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Deaf Report

「万人のための民主主義 政治情報を手話で スイス人ろう者たちが要望 Thomas Stephens 2017年10月8日付」

日本も衆議院議員選挙が公示されたばかりで、タイムリーな内容に目が留まりました。
政治についてどこまで私が理解できるかという問題はありますが…、異なる国であっても「政治情報が欲しい」という思いは、同じなんですね。より情報が分かりやすくなることを望みます!!
この記事の最後は「この請願の内容に賛成ですか?」と締めくくられています。
私は声を大にして、「賛成です!!」と伝えたいです。皆様は、どのようにお考えになるでしょうか?以下は原文のままです。





シモネッタ・ソマルガ司法警察相
2016年9月、スイスろう連盟主催の討論会「手話なき直接民主制」に出席したシモネッタ・ソマルガ司法警察相
(Keystone)
国民投票の情報冊子や連邦政府の法案の解説を、インターネット上で手話で提供してほしい。そう主張するスイスろう連盟(Swiss Federation for the Deaf)が、連邦内閣事務局に請願書を提出した。
 スイス在住のろう者および聴覚に大きな障害をもつ1万人以上の人々にとって、投票の情報冊子は「間違った言葉」で書かれているようなものだと、スイスろう連盟は2日に出された声明で述べた。
 「聴覚障害者の言葉は手話だ。書き言葉のドイツ語は外国語であり、読めるようになるのに大きな労力を要する。この外国語で複雑な政治的内容を理解しなければならないことが、情報へのバリアフリーアクセスを定めたスイス国内法および国際法に反する、不必要な障害となっている」という。
 連盟は、適切な措置が取られない限り「自由な意見形成とそれによる政治参加が、障害を持つ人々にとって、不可能ではないとしてもより困難になる」としている。
 9月23日土曜日の「スイス手話の日」、2700人分以上の署名が集まった。請願は、連邦レベルを始め、国が作成する全ての政治情報を手話で提供するよう求めている。
書き言葉の難しさ
 しかし本当にその必要はあるのか?聴覚障害者だって読むことはできるのではないだろうか?
 「読めるが、それは学校で学ぶからだ。話すのを学ぶのと同じように」と説明するのは、スイスろう連盟のスイス・ドイツ語圏の広報担当者、マルティナ・ラシュリさんだ。
 「耳が聞こえる人々は書き言葉を音で学ぶ。しかし、聴覚障害者にははるかに難しく、記憶力が試される。その上、新しい単語を何気なく聞いて覚えるということがない。単語は一つ一つ、文法的用法とともに学ばなければならない。手話はイメージに基づく完全に視覚的な言語で、文法も話し言葉と異なる」と説明する。
 聴覚障害者の中にも読むことが「上手で好きな」人もいるし、聴覚障害者は仕事で書き言葉を使わざるをえないが、手紙を間違えずに書くことは難しいとラシュリさんは指摘する。例えば、ドイツ語文法の定冠詞と不定冠詞の複雑な規則などのせいだ。
 「聴覚障害者は書き言葉を学ぶが、使うのはどうしても必要な場合だけ。聴覚障害者同士のコミュニケーションには書き言葉はほとんど使われない。動画メッセージが登場してからはさらに少なくなった。今は、電子メールやワッツアップ(スマートフォン用のメッセンジャーアプリ)を使って、文章なしの短い手話動画を送り合っている」
 メディアに関しては、文章を説明するイメージ付きのメディアを主に利用する。「手話や字幕付きのテレビの方が新聞よりも人気がある」とラシュリさんは話す。
 スイスインフォでは、全ての動画に字幕を付け、視覚障害者向けに音声による写真キャプションを提供している。
公式言語?
 しかし、ドイツ語、フランス語またはイタリア語を読むことに困難を感じている人はスイスにたくさんいる。人口の4分の1が外国人なのだ。なぜ聴覚障害者だけに特別待遇を与えるべきなのだろうか?
 「なぜなら聴覚障害者には、さまざまな法律や協定により、手話で情報を受け取る権利が保障されているからだ」とラシュリさん。一例として、障害者に対する不平等の解消を定めた連邦法の第14条を挙げる。
 「手話がなければ、聴覚障害者は社会や教育に他の人々と等しく参加する機会を持つことができない」という。
聴覚者のキャンペーン活動
手話で政治情報を 聴覚障害者が訴え
最近、スイス国内のろう者がチューリヒ、ローザンヌ、ルガーノの街頭に繰り出し、手話による政治情報をインターネット上で提供してほしいと訴えた。(RTS/swissinfo.ch)
政治
他言語で配信中:1
 正確な数字は存在しないものの、他国の推計によれば、聴覚障害者の失業率は耳の聞こえる人々の約3倍になるとラシュリさんは話す。
 スイスろう連盟が手話を国の公式言語の一つとして認めるよう求めている理由の一つがそれだ。
 「連邦レベルで三つのスイスの手話(ドイツ語、フランス語、イタリア語)が認められることが、スイスろう連盟の戦略的目標の一つだ。この点でスイスは国際的に遅れている。多くの国で、手話は公式言語または国語として認められている」
 世界ろう連盟によれば、世界の約5分の1の国が手話を法的に認めているという。
あなたはどう思いますか?請願の内容に賛成ですか?
  • 2017.10.12 Thursday
  • 14:37

Deaf Report

「聴くこと と 聞くこと」(作業中)

私は、水頭症を合併した二分脊椎症者として、生まれました。
移動手段は、外出時は就学直前ぐらいから手動車椅子を利用。高校在学中からは、元々、手動車椅子の操作が下手だった事や、行動範囲を拡げる事を考えて、電動車椅子に切り替えています。自宅では、ぎこちないハイハイを長い間していましたが、2009年に急激な運動機能の低下をして以降は、ずり這いをしています。

学習面では、通園施設と幼稚園・保育園を経て、義務教育は身体面を重視して特別支援学校に、高校は社会生活への準備期間として一般校に在籍しました。
様々な症状を経験する事が、年齢を重ねるにつれて増加していっても、自分なりに、楽しむ日々を送っていました。予期せぬ体調不良や症状増加は、それまでも、周りの症者の方々と比較しても幼い頃から早かったので、この先もその点においては、変わりないだろうと思っていました。

ただ、聴覚を除いては…。

2003年のお盆に3ヶ月ぶりの外出で、父と暑い中、汐留に行きました。
張り切りすぎた結果、熱中症により1歳の時から通院している小児科の病院へ救急搬送。熱中症の症状が落ち着いた夕方に、聴覚異常を感じたため、すぐに症状をドクターに伝えるも…

熱中症に伴う一過性症状程度に診られて…相手にされぬまま診察終了。

19歳のこの日が訪れるまでは、健聴だったので、この先もその状況が続くものと思っていました。しかし、自覚症状が現れた数日後に聞こえた救急車のサイレンの音に同じ乗り物とは思えないほどで、左耳からはJ-POP、右耳からパンクロックを聞くぐらいの差があり、J-POPのような感覚が押し流されるほどでした。そして、このサイレンの音を聞いたその次の瞬間には…

「もう、回復どころか悪化するのは、間違いないだろう」と確信へと変わりました。
その後もまるで、その予測は「正解だよ」と言われているかのように、毎日低音から順に一つずつ消え去っていくことの連続…だんだんと左耳から入ってくる音も、右耳と変わらなくなっていったのです。
今まで、聞こえていたことに感謝した上で、別れを告げていました。

症状への理解を得る事は、困難だと判断。脳外科医に、小児科で伝えた経緯と共に説明をした結果、早期の耳鼻科受診を勧められました。
この病院では、小児科でオーダーを出してもらう事が必須なので、再度受診しました。難色を示して、相手にされなかったあの日とはまるで違い、ものすごくスムーズな対応でした。

そして2004年2月、念願だった耳鼻科の初診。この日にドクターからかけて頂いた言葉に、感動した事を今でも、鮮明に覚えています。

「私は、二分脊椎症について研究をしているけど、研究が足りなかったらゴメンね。」

それまで、多くのドクターに出会って来ましたが、このような強いメッセージを届けてくれた事はありませんでした。
聴覚症状としては、「音のある世界」にいられたものの、雑音が多すぎて「音のない世界」への移住が相当進んでいました。そのため、病院の予約・キャンセルも、元々FAXも機能的に難しいという事を伝えた上で、メール対応可能と言っていただいた場合には、ありがたくお願いするようになりました。
病院によって、対応して頂ける内容は異なります。
整形外科の病院では、診察券に「私は耳が聞こえません。」と書かれたシールを貼ってもらって使用しています。さらに、会計時に呼ばれている事にスムーズに気づけるように、手のひらサイズのバイブレーターを渡してもらえます。

このような対応をしてもらえる病院があると、小児科の病院で伝えた事があります。話を聞いて下さり、診察券のコピーまではして頂けました。しかし、その後の進展は残念ながらないままの現状です。もう、何年も経っているのですが…。

私は利用した事がありませんが、数年前から少しずつ聴覚障害者が利用しやすい通話環境がアプリなども含めて拡がりを見せています。その一つに、「電話リレーサービス」があります。このサービスは、聴覚障害者が電話を一人でかけられるように、聴覚障害者と電話のかけ先(聞こえる人)を電話リレーサービスセンターにいるオペレーターが、テレビ電話を活用して、文字や手話と音声の通訳をすることにより、電話で即時双方向につなぐサービスです。
しかし、私が利用するには向いていないと思っています。理由としては、私は家では寝たままの姿勢で過ごしています。外出時は、電動車椅子に乗っている分、手の動きにもゆとりはできます。ですが仮に、スマホを固定した状態にできたしても、体勢が不安定なので、コミュニケーションをする以前に、相手に自分の姿を見せる状態を持続する事が困難だからです。
他に調べた範囲内では、チャットを活用しているサービス団体もあるようです。
いずれにしても、いきなり本番は無理なのは想像できます。まず、体験を重ねていくことが必須です。
そのため現段階では、メールが視覚から情報が得られて、確実に連絡が取れる手段となります。そして、自分で連絡できる事に対する喜びも大きいのです。
今後、多様な連絡ツールが利用可能となる事に希望を持ちながら、技術進歩の情報にも、接し続けたいです。そして、出来ることなら、まず、当事者の1人として体験できる機会を増やして頂く事から、裾が拡がればいいなぁと強く思っています。

2006年10月 病名「 巨大水頭症の悪化による聴覚失認 または 皮質聾」という診断に至りました。ABR検査では、脳と耳から指令が出ていて正常。まだ、診断の可能性を諦めきれずにいたので、自ら希望して撮影したMRIの結果を診て、

「聴覚神経が圧迫されているため、音声認識ができない状態である」事の説明を受けました。
診断前の一時期、耳かけ型補聴器を病院からの貸し出しという形で、使用していました。しかし、振動から得られる感覚を求めすぎるあまりに音量を、常に、最大にして使用していましたが…

「これは、聴覚本来の機能も失う事になり、耳にとって負担が大きい」
というドクターからの話を聴いて、利用を中止しました。それ以降は、全く使ったことがありません。さらに、この日を迎えられるまでの間には、感音性難聴の可能性に触れられた事もあり、人工内耳の手術の話も出たことがありました。
ですが、MRI画像を見てドクターが、安堵の表情を浮かべながら…

「あの時、急いでオペをしなくて良かった。」

と話してくれた事が、今でも鮮明に脳裏に焼き付いています。
この診断を受けて、聴覚障害者としての証明と利用可能な福祉サービスをスムーズに受けるために、身体障害者手帳を更新しました。それまでの障害に加えて、「聴覚障害2級」が記載されています(手帳上では、聴力障害とされている)。私自身も手帳更新時に知りましたが、聴覚障害としては2級が最も重度となります。一般に、聴覚障害をほとんど有していると思われている「言語不明瞭」の部分がありません。むしろ、聴覚障害になってからの方が、相手に伝えたいと思う意思を強く持つことで、はっきりした発音となり、健聴の頃から知っている方にも、「今の方が聞きやすい」と言われるほどです。世間一般の考え方で見ると、障害が増える事はマイナスと捉えられる事が多くあります。確かに、障害が増えれば不自由さは多くなり、必要となる説明は長くなる一方です。
また、同じ二分脊椎症を有する方であっても、水頭症の有無によって、子どもの頃から目には見えない心の壁も感じてきたのも事実です。
具体的には、特に運動機能や学習面において、
「お宅は大変そうだけど、うちはその点に問題ないから」

と、はっきりと言われる事も幼い頃から良くあって、つらくなることもありました。症状が増えるにつれて、その溝は深まる一方で…同じ病名と診断された症者の中であっても、1つは、自分の身の周りの事が一通りできる運動機能的に私よりは軽度の当事者、もう1つは、自分と同程度の介助を必要とする症者といった感じに大きく2つに分かれている事を、受け止めるしかありませんでした。しかし、後に私より軽度な方々に様々な症状が発生し、慌てている姿を目にすると、先にいろいろと経験出来ていて良かったと思います。
さらに、聴覚障害診断までの数年間、他のあらゆる症状をベテランに訴えても、診断が不可能な事の連続でした。
そのため、心因性と判断される事がとても多かったのです。その事が要因となり、心に大きな雪だるまが出来るほど、積もり積もったものとなっていくばかりでした。頭では、解らない事もあると理解しつつも、どうしても納得のいかない時をずっと過ごしていました。
そのような日々が長く続いていても、症状そのものとの付き合いは、尋常でない激しいものに襲われていない限り、楽しむ事は変わっていませんでした。
しかし、さすがに診断には絶望的な気持ちが膨れ上がって、次第に…


「もう、私が生きているうちに納得のいく診断は、されないのではないか」

と、心は諦めの境地に向いてしまっていました。

そして、「ここまで、調べ尽くしてくれた上での結果だから、受け入れよう」

とMRI診断の直前は、一つの覚悟をするかのような勢いで、自分に言い聞かせるようにしていました。

ところが、聴覚障害の診断を受けられたことで、他の症状についても諦めきれずに伝えながら待つ事ができれば、心因性診断が減少して…
いつか、解明へとつなげる事ができるかもしれないと、「希望の光」を見ることが出来ました。
ドクターによれば、このケースの聴覚障害を正確に理解している耳鼻科医は、当時の時点で…世界で10人程度だと聴いて、良い出会いに恵まれた事に感謝しました。その一方で、たくさんの誤診が続いているであろう現実を想像したら、ゾッとせずには、いられませんでした。

幼い頃に、中耳炎や外耳道炎を繰り返していた影響からなのか、自然とある程度の読唇術が身についていた事がどこに行ってもほとんど困る事はなく、楽しく過ごしていました。実は、聴覚異常を本格的に感じるまで何か問題が発生すれば、開業医の耳鼻科をその都度、受診する程度でずっと聴覚症状には注目することが、そもそもありませんでした。そして、脳外科医が耳鼻科受診を勧めてくれたのは、1人の二分脊椎症者の方が聴覚障害を発症した事を知っていたからでした。しかし脳外科としては、問題にならない程度の小さなシャントトラブルの積み重ねが引き金となって、聴覚障害につながる症例については、ご存知ではなかったようです。

2006年4月にシャントトラブルがCTで確認されて、脳外科診の翌日に入院して、その2日後に手術しました。
退院後の初めて耳鼻科診で、シャントの再建術によって聴力の回復の可能性があった事を聴きました。しかし、オペ以前の3年間CTを撮り損ねているうちに、シャントトラブルを起こして、聴覚神経を圧迫しすぎている事が要因となり、回復はしませんでした。
この経験から、私と母はシャントのチェックを目的としたCTの撮影が、耳鼻科の観点からも重要である事を、水頭症を有している方とそのご家族に伝え続けています。ですが依然として、水頭症と聴覚障害との関連性への関心や認知度などは、広められていない状況でなかなか変化を感じられないままです。

就学前から英語が好きで、ひらがなより先にアルファベットを遊び感覚であっという間に覚えてしまうほどでした。
母の主導の下、色々と学習機関に連れて行ってもらっていました。私には、元々の障害の一つとして四肢機能麻痺があります。これにより、書字速度も一般に比べ遅いため、たくさん書いて覚える事は現実的ではありません。この点を、考慮しながらどこに行けばいいかを良く選んでくれて、行く先々、全部大好きになりました。

その中で今、振り返ると中学時代に1年半通った地元の個人塾が唇の動きを読み取るための基礎づくりとなりました。ここでは、外国人に通じる英語を目指して、発音の徹底を求められる厳しい授業の連続でした。
先生の唇の動きと発音を吸収して自分も発音練習したり、発音された単語を書いたりするトレーニングを徹底されて、正解した時の喜びは絶大でした。
この頃はまだまだ、読唇術という言葉すら知らない時でしたが、音声以外からも情報を得る方法を知る大きな機会となり、原点です。
更なる精度向上を求めて、2007年6月から3ヶ月間(週1回)、東京都主催の読話講習会に参加しました。

この講習で学んだことをきっかけに、それまで感覚で身につけていたもの加えて、知識を増やすことができました。そして読唇術というものは、そもそもどういうものであるのかから始まり、相手にどのような対応をしてもらう事が、読み取りやすくする事に、つながるのかなど全体が網羅されていました。さらに、コミュニケーションをする時には、もちろん、読み取る側になるばかりではありません。読み取ってもらう側になる事も、必ず想定する必要があります。その点への意識を高めるために、当事者同士がペアを組み、相手の話を読み取る事も実践しました。読唇術は、もちろん唇の動きを読み取る事によって、コミュニケーションが成立します。さらに、唇だけを見ているのではなく、舌・表情筋そして、相手の反応を見てスムーズになります。

さらに理想としては、口の動きを親指1本が入る程度にして、スペースに余裕があり可能ならば、前方斜め45度から話して頂けると格段に読みとりが行いやすくなります。そして、ここで学んだポイントが大きなヒントとなり、あくまでも内容の理解は別として、日本語・英語・中国語・韓国語の違いは、読み取れるようになりました。

この他のポイントとしては、テレビ・本・雑誌などで、様々な情報にふれて知っている言葉を増やしておくことが重要です。それから、これは私がここまで運動機能的に1人で動けない事が関係しているために、より感じやすいと認めた上で…、メールでのコミュニケーションも、語彙を増やす手段としてとても有効だと思っていて、フル活用してスマホにしてから、LINEをなくして過ごすことは、完全に不可能と感じるほどです。残念ながら、ニュースではメールの悪用事例・事件を目の当たりにする事が、ほとんどです。そのリスクについては、決して軽視できるものではないのも心得ています。その点に注意しながらも、会話をしていない場合、どのような事態に陥いる要因の一つとなる危険性も考えられないでしょうか。それは、聴覚障害自体から発生するコミュニケーション障害に加えて、さらにバリアとなる引き金となりかねないと、一種の危機感があるのです。
本レポートは、聴覚障害当事者の1人として書かせていただいておりますが、音声言語でのコミュニケーションが困難・もしくは不可能な方々は、多くいらっしゃいます。言語障害を有する場合や、気管切開またはガンなどによって声帯摘出をされた方たちです。
その中で最近、より関心を寄せられた著名人が歌手 つんくさんです。

2016年3月の報道を見て、以下の通りブログに書かせていただきました。

「被災地の子供たちとコンサート」

これは、NHK「おはよう日本」で放送された歌手 つんく♂さんが中心となって、取り組まれている活動です。

一昨年、ガンのため声帯摘出。
歌を歌うことで、パワーやハートを伝える事は出来なくなりました。

しかしこの経験が、「まだまだ音楽を関わる方法はたくさんある」と新たな発見につながったのです。

コンサートで合唱する歌の作詞。

そして、指揮者と参加して、歌詞に込めた「生きる喜び」を全身で伝えていました(o^^o)♪

コンサート後、関係者の前で話す姿もありました。

現在のコミュニケーション手段は、筆談やパソコンに書いたものを代読してもらう他、LINEも活用されています。

この姿を見て、多くの聴覚障害当事者・聞こえにくい人々・声が出しにくい人・失語症の方など…
多くの人たちに、コミュニケーションの取り方は多様であることを、伝えてくれたので嬉しく、心が温まりました☆彡

さらに、聴覚障害者には、話をする事が難しい「コミュニケーション障害」と、災害発生時には、給水や食事などの提供に関する内容をうまく知る事ができない「情報障害」があると、「音のない世界と音のある世界をつなぐ 〜ユニバーサルデザインで世界をかえたい!〜 松森果林著 -岩波ジュニア新書- 」にも、明記されていて、コミュニケーションツールは、日常的に複数を使いこなせる事が大切となります。そうすれば、突然の事に遭遇してしまった時としても、最初こそ少しずつかもしれませんが、自分らしく居られるポイントを増やすことが出来て、小さな安心を積み重ねられる、きっかけになるだろうと思います。そして、その言葉を発する時に自分だったら、どのように唇・舌・表情筋を動かしているか、知っておく事で言葉数が格段に増えて、相手との会話のキャッチボールがより長く続けられるコツになると思います。

ここまでは、読唇術をするための準備段階です。

そして、この先が本番となります。

普段、ほとんど日本語を話していますが、人の口形や話し方、そして方言などによって少しずつそれぞれ違うものです。
そのため、単に日本語である事にこだわり過ぎると、意味を理解する事ができなかったり、たまには1単語も読み取れなくなるのです。

結果として話がつながらず、頭の中で混乱し、楽しめなくなるのです。
そこを少しでも、クリアにしていくために大事なのが、多言語に触れることなのです。
私は、幼い頃から英語が好きでずっと発音重視の教育を受けさせてもらいました。中国語は、高校の選択科目としてかじっただけです。韓国語は、テレビドラマなどを眺めるだけです。
それでも、言葉にこんなにも違いがあるのかと、たくさん気づかせれてくれるほど、感じるものが多いです。
日本語は、はっきりした発音で静かに話す標準語がベースとなっています。

それでも、口形やその人が慣れ親しみ使ってきた方言によって、全く違う言語に見える事が多々あります。

それは、同居する家族であっても例外ではないと日々、感じています。

私の両親は、母は京都出身、父は埼玉出身です。

母は、口形もテキストにしたいほど読唇術に最適で、生活に困らない程度の手話も知ってくれているので、コミュニケーションはスムーズです。
手話を知ったのは、小1の時でした。きっかけは、身近に1人の聴覚障害当事者の方がいて、少しでもコミュニケーションを楽しみたくて、少しずつ覚えていきました。
成長するにつれて、声も出すのも不可能な症状を襲われる事も多くなり、自分の意思を伝達するためのツールとして、活用し始めました。指文字を母から教えてもらって以降、使う事が増えました。聴覚異常を感じた際にも、小児科医に、手話を使いながら症状を伝えようとしました。
しかし、「話せないなら手話を使うことを理解するけど、話せる状況で使うのは、話す事から逃げている。」と言われて、一瞬戸惑いました。
そこで、すかさず対応してくれたのが母でした。
手話を使いながら「私に症状を伝えなさい」と言ってくれた事に、救われました。今振り返ってみても、母に感謝する気持ちに変わりはありません。そして、症状そのものを体験する事にも、場合によって怖さを感じることも多いです。そして、症状を伝えられない事はそれ以上に不安や恐怖をよびかねないと思った事が、未だに頭から離れることはありません。
さらに、母の唇が読みやすいのは私だけではありません。
読話講習会で知り合った女性と、1度だけ話したことがあり、「初対面だけど、分かりやすい」と感想を伝えて頂いた事があります。
一方で父は、口形から言葉を読み取るのは難しい上に、一つも手話を知らないので、とにかく読唇術を行う以外の手段がない現状が変わる事なく、今に至っています。そのため、彼と話す時は、いかに少しでも聴き直さない事を意識した上で、話し方は、どの言語に近くて、多く話す言葉をとにかくインプットし続けているので、ある種の緊張状態の中にずっといるのです。

ここで、母とのコミュニケーション手段の一つとしてふれた手話について、さらにお話させていただきます。

手話は、世界共通と思われがちですが、その国によって、それぞれにあります。
ですが、単語は共通しているものは多くある事から、通じやすいようです。

以下は、「耳と脳」を読了した時にブログに掲載したものです。「日本手話と日本語対応手話」についての解説を、原文のまま紹介させていただきます。さらに、私にとって、読みやすいものがどれかについても明記しています。


ろう者による自然生成言語としての日本手話と、聴者が日本語に対応させてつくった日本語対応手話は言語的には全く別物である。
韓国手話、台湾手話、日本手話は単語において60%(諸説あり)ほど共通しており、日本手話の話者は韓国人や台湾人との手話コミュニケーションが聴者のそれに比べると難しくない。

また、日本語対応手話が日本語の文法に合わせた手や指、腕を使う手指動作だけで単語を表現するのに対して、日本手話は、視線・眉・頬・口・舌・首の傾きや振り・あごを引いたり出したりなど非手指動作も用いている。SVO型の語順の文法も用いられている。日本手話はその意味で、日本語あるいは日本語対応手話とは全く異なる体系をもつ言語である。日本手話では聴覚言語に固有といわれるプロソディ変化の表現も可能である。プロソディとは、発話において現れる音声学的性質で、その言語の一般的な書記記録からは予測されないものすべてをいいます。具体的には抑揚あるいは音調、強勢、音長、リズムなどを含むが、これらのうちで文脈によって異なりうるものを指すのであって、その言語で決まっているアクセント(高低アクセントあるいは強勢アクセント)、声調言語の声調、音長を弁別する言語における長母音・短母音の区別といった性質は含まない。
韓国手話、台湾手話、日本手話の共通性は、日本統治の影響と考える説や日本手話がろう者による自然生成言語であるために、文化的背景が同じ地域の民族で共通項があるのだとする見解など諸説がある。
人工内耳装用しても、健聴者と同等の聴力を得るわけではない(重度難聴から軽度難聴あるいは中等度難聴の状態になるだけ)。また、装用してから初めて文法体系を学習させるのは非常に不利である。聴覚口話法やキュードスピーチなどと併用して行うだけでなく、日本語対応手話の学習も併せて決して否定されるものではない。例えば、健聴の両親のもとに生まれたろう児に対して人工内耳装用までの期間、日本語対応手話を用いたコミュニケーションを積極的に行えば、あらかじめ語順(文法)を学習することができる。生活のなかでの所作・作法といったしつけ教育は作業記憶として後々に抽象的な言語(「しゃきっとする」など)を獲得していく際の手助けになるであろう。日本語対応手話の語順を学ぶことは、書記言語の学習効果もあがることが期待できる。

先ほどのキュードスピーチとは、読話の補助をするために,手指による手掛かり(キュー・サイン)を用いてコミュニケーションをする方法のこと言い、この中にもあるように、主に言語確立がまだ出来ていない方々が活用されています。
このような解説をしていただけると、当事者としてありがたいですし、自分も誰かに説明するときのテキストにしたいです(^-^)ろう者が国際交流を行う際に公式に用いるために作られた手話、「国際手話」もあります。各国の手話を元にした一種のピジン言語です。世界ろう連盟やデフリンピックをはじめとするろう者の公的な国際交流の場や、他国への旅行・交流などのより私的な場でも意思疎通を図るために用いられています。しかし、各国の手話の方がそれぞれに浸透しており、広まっていないのが現状です。

私は、日本語対応手話の方が読み取り慣れています。
読話講習会を受講していた時に、ろう者による日本手話のDVDを見たことがありますが…。
それは、手話で話されている当事者の方の話す事への集中力がずば抜けていて、早すぎて一語も読み取れなかった経験があります。
今は、手話があるニュースを見ていると話しているのが、聴者か聴覚障害当事者のかはすぐに判断できるようになっています。
聴者は、手話で話す時にも口話の時と同じように、唇を動かします。一方、聴覚障害当事者はポイントとなるところのみ唇を動かすので、ここが大きな違いとなります。


さらに、「ろうを生きる 難聴を生きる」で日本の手話の原点を知り、次の通りブログに記載しました。


「ろうを生きる 難聴を生きる」

今回は、短縮版の再放送で、日本の障害児教育の先駆者が紹介されていました。

古河太四郎は、教師でした。

人の暮らしが少しでも楽になるようにと思い、実行の最中に、書類の不備により懲役刑を受ける事に…。

この時古河は、獄舎の窓ごしに、聞こえない子どもたちがいじめられている姿を目にします。

「教育の機会さえ与えれば、この子たちの人生は変わるはずだ」。

そう感じた古河は、明治11年に京都盲唖院(のちの 京都府立盲学校と京都府立聾学校)を設立しました。

彼はまず、五十音に合わせた指文字を考案。
さらに、手話を使った教育に加えて発音の指導もしました。
さらに、京都府立聾学校に残されている史料を読み解くと、発音の方法も絵で示すことで、聴覚障害児自身が特にどのように舌を動かせばいいのか習得できるように丁寧に解説されています。

もし、彼がここまで熱心に、障害児教育に携わっていなかったら…

障害児への指導の広がりや、障害児自身の学ぶ事の喜びを日本で味わえる日は来なかったかもしれないと思い、感謝の気持ちでいっぱいになりました((#^.^#)

さらに、世界と国内の大学では、聴覚障害当事者に対しての教育体制は、次のようになっています。報道などで、特に目にする事が多いのは、こちらです。

世界では、アメリカにあるギャローデット大学。
大学内でのコミュニケーション手段はアメリカ手話(ASL)と書記英語(英語版)です。アメリカ手話は、学生、スタッフ、教職員、学長など、全ての人が習得しています。手話を知らない新入生、新採用になった教職員、他国からの留学生は新学期に備えて手話講習会に出席し、これを習得する必要があります。

国内では、筑波技術大学が聴覚障害者及び視覚障害者の特性に配慮し、学部教育全体を通じた効果的・弾力的な履修が出来るよう、指導上の配慮を図ることにより、新しい高等教育を展開しています。

皆さんも、慣れない土地に行ったり、遠方から来られた方に出会った時に、その地方の方言をネイティブのままで話されると、分からないという事は実感された事がありませんか?

「音のある世界」から「音のない世界」に入りたての頃や、または、どうしても読唇術が難しい口形の方に出会った時に、私が味わう感覚はこの現象と、とてもよく似ているのです。

英語と中国語は、発音に似ている部分がある言語です。ある程度、唇・舌・表情筋をしっかり動かさないと発音出来ないのです。
韓国語は、濃音と激音という固有の強い発声が不可欠な言語で、英語や中国語よりさらに、しっかり唇・舌・あごを動かすことで可能となるはずなのにと思うのですが…。感情を強く出していない限り、「いったい、どうしたらそんなに唇も動かさずに発音出来るのか」と、疑問に思う程なので、発音できる事に感心してしまいます。

このようなポイントを知っておくことによって、話す言語がほとんど日本語であっても「今、話している相手のこの話し方は何語に近い!」と大きな手がかりとしてフル活用し、よりコミュニケーションを楽しむことが出来るのです。

なかなか、実際に人とお会いする事が出来なくても、テレビで色々な方を目にすることで、楽しみながら自然と読唇術のトレーニングになると、日々実感しています。人の口形はそれぞれ異なりますが、必ず似たような形をしている方はいて、その形によって読唇術を行う時に、ポイントとなる所はそれぞれにあります。
ここから、皆様によりお伝えしやすくするために、「誰々のような口形の人は…」というスタイルで、例を挙げていきます。この中で多言語に向いている事もお話しますが、あくまでも読唇術の観点だけを対象とします。実際にその口形をした方がその言語をどの程度話せるかなど個別の話は、本作においてふれる事はありません。


SMAPの草なぎ剛さんのような口形の人は、唇の薄さと舌の使い方が韓国語を話す事に向いています。そのため日本語を話す際には、ほんの気持ち程度に意識して、口を開かないと言葉と言葉の境がわかりにくくなってしまいます。

SMAPの木村拓哉さんのような口形の人は、次の単語へのつながりが非常になめらかなので、英語を話す時に最適です。

SMAPの稲垣吾郎さんのような口形の人は、木村拓哉さんのような口形の人よりもさらに繊細な発音に適していて、イタリア語に向いています。

SMAPの中居正広さんのような口形のような人は、ほんの少し意識した状態で、日本語を話すとわかりやすくなります。

SMAPの香取慎吾さんのような口形の人は、少々の早口からゆっくり話す時も、常に日本語を話す事が最適です。それは、読唇術のテキストにぴったりなほどです。

嵐の大野智さんのような口形の人は、どのタイミングで見ても唇の開き方が小さいため、一言を読み取るのも極めて難しいです。

嵐の二宮和也さんのような口形の人は、大野智さんのような口形の人よりは、唇の開け方は大きいものの、言葉の区切りが分かりくく、結果的に話の理解にたどり着くことが困難な場合が多いです。

嵐の相葉雅紀さんのような口形の人は、少しだけ丁寧に話すという意識をしてもらえることで、わかりやすくなります。

嵐の松本潤さんのような口形の人は、日本語に最適な部分と、SMAPの木村拓哉さんのような口形の人と同じような英語に向いている部分を合わせ持っています。そのため、日本語を読み取っていることに対して意識過ぎない事が、ポイントとなります。

嵐の櫻井翔さんのような口形の人は、自然体なスピードで話してもらえれば、読心術に最適となります。

ものまね芸人のコロッケさんのような口形の人は、何も意識していない場合には、唇の中心部分の動きが際立つ傾向あります。ですので、1度気持ちよく口を開けて笑った後に、口を完全に閉じないうちのやや大きめに開いているタイミングでお話してもらえると、格段にわかりやすくなります。

「日本エレキテル連合」の中野聡子さんのような口形の人は、唇がかわいらしすぎるほど小さいため、言葉を読み取るには難しすぎます。

「日本エレキテル連合」の松本小雪さんのような口形の人は、自然体な話し方であれば、日本語を読み取る時には最適となります。

落語家 桂歌丸さんのような口形の人は、言葉の節目・つながりなどのポイントが掴めないので、ジェスチャーなどがサポートとなります。

落語家 三遊亭小遊三さんのような口形の人は、口の開け方が小さい時にはどうしても、読み取れない場合もあります。それでも、読み取れた部分によって分からなかった言葉を想像が出来て、話を理解する事が可能となります。

落語家 三遊亭好楽さんのような口形の人は、時には、早すぎたりすることにより、読み取れない言葉もありますが口の開け方も程よくわかりやすいです。

落語家 林家木久扇さんのような口形の人は、唇の開き方が大きければ、読み取りやすくなる言葉も増やさすこともできます。

落語家 春風亭昇太さんのような口形の人は、読み取りやすい部分とそうでないところを周期的に繰り返す傾向になりやすいため、慣れるには時間を要する事が多くなります。

落語家 林家たい平さんのような口形の人は、私の母と同じだけ読心術のテキストに最適です。


様々な例を挙げた中で、口の開け具合について少し意識してと、書かせていただきました。これは、先にもお話させて頂いた事の繰り返しなりますが、大げさなほど開けて欲しい訳ではありません。ベストな開け方としては、「あ」と発音する時に、親指1本が余裕で入る程度となります。また個人によって、異なる場合もありますが…大きすぎる声や、とてもゆっくりに話していただくのではなく、自然体なスピードで話していただく事を、希望しています。



また、2015年に出会った書籍「耳と脳 臨床聴覚コミュニケーション学試論 中川雅文著 -医歯薬出版株式会社-」に以下のように書かれています。

言語ごとに異なるパスバンドに対する感度の違いは、人種ごとに異なる頭部の大きさや耳の形状の違い、さらには住環境を含めての日常に溢れるノイズなど様々な要因が複雑に絡んで生じたものなのであろう。トマティス博士の唱えたパスバンド理論はアナログ解析装置時代のデータがベースとなっている。例えば2003年に新しく決まった等価レベルでは40phone時の音圧レベルが10kHzで5dB程度のエラーが確認されている。パスバンドの定義もデジタル時代にふさわしい再評価が必要な時期がきていて、これまで説明として使われていた周波数にエラーが含まれていた可能性があると筆者は考えている。しかし、トマティスのコンセプトそのものの秀逸性を損なうようなエラーではないことを付け加えておく。

本書には、トマティスのパスバンド理論で研究された日本語を含む8言語の好まれる周波数が言語ごとに棒グラフで以下のように示されています。パスバンドに関する解説と共にご覧下さい。

パスバンドとはその言語が多用する周波数帯のことである。例えば通勤電車の中での電車の引き起こすノイズは日本語に対してはマスカーとして作用するが、英語の場合には日本語に対するほどにはマスキングはしない。だから日本人同士で車両の左右で向かい合って会話するのはよほど大きな声を出さないとダメだが、英語ならそれほど大きな声でなくてもお互いが会話できたりする。それほど言語によって多用するあるいは重視す周波数は異なる。移住すればすぐにその現地のことばを身につけられる。そういう話はよく耳にするが、おそらく言語のもつ固有の周波数帯が形成される一番の要因として環境や建築やインフラといった要素が大きく関与しているのであろう。

日本語 200〜1500Hz
ロシア語 200〜8000Hz
ドイツ語 300〜6000Hz
中国語 500〜3000Hz
フランス語 1000〜2000Hz
イタリア語 2000〜4000Hz
英語(米国) 1000〜4000Hz
英語(英国) 2000〜12000Hz

ここを読んだ時に、聞こえないもしくは聞こえにくい人々にとって、日本語でコミュニケーションをとる事そのものが、難易度が高いと非常に納得しました。
自分の話している内容が、おかしくなっていないかは、相手の表情を見て確認しています。自分が発している声の音量は、喉元の振動によって判断しています。
私の場合は、「チェックウーマン」のおかげで、人から音量に関しては、ほとんど指摘される事はありません。会話をしている際に、「うるさい」と言われた時と、そうではない時の喉元の振動を多く記憶する事でスムーズとなっています。聞こえない私に「美声で!」と日々求められる事には、ある種のプレッシャーがありますが、小さな事でも認められるのは、うれしいものです。

ここまで、読唇術が可能であっても、どうしても得られない情報があります。それは、イントネーション。

皆さんは、例えば「橋・端・箸」を伝える時に、一瞬、考えてから発した経験はありませんか?

私は、数年前に母との会話の中で、以下の経験をしました。



「イカナカッタ論争」

ある日、スーパーの広告を渡されて、

「何が食べたい?」と聴かれ、

「イカがいい」と答えたら、

彼女はすぐに買い物に行ってくれまし
た。

そして、数時間後に夕食となりました。

食事を置き始める時に、

「イカナカッタ」と言われました。

私が、キョトンとして戸惑っていると再び

「イカナカッタ」と言われので、

「スーパーに行かなかったの?」と聴くと

「買い物に行ったから、魚がある」という返答がありました。

この瞬間、「はっ!」と、気づいて

「イカがなかったんだね?」と聴き直すと

「そう、聞こえないから、より聴き方が重要だね!ブログに書けば?」

と言われて、美味しく食べ終わった後で、しっかり書きました。

この話は、音のある世界にいるか否か以前に「言葉のアヤ」の要素が大きいと、母に言われました。ですが、どのように情報確認を取るかという事の方が、音のない世界にいる私としては、より重要と感じた実例であり、伝えやすい内容なので挙げさせて頂きました。


皆さんは、「聞く」と「聴く」を普段使い分けをされていますか?

私は、「耳と脳 臨床聴覚コミュニケーション学試論 中川雅文著 -医歯薬出版株式会社-」と出会うまでは使い分けをしていませんでした。

耳鼻科医に、進捗状況を確認してもらった際にも、

「一般の人は、あまり『聴く』に馴染みがないと思うから、『聞く』に統一した方がいいかも。」

と言われたのですが、次の通りに
書籍「耳と脳 臨床聴覚コミュニケーション学試論 中川雅文著 -医歯薬出版株式会社-」記述されているのを読んで、使い分けの重要性などを感じた経緯を説明したら、納得をして頂きました。

ブログに掲載したものです。


今、もっと印象的となったのは…「聞く」と「聴く」の違い。

本書には以下の通りに説明されています。


「聞」という文字は「門(もんがまえ)」と「(音が転じて耳と書くようになった)耳」の2つの文字から成り立っている。音波がゲートの中に入っていくようなイメージであろうか。
一方の「聴」という文字は「耳」と「十」と「目」と「心」の4つのパーツから成っている。部首である「耳」、これはこの場合、耳そのものを表している。「十」はたくさんという意味で、たくさん「目」配りして、注意を向けよという意味を含んでいる。さらに「心=脳」で受け止めよと言う意味をも内包している。「聴く」という漢字は「聞く」にはない「心で受け止め咀嚼(そしゃく)し、理解すること」という意味が含まれているのである。



私は、「聞く」は不可能だけど「聴く」は可能。

もっと、聴く事を高めなければと意識させてくれる言葉となりましたし、ずっとこの思いが深まるものである事は、確実です!

ここが心に響き、納得したその日から、「聴く」事の重要性をより意識するようになっています。
聴者であれば、「聞く」事で得られる情報も、そうではない私と同じような立場である人々にとっては、いかに「聴く」事でカバーするか、対応力が不可欠です。

先ほどの「イカナカッタ論争」は小さな事であり、ゆっくり聴く事で分かるので最終的にクリアとなります。しかし、もっと複雑だったり大切な事柄については、いつ・どのように、そして誰に、どのタイミングで確認や聴いてみるか、難しいこともあります。
そして、ここまでさまざまな事を把握していて、診察時に受けた口話テストにおいても96%の確率でできると認定されています。しかし、この立場にあっても、どうしても不可能の場合があることも、これまでに経験してきています。
その時は、早く相手に読み取れない事を伝える事こそが、会話を円滑にするための近道です。

今、お読みくださっている方々の中に、聴覚障害当事者にとってサポートしてくれる情報・アイテム・福祉サービス・パートナーについて、ご認識のあるのはどれほどでしょうか?

