 2018年4月2日付』

大杉漣さんが亡くなられてから草彅さんの胸中はどうなのかなと、気がかりでした。寂しさは今も大きいでしょうけど、私としては様子を知る事ができたので、少し落ち着いたような心境です。以下は、原文のままです。

稲垣吾郎さん、草なぎ剛さん、香取慎吾さんのAbemaTVの新レギュラー番組「新しい別の窓」(毎月第1日曜午後5時より7.2時間生放送)が1日スタート。草なぎが、ファンを公言しているアーティストの斉藤和義とともにギターでセッションし、2月21日に亡くなった俳優の大杉漣さんに捧げる『僕が見たビートルズはテレビの中』を披露した。

草なぎ剛さん、大杉漣さんに捧げるギターセッション
草なぎさんは「僕がギターを始めたのは大杉さんの影響が大きい。去年漣さんに斉藤さんのライブに連れていってもらって、斉藤さんとの関係も漣さんがつないでくれた」と大杉さんとの思い出を回顧。斉藤はそのライブ前に「『剛くんをライブに連れて行ってもいいかな、とってもいい子なんだよ』と言っていました」と大杉さんから受けていた言葉を明かした。

一緒にライブに行ったのは昨年6月だったという草なぎは「ちょうど自分の道を考えているときだったので、心の支えになった曲です」と『僕が見たビートルズはテレビの中』を紹介して「まだ亡くなったばかりで気持ちの整理もつかないんですけど、漣さんのことを思いながら一緒に歌ってください」と斉藤に伝えてギターセッションをスタートさせた。

訃報に「つよぽんはしばらくダメだった」香取さんが明かす
パフォーマンスを終えると、「本当に好きな曲で、大杉さんも好きな曲だった」と瞳を潤ませた草なぎ。見守っていた香取も目元を拭いながら「漣さんは僕らのことも気にかけてくれていたみたいで。72時間のときも出たいと言ってくれていたみたいなんですけど、合わなくて『次の機会にぜひ』とも言ってくれていた」と漣さんの心遣いを明かし、訃報の瞬間について「つよぽんがほんとダメで。しばらくダメで。いつも『何ギターやってんの』てツッコんでいたんだけど、その時に、草なぎにギターがあってよかったと思った」と振り返った。

草なぎさんと大杉さんは『僕の生きる道』(03)、『僕と彼女と彼女の生きる道』(04)、『僕の歩く道』(06)、『任侠ヘルパー』(09)、『スペシャリスト』シリーズ(13)、『銭の戦争』(15)、『嘘の戦争』(17)をはじめ、多数の作品で共演。バラエティー番組でも度々共演し、「『ぷっ』すま」では2人でギターセッションを披露したこともあった。

稲垣さん・草なぎさん・香取さんの新番組「7.2 新しい別の窓」

同番組は視聴者と3人がSNSで繋がる「SNSバラエティ」。3人でのレギュラー番組はこれが初となる。

<主な番組ラインナップ>

オープニングはゆずと生ライブ(C)AbemaTV
・ゆずと生ライブ
・気になるフォロワーに会いに行く
・みんなのイチオシ桜写真で作るSNS花見(参加してくれる芸能人を募集)
・新曲発表
・ヒロミさん、ユースケ・サンタマリアとさん本音トーク
・斉藤和義さんの生ライブ
  • 2018.04.02 Monday
  • 10:18

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『リーダー層も苦手...日本の英語力不足はもはや「国難」Newsweek 日本版 2018年3月21日付』

改めて、ただ英語好きから使いこなせるようにならないとなぁと、身が引き締まる思いです。以下は、原文のままです。

<元外交官のコンサルタントが明かす、英語力が低い日本人の悲惨な実態>

「世界では英語ができないと相手にされない」「英語力不足は国難」と、元外交官で、グローバルリーダー開発を本業とするトレーナーの山中俊之氏は言う。グローバル化とAI(人工知能)化という時代の流れの中で、日本人は、日本は、どう生き残っていくのか。

山中氏は新刊『世界で通用する「地頭力」のつくり方――自分をグローバル化する5+1の習慣』(CCCメディアハウス)の中で、現役世代のビジネスパーソンに向けて、世界に通用する人材になるために必要な6つの習慣を体系立てて説明している。6つの習慣とはすなわち、「情報」「知識」「ワークスタイル」「コミュニティ」「オフ」「英語」を"変える"ことだ。