まず、「電話お願い手帳」については、私も偶然数年前に頂くまで知りませんでした。また、報道でも取り上げられていない様子を見ていると、おそらく広域には知られていないものと想像しています。
これはその名の通り、当事者が電話をしたいけれど音声認識が不可能だったり、聞こえづらいために自身だけでは、どうすることもできない時、誰かに助けを求めるために必須な基本的なメッセージがまとめられている手のひらサイズの手帳です。電話以外では、避難所などでアナウンスされた内容を確認する際に、ポイントをつかむ事が出来るページもあります。指で指し示すだけで、最初のアクションは起こすことができ、筆談が苦手という場合にも有効なアイテムだと思います。

次に、「目で聴くテレビ」。
この番組は、聴覚に障害のある方のための放送局です。
1995年の阪神大震災の教訓をふまえ、全日本ろうあ連盟、全日本難聴者中途失聴者団体連合会などが中心となり、98年からCS放送(通信)をスタート。
聴覚障害者自身がキャスターや
カメラマンとして番組制作に参加。
ニュースや地域の話題からスポーツ、手話学習、災害時の情報まで、手話と字幕をつけてさまざまな情報を届けてくれています。
私が見た回数はわずかですが、欲しい情報が凝縮されていて、とても最適な内容となっています。


さらに、日々の生活を支えとなる物をご紹介します。

1つは、振動時計。難聴などの聴覚障害当事者にとっては、音で時刻を知らせてくれるだけの目覚まし時計は、役に立ちません。
そこで設定時刻になったら、バイブレーション(振動)で知らせてくれる振動時計をご紹介します。
振動だけでなく、光でも知らせてくれるものや、時刻だけでなく電話の着信も知らせてくれるものなども有りますので、自分の環境や使い方に合うものを選ぶことができます。

2つ目は、光で知るチャイム。
玄関チャイムやインターホンで来客を知るのは一般家庭では当たり前のことになりましたが、耳の不自由な方にとってはそれがなかなか難しいことなのです。
音量が小さかったり少し離れた場所にいたりすると、大事な来客に気づかいというような事も往々にして起こりえます。
そんな不便を軽減してくれるのが、光で来客を教えてくれるチャイム。訪問者が玄関先の押釦を押せば、室内の本体から音とともに光が点滅して来訪者のあることと知らせてくれます。

3つ目は、聴覚障害者用通信装置
(ファックス、テレビ電話など)
一般の電話に接続することが出来、音声の代わりに文字等により通信が可能な機器であり、障がい者が容易に使用し得るものを家電量販店で既製品の中から選んで、希望の機種のお見積りを作成してもらいます。認められて限度額内であれば、公費負担により支給されます。
ただし、聴覚障害を補う目的以外の複合機などの高度な機能が付いたものは認められません。また、限度額を超えた場合には、その超えた分は自己負担となります。
先にお伝えした通り、病院との連絡を取る手段として、特に自分から発信するには、運動機能的に不可能であるため、対応可能であればメールで連絡を取っています。この他の友人・知人などに対しても、メールを連絡手段としているます。
しかし、福祉サービスを受ける時などには、全くFAXがない状態では連絡に支障があります。ですので、基本的には連絡を受けるばかりです。しかし、自分では連絡完結できない場合には、音声電話を含めて母にお願いしています。

さらに、身の危険を知らせる火災報知器は、このようなものがあります。

火災警報器シルタンちゃん
煙を感知すると、スイープ音(ピーッピーッ)で火災をお知らせするとともに、内蔵した無線送信器が電波を送信し、シルウォッチなどの受信器に迅速に火災をお知らせします。
手元の受信器の振動や光で火災を知ることができるのです。

臭気発生装置
住宅用火災報知器に連動して、音の代わりに「わさび」の臭いで危険を知らせる製品です。このわさびの香りで知らせる火災報知器の開発により、「イグノーベル賞」を受賞しました。
「イグノーベル賞」とは、1991年に創設された「人々を笑わせ、そして考えさせてくれる研究」に対して与えられるノーベル賞のパロディーです。

そして、人や物以外で聴覚障害当事者のパートナーになってくれているのが、聴導犬です。
聴導犬(ちょうどうけん)とは、聴覚障害者の生活を安全で安心できるものにするために、生活で必要な音をタッチして教え、音源に導く身体障害者補助犬のことです。
2016年4月1日現在、日本国内の聴導犬の実働数は64頭。盲導犬と比べまだまだ不足している状況である(潜在する聴導犬希望者は、1万人いるという推測があります。)
また聴導犬も、身体障害者補助犬法の適用を受けており、公共機関だけでなくてデパートやスーパー、ホテルなどでは、受け入れを拒むことは禁止されていています。しかし、残念ながら…盲導犬同様、受け入れを拒否する事例があります。
多くの待ち望んでいる方とパートナーとなれる聴導犬が、増える事を願っています。

このようにその都度、どうすれば話しやすくなる方法やツールなどを、探すのも一つの楽しい発見につながります。
そうは言っても…、目の前にいる方の声が、聞こえない事への寂しさがないと言えば、事実と大きく異って、ウソになります。
それでも、「音のない世界」を楽しんでいる事は確かであり、「音のある世界」に戻りたい願望はありません。
ここまで色々ありすぎるほど、たくさんの事を経験しています。厄介な面も多々ありますし、激痛を伴う時には、さすがにゆとりは持てるものではありせん。
それでも、ここまで症状が増えるのは、「それなりに楽しむだろう」と知られている事にあると感じています。そして、「音のない世界」への移住も「神様からのプレゼント」だと思うのです。
そして、今の世界を味わいたての頃にまず気づけたこと…
それは、「聞こえる機能がすごかったんだ!」という点でした。
人よりも、色々と小さな発見を繰り返ししていて、それを両親や周りの人も楽しんでくれていました。そして、様子を見ながら私自身も喜びをさらに多く感じてきて、自信のようなものもありました。
しかし、聞こえる機能に関しては私にとっても、
「ごく自然なものとして、捉えていたんだ」と。
それ以来、何かしらの機能が失われていく度に感謝の気持ちが、より多くなっています。

家族以外との会話の中でも、特に印象深く残っている中で、いくつか紹介させていただきます。

高校時代に担任としてお世話になった恩師たちに、卒業後も数回再会するチャンスがあり、楽しい時間を過ごせました。
初めての再会は、2004年成人の日。
3人目の担任で2年間クラスの一員として、お世話になった間柄です。彼女とは、在学中に女性の先生の中では最も話していました。学校生活に関係する事はもちろん、プライベートな部分も相当、話続ける私にいつも合わせてくれるタイプでした。そのため、先生と生徒という関係性は確かですが、そんな堅苦しいような立場はまず、考えることがほとんどありませんでした。私の様子を察しながら時に…ママ・人生の先輩・そして友人のように様々な場面で、いつも寄り添って頂きありがたかったです。
卒業してからも、たまに連絡を取り合っていたので、「今、話したらこんな感じだろうか」など想像できる状態を、自然と保つ事が出来ていました。
成人の日に彼女との再会したかった理由は、第一に、私は地元の学校に在籍した事がなく、唯一のつながりが中学時代に通った個人塾。一般の成人式に、自分が出席する姿も想像できず違和感があったので、せっかくだから自分に合っていると心から思える一日にしたいという強い希望からでした。雑音が多い中、なんとか音声電話ができて快く私の思いを聞いてくれました。
そして当日、電車で当時お住まいだったお宅の最寄り駅まで一人で行き、再会。
駅前のお店でお茶をしながら、コミュニケーションもスムーズに出来ました。
その会話の中で、
「残されている聴力は、保たれるのでは?」
と、期待の言葉をかけてもらって笑顔で返事をしました。しかし、内心では…「聞こえる状況でお会い出来るのは、もう不可能だろうから心の準備をしておこう」と思っていました。
その後、メールを中心に連絡は取り続けていたものの、じっくり会ってお話をする機会に恵まれず、月日だけが過ぎていきました。
再会を願う気持ちが高まる中、2013年7月。ついに、叶う時がやってきました。きっかけは同年5月に、私にとっての初エッセイ「ブログを書き続けるわけ」を医学雑誌に掲載させて頂いたことを、お知らせした事でした。すぐにメールを頂いて、ランチをご一緒する事になったのです。
そして、ランチの日を迎えました。
お互いの明るさは、変わりなく話は弾みました。
しかし180度、私の世界に変わった事がありました。それは、2004年からこの日までの間に、彼女は私の自宅を2回訪ねてくれていたので、すでに分かっていた事ですが…

音声からは、話を理解する事が完全に不可能になったという現実でした。

この状況にあっても、それまでたくさん話した時の雰囲気をずっと覚え続けていたこと、読唇術を身につけていた事でゆとりを持てたのです。
このヒトトキに、自信を持つことできたので他にもお礼を伝えたい先生方がいるし、エッセイの事を伝えて欲しいと伝えたら、またも喜んで引き受けてくれました。

先生達へ送って頂いたことで、手紙やメールで連絡が数人と取ることができるようになりました。まず、在学中に大変お世話になった事と、突然のエッセイを御一読頂いたことへのお礼を伝えました。

この事がきっかけとなり、10月に2番目の担任として、お世話になった恩師との再会が実現しました。
先に再会していた先生以外は、高校時代に寄り添ってくれた先生には卒業後、1人もお会いすることがなく…

10年7ヵ月という年月が経っていました。
この恩師は、先に再会した方と同様に私の様子を察して、その時々によって対応の仕方をバラエティーに富んだものにして頂き、大きなハートで支え続けてもらいました。ただ、なかなかしっかり話せないまま留年した1年間を見届けて頂き、進級決定を共に喜んでくれたところで異動された事もあり…ずっと心残りでした。ですから、やっとこの日を迎えられたことに、嬉しさと安堵感が湧いてきたことを今も忘れられません。
そして、本当に久しぶりなのにも関わらず楽しく話せて嬉しかったです。

しかし、ひとつの問題がありました。
それは、記憶していた先生の口形や話すテンポは合っていたのですが、読唇術をするには難しかったのです。このため、ほとんど私から話し続けて…この時は終わりました。この現実は、想定を大幅に超える出来事でマシンガントークのようになってしまったことに対して、申し訳なさを感じたことは未だに色濃く、脳に刻まれています。
そのような感じだったのにもかかわらず、お礼メールを送ったところ、
「また会って、今度は一杯やりましょう!」
という内容の返信を頂けて、在学中と同じように助けられて嬉しかったです。そして、今度はもっと言葉のキャッチボールを楽しみたい!!
このものすごく強い思いから、彼女と似たような話し方・口形の女性をテレビなどで見つけると、食い入るように見つめながら、2人で話す時のシーンを思い浮かべていました。でも、なかなかコツを掴む事に辿り着けず、メールのやりとりを続けながらも、時ばかりが過ぎていきました。
そして、ようやく大丈夫と思えるようになった2015年8月。
「デートの先行予約ってアリですか?」と、メールで聴いたら、快い返信を頂く事が出来ました。

そして同年10月、2年ぶりの再会ができて、学校でお世話になった先生とは、初めての女子会が実現しました。
この日も、最初からワクワクしていました。そして、注目していた読唇術もスムーズとなり、ほぼ一方的に話し続けた前回とは大きく違い、聴きたい内容も伝えられて、またひとつ小さな自信がつきました。さらに、またお会いしたい気持ちも、ためらう事なく全面に出て来ました。
これからも、形を少しずつ変える事はあるとは思いますが、お2人とのつながりを大切に、そして楽しみ続けたいです。

また、時を遡ると…まだ大幅な運動機能低下をする前に、こんな事もありました。

整形外科の病院で、順番待ちをしている時の事でした。
同じドクターに診てもらうために、待合室のベンチに座っていた初対面の男性が突然話しかけてきて…

「一人で来たの?」

「ちゃんと話せているけど、本当に聞こえないの?」

「唇の動き読み取っているの?すごいね!!」

英語も好きだと話したら…

「英語も勉強するなんて偉いね!!」

周囲の人にも広めていました(笑)

「電動車椅子のバッテリーは1回の充電で、どれくらい使えるの?」

「電動車椅子の費用はどれくらいかかるの?」


と、ほぼ質問攻めで終了しました。


そして、いざ診察へ。

そうしたらドクターからさっそく…

「さっきまで、何を話していたの? おじさんの声ばかり聞こえていたけど。」

と、聴かれて

「ほとんど、質問攻めだったよ。 私は聞こえないけど、体でおじさんの声の振動をたくさん感じて、どっちが聴覚障害者かわからなかった。」

と、答えたら

「本当に分からないね!!」

と、側にいたスタッフさんたちと大爆笑して、診察終了となりました!!





他にも、様々な事を楽しむスタイルも大きく変わったり、新たに好きになったり、じっくり味わうようになった事が増えました。

楽しみ方が変わったものの中で代表とも言いたいのが、音楽です。
聞こえていた時も、多少は歌詞を楽しむ事はしていましたが、どうしてもノリの良さなどの方が、勝っている状態だったと思います。
今は一言ずつ味わうように、じっくり読んでいます。
さらに、新たな楽しみ方が増えました。
リズムは振動によって楽しめます。さらに、キレのいいダンスを見られると、歌詞を覚えているものであれば、歌詞が出ていなかったり、歌手の口元が見えない状況でも、かなりノルことができます。

さらに、ダンスの振り付けの中に手話またはそれに近い表現が入っている曲も多くなり、より楽しみやすくなっています。

初めて、一部の振り付けが手話に近いと思ったのが、SMAP「世界に一つだけの花」です。
最初の頃は、メッセージ性の強さから純粋に、この曲そのものが大好きになりました。高校の卒業式の際に、使われていた場面を、今も頭の中で楽しく回想しています。この曲のCDが発売されたのが2003年3月。この年の8月に、聴覚異常を感じ始めた私にとっては、健聴の耳で聞くことができて、自信をもって歌えるラストソングとなりました。こんなに大好きになれる歌が、最後となったことに幸せを感じています。この曲は、今も自信もって歌い続けられているうちの1つで、心のパワーとなっています。また歌い続けられている限り、運動機能などに更なる障害が増えたとしても、明るく過ごせると思っています。
この他に記憶の範囲内では…「Not alone〜幸せになろう〜」と「Yes we are」の一部に手話または手話のような表現が入った振り付けとともに歌っていて、どちらも好きになりました。そして、これから他の歌手も含めて、どんな曲と出逢えるのだろうかと、待ち遠しい思いで胸が高鳴りました。
最近の曲の中で、他の歌手グループで印象深く残っているのは乃木坂46とAKB48です。
乃木坂46は、2015年10月にリリースされた「今、話したい誰かがいる」のミュージックビデオの中で、聴覚障害と健常者が、手話と筆談によって、少しずつコミュニケーションをとるうちに、お互いの心の壁がなくなるというストーリーを、メンバー達が演じています。この映像を見た時に、たとえたった一言だとしても、伝えられる事、それ自体が大きな喜びや次への架け橋になると思い、なんだか心がホッコリしました。
AKB48は、朝ドラの主題歌にもなった「365日の紙飛行機」で、曲の中で最もメッセージとして発信したいと思って書かれたであろう…

「人生は紙飛行機
願い乗せて飛んで行くよ
風の力の限り
ただ進むだけ
その距離を競うより
どう飛んだか どこを飛んだか
それが一番 大切なんだ
さぁ 心のままに
365日」
の部分のほぼ全体にわたって、手話を使いながら歌っているので、私も手話で一緒に歌っていてます!

歌番組以外にも、テレビで音楽を楽しめる機会がありました。見られたことがとても嬉しくて、2015年8月と2016年1月にそれぞれ、見てすぐにブログに以下の通り掲載しました。

今、タイミング良く見たら手書きで楽譜を書いたり、絵の具の色によって「目で楽しめる音楽」をベストなスタイルで届けてくれて、嬉し過ぎます!(2015年8月)

今回は、ベートーベンの「運命」。

CG画像を駆使し、音の長短・楽器の増減をグラフのような図形などを組み合わせ、「見える音楽」を楽しめました(⌒‐⌒)

昨年この番組を初めて見て、また楽しめる事を期待していたので、嬉しいです(^-^)

次は、どの曲を何を使って表現してくれるかなぁ?(2016年1月)

次に、音そのものを音として認識は不可能ですが、高低差は体の振動となって感じることができます。高いほど頭の近くで、低いほど腹部に近くなります。
この高低差を感じる方法は、人の声のポイントをつかむ時にも、活用できます。

スポーツを見ることも大好きで、よくテレビ観戦しています。
いろいろな競技を楽しんでいる中で、「聴くこと」にポイントをおくとフィギュアスケートと大相撲が大好きです。

フィギュアスケートは、記憶にある曲を使用していれば、頭の中で演奏を思い浮かべながら、選手の演技全体を楽しみます。知らない曲での演技の場合は、流れている曲から感じる振動と演技を、組合わながら世界観に浸ります。高校生ぐらいから少しずつ関心はありましたが、最初はなんとなく見ていました。それが今では、シーズン中はテレビ放送をワクワクしながら見るぐらいまでに、夢中にさせてくれるものへと、大きく変わっています。
大相撲は、子供の頃からテレビを見ていたので、自然なものとして受け止めていましたが、それほど好きではありませんでした。ところが、数年前から自分でも驚くほど好きになり、今では本場所中にブログとLINEで何かを伝えられずには、いられないほどになりました。
中でも、イチオシ力士は臥牙丸 関。
彼は、なかなか決め切れない取り組みが多くてハラハラの連続のため、正直15日間は落ち着けないのが本音です。
でも、感情を豊かに表すキャラクターが体の大きさからは、とても反比例していて、たまらなくなるのです。
負けた時は、今にも泣き崩れそうなくらいの状況で、花道を引き上げていきます。
勝った時には、満面の笑みで土俵から下がり、奥にあるモニターで自分の取り組みを確認する際も、周りの人に見て欲しくてたまらないお茶目な一面も。さらにインタビューがあると、インタビュアーから「もう、時間がありません。」と言われるまで、話が止まらず物足りない表情を浮かべることもありました。
彼の話は、口形がわかりくくて読唇術には向いていません。そのため、字幕放送のおかげで楽しむ事が出来ています。
このように、音楽や声の振動によって楽しめることは多くあります。今後も、どのように更なる深掘りができるのか、想像するだけでも笑顔がこぼれそうです。

次に、トーク番組や落語も楽しみ方が、奥深いものとなっています。
この2つも、子どもの頃から好きでよく見ていました。まずトーク番組に関しては、健聴時には分かりやすいところだけを切り取って、そのポイントとなるものがいくつか集まると、自分なりにまるでジグソーパズルを組み立てるかの要領で、ストーリーを自己完結させて満足でした。このため、うまくタイミングが合えば集中して見られていました。一方で、一旦迷路に入り込んでしまうと…脳内で空中分解を引き起こし、そこでその内容に関する思考は完全に停止していました。なので、この事態が発生中に不意に感想などを求められたら、表現をする事が出来るまでに時間がかかり過ぎて、貝になる事が多すぎていました。結果として、よく母に「それで終わり?」と、よくガッカリされたものです。
今となっては、そのような反応されてしまう事が、手に取るように理解できます。しかしその時には…
「なぜ、この状況が伝わらないのだろうか。これは私だけの感覚なのだろうか」という疑問とともに、もどかしい思いが増幅していくばかりで、悔しさが際立っていた事が思い出されます。
ところが、このような混乱が「音のない」状況で見るようになったら、信じられないほどのスピードで頭の中が、まるで霧が晴れるかのように吸収できるようなった情報量が、大幅にアップしました。その方の声が聞こえないことに関して残念な思いは間違いなく、私の心の中にあります。一方で、ここを字幕放送やテロップから分かる言葉たちを一点に見つめられるようになったり、その会場を訪れているかのような臨場感を味わえる最大のチャンスだと、自然と気づくことができるようになったのです。
この変化を得られたことで、かつての断片的程度にしか吸収出来なくて見たらそこで終わりの基本から、抜け出せる事が格段に増えたのです。こうなると、誰かに見た内容と合わせて感想を伝えたくて、そこに寄せる思いは高鳴り続けます。さらに、ブロクにも発信したいとより素直に思えるようになり、自分が書いた記事に反応が寄せられる事も、徐々にではあるものの増えて様々な角度から同時に楽しむ事が出来ています。伝える力・書く事のスキルには、まだまだ課題山積ですが…、番組そのものを楽しむ・その内容と感想を誰かに伝え、さらにブログ記事として書き続ける事の連続こそが、今の私にとってのサイクルであり、とにかく回数を経験する事が重要と考えながら、コツコツと実行中です。

そして、落語も幼い頃からよく見ているもので、成長などにより楽しみ方が変化し続けているものの1つです。
ただ、トーク番組と同様に健聴時には、まず話のテンポにいかに、ついていくかに始まり…自分が理解できる範囲内の特徴的なツボがないと、ただ、キョトンとしながらテレビ画面を見つめているだけでした。その結果、面白いと思えるところを見つける自発的な部分は大きく欠如。ただ、ひたすらなまでに、そのツボとなるものが、やってくる事を待ち続けるという完全受動的な見方をしていました。これは、特に落語という全体の情報そのものから、ほんの少しだけ切り取り、音声から理解できるところ限定して見ていたために、このような状態が発生したと考えられます。
ところが、これまた音声情報を失った事で、まるで高級昆布を噛み締めて、じっくりとその味を噛み締めるかのように、深掘りできるようになったのです。
落語に関して触れるに際して、改めて落語とは一体どういうものなのかなど、情報となるページを検索したところ…
「あー!こういう事を伝えるポイントといしている日本固有の伝統なんだ!」という事が明確になりました。
さらに、基本表現は「仕草」・「表情」・「書く」・「服装・効果音」などに至るまで、豊富である事に気づくことができました。この事によって、手話によるコミュニケーションをする時と同じように、読み取りやすいポイントが凝縮された話術芸能であるという点に、結びついたのです。
もちろん、字幕放送があればストーリーがより明確になりますが、仮になくても落語家の方の姿がはっきり見える状況であれば、聴者とともにその世界を共有できるものであり、その旨みのようなものをたとえ少しずつであっても、味わえる状況にいられている事に、改めて小さな幸せを感じています。
落語に比べると、まだまだ歴史が浅く知名度も乏しく、番組でお目にかかる事にも恵まれていないですが、手話落語もあります。
特徴としては、主な対象は聴覚障害者ですが、健常者も一緒に楽しめるようになっています。演者は手話を用い、基本的に自分では口を使いません。
目に見える形で認知度が上がらないのには、以下のような難題などがある事が、理由として思い浮かびます。
まず、手話のわからない健聴者向けに通訳が入る場合が多いことにあります。通常の落語でよく用いる語呂合わせなどの手法は取り入れるのが難しいため、もっぱら小噺をメインに据えた高座になることが多いのです。また、落語には手話にない単語が登場することも多く、その分工夫が求められる現状に加えて、取り組んでいる演者が少ない事も大きな要因となっていると想像しています。
クリアーすべき点は、山積しています。地道な作業などの繰り返しとなるとは思いますが…

「静けさの中に隠れている多くの面白さ」

を共有しやすくなる事を、願わずにはいられません。

さらに、私が生まれた頃からの歴史がある英語落語。その醍醐味は、落語を単純に訳して一つの噺とするのではなくて、どう英語で表現すれば文化も宗教も習慣も異なる人々に理解してもらえるか?、にあると思います。ですが、国は違っても、ユーモア、人の情け、失敗を笑い飛ばしてまた「顔晴ろう」(がんばろう)と思う心は共通で、それが英語落語が共感を呼ぶ理由ではないかと思います。さらに、私にとっては日本語では意味が捉えきれなかったりする部分も、納得できるきっかけとなっています。
そして、先ほどの「顔晴ろう」(がんばろう)には、顔・表情を晴れやかにできるようできる瞬間を大切にしようという、思いが込められています。
一般に使われる事が非常に多い「頑張ろう」という言葉には、抵抗感がある私も「顔晴ろう」には心が和みます。

これからも、江戸時代から伝わる落語・発展途上中の手話落語、そして海の向こう側まで渡った「RAKUGO」までそれぞれに発見などができる事を、まず、私自身に対して期待して更なる発信になればと思います。



ですが、振動も様々なものが存在します。楽しめる場合ばかりではありません。「音のない世界」にいるからこそ、聴者より感じる事が多すぎて、聞こえていれば、わずかな差とだと思える事も、過剰反応をしてしまう事もあります。

例えば、レストランで注文したものがテ
ーブルに置かれる時。これは、電動車椅子に乗っている事によって、膝とテーブルの近いことも事実ではありますが、この他にも理由があります。少しでも勢いがついている状態で置かれると、振動が大きくなるため、びっくりしてしまうのです。これは、動作を見る事で心の準備をしていても追いつかず…困ってしまいます。どうにかして、軽減できる方法があればと、ずっと願い続けています。
他には、外出時に母の運転で乗車している福祉車両のタイヤの空気圧変化を、感じることです。私は、幼い頃からずっと乗用車に乗って、数え切れないほどの通院・通学・外出を経験させてもらっていますが、2006年に「TOYOTA Noah」にして、中列の位置に電動車椅子のまま乗るようになるまでには、経験する事はありませんでした。
これは、一般の方にとっては気づかない程度のわずかな空気の減少であっても、まるでディズニー映画「アラジン」に出てくる魔法のじゅうたんに乗って、どこかに行くかのように、「フワッ」と浮き上がるような感覚があるのです。
さらに、自然現象では地震や雷に対しても、察知が早くなったり、感じ方が変わりました。
地震は、震度1でもかなり正確に感じてしまうため、まず、テレビのテロップ表示をじっと見つめて、自分の居住区または隣接区で観測された事が、確認できれば納得します。でも、表示が出ないと…納得するまでスマホで確認します。
雷は稲光を見た後、お腹を中心に下から振動を感じます。さらに、近年のは激しく数多くの和太鼓みたいな響きを一斉に感じますので、驚き方も半端なものではありません。
気象変動には、元々振り回されやすく頻繁に「不連続線」から引き起こされる症状を、経験し続けています。
「不連続線」とは、気圧変動によって様々な症状が表れる病気の一つで、その症状は人それぞれ全く異なり、頭痛・めまい・関節痛など、その人によって様々です。
そして、私の場合は低気圧に左右されて、検査で確認した事はありませんが、脳圧が上がる感覚があり、喘息・頭痛・頭重感・平地から標高が高い所などに移動した時などに経験する耳づまりが、同じ場所でおとなしくいる状態であっても、症状は出てしまいます。
さらに最もひどい時には、生きているのか心配されるほど眠り続ける事もありました。
長く付き合っていても、成人してから数年が過ぎるまでは、その都度ひたすら…その症状が通り過ぎるのを、待つばかりでした。
母は、私が幼い頃に小児科医から「障害当事者は、低気圧に弱い」と聞いていたそうです。しかし、病名はずっと知らずにいました。
そしてある時、「天気に体調が左右される事はありますか?」と耳鼻科医に質問されて、先ほどお話した内容と同様に、諸症状を説明したところ、この診断に至ったのです。
そして、徐々にポイントが分かるようになり、現在では、以前ほどは振り回されやすい状況には、なりにくくなっています。
ちなみに台風が発生したら、まだフィリピンに停滞している状況でも、影響は受け始めてしまうのです…正直、この過敏反応はいりません(笑)
近年では、天気予報の中でも「気象病」として、従来からの情報と共に、関節痛・喘息などの症状が、予想されている天気から、どの程度現れそうかをマークなどで表示している番組も、まだ一部だと思われますが…あります。
また、何気なくスマホでチェックしていたら、「頭痛ーる」というアプリを発見しました。
このアプリは、気象予報士が開発した頭痛・気象病対策No.1だそうです。
そして、頭痛や気象病の起こりそうな時間帯の確認や、痛み・服薬記録として体調管理の1つになりそうだと思い、さっそくダウンロードしました。
予想される天気は、マークで表示されていてます。そして、この気象条件から体調の変動をグラフ化し、ポイントとなりそうなところには、「注意」など一言添えられていて、すごくわかりやすいです。
こちらがこのアプリの内容ですので、よろしければご活用ください。

<このアプリでできること>
- 頭痛予測:気圧グラフとプッシュ通知で頭痛を予測
- 全国マップ:全国主要都市の気圧予報と天気予報をチェック
- 痛み&くすり記録:痛みの発生とくすりの服用をかんたんに記録
- 痛みノート:記録一覧表示で傾向をチェック


この他の大きな事柄としては、単独事故を2回経験しました。
2009年11月末の事でした。電動車椅子を自分の操作ミスにより誤作動させた結果、手動ドアに衝突しガラスを大きく割ってしまった事があります。この時は、体に感じた振動はもちろん大きかったですが、自らが引き起こしてしまった事への重大さが、第一にありました。そして、自分だけでは対応出来る範囲内ではない事を、即判断しなければならず、お店側に対してお詫びの気持ちを持ちながらも、「音のない世界」に移住して6年が経っていた当時、いかにパニックにならず相手の話を読み取ったり、両親への説明が最優先でした。なお、この事故による目視から分かるケガはありませんでしたが、ドアに衝突したことによって、「軽度外傷性脳損傷」を発症したと、後に脳外科で診断されました。これ以前からあった様々な症状の積み重ねがある上に、さらなる衝撃となったので、一気に大幅な運動機能の低下する引き金となりました。発症の翌日から、まるで麺棒で叩かれたこんにゃくのように全身に力が入らない・頸椎から腰椎にかけての広範囲にわたる激痛などに振り回られる日々が、ずり這いができるようになるまでの2ヶ月半続きました。この間は、それまで以上に介助してもらっても通院すら出来ない状態でした。不随意運動も激しく、ケータイ操作が数少ない出来る事の一つとなっていました。そのため、2005年頃から、徐々に楽しみの幅を拡げていたブログに自分の現状を投稿する事で簡素な内容にもかかわらず、少しでも私の症状の現実を把握してくださったり、小さな回復を共に喜んでもらい、外界とのつながりを強く感じられて、大きなエネルギー源となりました。

時は前後しますが…2002年、高校在学中に校内にて手動車椅子を自力で操作して、エレベーターから降りようとした際に、いつもなら自分のペースで出来ていたことが、完全にうまくいかず車椅子から落ちてしまった事があります。発生したのが授業中で、しかも学年末。普段なら、ちらほら同級生も通りかかるので、助けを求めやすくても、さすがに、この時期は進級に向けて個々に必死な事もあり、人通りも少なかったのです。助けを求められるまでの間に、「ガシャン、ガシャン」とドアに何度も挟まれたことは、音と記憶の中の映像とともに今も、はっきりと留めています。この時に聞いた音が当時の自分には強烈過ぎたことや、補装具を履いていて足自体は保護されていたものの、ドアに挟まれたことによって感覚麻痺があるのに痛みを感じたため、この日は早退しました。そのまま、いつもの小児科の病院を受診して、レントゲン検査を受けたところ…

「骨に少し傷がついたかも」という診断を受けました。
皮肉にも、この診断が高校時代の中で唯一、心因性と判断されなかった症状となりました。この事態を受けて、ドアの開閉時間を延長して頂きました。その後も登校は続けられたものの、音に対する過剰反応が、ものすごく増えてしまいました。それは、担任から各教科を担当していた先生方に対して、事情説明や大きな音や声を可能な範囲内で控えてもらえるように、お願いをしてもらなければならないほどでした。それでも、うまく教室に居られないことが多々ありすぎて、長時間保健室にいさせてもらいました。様々なご迷惑をかけ続け、いろんな人々を巻き込み、対応してもらなければならなかった現実には…今も申し訳ない気持ちがあります。ですが、その気持ちより遥かに粘り強く対応してくれたり、共にいて変化を気づき続けてくれた高校時代の仲間や恩師の方々への感謝する思いは絶大で、言葉にし切れるものではありません。

この2つの事例を比べると、「音のある世界」の時の方が私にとっては心の大パニックにつながりました。

そして高校時代の事故に関しては、これまで母そして当時、私の事を支えてくれた担任を筆頭に関係者・診察で話題にする事はあっても、公に対してお伝えする事を控えいました。
理由としては、私自身が公表するにあたり、心の準備をするために、たくさんの時間が必要だった事。そして、書く事で恩師達にどのように捉えられるかという点において、一番の不安があったからです。
しかし、本作を書くには…
「避けては通れない事実」と考えて、このような事故は、可能な限り1人も経験して欲しくないという思いは、ずっと強く持ち続けています。
そして、そう願う気持ちは私の高校生活を支えて下さった方々も、同じだと確信しています。
本気で願っているから、お伝えさせていただく必要性を思わずにはいられない。これが、公表に踏み切る決断したことのすべてです。



ここまで私の経験・体験を中心として、お話させて頂きました。

これを書き進めるにあたっては、私にとって自然となっている世界を、どう伝えたらいいのだろうかと、思う事も多くありました。そのような時には、母や友人に迷わず質問出来たことが、支えとなりました。
  • 2016.06.23 Thursday
  • 05:45

Deaf Report

「聴くこと と 聞くこと」(作業中)

私は、水頭症を合併した二分脊椎症者として、生まれました。
移動手段は、外出時は就学直前ぐらいから手動車椅子を利用。高校在学中からは、元々、手動車椅子の操作が下手だった事や、行動範囲を拡げる事を考えて、電動車椅子に切り替えています。自宅では、ぎこちないハイハイを長い間していましたが、2009年に急激な運動機能の低下をして以降は、ずり這いをしています。

学習面では、通園施設と幼稚園・保育園を経て、義務教育は身体面を重視して特別支援学校に、高校は社会生活への準備期間として一般校に在籍しました。
様々な症状を経験する事が、年齢を重ねるにつれて増加していっても、自分なりに、楽しむ日々を送っていました。予期せぬ体調不良や症状増加は、それまでも、周りの症者の方々と比較しても幼い頃から早かったので、この先もその点においては、変わりないだろうと思っていました。

ただ、聴覚を除いては…。

2003年のお盆に3ヶ月ぶりの外出で、父と暑い中、汐留に行きました。
張り切りすぎた結果、熱中症により1歳の時から通院している小児科の病院へ救急搬送。熱中症の症状が落ち着いた夕方に、聴覚異常を感じたため、すぐに症状をドクターに伝えるも…

熱中症に伴う一過性症状程度に診られて…相手にされぬまま診察終了。

19歳のこの日が訪れるまでは、健聴だったので、この先もその状況が続くものと思っていました。しかし、自覚症状が現れた数日後に聞こえた救急車のサイレンの音に同じ乗り物とは思えないほどで、左耳からはJ-POP、右耳からパンクロックを聞くぐらいの差があり、J-POPのような感覚が押し流されるほどでした。そして、このサイレンの音を聞いたその次の瞬間には…

「もう、回復どころか悪化するのは、間違いないだろう」と確信へと変わりました。
その後もまるで、その予測は「正解だよ」と言われているかのように、毎日低音から順に一つずつ消え去っていくことの連続…だんだんと左耳から入ってくる音も、右耳と変わらなくなっていったのです。
今まで、聞こえていたことに感謝した上で、別れを告げていました。

症状への理解を得る事は、困難だと判断。脳外科医に、小児科で伝えた経緯と共に説明をした結果、早期の耳鼻科受診を勧められました。
この病院では、小児科でオーダーを出してもらう事が必須なので、再度受診しました。難色を示して、相手にされなかったあの日とはまるで違い、ものすごくスムーズな対応でした。

そして2004年2月、念願だった耳鼻科の初診。この日にドクターからかけて頂いた言葉に、感動した事を今でも、鮮明に覚えています。

「私は、二分脊椎症について研究をしているけど、研究が足りなかったらゴメンね。」

それまで、多くのドクターに出会って来ましたが、このような強いメッセージを届けてくれた事はありませんでした。
聴覚症状としては、「音のある世界」にいられたものの、雑音が多すぎて「音のない世界」への移住が相当進んでいました。そのため、病院の予約・キャンセルも、元々FAXも機能的に難しいという事を伝えた上で、メール対応可能と言っていただいた場合には、ありがたくお願いするようになりました。
病院によって、対応して頂ける内容は異なります。
整形外科の病院では、診察券に「私は耳が聞こえません。」と書かれたシールを貼ってもらって使用しています。さらに、会計時に呼ばれている事にスムーズに気づけるように、手のひらサイズのバイブレーターを渡してもらえます。

このような対応をしてもらえる病院があると、小児科の病院で伝えた事があります。話を聞いて下さり、診察券のコピーまではして頂けました。しかし、その後の進展は残念ながらないままの現状です。もう、何年も経っているのですが…。

私は利用した事がありませんが、数年前から少しずつ聴覚障害者が利用しやすい通話環境がアプリなども含めて拡がりを見せています。その一つに、「電話リレーサービス」があります。このサービスは、聴覚障害者が電話を一人でかけられるように、聴覚障害者と電話のかけ先(聞こえる人)を電話リレーサービスセンターにいるオペレーターが、テレビ電話を活用して、文字や手話と音声の通訳をすることにより、電話で即時双方向につなぐサービスです。
しかし、私が利用するには向いていないと思っています。理由としては、私は家では寝たままの姿勢で過ごしています。外出時は、電動車椅子に乗っている分、手の動きにもゆとりはできます。ですが仮に、スマホを固定した状態にできたしても、体勢が不安定なので、コミュニケーションをする以前に、相手に自分の姿を見せる状態を持続する事が困難だからです。
他に調べた範囲内では、チャットを活用しているサービス団体もあるようです。
いずれにしても、いきなり本番は無理なのは想像できます。まず、体験を重ねていくことが必須です。
そのため現段階では、メールが視覚から情報が得られて、確実に連絡が取れる手段となります。そして、自分で連絡できる事に対する喜びも大きいのです。
今後、多様な連絡ツールが利用可能となる事に希望を持ちながら、技術進歩の情報にも、接し続けたいです。そして、出来ることなら、まず、当事者の1人として体験できる機会を増やして頂く事から、裾が拡がればいいなぁと強く思っています。

2006年10月 病名「 巨大水頭症の悪化による聴覚失認 または 皮質聾」という診断に至りました。ABR検査では、脳と耳から指令が出ていて正常。まだ、診断の可能性を諦めきれずにいたので、自ら希望して撮影したMRIの結果を診て、

「聴覚神経が圧迫されているため、音声認識ができない状態である」事の説明を受けました。
診断前の一時期、耳かけ型補聴器を病院からの貸し出しという形で、使用していました。しかし、振動から得られる感覚を求めすぎるあまりに音量を、常に、最大にして使用していましたが…

「これは、聴覚本来の機能も失う事になり、耳にとって負担が大きい」
というドクターからの話を聴いて、利用を中止しました。それ以降は、全く使ったことがありません。さらに、この日を迎えられるまでの間には、感音性難聴の可能性に触れられた事もあり、人工内耳の手術の話も出たことがありました。
ですが、MRI画像を見てドクターが、安堵の表情を浮かべながら…

「あの時、急いでオペをしなくて良かった。」

と話してくれた事が、今でも鮮明に脳裏に焼き付いています。
この診断を受けて、聴覚障害者としての証明と利用可能な福祉サービスをスムーズに受けるために、身体障害者手帳を更新しました。それまでの障害に加えて、「聴覚障害2級」が記載されています(手帳上では、聴力障害とされている)。私自身も手帳更新時に知りましたが、聴覚障害としては2級が最も重度となります。一般に、聴覚障害をほとんど有していると思われている「言語不明瞭」の部分がありません。むしろ、聴覚障害になってからの方が、相手に伝えたいと思う意思を強く持つことで、はっきりした発音となり、健聴の頃から知っている方にも、「今の方が聞きやすい」と言われるほどです。世間一般の考え方で見ると、障害が増える事はマイナスと捉えられる事が多くあります。確かに、障害が増えれば不自由さは多くなり、必要となる説明は長くなる一方です。
また、同じ二分脊椎症を有する方であっても、水頭症の有無によって、子どもの頃から目には見えない心の壁も感じてきたのも事実です。
具体的には、特に運動機能や学習面において、「お宅は大変そうだけど、うちはその点に問題ないから」と、はっきりと言われる事も幼い頃から良くあって、つらくなることもありました。症状が増えるにつれて、その溝は深まる一方で…同じ病名と診断された症者の中であっても、1つは、自分の身の周りの事が一通りできる運動機能的に私よりは軽度の当事者、もう1つは、自分と同程度の介助を必要とする症者といった感じに大きく2つに分かれている事を、受け止めるしかありませんでした。しかし、後に私より軽度な方々に様々な症状が発生し、慌てている姿を目にすると、先にいろいろと経験出来ていて良かったと思います。
さらに、聴覚障害診断までの数年間、他のあらゆる症状をベテランに訴えても、診断が不可能な事の連続でした。
そのため、心因性と判断される事がとても多かったのです。その事が要因となり、心に大きな雪だるまが出来るほど、積もり積もったものとなっていくばかりでした。頭では、解らない事もあると理解しつつも、どうしても納得のいかない時をずっと過ごしていました。
そのような日々が長く続いていても、症状そのものとの付き合いは、尋常でない激しいものに襲われていない限り、楽しむ事は変わっていませんでした。
しかし、さすがに診断には絶望的な気持ちが膨れ上がって、次第に…


「もう、私が生きているうちに納得のいく診断は、されないのではないか」

と、心は諦めの境地に向いてしまっていました。

そして、「ここまで、調べ尽くしてくれた上での結果だから、受け入れよう」

とMRI診断の直前は、一つの覚悟をするかのような勢いで、自分に言い聞かせるようにしていました。

ところが、聴覚障害の診断を受けられたことで、他の症状についても諦めきれずに伝えながら待つ事ができれば、心因性診断が減少して…
いつか、解明へとつなげる事ができるかもしれないと、「希望の光」を見ることが出来ました。
ドクターによれば、このケースの聴覚障害を正確に理解している耳鼻科医は、当時の時点で…世界で10人程度だと聴いて、良い出会いに恵まれた事に感謝しました。その一方で、たくさんの誤診が続いているであろう現実を想像したら、ゾッとせずには、いられませんでした。

幼い頃に、中耳炎や外耳道炎を繰り返していた影響からなのか、自然とある程度の読唇術が身についていた事がどこに行ってもほとんど困る事はなく、楽しく過ごしていました。実は、聴覚異常を本格的に感じるまで、何か問題が発生すれば、開業医の耳鼻科をその都度、受診する程度で、ずっと聴覚症状には注目することが、そもそもありませんでした。そして、脳外科医が耳鼻科受診を勧めてくれたのは、1人の二分脊椎症者の方が聴覚障害を発症した事を知っていたからでした。しかし脳外科としては、問題にならない程度の小さなシャントトラブルの積み重ねが引き金となって、聴覚障害につながる症例については、ご存知ではなかったようです。
2006年4月にシャントトラブルがCTで確認されて、脳外科診の翌日に入院して、その2日後に手術しました。
退院後の初めて耳鼻科診で、シャントの再建術によって聴力の回復の可能性があった事を聴きました。しかし、オペ以前の3年間CTを撮り損ねているうちにシャントトラブルを起こして、聴覚神経を圧迫しすぎている事が要因となり、回復はしませんでした。
この経験から、私と母はシャントのチェックを目的としたCTの撮影が、耳鼻科の観点からも重要である事を、水頭症を有している方とそのご家族に伝え続けています。ですが依然として、水頭症と聴覚障害との関連性への関心や認知度などは、広められていない状況でなかなか変化を感じられないままです。

就学前から英語が好きで、ひらがなより先にアルファベットを遊び感覚であっという間に覚えてしまうほどでした。
母の主導の下、色々と学習機関に連れて行ってもらっていました。私には、元々の障害の一つとして四肢機能麻痺があります。これにより、書字速度も一般に比べ遅いため、たくさん書いて覚える事は現実的ではありません。この点を、考慮しながらどこに行けばいいかを良く選んでくれて、行く先々、全部大好きになりました。

その中で今、振り返ると中学時代に1年半通った地元の個人塾が唇の動きを読み取るための基礎づくりとなりました。ここでは、外国人に通じる英語を目指して、発音の徹底を求められる厳しい授業の連続でした。
先生の唇の動きと発音を吸収して自分も発音練習したり、発音された単語を書いたりするトレーニングを徹底されて、正解した時の喜びは絶大でした。
この頃はまだまだ、読唇術という言葉すら知らない時でしたが、音声以外からも情報を得る方法を知る大きな機会となり、原点です。
更なる精度向上を求めて、2007年6月から3ヶ月間(週1回)、東京都主催の読話講習会に参加しました。

この講習で学んだことをきっかけに、それまで感覚で身につけていたもの加えて、知識を増やすことができました。そして読唇術というものは、そもそもどういうものであるのかから始まり、相手にどのような対応をしてもらう事が、読み取りやすくする事に、つながるのかなど全体が網羅されていました。さらに、コミュニケーションをする時には、もちろん、読み取る側になるばかりではありません。読み取ってもらう側になる事も、必ず想定する必要があります。その点への意識を高めるために、当事者同士がペアを組み、相手の話を読み取る事も実践しました。読唇術は、もちろん唇の動きを読み取る事によって、コミュニケーションが成立します。さらに、唇だけを見ているのではなく、舌・表情筋そして、相手の反応を見てスムーズになります。

さらに理想としては、口の動きを親指1本が入る程度にして、スペースに余裕があり可能ならば、前方斜め45度から話して頂けると格段に読みとりが行いやすくなります。そして、ここで学んだポイントが大きなヒントとなり、あくまでも内容の理解は別として、日本語・英語・中国語・韓国語の違いは、読み取れるようになりました。

この他のポイントとしては、テレビ・本・雑誌などで、様々な情報にふれて知っている言葉を増やしておくことが重要です。それから、これは私がここまで運動機能的に1人で動けない事が関係しているために、より感じやすいと認めた上で…、メールでのコミュニケーションも、語彙を増やす手段としてとても有効だと思っていて、フル活用してスマホにしてから、LINEをなくして過ごすことは、完全に不可能と感じるほどです。残念ながら、ニュースではメールの悪用事例・事件を目の当たりにする事が、ほとんどです。そのリスクについては、決して軽視できるものではないのも心得ています。その点に注意しながらも、会話をしていない場合、どのような事態に陥いる要因の一つとなる危険性も考えられないでしょうか。それは、聴覚障害自体から発生するコミュニケーション障害に加えて、さらにバリアとなる引き金となりかねないと、一種の危機感があるのです。
本レポートは、聴覚障害当事者の1人として書かせていただいておりますが、音声言語でのコミュニケーションが困難・もしくは不可能な方々は、多くいらっしゃいます。言語障害を有する場合や、気管切開またはガンなどによって声帯摘出をされた方たちです。
その中で最近、より関心を寄せられた著名人が歌手 つんくさんです。

2016年3月の報道を見て、以下の通りブログに書かせていただきました。

「被災地の子供たちとコンサート」

これは、NHK「おはよう日本」で放送された歌手 つんく♂さんが中心となって、取り組まれている活動です。

一昨年、ガンのため声帯摘出。
歌を歌うことで、パワーやハートを伝える事は出来なくなりました。

しかしこの経験が、「まだまだ音楽を関わる方法はたくさんある」と新たな発見につながったのです。

コンサートで合唱する歌の作詞。

そして、指揮者と参加して、歌詞に込めた「生きる喜び」を全身で伝えていました(o^^o)♪

コンサート後、関係者の前で話す姿もありました。

現在のコミュニケーション手段は、筆談やパソコンに書いたものを代読してもらう他、LINEも活用されています。

この姿を見て、多くの聴覚障害当事者・聞こえにくい人々・声が出しにくい人・失語症の方など…
多くの人たちに、コミュニケーションの取り方は多様であることを、伝えてくれたので嬉しく、心が温まりました☆彡

さらに、聴覚障害者には、話をする事が難しい「コミュニケーション障害」と、災害発生時には、給水や食事などの提供に関する内容をうまく知る事ができない「情報障害」があると、「音のない世界と音のある世界をつなぐ 〜ユニバーサルデザインで世界をかえたい!〜 松森果林著 -岩波ジュニア新書- 」にも、明記されていて、コミュニケーションツールは、日常的に複数を使いこなせる事が大切となります。そうすれば、突然の事に遭遇してしまった時としても、最初こそ少しずつかもしれませんが、自分らしく居られるポイントを増やすことが出来て、小さな安心を積み重ねられる、きっかけになるだろうと思います。そして、その言葉を発する時に自分だったら、どのように唇・舌・表情筋を動かしているか、知っておく事で言葉数が格段に増えて、相手との会話のキャッチボールがより長く続けられるコツになると思います。

ここまでは、読唇術をするための準備段階です。

そして、この先が本番となります。

普段、ほとんど日本語を話していますが、人の口形や話し方、そして方言などによって少しずつそれぞれ違うものです。
そのため、単に日本語である事にこだわり過ぎると、意味を理解する事ができなかったり、たまには1単語も読み取れなくなるのです。

結果として話がつながらず、頭の中で混乱し、楽しめなくなるのです。
そこを少しでも、クリアにしていくために大事なのが、多言語に触れることなのです。
私は、幼い頃から英語が好きでずっと発音重視の教育を受けさせてもらいました。中国語は、高校の選択科目としてかじっただけです。韓国語は、テレビドラマなどを眺めるだけです。
それでも、言葉にこんなにも違いがあるのかと、たくさん気づかせれてくれるほど、感じるものが多いです。
日本語は、はっきりした発音で静かに話す標準語がベースとなっています。

それでも、口形やその人が慣れ親しみ使ってきた方言によって、全く違う言語に見える事が多々あります。

それは、同居する家族であっても例外ではないと日々、感じています。

私の両親は、母は京都出身、父は埼玉出身です。

母は、口形もテキストにしたいほど読唇術に最適で、生活に困らない程度の手話も知ってくれているので、コミュニケーションはスムーズです。
手話を知ったのは、小1の時でした。きっかけは、身近に1人の聴覚障害当事者の方がいて、少しでもコミュニケーションを楽しみたくて、少しずつ覚えていきました。
成長するにつれて、声も出すのも不可能な症状を襲われる事も多くなり、自分の意思を伝達するためのツールとして、活用し始めました。指文字を母から教えてもらって以降、使う事が増えました。聴覚異常を感じた際にも、小児科医に、手話を使いながら症状を伝えようとしました。
しかし、「話せないなら手話を使うことを理解するけど、話せる状況で使うのは、話す事から逃げている。」と言われて、一瞬戸惑いました。
そこで、すかさず対応してくれたのが母でした。
手話を使いながら「私に症状を伝えなさい」と言ってくれた事に、救われました。今振り返ってみても、母に感謝する気持ちに変わりはありません。そして、症状そのものを体験する事にも、場合によって怖さを感じることも多いです。そして、症状を伝えられない事はそれ以上に不安や恐怖をよびかねないと思った事が、未だに頭から離れることはありません。
さらに、母の唇が読みやすいのは私だけではありません。
読話講習会で知り合った女性と、1度だけ話したことがあり、「初対面だけど、分かりやすい」と感想を伝えて頂いた事があります。
一方で父は、口形から言葉を読み取るのは難しい上に、一つも手話を知らないので、とにかく読唇術を行う以外の手段がない現状が変わる事なく、今に至っています。そのため、彼と話す時は、いかに少しでも聴き直さない事を意識した上で、話し方は、どの言語に近くて、多く話す言葉をとにかくインプットし続けているので、ある種の緊張状態の中にずっといるのです。

ここで、母とのコミュニケーション手段の一つとしてふれた手話について、さらにお話させていただきます。

手話は、世界共通と思われがちですが、その国によって、それぞれにあります。
ですが、単語は共通しているものは多くある事から、通じやすいようです。

以下は、「耳と脳」を読了した時にブログに掲載したものです。「日本手話と日本語対応手話」についての解説を、原文のまま紹介させていただきます。さらに、私にとって、読みやすいものがどれかについても明記しています。


ろう者による自然生成言語としての日本手話と、聴者が日本語に対応させてつくった日本語対応手話は言語的には全く別物である。
韓国手話、台湾手話、日本手話は単語において60%(諸説あり)ほど共通しており、日本手話の話者は韓国人や台湾人との手話コミュニケーションが聴者のそれに比べると難しくない。

また、日本語対応手話が日本語の文法に合わせた手や指、腕を使う手指動作だけで単語を表現するのに対して、日本手話は、視線・眉・頬・口・舌・首の傾きや振り・あごを引いたり出したりなど非手指動作も用いている。SVO型の語順の文法も用いられている。日本手話はその意味で、日本語あるいは日本語対応手話とは全く異なる体系をもつ言語である。日本手話では聴覚言語に固有といわれるプロソディ変化の表現も可能である。プロソディとは、発話において現れる音声学的性質で、その言語の一般的な書記記録からは予測されないものすべてをいいます。具体的には抑揚あるいは音調、強勢、音長、リズムなどを含むが、これらのうちで文脈によって異なりうるものを指すのであって、その言語で決まっているアクセント(高低アクセントあるいは強勢アクセント)、声調言語の声調、音長を弁別する言語における長母音・短母音の区別といった性質は含まない。
韓国手話、台湾手話、日本手話の共通性は、日本統治の影響と考える説や日本手話がろう者による自然生成言語であるために、文化的背景が同じ地域の民族で共通項があるのだとする見解など諸説がある。
人工内耳装用しても、健聴者と同等の聴力を得るわけではない(重度難聴から軽度難聴あるいは中等度難聴の状態になるだけ)。また、装用してから初めて文法体系を学習させるのは非常に不利である。聴覚口話法やキュードスピーチなどと併用して行うだけでなく、日本語対応手話の学習も併せて決して否定されるものではない。例えば、健聴の両親のもとに生まれたろう児に対して人工内耳装用までの期間、日本語対応手話を用いたコミュニケーションを積極的に行えば、あらかじめ語順(文法)を学習することができる。生活のなかでの所作・作法といったしつけ教育は作業記憶として後々に抽象的な言語(「しゃきっとする」など)を獲得していく際の手助けになるであろう。日本語対応手話の語順を学ぶことは、書記言語の学習効果もあがることが期待できる。

先ほどのキュードスピーチとは、読話の補助をするために,手指による手掛かり(キュー・サイン)を用いてコミュニケーションをする方法のこと言い、この中にもあるように、主に言語確立がまだ出来ていない方々が活用されています。
このような解説をしていただけると、当事者としてありがたいですし、自分も誰かに説明するときのテキストにしたいです(^-^)ろう者が国際交流を行う際に公式に用いるために作られた手話、「国際手話」もあります。各国の手話を元にした一種のピジン言語です。世界ろう連盟やデフリンピックをはじめとするろう者の公的な国際交流の場や、他国への旅行・交流などのより私的な場でも意思疎通を図るために用いられています。しかし、各国の手話の方がそれぞれに浸透しており、広まっていないのが現状です。

私は、日本語対応手話の方が読み取り慣れています。
読話講習会を受講していた時に、ろう者による日本手話のDVDを見たことがありますが…。
それは、手話で話されている当事者の方の話す事への集中力がずば抜けていて、早すぎて一語も読み取れなかった経験があります。
今は、手話があるニュースを見ていると話しているのが、聴者か聴覚障害当事者のかはすぐに判断できるようになっています。
聴者は、手話で話す時にも口話の時と同じように、唇を動かします。一方、聴覚障害当事者はポイントとなるところのみ唇を動かすので、ここが大きな違いとなります。


さらに、「ろうを生きる 難聴を生きる」で日本の手話の原点を知り、次の通りブログに記載しました。


「ろうを生きる 難聴を生きる」

今回は、短縮版の再放送で、日本の障害児教育の先駆者が紹介されていました。

古河太四郎は、教師でした。

人の暮らしが少しでも楽になるようにと思い、実行の最中に、書類の不備により懲役刑を受ける事に…。

この時古河は、獄舎の窓ごしに、聞こえない子どもたちがいじめられている姿を目にします。

「教育の機会さえ与えれば、この子たちの人生は変わるはずだ」。

そう感じた古河は、明治11年に京都盲唖院(のちの 京都府立盲学校と京都府立聾学校)を設立しました。

彼はまず、五十音に合わせた指文字を考案。
さらに、手話を使った教育に加えて発音の指導もしました。
さらに、京都府立聾学校に残されている史料を読み解くと、発音の方法も絵で示すことで、聴覚障害児自身が特にどのように舌を動かせばいいのか習得できるように丁寧に解説されています。

もし、彼がここまで熱心に、障害児教育に携わっていなかったら…

障害児への指導の広がりや、障害児自身の学ぶ事の喜びを日本で味わえる日は来なかったかもしれないと思い、感謝の気持ちでいっぱいになりました((#^.^#)

さらに、世界と国内の大学では、聴覚障害当事者に対しての教育体制は、次のようになっています。報道などで、特に目にする事が多いのは、こちらです。

世界では、アメリカにあるギャローデット大学。
大学内でのコミュニケーション手段はアメリカ手話(ASL)と書記英語(英語版)です。アメリカ手話は、学生、スタッフ、教職員、学長など、全ての人が習得しています。手話を知らない新入生、新採用になった教職員、他国からの留学生は新学期に備えて手話講習会に出席し、これを習得する必要があります。

国内では、筑波技術大学が聴覚障害者及び視覚障害者の特性に配慮し、学部教育全体を通じた効果的・弾力的な履修が出来るよう、指導上の配慮を図ることにより、新しい高等教育を展開しています。

皆さんも、慣れない土地に行ったり、遠方から来られた方に出会った時に、その地方の方言をネイティブのままで話されると、分からないという事は実感された事がありませんか?

「音のある世界」から「音のない世界」に入りたての頃や、または、どうしても読唇術が難しい口形の方に出会った時に、私が味わう感覚はこの現象と、とてもよく似ているのです。

英語と中国語は、発音に似ている部分がある言語です。ある程度、唇・舌・表情筋をしっかり動かさないと発音出来ないのです。
韓国語は、濃音と激音という固有の強い発声が不可欠な言語で、英語や中国語よりさらに、しっかり唇・舌・あごを動かすことで可能となるはずなのにと思うのですが…。感情を強く出していない限り、「いったい、どうしたらそんなに唇も動かさずに発音出来るのか」と、疑問に思う程なので、発音できる事に感心してしまいます。

このようなポイントを知っておくことによって、話す言語がほとんど日本語であっても「今、話している相手のこの話し方は何語に近い!」と大きな手がかりとしてフル活用し、よりコミュニケーションを楽しむことが出来るのです。

なかなか、実際に人とお会いする事が出来なくても、テレビで色々な方を目にすることで、楽しみながら自然と読唇術のトレーニングになると、日々実感しています。人の口形はそれぞれ異なりますが、必ず似たような形をしている方はいて、その形によって読唇術を行う時に、ポイントとなる所はそれぞれにあります。
ここから、皆様によりお伝えしやすくするために、「誰々のような口形の人は…」というスタイルで、例を挙げていきます。この中で多言語に向いている事もお話しますが、あくまでも読唇術の観点だけを対象とします。実際にその口形をした方がその言語をどの程度話せるかは、個別の話は、本作においてふれる事はありません。


SMAPの草なぎ剛さんのような口形の人は、唇の薄さと舌の使い方が韓国語を話す事に向いています。そのため日本語を話す際には、ほんの気持ち程度に意識して、口を開かないと言葉と言葉の境がわかりにくくなってしまいます。

SMAPの木村拓哉さんのような口形の人は、次の単語へのつながりが非常になめらかなので、英語を話す時に最適です。

SMAPの稲垣吾郎さんのような口形の人は、木村拓哉さんのような口形の人よりもさらに繊細な発音に適していて、イタリア語に向いています。

SMAPの中居正広さんのような口形のような人は、ほんの少し意識した状態で、日本語を話すとわかりやすくなります。

SMAPの香取慎吾さんのような口形の人は、少々の早口からゆっくり話す時も、常に日本語を話す事が最適です。それは、読唇術のテキストにぴったりなほどです。

嵐の大野智さんのような口形の人は、どのタイミングで見ても唇の開き方が小さいため、一言を読み取るのも極めて難しいです。

嵐の二宮和也さんのような口形の人は、大野智さんのような口形の人よりは、唇の開け方は大きいものの、言葉の区切りが分かりくく、結果的に話の理解にたどり着くことが困難な場合が多いです。

嵐の相葉雅紀さんのような口形の人は、少しだけ丁寧に話すという意識をしてもらえることで、わかりやすくなります。

嵐の松本潤さんのような口形の人は、日本語に最適な部分と、SMAPの木村拓哉さんのような口形の人と同じような英語に向いている部分を合わせ持っています。そのため、日本語を読み取っていることに対して意識過ぎない事が、ポイントとなります。

嵐の櫻井翔さんのような口形の人は、自然体なスピードで話してもらえれば、読心術に最適となります。

ものまね芸人のコロッケさんのような口形の人は、何も意識していない場合には、唇の中心部分の動きが際立つ傾向あります。ですので、1度気持ちよく口を開けて笑った後に、口を完全に閉じないうちのやや大きめに開いているタイミングでお話してもらえると、格段にわかりやすくなります。

「日本エレキテル連合」の中野聡子さんのような口形の人は、唇がかわいらしすぎるほど小さいため、言葉を読み取るには難しすぎます。

「日本エレキテル連合」の松本小雪さんのような口形の人は、自然体な話し方であれば、日本語を読み取る時には最適となります。

落語家 桂歌丸さんのような口形の人は、言葉の節目・つながりなどのポイントが掴めないので、ジェスチャーなどがサポートとなります。

落語家 三遊亭小遊三さんのような口形の人は、口の開け方が小さい時にはどうしても、読み取れない場合もあります。それでも、読み取れた部分によって分からなかった言葉を想像が出来て、話を理解する事が可能となります。

落語家 三遊亭好楽さんのような口形の人は、時には、早すぎたりすることにより、読み取れない言葉もありますが口の開け方も程よくわかりやすいです。

落語家 林家木久扇さんのような口形の人は、唇の開き方が大きければ、読み取りやすくなる言葉も増やさすこともできます。

落語家 春風亭昇太さんのような口形の人は、読み取りやすい部分とそうでないところを周期的に繰り返す傾向になりやすいため、慣れるには時間を要する事が多くなります。

落語家 林家たい平さんのような口形の人は、私の母と同じだけ読心術のテキストに最適です。


様々な例を挙げた中で、口の開け具合について少し意識してと、書かせていただきました。これは、先にもお話させて頂いた事の繰り返しなりますが、大げさなほど開けて欲しい訳ではありません。ベストな開け方としては、「あ」と発音する時に、親指1本が余裕で入る程度となります。また個人によって、異なる場合もありますが…大きすぎる声や、とてもゆっくりに話していただくのではなく、自然体なスピードで話していただく事を、希望しています。



また、2015年に出会った書籍「耳と脳 臨床聴覚コミュニケーション学試論 中川雅文著 -医歯薬出版株式会社-」に以下のように書かれています。

言語ごとに異なるパスバンドに対する感度の違いは、人種ごとに異なる頭部の大きさや耳の形状の違い、さらには住環境を含めての日常に溢れるノイズなど様々な要因が複雑に絡んで生じたものなのであろう。トマティス博士の唱えたパスバンド理論はアナログ解析装置時代のデータがベースとなっている。例えば2003年に新しく決まった等価レベルでは40phone時の音圧レベルが10kHzで5dB程度のエラーが確認されている。パスバンドの定義もデジタル時代にふさわしい再評価が必要な時期がきていて、これまで説明として使われていた周波数にエラーが含まれていた可能性があると筆者は考えている。しかし、トマティスのコンセプトそのものの秀逸性を損なうようなエラーではないことを付け加えておく。

本書には、トマティスのパスバンド理論で研究された日本語を含む8言語の好まれる周波数が言語ごとに棒グラフで以下のように示されています。パスバンドに関する解説と共にご覧下さい。

パスバンドとはその言語が多用する周波数帯のことである。例えば通勤電車の中での電車の引き起こすノイズは日本語に対してはマスカーとして作用するが、英語の場合には日本語に対するほどにはマスキングはしない。だから日本人同士で車両の左右で向かい合って会話するのはよほど大きな声を出さないとダメだが、英語ならそれほど大きな声でなくてもお互いが会話できたりする。それほど言語によって多用するあるいは重視す周波数は異なる。移住すればすぐにその現地のことばを身につけられる。そういう話はよく耳にするが、おそらく言語のもつ固有の周波数帯が形成される一番の要因として環境や建築やインフラといった要素が大きく関与しているのであろう。

日本語 200〜1500Hz
ロシア語 200〜8000Hz
ドイツ語 300〜6000Hz
中国語 500〜3000Hz
フランス語 1000〜2000Hz
イタリア語 2000〜4000Hz
英語(米国) 1000〜4000Hz
英語(英国) 2000〜12000Hz

ここを読んだ時に、聞こえないもしくは聞こえにくい人々にとって、日本語でコミュニケーションをとる事そのものが、難易度が高いと非常に納得しました。
自分の話している内容が、おかしくなっていないかは、相手の表情を見て確認しています。自分が発している声の音量は、喉元の振動によって判断しています。
私の場合は、「チェックウーマン」のおかげで、人から音量に関しては、ほとんど指摘される事はありません。会話をしている際に、「うるさい」と言われた時と、そうではない時の喉元の振動を多く記憶する事でスムーズとなっています。聞こえない私に「美声で!」と日々求められる事には、ある種のプレッシャーがありますが、小さな事でも認められるのは、うれしいものです。

ここまで、読唇術が可能であっても、どうしても得られない情報があります。それは、イントネーション。

皆さんは、例えば「橋・端・箸」を伝える時に、一瞬、考えてから発した経験はありませんか?

私は、数年前に母との会話の中で、以下の経験をしました。



「イカナカッタ論争」

ある日、スーパーの広告を渡されて、

「何が食べたい?」と聴かれ、

「イカがいい」と答えたら、

彼女はすぐに買い物に行ってくれまし
た。

そして、数時間後に夕食となりました。

食事を置き始める時に、

「イカナカッタ」と言われました。

私が、キョトンとして戸惑っていると再び

「イカナカッタ」と言われので、

「スーパーに行かなかったの?」と聴くと

「買い物に行ったから、魚がある」という返答がありました。

この瞬間、「はっ!」と、気づいて

「イカがなかったんだね?」と聴き直すと

「そう、聞こえないから、より聴き方が重要だね!ブログに書けば?」

と言われて、美味しく食べ終わった後で、しっかり書きました。

この話は、音のある世界にいるか否か以前に「言葉のアヤ」の要素が大きいと、母に言われました。ですが、どのように情報確認を取るかという事の方が、音のない世界にいる私としては、より重要と感じた実例であり、伝えやすい内容なので挙げさせて頂きました。


皆さんは、「聞く」と「聴く」を普段使い分けをされていますか?

私は、「耳と脳 臨床聴覚コミュニケーション学試論 中川雅文著 -医歯薬出版株式会社-」と出会うまでは使い分けをしていませんでした。

耳鼻科医に、進捗状況を確認してもらった際にも、

「一般の人は、あまり『聴く』に馴染みがないと思うから、『聞く』に統一した方がいいかも。」

と言われたのですが、次の通りに
書籍「耳と脳 臨床聴覚コミュニケーション学試論 中川雅文著 -医歯薬出版株式会社-」記述されているのを読んで、使い分けの重要性などを感じた経緯を説明したら、納得をして頂きました。

ブログに掲載したものです。


今、もっと印象的となったのは…「聞く」と「聴く」の違い。

本書には以下の通りに説明されています。


「聞」という文字は「門(もんがまえ)」と「(音が転じて耳と書くようになった)耳」の2つの文字から成り立っている。音波がゲートの中に入っていくようなイメージであろうか。一方の「聴」という文字は「耳」と「十」と「目」と「心」の4つのパーツから成っている。部首である「耳」、これはこの場合、耳そのものを表している。「十」はたくさんという意味で、たくさん「目」配りして、注意を向けよという意味を含んでいる。さらに「心=脳」で受け止めよと言う意味をも内包している。「聴く」という漢字は「聞く」にはない「心で受け止め咀嚼(そしゃく)し、理解すること」という意味が含まれているのである。



私は、「聞く」は不可能だけど「聴く」は可能。

もっと聴く事を高めなければと意識させてくれる言葉となりましたし、ずっとこの思いが深まるものである事は確実です!

ここが心に響き、納得したその日から、「聴く」事の重要性をより意識するようになっています。
聴者であれば、「聞く」事で得られる情報も、そうではない私と同じような立場である人々にとっては、いかに「聴く」事でカバーするか、対応力が不可欠です。

先ほどの「イカナカッタ論争」は小さな事であり、ゆっくり聴く事で分かるので最終的にクリアとなります。しかし、もっと複雑だったり大切な事柄については、いつ・どのように、そして誰に、どのタイミングで確認や聴いてみるか、難しいこともあります。
そして、ここまでさまざまな事を把握していて、診察時に受けた口話テストにおいても96%の確率でできると認定されています。しかし、この立場にあっても、どうしても不可能の場合があることも、これまでに経験してきています。
その時は、早く相手に読み取れない事を伝える事こそが、会話を円滑にするための近道です。

今、お読みくださっている方々の中に、聴覚障害当事者にとってサポートしてくれる情報・アイテム・福祉サービス・パートナーについて、ご認識のあるのはどれほどでしょうか?

まず、「電話お願い手帳」については、私も偶然数年前に頂くまで知りませんでした。また、報道でも取り上げられていない様子を見ていると、おそらく広域には知られていないものと想像しています。
これはその名の通り、当事者が電話をしたいけれど音声認識が不可能だったり、聞こえづらいために自身だけでは、どうすることもできない時、誰かに助けを求めるために必須な基本的なメッセージがまとめられている手のひらサイズの手帳です。電話以外では、避難所などでアナウンスされた内容を確認する際に、ポイントをつかむ事が出来るページもあります。指で指し示すだけで、最初のアクションは起こすことができ、筆談が苦手という場合にも有効なアイテムだと思います。

次に、「目で聴くテレビ」。
この番組は、聴覚に障害のある方のための放送局です。
1995年の阪神大震災の教訓をふまえ、全日本ろうあ連盟、全日本難聴者中途失聴者団体連合会などが中心となり、98年からCS放送(通信)をスタート。
聴覚障害者自身がキャスターや
カメラマンとして番組制作に参加。
ニュースや地域の話題からスポーツ、手話学習、災害時の情報まで、手話と字幕をつけてさまざまな情報を届けてくれています。
私が見た回数はわずかですが、欲しい情報が凝縮されていて、とても最適な内容となっています。


さらに、日々の生活を支えとなる物をご紹介します。

1つは、振動時計。難聴などの聴覚障害当事者にとっては、音で時刻を知らせてくれるだけの目覚まし時計は、役に立ちません。
そこで設定時刻になったら、バイブレーション(振動)で知らせてくれる振動時計をご紹介します。
振動だけでなく、光でも知らせてくれるものや、時刻だけでなく電話の着信も知らせてくれるものなども有りますので、自分の環境や使い方に合うものを選ぶことができます。

2つ目は、光で知るチャイム。
玄関チャイムやインターホンで来客を知るのは一般家庭では当たり前のことになりましたが、耳の不自由な方にとってはそれがなかなか難しいことなのです。
音量が小さかったり少し離れた場所にいたりすると、大事な来客に気づかいというような事も往々にして起こりえます。
そんな不便を軽減してくれるのが、光で来客を教えてくれるチャイム。訪問者が玄関先の押釦を押せば、室内の本体から音とともに光が点滅して来訪者のあることと知らせてくれます。

3つ目は、聴覚障害者用通信装置
(ファックス、テレビ電話など)
一般の電話に接続することが出来、音声の代わりに文字等により通信が可能な機器であり、障がい者が容易に使用し得るものを家電量販店で既製品の中から選んで、希望の機種のお見積りを作成してもらいます。認められて限度額内であれば、公費負担により支給されます。
ただし、聴覚障害を補う目的以外の複合機などの高度な機能が付いたものは認められません。また、限度額を超えた場合には、その超えた分は自己負担となります。
先にお伝えした通り、病院との連絡を取る手段として、特に自分から発信するには、運動機能的に不可能であるため、対応可能であればメールで連絡を取っています。この他の友人・知人などに対しても、メールを連絡手段としているます。
しかし、福祉サービスを受ける時などには、全くFAXがない状態では連絡に支障があります。ですので、基本的には連絡を受けるばかりです。しかし、自分では連絡完結できない場合には、音声電話を含めて母にお願いしています。

さらに、身の危険を知らせる火災報知器は、このようなものがあります。

火災警報器シルタンちゃん
煙を感知すると、スイープ音(ピーッピーッ)で火災をお知らせするとともに、内蔵した無線送信器が電波を送信し、シルウォッチなどの受信器に迅速に火災をお知らせします。
手元の受信器の振動や光で火災を知ることができるのです。

臭気発生装置
住宅用火災報知器に連動して、音の代わりに「わさび」の臭いで危険を知らせる製品です。このわさびの香りで知らせる火災報知器の開発により、「イグノーベル賞」を受賞しました。
「イグノーベル賞」とは、1991年に創設された「人々を笑わせ、そして考えさせてくれる研究」に対して与えられるノーベル賞のパロディーです。

そして、人や物以外で聴覚障害当事者のパートナーになってくれているのが、聴導犬です。
聴導犬(ちょうどうけん)とは、聴覚障害者の生活を安全で安心できるものにするために、生活で必要な音をタッチして教え、音源に導く身体障害者補助犬のことです。
2016年4月1日現在、日本国内の聴導犬の実働数は64頭。盲導犬と比べまだまだ不足している状況である(潜在する聴導犬希望者は、1万人いるという推測があります。)
また聴導犬も、身体障害者補助犬法の適用を受けており、公共機関だけでなくてデパートやスーパー、ホテルなどでは、受け入れを拒むことは禁止されていています。しかし、残念ながら…盲導犬同様、受け入れを拒否する事例があります。
多くの待ち望んでいる方とパートナーとなれる聴導犬が、増える事を願っています。

このようにその都度、どうすれば話しやすくなる方法やツールなどを、探すのも一つの楽しい発見につながります。
そうは言っても…、目の前にいる方の声が、聞こえない事への寂しさがないと言えば、事実と大きく異って、ウソになります。それでも、「音のない世界」を楽しんでいる事は確かであり、「音のある世界」に戻りたい願望はありません。
ここまで色々ありすぎるほど、たくさんの事を経験しています。厄介な面も多々ありますし激痛を伴う時には、さすがにゆとりは持てるものではありせん。それでも、ここまで症状が増えるのは、「それなりに楽しむだろう」と知られている事にあると感じています。そして、「音のない世界」への移住も、「神様からのプレゼント」だと思うのです。
そして今の世界を味わいたての頃に、まず気づけたこと…
それは、「聞こえる機能がすごかったんだ!」という点でした。
人よりも、色々発見していてそれを両親や周りの人も楽しんでくれている様子を見ながら、私自身も喜びを多く感じてきて、自信のようなものもありました。
しかし、聞こえる機能に関しては私にとっても、「ごく自然なものとして、捉えていたんだ」と。
それ以来、何かしらの機能が失われていく度に感謝の気持ちが、より多くなっています。

家族以外との会話の中でも、特に印象深く残っている中で、いくつか紹介させていただきます。

高校時代に担任としてお世話になった恩師たちに、卒業後も数回再会するチャンスがあり、楽しい時間を過ごせました。
初めての再会は、2004年成人の日。
3人目の担任で2年間クラスの一員として、お世話になった間柄です。彼女とは、在学中に女性の先生の中では最も話していました。学校生活に関係する事はもちろん、プライベートな部分も相当、話続ける私にいつも合わせてくれるタイプでした。そのため、先生と生徒という関係性は確かですが、そんな堅苦しいような立場はまず考えることがほとんどありませんでした。私の様子を察しながら時に…ママ・人生の先輩・そして友人のように様々な場面で、いつも寄り添って頂きありがたかったです。
卒業してからも、たまに連絡を取り合っていたので、「今、話したらこんな感じだろうか」など想像できる状態を、自然と保つ事が出来ていました。
成人の日に彼女との再会したかった理由は、第一に私は地元の学校に在籍した事がなく、唯一のつながりが、中学時代に通った個人塾。一般の成人式に自分が出席する姿も想像できず違和感があったので、せっかくだから自分に合っていると心から思える一日にしたいという強い希望からでした。雑音が多い中、なんとか音声電話ができて快く私の思いを聞いてくれました。
そして当日、電車で当時お住まいだったお宅の最寄り駅まで一人で行き、再会。
駅前のお店でお茶をしながら、コミュニケーションもスムーズに出来ました。
その会話の中で、「残されている聴力は、保たれるのでは?」と期待の言葉をかけてもらって、笑顔で返事をしました。しかし、内心では…「聞こえる状況でお会い出来るのは、もう不可能だろうから心の準備をしておこう」と思っていました。
その後、メールを中心に連絡は取り続けていたものの、じっくり会ってお話をする機会に恵まれず、月日だけが過ぎていきました。
再会を願う気持ちが高まる中、2013年7月。ついに、叶う時がやってきました。きっかけは、同年5月に、私にとっての初エッセイ「ブログを書き続けるわけ」を医学雑誌に掲載させて頂いたことをお知らせした事でした。すぐにメールを頂いて、ランチをご一緒する事になったのです。
そして、ランチの日を迎えました。
お互いの明るさは、変わりなく話は弾みました。
しかし180度、私の世界に変わった事がありました。それは、2004年からこの日までの間に彼女は私の自宅を2回訪ねてくれていたので、すでに分かっていた事ですが…

音声からは、話を理解する事が完全に不可能になったという現実でした。

この状況にあっても、それまでたくさん話した時の雰囲気をずっと覚え続けていたこと、読唇術を身につけていた事でゆとりを持てたのです。
このヒトトキに自信を持つことできたので、他にもお礼を伝えたい先生方がいるし、エッセイの事を伝えて欲しいと伝えたら、またも喜んで引き受けてくれました。

先生達へ送って頂いたことで、手紙やメールで連絡が数人と取ることができるようになりました。まず、在学中に大変お世話になった事と、突然のエッセイを御一読頂いたことへのお礼を伝えました。

この事がきっかけとなり、10月に2番目の担任として、お世話になった恩師との再会が実現しました。
先に再会していた先生以外は、高校時代に寄り添ってくれた先生には卒業後、1人もお会いすることがなく…

10年7ヵ月という年月が経っていました。
この恩師は、先に再会した方と同様に私の様子を察して、その時々によって対応の仕方をバラエティーに富んだものにして頂き、大きなハートで支え続けてもらいました。ただ、なかなかしっかり話せないまま留年した1年間を見届けて頂き、進級決定を共に喜んでくれたところで異動された事もあり、ずっと心残りでした。ですから、やっとこの日を迎えられたことに、嬉しさと安堵感が湧いてきたことを今も忘れられません。
そして、本当に久しぶりなのにも関わらず、楽しく話せて嬉しかったです。

しかし、ひとつの問題がありました。
それは、記憶していた先生の口形や話すテンポは合っていたのですが、読唇術をするには難しかったのです。このため、ほとんど私から話し続けて…この時は終わりました。この現実は、想定を大幅に超える出来事で、マシンガントークのようになってしまったことに対して、申し訳なさを感じたことは未だに色濃く、脳に刻まれています。
そのような感じだったのにもかかわらず、お礼メールを送ったところ、「また会って、今度は一杯やりましょう!」という内容の返信を頂けて、在学中と同じように助けられて嬉しかったです。そして、今度はもっと言葉のキャッチボールを楽しみたい!!
このものすごく強い思いから、彼女と似たような話し方・口形の女性をテレビなどで見つけると、食い入るように見つめながら、2人で話す時のシーンを思い浮かべていました。でも、なかなかコツを掴む事に辿り着けず、メールのやりとりを続けながらも、時ばかりが過ぎていきました。
そして、ようやく大丈夫と思えるようになった2015年8月。
「デートの先行予約ってアリですか?」と、メールで聴いたら、快い返信を頂く事が出来ました。

そして同年10月、2年ぶりの再会ができて、学校でお世話になった先生とは、初めての女子会が実現しました。
この日も、最初からワクワクしていました。そして、注目していた読唇術もスムーズとなり、ほぼ一方的に話し続けた前回とは大きく違い、聴きたい内容も伝えられて、またひとつ小さな自信がつきました。さらに、またお会いしたい気持ちも、ためらう事なく全面に出て来ました。
これからも、形を少しずつ変える事はあるとは思いますが、お2人とのつながりを大切に、そして楽しみ続けたいです。

また、時を遡ると…まだ大幅な運動機能低下をする前に、こんな事もありました。

整形外科の病院で、順番待ちをしている時の事でした。
同じドクターに診てもらうために、待合室のベンチに座っていた初対面の男性が突然話しかけてきて…

「一人で来たの?」

「ちゃんと話せているけど、本当に聞こえないの?」

「唇の動き読み取っているの?すごいね!!」

英語も好きだと話したら…

「英語も勉強するなんて偉いね!!」

周囲の人にも広めていました(笑)

「電動車椅子のバッテリーは1回の充電で、どれくらい使えるの?」

「電動車椅子の費用はどれくらいかかるの?」


と、ほぼ質問攻めで終了しました。


そして、いざ診察へ。

そうしたらドクターからさっそく…

「さっきまで、何を話していたの? おじさんの声ばかり聞こえていたけど。」

と、聴かれて

「ほとんど、質問攻めだったよ。 私は聞こえないけど、体でおじさんの声の振動をたくさん感じて、どっちが聴覚障害者かわからなかった。」

と、答えたら

「本当に分からないね!!」

と、側にいたスタッフさんたちと大爆笑して、診察終了となりました!!





他にも、様々な事を楽しむスタイルも大きく変わったり、新たに好きになったり、じっくり味わうようになった事が増えました。

楽しみ方が変わったものの中で代表とも言いたいのが、音楽です。
聞こえていた時も、多少は歌詞を楽しむ事はしていましたが、どうしてもノリの良さなどの方が、勝っている状態だったと思います。
今は一言ずつ味わうように、じっくり読んでいます。
さらに、新たな楽しみ方が増えました。
リズムは振動によって楽しめます。さらに、キレのいいダンスを見られると、歌詞を覚えているものであれば、歌詞が出ていなかったり、歌手の口元が見えない状況でも、かなりノルことができます。

さらに、ダンスの振り付けの中に手話またはそれに近い表現が入っている曲も多くなり、より楽しみやすくなっています。

初めて、一部の振り付けが手話に近いと思ったのが、SMAP「世界に一つだけの花」です。
最初の頃は、メッセージ性の強さから純粋に、この曲そのものが大好きになりました。高校の卒業式の際に、使われていた場面を、今も頭の中で楽しく回想しています。この曲のCDが発売されたのが2003年3月。この年の8月に、聴覚異常を感じ始めた私にとっては、健聴の耳で聞くことができて、自信をもって歌えるラストソングとなりました。こんなに大好きになれる歌が、最後となったことに幸せを感じています。この曲は、今も自信もって歌い続けられているうちの1つで、心のパワーとなっています。また歌い続けられている限り、運動機能などに更なる障害が増えたとしても、明るく過ごせると思っています。
この他に記憶の範囲内では…「Not alone〜幸せになろう〜」と「Yes we are」の一部に手話または手話のような表現が入った振り付けとともに歌っていて、どちらも好きになりました。そして、これから他の歌手も含めて、どんな曲と出逢えるのだろうかと、待ち遠しい思いで胸が高鳴りました。
最近の曲の中で、他の歌手グループで印象深く残っているのは乃木坂46とAKB48です。
乃木坂46は、2015年10月にリリースされた「今、話したい誰かがいる」のミュージックビデオの中で、聴覚障害と健常者が、手話と筆談によって、少しずつコミュニケーションをとるうちに、お互いの心の壁がなくなるというストーリーを、メンバー達が演じています。この映像を見た時に、たとえたった一言だとしても、伝えられる事、それ自体が大きな喜びや次への架け橋になると思い、なんだか心がホッコリしました。
AKB48は、朝ドラの主題歌にもなった「365日の紙飛行機」で、曲の中で最もメッセージとして発信したいと思って書かれたであろう…

「人生は紙飛行機
願い乗せて飛んで行くよ
風の力の限り
ただ進むだけ
その距離を競うより
どう飛んだか どこを飛んだか
それが一番 大切なんだ
さぁ 心のままに
365日」
の部分のほぼ全体にわたって、手話を使いながら歌っているので、私も手話で一緒に歌っていてます!