これらを"変える"とは、どういうことか。ここでは本書から一部を抜粋し、3回に分けて掲載する。第3回は「第6の習慣 『英語』を変える」より。

※第1回:社会に出たら学ばない──日本人の能力開発は世界最低レベル
※第2回:オフはとにかく休みたい、会話は仕事の話ばかり、という日本人

◇ ◇ ◇
「英語は通じればよい」と言っている人に問いたい。「情熱が感じられず、失礼な表現の日本語を話す外国人を信頼できますか?」

英語は通じればよいという人もいます。もちろん、熱意や誠意、細かいニュアンスも含めて通じれば問題ありません。それが英語の到達点です。しかし、この「通じればよい」という意味が、「若干間違った表現であっても一応伝わればよい」という意味であれば問題です。

そもそもコミュニケーションはニュアンスや情熱、そして誠意を含めた総合的なものです。仮に内容が伝わっても、熱意や誠意が感じられないのであれば、相手を動かすことはできません。契約上、最低限のことを形にできても、それがビジネス上の成果になるとはとても思えません。

通訳がいればいい、これからはAIが訳してくれるという意見もありますが、私は一部の場合を除いては反対です。というのも、通訳者やAI通訳機を使った場合、情熱や誠意が伝わりにくいからです。形式的・儀礼的な場合は通訳で支障がない一方、真の関係構築に際して通訳を介すると、情熱や熱意が伝わりません。これは私自身、アラビア語と英語の通訳経験があるので常に感じてきたことです。

また、時間が倍以上かかることも、スピードが求められる現状には合いません。AIが情熱やニュアンスも含めて瞬時に訳してくれるようになれば別ですが、そのような時代はいつ来るのでしょうか。少なくとも現時点では、AIはニュアンスや空気を読むことは苦手です。

スピーキング(話す)では、ライティング(書く)と違い、文法や語彙に若干の間違いがあるのはやむを得ないことです。「三人称単数現在のsを忘れた」「現在進行形はこの場合使わないのに使ってしまった」「ややニュアンスの違う単語を使ってしまった」といったことは、私も頻繁にあります。

そもそも、文法や語彙の間違いを気にしすぎると話すらできません。また、その都度発言していかなくてはいけないので、スピーキングでの若干のミスは許されます。しかし、ビジネス上の関係構築においては、スピーキングもライティングも、相手に対して失礼な表現になっていないことを十分に確認すべきです。たとえば、Foreigner は自分と違う異国人といった語感があり、場合によっては失礼になります。

中学・高校で学んだ英語をそのまま使うと相手を不愉快にさせる、ということはよくあります。たとえば、教科書に必ず掲載されているWho are you? は、「お前いったい何者?」といったニュアンスになり、ぶっきらぼうな表現というよりも失礼にあたります。日本人の英語がぶっきらぼうという悪評はこの教科書のせいかもしれません。英語ネイティブは丁寧で婉曲的な表現を使いながらも、明確に伝わる表現を好みます。ですから、単にストレートな表現では相手にとても失礼になってしまうということも心に留めておくべきです。

私自身が、帰国子女や同時通訳者のような英語力がないことは、まずもって告白・懺悔しておきます。TOEICも満点ではありませんし、英字新聞や英字雑誌を読んでも知らない単語に出合います(ちなみに、TOEICはスピーキングとライティングがないので最近は受けていませんが、語彙力や文法力、リスニングなどの強化の面からは重要性を認識しています)。

そのため、日々必死に勉強していますが、連日のように世界のさまざまな事象についてファシリテーション(対話を通じて議論を活性化させること)していても、的確な質問やコメントができなかった日もありますし、英語でクライアントと打ち合わせをしても、うまく伝わっていないのではと不安になることも度々あります。

もちろん、すべての人がグローバル化に備えて英語力を徹底強化すべきであるとは思っていません。業態や業種、所属部署によって必要性に相当な違いがあり、職業によっては英語がほぼ不要ということはあるからです。しかし、ある程度グローバル化を進めようとしている企業の経営幹部や幹部候補、海外事業担当者が英語ができないことは、今後は致命的です。英語ができずに現地に赴いても、「何しに来ているの?」を思われるのが関の山だからです。
リーダー層の英語力の低さのため、世界の優秀な人材がそっぽを向く

一般庶民が自国語しかできないのは世界でも普通のことです。しかし、社会の指導者・リーダー層で英語ができない国は、日本を除くと多くありません。リーダー層の多くが英語ができないにもかかわらず、さほど深刻ととらえられていないのは異様なことで、そもそも首相や外相、経団連会長の英語力についてマスメディアで議論にならないのは不思議なことです。

北朝鮮など鎖国状態にある非民主国ならいざ知らず、民主的で経済的自由があり、海外にも開かれているはずの国の政治家、経営者、学者、ジャーナリストなどのオピニオンリーダーがここまで英語ができない国はまれです。

ある旧帝国大学の工学部関係者と意見交換した際、工学部は英語での授業が一番ふさわしいので、少なくとも大学院ではぜひ講義およびゼミ指導や論文執筆を全部英語で実施してほしいという持論を展開しました。すると、教授陣の英語力が不足しているため無理と言われました。理工系の大学院で自国語のみというのはまさに絶海の孤島のイグアナで、驚いて言葉になりません。

後述しますが、明治時代は多くの授業が英語で実施されていました。しかし現在、日本では超難関大学の大学院でも日本語でほとんどの講義やゼミが行われています。日本文学や日本法を学ぶならともかく、工学、理学、医学、経済学などの分野の大学院レベルで日本語が原則であれば、学生も研究者も世界から優秀な人材が来るわけがありません。大学とは、世界から優秀な人材を集めて世界に冠たる研究を行うところです。少なくとも一流とされる大学はそのような社会的役割があり、そのために税金も使われているのです。

研究者にとって論文が引用されることは重要です。英エコノミスト誌によると、国境を越える研究者の方が論文が多く引用される傾向にあることがわかっています(2017年10月6-13日号)。そもそも日本人研究者の国際研究自体が少ないとの指摘もあります。いま、日本の大学がぶつかっている研究活動の大きな壁は、日本人中心、日本語中心であり過ぎることです。東大や京大の世界ランキングがどんどん下降しているのもこのことに起因します。

問題は研究機関だけではありません。日本企業に世界の優秀な人材が応募してこないのも英語のためです。役員など幹部クラスが英語のできない日本人男性でほぼ固められているため、優秀な世界の学生がそもそも応募しないのです。

ある外資系グローバル企業の幹部によると、ダイバーシティとはよくいわれるけれど、女性よりも外国人活用の方が経営へのインパクトは大きいとのこと。まさに外国人のいない同質性の高い経営幹部会議ではインパクトが弱く、新たな戦略も出にくいのです。そもそも、グローバル企業の役員が日本人男性だけで占められるのは異常であるという感覚も必要です。

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死屍累々――巨大なビジネス損失につながるお寒い症候群

海外の優秀な人材が日本に来ない点についてはすでに指摘しましたが、日本企業の海外事業、グローバル事業についての悲惨な現状についてもお伝えしなくてはなりません。

ビジネスの成功例は大きく取り上げられますが、失敗例は倒産につながるような大赤字か不祥事でもない限り、マスメディアでは大きく取り上げられません。海外事業から撤退したなどが報じられる程度です。

しかし、海外事業の失敗の事情をよく検証してみると、広い意味でのコミュニケーション不足、コミュニケーションがとれる人材不足が大きな要因になっている例が多数あります。

以下の例は、私が直接関与した、または見聞した「症候群」です。どの会社であるかわからないように一部脚色していますが、根幹となる問題点は変更していません。

●「英語できなくても駐在」症候群

まずは英語をないがしろにしている事例です。「英語はあまりできなかったが、業務に支障はなかった」という海外赴任者の声は意外に多くあります。もし、このような話を聞いて、海外赴任の場合はそこまで英語力を強化しなくてもいいと判断するのであれば早計であり、ビジネスの前途は多難です。

とりあえず、本当は英語ができるのに「あまりできない」と謙虚に言うケースは除きます。

では、なぜ英語ができなくてもなんとかなったのでしょうか。私は、以下のように解釈するべきだと思います。

第一に、海外赴任してもほとんど日本人と付き合っていた場合です。海外赴任をすると、外国での生活の不馴れや語学問題などのため、日本人社会にどっぷり浸かることは一般的です。日本の資本が入っていない完全な現地企業やグローバル企業での勤務の場合、または現地の人と結婚している場合などを除き、日本企業の現地法人に転勤した場合は日本語での会話が多くなりがちです。