歌番組以外にも、テレビで音楽を楽しめる機会がありました。見られたことがとても嬉しくて、2015年8月と2016年1月にそれぞれ、見てすぐにブログに以下の通り掲載しました。

今、タイミング良く見たら手書きで楽譜を書いたり、絵の具の色によって「目で楽しめる音楽」をベストなスタイルで届けてくれて、嬉し過ぎます!(2015年8月)

今回は、ベートーベンの「運命」。

CG画像を駆使し、音の長短・楽器の増減をグラフのような図形などを組み合わせ、「見える音楽」を楽しめました(⌒‐⌒)

昨年この番組を初めて見て、また楽しめる事を期待していたので、嬉しいです(^-^)

次は、どの曲を何を使って表現してくれるかなぁ?(2016年1月)

次に、音そのものを音として認識は不可能ですが、高低差は体の振動となって感じることができます。高いほど頭の近くで、低いほど腹部に近くなります。
この高低差を感じる方法は、人の声のポイントをつかむ時にも、活用できます。

スポーツを見ることも大好きで、よくテレビ観戦しています。
いろいろな競技を楽しんでいる中で、「聴くこと」にポイントをおくと、フィギュアスケートと大相撲が大好きです。

フィギュアスケートは、記憶にある曲を使用していれば、頭の中で演奏を思い浮かべながら、選手の演技全体を楽しみます。知らない曲での演技の場合は、流れている曲から感じる振動と演技を、組合わながら世界観に浸ります。高校生ぐらいから少しずつ関心はありましたが、最初は、なんとなく見ていました。それが今では、シーズン中はテレビ放送をワクワクしながら見るぐらいまでに、夢中にさせてくれるものへと、大きく変わっています。
大相撲は、子供の頃からテレビを見ていたので、自然なものとして受け止めていましたが、それほど好きではありませんでした。ところが、数年前から自分でも驚くほど好きになり、今では本場所中に、ブログとLINEで何かを伝えられずにはいられないほどになりました。
中でも、イチオシ力士は臥牙丸 関。
彼は、なかなか決め切れない取り組みが多くてハラハラの連続のため、正直15日間は落ち着けないのが本音です。
でも、感情を豊かに表すキャラクターが体の大きさからは、とても反比例していて、たまらなくなるのです。
負けた時は、今にも泣き崩れそうなくらいの状況で、花道を引き上げていきます。
勝った時には、満面の笑みで土俵から下がり、奥にあるモニターで自分の取り組みを確認する際も、周りの人に見て欲しくてたまらないお茶目な一面も。さらにインタビューがあると、インタビュアーから「もう、時間がありません。」と言われるまで、話が止まらず物足りない表情を浮かべることもありました。
彼の話は、口形がわかりくくて読唇術には向いていません。そのため、字幕放送のおかげで楽しむ事が出来ています。
このように音楽や声の振動によって楽しめることは多くあります。今後も、どのように更なる深掘りができるのか、想像するだけでも笑顔がこぼれそうです。

次に、トーク番組や落語も楽しみ方が、奥深いものとなっています。
この2つも、子どもの頃から好きでよく見ていました。まずトーク番組に関しては、健聴時には分かりやすいところだけを切り取って、そのポイントとなるものがいくつか集まると、自分なりにまるでジグソーパズルを組み立てるかの要領で、ストーリーを自己完結させて満足でした。このため、うまくタイミングが合えば集中して見られていました。一方で、一旦迷路に入り込んでしまうと…脳内で空中分解を引き起こし、そこでその内容に関する思考は完全に停止していました。なので、この事態が発生中に不意に感想などを求められたら、表現をする事が出来るまでに時間がかかり過ぎて、貝になる事が多すぎていました。結果として、よく母に「それで終わり?」と、よくガッカリされたものです。今となっては、そのような反応されてしまう事が、手に取るように理解できます。しかしその時には、「なぜ、この状況が伝わらないのだろうか。これは私だけの感覚なのだろうか」という疑問とともに、もどかしい思いが増幅していくばかりで、悔しさが際立っていた事が思い出されます。
ところが、このような混乱が「音のない」状況で見るようになったら、信じられないほどのスピードで頭の中が、まるで霧が晴れるかのように吸収できるようなった情報量が、大幅にアップしました。その方の声が聞こえないことに関して残念な思いは間違いなく、私の心の中にあります。一方で、ここを字幕放送やテロップから分かる言葉たちを一点に見つめられるようになったり、その会場を訪れているかのような臨場感を味わえる最大のチャンスだと、自然と気づくことができるようになったのです。
この変化を得られたことで、かつての断片的程度にしか吸収出来なくて見たらそこで終わりの基本から、抜け出せる事が格段に増えたのです。こうなると、誰かに見た内容と合わせて感想を伝えたくて、そこに寄せる思いは高鳴り続けます。さらに、ブロクにも発信したいとより素直に思えるようになり、自分が書いた記事に反応が寄せられる事も、徐々にではあるものの増えて様々な角度から同時に楽しむ事が出来ています。伝える力・書く事のスキルには、まだまだ課題山積ですが…、番組そのものを楽しむ・その内容と感想を誰かに伝え、さらにブログ記事として書き続ける事の連続こそが、今の私にとってのサイクルであり、とにかく回数を経験する事が重要と考えながら、コツコツと実行中です。

そして、落語も幼い頃からよく見ているもので、成長などにより楽しみ方が変化し続けているものの1つです。
ただ、トーク番組と同様に健聴時には、まず、話のテンポにいかについていくかに始まり…自分が理解できる範囲内の特徴的なツボがないと、ただ、キョトンとしながらテレビ画面を見つめているだけでした。その結果、面白いと思えるところを見つける主導的な部分は大きく欠如。ただ、ひたすらなまでに、そのツボとなるものが、やってくる事を待ち続けるという完全受動的な見方をしていました。これは、特に落語という全体の情報そのものから、ほんの少しだけ切り取り、音声から理解できるところ限定して見ていたために、このような状態が発生したと考えられます。
ところが、これまた音声情報を失った事で、まるで高級昆布を噛み締めて、じっくりとその味を噛み締めるかのように、深掘りできるようになったのです。
落語に関して触れるに際して、改めて落語とは一体どういうものなのかなど、情報となるページを検索したところ…
「あー!こういう事を伝えるポイントといしている日本固有の伝統なんだ!」という事が明確になりました。
さらに、基本表現は「仕草」・「表情」・「書く」・「服装・効果音」などに至るまで、豊富である事に気づくことができました。この事によって、手話によるコミュニケーションをする時と同じように、読み取りやすいポイントが凝縮された話術芸能であるという点に結びついたのです。
もちろん、字幕放送があればストーリーがより明確になりますが、仮になくても、落語家の方の姿がはっきり見える状況であれば、聴者とともにその世界を共有できるものであり、その旨みのようなものをたとえ少しずつであっても、味わえる状況にいられている事に、改めて小さな幸せを感じています。
落語に比べると、まだまだ歴史が浅く知名度も乏しく、番組でお目にかかる事にも恵まれていないですが、手話落語もあります。
特徴としては、主な対象は聴覚障害者ですが、健常者も一緒に楽しめるようになっています。演者は手話を用い、基本的に自分では口を使いません。
目に見える形で認知度が上がらないのには、以下のような難題などがある事が、理由として思い浮かびます。
まず、手話のわからない健聴者向けに通訳が入る場合が多いことにあります。通常の落語でよく用いる語呂合わせなどの手法は取り入れるのが難しいため、もっぱら小噺をメインに据えた高座になることが多いのです。また、落語には手話にない単語が登場することも多く、その分工夫が求められる現状に加えて、取り組んでいる演者が少ない事も大きな要因となっていると想像しています。
クリアーすべき点は、山積しています。地道な作業などの繰り返しとなるとは思いますが…

「静けさの中に隠れている多くの面白さ」

を共有しやすくなる事を、願わずにはいられません。

さらに、私が生まれた頃からの歴史がある英語落語。その醍醐味は、落語を単純に訳して一つの噺とするのではなくて、どう英語で表現すれば文化も宗教も習慣も異なる人々に理解してもらえるか?、にあると思います。ですが、国は違っても、ユーモア、人の情け、失敗を笑い飛ばしてまた「顔晴ろう」(がんばろう)と思う心は共通で、それが英語落語が共感を呼ぶ理由ではないかと思います。さらに、私にとっては日本語では意味が捉えきれなかったりする部分も、納得できるきっかけとなっています。
そして、先ほどの「顔晴ろう」(がんばろう)には、顔・表情を晴れやかにできるようできる瞬間を大切にしようという、思いが込められています。
一般に使われる事が非常に多い「頑張ろう」という言葉には、抵抗感がある私も「顔晴ろう」には心が和みます。

これからも、江戸時代から伝わる落語・発展途上中の手話落語、そして海の向こう側まで渡った「RAKUGO」までそれぞれに発見などができる事を、まず、私自身に対して期待して更なる発信になればと思います。



ですが、振動も様々なものが存在します。楽しめる場合ばかりではありません。「音のない世界」にいるからこそ、聴者より感じる事が多すぎて、聞こえていれば、わずかな差とだと思える事も、過剰反応をしてしまう事もあります。

例えば、レストランで注文したものがテ
ーブルに置かれる時。これは、電動車椅子に乗っている事によって、膝とテーブルの近いことも事実ではありますが、この他にも理由があります。少しでも勢いがついている状態で置かれると、振動が大きくなるため、びっくりしてしまうのです。これは、動作を見る事で心の準備をしていても追いつかず困ってしまいます。どうにかして、軽減できる方法があればと、ずっと願い続けています。
他には、外出時に母の運転で乗車している福祉車両のタイヤの空気圧変化を、感じることです。私は、幼い頃からずっと乗用車に乗って、数え切れないほどの通院・通学・外出を経験させてもらっていますが、2006年に「TOYOTA Noah」にして、中列の位置に電動車椅子のまま乗るようになるまでには、経験する事はありませんでした。
これは、一般の方にとっては気づかない程度のわずかな空気の減少であっても、まるでディズニー映画「アラジン」に出てくる魔法のじゅうたんに乗って、どこかに行くかのように、「フワッ」と浮き上がるような感覚があるのです。
さらに、自然現象では地震や雷に対しても、察知が早くなったり、感じ方が変わりました。地震は、震度1でもかなり正確に感じてしまうため、まず、テレビのテロップ表示をじっと見つめて、自分の居住区または隣接区で観測された事が、確認できれば納得します。でも、表示が出ないと…納得するまでスマホで確認します。
雷は稲光を見た後、お腹を中心に下から振動を感じます。さらに、近年のは激しく数多くの和太鼓みたいな響きを一斉に感じますので、驚き方も半端なものではありません。
気象変動には、元々振り回されやすく頻繁に「不連続線」から引き起こされる症状を、経験し続けています。
「不連続線」とは、気圧変動によって様々な症状が表れる病気の一つで、症状は人それぞれ全く異なり、頭痛・めまい・関節痛など、その人によって様々です。
そして私の場合は、低気圧に左右されて、検査で確認した事はありませんが、脳圧が上がる感覚があり、喘息・頭痛・頭重感・平地から標高が高い所などに移動した時などに経験する耳づまりが、同じ場所でおとなしくいる状態であっても、症状は出てしまいます。さらに最もひどい時には、生きているのか心配されるほど眠り続ける事もありました。
長く付き合っていても、成人してから数年が過ぎるまでは、その都度ひたすら…その症状が通り過ぎるのを、待つばかりでした。
母は、私が幼い頃に小児科医から「障害当事者は、低気圧に弱い」と聞いていたそうです。しかし、病名はずっと知らずにいました。
そしてある時、「天気に体調が左右される事はありますか?」と耳鼻科医に質問されて、先ほどお話した内容と同様に、諸症状を説明したところ、この診断に至ったのです。
そして、徐々にポイントが分かるようになり、現在では、以前ほどは振り回されやすい状況には、なりにくくなっています。
ちなみに台風が発生したら、まだフィリピンに停滞している状況でも、影響は受け始めてしまうのです…正直、この過敏反応はいりません(笑)
近年では、天気予報の中でも「気象病」として、従来からの情報と共に、関節痛・喘息などの症状が、予想されている天気から、どの程度現れそうかをマークなどで表示している番組も、まだ一部だと思われますが…あります。
また、何気なくスマホでチェックしていたら、「頭痛ーる」というアプリを発見しました。
このアプリは、気象予報士が開発した頭痛・気象病対策No.1だそうです。
そして、頭痛や気象病の起こりそうな時間帯の確認や、痛み・服薬記録として体調管理の1つになりそうだと思い、さっそくダウンロードしました。
予想される天気は、マークで表示されていてます。そして、この気象条件から体調の変動をグラフ化し、ポイントとなりそうなところには、「注意」など一言添えられていて、すごくわかりやすいです。
こちらがこのアプリの内容ですので、よろしければご活用ください。

<このアプリでできること>
- 頭痛予測:気圧グラフとプッシュ通知で頭痛を予測
- 全国マップ:全国主要都市の気圧予報と天気予報をチェック
- 痛み&くすり記録:痛みの発生とくすりの服用をかんたんに記録
- 痛みノート:記録一覧表示で傾向をチェック


この他の大きな事柄としては、単独事故を2回経験しました。2009年11月末の事でした。電動車椅子を自分の操作ミスにより誤作動させた結果、手動ドアに衝突しガラスを大きく割ってしまった事があります。この時は、体に感じた振動はもちろん大きかったですが、自らが引き起こしてしまった事への重大さが、第一にありました。そして、自分だけでは、対応出来る範囲内ではない事を即判断しなければならず、お店側に対してお詫びの気持ちを持ちながらも、「音のない世界」に移住して6年が経っていた当時、いかにパニックにならず相手の話を読み取ったり、両親への説明が最優先でした。なお、この事故による目視から分かるケガはありませんでしたが、ドアに衝突したことによって、「軽度外傷性脳損傷」を発症したと、後に脳外科で診断されました。これ以前からあった様々な症状の積み重ねがある上に、さらなる衝撃となったので、一気に大幅な運動機能の低下する引き金となりました。発症の翌日から、まるで麺棒で叩かれたこんにゃくのように全身に力が入らない・頸椎から腰椎にかけての広範囲にわたる激痛などに振り回られる日々が、ずり這いができるようになるまでの2ヶ月半続きました。この間は、それまで以上に介助してもらっても通院すら出来ない状態でした。不随意運動も激しく、ケータイ操作が数少ない出来る事の一つとなっていました。そのため、2005年頃から、徐々に楽しみの幅を拡げていたブログに自分の現状を投稿する事で簡素な内容にもかかわらず、少しでも私の症状の現実を把握してくださったり、小さな回復を共に喜んでもらい、外界とのつながりを強く感じられて、大きなエネルギー源となりました。

時は前後しますが2002年、高校在学中に校内にて手動車椅子を自力で操作して、エレベーターから降りようとした際に、いつもなら自分のペースで出来ていたことが、完全にうまくいかず車椅子から落ちてしまった事があります。発生したのが授業中で、しかも学年末。普段なら、ちらほら同級生も通りかかるので、助けを求めやすくても、さすがに、この時期は進級に向けて個々に必死な事もあり、人通りも少なかったのです。助けを求められるまでの間に、「ガシャン、ガシャン」とドアに何度も挟まれたことは、音と記憶の中の映像とともに今もはっきりと留めています。この時に聞いた音が、当時の自分には強烈過ぎたことや、補装具を履いていて足自体は保護されていたものの、ドアに挟まれたことによって感覚麻痺があるのに痛みを感じたため、この日は早退しました。そのまま、いつもの小児科の病院を受診して、レントゲン検査を受けたところ…
「骨に少し傷がついたかも」という診断を受けました。皮肉にも、この診断が高校時代の中で唯一、心因性と判断されなかった症状となりました。この事態を受けて、ドアの開閉時間を延長して頂きました。その後も、登校は続けられたものの音に対する過剰反応が、ものすごく増えてしまいました。それは、担任から各教科を担当していた先生方に対して、事情説明や大きな音や声を可能な範囲内で控えてもらえるように、お願いをしてもらなければならないほどでした。それでも、うまく教室に居られないことが多々ありすぎて、長時間保健室にいさせてもらいました。様々なご迷惑をかけ続け、いろんな人々を巻き込み、対応してもらなければならなかった現実には…今も申し訳ない気持ちがあります。ですが、その気持ちより遥かに粘り強く対応してくれたり、共にいて変化を気づき続けてくれた高校時代の仲間や恩師の方々への感謝する思いは絶大で、言葉にし切れるものではありません。

この2つの事例を比べると、「音のある世界」の時の方が、私にとっては心の大パニックにつながりました。

そして、高校時代の事故に関しては、これまで母そして当時、私の事を支えてくれた担任を筆頭に関係者・診察で話題にする事はあっても、公に対してお伝えする事を控えいました。
理由としては、私自身が公表するにあたり、心の準備をするために、たくさんの時間が必要だった事。そして、書く事で恩師達にどのように捉えられるかという点において、一番の不安があったからです。
しかし、本作を書くには「避けては通れない事実」と考えて、このような事故は、可能な限り1人も経験して欲しくないという思いは、ずっと強く持ち続けています。そして、そう願う気持ちは私の高校生活を支えて下さった方々も、同じだと確信しています。
本気で願っているから、お伝えさせていただく必要性を思わずにはいられない。これが、公表に踏み切る決断したことのすべてです。



ここまで私の経験・体験を中心として、お話させて頂きました。

これを書き進めるにあたっては、私にとって自然となっている世界を、どう伝えたらいいのだろうかと、思う事も多くありました。そのような時には、母や友人に迷わず質問出来たことが、支えとなりました。
  • 2016.06.14 Tuesday
  • 17:00

Deaf Report

「聴くこと と 聞くこと」(加筆中)

私は、水頭症を合併した二分脊椎症者として、生まれました。
移動手段は、外出時は就学直前ぐらいから手動車椅子を利用。高校在学中からは、元々、手動車椅子の操作が下手だった事や、行動範囲を拡げる事を考えて、電動車椅子に切り替えています。自宅では、ぎこちないハイハイを長い間していましたが、2009年に急激な運動機能の低下をして以降は、ずり這いをしています。

学習面では、通園施設と幼稚園・保育園を経て、義務教育は身体面を重視して特別支援学校に、高校は社会生活への準備期間として一般校に在籍しました。
様々な症状を経験する事が、年齢を重ねるにつれて増加していっても、自分なりに、楽しむ日々を送っていました。予期せぬ体調不良や症状増加は、それまでも、周りの症者の方々と比較しても幼い頃から早かったので、この先もその点においては、変わりないだろうと思っていました。

ただ、聴覚を除いては…。

2003年のお盆に3ヶ月ぶりの外出で、父と暑い中、汐留に行きました。
張り切りすぎた結果、熱中症により1歳の時から通院している小児科の病院へ救急搬送。熱中症の症状が落ち着いた夕方に、聴覚異常を感じたため、すぐに症状をドクターに伝えるも…

熱中症に伴う一過性症状程度に診られて…相手にされぬまま診察終了。

19歳のこの日が訪れるまでは、健聴だったので、この先もその状況が続くものと思っていました。しかし、自覚症状が現れた数日後に聞こえた救急車のサイレンの音に同じ乗り物とは思えないほどで、左耳からはJ-POP、右耳からパンクロックを聞くぐらいの差があり、J-POPのような感覚が押し流されるほどでした。そして、このサイレンの音を聞いたその次の瞬間には…

「もう、回復どころか悪化するのは、間違いないだろう」と確信へと変わりました。
その後もまるで、その予測は「正解だよ」と言われているかのように、毎日低音から順に一つずつ消え去っていくことの連続…だんだんと左耳から入ってくる音も、右耳と変わらなくなっていったのです。
今まで、聞こえていたことに感謝した上で、別れを告げていました。

症状への理解を得る事は、困難だと判断。脳外科医に、小児科で伝えた経緯と共に説明をした結果、早期の耳鼻科受診を勧められました。
この病院では、小児科でオーダーを出してもらう事が必須なので、再度受診しました。難色を示して、相手にされなかったあの日とはまるで違い、ものすごくスムーズな対応でした。

そして2004年2月、念願だった耳鼻科の初診。この日にドクターからかけて頂いた言葉に、感動した事を今でも、鮮明に覚えています。

「私は、二分脊椎症について研究をしているけど、研究が足りなかったらゴメンね。」

それまで、多くのドクターに出会って来ましたが、このような強いメッセージを届けてくれた事はありませんでした。
聴覚症状としては、「音のある世界」にいられたものの、雑音が多すぎて「音のない世界」への移住が相当進んでいました。そのため、病院の予約・キャンセルも、元々FAXも機能的に難しいという事を伝えた上で、メール対応可能と言っていただいた場合には、ありがたくお願いするようになりました。
病院によって、対応して頂ける内容は異なります。
整形外科の病院では、診察券に「私は耳が聞こえません。」と書かれたシールを貼ってもらって使用しています。さらに、会計時に呼ばれている事にスムーズに気づけるように、手のひらサイズのバイブレーターを渡してもらえます。

このような対応をしてもらえる病院があると、小児科の病院で伝えた事があります。話を聞いて下さり、診察券のコピーまではして頂けました。しかし、その後の進展は残念ながらないままの現状です。もう、何年も経っているのですが…。

私は利用した事がありませんが、数年前から少しずつ聴覚障害者が利用しやすい通話環境がアプリなども含めて拡がりを見せています。その一つに、「電話リレーサービス」があります。このサービスは、聴覚障害者が電話を一人でかけられるように、聴覚障害者と電話のかけ先(聞こえる人)を電話リレーサービスセンターにいるオペレーターが、テレビ電話を活用して、文字や手話と音声の通訳をすることにより、電話で即時双方向につなぐサービスです。
しかし、私が利用するには向いていないと思っています。理由としては、私は家では寝たままの姿勢で過ごしています。外出時は、電動車椅子に乗っている分、手の動きにもゆとりはできます。ですが仮に、スマホを固定した状態にできたしても、体勢が不安定なので、コミュニケーションをする以前に、相手に自分の姿を見せる状態を持続する事が困難だからです。
他に調べた範囲内では、チャットを活用しているサービス団体もあるようです。
いずれにしても、いきなり本番は無理なのは想像できます。まず、体験を重ねていくことが必須です。
そのため現段階では、メールが視覚から情報が得られて、確実に連絡が取れる手段となります。そして、自分で連絡できる事に対する喜びも大きいのです。
今後、多様な連絡ツールが利用可能となる事に希望を持ちながら、技術進歩の情報にも、接し続けたいです。そして、出来ることなら、まず、当事者の1人として体験できる機会を増やして頂く事から、裾が拡がればいいなぁと強く思っています。

2006年10月 病名「 巨大水頭症の悪化による聴覚失認 または 皮質聾」という診断に至りました。ABR検査では、脳と耳から指令が出ていて正常。まだ、診断の可能性を諦めきれずにいたので、自ら希望して撮影したMRIの結果を診て、

「聴覚神経が圧迫されているため、音声認識ができない状態である」事の説明を受けました。
診断前の一時期、耳かけ型補聴器を病院からの貸し出しという形で、使用していました。しかし、振動から得られる感覚を求めすぎるあまりに音量を、常に、最大にして使用していましたが…

「これは、聴覚本来の機能も失う事になり、耳にとって負担が大きい」
というドクターからの話を聴いて、利用を中止しました。それ以降は、全く使ったことがありません。さらに、この日を迎えられるまでの間には、感音性難聴の可能性に触れられた事もあり、人工内耳の手術の話も出たことがありました。
ですが、MRI画像を見てドクターが、安堵の表情を浮かべながら…

「あの時、急いでオペをしなくて良かった。」

と話してくれた事が、今でも鮮明に脳裏に焼き付いています。
この診断を受けて、聴覚障害者としての証明と利用可能な福祉サービスをスムーズに受けるために、身体障害者手帳を更新しました。それまでの障害に加えて、「聴覚障害2級」が記載されています(手帳上では、聴力障害とされている)。私自身も手帳更新時に知りましたが、聴覚障害としては2級が最も重度となります。一般に、聴覚障害をほとんど有していると思われている「言語不明瞭」の部分がありません。むしろ、聴覚障害になってからの方が、相手に伝えたいと思う意思を強く持つことで、はっきりした発音となり、健聴の頃から知っている方にも、「今の方が聞きやすい」と言われるほどです。世間一般の考え方で見ると、障害が増える事はマイナスと捉えられる事が多くあります。確かに、障害が増えれば不自由さは多くなり、必要となる説明は長くなる一方です。
また、同じ二分脊椎症を有する方であっても、水頭症の有無によって、子どもの頃から目には見えない心の壁も感じてきたのも事実です。
具体的には、特に運動機能や学習面において、「お宅は大変そうだけど、うちはその点に問題ないから」と、はっきりと言われる事も幼い頃から良くあって、つらくなることもありました。症状が増えるにつれて、その溝は深まる一方で…同じ病名と診断された症者の中であっても、1つは、自分の身の周りの事が一通りできる運動機能的に私よりは軽度の当事者、もう1つは、自分と同程度の介助を必要とする症者といった感じに大きく2つに分かれている事を、受け止めるしかありませんでした。しかし、後に私より軽度な方々に様々な症状が発生し、慌てている姿を目にすると、先にいろいろと経験出来ていて良かったと思います。
さらに、聴覚障害診断までの数年間、他のあらゆる症状をベテランに訴えても、診断が不可能な事の連続でした。
そのため、心因性と判断される事がとても多かったのです。その事が要因となり、心に大きな雪だるまが出来るほど、積もり積もったものとなっていくばかりでした。頭では、解らない事もあると理解しつつも、どうしても納得のいかない時をずっと過ごしていました。
そのような日々が長く続いていても、症状そのものとの付き合いは、尋常でない激しいものに襲われていない限り、楽しむ事は変わっていませんでした。
しかし、さすがに診断には絶望的な気持ちが膨れ上がって、次第に…


「もう、私が生きているうちに納得のいく診断は、されないのではないか」

と、心は諦めの境地に向いてしまっていました。

そして、「ここまで、調べ尽くしてくれた上での結果だから、受け入れよう」

とMRI診断の直前は、一つの覚悟をするかのような勢いで、自分に言い聞かせるようにしていました。

ところが、聴覚障害の診断を受けられたことで、他の症状についても諦めきれずに伝えながら待つ事ができれば、心因性診断が減少して…
いつか、解明へとつなげる事ができるかもしれないと、「希望の光」を見ることが出来ました。
ドクターによれば、このケースの聴覚障害を正確に理解している耳鼻科医は、当時の時点で…世界で10人程度だと聴いて、良い出会いに恵まれた事に感謝しました。その一方で、たくさんの誤診が続いているであろう現実を想像したら、ゾッとせずには、いられませんでした。

幼い頃に、中耳炎や外耳道炎を繰り返していた影響からなのか、自然とある程度の読唇術が身についていた事がどこに行ってもほとんど困る事はなく、楽しく過ごしていました。実は、聴覚異常を本格的に感じるまで、何か問題が発生すれば、開業医の耳鼻科をその都度、受診する程度で、ずっと聴覚症状には注目することが、そもそもありませんでした。そして、脳外科医が耳鼻科受診を勧めてくれたのは、1人の二分脊椎症者の方が聴覚障害を発症した事を知っていたからでした。しかし脳外科としては、問題にならない程度の小さなシャントトラブルの積み重ねが引き金となって、聴覚障害につながる症例については、ご存知ではなかったようです。
2006年4月にシャントトラブルがCTで確認されて、脳外科診の翌日に入院して、その2日後に手術しました。
退院後の初めて耳鼻科診で、シャントの再建術によって聴力の回復の可能性があった事を聴きました。しかし、オペ以前の3年間CTを撮り損ねているうちにシャントトラブルを起こして、聴覚神経を圧迫しすぎている事が要因となり、回復はしませんでした。
この経験から、私と母はシャントのチェックを目的としたCTの撮影が、耳鼻科の観点からも重要である事を、水頭症を有している方とそのご家族に伝え続けています。ですが依然として、水頭症と聴覚障害との関連性への関心や認知度などは、広められていない状況でなかなか変化を感じられないままです。

就学前から英語が好きで、ひらがなより先にアルファベットを遊び感覚であっという間に覚えてしまうほどでした。
母の主導の下、色々と学習機関に連れて行ってもらっていました。私には、元々の障害の一つとして四肢機能麻痺があります。これにより、書字速度も一般に比べ遅いため、たくさん書いて覚える事は現実的ではありません。この点を、考慮しながらどこに行けばいいかを良く選んでくれて、行く先々、全部大好きになりました。

その中で今、振り返ると中学時代に1年半通った地元の個人塾が唇の動きを読み取るための基礎づくりとなりました。ここでは、外国人に通じる英語を目指して、発音の徹底を求められる厳しい授業の連続でした。
先生の唇の動きと発音を吸収して自分も発音練習したり、発音された単語を書いたりするトレーニングを徹底されて、正解した時の喜びは絶大でした。
この頃はまだまだ、読唇術という言葉すら知らない時でしたが、音声以外からも情報を得る方法を知る大きな機会となり、原点です。
更なる精度向上を求めて、2007年6月から3ヶ月間(週1回)、東京都主催の読話講習会に参加しました。

この講習で学んだことをきっかけに、それまで感覚で身につけていたもの加えて、知識を増やすことができました。そして読唇術というものは、そもそもどういうものであるのかから始まり、相手にどのような対応をしてもらう事が、読み取りやすくする事に、つながるのかなど全体が網羅されていました。さらに、コミュニケーションをする時には、もちろん、読み取る側になるばかりではありません。読み取ってもらう側になる事も、必ず想定する必要があります。その点への意識を高めるために、当事者同士がペアを組み、相手の話を読み取る事も実践しました。読唇術は、もちろん唇の動きを読み取る事によって、コミュニケーションが成立します。さらに、唇だけを見ているのではなく、舌・表情筋そして、相手の反応を見てスムーズになります。

さらに理想としては、口の動きを親指1本が入る程度にして、スペースに余裕があり可能ならば、前方斜め45度から話して頂けると格段に読みとりが行いやすくなります。そして、ここで学んだポイントが大きなヒントとなり、あくまでも内容の理解は別として、日本語・英語・中国語・韓国語の違いは、読み取れるようになりました。

この他のポイントとしては、テレビ・本・雑誌などで、様々な情報にふれて知っている言葉を増やしておくことが重要です。それから、これは私がここまで運動機能的に1人で動けない事が関係しているために、より感じやすいと認めた上で…、メールでのコミュニケーションも、語彙を増やす手段としてとても有効だと思っていて、フル活用してスマホにしてから、LINEをなくして過ごすことは、完全に不可能と感じるほどです。残念ながら、ニュースではメールの悪用事例・事件を目の当たりにする事が、ほとんどです。そのリスクについては、決して軽視できるものではないのも心得ています。その点に注意しながらも、会話をしていない場合、どのような事態に陥いる要因の一つとなる危険性も考えられないでしょうか。それは、聴覚障害自体から発生するコミュニケーション障害に加えて、さらにバリアとなる引き金となりかねないと、一種の危機感があるのです。
本レポートは、聴覚障害当事者の1人として書かせていただいておりますが、音声言語でのコミュニケーションが困難・もしくは不可能な方々は、多くいらっしゃいます。言語障害を有する場合や、気管切開またはガンなどによって声帯摘出をされた方たちです。
その中で最近、より関心を寄せられた著名人が歌手 つんくさんです。

2016年3月の報道を見て、以下の通りブログに書かせていただきました。

「被災地の子供たちとコンサート」

これは、NHK「おはよう日本」で放送された歌手 つんく♂さんが中心となって、取り組まれている活動です。

一昨年、ガンのため声帯摘出。
歌を歌うことで、パワーやハートを伝える事は出来なくなりました。

しかしこの経験が、「まだまだ音楽を関わる方法はたくさんある」と新たな発見につながったのです。

コンサートで合唱する歌の作詞。

そして、指揮者と参加して、歌詞に込めた「生きる喜び」を全身で伝えていました(o^^o)♪

コンサート後、関係者の前で話す姿もありました。

現在のコミュニケーション手段は、筆談やパソコンに書いたものを代読してもらう他、LINEも活用されています。

この姿を見て、多くの聴覚障害当事者・聞こえにくい人々・声が出しにくい人・失語症の方など…
多くの人たちに、コミュニケーションの取り方は多様であることを、伝えてくれたので嬉しく、心が温まりました☆彡

さらに、聴覚障害者には、話をする事が難しい「コミュニケーション障害」と、災害発生時には、給水や食事などの提供に関する内容をうまく知る事ができない「情報障害」があると、「音のない世界と音のある世界をつなぐ 〜ユニバーサルデザインで世界をかえたい!〜 松森果林著 -岩波ジュニア新書- 」にも、明記されていて、コミュニケーションツールは、日常的に複数を使いこなせる事が大切となります。そうすれば、突然の事に遭遇してしまった時としても、最初こそ少しずつかもしれませんが、自分らしく居られるポイントを増やすことが出来て、小さな安心を積み重ねられる、きっかけになるだろうと思います。そして、その言葉を発する時に自分だったら、どのように唇・舌・表情筋を動かしているか、知っておく事で言葉数が格段に増えて、相手との会話のキャッチボールがより長く続けられるコツになると思います。

ここまでは、読唇術をするための準備段階です。

そして、この先が本番となります。

普段、ほとんど日本語を話していますが、人の口形や話し方、そして方言などによって少しずつそれぞれ違うものです。
そのため、単に日本語である事にこだわり過ぎると、意味を理解する事ができなかったり、たまには1単語も読み取れなくなるのです。

結果として話がつながらず、頭の中で混乱し、楽しめなくなるのです。
そこを少しでも、クリアにしていくために大事なのが、多言語に触れることなのです。
私は、幼い頃から英語が好きでずっと発音重視の教育を受けさせてもらいました。中国語は、高校の選択科目としてかじっただけです。韓国語は、テレビドラマなどを眺めるだけです。
それでも、言葉にこんなにも違いがあるのかと、たくさん気づかせれてくれるほど、感じるものが多いです。
日本語は、はっきりした発音で静かに話す標準語がベースとなっています。

それでも、口形やその人が慣れ親しみ使ってきた方言によって、全く違う言語に見える事が多々あります。

それは、同居する家族であっても例外ではないと日々、感じています。

私の両親は、母は京都出身、父は埼玉出身です。

母は、口形もテキストにしたいほど読唇術に最適で、生活に困らない程度の手話も知ってくれているので、コミュニケーションはスムーズです。
手話を知ったのは、小1の時でした。きっかけは、身近に1人の聴覚障害当事者の方がいて、少しでもコミュニケーションを楽しみたくて、少しずつ覚えていきました。
成長するにつれて、声も出すのも不可能な症状を襲われる事も多くなり、自分の意思を伝達するためのツールとして、活用し始めました。指文字を母から教えてもらって以降、使う事が増えました。聴覚異常を感じた際にも、小児科医に、手話を使いながら症状を伝えようとしました。
しかし、「話せないなら手話を使うことを理解するけど、話せる状況で使うのは、話す事から逃げている。」と言われて、一瞬戸惑いました。
そこで、すかさず対応してくれたのが母でした。
手話を使いながら「私に症状を伝えなさい」と言ってくれた事に、救われました。今振り返ってみても、母に感謝する気持ちに変わりはありません。そして、症状そのものを体験する事にも、場合によって怖さを感じることも多いです。そして、症状を伝えられない事はそれ以上に不安や恐怖をよびかねないと思った事が、未だに頭から離れることはありません。
さらに、母の唇が読みやすいのは私だけではありません。
読話講習会で知り合った女性と、1度だけ話したことがあり、「初対面だけど、分かりやすい」と感想を伝えて頂いた事があります。
一方で父は、口形から言葉を読み取るのは難しい上に、一つも手話を知らないので、とにかく読唇術を行う以外の手段がない現状が変わる事なく、今に至っています。そのため、彼と話す時は、いかに少しでも聴き直さない事を意識した上で、話し方は、どの言語に近くて、多く話す言葉をとにかくインプットし続けているので、ある種の緊張状態の中にずっといるのです。

ここで、母とのコミュニケーション手段の一つとしてふれた手話について、さらにお話させていただきます。

手話は、世界共通と思われがちですが、その国によって、それぞれにあります。
ですが、単語は共通しているものは多くある事から、通じやすいようです。

以下は、「耳と脳」を読了した時にブログに掲載したものです。「日本手話と日本語対応手話」についての解説を、原文のまま紹介させていただきます。さらに、私にとって、読みやすいものがどれかについても明記しています。


ろう者による自然生成言語としての日本手話と、聴者が日本語に対応させてつくった日本語対応手話は言語的には全く別物である。
韓国手話、台湾手話、日本手話は単語において60%(諸説あり)ほど共通しており、日本手話の話者は韓国人や台湾人との手話コミュニケーションが聴者のそれに比べると難しくない。

また、日本語対応手話が日本語の文法に合わせた手や指、腕を使う手指動作だけで単語を表現するのに対して、日本手話は、視線・眉・頬・口・舌・首の傾きや振り・あごを引いたり出したりなど非手指動作も用いている。SVO型の語順の文法も用いられている。日本手話はその意味で、日本語あるいは日本語対応手話とは全く異なる体系をもつ言語である。日本手話では聴覚言語に固有といわれるプロソディ変化の表現も可能である。プロソディとは、発話において現れる音声学的性質で、その言語の一般的な書記記録からは予測されないものすべてをいいます。具体的には抑揚あるいは音調、強勢、音長、リズムなどを含むが、これらのうちで文脈によって異なりうるものを指すのであって、その言語で決まっているアクセント(高低アクセントあるいは強勢アクセント)、声調言語の声調、音長を弁別する言語における長母音・短母音の区別といった性質は含まない。
韓国手話、台湾手話、日本手話の共通性は、日本統治の影響と考える説や日本手話がろう者による自然生成言語であるために、文化的背景が同じ地域の民族で共通項があるのだとする見解など諸説がある。
人工内耳装用しても、健聴者と同等の聴力を得るわけではない(重度難聴から軽度難聴あるいは中等度難聴の状態になるだけ)。また、装用してから初めて文法体系を学習させるのは非常に不利である。聴覚口話法やキュードスピーチなどと併用して行うだけでなく、日本語対応手話の学習も併せて決して否定されるものではない。例えば、健聴の両親のもとに生まれたろう児に対して人工内耳装用までの期間、日本語対応手話を用いたコミュニケーションを積極的に行えば、あらかじめ語順(文法)を学習することができる。生活のなかでの所作・作法といったしつけ教育は作業記憶として後々に抽象的な言語(「しゃきっとする」など)を獲得していく際の手助けになるであろう。日本語対応手話の語順を学ぶことは、書記言語の学習効果もあがることが期待できる。

先ほどのキュードスピーチとは、読話の補助をするために,手指による手掛かり(キュー・サイン)を用いてコミュニケーションをする方法のこと言い、この中にもあるように、主に言語確立がまだ出来ていない方々が活用されています。
このような解説をしていただけると、当事者としてありがたいですし、自分も誰かに説明するときのテキストにしたいです(^-^)ろう者が国際交流を行う際に公式に用いるために作られた手話、「国際手話」もあります。各国の手話を元にした一種のピジン言語です。世界ろう連盟やデフリンピックをはじめとするろう者の公的な国際交流の場や、他国への旅行・交流などのより私的な場でも意思疎通を図るために用いられています。しかし、各国の手話の方がそれぞれに浸透しており、広まっていないのが現状です。

私は、日本語対応手話の方が読み取り慣れています。
読話講習会を受講していた時に、ろう者による日本手話のDVDを見たことがありますが…。
それは、手話で話されている当事者の方の話す事への集中力がずば抜けていて、早すぎて一語も読み取れなかった経験があります。
今は、手話があるニュースを見ていると話しているのが、聴者か聴覚障害当事者のかはすぐに判断できるようになっています。
聴者は、手話で話す時にも口話の時と同じように、唇を動かします。一方、聴覚障害当事者はポイントとなるところのみ唇を動かすので、ここが大きな違いとなります。


さらに、「ろうを生きる 難聴を生きる」で日本の手話の原点を知り、次の通りブログに記載しました。


「ろうを生きる 難聴を生きる」

今回は、短縮版の再放送で、日本の障害児教育の先駆者が紹介されていました。

古河太四郎は、教師でした。

人の暮らしが少しでも楽になるようにと思い、実行の最中に、書類の不備により懲役刑を受ける事に…。

この時古河は、獄舎の窓ごしに、聞こえない子どもたちがいじめられている姿を目にします。

「教育の機会さえ与えれば、この子たちの人生は変わるはずだ」。

そう感じた古河は、明治11年に京都盲唖院(のちの 京都府立盲学校と京都府立聾学校)を設立しました。

彼はまず、五十音に合わせた指文字を考案。
さらに、手話を使った教育に加えて発音の指導もしました。
さらに、京都府立聾学校に残されている史料を読み解くと、発音の方法も絵で示すことで、聴覚障害児自身が特にどのように舌を動かせばいいのか習得できるように丁寧に解説されています。

もし、彼がここまで熱心に、障害児教育に携わっていなかったら…

障害児への指導の広がりや、障害児自身の学ぶ事の喜びを日本で味わえる日は来なかったかもしれないと思い、感謝の気持ちでいっぱいになりました((#^.^#)

さらに、世界と国内の大学では、聴覚障害当事者に対しての教育体制は、次のようになっています。報道などで、特に目にする事が多いのは、こちらです。

世界では、アメリカにあるギャローデット大学。
大学内でのコミュニケーション手段はアメリカ手話(ASL)と書記英語(英語版)です。アメリカ手話は、学生、スタッフ、教職員、学長など、全ての人が習得しています。手話を知らない新入生、新採用になった教職員、他国からの留学生は新学期に備えて手話講習会に出席し、これを習得する必要があります。

国内では、筑波技術大学が聴覚障害者及び視覚障害者の特性に配慮し、学部教育全体を通じた効果的・弾力的な履修が出来るよう、指導上の配慮を図ることにより、新しい高等教育を展開しています。

皆さんも、慣れない土地に行ったり、遠方から来られた方に出会った時に、その地方の方言をネイティブのままで話されると、分からないという事は実感された事がありませんか?

「音のある世界」から「音のない世界」に入りたての頃や、または、どうしても読唇術が難しい口形の方に出会った時に、私が味わう感覚はこの現象と、とてもよく似ているのです。

英語と中国語は、発音に似ている部分がある言語です。ある程度、唇・舌・表情筋をしっかり動かさないと発音出来ないのです。
韓国語は、濃音と激音という固有の強い発声が不可欠な言語で、英語や中国語よりさらに、しっかり唇・舌・あごを動かすことで可能となるはずなのにと思うのですが…。感情を強く出していない限り、「いったい、どうしたらそんなに唇も動かさずに発音出来るのか」と、疑問に思う程なので、発音できる事に感心してしまいます。

このようなポイントを知っておくことによって、話す言語がほとんど日本語であっても「今、話している相手のこの話し方は何語に近い!」と大きな手がかりとしてフル活用し、よりコミュニケーションを楽しむことが出来るのです。

なかなか、実際に人とお会いする事が出来なくても、テレビで色々な方を目にすることで、楽しみながら自然と読唇術のトレーニングになると、日々実感しています。人の口形はそれぞれ異なりますが、必ず似たような形をしている方はいて、その形によって読唇術を行う時に、ポイントとなる所はそれぞれにあります。
ここから、皆様によりお伝えしやすくするために、「誰々のような口形の人は…」というスタイルで、例を挙げていきます。この中で多言語に向いている事もお話しますが、あくまでも読唇術の観点だけを対象とします。実際にその口形をした方がその言語をどの程度話せるかは、個別の話は、本作においてふれる事はありません。


SMAPの草なぎ剛さんのような口形の人は、唇の薄さと舌の使い方が韓国語を話す事に向いています。そのため日本語を話す際には、ほんの気持ち程度に意識して、口を開かないと言葉と言葉の境がわかりにくくなってしまいます。

SMAPの木村拓哉さんのような口形の人は、次の単語へのつながりが非常になめらかなので、英語を話す時に最適です。

SMAPの稲垣吾郎さんのような口形の人は、木村拓哉さんのような口形の人よりもさらに繊細な発音に適していて、イタリア語に向いています。

SMAPの中居正広さんのような口形のような人は、ほんの少し意識した状態で、日本語を話すとわかりやすくなります。

SMAPの香取慎吾さんのような口形の人は、少々の早口からゆっくり話す時も、常に日本語を話す事が最適です。それは、読唇術のテキストにぴったりなほどです。

嵐の大野智さんのような口形の人は、どのタイミングで見ても唇の開き方が小さいため、一言を読み取るのも極めて難しいです。

嵐の二宮和也さんのような口形の人は、大野智さんのような口形の人よりは、唇の開け方は大きいものの、言葉の区切りが分かりくく、結果的に話の理解にたどり着くことが困難な場合が多いです。

嵐の相葉雅紀さんのような口形の人は、少しだけ丁寧に話すという意識をしてもらえることで、わかりやすくなります。

嵐の松本潤さんのような口形の人は、日本語に最適な部分と、SMAPの木村拓哉さんのような口形の人と同じような英語に向いている部分を合わせ持っています。そのため、日本語を読み取っていることに対して意識過ぎない事が、ポイントとなります。

嵐の櫻井翔さんのような口形の人は、自然体なスピードで話してもらえれば、読心術に最適となります。

ものまね芸人のコロッケさんのような口形の人は、何も意識していない場合には、唇の中心部分の動きが際立つ傾向あります。ですので、1度気持ちよく口を開けて笑った後に、口を完全に閉じないうちのやや大きめに開いているタイミングでお話してもらえると、格段にわかりやすくなります。

「日本エレキテル連合」の中野聡子さんのような口形の人は、唇がかわいらしすぎるほど小さいため、言葉を読み取るには難しすぎます。

「日本エレキテル連合」の松本小雪さんのような口形の人は、自然体な話し方であれば、日本語を読み取る時には最適となります。

落語家 桂歌丸さんのような口形のような人は、言葉の節目・つながりなどのポイントが掴めないので、ジェスチャーなどがサポートとなります。

落語家 三遊亭小遊三さんのような口形の人は、口の開け方が小さい時にはどうしても、読み取れない場合もあります。それでも、読み取れた部分によって分からなかった言葉を想像が出来て、話を理解する事が可能となります。

落語家 三遊亭好楽さんのような口形の人は、時には、早すぎたりすることにより、読み取れない言葉もありますが口の開け方も程よくわかりやすいです。

落語家 林家木久扇さんのような口形の人は、唇の開き方が大きければ、読み取りやすくなる言葉も増やさすこともできます。

落語家 春風亭昇太さんのような口形の人は、読み取りやすい部分とそうでないところを周期的に繰り返す傾向になりやすいため、慣れるには時間を要する事が多くなります。

落語家 林家たい平さんのような口形の人は、私の母と同じだけ読心術のテキストに最適です。


様々な例を挙げた中で、口の開け具合について少し意識してと、書かせていただきました。これは、先にもお話させて頂いた事の繰り返しなりますが、大げさなほど開けて欲しい訳ではありません。ベストな開け方としては、「あ」と発音する時に、親指1本が余裕で入る程度となります。また個人によって、異なる場合もありますが…大きすぎる声や、とてもゆっくりに話していただくのではなく、自然体なスピードで話していただく事を、希望しています。



また、2015年に出会った書籍「耳と脳 臨床聴覚コミュニケーション学試論 中川雅文著 -医歯薬出版株式会社-」に以下のように書かれています。

言語ごとに異なるパスバンドに対する感度の違いは、人種ごとに異なる頭部の大きさや耳の形状の違い、さらには住環境を含めての日常に溢れるノイズなど様々な要因が複雑に絡んで生じたものなのであろう。トマティス博士の唱えたパスバンド理論はアナログ解析装置時代のデータがベースとなっている。例えば2003年に新しく決まった等価レベルでは40phone時の音圧レベルが10kHzで5dB程度のエラーが確認されている。パスバンドの定義もデジタル時代にふさわしい再評価が必要な時期がきていて、これまで説明として使われていた周波数にエラーが含まれていた可能性があると筆者は考えている。しかし、トマティスのコンセプトそのものの秀逸性を損なうようなエラーではないことを付け加えておく。

本書には、トマティスのパスバンド理論で研究された日本語を含む8言語の好まれる周波数が言語ごとに棒グラフで以下のように示されています。パスバンドに関する解説と共にご覧下さい。

パスバンドとはその言語が多用する周波数帯のことである。例えば通勤電車の中での電車の引き起こすノイズは日本語に対してはマスカーとして作用するが、英語の場合には日本語に対するほどにはマスキングはしない。だから日本人同士で車両の左右で向かい合って会話するのはよほど大きな声を出さないとダメだが、英語ならそれほど大きな声でなくてもお互いが会話できたりする。それほど言語によって多用するあるいは重視す周波数は異なる。移住すればすぐにその現地のことばを身につけられる。そういう話はよく耳にするが、おそらく言語のもつ固有の周波数帯が形成される一番の要因として環境や建築やインフラといった要素が大きく関与しているのであろう。

日本語 200〜1500Hz
ロシア語 200〜8000Hz
ドイツ語 300〜6000Hz
中国語 500〜3000Hz
フランス語 1000〜2000Hz
イタリア語 2000〜4000Hz
英語(米国) 1000〜4000Hz
英語(英国) 2000〜12000Hz

ここを読んだ時に、聞こえないもしくは聞こえにくい人々にとって、日本語でコミュニケーションをとる事そのものが、難易度が高いと非常に納得しました。
自分の話している内容が、おかしくなっていないかは、相手の表情を見て確認しています。自分が発している声の音量は、喉元の振動によって判断しています。
私の場合は、「チェックウーマン」のおかげで、人から音量に関しては、ほとんど指摘される事はありません。会話をしている際に、「うるさい」と言われた時と、そうではない時の喉元の振動を多く記憶する事でスムーズとなっています。聞こえない私に「美声で!」と日々求められる事には、ある種のプレッシャーがありますが、小さな事でも認められるのは、うれしいものです。

ここまで、読唇術が可能であっても、どうしても得られない情報があります。それは、イントネーション。

皆さんは、例えば「橋・端・箸」を伝える時に、一瞬、考えてから発した経験はありませんか?

私は、数年前に母との会話の中で、以下の経験をしました。



「イカナカッタ論争」

ある日、スーパーの広告を渡されて、

「何が食べたい?」と聴かれ、

「イカがいい」と答えたら、

彼女はすぐに買い物に行ってくれまし
た。

そして、数時間後に夕食となりました。

食事を置き始める時に、

「イカナカッタ」と言われました。

私が、キョトンとして戸惑っていると再び

「イカナカッタ」と言われので、

「スーパーに行かなかったの?」と聴くと

「買い物に行ったから、魚がある」という返答がありました。

この瞬間、「はっ!」と、気づいて

「イカがなかったんだね?」と聴き直すと

「そう、聞こえないから、より聴き方が重要だね!ブログに書けば?」

と言われて、美味しく食べ終わった後で、しっかり書きました。

この話は、音のある世界にいるか否か以前に「言葉のアヤ」の要素が大きいと、母に言われました。ですが、どのように情報確認を取るかという事の方が、音のない世界にいる私としては、より重要と感じた実例であり、伝えやすい内容なので挙げさせて頂きました。


皆さんは、「聞く」と「聴く」を普段使い分けをされていますか?

私は、「耳と脳 臨床聴覚コミュニケーション学試論 中川雅文著 -医歯薬出版株式会社-」と出会うまでは使い分けをしていませんでした。

耳鼻科医に、進捗状況を確認してもらった際にも、

「一般の人は、あまり『聴く』に馴染みがないと思うから、『聞く』に統一した方がいいかも。」

と言われたのですが、次の通りに
書籍「耳と脳 臨床聴覚コミュニケーション学試論 中川雅文著 -医歯薬出版株式会社-」記述されているのを読んで、使い分けの重要性などを感じた経緯を説明したら、納得をして頂きました。

ブログに掲載したものです。


今、もっと印象的となったのは…「聞く」と「聴く」の違い。

本書には以下の通りに説明されています。


「聞」という文字は「門(もんがまえ)」と「(音が転じて耳と書くようになった)耳」の2つの文字から成り立っている。音波がゲートの中に入っていくようなイメージであろうか。一方の「聴」という文字は「耳」と「十」と「目」と「心」の4つのパーツから成っている。部首である「耳」、これはこの場合、耳そのものを表している。「十」はたくさんという意味で、たくさん「目」配りして、注意を向けよという意味を含んでいる。さらに「心=脳」で受け止めよと言う意味をも内包している。「聴く」という漢字は「聞く」にはない「心で受け止め咀嚼(そしゃく)し、理解すること」という意味が含まれているのである。



私は、「聞く」は不可能だけど「聴く」は可能。

もっと聴く事を高めなければと意識させてくれる言葉となりましたし、ずっとこの思いが深まるものである事は確実です!

ここが心に響き、納得したその日から、「聴く」事の重要性をより意識するようになっています。
聴者であれば、「聞く」事で得られる情報も、そうではない私と同じような立場である人々にとっては、いかに「聴く」事でカバーするか、対応力が不可欠です。

先ほどの「イカナカッタ論争」は小さな事であり、ゆっくり聴く事で分かるので最終的にクリアとなります。しかし、もっと複雑だったり大切な事柄については、いつ・どのように、そして誰に、どのタイミングで確認や聴いてみるか、難しいこともあります。
そして、ここまでさまざまな事を把握していて、診察時に受けた口話テストにおいても96%の確率でできると認定されています。しかし、この立場にあっても、どうしても不可能の場合があることも、これまでに経験してきています。
その時は、早く相手に読み取れない事を伝える事こそが、会話を円滑にするための近道です。

今、お読みくださっている方々の中に、聴覚障害当事者にとってサポートしてくれる情報・アイテム・福祉サービス・パートナーについて、ご認識のあるのはどれほどでしょうか?

まず、「電話お願い手帳」については、私も偶然数年前に頂くまで知りませんでした。また、報道でも取り上げられていない様子を見ていると、おそらく広域には知られていないものと想像しています。
これはその名の通り、当事者が電話をしたいけれど音声認識が不可能だったり、聞こえづらいために自身だけでは、どうすることもできない時、誰かに助けを求めるために必須な基本的なメッセージがまとめられている手のひらサイズの手帳です。電話以外では、避難所などでアナウンスされた内容を確認する際に、ポイントをつかむ事が出来るページもあります。指で指し示すだけで、最初のアクションは起こすことができ、筆談が苦手という場合にも有効なアイテムだと思います。

次に、「目で聴くテレビ」。
この番組は、聴覚に障害のある方のための放送局です。
1995年の阪神大震災の教訓をふまえ、全日本ろうあ連盟、全日本難聴者中途失聴者団体連合会などが中心となり、98年からCS放送(通信)をスタート。
聴覚障害者自身がキャスターや
カメラマンとして番組制作に参加。
ニュースや地域の話題からスポーツ、手話学習、災害時の情報まで、手話と字幕をつけてさまざまな情報を届けてくれています。
私が見た回数はわずかですが、欲しい情報が凝縮されていて、とても最適な内容となっています。


さらに、日々の生活を支えとなる物をご紹介します。

1つは、振動時計。難聴などの聴覚障害当事者にとっては、音で時刻を知らせてくれるだけの目覚まし時計は、役に立ちません。
そこで設定時刻になったら、バイブレーション(振動)で知らせてくれる振動時計をご紹介します。
振動だけでなく、光でも知らせてくれるものや、時刻だけでなく電話の着信も知らせてくれるものなども有りますので、自分の環境や使い方に合うものを選ぶことができます。

2つ目は、光で知るチャイム。
玄関チャイムやインターホンで来客を知るのは一般家庭では当たり前のことになりましたが、耳の不自由な方にとってはそれがなかなか難しいことなのです。
音量が小さかったり少し離れた場所にいたりすると、大事な来客に気づかいというような事も往々にして起こりえます。
そんな不便を軽減してくれるのが、光で来客を教えてくれるチャイム。訪問者が玄関先の押釦を押せば、室内の本体から音とともに光が点滅して来訪者のあることと知らせてくれます。

3つ目は、聴覚障害者用通信装置
(ファックス、テレビ電話など)
一般の電話に接続することが出来、音声の代わりに文字等により通信が可能な機器であり、障がい者が容易に使用し得るものを家電量販店で既製品の中から選んで、希望の機種のお見積りを作成してもらいます。認められて限度額内であれば、公費負担により支給されます。
ただし、聴覚障害を補う目的以外の複合機などの高度な機能が付いたものは認められません。また、限度額を超えた場合には、その超えた分は自己負担となります。
先にお伝えした通り、病院との連絡を取る手段として、特に自分から発信するには、運動機能的に不可能であるため、対応可能であればメールで連絡を取っています。この他の友人・知人などに対しても、メールを連絡手段としているます。
しかし、福祉サービスを受ける時などには、全くFAXがない状態では連絡に支障があります。ですので、基本的には連絡を受けるばかりです。しかし、自分では連絡完結できない場合には、音声電話を含めて母にお願いしています。

さらに、身の危険を知らせる火災報知器は、このようなものがあります。

火災警報器シルタンちゃん
煙を感知すると、スイープ音(ピーッピーッ)で火災をお知らせするとともに、内蔵した無線送信器が電波を送信し、シルウォッチなどの受信器に迅速に火災をお知らせします。
手元の受信器の振動や光で火災を知ることができるのです。

臭気発生装置
住宅用火災報知器に連動して、音の代わりに「わさび」の臭いで危険を知らせる製品です。このわさびの香りで知らせる火災報知器の開発により、「イグノーベル賞」を受賞しました。
「イグノーベル賞」とは、1991年に創設された「人々を笑わせ、そして考えさせてくれる研究」に対して与えられるノーベル賞のパロディーです。

そして、人や物以外で聴覚障害当事者のパートナーになってくれているのが、聴導犬です。
聴導犬(ちょうどうけん)とは、聴覚障害者の生活を安全で安心できるものにするために、生活で必要な音をタッチして教え、音源に導く身体障害者補助犬のことです。
2016年4月1日現在、日本国内の聴導犬の実働数は64頭。盲導犬と比べまだまだ不足している状況である(潜在する聴導犬希望者は、1万人いるという推測があります。)
また聴導犬も、身体障害者補助犬法の適用を受けており、公共機関だけでなくてデパートやスーパー、ホテルなどでは、受け入れを拒むことは禁止されていています。しかし、残念ながら…盲導犬同様、受け入れを拒否する事例があります。
多くの待ち望んでいる方とパートナーとなれる聴導犬が、増える事を願っています。

このようにその都度、どうすれば話しやすくなる方法やツールなどを、探すのも一つの楽しい発見につながります。
そうは言っても…、目の前にいる方の声が、聞こえない事への寂しさがないと言えば、事実と大きく異って、ウソになります。それでも、「音のない世界」を楽しんでいる事は確かであり、「音のある世界」に戻りたい願望はありません。
ここまで色々ありすぎるほど、たくさんの事を経験しています。厄介な面も多々ありますし激痛を伴う時には、さすがにゆとりは持てるものではありせん。それでも、ここまで症状が増えるのは、「それなりに楽しむだろう」と知られている事にあると感じています。そして、「音のない世界」への移住も、「神様からのプレゼント」だと思うのです。
そして今の世界を味わいたての頃に、まず気づけたこと…
それは、「聞こえる機能がすごかったんだ!」という点でした。
人よりも、色々発見していてそれを両親や周りの人も楽しんでくれている様子を見ながら、私自身も喜びを多く感じてきて、自信のようなものもありました。
しかし、聞こえる機能に関しては私にとっても、「ごく自然なものとして、捉えていたんだ」と。
それ以来、何かしらの機能が失われていく度に感謝の気持ちが、より多くなっています。

家族以外との会話の中でも、特に印象深く残っている中で、いくつか紹介させていただきます。

高校時代に担任としてお世話になった恩師たちに、卒業後も数回再会するチャンスがあり、楽しい時間を過ごせました。
初めての再会は、2004年成人の日。
3人目の担任で2年間クラスの一員として、お世話になった間柄です。彼女とは、在学中に女性の先生の中では最も話していました。学校生活に関係する事はもちろん、プライベートな部分も相当、話続ける私にいつも合わせてくれるタイプでした。そのため、先生と生徒という関係性は確かですが、そんな堅苦しいような立場はまず考えることがほとんどありませんでした。私の様子を察しながら時に…ママ・人生の先輩・そして友人のように様々な場面で、いつも寄り添って頂きありがたかったです。
卒業してからも、たまに連絡を取り合っていたので、「今、話したらこんな感じだろうか」など想像できる状態を、自然と保つ事が出来ていました。
成人の日に彼女との再会したかった理由は、第一に私は地元の学校に在籍した事がなく、唯一のつながりが、中学時代に通った個人塾。一般の成人式に自分が出席する姿も想像できず違和感があったので、せっかくだから自分に合っていると心から思える一日にしたいという強い希望からでした。雑音が多い中、なんとか音声電話ができて快く私の思いを聞いてくれました。
そして当日、電車で当時お住まいだったお宅の最寄り駅まで一人で行き、再会。
駅前のお店でお茶をしながら、コミュニケーションもスムーズに出来ました。
その会話の中で、「残されている聴力は、保たれるのでは?」と期待の言葉をかけてもらって、笑顔で返事をしました。しかし、内心では…「聞こえる状況でお会い出来るのは、もう不可能だろうから心の準備をしておこう」と思っていました。
その後、メールを中心に連絡は取り続けていたものの、じっくり会ってお話をする機会に恵まれず、月日だけが過ぎていきました。
再会を願う気持ちが高まる中、2013年7月。ついに、叶う時がやってきました。きっかけは、同年5月に、私にとっての初エッセイ「ブログを書き続けるわけ」を医学雑誌に掲載させて頂いたことをお知らせした事でした。すぐにメールを頂いて、ランチをご一緒する事になったのです。
そして、ランチの日を迎えました。
お互いの明るさは、変わりなく話は弾みました。
しかし180度、私の世界に変わった事がありました。それは、2004年からこの日までの間に彼女は私の自宅を2回訪ねてくれていたので、すでに分かっていた事ですが…

音声からは、話を理解する事が完全に不可能になったという現実でした。

この状況にあっても、それまでたくさん話した時の雰囲気をずっと覚え続けていたこと、読唇術を身につけていた事でゆとりを持てたのです。
このヒトトキに自信を持つことできたので、他にもお礼を伝えたい先生方がいるし、エッセイの事を伝えて欲しいと伝えたら、またも喜んで引き受けてくれました。

先生達へ送って頂いたことで、手紙やメールで連絡が数人と取ることができるようになりました。まず、在学中に大変お世話になった事と、突然のエッセイを御一読頂いたことへのお礼を伝えました。

この事がきっかけとなり、10月に2番目の担任として、お世話になった恩師との再会が実現しました。
先に再会していた先生以外は、高校時代に寄り添ってくれた先生には卒業後、1人もお会いすることがなく…

10年7ヵ月という年月が経っていました。
この恩師は、先に再会した方と同様に私の様子を察して、その時々によって対応の仕方をバラエティーに富んだものにして頂き、大きなハートで支え続けてもらいました。ただ、なかなかしっかり話せないまま留年した1年間を見届けて頂き、進級決定を共に喜んでくれたところで異動された事もあり、ずっと心残りでした。ですから、やっとこの日を迎えられたことに、嬉しさと安堵感が湧いてきたことを今も忘れられません。
そして、本当に久しぶりなのにも関わらず、楽しく話せて嬉しかったです。

しかし、ひとつの問題がありました。
それは、記憶していた先生の口形や話すテンポは合っていたのですが、読唇術をするには難しかったのです。このため、ほとんど私から話し続けて…この時は終わりました。この現実は、想定を大幅に超える出来事で、マシンガントークのようになってしまったことに対して、申し訳なさを感じたことは未だに色濃く、脳に刻まれています。
そのような感じだったのにもかかわらず、お礼メールを送ったところ、「また会って、今度は一杯やりましょう!」という内容の返信を頂けて、在学中と同じように助けられて嬉しかったです。そして、今度はもっと言葉のキャッチボールを楽しみたい!!
このものすごく強い思いから、彼女と似たような話し方・口形の女性をテレビなどで見つけると、食い入るように見つめながら、2人で話す時のシーンを思い浮かべていました。でも、なかなかコツを掴む事に辿り着けず、メールのやりとりを続けながらも、時ばかりが過ぎていきました。
そして、ようやく大丈夫と思えるようになった2015年8月。
「デートの先行予約ってアリですか?」と、メールで聴いたら、快い返信を頂く事が出来ました。

そして同年10月、2年ぶりの再会ができて、学校でお世話になった先生とは、初めての女子会が実現しました。
この日も、最初からワクワクしていました。そして、注目していた読唇術もスムーズとなり、ほぼ一方的に話し続けた前回とは大きく違い、聴きたい内容も伝えられて、またひとつ小さな自信がつきました。さらに、またお会いしたい気持ちも、ためらう事なく全面に出て来ました。
これからも、形を少しずつ変える事はあるとは思いますが、お2人とのつながりを大切に、そして楽しみ続けたいです。

また、時を遡ると…まだ大幅な運動機能低下をする前に、こんな事もありました。

整形外科の病院で、順番待ちをしている時の事でした。
同じドクターに診てもらうために、待合室のベンチに座っていた初対面の男性が突然話しかけてきて…

「一人で来たの?」

「ちゃんと話せているけど、本当に聞こえないの?」

「唇の動き読み取っているの?すごいね!!」

英語も好きだと話したら…

「英語も勉強するなんて偉いね!!」

周囲の人にも広めていました(笑)

「電動車椅子のバッテリーは1回の充電で、どれくらい使えるの?」

「電動車椅子の費用はどれくらいかかるの?」


と、ほぼ質問攻めで終了しました。


そして、いざ診察へ。

そうしたらドクターからさっそく…

「さっきまで、何を話していたの? おじさんの声ばかり聞こえていたけど。」

と、聴かれて

「ほとんど、質問攻めだったよ。 私は聞こえないけど、体でおじさんの声の振動をたくさん感じて、どっちが聴覚障害者かわからなかった。」

と、答えたら

「本当に分からないね!!」

と、側にいたスタッフさんたちと大爆笑して、診察終了となりました!!





他にも、様々な事を楽しむスタイルも大きく変わったり、新たに好きになったり、じっくり味わうようになった事が増えました。

楽しみ方が変わったものの中で代表とも言いたいのが、音楽です。
聞こえていた時も、多少は歌詞を楽しむ事はしていましたが、どうしてもノリの良さなどの方が、勝っている状態だったと思います。
今は一言ずつ味わうように、じっくり読んでいます。
さらに、新たな楽しみ方が増えました。
リズムは振動によって楽しめます。さらに、キレのいいダンスを見られると、歌詞を覚えているものであれば、歌詞が出ていなかったり、歌手の口元が見えない状況でも、かなりノルことができます。

さらに、ダンスの振り付けの中に手話またはそれに近い表現が入っている曲も多くなり、より楽しみやすくなっています。

初めて、一部の振り付けが手話に近いと思ったのが、SMAP「世界に一つだけの花」です。
最初の頃は、メッセージ性の強さから純粋に、この曲そのものが大好きになりました。高校の卒業式の際に、使われていた場面を、今も頭の中で楽しく回想しています。この曲のCDが発売されたのが2003年3月。この年の8月に、聴覚異常を感じ始めた私にとっては、健聴の耳で聞くことができて、自信をもって歌えるラストソングとなりました。こんなに大好きになれる歌が、最後となったことに幸せを感じています。この曲は、今も自信もって歌い続けられているうちの1つで、心のパワーとなっています。また歌い続けられている限り、運動機能などに更なる障害が増えたとしても、明るく過ごせると思っています。
この他には記憶の範囲内では、「Not alone〜幸せになろう〜」と「Yes we are」の一部に手話または手話のような表現が入った振り付けとともに歌っていて、どちらも好きになりました。そして、これから他の歌手も含めて、どんな曲と出逢えるのだろうかと、待ち遠しい思いで胸が高鳴りました。
最近の曲の中で、他の歌手グループで印象深く残っているのは乃木坂46とAKB48です。
乃木坂46は、2015年10月にリリースされた「今、話したい誰かがいる」のミュージックビデオの中で、聴覚障害と健常者が、手話と筆談によって、少しずつコミュニケーションをとるうちに、お互いの心の壁がなくなるというストーリーを、メンバー達が演じています。この映像を見た時に、たとえたった一言だとしても、伝えられる事、それ自体が大きな喜びや次への架け橋になると思い、なんだか心がホッコリしました。
AKB48は、朝ドラの主題歌にもなった「365日の紙飛行機」で、曲の中で最もメッセージとして発信したいと思って書かれたであろう…

「人生は紙飛行機
願い乗せて飛んで行くよ
風の力の限り
ただ進むだけ
その距離を競うより
どう飛んだか どこを飛んだか
それが一番 大切なんだ
さぁ 心のままに
365日」
の部分のほぼ全体にわたって、手話を使いながら歌っているので、私も手話で一緒に歌っていてます!

歌番組以外にも、テレビで音楽を楽しめる機会がありました。見られたことがとても嬉しくて、2015年8月と2016年1月にそれぞれ、見てすぐにブログに以下の通り掲載しました。

今、タイミング良く見たら手書きで楽譜を書いたり、絵の具の色によって「目で楽しめる音楽」をベストなスタイルで届けてくれて、嬉し過ぎます!(2015年8月)

今回は、ベートーベンの「運命」。

CG画像を駆使し、音の長短・楽器の増減をグラフのような図形などを組み合わせ、「見える音楽」を楽しめました(⌒‐⌒)

昨年この番組を初めて見て、また楽しめる事を期待していたので、嬉しいです(^-^)

次は、どの曲を何を使って表現してくれるかなぁ?(2016年1月)

次に、音そのものを音として認識は不可能ですが、高低差は体の振動となって感じることができます。高いほど頭の近くで、低いほど腹部に近くなります。
この高低差を感じる方法は、人の声のポイントをつかむ時にも、活用できます。

スポーツを見ることも大好きで、よくテレビ観戦しています。
いろいろな競技を楽しんでいる中で、「聴くこと」にポイントをおくと、フィギュアスケートと大相撲が大好きです。

フィギュアスケートは、記憶にある曲を使用していれば、頭の中で演奏を思い浮かべながら、選手の演技全体を楽しみます。知らない曲での演技の場合は、流れている曲から感じる振動と演技を、組合わながら世界観に浸ります。高校生ぐらいから少しずつ関心はありましたが、最初は、なんとなく見ていました。それが今では、シーズン中はテレビ放送をワクワクしながら見るぐらいまでに、夢中にさせてくれるものへと、大きく変わっています。
大相撲は、子供の頃からテレビを見ていたので、自然なものとして受け止めていましたが、それほど好きではありませんでした。ところが、数年前から自分でも驚くほど好きになり、今では本場所中に、ブログとLINEで何かを伝えられずにはいられないほどになりました。
中でも、イチオシ力士は臥牙丸 関。
彼は、なかなか決め切れない取り組みが多くてハラハラの連続のため、正直15日間は落ち着けないのが本音です。
でも、感情を豊かに表すキャラクターが体の大きさからは、とても反比例していて、たまらなくなるのです。
負けた時は、今にも泣き崩れそうなくらいの状況で、花道を引き上げていきます。
勝った時には、満面の笑みで土俵から下がり、奥にあるモニターで自分の取り組みを確認する際も、周りの人に見て欲しくてたまらないお茶目な一面も。さらにインタビューがあると、インタビュアーから「もう、時間がありません。」と言われるまで、話が止まらず物足りない表情を浮かべることもありました。
彼の話は、口形がわかりくくて読唇術には向いていません。そのため、字幕放送のおかげで楽しむ事が出来ています。
このように音楽や声の振動によって楽しめることは多くあります。今後も、どのように更なる深掘りができるのか、想像するだけでも笑顔がこぼれそうです。

次に、トーク番組や落語も楽しみ方が、奥深いものとなっています。
この2つも、子どもの頃から好きでよく見ていました。まずトーク番組に関しては、健聴時には分かりやすいところだけを切り取って、そのポイントとなるものがいくつか集まると、自分なりにまるでジグソーパズルを組み立てるかの要領で、ストーリーを自己完結させて満足でした。このため、うまくタイミングが合えば集中して見られていました。一方で、一旦迷路に入り込んでしまうと…脳内で空中分解を引き起こし、そこでその内容に関する思考は完全に停止していました。なので、この事態が発生中に不意に感想などを求められたら、表現をする事が出来るまでに時間がかかり過ぎて、貝になる事が多すぎていました。結果として、よく母に「それで終わり?」と、よくガッカリされたものです。今となっては、そのような反応されてしまう事が、手に取るように理解できます。しかしその時には、「なぜ、この状況が伝わらないのだろうか。これは私だけの感覚なのだろうか」という疑問とともに、もどかしい思いが増幅していくばかりで、悔しさが際立っていた事が思い出されます。
ところが、このような混乱が「音のない」状況で見るようになったら、信じられないほどのスピードで頭の中が、まるで霧が晴れるかのように吸収できるようなった情報量が、大幅にアップしました。その方の声が聞こえないことに関して残念な思いは間違いなく、私の心の中にあります。一方で、ここを字幕放送やテロップから分かる言葉たちを一点に見つめられるようになったり、その会場を訪れているかのような臨場感を味わえる最大のチャンスだと、自然と気づくことができるようになったのです。
この変化を得られたことで、かつての断片的程度にしか吸収出来なくて見たらそこで終わりの基本から、抜け出せる事が格段に増えたのです。こうなると、誰かに見た内容と合わせて感想を伝えたくて、そこに寄せる思いは高鳴り続けます。さらに、ブロクにも発信したいとより素直に思えるようになり、自分が書いた記事に反応が寄せられる事も、徐々にではあるものの増えて様々な角度から同時に楽しむ事が出来ています。伝える力・書く事のスキルには、まだまだ課題山積ですが…、番組そのものを楽しむ・その内容と感想を誰かに伝え、さらにブログ記事として書き続ける事の連続こそが、今の私にとってのサイクルであり、とにかく回数を経験する事が重要と考えながら、コツコツと実行中です。

そして、落語も幼い頃からよく見ているもので、成長などにより楽しみ方が変化し続けているものの1つです。
ただ、トーク番組と同様に健聴時には、まず、話のテンポにいかについていくかに始まり…自分が理解できる範囲内の特徴的なツボがないと、ただ、キョトンとしながらテレビ画面を見つめているだけでした。その結果、面白いと思えるところを見つける主導的な部分は大きく欠如。ただ、ひたすらなまでに、そのツボとなるものが、やってくる事を待ち続けるという完全受動的な見方をしていました。これは、特に落語という全体の情報そのものから、ほんの少しだけ切り取り、音声から理解できるところ限定して見ていたために、このような状態が発生したと考えられます。
ところが、これまた音声情報を失った事で、まるで高級昆布を噛み締めて、じっくりとその味を噛み締めるかのように、深掘りできるようになったのです。
落語に関して触れるに際して、改めて落語とは一体どういうものなのかなど、情報となるページを検索したところ…
「あー!こういう事を伝えるポイントといしている日本固有の伝統なんだ!」という事が明確になりました。
さらに、基本表現は「仕草」・「表情」・「書く」・「服装・効果音」などに至るまで、豊富である事に気づくことができました。この事によって、手話によるコミュニケーションをする時と同じように、読み取りやすいポイントが凝縮された話術芸能であるという点に結びついたのです。
もちろん、字幕放送があればストーリーがより明確になりますが、仮になくても、落語家の方の姿がはっきり見える状況であれば、聴者とともにその世界を共有できるものであり、その旨みのようなものをたとえ少しずつであっても、味わえる状況にいられている事に、改めて小さな幸せを感じています。
落語に比べると、まだまだ歴史が浅く知名度も乏しく、番組でお目にかかる事にも恵まれていないですが、手話落語もあります。
特徴としては、主な対象は聴覚障害者ですが、健常者も一緒に楽しめるようになっています。演者は手話を用い、基本的に自分では口を使いません。
目に見える形で認知度が上がらないのには、以下のような難題などがある事が、理由として思い浮かびます。
まず、手話のわからない健聴者向けに通訳が入る場合が多いことにあります。通常の落語でよく用いる語呂合わせなどの手法は取り入れるのが難しいため、もっぱら小噺をメインに据えた高座になることが多いのです。また、落語には手話にない単語が登場することも多く、その分工夫が求められる現状に加えて、取り組んでいる演者が少ない事も大きな要因となっていると想像しています。
クリアーすべき点は、山積しています。地道な作業などの繰り返しとなるとは思いますが…

「静けさの中に隠れている多くの面白さ」

を共有しやすくなる事を、願わずにはいられません。

さらに、私が生まれた頃からの歴史がある英語落語。その醍醐味は、落語を単純に訳して一つの噺とするのではなくて、どう英語で表現すれば文化も宗教も習慣も異なる人々に理解してもらえるか?、にあると思います。ですが、国は違っても、ユーモア、人の情け、失敗を笑い飛ばしてまた「顔晴ろう」(がんばろう)と思う心は共通で、それが英語落語が共感を呼ぶ理由ではないかと思います。さらに、私にとっては日本語では意味が捉えきれなかったりする部分も、納得できるきっかけとなっています。
そして、先ほどの「顔晴ろう」(がんばろう)には、顔・表情を晴れやかにできるようできる瞬間を大切にしようという、思いが込められています。
一般に使われる事が非常に多い「頑張ろう」という言葉には、抵抗感がある私も「顔晴ろう」には心が和みます。

これからも、江戸時代から伝わる落語・発展途上中の手話落語、そして海の向こう側まで渡った「RAKUGO」までそれぞれに発見などができる事を、まず、私自身に対して期待して更なる発信になればと思います。



ですが、振動も様々なものが存在します。楽しめる場合ばかりではありません。「音のない世界」にいるからこそ、聴者より感じる事が多すぎて、聞こえていれば、わずかな差とだと思える事も、過剰反応をしてしまう事もあります。

例えば、レストランで注文したものがテ
ーブルに置かれる時。これは、電動車椅子に乗っている事によって、膝とテーブルの近いことも事実ではありますが、この他にも理由があります。少しでも勢いがついている状態で置かれると、振動が大きくなるため、びっくりしてしまうのです。これは、動作を見る事で心の準備をしていても追いつかず困ってしまいます。どうにかして、軽減できる方法があればと、ずっと願い続けています。
他には、外出時に母の運転で乗車している福祉車両のタイヤの空気圧変化を、感じることです。私は、幼い頃からずっと乗用車に乗って、数え切れないほどの通院・通学・外出を経験させてもらっていますが、2006年に「TOYOTA Noah」にして、中列の位置に電動車椅子のまま乗るようになるまでには、経験する事はありませんでした。
これは、一般の方にとっては気づかない程度のわずかな空気の減少であっても、まるでディズニー映画「アラジン」に出てくる魔法のじゅうたんに乗って、どこかに行くかのように、「フワッ」と浮き上がるような感覚があるのです。
さらに、自然現象では地震や雷に対しても、察知が早くなったり、感じ方が変わりました。地震は、震度1でもかなり正確に感じてしまうため、まず、テレビのテロップ表示をじっと見つめて、自分の居住区または隣接区で観測された事が、確認できれば納得します。でも、表示が出ないと…納得するまでスマホで確認します。
雷は稲光を見た後、お腹を中心に下から振動を感じます。さらに、近年のは激しく数多くの和太鼓みたいな響きを一斉に感じますので、驚き方も半端なものではありません。
気象変動には、元々振り回されやすく頻繁に「不連続線」から引き起こされる症状を、経験し続けています。
「不連続線」とは、気圧変動によって様々な症状が表れる病気の一つで、症状は人それぞれ全く異なり、頭痛・めまい・関節痛など、その人によって様々です。
そして私の場合は、低気圧に左右されて、検査で確認した事はありませんが、脳圧が上がる感覚があり、喘息・頭痛・頭重感・平地から標高が高い所などに移動した時などに経験する耳づまりが、同じ場所でおとなしくいる状態であっても、症状は出てしまいます。さらに最もひどい時には、生きているのか心配されるほど眠り続ける事もありました。
長く付き合っていても、成人してから数年が過ぎるまでは、その都度ひたすら…その症状が通り過ぎるのを、待つばかりでした。
母は、私が幼い頃に小児科医から「障害当事者は、低気圧に弱い」と聞いていたそうです。しかし、病名はずっと知らずにいました。
そしてある時、「天気に体調が左右される事はありますか?」と耳鼻科医に質問されて、先ほどお話した内容と同様に、諸症状を説明したところ、この診断に至ったのです。
そして、徐々にポイントが分かるようになり、現在では、以前ほどは振り回されやすい状況には、なりにくくなっています。
ちなみに台風が発生したら、まだフィリピンに停滞している状況でも、影響は受け始めてしまうのです…正直、この過敏反応はいりません(笑)
近年では、天気予報の中でも「気象病」として、従来からの情報と共に、関節痛・喘息などの症状が、予想されている天気から、どの程度現れそうかをマークなどで表示している番組も、まだ一部だと思われますが…あります。
また、何気なくスマホでチェックしていたら、「頭痛ーる」というアプリを発見しました。
このアプリは、気象予報士が開発した頭痛・気象病対策No.1だそうです。
そして、頭痛や気象病の起こりそうな時間帯の確認や、痛み・服薬記録として体調管理の1つになりそうだと思い、さっそくダウンロードしました。
予想される天気は、マークで表示されていてます。そして、この気象条件から体調の変動をグラフ化し、ポイントとなりそうなところには、「注意」など一言添えられていて、すごくわかりやすいです。
こちらがこのアプリの内容ですので、よろしければご活用ください。

<このアプリでできること>
- 頭痛予測:気圧グラフとプッシュ通知で頭痛を予測
- 全国マップ:全国主要都市の気圧予報と天気予報をチェック
- 痛み&くすり記録:痛みの発生とくすりの服用をかんたんに記録
- 痛みノート:記録一覧表示で傾向をチェック


この他の大きな事柄としては、単独事故を2回経験しました。2009年11月末の事でした。電動車椅子を自分の操作ミスにより誤作動させた結果、手動ドアに衝突しガラスを大きく割ってしまった事があります。この時は、体に感じた振動はもちろん大きかったですが、自らが引き起こしてしまった事への重大さが、第一にありました。そして、自分だけでは、対応出来る範囲内ではない事を即判断しなければならず、お店側に対してお詫びの気持ちを持ちながらも、「音のない世界」に移住して6年が経っていた当時、いかにパニックにならず相手の話を読み取ったり、両親への説明が最優先でした。なお、この事故による目視から分かるケガはありませんでしたが、ドアに衝突したことによって、「軽度外傷性脳損傷」を発症したと、後に脳外科で診断されました。これ以前からあった様々な症状の積み重ねがある上に、さらなる衝撃となったので、一気に大幅な運動機能の低下する引き金となりました。発症の翌日から、まるで麺棒で叩かれたこんにゃくのように全身に力が入らない・頸椎から腰椎にかけての広範囲にわたる激痛などに振り回られる日々が、ずり這いができるようになるまでの2ヶ月半続きました。この間は、それまで以上に介助してもらっても通院すら出来ない状態でした。不随意運動も激しく、ケータイ操作が数少ない出来る事の一つとなっていました。そのため、2005年頃から、徐々に楽しみの幅を拡げていたブログに自分の現状を投稿する事で簡素な内容にもかかわらず、少しでも私の症状の現実を把握してくださったり、小さな回復を共に喜んでもらい、外界とのつながりを強く感じられて、大きなエネルギー源となりました。

時は前後しますが2002年、高校在学中に校内にて手動車椅子を自力で操作して、エレベーターから降りようとした際に、いつもなら自分のペースで出来ていたことが、完全にうまくいかず車椅子から落ちてしまった事があります。発生したのが授業中で、しかも学年末。普段なら、ちらほら同級生も通りかかるので、助けを求めやすくても、さすがに、この時期は進級に向けて個々に必死な事もあり、人通りも少なかったのです。助けを求められるまでの間に、「ガシャン、ガシャン」とドアに何度も挟まれたことは、音と記憶の中の映像とともに今もはっきりと留めています。この時に聞いた音が、当時の自分には強烈過ぎたことや、補装具を履いていて足自体は保護されていたものの、ドアに挟まれたことによって感覚麻痺があるのに痛みを感じたため、この日は早退しました。そのまま、いつもの小児科の病院を受診して、レントゲン検査を受けたところ…
「骨に少し傷がついたかも」という診断を受けました。皮肉にも、この診断が高校時代の中で唯一、心因性と判断されなかった症状となりました。この事態を受けて、ドアの開閉時間を延長して頂きました。その後も、登校は続けられたものの音に対する過剰反応が、ものすごく増えてしまいました。それは、担任から各教科を担当していた先生方に対して、事情説明や大きな音や声を可能な範囲内で控えてもらえるように、お願いをしてもらなければならないほどでした。それでも、うまく教室に居られないことが多々ありすぎて、長時間保健室にいさせてもらいました。様々なご迷惑をかけ続け、いろんな人々を巻き込み、対応してもらなければならなかった現実には…今も申し訳ない気持ちがあります。ですが、その気持ちより遥かに粘り強く対応してくれたり、共にいて変化を気づき続けてくれた高校時代の仲間や恩師の方々への感謝する思いは絶大で、言葉にし切れるものではありません。

この2つの事例を比べると、「音のある世界」の時の方が、私にとっては心の大パニックにつながりました。

そして、高校時代の事故に関しては、これまで母そして当時、私の事を支えてくれた担任を筆頭に関係者・診察で話題にする事はあっても、公に対してお伝えする事を控えいました。
理由としては、私自身が公表するにあたり、心の準備をするために、たくさんの時間が必要だった事。そして、書く事で恩師達にどのように捉えられるかという点において、一番の不安があったからです。
しかし、本作を書くには「避けては通れない事実」と考えて、このような事故は、可能な限り1人も経験して欲しくないという思いは、ずっと強く持ち続けています。そして、そう願う気持ちは私の高校生活を支えて下さった方々も、同じだと確信しています。
本気で願っているから、お伝えさせていただく必要性を思わずにはいられない。これが、公表に踏み切る決断したことのすべてです。



ここまで私の経験・体験を中心として、お話させて頂きました。

これを書き進めるにあたっては、私にとって自然となっている世界を、どう伝えたらいいのだろうかと、思う事も多くありました。そのような時には、母や友人に迷わず質問出来たことが、支えとなりました。
  • 2016.06.13 Monday
  • 11:20

Deaf Report

「聴くこと と 聞くこと」(加筆中)

私は、水頭症を合併した二分脊椎症者として、生まれました。
移動手段は、外出時は就学直前ぐらいから手動車椅子を利用。高校在学中からは、元々、手動車椅子の操作が下手だった事や、行動範囲を拡げる事を考えて、電動車椅子に切り替えています。自宅では、ぎこちないハイハイを長い間していましたが、2009年に急激な運動機能の低下をして以降は、ずり這いをしています。

学習面では、通園施設と幼稚園・保育園を経て、義務教育は身体面を重視して特別支援学校に、高校は社会生活への準備期間として一般校に在籍しました。
様々な症状を経験する事が、年齢を重ねるにつれて増加していっても、自分なりに、楽しむ日々を送っていました。予期せぬ体調不良や症状増加は、それまでも、周りの症者の方々と比較しても幼い頃から早かったので、この先もその点においては、変わりないだろうと思っていました。

ただ、聴覚を除いては…。

2003年のお盆に3ヶ月ぶりの外出で、父と暑い中、汐留に行きました。
張り切りすぎた結果、熱中症により1歳の時から通院している小児科の病院へ救急搬送。熱中症の症状が落ち着いた夕方に、聴覚異常を感じたため、すぐに症状をドクターに伝えるも…

熱中症に伴う一過性症状程度に診られて…相手にされぬまま診察終了。

19歳のこの日が訪れるまでは、健聴だったので、この先もその状況が続くものと思っていました。しかし、自覚症状が現れた数日後に聞こえた救急車のサイレンの音に同じ乗り物とは思えないほどで、左耳からはJ-POP、右耳からパンクロックを聞くぐらいの差があり、J-POPのような感覚が押し流されるほどでした。そして、このサイレンの音を聞いたその次の瞬間には…

「もう、回復どころか悪化するのは、間違いないだろう」と確信へと変わりました。
その後もまるで、その予測は「正解だよ」と言われているかのように、毎日低音から順に一つずつ消え去っていくことの連続…だんだんと左耳から入ってくる音も、右耳と変わらなくなっていったのです。
今まで、聞こえていたことに感謝した上で、別れを告げていました。

症状への理解を得る事は、困難だと判断。脳外科医に、小児科で伝えた経緯と共に説明をした結果、早期の耳鼻科受診を勧められました。
この病院では、小児科でオーダーを出してもらう事が必須なので、再度受診しました。難色を示して、相手にされなかったあの日とはまるで違い、ものすごくスムーズな対応でした。

そして2004年2月、念願だった耳鼻科の初診。この日にドクターからかけて頂いた言葉に、感動した事を今でも、鮮明に覚えています。

「私は、二分脊椎症について研究をしているけど、研究が足りなかったらゴメンね。」

それまで、多くのドクターに出会って来ましたが、このような強いメッセージを届けてくれた事はありませんでした。
聴覚症状としては、「音のある世界」にいられたものの、雑音が多すぎて「音のない世界」への移住が相当進んでいました。そのため、病院の予約・キャンセルも、元々FAXも機能的に難しいという事を伝えた上で、メール対応可能と言っていただいた場合には、ありがたくお願いするようになりました。
病院によって、対応して頂ける内容は異なります。
整形外科の病院では、診察券に「私は耳が聞こえません。」と書かれたシールを貼ってもらって使用しています。さらに、会計時に呼ばれている事にスムーズに気づけるように、手のひらサイズのバイブレーターを渡してもらえます。

このような対応をしてもらえる病院があると、小児科の病院で伝えた事があります。話を聞いて下さり、診察券のコピーまではして頂けました。しかし、その後の進展は残念ながらないままの現状です。もう、何年も経っているのですが…。

私は利用した事がありませんが、数年前から少しずつ聴覚障害者が利用しやすい通話環境がアプリなども含めて拡がりを見せています。その一つに、「電話リレーサービス」があります。このサービスは、聴覚障害者が電話を一人でかけられるように、聴覚障害者と電話のかけ先(聞こえる人)を電話リレーサービスセンターにいるオペレーターが、テレビ電話を活用して、文字や手話と音声の通訳をすることにより、電話で即時双方向につなぐサービスです。
しかし、私が利用するには向いていないと思っています。理由としては、私は家では寝たままの姿勢で過ごしています。外出時は、電動車椅子に乗っている分、手の動きにもゆとりはできます。ですが仮に、スマホを固定した状態にできたしても、体勢が不安定なので、コミュニケーションをする以前に、相手に自分の姿を見せる状態を持続する事が困難だからです。
他に調べた範囲内では、チャットを活用しているサービス団体もあるようです。
いずれにしても、いきなり本番は無理なのは想像できます。まず、体験を重ねていくことが必須です。
そのため現段階では、メールが視覚から情報が得られて、確実に連絡が取れる手段となります。そして、自分で連絡できる事に対する喜びも大きいのです。
今後、多様な連絡ツールが利用可能となる事に希望を持ちながら、技術進歩の情報にも、接し続けたいです。そして、出来ることなら、まず、当事者の1人として体験できる機会を増やして頂く事から、裾が拡がればいいなぁと強く思っています。

2006年10月 病名「 巨大水頭症の悪化による聴覚失認 または 皮質聾」という診断に至りました。ABR検査では、脳と耳から指令が出ていて正常。まだ、診断の可能性を諦めきれずにいたので、自ら希望して撮影したMRIの結果を診て、

「聴覚神経が圧迫されているため、音声認識ができない状態である」事の説明を受けました。
診断前の一時期、耳かけ型補聴器を病院からの貸し出しという形で、使用していました。しかし、振動から得られる感覚を求めすぎるあまりに音量を、常に、最大にして使用していましたが…

「これは、聴覚本来の機能も失う事になり、耳にとって負担が大きい」
というドクターからの話を聴いて、利用を中止しました。それ以降は、全く使ったことがありません。さらに、この日を迎えられるまでの間には、感音性難聴の可能性に触れられた事もあり、人工内耳の手術の話も出たことがありました。
ですが、MRI画像を見てドクターが、安堵の表情を浮かべながら…