中国、台湾、韓国はやや例外ですが、どんな国でも日本語ができる人材は非常に限られています。仮に話せても、実際の勤務にまったく支障のないレベルとなるとぐっと少なくなります。となると当然、大多数の現地の人々との交流はできません。

世界のほんの一部に過ぎない日本人社会での付き合いだけでは、海外赴任でもっとも大切な要素である、現地の人々が何を考えてどんな生活をしているかということがわかりません。

第二に、現地での立場が購買担当である、または親会社の意向があるなど立場が強い場合です。たとえば購買担当なら、数字やコアとなる品質についての英語がわかれば大きな支障がなく、拙い英語であっても相手が「お客様」と思い、英語を理解しようとしてくれるでしょう。親会社の意向が強い場合も、英語ができなくてもなんとかやり過ごすことができます。

第三に、これはそもそも論ですが、英語や現地語ができたらさらにパフォーマンスが上がった可能性があるということです。「英語ができなくてもなんとかなった」というのは実は目標値が低すぎただけで、その低い目標を達成したに過ぎない場合もあります。

●「本社が英語できない」症候群

次のような事例もありました。海外にいくつかの現地法人があるメーカーA社では、数人の日本人駐在員を除き、現地出身の社員で占められていました。駐在員は現地語はもちろん英語も雑談程度で堪能ではなく、コミュニケーションは不足しがちでした。現地社員の本音は、あんなに語学ができない駐在員はいても仕方ない、駐在員の高額な海外赴任手当の一部を私たちの給料に回してほしいというものでした。しかし、本社はどうしてもその日本人駐在員にいてほしかったのです。なぜだと思いますか。

それは、本社の経営幹部に英語が十分できる人材が少なかったからです。現地は現地社員に任せるということは随分前から言われていましたが、遅々として進みませんでした。その最大の理由の一つが、本社サイドの英語化が遅かったことです。現地を現地出身社員中心にマネジメントすると、一部東アジアの国を除いては本社とのテレビ会議が英語にならざるを得ません。そのようなテレビ会議に対応できる経営幹部が日本にいなかったのです。

このように、社員に英語を学べ、これからは英語ができないとダメと言いながら、自分たちが英語ができないという経営幹部が多いのが現状です。

●「英語ができないとのクレームで販路失う」症候群

中国に進出したある部品メーカーの現地法人に対し、欧州にある非英語圏の世界的メーカーから製品の引き合いがあったそうです。その現地法人は日本語ができる中国人に依存した体制になっていたので、日本人駐在員の中で英語ができる人材が不足していました。欧州の世界的メーカーからは、英語ができる人材を交渉の場に出してほしいと要請があったにもかかわらず、英語のできる人材を出すことができなかったため、結局、その案件を受注できなかったとのこと。これは、「英語できなくても駐在」症候群の発展形といえます。

●「海外M&A失敗」症候群

M&Aの専門家によると、海外M&Aの90%以上は失敗しているとのこと。高値で買わされて、買収後にシナジーを出すような経営ができていないからです。その要因の一つとして、文化やバックグラウンドなどの理解を含めたコミュニケーション能力不足があります。あまりにコントロールしすぎるか、野放しにしすぎるかのいずれかの場合が多く、海外M&A後の両社の制度面・文化面の統合であるPMI(Post Merger Integration)までを視野に入れたM&Aが少ないのです。

日本経済新聞などでは、大型買収、海外進出などは記事になる一方で、買収失敗、海外進出失敗は少なくとも大きな記事にはなりません。しかし実際には、買収や海外進出の失敗はごまんとあり、その背景に駐在員や交渉担当の英語力不足の問題があるのです。そもそも国内の日本人の英語力、少なくとも海外進出している大企業の管理職クラスの英語力が伸びれば日本経済は大きく変わるでしょう。非常に辛口かもしれませんが、これは真実です。だからこそ、その対応となる習慣についてお話しさせてください。

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本書ではこの後、「王道なし――地道に単語や表現を覚える習慣」「ライティングはネイティブチェックに出す習慣」「毎朝音読をする習慣」......と挙げられていく。自分自身も日々必死に英語を勉強しているという著者からのアドバイスだ。
  • 2018.04.01 Sunday
  • 10:41