「あの時、急いでオペをしなくて良かった。」

と話してくれた事が、今でも鮮明に脳裏に焼き付いています。
この診断を受けて、聴覚障害者としての証明と利用可能な福祉サービスをスムーズに受けるために、身体障害者手帳を更新しました。それまでの障害に加えて、「聴覚障害2級」が記載されています(手帳上では、聴力障害とされている)。私自身も手帳更新時に知りましたが、聴覚障害としては2級が最も重度となります。一般に、聴覚障害をほとんど有していると思われている「言語不明瞭」の部分がありません。むしろ、聴覚障害になってからの方が、相手に伝えたいと思う意思を強く持つことで、はっきりした発音となり、健聴の頃から知っている方にも、「今の方が聞きやすい」と言われるほどです。世間一般の考え方で見ると、障害が増える事はマイナスと捉えられる事が多くあります。確かに、障害が増えれば不自由さは多くなり、必要となる説明は長くなる一方です。
また、同じ二分脊椎症を有する方であっても、水頭症の有無によって、子どもの頃から目には見えない心の壁も感じてきたのも事実です。
具体的には、特に運動機能や学習面において、「お宅は大変そうだけど、うちはその点に問題ないから」と、はっきりと言われる事も幼い頃から良くあって、つらくなることもありました。症状が増えるにつれて、その溝は深まる一方で…同じ病名と診断された症者の中であっても、1つは、自分の身の周りの事が一通りできる運動機能的に私よりは軽度の当事者、もう1つは、自分と同程度の介助を必要とする症者といった感じに大きく2つに分かれている事を、受け止めるしかありませんでした。しかし、後に私より軽度な方々に様々な症状が発生し、慌てている姿を目にすると、先にいろいろと経験出来ていて良かったと思います。
さらに、聴覚障害診断までの数年間、他のあらゆる症状をベテランに訴えても、診断が不可能な事の連続でした。
そのため、心因性と判断される事がとても多かったのです。その事が要因となり、心に大きな雪だるまが出来るほど、積もり積もったものとなっていくばかりでした。頭では、解らない事もあると理解しつつも、どうしても納得のいかない時をずっと過ごしていました。
そのような日々が長く続いていても、症状そのものとの付き合いは、尋常でない激しいものに襲われていない限り、楽しむ事は変わっていませんでした。
しかし、さすがに診断には絶望的な気持ちが膨れ上がって、次第に…


「もう、私が生きているうちに納得のいく診断は、されないのではないか」

と、心は諦めの境地に向いてしまっていました。

そして、「ここまで、調べ尽くしてくれた上での結果だから、受け入れよう」

とMRI診断の直前は、一つの覚悟をするかのような勢いで、自分に言い聞かせるようにしていました。

ところが、聴覚障害の診断を受けられたことで、他の症状についても諦めきれずに伝えながら待つ事ができれば、心因性診断が減少して…
いつか、解明へとつなげる事ができるかもしれないと、「希望の光」を見ることが出来ました。
ドクターによれば、このケースの聴覚障害を正確に理解している耳鼻科医は、当時の時点で…世界で10人程度だと聴いて、良い出会いに恵まれた事に感謝しました。その一方で、たくさんの誤診が続いているであろう現実を想像したら、ゾッとせずには、いられませんでした。

幼い頃に、中耳炎や外耳道炎を繰り返していた影響からなのか、自然とある程度の読唇術が身についていた事がどこに行ってもほとんど困る事はなく、楽しく過ごしていました。実は、聴覚異常を本格的に感じるまで、何か問題が発生すれば、開業医の耳鼻科をその都度、受診する程度で、ずっと聴覚症状には注目することが、そもそもありませんでした。そして、脳外科医が耳鼻科受診を勧めてくれたのは、1人の二分脊椎症者の方が聴覚障害を発症した事を知っていたからでした。しかし脳外科としては、問題にならない程度の小さなシャントトラブルの積み重ねが引き金となって、聴覚障害につながる症例については、ご存知ではなかったようです。
2006年4月にシャントトラブルがCTで確認されて、脳外科診の翌日に入院して、その2日後に手術しました。
退院後の初めて耳鼻科診で、シャントの再建術によって聴力の回復の可能性があった事を聴きました。しかし、オペ以前の3年間CTを撮り損ねているうちにシャントトラブルを起こして、聴覚神経を圧迫しすぎている事が要因となり、回復はしませんでした。
この経験から、私と母はシャントのチェックを目的としたCTの撮影が、耳鼻科の観点からも重要である事を、水頭症を有している方とそのご家族に伝え続けています。ですが依然として、水頭症と聴覚障害との関連性への関心や認知度などは、広められていない状況でなかなか変化を感じられないままです。

就学前から英語が好きで、ひらがなより先にアルファベットを遊び感覚であっという間に覚えてしまうほどでした。
母の主導の下、色々と学習機関に連れて行ってもらっていました。私には、元々の障害の一つとして四肢機能麻痺があります。これにより、書字速度も一般に比べ遅いため、たくさん書いて覚える事は現実的ではありません。この点を、考慮しながらどこに行けばいいかを良く選んでくれて、行く先々、全部大好きになりました。

その中で今、振り返ると中学時代に1年半通った地元の個人塾が唇の動きを読み取るための基礎づくりとなりました。ここでは、外国人に通じる英語を目指して、発音の徹底を求められる厳しい授業の連続でした。
先生の唇の動きと発音を吸収して自分も発音練習したり、発音された単語を書いたりするトレーニングを徹底されて、正解した時の喜びは絶大でした。
この頃はまだまだ、読唇術という言葉すら知らない時でしたが、音声以外からも情報を得る方法を知る大きな機会となり、原点です。
更なる精度向上を求めて、2007年6月から3ヶ月間(週1回)、東京都主催の読話講習会に参加しました。

この講習で学んだことをきっかけに、それまで感覚で身につけていたもの加えて、知識を増やすことができました。そして読唇術というものは、そもそもどういうものであるのかから始まり、相手にどのような対応をしてもらう事が、読み取りやすくする事に、つながるのかなど全体が網羅されていました。さらに、コミュニケーションをする時には、もちろん、読み取る側になるばかりではありません。読み取ってもらう側になる事も、必ず想定する必要があります。その点への意識を高めるために、当事者同士がペアを組み、相手の話を読み取る事も実践しました。読唇術は、もちろん唇の動きを読み取る事によって、コミュニケーションが成立します。さらに、唇だけを見ているのではなく、舌・表情筋そして、相手の反応を見てスムーズになります。

さらに理想としては、口の動きを親指1本が入る程度にして、スペースに余裕があり可能ならば、前方斜め45度から話して頂けると格段に読みとりが行いやすくなります。そして、ここで学んだポイントが大きなヒントとなり、あくまでも内容の理解は別として、日本語・英語・中国語・韓国語の違いは、読み取れるようになりました。

この他のポイントとしては、テレビ・本・雑誌などで、様々な情報にふれて知っている言葉を増やしておくことが重要です。それから、これは私がここまで運動機能的に1人で動けない事が関係しているために、より感じやすいと認めた上で…、メールでのコミュニケーションも、語彙を増やす手段としてとても有効だと思っていて、フル活用してスマホにしてから、LINEをなくして過ごすことは、完全に不可能と感じるほどです。残念ながら、ニュースではメールの悪用事例・事件を目の当たりにする事が、ほとんどです。そのリスクについては、決して軽視できるものではないのも心得ています。その点に注意しながらも、会話をしていない場合、どのような事態に陥いる要因の一つとなる危険性も考えられないでしょうか。それは、聴覚障害自体から発生するコミュニケーション障害に加えて、さらにバリアとなる引き金となりかねないと、一種の危機感があるのです。
本レポートは、聴覚障害当事者の1人として書かせていただいておりますが、音声言語でのコミュニケーションが困難・もしくは不可能な方々は、多くいらっしゃいます。言語障害を有する場合や、気管切開またはガンなどによって声帯摘出をされた方たちです。
その中で最近、より関心を寄せられた著名人が歌手 つんくさんです。

2016年3月の報道を見て、以下の通りブログに書かせていただきました。

「被災地の子供たちとコンサート」

これは、NHK「おはよう日本」で放送された歌手 つんく♂さんが中心となって、取り組まれている活動です。

一昨年、ガンのため声帯摘出。
歌を歌うことで、パワーやハートを伝える事は出来なくなりました。

しかしこの経験が、「まだまだ音楽を関わる方法はたくさんある」と新たな発見につながったのです。

コンサートで合唱する歌の作詞。

そして、指揮者と参加して、歌詞に込めた「生きる喜び」を全身で伝えていました(o^^o)♪

コンサート後、関係者の前で話す姿もありました。

現在のコミュニケーション手段は、筆談やパソコンに書いたものを代読してもらう他、LINEも活用されています。

この姿を見て、多くの聴覚障害当事者・聞こえにくい人々・声が出しにくい人・失語症の方など…
多くの人たちに、コミュニケーションの取り方は多様であることを、伝えてくれたので嬉しく、心が温まりました☆彡

さらに、聴覚障害者には、話をする事が難しい「コミュニケーション障害」と、災害発生時には、給水や食事などの提供に関する内容をうまく知る事ができない「情報障害」があると、「音のない世界と音のある世界をつなぐ 〜ユニバーサルデザインで世界をかえたい!〜 松森果林著 -岩波ジュニア新書- 」にも、明記されていて、コミュニケーションツールは、日常的に複数を使いこなせる事が大切となります。そうすれば、突然の事に遭遇してしまった時としても、最初こそ少しずつかもしれませんが、自分らしく居られるポイントを増やすことが出来て、小さな安心を積み重ねられる、きっかけになるだろうと思います。そして、その言葉を発する時に自分だったら、どのように唇・舌・表情筋を動かしているか、知っておく事で言葉数が格段に増えて、相手との会話のキャッチボールがより長く続けられるコツになると思います。

ここまでは、読唇術をするための準備段階です。

そして、この先が本番となります。

普段、ほとんど日本語を話していますが、人の口形や話し方、そして方言などによって少しずつそれぞれ違うものです。
そのため、単に日本語である事にこだわり過ぎると、意味を理解する事ができなかったり、たまには1単語も読み取れなくなるのです。

結果として話がつながらず、頭の中で混乱し、楽しめなくなるのです。
そこを少しでも、クリアにしていくために大事なのが、多言語に触れることなのです。
私は、幼い頃から英語が好きでずっと発音重視の教育を受けさせてもらいました。中国語は、高校の選択科目としてかじっただけです。韓国語は、テレビドラマなどを眺めるだけです。
それでも、言葉にこんなにも違いがあるのかと、たくさん気づかせれてくれるほど、感じるものが多いです。
日本語は、はっきりした発音で静かに話す標準語がベースとなっています。

それでも、口形やその人が慣れ親しみ使ってきた方言によって、全く違う言語に見える事が多々あります。

それは、同居する家族であっても例外ではないと日々、感じています。

私の両親は、母は京都出身、父は埼玉出身です。

母は、口形もテキストにしたいほど読唇術に最適で、生活に困らない程度の手話も知ってくれているので、コミュニケーションはスムーズです。
手話を知ったのは、小1の時でした。きっかけは、身近に1人の聴覚障害当事者の方がいて、少しでもコミュニケーションを楽しみたくて、少しずつ覚えていきました。
成長するにつれて、声も出すのも不可能な症状を襲われる事も多くなり、自分の意思を伝達するためのツールとして、活用し始めました。指文字を母から教えてもらって以降、使う事が増えました。聴覚異常を感じた際にも、小児科医に、手話を使いながら症状を伝えようとしました。
しかし、「話せないなら手話を使うことを理解するけど、話せる状況で使うのは、話す事から逃げている。」と言われて、一瞬戸惑いました。
そこで、すかさず対応してくれたのが母でした。
手話を使いながら「私に症状を伝えなさい」と言ってくれた事に、救われました。今振り返ってみても、母に感謝する気持ちに変わりはありません。そして、症状そのものを体験する事にも、場合によって怖さを感じることも多いです。そして、症状を伝えられない事はそれ以上に不安や恐怖をよびかねないと思った事が、未だに頭から離れることはありません。
さらに、母の唇が読みやすいのは私だけではありません。
読話講習会で知り合った女性と、1度だけ話したことがあり、「初対面だけど、分かりやすい」と感想を伝えて頂いた事があります。、
一方で父は、口形から言葉を読み取るのは難しい上に、一つも手話を知らないので、とにかく読唇術を行う以外の手段がない現状が変わる事なく、今に至っています。そのため、彼と話す時は、いかに少しでも聴き直さない事を意識した上で、話し方は、どの言語に近くて、多く話す言葉をとにかくインプットし続けているので、ある種の緊張状態の中にずっといるのです。

ここで、母とのコミュニケーション手段の一つとしてふれた手話について、さらにお話させていただきます。

手話は、世界共通と思われがちですが、その国によって、それぞれにあります。
ですが、単語は共通しているものは多くある事から、通じやすいようです。

以下は、「耳と脳」を読了した時にブログに掲載したものです。「日本手話と日本語対応手話」についての解説を、原文のまま紹介させていただきます。さらに、私にとって、読みやすいものがどれかについても明記しています。


ろう者による自然生成言語としての日本手話と、聴者が日本語に対応させてつくった日本語対応手話は言語的には全く別物である。
韓国手話、台湾手話、日本手話は単語において60%(諸説あり)ほど共通しており、日本手話の話者は韓国人や台湾人との手話コミュニケーションが聴者のそれに比べると難しくない。

また、日本語対応手話が日本語の文法に合わせた手や指、腕を使う手指動作だけで単語を表現するのに対して、日本手話は、視線・眉・頬・口・舌・首の傾きや振り・あごを引いたり出したりなど非手指動作も用いている。SVO型の語順の文法も用いられている。日本手話はその意味で、日本語あるいは日本語対応手話とは全く異なる体系をもつ言語である。日本手話では聴覚言語に固有といわれるプロソディ変化の表現も可能である。プロソディとは、発話において現れる音声学的性質で、その言語の一般的な書記記録からは予測されないものすべてをいいます。具体的には抑揚あるいは音調、強勢、音長、リズムなどを含むが、これらのうちで文脈によって異なりうるものを指すのであって、その言語で決まっているアクセント(高低アクセントあるいは強勢アクセント)、声調言語の声調、音長を弁別する言語における長母音・短母音の区別といった性質は含まない。
韓国手話、台湾手話、日本手話の共通性は、日本統治の影響と考える説や日本手話がろう者による自然生成言語であるために、文化的背景が同じ地域の民族で共通項があるのだとする見解など諸説がある。
人工内耳装用しても、健聴者と同等の聴力を得るわけではない(重度難聴から軽度難聴あるいは中等度難聴の状態になるだけ)。また、装用してから初めて文法体系を学習させるのは非常に不利である。聴覚口話法やキュードスピーチなどと併用して行うだけでなく、日本語対応手話の学習も併せて決して否定されるものではない。例えば、健聴の両親のもとに生まれたろう児に対して人工内耳装用までの期間、日本語対応手話を用いたコミュニケーションを積極的に行えば、あらかじめ語順(文法)を学習することができる。生活のなかでの所作・作法といったしつけ教育は作業記憶として後々に抽象的な言語(「しゃきっとする」など)を獲得していく際の手助けになるであろう。日本語対応手話の語順を学ぶことは、書記言語の学習効果もあがることが期待できる。

先ほどのキュードスピーチとは、読話の補助をするために,手指による手掛かり(キュー・サイン)を用いてコミュニケーションをする方法のこと言い、この中にもあるように、主に言語確立がまだ出来ていない方々が活用されています。
このような解説をしていただけると、当事者としてありがたいですし、自分も誰かに説明するときのテキストにしたいです(^-^)ろう者が国際交流を行う際に公式に用いるために作られた手話、「国際手話」もあります。各国の手話を元にした一種のピジン言語です。世界ろう連盟やデフリンピックをはじめとするろう者の公的な国際交流の場や、他国への旅行・交流などのより私的な場でも意思疎通を図るために用いられています。しかし、各国の手話の方がそれぞれに浸透しており、広まっていないのが現状です。

私は、日本語対応手話の方が読み取り慣れています。
読話講習会を受講していた時に、ろう者による日本手話のDVDを見たことがありますが…。
それは、手話で話されている当事者の方の話す事への集中力がずば抜けていて、早すぎて一語も読み取れなかった経験があります。
今は、手話があるニュースを見ていると話しているのが、聴者か聴覚障害当事者のかはすぐに判断できるようになっています。
聴者は、手話で話す時にも口話の時と同じように、唇を動かします。一方、聴覚障害当事者はポイントとなるところのみ唇を動かすので、ここが大きな違いとなります。


さらに、「ろうを生きる 難聴を生きる」で日本の手話の原点を知り、次の通りブログに記載しました。


「ろうを生きる 難聴を生きる」

今回は、短縮版の再放送で、日本の障害児教育の先駆者が紹介されていました。

古河太四郎は、教師でした。

人の暮らしが少しでも楽になるようにと思い、実行の最中に、書類の不備により懲役刑を受ける事に…。

この時古河は、獄舎の窓ごしに、聞こえない子どもたちがいじめられている姿を目にします。

「教育の機会さえ与えれば、この子たちの人生は変わるはずだ」。

そう感じた古河は、明治11年に京都盲唖院(のちの 京都府立盲学校と京都府立聾学校)を設立しました。

彼はまず、五十音に合わせた指文字を考案。
さらに、手話を使った教育に加えて発音の指導もしました。
さらに、京都府立聾学校に残されている史料を読み解くと、発音の方法も絵で示すことで、聴覚障害児自身が特にどのように舌を動かせばいいのか習得できるように丁寧に解説されています。

もし、彼がここまで熱心に、障害児教育に携わっていなかったら…

障害児への指導の広がりや、障害児自身の学ぶ事の喜びを日本で味わえる日は来なかったかもしれないと思い、感謝の気持ちでいっぱいになりました((#^.^#)

さらに、世界と国内の大学では、聴覚障害当事者に対しての教育体制は、次のようになっています。報道などで、特に目にする事が多いのは、こちらです。

世界では、アメリカにあるギャローデット大学。
大学内でのコミュニケーション手段はアメリカ手話(ASL)と書記英語(英語版)です。アメリカ手話は、学生、スタッフ、教職員、学長など、全ての人が習得しています。手話を知らない新入生、新採用になった教職員、他国からの留学生は新学期に備えて手話講習会に出席し、これを習得する必要があります。

国内では、筑波技術大学が聴覚障害者及び視覚障害者の特性に配慮し、学部教育全体を通じた効果的・弾力的な履修が出来るよう、指導上の配慮を図ることにより、新しい高等教育を展開しています。

皆さんも、慣れない土地に行ったり、遠方から来られた方に出会った時に、その地方の方言をネイティブのままで話されると、分からないという事は実感された事がありませんか?

「音のある世界」から「音のない世界」に入りたての頃や、または、どうしても読唇術が難しい口形の方に出会った時に、私が味わう感覚はこの現象と、とてもよく似ているのです。

英語と中国語は、発音に似ている部分がある言語です。ある程度、唇・舌・表情筋をしっかり動かさないと発音出来ないのです。
韓国語は、濃音と激音という固有の強い発声が不可欠な言語で、英語や中国語よりさらに、しっかり唇・舌・あごを動かすことで可能となるはずなのにと思うのですが…。感情を強く出していない限り、「いったい、どうしたらそんなに唇も動かさずに発音出来るのか」と、疑問に思う程なので、発音できる事に感心してしまいます。

このようなポイントを知っておくことによって、話す言語がほとんど日本語であっても「今、話している相手のこの話し方は何語に近い!」と大きな手がかりとしてフル活用し、よりコミュニケーションを楽しむことが出来るのです。

なかなか、実際に人とお会いする事が出来なくても、テレビで色々な方を目にすることで、楽しみながら自然と読唇術のトレーニングになると、日々実感しています。人の口形はそれぞれ異なりますが、必ず似たような形をしている方はいて、その形によって読唇術を行う時に、ポイントとなる所はそれぞれにあります。
ここから、皆様によりお伝えしやすくするために、「誰々のような口形の人は…」というスタイルで、例を挙げていきます。この中で多言語に向いている事もお話しますが、あくまでも読唇術の観点だけを対象とします。実際にその口形をした方がその言語をどの程度話せるかは、個別の話は、本作においてふれる事はありません。


SMAPの草なぎ剛さんのような口形の人は、唇の薄さと舌の使い方が韓国語を話す事に向いています。そのため日本語を話す際には、ほんの気持ち程度に意識して、口を開かないと言葉と言葉の境がわかりにくくなってしまいます。

SMAPの木村拓哉さんのような口形の人は、次の単語へのつながりが非常になめらかなので、英語を話す時に最適です。

SMAPの稲垣吾郎さんのような口形の人は、木村拓哉さんのような口形の人よりもさらに繊細な発音に適していて、イタリア語に向いています。

SMAPの中居正広さんのような口形のような人は、ほんの少し意識した状態で、日本語を話すとわかりやすくなります。

SMAPの香取慎吾さんのような口形の人は、少々の早口からゆっくり話す時も、常に日本語を話す事が最適です。それは、読唇術のテキストにぴったりなほどです。

嵐の大野智さんのような口形の人は、どのタイミングで見ても唇の開き方が小さいため、一言を読み取るのも極めて難しいです。

嵐の二宮和也さんのような口形の人は、大野智さんのような口形の人よりは、唇の開け方は大きいものの、言葉の区切りが分かりくく、結果的に話の理解にたどり着くことが困難な場合が多いです。

嵐の相葉雅紀さんのような口形の人は、少しだけ丁寧に話すという意識をしてもらえることで、わかりやすくなります。

嵐の松本潤さんのような口形の人は、日本語に最適な部分と、SMAPの木村拓哉さんのような口形の人と同じような英語に向いている部分を合わせ持っています。そのため、日本語を読み取っていることに対して意識過ぎない事が、ポイントとなります。

嵐の櫻井翔さんのような口形の人は、自然体なスピードで話してもらえれば、読心術に最適となります。

ものまね芸人のコロッケさんのような口形の人は、何も意識していない場合には、唇の中心部分の動きが際立つ傾向あります。ですので、1度気持ちよく口を開けて笑った後に、口を完全に閉じないうちのやや大きめに開いているタイミングでお話してもらえると、格段にわかりやすくなります。

「日本エレキテル連合」の中野聡子さんのような口形の人は、唇がかわいらしすぎるほど小さいため、言葉を読み取るには難しすぎます。

「日本エレキテル連合」の松本小雪さんのような口形の人は、自然体な話し方であれば、日本語を読み取る時には最適となります。

落語家 桂歌丸さんのような口形のような人は、言葉の節目・つながりなどのポイントが掴めないので、ジェスチャーなどがサポートとなります。

落語家 三遊亭小遊三さんのような口形の人は、口の開け方が小さい時にはどうしても、読み取れない場合もあります。それでも、読み取れた部分によって分からなかった言葉を想像が出来て、話を理解する事が可能となります。

落語家 三遊亭好楽さんのような口形の人は、時には、早すぎたりすることにより、読み取れない言葉もありますが口の開け方も程よくわかりやすいです。

落語家 林家木久扇さんのような口形の人は、唇の開き方が大きければ、読み取りやすくなる言葉も増やさすこともできます。

落語家 春風亭昇太さんのような口形の人は、読み取りやすい部分とそうでないところを周期的に繰り返す傾向になりやすいため、慣れるには時間を要する事が多くなります。

落語家 林家たい平さんのような口形の人は、私の母と同じだけ読心術のテキストに最適です。


様々な例を挙げた中で、口の開け具合について少し意識してと、書かせていただきました。これは、先にもお話させて頂いた事の繰り返しなりますが、大げさなほど開けて欲しい訳ではありません。ベストな開け方としては、「あ」と発音する時に、親指1本が余裕で入る程度となります。また個人によって、異なる場合もありますが…大きすぎる声や、とてもゆっくりに話していただくのではなく、自然体なスピードで話していただく事を、希望しています。



また、2015年に出会った書籍「耳と脳 臨床聴覚コミュニケーション学試論 中川雅文著 -医歯薬出版株式会社-」に以下のように書かれています。

言語ごとに異なるパスバンドに対する感度の違いは、人種ごとに異なる頭部の大きさや耳の形状の違い、さらには住環境を含めての日常に溢れるノイズなど様々な要因が複雑に絡んで生じたものなのであろう。トマティス博士の唱えたパスバンド理論はアナログ解析装置時代のデータがベースとなっている。例えば2003年に新しく決まった等価レベルでは40phone時の音圧レベルが10kHzで5dB程度のエラーが確認されている。パスバンドの定義もデジタル時代にふさわしい再評価が必要な時期がきていて、これまで説明として使われていた周波数にエラーが含まれていた可能性があると筆者は考えている。しかし、トマティスのコンセプトそのものの秀逸性を損なうようなエラーではないことを付け加えておく。

本書には、トマティスのパスバンド理論で研究された日本語を含む8言語の好まれる周波数が言語ごとに棒グラフで以下のように示されています。パスバンドに関する解説と共にご覧下さい。

パスバンドとはその言語が多用する周波数帯のことである。例えば通勤電車の中での電車の引き起こすノイズは日本語に対してはマスカーとして作用するが、英語の場合には日本語に対するほどにはマスキングはしない。だから日本人同士で車両の左右で向かい合って会話するのはよほど大きな声を出さないとダメだが、英語ならそれほど大きな声でなくてもお互いが会話できたりする。それほど言語によって多用するあるいは重視す周波数は異なる。移住すればすぐにその現地のことばを身につけられる。そういう話はよく耳にするが、おそらく言語のもつ固有の周波数帯が形成される一番の要因として環境や建築やインフラといった要素が大きく関与しているのであろう。

日本語 200〜1500Hz
ロシア語 200〜8000Hz
ドイツ語 300〜6000Hz
中国語 500〜3000Hz
フランス語 1000〜2000Hz
イタリア語 2000〜4000Hz
英語(米国) 1000〜4000Hz
英語(英国) 2000〜12000Hz

ここを読んだ時に、聞こえないもしくは聞こえにくい人々にとって、日本語でコミュニケーションをとる事そのものが、難易度が高いと非常に納得しました。
自分の話している内容が、おかしくなっていないかは、相手の表情を見て確認しています。自分が発している声の音量は、喉元の振動によって判断しています。
私の場合は、「チェックウーマン」のおかげで、人から音量に関しては、ほとんど指摘される事はありません。会話をしている際に、「うるさい」と言われた時と、そうではない時の喉元の振動を多く記憶する事でスムーズとなっています。聞こえない私に「美声で!」と日々求められる事には、ある種のプレッシャーがありますが、小さな事でも認められるのは、うれしいものです。

ここまで、読唇術が可能であっても、どうしても得られない情報があります。それは、イントネーション。

皆さんは、例えば「橋・端・箸」を伝える時に、一瞬、考えてから発した経験はありませんか?

私は、数年前に母との会話の中で、以下の経験をしました。



「イカナカッタ論争」

ある日、スーパーの広告を渡されて、

「何が食べたい?」と聴かれ、

「イカがいい」と答えたら、

彼女はすぐに買い物に行ってくれまし
た。

そして、数時間後に夕食となりました。

食事を置き始める時に、

「イカナカッタ」と言われました。

私が、キョトンとして戸惑っていると再び

「イカナカッタ」と言われので、

「スーパーに行かなかったの?」と聴くと

「買い物に行ったから、魚がある」という返答がありました。

この瞬間、「はっ!」と、気づいて

「イカがなかったんだね?」と聴き直すと

「そう、聞こえないから、より聴き方が重要だね!ブログに書けば?」

と言われて、美味しく食べ終わった後で、しっかり書きました。

この話は、音のある世界にいるか否か以前に「言葉のアヤ」の要素が大きいと、母に言われました。ですが、どのように情報確認を取るかという事の方が、音のない世界にいる私としては、より重要と感じた実例であり、伝えやすい内容なので挙げさせて頂きました。


皆さんは、「聞く」と「聴く」を普段使い分けをされていますか?

私は、「耳と脳 臨床聴覚コミュニケーション学試論 中川雅文著 -医歯薬出版株式会社-」と出会うまでは使い分けをしていませんでした。

耳鼻科医に、進捗状況を確認してもらった際にも、

「一般の人は、あまり『聴く』に馴染みがないと思うから、『聞く』に統一した方がいいかも。」

と言われたのですが、次の通りに
書籍「耳と脳 臨床聴覚コミュニケーション学試論 中川雅文著 -医歯薬出版株式会社-」記述されているのを読んで、使い分けの重要性などを感じた経緯を説明したら、納得をして頂きました。

ブログに掲載したものです。


今、もっと印象的となったのは…「聞く」と「聴く」の違い。

本書には以下の通りに説明されています。


「聞」という文字は「門(もんがまえ)」と「(音が転じて耳と書くようになった)耳」の2つの文字から成り立っている。音波がゲートの中に入っていくようなイメージであろうか。一方の「聴」という文字は「耳」と「十」と「目」と「心」の4つのパーツから成っている。部首である「耳」、これはこの場合、耳そのものを表している。「十」はたくさんという意味で、たくさん「目」配りして、注意を向けよという意味を含んでいる。さらに「心=脳」で受け止めよと言う意味をも内包している。「聴く」という漢字は「聞く」にはない「心で受け止め咀嚼(そしゃく)し、理解すること」という意味が含まれているのである。



私は、「聞く」は不可能だけど「聴く」は可能。

もっと聴く事を高めなければと意識させてくれる言葉となりましたし、ずっとこの思いが深まるものである事は確実です!

ここが心に響き、納得したその日から、「聴く」事の重要性をより意識するようになっています。
聴者であれば、「聞く」事で得られる情報も、そうではない私と同じような立場である人々にとっては、いかに「聴く」事でカバーするか、対応力が不可欠です。

先ほどの「イカナカッタ論争」は小さな事であり、ゆっくり聴く事で分かるので最終的にクリアとなります。しかし、もっと複雑だったり大切な事柄については、いつ・どのように、そして誰に、どのタイミングで確認や聴いてみるか、難しいこともあります。
そして、ここまでさまざまな事を把握していて、診察時に受けた口話テストにおいても96%の確率でできると認定されています。しかし、この立場にあっても、どうしても不可能の場合があることも、これまでに経験してきています。
その時は、早く相手に読み取れない事を伝える事こそが、会話を円滑にするための近道です。

今、お読みくださっている方々の中に、聴覚障害当事者にとってサポートしてくれる情報・アイテム・福祉サービス・パートナーについて、ご認識のあるのはどれほどでしょうか?

まず、「電話お願い手帳」については、私も偶然数年前に頂くまで知りませんでした。また、報道でも取り上げられていない様子を見ていると、おそらく広域には知られていないものと想像しています。
これはその名の通り、当事者が電話をしたいけれど音声認識が不可能だったり、聞こえづらいために自身だけでは、どうすることもできない時、誰かに助けを求めるために必須な基本的なメッセージがまとめられている手のひらサイズの手帳です。電話以外では、避難所などでアナウンスされた内容を確認する際に、ポイントをつかむ事が出来るページもあります。指で指し示すだけで、最初のアクションは起こすことができ、筆談が苦手という場合にも有効なアイテムだと思います。

次に、「目で聴くテレビ」。
この番組は、聴覚に障害のある方のための放送局です。
1995年の阪神大震災の教訓をふまえ、全日本ろうあ連盟、全日本難聴者中途失聴者団体連合会などが中心となり、98年からCS放送(通信)をスタート。
聴覚障害者自身がキャスターや
カメラマンとして番組制作に参加。
ニュースや地域の話題からスポーツ、手話学習、災害時の情報まで、手話と字幕をつけてさまざまな情報を届けてくれています。
私が見た回数はわずかですが、欲しい情報が凝縮されていて、とても最適な内容となっています。


さらに、日々の生活を支えとなる物をご紹介します。

1つは、振動時計。難聴などの聴覚障害当事者にとっては、音で時刻を知らせてくれるだけの目覚まし時計は、役に立ちません。
そこで設定時刻になったら、バイブレーション(振動)で知らせてくれる振動時計をご紹介します。
振動だけでなく、光でも知らせてくれるものや、時刻だけでなく電話の着信も知らせてくれるものなども有りますので、自分の環境や使い方に合うものを選ぶことができます。

2つ目は、光で知るチャイム。
玄関チャイムやインターホンで来客を知るのは一般家庭では当たり前のことになりましたが、耳の不自由な方にとってはそれがなかなか難しいことなのです。
音量が小さかったり少し離れた場所にいたりすると、大事な来客に気づかいというような事も往々にして起こりえます。
そんな不便を軽減してくれるのが、光で来客を教えてくれるチャイム。訪問者が玄関先の押釦を押せば、室内の本体から音とともに光が点滅して来訪者のあることと知らせてくれます。

3つ目は、聴覚障害者用通信装置
(ファックス、テレビ電話など)
一般の電話に接続することが出来、音声の代わりに文字等により通信が可能な機器であり、障がい者が容易に使用し得るものを家電量販店で既製品の中から選んで、希望の機種のお見積りを作成してもらいます。認められて限度額内であれば、公費負担により支給されます。
ただし、聴覚障害を補う目的以外の複合機などの高度な機能が付いたものは認められません。また、限度額を超えた場合には、その超えた分は自己負担となります。
先にお伝えした通り、病院との連絡を取る手段として、特に自分から発信するには、運動機能的に不可能であるため、対応可能であればメールで連絡を取っています。この他の友人・知人などに対しても、メールを連絡手段としているます。
しかし、福祉サービスを受ける時などには、全くFAXがない状態では連絡に支障があります。ですので、基本的には連絡を受けるばかりです。しかし、自分では連絡完結できない場合には、音声電話を含めて母にお願いしています。

さらに、身の危険を知らせる火災報知器は、このようなものがあります。

火災警報器シルタンちゃん
煙を感知すると、スイープ音(ピーッピーッ)で火災をお知らせするとともに、内蔵した無線送信器が電波を送信し、シルウォッチなどの受信器に迅速に火災をお知らせします。
手元の受信器の振動や光で火災を知ることができるのです。

臭気発生装置
住宅用火災報知器に連動して、音の代わりに「わさび」の臭いで危険を知らせる製品です。このわさびの香りで知らせる火災報知器の開発により、「イグノーベル賞」を受賞しました。
「イグノーベル賞」とは、1991年に創設された「人々を笑わせ、そして考えさせてくれる研究」に対して与えられるノーベル賞のパロディーです。

そして、人や物以外で聴覚障害当事者のパートナーになってくれているのが、聴導犬です。
聴導犬(ちょうどうけん)とは、聴覚障害者の生活を安全で安心できるものにするために、生活で必要な音をタッチして教え、音源に導く身体障害者補助犬のことです。
2016年4月1日現在、日本国内の聴導犬の実働数は64頭。盲導犬と比べまだまだ不足している状況である(潜在する聴導犬希望者は、1万人いるという推測があります。)
また聴導犬も、身体障害者補助犬法の適用を受けており、公共機関だけでなくてデパートやスーパー、ホテルなどでは、受け入れを拒むことは禁止されていています。しかし、残念ながら…盲導犬同様、受け入れを拒否する事例があります。
多くの待ち望んでいる方とパートナーとなれる聴導犬が、増える事を願っています。

このようにその都度、どうすれば話しやすくなる方法やツールなどを、探すのも一つの楽しい発見につながります。
そうは言っても…、目の前にいる方の声が、聞こえない事への寂しさがないと言えば、事実と大きく異って、ウソになります。それでも、「音のない世界」を楽しんでいる事は確かであり、「音のある世界」に戻りたい願望はありません。
ここまで色々ありすぎるほど、たくさんの事を経験しています。厄介な面も多々ありますし激痛を伴う時には、さすがにゆとりは持てるものではありせん。それでも、ここまで症状が増えるのは、「それなりに楽しむだろう」と知られている事にあると感じています。そして、「音のない世界」への移住も、「神様からのプレゼント」だと思うのです。
そして今の世界を味わいたての頃に、まず気づけたこと…
それは、「聞こえる機能がすごかったんだ!」という点でした。
人よりも、色々発見していてそれを両親や周りの人も楽しんでくれている様子を見ながら、私自身も喜びを多く感じてきて、自信のようなものもありました。
しかし、聞こえる機能に関しては私にとっても、「ごく自然なものとして、捉えていたんだ」と。
それ以来、何かしらの機能が失われていく度に感謝の気持ちが、より多くなっています。

家族以外との会話の中でも、特に印象深く残っている中で、いくつか紹介させていただきます。

高校時代に担任としてお世話になった恩師たちに、卒業後も数回再会するチャンスがあり、楽しい時間を過ごせました。
初めての再会は、2004年成人の日。
3人目の担任で2年間クラスの一員として、お世話になった間柄です。彼女とは、在学中に女性の先生の中では最も話していました。学校生活に関係する事はもちろん、プライベートな部分も相当、話続ける私にいつも合わせてくれるタイプでした。そのため、先生と生徒という関係性は確かですが、そんな堅苦しいような立場はまず考えることがほとんどありませんでした。私の様子を察しながら時に…ママ・人生の先輩・そして友人のように様々な場面で、いつも寄り添って頂きありがたかったです。
卒業してからも、たまに連絡を取り合っていたので、「今、話したらこんな感じだろうか」など想像できる状態を、自然と保つ事が出来ていました。
成人の日に彼女との再会したかった理由は、第一に私は地元の学校に在籍した事がなく、唯一のつながりが、中学時代に通った個人塾。一般の成人式に自分が出席する姿も想像できず違和感があったので、せっかくだから自分に合っていると心から思える一日にしたいという強い希望からでした。雑音が多い中、なんとか音声電話ができて快く私の思いを聞いてくれました。
そして当日、電車で当時お住まいだったお宅の最寄り駅まで一人で行き、再会。
駅前のお店でお茶をしながら、コミュニケーションもスムーズに出来ました。
その会話の中で、「残されている聴力は、保たれるのでは?」と期待の言葉をかけてもらって、笑顔で返事をしました。しかし、内心では…「聞こえる状況でお会い出来るのは、もう不可能だろうから心の準備をしておこう」と思っていました。
その後、メールを中心に連絡は取り続けていたものの、じっくり会ってお話をする機会に恵まれず、月日だけが過ぎていきました。
再会を願う気持ちが高まる中、2013年7月。ついに、叶う時がやってきました。きっかけは、同年5月に、私にとっての初エッセイ「ブログを書き続けるわけ」を医学雑誌に掲載させて頂いたことをお知らせした事でした。すぐにメールを頂いて、ランチをご一緒する事になったのです。
そして、ランチの日を迎えました。
お互いの明るさは、変わりなく話は弾みました。
しかし180度、私の世界に変わった事がありました。それは、2004年からこの日までの間に彼女は私の自宅を2回訪ねてくれていたので、すでに分かっていた事ですが…

音声からは、話を理解する事が完全に不可能になったという現実でした。

この状況にあっても、それまでたくさん話した時の雰囲気をずっと覚え続けていたこと、読唇術を身につけていた事でゆとりを持てたのです。
このヒトトキに自信を持つことできたので、他にもお礼を伝えたい先生方がいるし、エッセイの事を伝えて欲しいと伝えたら、またも喜んで引き受けてくれました。

先生達へ送って頂いたことで、手紙やメールで連絡が数人と取ることができるようになりました。まず、在学中に大変お世話になった事と、突然のエッセイを御一読頂いたことへのお礼を伝えました。

この事がきっかけとなり、10月に2番目の担任として、お世話になった恩師との再会が実現しました。
先に再会していた先生以外は、高校時代に寄り添ってくれた先生には卒業後、1人もお会いすることがなく…

10年7ヵ月という年月が経っていました。
この恩師は、先に再会した方と同様に私の様子を察して、その時々によって対応の仕方をバラエティーに富んだものにして頂き、大きなハートで支え続けてもらいました。ただ、なかなかしっかり話せないまま留年した1年間を見届けて頂き、進級決定を共に喜んでくれたところで異動された事もあり、ずっと心残りでした。ですから、やっとこの日を迎えられたことに、嬉しさと安堵感が湧いてきたことを今も忘れられません。
そして、本当に久しぶりなのにも関わらず、楽しく話せて嬉しかったです。

しかし、ひとつの問題がありました。
それは、記憶していた先生の口形や話すテンポは合っていたのですが、読唇術をするには難しかったのです。このため、ほとんど私から話し続けて…この時は終わりました。この現実は、想定を大幅に超える出来事で、マシンガントークのようになってしまったことに対して、申し訳なさを感じたことは未だに色濃く、脳に刻まれています。
そのような感じだったのにもかかわらず、お礼メールを送ったところ、「また会って、今度は一杯やりましょう!」という内容の返信を頂けて、在学中と同じように助けられて嬉しかったです。そして、今度はもっと言葉のキャッチボールを楽しみたい!!
このものすごく強い思いから、彼女と似たような話し方・口形の女性をテレビなどで見つけると、食い入るように見つめながら、2人で話す時のシーンを思い浮かべていました。でも、なかなかコツを掴む事に辿り着けず、メールのやりとりを続けながらも、時ばかりが過ぎていきました。
そして、ようやく大丈夫と思えるようになった2015年8月。
「デートの先行予約ってアリですか?」と、メールで聴いたら、快い返信を頂く事が出来ました。

そして同年10月、2年ぶりの再会ができて、学校でお世話になった先生とは、初めての女子会が実現しました。
この日も、最初からワクワクしていました。そして、注目していた読唇術もスムーズとなり、ほぼ一方的に話し続けた前回とは大きく違い、聴きたい内容も伝えられて、またひとつ小さな自信がつきました。さらに、またお会いしたい気持ちも、ためらう事なく全面に出て来ました。
これからも、形を少しずつ変える事はあるとは思いますが、お2人とのつながりを大切に、そして楽しみ続けたいです。

また、時を遡ると…まだ大幅な運動機能低下をする前に、こんな事もありました。

整形外科の病院で、順番待ちをしている時の事でした。
同じドクターに診てもらうために、待合室のベンチに座っていた初対面の男性が突然話しかけてきて…

「一人で来たの?」

「ちゃんと話せているけど、本当に聞こえないの?」

「唇の動き読み取っているの?すごいね!!」

英語も好きだと話したら…

「英語も勉強するなんて偉いね!!」

周囲の人にも広めていました(笑)

「電動車椅子のバッテリーは1回の充電で、どれくらい使えるの?」

「電動車椅子の費用はどれくらいかかるの?」


と、ほぼ質問攻めで終了しました。


そして、いざ診察へ。

そうしたらドクターからさっそく…

「さっきまで、何を話していたの? おじさんの声ばかり聞こえていたけど。」

と、聴かれて

「ほとんど、質問攻めだったよ。 私は聞こえないけど、体でおじさんの声の振動をたくさん感じて、どっちが聴覚障害者かわからなかった。」

と、答えたら

「本当に分からないね!!」

と、側にいたスタッフさんたちと大爆笑して、診察終了となりました!!





他にも、様々な事を楽しむスタイルも大きく変わったり、新たに好きになったり、じっくり味わうようになった事が増えました。

楽しみ方が変わったものの中で代表とも言いたいのが、音楽です。
聞こえていた時も、多少は歌詞を楽しむ事はしていましたが、どうしてもノリの良さなどの方が、勝っている状態だったと思います。
今は一言ずつ味わうように、じっくり読んでいます。
さらに、新たな楽しみ方が増えました。
リズムは振動によって楽しめます。さらに、キレのいいダンスを見られると、歌詞を覚えているものであれば、歌詞が出ていなかったり、歌手の口元が見えない状況でも、かなりノルことができます。

さらに、ダンスの振り付けの中に手話またはそれに近い表現が入っている曲も多くなり、より楽しみやすくなっています。

初めて、一部の振り付けが手話に近いと思ったのが、SMAP「世界に一つだけの花」です。
最初の頃は、メッセージ性の強さから純粋に、この曲そのものが大好きになりました。高校の卒業式の際に、使われていた場面を、今も頭の中で楽しく回想しています。この曲のCDが発売されたのが2003年3月。この年の8月に、聴覚異常を感じ始めた私にとっては、健聴の耳で聞くことができて、自信をもって歌えるラストソングとなりました。こんなに大好きになれる歌が、最後となったことに幸せを感じています。この曲は、今も自信もって歌い続けられているうちの1つで、心のパワーとなっています。また歌い続けられている限り、運動機能などに更なる障害が増えたとしても、明るく過ごせると思っています。
この他には記憶の範囲内では、「Not alone〜幸せになろう〜」と「Yes we are」の一部に手話または手話のような表現が入った振り付けとともに歌っていて、どちらも好きになりました。そして、これから他の歌手も含めて、どんな曲と出逢えるのだろうかと、待ち遠しい思いで胸が高鳴りました。
最近の曲の中で、他の歌手グループで印象深く残っているのは乃木坂46とAKB48です。
乃木坂46は、2015年10月にリリースされた「今、話したい誰かがいる」のミュージックビデオの中で、聴覚障害と健常者が、手話と筆談によって、少しずつコミュニケーションをとるうちに、お互いの心の壁がなくなるというストーリーを、メンバー達が演じています。この映像を見た時に、たとえたった一言だとしても、伝えられる事、それ自体が大きな喜びや次への架け橋になると思い、なんだか心がホッコリしました。
AKB48は、朝ドラの主題歌にもなった「365日の紙飛行機」で、曲の中で最もメッセージとして発信したいと思って書かれたであろう…

「人生は紙飛行機
願い乗せて飛んで行くよ
風の力の限り
ただ進むだけ
その距離を競うより
どう飛んだか どこを飛んだか
それが一番 大切なんだ
さぁ 心のままに
365日」
の部分のほぼ全体にわたって、手話を使いながら歌っているので、私も手話で一緒に歌っていてます!

歌番組以外にも、テレビで音楽を楽しめる機会がありました。見られたことがとても嬉しくて、2015年8月と2016年1月にそれぞれ、見てすぐにブログに以下の通り掲載しました。

今、タイミング良く見たら手書きで楽譜を書いたり、絵の具の色によって「目で楽しめる音楽」をベストなスタイルで届けてくれて、嬉し過ぎます!(2015年8月)

今回は、ベートーベンの「運命」。

CG画像を駆使し、音の長短・楽器の増減をグラフのような図形などを組み合わせ、「見える音楽」を楽しめました(⌒‐⌒)

昨年この番組を初めて見て、また楽しめる事を期待していたので、嬉しいです(^-^)

次は、どの曲を何を使って表現してくれるかなぁ?(2016年1月)

次に、音そのものを音として認識は不可能ですが、高低差は体の振動となって感じることができます。高いほど頭の近くで、低いほど腹部に近くなります。
この高低差を感じる方法は、人の声のポイントをつかむ時にも、活用できます。

スポーツを見ることも大好きで、よくテレビ観戦しています。
いろいろな競技を楽しんでいる中で、「聴くこと」にポイントをおくと、フィギュアスケートと大相撲が大好きです。

フィギュアスケートは、記憶にある曲を使用していれば、頭の中で演奏を思い浮かべながら、選手の演技全体を楽しみます。知らない曲での演技の場合は、流れている曲から感じる振動と演技を、組合わながら世界観に浸ります。高校生ぐらいから少しずつ関心はありましたが、最初は、なんとなく見ていました。それが今では、シーズン中はテレビ放送をワクワクしながら見るぐらいまでに、夢中にさせてくれるものへと、大きく変わっています。
大相撲は、子供の頃からテレビを見ていたので、自然なものとして受け止めていましたが、それほど好きではありませんでした。ところが、数年前から自分でも驚くほど好きになり、今では本場所中に、ブログとLINEで何かを伝えられずにはいられないほどになりました。
中でも、イチオシ力士は臥牙丸 関。
彼は、なかなか決め切れない取り組みが多くてハラハラの連続のため、正直15日間は落ち着けないのが本音です。
でも、感情を豊かに表すキャラクターが体の大きさからは、とても反比例していて、たまらなくなるのです。
負けた時は、今にも泣き崩れそうなくらいの状況で、花道を引き上げていきます。
勝った時には、満面の笑みで土俵から下がり、奥にあるモニターで自分の取り組みを確認する際も、周りの人に見て欲しくてたまらないお茶目な一面も。さらにインタビューがあると、インタビュアーから「もう、時間がありません。」と言われるまで、話が止まらず物足りない表情を浮かべることもありました。
彼の話は、口形がわかりくくて読唇術には向いていません。そのため、字幕放送のおかげで楽しむ事が出来ています。
このように音楽や声の振動によって楽しめることは多くあります。今後も、どのように更なる深掘りができるのか、想像するだけでも笑顔がこぼれそうです。

次に、トーク番組や落語も楽しみ方が、奥深いものとなっています。
この2つも、子どもの頃から好きでよく見ていました。まずトーク番組に関しては、健聴時には分かりやすいところだけを切り取って、そのポイントとなるものがいくつか集まると、自分なりにまるでジグソーパズルを組み立てるかの要領で、ストーリーを自己完結させて満足でした。このため、うまくタイミングが合えば集中して見られていました。一方で、一旦迷路に入り込んでしまうと…脳内で空中分解を引き起こし、そこでその内容に関する思考は完全に停止していました。なので、この事態が発生中に不意に感想などを求められたら、表現をする事が出来るまでに時間がかかり過ぎて、貝になる事が多すぎていました。結果として、よく母に「それで終わり?」と、よくガッカリされたものです。今となっては、そのような反応されてしまう事が、手に取るように理解できます。しかしその時には、「なぜ、この状況が伝わらないのだろうか。これは私だけの感覚なのだろうか」という疑問とともに、もどかしい思いが増幅していくばかりで、悔しさが際立っていた事が思い出されます。
ところが、このような混乱が「音のない」状況で見るようになったら、信じられないほどのスピードで頭の中が、まるで霧が晴れるかのように吸収できるようなった情報量が、大幅にアップしました。その方の声が聞こえないことに関して残念な思いは間違いなく、私の心の中にあります。一方で、ここを字幕放送やテロップから分かる言葉たちを一点に見つめられるようになったり、その会場を訪れているかのような臨場感を味わえる最大のチャンスだと、自然と気づくことができるようになったのです。
この変化を得られたことで、かつての断片的程度にしか吸収出来なくて見たらそこで終わりの基本から、抜け出せる事が格段に増えたのです。こうなると、誰かに見た内容と合わせて感想を伝えたくて、そこに寄せる思いは高鳴り続けます。さらに、ブロクにも発信したいとより素直に思えるようになり、自分が書いた記事に反応が寄せられる事も、徐々にではあるものの増えて様々な角度から同時に楽しむ事が出来ています。伝える力・書く事のスキルには、まだまだ課題山積ですが…、番組そのものを楽しむ・その内容と感想を誰かに伝え、さらにブログ記事として書き続ける事の連続こそが、今の私にとってのサイクルであり、とにかく回数を経験する事が重要と考えながら、コツコツと実行中です。

そして、落語も幼い頃からよく見ているもので、成長などにより楽しみ方が変化し続けているものの1つです。
ただ、トーク番組と同様に健聴時には、まず、話のテンポにいかについていくかに始まり…自分が理解できる範囲内の特徴的なツボがないと、ただ、キョトンとしながらテレビ画面を見つめているだけでした。その結果、面白いと思えるところを見つける主導的な部分は大きく欠如。ただ、ひたすらなまでに、そのツボとなるものが、やってくる事を待ち続けるという完全受動的な見方をしていました。これは、特に落語という全体の情報そのものから、ほんの少しだけ切り取り、音声から理解できるところ限定して見ていたために、このような状態が発生したと考えられます。
ところが、これまた音声情報を失った事で、まるで高級昆布を噛み締めて、じっくりとその味を噛み締めるかのように、深掘りできるようになったのです。
落語に関して触れるに際して、改めて落語とは一体どういうものなのかなど、情報となるページを検索したところ…
「あー!こういう事を伝えるポイントといしている日本固有の伝統なんだ!」という事が明確になりました。
さらに、基本表現は「仕草」・「表情」・「書く」・「服装・効果音」などに至るまで、豊富である事に気づくことができました。この事によって、手話によるコミュニケーションをする時と同じように、読み取りやすいポイントが凝縮された話術芸能であるという点に結びついたのです。
もちろん、字幕放送があればストーリーがより明確になりますが、仮になくても、落語家の方の姿がはっきり見える状況であれば、聴者とともにその世界を共有できるものであり、その旨みのようなものをたとえ少しずつであっても、味わえる状況にいられている事に、改めて小さな幸せを感じています。
落語に比べると、まだまだ歴史が浅く知名度も乏しく、番組でお目にかかる事にも恵まれていないですが、手話落語もあります。
特徴としては、主な対象は聴覚障害者ですが、健常者も一緒に楽しめるようになっています。演者は手話を用い、基本的に自分では口を使いません。
目に見える形で認知度が上がらないのには、以下のような難題などがある事が、理由として思い浮かびます。
まず、手話のわからない健聴者向けに通訳が入る場合が多いことにあります。通常の落語でよく用いる語呂合わせなどの手法は取り入れるのが難しいため、もっぱら小噺をメインに据えた高座になることが多いのです。また、落語には手話にない単語が登場することも多く、その分工夫が求められる現状に加えて、取り組んでいる演者が少ない事も大きな要因となっていると想像しています。
クリアーすべき点は、山積しています。地道な作業などの繰り返しとなるとは思いますが…

「静けさの中に隠れている多くの面白さ」

を共有しやすくなる事を、願わずにはいられません。

さらに、私が生まれた頃からの歴史がある英語落語。その醍醐味は、落語を単純に訳して一つの噺とするのではなくて、どう英語で表現すれば文化も宗教も習慣も異なる人々に理解してもらえるか?、にあると思います。ですが、国は違っても、ユーモア、人の情け、失敗を笑い飛ばしてまた「顔晴ろう」(がんばろう)と思う心は共通で、それが英語落語が共感を呼ぶ理由ではないかと思います。さらに、私にとっては日本語では意味が捉えきれなかったりする部分も、納得できるきっかけとなっています。
そして、先ほどの「顔晴ろう」(がんばろう)には、顔・表情を晴れやかにできるようできる瞬間を大切にしようという、思いが込められています。
一般に使われる事が非常に多い「頑張ろう」という言葉には、抵抗感がある私も「顔晴ろう」には心が和みます。

これからも、江戸時代から伝わる落語・発展途上中の手話落語、そして海の向こう側まで渡った「RAKUGO」までそれぞれに発見などができる事を、まず、私自身に対して期待して更なる発信になればと思います。



ですが、振動も様々なものが存在します。楽しめる場合ばかりではありません。「音のない世界」にいるからこそ、聴者より感じる事が多すぎて、聞こえていれば、わずかな差とだと思える事も、過剰反応をしてしまう事もあります。

例えば、レストランで注文したものがテ
ーブルに置かれる時。これは、電動車椅子に乗っている事によって、膝とテーブルの近いことも事実ではありますが、この他にも理由があります。少しでも勢いがついている状態で置かれると、振動が大きくなるため、びっくりしてしまうのです。これは、動作を見る事で心の準備をしていても追いつかず困ってしまいます。どうにかして、軽減できる方法があればと、ずっと願い続けています。
他には、外出時に母の運転で乗車している福祉車両のタイヤの空気圧変化を、感じることです。私は、幼い頃からずっと乗用車に乗って、数え切れないほどの通院・通学・外出を経験させてもらっていますが、2006年に「TOYOTA Noah」にして、中列の位置に電動車椅子のまま乗るようになるまでには、経験する事はありませんでした。
これは、一般の方にとっては気づかない程度のわずかな空気の減少であっても、まるでディズニー映画「アラジン」に出てくる魔法のじゅうたんに乗って、どこかに行くかのように、「フワッ」と浮き上がるような感覚があるのです。
さらに、自然現象では地震や雷に対しても、察知が早くなったり、感じ方が変わりました。地震は、震度1でもかなり正確に感じてしまうため、まず、テレビのテロップ表示をじっと見つめて、自分の居住区または隣接区で観測された事が、確認できれば納得します。でも、表示が出ないと…納得するまでスマホで確認します。
雷は稲光を見た後、お腹を中心に下から振動を感じます。さらに、近年のは激しく数多くの和太鼓みたいな響きを一斉に感じますので、驚き方も半端なものではありません。
気象変動には、元々振り回されやすく頻繁に「不連続線」から引き起こされる症状を、経験し続けています。
「不連続線」とは、気圧変動によって様々な症状が表れる病気の一つで、症状は人それぞれ全く異なり、頭痛・めまい・関節痛など、その人によって様々です。
そして私の場合は、低気圧に左右されて、検査で確認した事はありませんが、脳圧が上がる感覚があり、喘息・頭痛・頭重感・平地から標高が高い所などに移動した時などに経験する耳づまりが、同じ場所でおとなしくいる状態であっても、症状は出てしまいます。さらに最もひどい時には、生きているのか心配されるほど眠り続ける事もありました。
長く付き合っていても、成人してから数年が過ぎるまでは、その都度ひたすら…その症状が通り過ぎるのを、待つばかりでした。
母は、私が幼い頃に小児科医から「障害当事者は、低気圧に弱い」と聞いていたそうです。しかし、病名はずっと知らずにいました。
そしてある時、「天気に体調が左右される事はありますか?」と耳鼻科医に質問されて、先ほどお話した内容と同様に、諸症状を説明したところ、この診断に至ったのです。
そして、徐々にポイントが分かるようになり、現在では、以前ほどは振り回されやすい状況には、なりにくくなっています。
ちなみに台風が発生したら、まだフィリピンに停滞している状況でも、影響は受け始めてしまうのです…正直、この過敏反応はいりません(笑)
近年では、天気予報の中でも「気象病」として、従来からの情報と共に、関節痛・喘息などの症状が、予想されている天気から、どの程度現れそうかをマークなどで表示している番組も、まだ一部だと思われますが…あります。
また、何気なくスマホでチェックしていたら、「頭痛ーる」というアプリを発見しました。
このアプリは、気象予報士が開発した頭痛・気象病対策No.1だそうです。
そして、頭痛や気象病の起こりそうな時間帯の確認や、痛み・服薬記録として体調管理の1つになりそうだと思い、さっそくダウンロードしました。
予想される天気は、マークで表示されていてます。そして、この気象条件から体調の変動をグラフ化し、ポイントとなりそうなところには、「注意」など一言添えられていて、すごくわかりやすいです。
こちらがこのアプリの内容ですので、よろしければご活用ください。

<このアプリでできること>
- 頭痛予測:気圧グラフとプッシュ通知で頭痛を予測
- 全国マップ:全国主要都市の気圧予報と天気予報をチェック
- 痛み&くすり記録:痛みの発生とくすりの服用をかんたんに記録
- 痛みノート:記録一覧表示で傾向をチェック


この他の大きな事柄としては、単独事故を2回経験しました。2009年11月末の事でした。電動車椅子を自分の操作ミスにより誤作動させた結果、手動ドアに衝突しガラスを大きく割ってしまった事があります。この時は、体に感じた振動はもちろん大きかったですが、自らが引き起こしてしまった事への重大さが、第一にありました。そして、自分だけでは、対応出来る範囲内ではない事を即判断しなければならず、お店側に対してお詫びの気持ちを持ちながらも、「音のない世界」に移住して6年が経っていた当時、いかにパニックにならず相手の話を読み取ったり、両親への説明が最優先でした。なお、この事故による目視から分かるケガはありませんでしたが、ドアに衝突したことによって、「軽度外傷性脳損傷」を発症したと、後に脳外科で診断されました。これ以前からあった様々な症状の積み重ねがある上に、さらなる衝撃となったので、一気に大幅な運動機能の低下する引き金となりました。発症の翌日から、まるで麺棒で叩かれたこんにゃくのように全身に力が入らない・頸椎から腰椎にかけての広範囲にわたる激痛などに振り回られる日々が、ずり這いができるようになるまでの2ヶ月半続きました。この間は、それまで以上に介助してもらっても通院すら出来ない状態でした。不随意運動も激しく、ケータイ操作が数少ない出来る事の一つとなっていました。そのため、2005年頃から、徐々に楽しみの幅を拡げていたブログに自分の現状を投稿する事で簡素な内容にもかかわらず、少しでも私の症状の現実を把握してくださったり、小さな回復を共に喜んでもらい、外界とのつながりを強く感じられて、大きなエネルギー源となりました。

時は前後しますが2002年、高校在学中に校内にて手動車椅子を自力で操作して、エレベーターから降りようとした際に、いつもなら自分のペースで出来ていたことが、完全にうまくいかず車椅子から落ちてしまった事があります。発生したのが授業中で、しかも学年末。普段なら、ちらほら同級生も通りかかるので、助けを求めやすくても、さすがに、この時期は進級に向けて個々に必死な事もあり、人通りも少なかったのです。助けを求められるまでの間に、「ガシャン、ガシャン」とドアに何度も挟まれたことは、音と記憶の中の映像とともに今もはっきりと留めています。この時に聞いた音が、当時の自分には強烈過ぎたことや、補装具を履いていて足自体は保護されていたものの、ドアに挟まれたことによって感覚麻痺があるのに痛みを感じたため、この日は早退しました。そのまま、いつもの小児科の病院を受診して、レントゲン検査を受けたところ…
「骨に少し傷がついたかも」という診断を受けました。皮肉にも、この診断が高校時代の中で唯一、心因性と判断されなかった症状となりました。この事態を受けて、ドアの開閉時間を延長して頂きました。その後も、登校は続けられたものの音に対する過剰反応が、ものすごく増えてしまいました。それは、担任から各教科を担当していた先生方に対して、事情説明や大きな音や声を可能な範囲内で控えてもらえるように、お願いをしてもらなければならないほどでした。それでも、うまく教室に居られないことが多々ありすぎて、長時間保健室にいさせてもらいました。様々なご迷惑をかけ続け、いろんな人々を巻き込み、対応してもらなければならなかった現実には…今も申し訳ない気持ちがあります。ですが、その気持ちより遥かに粘り強く対応してくれたり、共にいて変化を気づき続けてくれた高校時代の仲間や恩師の方々への感謝する思いは絶大で、言葉にし切れるものではありません。

この2つの事例を比べると、「音のある世界」の時の方が、私にとっては心の大パニックにつながりました。

そして、高校時代の事故に関しては、これまで母そして当時、私の事を支えてくれた担任を筆頭に関係者・診察で話題にする事はあっても、公に対してお伝えする事を控えいました。
理由としては、私自身が公表するにあたり、心の準備をするために、たくさんの時間が必要だった事。そして、書く事で恩師達にどのように捉えられるかという点において、一番の不安があったからです。
しかし、本作を書くには「避けては通れない事実」と考えて、このような事故は、可能な限り1人も経験して欲しくないという思いは、ずっと強く持ち続けています。そして、そう願う気持ちは私の高校生活を支えて下さった方々も、同じだと確信しています。
本気で願っているから、お伝えさせていただく必要性を思わずにはいられない。これが、公表に踏み切る決断したことのすべてです。



ここまで私の経験・体験を中心として、お話させて頂きました。

これを書き進めるにあたっては、私にとって自然となっている世界を、どう伝えたらいいのだろうかと、思う事も多くありました。そのような時には、母や友人に迷わず質問出来たことが、支えとなりました。
  • 2016.06.09 Thursday
  • 09:33

Deaf Report

「聴くこと と 聞くこと」(加筆中)

私は、水頭症を合併した二分脊椎症者として、生まれました。
移動手段は、外出時は就学直前ぐらいから手動車椅子を利用。高校在学中からは、元々、手動車椅子の操作が下手だった事や、行動範囲を拡げる事を考えて、電動車椅子に切り替えています。自宅では、ぎこちないハイハイを長い間していましたが、2009年に急激な運動機能の低下をして以降は、ずり這いをしています。

学習面では、通園施設と幼稚園・保育園を経て、義務教育は身体面を重視して特別支援学校に、高校は社会生活への準備期間として一般校に在籍しました。
様々な症状を経験する事が、年齢を重ねるにつれて増加していっても、自分なりに、楽しむ日々を送っていました。予期せぬ体調不良や症状増加は、それまでも、周りの症者の方々と比較しても幼い頃から早かったので、この先もその点においては、変わりないだろうと思っていました。

ただ、聴覚を除いては…。

2003年のお盆に3ヶ月ぶりの外出で、父と暑い中、汐留に行きました。
張り切りすぎた結果、熱中症により1歳の時から通院している小児科の病院へ救急搬送。熱中症の症状が落ち着いた夕方に、聴覚異常を感じたため、すぐに症状をドクターに伝えるも…

熱中症に伴う一過性症状程度に診られて…相手にされぬまま診察終了。

19歳のこの日が訪れるまでは、健聴だったので、この先もその状況が続くものと思っていました。しかし、自覚症状が現れた数日後に聞こえた救急車のサイレンの音に同じ乗り物とは思えないほどで、左耳からはJ-POP、右耳からパンクロックを聞くぐらいの差があり、J-POPのような感覚が押し流されるほどでした。そして、このサイレンの音を聞いたその次の瞬間には…

「もう、回復どころか悪化するのは、間違いないだろう」と確信へと変わりました。
その後もまるで、その予測は「正解だよ」と言われているかのように、毎日低音から順に一つずつ消え去っていくことの連続…だんだんと左耳から入ってくる音も、右耳と変わらなくなっていったのです。
今まで、聞こえていたことに感謝した上で、別れを告げていました。

症状への理解を得る事は、困難だと判断。脳外科医に、小児科で伝えた経緯と共に説明をした結果、早期の耳鼻科受診を勧められました。
この病院では、小児科でオーダーを出してもらう事が必須なので、再度受診しました。難色を示して、相手にされなかったあの日とはまるで違い、ものすごくスムーズな対応でした。

そして2004年2月、念願だった耳鼻科の初診。この日にドクターからかけて頂いた言葉に、感動した事を今でも、鮮明に覚えています。

「私は、二分脊椎症について研究をしているけど、研究が足りなかったらゴメンね。」

それまで、多くのドクターに出会って来ましたが、このような強いメッセージを届けてくれた事はありませんでした。
聴覚症状としては、「音のある世界」にいられたものの、雑音が多すぎて「音のない世界」への移住が相当進んでいました。そのため、病院の予約・キャンセルも、元々FAXも機能的に難しいという事を伝えた上で、メール対応可能と言っていただいた場合には、ありがたくお願いするようになりました。
私は利用した事がありませんが、数年前から少しずつ聴覚障害者が利用しやすい通話環境がアプリなども含めて拡がりを見せています。その一つに、「電話リレーサービス」があります。このサービスは、聴覚障害者が電話を一人でかけられるように、聴覚障害者と電話のかけ先(聞こえる人)を電話リレーサービスセンターにいるオペレーターが、テレビ電話を活用して、文字や手話と音声の通訳をすることにより、電話で即時双方向につなぐサービスです。
しかし、私が利用するには向いていないと思っています。理由としては、私は家では寝たままの姿勢で過ごしています。外出時は、電動車椅子に乗っている分、手の動きにもゆとりはできます。ですが仮に、スマホを固定した状態にできたしても、体勢が不安定なので、コミュニケーションをする以前に、相手に自分の姿を見せる状態を持続する事が困難だからです。
他に調べた範囲内では、チャットを活用しているサービス団体もあるようです。
いずれにしても、いきなり本番は無理なのは想像できます。まず、体験を重ねていくことが必須です。
そのため現段階では、メールが視覚から情報が得られて、確実に連絡が取れる手段となります。そして、自分で連絡できる事に対する喜びも大きいのです。
今後、多様な連絡ツールが利用可能となる事に希望を持ちながら、技術進歩の情報にも、接し続けたいです。そして、出来ることなら、まず、当事者の1人として体験できる機会を増やして頂く事から、裾が拡がればいいなぁと強く思っています。

2006年10月 病名「 巨大水頭症の悪化による聴覚失認 または 皮質聾」という診断に至りました。ABR検査では、脳と耳から指令が出ていて正常。まだ、診断の可能性を諦めきれずにいたので、自ら希望して撮影したMRIの結果を診て、

「聴覚神経が圧迫されているため、音声認識ができない状態である」事の説明を受けました。
診断前の一時期、耳かけ型補聴器を病院からの貸し出しという形で、使用していました。しかし、振動から得られる感覚を求めすぎるあまりに音量を、常に、最大にして使用していましたが…

「これは、聴覚本来の機能も失う事になり、耳にとって負担が大きい」
というドクターからの話を聴いて、利用を中止しました。それ以降は、全く使ったことがありません。さらに、この日を迎えられるまでの間には、感音性難聴の可能性に触れられた事もあり、人工内耳の手術の話も出たことがありました。
ですが、MRI画像を見てドクターが、安堵の表情を浮かべながら…

「あの時、急いでオペをしなくて良かった。」

と話してくれた事が、今でも鮮明に脳裏に焼き付いています。
この診断を受けて、聴覚障害者としての証明と利用可能な福祉サービスをスムーズに受けるために、身体障害者手帳を更新しました。それまでの障害に加えて、「聴覚障害2級」が記載されています(手帳上では、聴力障害とされている)。私自身も手帳更新時に知りましたが、聴覚障害としては2級が最も重度となります。一般に、聴覚障害をほとんど有していると思われている「言語不明瞭」の部分がありません。むしろ、聴覚障害になってからの方が、相手に伝えたいと思う意思を強く持つことで、はっきりした発音となり、健聴の頃から知っている方にも、「今の方が聞きやすい」と言われるほどです。世間一般の考え方で見ると、障害が増える事はマイナスと捉えられる事が多くあります。確かに、障害が増えれば不自由さは多くなり、必要となる説明は長くなる一方です。
また、同じ二分脊椎症を有する方であっても、水頭症の有無によって、子どもの頃から目には見えない心の壁も感じてきたのも事実です。
具体的には、特に運動機能や学習面において、「お宅は大変そうだけど、うちはその点に問題ないから」と、はっきりと言われる事も幼い頃から良くあって、つらくなることもありました。症状が増えるにつれて、その溝は深まる一方で…同じ病名と診断された症者の中であっても、1つは、自分の身の周りの事が一通りできる運動機能的に私よりは軽度の当事者、もう1つは、自分と同程度の介助を必要とする症者といった感じに大きく2つに分かれている事を、受け止めるしかありませんでした。しかし、後に私より軽度な方々に様々な症状が発生し、慌てている姿を目にすると、先にいろいろと経験出来ていて良かったと思います。
さらに、聴覚障害診断までの数年間、他のあらゆる症状をベテランに訴えても、診断が不可能な事の連続でした。
そのため、心因性と判断される事がとても多かったのです。その事が要因となり、心に大きな雪だるまが出来るほど、積もり積もったものとなっていくばかりでした。頭では、解らない事もあると理解しつつも、どうしても納得のいかない時をずっと過ごしていました。
そのような日々が長く続いていても、症状そのものとの付き合いは、尋常でない激しいものに襲われていない限り、楽しむ事は変わっていませんでした。
しかし、さすがに診断には絶望的な気持ちが膨れ上がって、次第に…


「もう、私が生きているうちに納得のいく診断は、されないのではないか」

と、心は諦めの境地に向いてしまっていました。

そして、「ここまで、調べ尽くしてくれた上での結果だから、受け入れよう」

とMRI診断の直前は、一つの覚悟をするかのような勢いで、自分に言い聞かせるようにしていました。

ところが、聴覚障害の診断を受けられたことで、他の症状についても諦めきれずに伝えながら待つ事ができれば、心因性診断が減少して…
いつか、解明へとつなげる事ができるかもしれないと、「希望の光」を見ることが出来ました。
ドクターによれば、このケースの聴覚障害を正確に理解している耳鼻科医は、当時の時点で…世界で10人程度だと聴いて、良い出会いに恵まれた事に感謝しました。その一方で、たくさんの誤診が続いているであろう現実を想像したら、ゾッとせずには、いられませんでした。

幼い頃に、中耳炎や外耳道炎を繰り返していた影響からなのか、自然とある程度の読唇術が身についていた事がどこに行ってもほとんど困る事はなく、楽しく過ごしていました。実は、聴覚異常を本格的に感じるまで、何か問題が発生すれば、開業医の耳鼻科をその都度、受診する程度で、ずっと聴覚症状には注目することが、そもそもありませんでした。そして、脳外科医が耳鼻科受診を勧めてくれたのは、1人の二分脊椎症者の方が聴覚障害を発症した事を知っていたからでした。しかし脳外科としては、問題にならない程度の小さなシャントトラブルの積み重ねが引き金となって、聴覚障害につながる症例については、ご存知ではなかったようです。
2006年4月にシャントトラブルがCTで確認されて、脳外科診の翌日に入院して、その2日後に手術しました。
退院後の初めて耳鼻科診で、シャントの再建術によって聴力の回復の可能性があった事を聴きました。しかし、オペ以前の3年間CTを撮り損ねているうちにシャントトラブルを起こして、聴覚神経を圧迫しすぎている事が要因となり、回復はしませんでした。
この経験から、私と母はシャントのチェックを目的としたCTの撮影が、耳鼻科の観点からも重要である事を、水頭症を有している方とそのご家族に伝え続けています。ですが依然として、水頭症と聴覚障害との関連性への関心や認知度などは、広められていない状況でなかなか変化を感じられないままです。

就学前から英語が好きで、ひらがなより先にアルファベットを遊び感覚であっという間に覚えてしまうほどでした。
母の主導の下、色々と学習機関に連れて行ってもらっていました。私には、元々の障害の一つとして四肢機能麻痺があります。これにより、書字速度も一般に比べ遅いため、たくさん書いて覚える事は現実的ではありません。この点を、考慮しながらどこに行けばいいかを良く選んでくれて、行く先々、全部大好きになりました。

その中で今、振り返ると中学時代に1年半通った地元の個人塾が唇の動きを読み取るための基礎づくりとなりました。ここでは、外国人に通じる英語を目指して、発音の徹底を求められる厳しい授業の連続でした。
先生の唇の動きと発音を吸収して自分も発音練習したり、発音された単語を書いたりするトレーニングを徹底されて、正解した時の喜びは絶大でした。
この頃はまだまだ、読唇術という言葉すら知らない時でしたが、音声以外からも情報を得る方法を知る大きな機会となり、原点です。
更なる精度向上を求めて、2007年6月から3ヶ月間(週1回)、東京都主催の読話講習会に参加しました。

この講習で学んだことをきっかけに、それまで感覚で身につけていたもの加えて、知識を増やすことができました。そして読唇術というものは、そもそもどういうものであるのかから始まり、相手にどのような対応をしてもらう事が、読み取りやすくする事に、つながるのかなど全体が網羅されていました。さらに、コミュニケーションをする時には、もちろん、読み取る側になるばかりではありません。読み取ってもらう側になる事も、必ず想定する必要があります。その点への意識を高めるために、当事者同士がペアを組み、相手の話を読み取る事も実践しました。読唇術は、もちろん唇の動きを読み取る事によって、コミュニケーションが成立します。さらに、唇だけを見ているのではなく、舌・表情筋そして、相手の反応を見てスムーズになります。

さらに理想としては、口の動きを親指1本が入る程度にして、スペースに余裕があり可能ならば、前方斜め45度から話して頂けると格段に読みとりが行いやすくなります。そして、ここで学んだポイントが大きなヒントとなり、あくまでも内容の理解は別として、日本語・英語・中国語・韓国語の違いは、読み取れるようになりました。

この他のポイントとしては、テレビ・本・雑誌などで、様々な情報にふれて知っている言葉を増やしておくことが重要です。それから、これは私がここまで運動機能的に1人で動けない事が関係しているために、より感じやすいと認めた上で…、メールでのコミュニケーションも、語彙を増やす手段としてとても有効だと思っていて、フル活用してスマホにしてから、LINEをなくして過ごすことは、完全に不可能と感じるほどです。残念ながら、ニュースではメールの悪用事例・事件を目の当たりにする事が、ほとんどです。そのリスクについては、決して軽視できるものではないのも心得ています。その点に注意しながらも、会話をしていない場合、どのような事態に陥いる要因の一つとなる危険性も考えられないでしょうか。それは、聴覚障害自体から発生するコミュニケーション障害に加えて、さらにバリアとなる引き金となりかねないと、一種の危機感があるのです。
本レポートは、聴覚障害当事者の1人として書かせていただいておりますが、音声言語でのコミュニケーションが困難・もしくは不可能な方々は、多くいらっしゃいます。言語障害を有する場合や、気管切開またはガンなどによって声帯摘出をされた方たちです。
その中で最近、より関心を寄せられた著名人が歌手 つんくさんです。

2016年3月の報道を見て、以下の通りブログに書かせていただきました。

「被災地の子供たちとコンサート」

これは、NHK「おはよう日本」で放送された歌手 つんく♂さんが中心となって、取り組まれている活動です。

一昨年、ガンのため声帯摘出。
歌を歌うことで、パワーやハートを伝える事は出来なくなりました。

しかしこの経験が、「まだまだ音楽を関わる方法はたくさんある」と新たな発見につながったのです。

コンサートで合唱する歌の作詞。

そして、指揮者と参加して、歌詞に込めた「生きる喜び」を全身で伝えていました(o^^o)♪

コンサート後、関係者の前で話す姿もありました。

現在のコミュニケーション手段は、筆談やパソコンに書いたものを代読してもらう他、LINEも活用されています。

この姿を見て、多くの聴覚障害当事者・聞こえにくい人々・声が出しにくい人・失語症の方など…
多くの人たちに、コミュニケーションの取り方は多様であることを、伝えてくれたので嬉しく、心が温まりました☆彡

さらに、聴覚障害者には、話をする事が難しい「コミュニケーション障害」と、災害発生時には、給水や食事などの提供に関する内容をうまく知る事ができない「情報障害」があると、「音のない世界と音のある世界をつなぐ 〜ユニバーサルデザインで世界をかえたい!〜 松森果林著 -岩波ジュニア新書- 」にも、明記されていて、コミュニケーションツールは、日常的に複数を使いこなせる事が大切となります。そうすれば、突然の事に遭遇してしまった時としても、最初こそ少しずつかもしれませんが、自分らしく居られるポイントを増やすことが出来て、小さな安心を積み重ねられる、きっかけになるだろうと思います。そして、その言葉を発する時に自分だったら、どのように唇・舌・表情筋を動かしているか、知っておく事で言葉数が格段に増えて、相手との会話のキャッチボールがより長く続けられるコツになると思います。

ここまでは、読唇術をするための準備段階です。

そして、この先が本番となります。

普段、ほとんど日本語を話していますが、人の口形や話し方、そして方言などによって少しずつそれぞれ違うものです。
そのため、単に日本語である事にこだわり過ぎると、意味を理解する事ができなかったり、たまには1単語も読み取れなくなるのです。

結果として話がつながらず、頭の中で混乱し、楽しめなくなるのです。
そこを少しでも、クリアにしていくために大事なのが、多言語に触れることなのです。
私は、幼い頃から英語が好きでずっと発音重視の教育を受けさせてもらいました。中国語は、高校の選択科目としてかじっただけです。韓国語は、テレビドラマなどを眺めるだけです。
それでも、言葉にこんなにも違いがあるのかと、たくさん気づかせれてくれるほど、感じるものが多いです。
日本語は、はっきりした発音で静かに話す標準語がベースとなっています。

それでも、口形やその人が慣れ親しみ使ってきた方言によって、全く違う言語に見える事が多々あります。

それは、同居する家族であっても例外ではないと日々、感じています。

私の両親は、母は京都出身、父は埼玉出身です。

母は、口形もテキストにしたいほど読唇術に最適で、生活に困らない程度の手話も知ってくれているので、コミュニケーションはスムーズです。
手話を知ったのは、小1の時でした。きっかけは、身近に1人の聴覚障害当事者の方がいて、少しでもコミュニケーションを楽しみたくて、少しずつ覚えていきました。
成長するにつれて、声も出すのも不可能な症状を襲われる事も多くなり、自分の意思を伝達するためのツールとして、活用し始めました。指文字を母から教えてもらって以降、使う事が増えました。聴覚異常を感じた際にも、小児科医に、手話を使いながら症状を伝えようとしました。
しかし、「話せないなら手話を使うことを理解するけど、話せる状況で使うのは、話す事から逃げている。」と言われて、一瞬戸惑いました。
そこで、すかさず対応してくれたのが母でした。
手話を使いながら「私に症状を伝えなさい」と言ってくれた事に、救われました。今振り返ってみても、母に感謝する気持ちに変わりはありません。そして、症状そのものを体験する事にも、場合によって怖さを感じることも多いです。そして、症状を伝えられない事はそれ以上に不安や恐怖をよびかねないと思った事が、未だに頭から離れることはありません。
一方で父は、口形から言葉を読み取るのは難しい上に、一つも手話を知らないので、とにかく読唇術を行う以外の手段がない現状が変わる事なく、今に至っています。そのため、彼と話す時は、いかに少しでも聴き直さない事を意識した上で、話し方は、どの言語に近くて、多く話す言葉をとにかくインプットし続けているので、ある種の緊張状態の中にずっといるのです。

ここで、母とのコミュニケーション手段の一つとしてふれた手話について、さらにお話させていただきます。

手話は、世界共通と思われがちですが、その国によって、それぞれにあります。
ですが、単語は共通しているものは多くある事から、通じやすいようです。

以下は、「耳と脳」を読了した時にブログに掲載したものです。「日本手話と日本語対応手話」についての解説を、原文のまま紹介させていただきます。さらに、私にとって、読みやすいものがどれかについても明記しています。


ろう者による自然生成言語としての日本手話と、聴者が日本語に対応させてつくった日本語対応手話は言語的には全く別物である。
韓国手話、台湾手話、日本手話は単語において60%(諸説あり)ほど共通しており、日本手話の話者は韓国人や台湾人との手話コミュニケーションが聴者のそれに比べると難しくない。

また、日本語対応手話が日本語の文法に合わせた手や指、腕を使う手指動作だけで単語を表現するのに対して、日本手話は、視線・眉・頬・口・舌・首の傾きや振り・あごを引いたり出したりなど非手指動作も用いている。SVO型の語順の文法も用いられている。日本手話はその意味で、日本語あるいは日本語対応手話とは全く異なる体系をもつ言語である。日本手話では聴覚言語に固有といわれるプロソディ変化の表現も可能である。プロソディとは、発話において現れる音声学的性質で、その言語の一般的な書記記録からは予測されないものすべてをいいます。具体的には抑揚あるいは音調、強勢、音長、リズムなどを含むが、これらのうちで文脈によって異なりうるものを指すのであって、その言語で決まっているアクセント(高低アクセントあるいは強勢アクセント)、声調言語の声調、音長を弁別する言語における長母音・短母音の区別といった性質は含まない。
韓国手話、台湾手話、日本手話の共通性は、日本統治の影響と考える説や日本手話がろう者による自然生成言語であるために、文化的背景が同じ地域の民族で共通項があるのだとする見解など諸説がある。
人工内耳装用しても、健聴者と同等の聴力を得るわけではない(重度難聴から軽度難聴あるいは中等度難聴の状態になるだけ)。また、装用してから初めて文法体系を学習させるのは非常に不利である。聴覚口話法やキュードスピーチなどと併用して行うだけでなく、日本語対応手話の学習も併せて決して否定されるものではない。例えば、健聴の両親のもとに生まれたろう児に対して人工内耳装用までの期間、日本語対応手話を用いたコミュニケーションを積極的に行えば、あらかじめ語順(文法)を学習することができる。生活のなかでの所作・作法といったしつけ教育は作業記憶として後々に抽象的な言語(「しゃきっとする」など)を獲得していく際の手助けになるであろう。日本語対応手話の語順を学ぶことは、書記言語の学習効果もあがることが期待できる。

先ほどのキュードスピーチとは、読話の補助をするために,手指による手掛かり(キュー・サイン)を用いてコミュニケーションをする方法のこと言い、この中にもあるように、主に言語確立がまだ出来ていない方々が活用されています。
このような解説をしていただけると、当事者としてありがたいですし、自分も誰かに説明するときのテキストにしたいです(^-^)ろう者が国際交流を行う際に公式に用いるために作られた手話、「国際手話」もあります。各国の手話を元にした一種のピジン言語です。世界ろう連盟やデフリンピックをはじめとするろう者の公的な国際交流の場や、他国への旅行・交流などのより私的な場でも意思疎通を図るために用いられています。しかし、各国の手話の方がそれぞれに浸透しており、広まっていないのが現状です。

私は、日本語対応手話の方が読み取り慣れています。
読話講習会を受講していた時に、ろう者による日本手話のDVDを見たことがありますが…。
それは、手話で話されている当事者の方の話す事への集中力がずば抜けていて、早すぎて一語も読み取れなかった経験があります。
今は、手話があるニュースを見ていると話しているのが、聴者か聴覚障害当事者のかはすぐに判断できるようになっています。
聴者は、手話で話す時にも口話の時と同じように、唇を動かします。一方、聴覚障害当事者はポイントとなるところのみ唇を動かすので、ここが大きな違いとなります。


さらに、「ろうを生きる 難聴を生きる」で日本の手話の原点を知り、次の通りブログに記載しました。


「ろうを生きる 難聴を生きる」

今回は、短縮版の再放送で、日本の障害児教育の先駆者が紹介されていました。

古河太四郎は、教師でした。

人の暮らしが少しでも楽になるようにと思い、実行の最中に、書類の不備により懲役刑を受ける事に…。

この時古河は、獄舎の窓ごしに、聞こえない子どもたちがいじめられている姿を目にします。

「教育の機会さえ与えれば、この子たちの人生は変わるはずだ」。

そう感じた古河は、明治11年に京都盲唖院(のちの 京都府立盲学校と京都府立聾学校)を設立しました。

彼はまず、五十音に合わせた指文字を考案。
さらに、手話を使った教育に加えて発音の指導もしました。
さらに、京都府立聾学校に残されている史料を読み解くと、発音の方法も絵で示すことで、聴覚障害児自身が特にどのように舌を動かせばいいのか習得できるように丁寧に解説されています。

もし、彼がここまで熱心に、障害児教育に携わっていなかったら…

障害児への指導の広がりや、障害児自身の学ぶ事の喜びを日本で味わえる日は来なかったかもしれないと思い、感謝の気持ちでいっぱいになりました((#^.^#)

さらに、世界の手話の歴史は次のようになっています。
ミシェル・ド・レペの肖像写真1760年に、フランスのミシェル・ド・レペという司祭が、フランス・パリに最初の聾学校を設立しました。そして、耳の聞こえない双子の姉妹を、手話を使って教育しました。これが世界で初の聾学校・聾教育です。

聾学校が設立される以前は、ろう者は互いに孤立していました。もちろん、家族や集落の中に複数のろう者がいたり、ろう者同士が出会ったりする機会はありました。しかし、世代を超えた伝承を可能にするようなろう者の社会は存在しませんでした。ろう者は十分な教育を受けられず、時には人として扱われることがないような状況だったのです。レペによってろう者の集団が作られ、手話はお互いの共通言語として、発達していきました。

そして、後に多くの国々が国立パリ聾学校をお手本にして聾学校を設立しました。それゆえ、教育方法や教師とともにフランス手話が各国・各地域に持ち込まれることになりました。

ギャローデットの肖像写真アメリカでは、レペの弟子から手話法を学んだギャローデットによって、手話が広められました。ギャローデットは後にギャローデット大学(米国でろう者のための唯一の総合大学)を設立しました。そのギャローデット大学の言語学者ウィリアム・ストーキーは、1960年に『手話の構造』という論文を発表しました。これは「手話は独自の文法を持つ言語である」という主旨のもので、はじめて言語学的に手話がひとつの言語だと認められたものです。

2006年には、手話は言語であると定義した国連障害者権利条約が国連総会で採択されました。これでやっと、手話は言語であることが国際的に認知されたのです。他の国々では、手話が公用語のひとつとして認められていたり、手話を使う権利を憲法で保障するなど、手話を言語として認める傾向になりつつあります。
音声言語と同じように、方言があり地域によって一部の手話単語が異なります。有名な例(手話単語の方言)では、「名前」の手話単語が東日本と西日本で異なることが挙げられる。日本手話では地域方言の他に個人方言も多く観察されれます。
国内では、筑波技術大学が聴覚障害者及び視覚障害者の特性に配慮し、学部教育全体を通じた効果的・弾力的な履修が出来るよう、次のような指導上の配慮を図ることにより、新しい高等教育を展開します。

皆さんも、慣れない土地に行ったり、遠方から来られた方に出会った時に、その地方の方言をネイティブのままで話されると、分からないという事は実感された事がありませんか?

「音のある世界」から「音のない世界」に入りたての頃や、または、どうしても読唇術が難しい口形の方に出会った時に、私が味わう感覚はこの現象と、とてもよく似ているのです。

英語と中国語は、発音に似ている部分がある言語です。ある程度、唇・舌・表情筋をしっかり動かさないと発音出来ないのです。
韓国語は、濃音と激音という固有の強い発声が不可欠な言語で、英語や中国語よりさらに、しっかり唇・舌・あごを動かすことで可能となるはずなのにと思うのですが…。感情を強く出していない限り、「いったい、どうしたらそんなに唇も動かさずに発音出来るのか」と、疑問に思う程なので、発音できる事に感心してしまいます。

このようなポイントを知っておくことによって、話す言語がほとんど日本語であっても「今、話している相手のこの話し方は何語に近い!」と大きな手がかりとしてフル活用し、よりコミュニケーションを楽しむことが出来るのです。

なかなか、実際に人とお会いする事が出来なくても、テレビで色々な方を目にすることで、楽しみながら自然と読唇術のトレーニングになると、日々実感しています。人の口形はそれぞれ異なりますが、必ず似たような形をしている方はいて、その形によって読唇術を行う時に、ポイントとなる所はそれぞれにあります。
ここから、皆様によりお伝えしやすくするために、「誰々のような口形の人は…」というスタイルで、例を挙げていきます。この中で多言語に向いている事もお話しますが、あくまでも読唇術の観点だけを対象とします。実際にその口形をした方がその言語をどの程度話せるかは、個別の話は、本作においてふれる事はありません。


SMAPの草なぎ剛さんのような口形の人は、唇の薄さと舌の使い方が韓国語を話す事に向いています。そのため日本語を話す際には、ほんの気持ち程度に意識して、口を開かないと言葉と言葉の境がわかりにくくなってしまいます。

SMAPの木村拓哉さんのような口形の人は、次の単語へのつながりが非常になめらかなので、英語を話す時に最適です。

SMAPの稲垣吾郎さんのような口形の人は、木村拓哉さんのような口形の人よりもさらに繊細な発音に適していて、イタリア語に向いています。

SMAPの中居正広さんのような口形のような人は、ほんの少し意識した状態で、日本語を話すとわかりやすくなります。

SMAPの香取慎吾さんのような口形の人は、少々の早口からゆっくり話す時も、常に日本語を話す事が最適です。それは、読唇術のテキストにぴったりなほどです。

嵐の大野智さんのような口形の人は、どのタイミングで見ても唇の開き方が小さいため、一言を読み取るのも極めて難しいです。

嵐の二宮和也さんのような口形の人は、大野智さんのような口形の人よりは、唇の開け方は大きいものの、言葉の区切りが分かりくく、結果的に話の理解にたどり着くことが困難な場合が多いです。

嵐の相葉雅紀さんのような口形の人は、少しだけ丁寧に話すという意識をしてもらえることで、わかりやすくなります。

嵐の松本潤さんのような口形の人は、日本語に最適な部分と、SMAPの木村拓哉さんのような口形の人と同じような英語に向いている部分を合わせ持っています。そのため、日本語を読み取っていることに対して意識過ぎない事が、ポイントとなります。

嵐の櫻井翔さんのような口形の人は、自然体なスピードで話してもらえれば、読心術に最適となります。

ものまね芸人のコロッケさんのような口形の人は、何も意識していない場合は、唇の中心部分の動きが際立つ傾向あります。ですので、1度気持ちよく口を開けて笑った後に口を完全に閉じないうちのやや大きめに開いているタイミングでお話してもらえると、格段にわかりやすくなります。

「日本エレキテル連合」の中野聡子さんのような口形の人は、唇がかわいらしすぎるほど小さいため、言葉を読み取るには難しすぎます。

「日本エレキテル連合」の松本小雪さんのような口形の人は、自然体な話し方であれば、日本語を読み取る時には最適となります。

落語家 桂歌丸さんのような口形のような人は、言葉の節目・つながりなどのポイントが掴めないので、ジェスチャーなどがサポートとなります。

落語家 三遊亭小遊三さんのような口形の人は、口の開け方が小さい時にはどうしても、読み取れない場合もあります。それでも、読み取れた部分によって分からなかった言葉を想像が出来て、話を理解する事が可能となります。

落語家 三遊亭好楽さんのような口形の人は、時には、早すぎたりすることにより、読み取れない言葉もありますが口の開け方も程よくわかりやすいです。

落語家 林家木久扇さんのような口形の人は、唇の開き方が大きければ、読み取りやすくなる言葉も増やさすこともできます。

落語家 春風亭昇太さんのような口形の人は、読み取りやすい部分とそうでないところを周期的に繰り返す傾向になりやすいため、慣れるには時間を要する事が多くなります。

落語家 林家たい平さんのような口形の人は、私の母と同じだけ読心術のテキストに最適です。

様々な例を挙げた中で、口の開け具合について少し意識してと、書かせていただきました。これは、先にもお話せて頂いた事の繰り返しなりますが、大げさなほど開けて欲しい訳ではありません。ベストな開け方としては、「あ」と発音する時に、親指1本が余裕で入る程度となります。また個人によって、異なる場合もありますが…大きすぎる声や、とてもゆっくりに話していただくのではなく、自然体なスピードで話していただく事を、希望しています。



また、2015年に出会った書籍「耳と脳 臨床聴覚コミュニケーション学試論 中川雅文著 -医歯薬出版株式会社-」に以下のように書かれています。

言語ごとに異なるパスバンドに対する感度の違いは、人種ごとに異なる頭部の大きさや耳の形状の違い、さらには住環境を含めての日常に溢れるノイズなど様々な要因が複雑に絡んで生じたものなのであろう。トマティス博士の唱えたパスバンド理論はアナログ解析装置時代のデータがベースとなっている。例えば2003年に新しく決まった等価レベルでは40phone時の音圧レベルが10kHzで5dB程度のエラーが確認されている。パスバンドの定義もデジタル時代にふさわしい再評価が必要な時期がきていて、これまで説明として使われていた周波数にエラーが含まれていた可能性があると筆者は考えている。しかし、トマティスのコンセプトそのものの秀逸性を損なうようなエラーではないことを付け加えておく。

本書には、トマティスのパスバンド理論で研究された日本語を含む8言語の好まれる周波数が言語ごとに棒グラフで以下のように示されています。パスバンドに関する解説と共にご覧下さい。

パスバンドとはその言語が多用する周波数帯のことである。例えば通勤電車の中での電車の引き起こすノイズは日本語に対してはマスカーとして作用するが、英語の場合には日本語に対するほどにはマスキングはしない。だから日本人同士で車両の左右で向かい合って会話するのはよほど大きな声を出さないとダメだが、英語ならそれほど大きな声でなくてもお互いが会話できたりする。それほど言語によって多用するあるいは重視す周波数は異なる。移住すればすぐにその現地のことばを身につけられる。そういう話はよく耳にするが、おそらく言語のもつ固有の周波数帯が形成される一番の要因として環境や建築やインフラといった要素が大きく関与しているのであろう。

日本語 200〜1500Hz
ロシア語 200〜8000Hz
ドイツ語 300〜6000Hz
中国語 500〜3000Hz
フランス語 1000〜2000Hz
イタリア語 2000〜4000Hz
英語(米国) 1000〜4000Hz
英語(英国) 2000〜12000Hz

ここを読んだ時に、聞こえないもしくは聞こえにくい人々にとって、日本語でコミュニケーションをとる事そのものが、難易度が高いと非常に納得しました。
自分の話している内容が、おかしくなっていないかは、相手の表情を見て確認しています。自分が発している声の音量は、喉元の振動によって判断しています。
私の場合は、「チェックウーマン」のおかげで、人から音量に関しては、ほとんど指摘される事はありません。会話をしている際に、「うるさい」と言われた時と、そうではない時の喉元の振動を多く記憶する事でスムーズとなっています。聞こえない私に「美声で!」と日々求められる事には、ある種のプレッシャーがありますが、小さな事でも認められるのは、うれしいものです。

ここまで、読唇術が可能であっても、どうしても得られない情報があります。それは、イントネーション。

皆さんは、例えば「橋・端・箸」を伝える時に、一瞬、考えてから発した経験はありませんか?

私は、数年前に母との会話の中で、以下の経験をしました。



「イカナカッタ論争」

ある日、スーパーの広告を渡されて、

「何が食べたい?」と聴かれ、

「イカがいい」と答えたら、

彼女はすぐに買い物に行ってくれまし
た。

そして、数時間後に夕食となりました。

食事を置き始める時に、

「イカナカッタ」と言われました。

私が、キョトンとして戸惑っていると再び

「イカナカッタ」と言われので、

「スーパーに行かなかったの?」と聴くと

「買い物に行ったから、魚がある」という返答がありました。

この瞬間、「はっ!」と、気づいて

「イカがなかったんだね?」と聴き直すと

「そう、聞こえないから、より聴き方が重要だね!ブログに書けば?」

と言われて、美味しく食べ終わった後で、しっかり書きました。

この話は、音のある世界にいるか否か以前に「言葉のアヤ」の要素が大きいと、母に言われました。ですが、どのように情報確認を取るかという事の方が、音のない世界にいる私としては、より重要と感じた実例であり、伝えやすい内容なので挙げさせて頂きました。


皆さんは、「聞く」と「聴く」を普段使い分けをされていますか?

私は、「耳と脳 臨床聴覚コミュニケーション学試論 中川雅文著 -医歯薬出版株式会社-」と出会うまでは使い分けをしていませんでした。

耳鼻科医に、進捗状況を確認してもらった際にも、

「一般の人は、あまり『聴く』に馴染みがないと思うから、『聞く』に統一した方がいいかも。」

と言われたのですが、次の通りに
書籍「耳と脳 臨床聴覚コミュニケーション学試論 中川雅文著 -医歯薬出版株式会社-」記述されているのを読んで、使い分けの重要性などを感じた経緯を説明したら、納得をして頂きました。

ブログに掲載したものです。


今、もっと印象的となったのは…「聞く」と「聴く」の違い。

本書には以下の通りに説明されています。


「聞」という文字は「門(もんがまえ)」と「(音が転じて耳と書くようになった)耳」の2つの文字から成り立っている。音波がゲートの中に入っていくようなイメージであろうか。一方の「聴」という文字は「耳」と「十」と「目」と「心」の4つのパーツから成っている。部首である「耳」、これはこの場合、耳そのものを表している。「十」はたくさんという意味で、たくさん「目」配りして、注意を向けよという意味を含んでいる。さらに「心=脳」で受け止めよと言う意味をも内包している。「聴く」という漢字は「聞く」にはない「心で受け止め咀嚼(そしゃく)し、理解すること」という意味が含まれているのである。



私は、「聞く」は不可能だけど「聴く」は可能。

もっと聴く事を高めなければと意識させてくれる言葉となりましたし、ずっとこの思いが深まるものである事は確実です!

ここが心に響き、納得したその日から、「聴く」事の重要性をより意識するようになっています。
聴者であれば、「聞く」事で得られる情報も、そうではない私と同じような立場である人々にとっては、いかに「聴く」事でカバーするか、対応力が不可欠です。

先ほどの「イカナカッタ論争」は小さな事であり、ゆっくり聴く事で分かるので最終的にクリアとなります。しかし、もっと複雑だったり大切な事柄については、いつ・どのように、そして誰に、どのタイミングで確認や聴いてみるか、難しいこともあります。
そして、ここまでさまざまな事を把握していて、診察時に受けた口話テストにおいても96%の確率でできると認定されています。しかし、この立場にあっても、どうしても不可能の場合があることも、これまでに経験してきています。
その時は、早く相手に読み取れない事を伝える事こそが、会話を円滑にするための近道です。

今、お読みくださっている方々の中に、聴覚障害当事者にとってサポートしてくれる情報・アイテム・福祉サービス・パートナーについて、ご認識のあるのはどれほどでしょうか?

まず、「電話お願い手帳」については、私も偶然数年前に頂くまで知りませんでした。また、報道でも取り上げられていない様子を見ていると、おそらく広域には知られていないものと想像しています。
これはその名の通り、当事者が電話をしたいけれど音声認識が不可能だったり、聞こえづらいために自身だけでは、どうすることもできない時、誰かに助けを求めるために必須な基本的なメッセージがまとめられている手のひらサイズの手帳です。電話以外では、避難所などでアナウンスされた内容を確認する際に、ポイントをつかむ事が出来るページもあります。指で指し示すだけで、最初のアクションは起こすことができ、筆談が苦手という場合にも有効なアイテムだと思います。

次に、「目で聴くテレビ」。
この番組は、聴覚に障害のある方のための放送局です。
1995年の阪神大震災の教訓をふまえ、全日本ろうあ連盟、全日本難聴者中途失聴者団体連合会などが中心となり、98年からCS放送(通信)をスタート。
聴覚障害者自身がキャスターや
カメラマンとして番組制作に参加。
ニュースや地域の話題からスポーツ、手話学習、災害時の情報まで、手話と字幕をつけてさまざまな情報を届けてくれています。
私が見た回数はわずかですが、欲しい情報が凝縮されていて、とても最適な内容となっています。


さらに、日々の生活を支えとなる物をご紹介します。

1つは、振動時計。難聴などの聴覚障害当事者にとっては、音で時刻を知らせてくれるだけの目覚まし時計は、役に立ちません。
そこで設定時刻になったら、バイブレーション(振動)で知らせてくれる振動時計をご紹介します。
振動だけでなく、光でも知らせてくれるものや、時刻だけでなく電話の着信も知らせてくれるものなども有りますので、自分の環境や使い方に合うものを選ぶことができます。

2つ目は、光で知るチャイム。
玄関チャイムやインターホンで来客を知るのは一般家庭では当たり前のことになりましたが、耳の不自由な方にとってはそれがなかなか難しいことなのです。
音量が小さかったり少し離れた場所にいたりすると、大事な来客に気づかいというような事も往々にして起こりえます。
そんな不便を軽減してくれるのが、光で来客を教えてくれるチャイム。訪問者が玄関先の押釦を押せば、室内の本体から音とともに光が点滅して来訪者のあることと知らせてくれます。

3つ目は、聴覚障害者用通信装置
(ファックス、テレビ電話など)
一般の電話に接続することが出来、音声の代わりに文字等により通信が可能な機器であり、障がい者が容易に使用し得るものを家電量販店で既製品の中から選んで、希望の機種のお見積りを作成してもらいます。認められて限度額内であれば、公費負担により支給されます。
ただし、聴覚障害を補う目的以外の複合機などの高度な機能が付いたものは認められません。また、限度額を超えた場合には、その超えた分は自己負担となります。
先にお伝えした通り、病院との連絡を取る手段として、特に自分から発信するには、運動機能的に不可能であるため、対応可能であればメールで連絡を取っています。この他の友人・知人などに対しても、メールを連絡手段としているます。
しかし、福祉サービスを受ける時などには、全くFAXがない状態では連絡に支障があります。ですので、基本的には連絡を受けるばかりです。しかし、自分では連絡完結できない場合には、音声電話を含めて母にお願いしています。

さらに、身の危険を知らせる火災報知器は、このようになっています。
聴覚当事者にとって、火災の初期段階での警報受信は次の2点が重要ポイントです。

1)警報音と同時に点滅光によって火災の発生を感知しうる事。
2)離れた部屋で発生する火災警報は聞き取りにくいため、連動タイプの報知器とする事。

現状では、上記要望を満たす上に面倒な配線工事が不要な「ホーチキの新無線連動方式」が良い選択肢であると思います。 具体的にはホーチキのWEBカタロ グをご参照下さい
このシリーズの火災警報機を消防法で定められた設置場所に取り付けて、聴覚障害のある方が日常居住する部屋と寝室に「無線LEDフラッシャ−」を取り付けておけば、いざというときに大いに役だってくれるものと思います。

他にもわさびの臭いで火災を知らせる「臭気発生装置」があります。
火災警報器の音が聞こえない!その不安、恐怖から開放されます。

わさびのにおいの発生装置の臨床検査では14人中、鼻づまりの被験者1人を除き、全員が約1〜2分で起きるという結果を得ました。
臭気発生装置開発の背景
住宅やビル火災で被災される方は、65 歳以上の高齢者が50%以上を締めております(消防白書)。

臭気発生装置(WA-1型)は、住宅用火災報知器に連動して、音の代わりに「わさび」の臭いで危険を知らせる製品です。

聴覚障害者向けとして振動、光、掲示板方式の警報器が開発されています。これらの機能をサポートしながら、避難の条件を格段に高める方式として、臭気警報方式が開発されました。

また、健常者など幅広い皆様に役立てるシステムとなっております。わさび臭は、深い眠りでも起きる可能性が高く、火災時の素早い退避行動を促進することが期待されております。

わさびの警報装置

わさび臭の覚醒(目覚め)効果を滋賀医科大学の臨床試験で立証
滋賀医科大学精神医学講座と共同で、耳の聞こえにくい方・正常聴覚者を対象に、わさび臭に覚醒効果があるか臨床試験を実施しました。

滋賀医科大学
その結果、臭気ガスを吸引することで覚醒することがわかりました。

被験者(聴覚障害者・健常者)14人のうち、鼻づまりの被験者1人をのぞく全員がわさびのにおい成分を嗅いでから約1〜2分で起きるという結果を得ました。

中でも耳の聞こえにくい方は、正常聴覚者より短時間で覚醒しました。また、医師立会いの元、臨床試験で臭気ガスが人体に対し問題ないことを確認しました。

火災警報機は通常「台所、寝室、階段ホール」と言われていますが細かくは各自治体の条例によって定められていますので日本火災報知機工業会のHPでご確認下さい。

このわさびの香りで知らせる火災報知器の開発により、「イグノーベル賞」を受賞しました。

「イグノーベル賞」とは、1991年に創設された「人々を笑わせ、そして考えさせてくれる研究」に対して与えられるノーベル賞のパロディーです。

そして、人や物以外で聴覚障害当事者のパートナーになってくれているのが、聴導犬です。
聴導犬(ちょうどうけん)とは、聴覚障害者の生活を安全で安心できるものにするために、生活で必要な音をタッチして教え、音源に導く身体障害者補助犬のことです。
2016年4月1日現在、日本国内の聴導犬の実働数は64頭。盲導犬と比べまだまだ不足している状況である(潜在する聴導犬希望者は、1万人いるという推測があります。)
また、聴導犬も、身体障害者補助犬法の適用を受けており、公共機関だけでなくてデパートやスーパー、ホテルなどでは、受け入れを拒むことは禁止されているのですが、残念ながら…盲導犬同様、受け入れを拒否する事例があります。中には、大手百貨店に入居しているテナントの飲食店において、法律に無理解な従業員が、自分の判断で入店を拒否したケースもあります。
2008年現在、指定されたリハビリテーションセンター以外で、聴導犬の認定試験ができる補助犬育成団体は、厚生労働大臣が指定する社会福祉法人日本聴導犬協会だけです。 国際的に見ても、身体障害者補助犬の訓練と認定は、ユーザーとなる障害者のニーズと犬の習性を周知している補助犬育成団体内で行われることで、補助犬ユーザーへの責任の所在が明確になるといわれています。その根拠として、日本での盲導犬認定は、盲導犬育成団体内で行われている事。さらに、聴導犬育成団体内での認定においても「身体障害者補助犬法」により、訓練士のほかに、医師(特に耳鼻科医)、言語聴覚士などの専門家の連動が義務付けられている事が要因となっています。また、障害者相談員などの「当事者」認定委員を含めることで、「当事者」のニーズを把握した上での厳密な認定試験が行われています。脳梗塞などの中途失聴による言語回復が望まれる者以外、たとえば先天性聴覚障害者とリハビリテーションセンターとの関係はもともと薄いと言われ、リハビリテーション医よりも、各地の耳鼻科医との連携が望まれています。厚生労働大臣指定法人は、わずか6箇所しかなく、4つのリハビリテーションセンター(横浜、千葉、兵庫、名古屋)と、補助犬育成団体では2団体(長野(聴導犬と介助犬の認定)、山梨(介助犬のみ))が指定されているだけで、盲導犬育成団体のように補助犬育成団体が認定団体となることを望む補助犬ユーザーの声もあります。

上記のリハビリテーションセンターでは4箇所が介助犬訓練所、3箇所が聴導犬訓練所として、厚生労働省に届出をしている。現実に施設内での合同訓練を行っているリハビリテーションセンターもあり、補助犬育成団体での認定と共に、客観的な認定を行うことが義務付けられています。
聴導犬の育成について、一例としては、聴導犬候補の子犬(主に捨てられた犬たちの適性を見て、保健所などの協力を得て選ばれる)をソーシャライザーと呼ばれる子犬育てのボランティア宅で、人間を仲間とし信頼できるように愛情をもって育て、その後の10回以上([社会福祉法人]日本聴導犬協会では)にわたる適性テストを経て、聴導犬として育てる仕組みがあります。他に、ユニークな試みとしては、特定非営利活動法人日本補助犬協会が、引きこもりの若者に子犬を育ててもらうことによって聴導犬の育成と若者の自立支援を狙った「あすなろ学校」といった例があります。
聴導犬の育成に拍車をかけるため、(福)日本聴導犬協会では、日本で最大規模の聴導犬・介助犬訓練施設(650坪)を2008年8月末に竣工。その施設を活用して、2009年2月より「日本聴導犬・介助犬訓練士学院」[学院長・信州大学元学長 森本尚武)を開校し、後進の育成にも取り組んでいます。
できるだけ早く、多くの待ち望んでいる方とパートナーとなれる聴導犬が、増える事を願っています。

このようにその都度、どうすれば話しやすくなる方法やツールなどを、探すのも一つの楽しい発見につながります。
そうは言っても…、目の前にいる方の声が、聞こえない事への寂しさがないと言えば、事実と大きく異って、ウソになります。それでも、「音のない世界」を楽しんでいる事は確かであり、「音のある世界」に戻りたい願望はありません。
ここまで色々ありすぎるほど、たくさんの事を経験しています。厄介な面も多々ありますし激痛を伴う時には、さすがにゆとりは持てるものではありせん。それでも、ここまで症状が増えるのは、「それなりに楽しむだろう」と知られている事にあると感じています。そして、「音のない世界」への移住も、「神様からのプレゼント」だと思うのです。
そして今の世界を味わいたての頃に、まず気づけたこと…
それは、「聞こえる機能がすごかったんだ!」という点でした。
人よりも、色々発見していてそれを両親や周りの人も楽しんでくれている様子を見ながら、私自身も喜びを多く感じてきて、自信のようなものもありました。
しかし、聞こえる機能に関しては私にとっても、「ごく自然なものとして、捉えていたんだ」と。
それ以来、何かしらの機能が失われていく度に感謝の気持ちが、より多くなっています。

家族以外との会話の中でも、特に印象深く残っている中で、いくつか紹介させていただきます。

高校時代に担任としてお世話になった恩師たちに、卒業後も数回再会するチャンスがあり、楽しい時間を過ごせました。
初めての再会は、2004年成人の日。
3人目の担任で2年間クラスの一員として、お世話になった間柄です。彼女とは、在学中に女性の先生の中では最も話していました。学校生活に関係する事はもちろん、プライベートな部分も相当、話続ける私にいつも合わせてくれるタイプでした。そのため、先生と生徒という関係性は確かですが、そんな堅苦しいような立場はまず考えることがほとんどありませんでした。私の様子を察しながら時に…ママ・人生の先輩・そして友人のように様々な場面で、いつも寄り添って頂きありがたかったです。
卒業してからも、たまに連絡を取り合っていたので、「今、話したらこんな感じだろうか」など想像できる状態を、自然と保つ事が出来ていました。
成人の日に彼女との再会したかった理由は、第一に私は地元の学校に在籍した事がなく、唯一のつながりが、中学時代に通った個人塾。一般の成人式に自分が出席する姿も想像できず違和感があったので、せっかくだから自分に合っていると心から思える一日にしたいという強い希望からでした。雑音が多い中、なんとか音声電話ができて快く私の思いを聞いてくれました。
そして当日、電車で当時お住まいだったお宅の最寄り駅まで一人で行き、再会。
駅前のお店でお茶をしながら、コミュニケーションもスムーズに出来ました。
その会話の中で、「残されている聴力は、保たれるのでは?」と期待の言葉をかけてもらって、笑顔で返事をしました。しかし、内心では…「聞こえる状況でお会い出来るのは、もう不可能だろうから心の準備をしておこう」と思っていました。
その後、メールを中心に連絡は取り続けていたものの、じっくり会ってお話をする機会に恵まれず、月日だけが過ぎていきました。
再会を願う気持ちが高まる中、2013年7月。ついに、叶う時がやってきました。きっかけは、同年5月に、私にとっての初エッセイ「ブログを書き続けるわけ」を医学雑誌に掲載させて頂いたことをお知らせした事でした。すぐにメールを頂いて、ランチをご一緒する事になったのです。
そして、ランチの日を迎えました。
お互いの明るさは、変わりなく話は弾みました。
しかし180度、私の世界に変わった事がありました。それは、2004年からこの日までの間に彼女は私の自宅を2回訪ねてくれていたので、すでに分かっていた事ですが…

音声からは、話を理解する事が完全に不可能になったという現実でした。

この状況にあっても、それまでたくさん話した時の雰囲気をずっと覚え続けていたこと、読唇術を身につけていた事でゆとりを持てたのです。
このヒトトキに自信を持つことできたので、他にもお礼を伝えたい先生方がいるし、エッセイの事を伝えて欲しいと伝えたら、またも喜んで引き受けてくれました。

先生達へ送って頂いたことで、手紙やメールで連絡が数人と取ることができるようになりました。まず、在学中に大変お世話になった事と、突然のエッセイを御一読頂いたことへのお礼を伝えました。

この事がきっかけとなり、10月に2番目の担任として、お世話になった恩師との再会が実現しました。
先に再会していた先生以外は、高校時代に寄り添ってくれた先生には卒業後、1人もお会いすることがなく…

10年7ヵ月という年月が経っていました。
この恩師は、先に再会した方と同様に私の様子を察して、その時々によって対応の仕方をバラエティーに富んだものにして頂き、大きなハートで支え続けてもらいました。ただ、なかなかしっかり話せないまま留年した1年間を見届けて頂き、進級決定を共に喜んでくれたところで異動された事もあり、ずっと心残りでした。ですから、やっとこの日を迎えられたことに、嬉しさと安堵感が湧いてきたことを今も忘れられません。
そして、本当に久しぶりなのにも関わらず、楽しく話せて嬉しかったです。

しかし、ひとつの問題がありました。
それは、記憶していた先生の口形や話すテンポは合っていたのですが、読唇術をするには難しかったのです。このため、ほとんど私から話し続けて…この時は終わりました。この現実は、想定を大幅に超える出来事で、マシンガントークのようになってしまったことに対して、申し訳なさを感じたことは未だに色濃く、脳に刻まれています。
そのような感じだったのにもかかわらず、お礼メールを送ったところ、「また会って、今度は一杯やりましょう!」という内容の返信を頂けて、在学中と同じように助けられて嬉しかったです。そして、今度はもっと言葉のキャッチボールを楽しみたい!!
このものすごく強い思いから、彼女と似たような話し方・口形の女性をテレビなどで見つけると、食い入るように見つめながら、2人で話す時のシーンを思い浮かべていました。でも、なかなかコツを掴む事に辿り着けず、メールのやりとりを続けながらも、時ばかりが過ぎていきました。
そして、ようやく大丈夫と思えるようになった2015年8月。
「デートの先行予約ってアリですか?」と、メールで聴いたら、快い返信を頂く事が出来ました。

そして同年10月、2年ぶりの再会ができて、学校でお世話になった先生とは、初めての女子会が実現しました。
この日も、最初からワクワクしていました。そして、注目していた読唇術もスムーズとなり、ほぼ一方的に話し続けた前回とは大きく違い、聴きたい内容も伝えられて、またひとつ小さな自信がつきました。さらに、またお会いしたい気持ちも、ためらう事なく全面に出て来ました。
これからも、形を少しずつ変える事はあるとは思いますが、お2人とのつながりを大切に、そして楽しみ続けたいです。

また、時を遡ると…まだ大幅な運動機能低下をする前に、こんな事もありました。

整形外科の病院で、順番待ちをしている時の事でした。
同じドクターに診てもらうために、待合室のベンチに座っていた初対面の男性が突然話しかけてきて…

「一人で来たの?」

「ちゃんと話せているけど、本当に聞こえないの?」

「唇の動き読み取っているの?すごいね!!」

英語も好きだと話したら…

「英語も勉強するなんて偉いね!!」

周囲の人にも広めていました(笑)

「電動車椅子のバッテリーは1回の充電で、どれくらい使えるの?」

「電動車椅子の費用はどれくらいかかるの?」


と、ほぼ質問攻めで終了しました。


そして、いざ診察へ。

そうしたらドクターからさっそく…

「さっきまで、何を話していたの? おじさんの声ばかり聞こえていたけど。」

と、聴かれて

「ほとんど、質問攻めだったよ。 私は聞こえないけど、体でおじさんの声の振動をたくさん感じて、どっちが聴覚障害者かわからなかった。」

と、答えたら

「本当に分からないね!!」

と、側にいたスタッフさんたちと大爆笑して、診察終了となりました!!





他にも、様々な事を楽しむスタイルも大きく変わったり、新たに好きになったり、じっくり味わうようになった事が増えました。

楽しみ方が変わったものの中で代表とも言いたいのが、音楽です。
聞こえていた時も、多少は歌詞を楽しむ事はしていましたが、どうしてもノリの良さなどの方が、勝っている状態だったと思います。
今は一言ずつ味わうように、じっくり読んでいます。
さらに、新たな楽しみ方が増えました。
リズムは振動によって楽しめます。さらに、キレのいいダンスを見られると、歌詞を覚えているものであれば、歌詞が出ていなかったり、歌手の口元が見えない状況でも、かなりノルことができます。

さらに、ダンスの振り付けの中に手話またはそれに近い表現が入っている曲も多くなり、より楽しみやすくなっています。

初めて、一部の振り付けが手話に近いと思ったのが、SMAP「世界に一つだけの花」です。
最初の頃は、メッセージ性の強さから純粋に、この曲そのものが大好きになりました。高校の卒業式の際に、使われていた場面を、今も頭の中で楽しく回想しています。この曲のCDが発売されたのが2003年3月。この年の8月に、聴覚異常を感じ始めた私にとっては、健聴の耳で聞くことができて、自信をもって歌えるラストソングとなりました。こんなに大好きになれる歌が、最後となったことに幸せを感じています。この曲は、今も自信もって歌い続けられているうちの1つで、心のパワーとなっています。また歌い続けられている限り、運動機能などに更なる障害が増えたとしても、明るく過ごせると思っています。
この他には記憶の範囲内では、「Not alone〜幸せになろう〜」と「Yes we are」の一部に手話または手話のような表現が入った振り付けとともに歌っていて、どちらも好きになりました。そして、これから他の歌手も含めて、どんな曲と出逢えるのだろうかと、待ち遠しい思いで胸が高鳴りました。
最近の曲の中で、他の歌手グループで印象深く残っているのは乃木坂46とAKB48です。
乃木坂46は、2015年10月にリリースされた「今、話したい誰かがいる」のミュージックビデオの中で、聴覚障害と健常者が、手話と筆談によって、少しずつコミュニケーションをとるうちに、お互いの心の壁がなくなるというストーリーを、メンバー達が演じています。この映像を見た時に、たとえたった一言だとしても、伝えられる事、それ自体が大きな喜びや次への架け橋になると思い、なんだか心がホッコリしました。
AKB48は、朝ドラの主題歌にもなった「365日の紙飛行機」で、曲の中で最もメッセージとして発信したいと思って書かれたであろう…

「人生は紙飛行機
願い乗せて飛んで行くよ
風の力の限り
ただ進むだけ
その距離を競うより
どう飛んだか どこを飛んだか
それが一番 大切なんだ
さぁ 心のままに
365日」
の部分のほぼ全体にわたって、手話を使いながら歌っているので、私も手話で一緒に歌っていてます!

歌番組以外にも、テレビで音楽を楽しめる機会がありました。見られたことがとても嬉しくて、2015年8月と2016年1月にそれぞれ、見てすぐにブログに以下の通り掲載しました。

今、タイミング良く見たら手書きで楽譜を書いたり、絵の具の色によって「目で楽しめる音楽」をベストなスタイルで届けてくれて、嬉し過ぎます!(2015年8月)

今回は、ベートーベンの「運命」。

CG画像を駆使し、音の長短・楽器の増減をグラフのような図形などを組み合わせ、「見える音楽」を楽しめました(⌒‐⌒)

昨年この番組を初めて見て、また楽しめる事を期待していたので、嬉しいです(^-^)

次は、どの曲を何を使って表現してくれるかなぁ?(2016年1月)

次に、音そのものを音として認識は不可能ですが、高低差は体の振動となって感じることができます。高いほど頭の近くで、低いほど腹部に近くなります。
この高低差を感じる方法は、人の声のポイントをつかむ時にも、活用できます。

スポーツを見ることも大好きで、よくテレビ観戦しています。
いろいろな競技を楽しんでいる中で、「聴くこと」にポイントをおくと、フィギュアスケートと大相撲が大好きです。

フィギュアスケートは、記憶にある曲を使用していれば、頭の中で演奏を思い浮かべながら、選手の演技全体を楽しみます。知らない曲での演技の場合は、流れている曲から感じる振動と演技を、組合わながら世界観に浸ります。高校生ぐらいから少しずつ関心はありましたが、最初は、なんとなく見ていました。それが今では、シーズン中はテレビ放送をワクワクしながら見るぐらいまでに、夢中にさせてくれるものへと、大きく変わっています。
大相撲は、子供の頃からテレビを見ていたので、自然なものとして受け止めていましたが、それほど好きではありませんでした。ところが、数年前から自分でも驚くほど好きになり、今では本場所中に、ブログとLINEで何かを伝えられずにはいられないほどになりました。
中でも、イチオシ力士は臥牙丸 関。
彼は、なかなか決め切れない取り組みが多くてハラハラの連続のため、正直15日間は落ち着けないのが本音です。
でも、感情を豊かに表すキャラクターが体の大きさからは、とても反比例していて、たまらなくなるのです。
負けた時は、今にも泣き崩れそうなくらいの状況で、花道を引き上げていきます。
勝った時には、満面の笑みで土俵から下がり、奥にあるモニターで自分の取り組みを確認する際も、周りの人に見て欲しくてたまらないお茶目な一面も。さらにインタビューがあると、インタビュアーから「もう、時間がありません。」と言われるまで、話が止まらず物足りない表情を浮かべることもありました。
彼の話は、口形がわかりくくて読唇術には向いていません。そのため、字幕放送のおかげで楽しむ事が出来ています。
このように音楽や声の振動によって楽しめることは多くあります。今後も、どのように更なる深掘りができるのか、想像するだけでも笑顔がこぼれそうです。

次に、トーク番組や落語も楽しみ方が、奥深いものとなっています。
この2つも、子どもの頃から好きでよく見ていました。まずトーク番組に関しては、健聴時には分かりやすいところだけを切り取って、そのポイントとなるものがいくつか集まると、自分なりにまるでジグソーパズルを組み立てるかの要領で、ストーリーを自己完結させて満足でした。このため、うまくタイミングが合えば集中して見られていました。一方で、一旦迷路に入り込んでしまうと…脳内で空中分解を引き起こし、そこでその内容に関する思考は完全に停止していました。なので、この事態が発生中に不意に感想などを求められたら、表現をする事が出来るまでに時間がかかり過ぎて、貝になる事が多すぎていました。結果として、よく母に「それで終わり?」と、よくガッカリされたものです。今となっては、そのような反応されてしまう事が、手に取るように理解できます。しかしその時には、「なぜ、この状況が伝わらないのだろうか。これは私だけの感覚なのだろうか」という疑問とともに、もどかしい思いが増幅していくばかりで、悔しさが際立っていた事が思い出されます。
ところが、このような混乱が「音のない」状況で見るようになったら、信じられないほどのスピードで頭の中が、まるで霧が晴れるかのように吸収できるようなった情報量が、大幅にアップしました。その方の声が聞こえないことに関して残念な思いは間違いなく、私の心の中にあります。一方で、ここを字幕放送やテロップから分かる言葉たちを一点に見つめられるようになったり、その会場を訪れているかのような臨場感を味わえる最大のチャンスだと、自然と気づくことができるようになったのです。
この変化を得られたことで、かつての断片的程度にしか吸収出来なくて見たらそこで終わりの基本から、抜け出せる事が格段に増えたのです。こうなると、誰かに見た内容と合わせて感想を伝えたくて、そこに寄せる思いは高鳴り続けます。さらに、ブロクにも発信したいとより素直に思えるようになり、自分が書いた記事に反応が寄せられる事も、徐々にではあるものの増えて様々な角度から同時に楽しむ事が出来ています。伝える力・書く事のスキルには、まだまだ課題山積ですが…、番組そのものを楽しむ・その内容と感想を誰かに伝え、さらにブログ記事として書き続ける事の連続こそが、今の私にとってのサイクルであり、とにかく回数を経験する事が重要と考えながら、コツコツと実行中です。

そして、落語も幼い頃からよく見ているもので、成長などにより楽しみ方が変化し続けているものの1つです。
ただ、トーク番組と同様に健聴時には、まず、話のテンポにいかについていくかに始まり…自分が理解できる範囲内の特徴的なツボがないと、ただ、キョトンとしながらテレビ画面を見つめているだけでした。その結果、面白いと思えるところを見つける主導的な部分は大きく欠如。ただ、ひたすらなまでに、そのツボとなるものが、やってくる事を待ち続けるという完全受動的な見方をしていました。これは、特に落語という全体の情報そのものから、ほんの少しだけ切り取り、音声から理解できるところ限定して見ていたために、このような状態が発生したと考えられます。
ところが、これまた音声情報を失った事で、まるで高級昆布を噛み締めて、じっくりとその味を噛み締めるかのように、深掘りできるようになったのです。
落語に関して触れるに際して、改めて落語とは一体どういうものなのかなど、情報となるページを検索したところ…
「あー!こういう事を伝えるポイントといしている日本固有の伝統なんだ!」という事が明確になりました。
さらに、基本表現は「仕草」・「表情」・「書く」・「服装・効果音」などに至るまで、豊富である事に気づくことができました。この事によって、手話によるコミュニケーションをする時と同じように、読み取りやすいポイントが凝縮された話術芸能であるという点に結びついたのです。
もちろん、字幕放送があればストーリーがより明確になりますが、仮になくても、落語家の方の姿がはっきり見える状況であれば、聴者とともにその世界を共有できるものであり、その旨みのようなものをたとえ少しずつであっても、味わえる状況にいられている事に、改めて小さな幸せを感じています。
落語に比べると、まだまだ歴史が浅く知名度も乏しく、番組でお目にかかる事にも恵まれていないですが、手話落語もあります。
特徴としては、主な対象は聴覚障害者ですが、健常者も一緒に楽しめるようになっています。演者は手話を用い、基本的に自分では口を使いません。
目に見える形で認知度が上がらないのには、以下のような難題などがある事が、理由として思い浮かびます。
まず、手話のわからない健聴者向けに通訳が入る場合が多いことにあります。通常の落語でよく用いる語呂合わせなどの手法は取り入れるのが難しいため、もっぱら小噺をメインに据えた高座になることが多いのです。また、落語には手話にない単語が登場することも多く、その分工夫が求められる現状に加えて、取り組んでいる演者が少ない事も大きな要因となっていると想像しています。
クリアーすべき点は、山積しています。地道な作業などの繰り返しとなるとは思いますが…

「静けさの中に隠れている多くの面白さ」

を共有しやすくなる事を、願わずにはいられません。

さらに、私が生まれた頃からの歴史がある英語落語。その醍醐味は、落語を単純に訳して一つの噺とするのではなくて、どう英語で表現すれば文化も宗教も習慣も異なる人々に理解してもらえるか?、にあると思います。ですが、国は違っても、ユーモア、人の情け、失敗を笑い飛ばしてまた「顔晴ろう」(がんばろう)と思う心は共通で、それが英語落語が共感を呼ぶ理由ではないかと思います。さらに、私にとっては日本語では意味が捉えきれなかったりする部分も、納得できるきっかけとなっています。
そして、先ほどの「顔晴ろう」(がんばろう)には、顔・表情を晴れやかにできるようできる瞬間を大切にしようという、思いが込められています。
一般に使われる事が非常に多い「頑張ろう」という言葉には、抵抗感がある私も「顔晴ろう」には心が和みます。

これからも、江戸時代から伝わる落語・発展途上中の手話落語、そして海の向こう側まで渡った「RAKUGO」までそれぞれに発見などができる事を、まず、私自身に対して期待して更なる発信になればと思います。



ですが、振動も様々なものが存在します。楽しめる場合ばかりではありません。「音のない世界」にいるからこそ、聴者より感じる事が多すぎて、聞こえていれば、わずかな差とだと思える事も、過剰反応をしてしまう事もあります。

例えば、レストランで注文したものがテ
ーブルに置かれる時。これは、電動車椅子に乗っている事によって、膝とテーブルの近いことも事実ではありますが、この他にも理由があります。少しでも勢いがついている状態で置かれると、振動が大きくなるため、びっくりしてしまうのです。これは、動作を見る事で心の準備をしていても追いつかず困ってしまいます。どうにかして、軽減できる方法があればと、ずっと願い続けています。
他には、外出時に母の運転で乗車している福祉車両のタイヤの空気圧変化を、感じることです。私は、幼い頃からずっと乗用車に乗って、数え切れないほどの通院・通学・外出を経験させてもらっていますが、2006年に「TOYOTA Noah」にして、中列の位置に電動車椅子のまま乗るようになるまでには、経験する事はありませんでした。
これは、一般の方にとっては気づかない程度のわずかな空気の減少であっても、まるでディズニー映画「アラジン」に出てくる魔法のじゅうたんに乗って、どこかに行くかのように、「フワッ」と浮き上がるような感覚があるのです。
さらに、自然現象では地震や雷に対しても、察知が早くなったり、感じ方が変わりました。地震は、震度1でもかなり正確に感じてしまうため、まず、テレビのテロップ表示をじっと見つめて、自分の居住区または隣接区で観測された事が、確認できれば納得します。でも、表示が出ないと…納得するまでスマホで確認します。
雷は稲光を見た後、お腹を中心に下から振動を感じます。さらに、近年のは激しく数多くの和太鼓みたいな響きを一斉に感じますので、驚き方も半端なものではありません。
気象変動には、元々振り回されやすく頻繁に「不連続線」から引き起こされる症状を、経験し続けています。
「不連続線」とは、気圧変動によって様々な症状が表れる病気の一つで、症状は人それぞれ全く異なり、頭痛・めまい・関節痛など、その人によって様々です。
そして私の場合は、低気圧に左右されて、検査で確認した事はありませんが、脳圧が上がる感覚があり、頭痛・頭重感・平地から標高が高い所などに移動した時などに経験する耳づまりが、同じ場所でおとなしくいる状態であっても、症状は出てしまいます。さらに最もひどい時には、生きているのか心配されるほど眠り続ける事もありました。
長く付き合っていても、成人してから数年が過ぎるまでは、その都度ひたすら…その症状が通り過ぎるのを、待つばかりでした。
母は、私が幼い頃に小児科医から「障害当事者は、低気圧に弱い」と聞いていたそうです。しかし、病名はずっと知らずにいました。
そしてある時、「天気に体調が左右される事はありますか?」と耳鼻科医に質問されて、先ほどお話した内容と同様に、諸症状を説明したところ、この診断に至ったのです。
そして、徐々にポイントが分かるようになり、現在では、以前ほどは振り回されやすい状況には、なりにくくなっています。
ちなみに台風が発生したら、まだフィリピンに停滞している状況でも、影響は受け始めてしまうのです…正直、この過敏反応はいりません(笑)
近年では、天気予報の中でも「気象病」として、従来からの情報と共に、関節痛・喘息などの症状が、予想されている天気から、どの程度現れそうかをマークなどで表示している番組も、まだ一部だと思われますが…あります。
また、何気なくスマホでチェックしていたら、「頭痛ーる」というアプリを発見しました。
このアプリは、気象予報士が開発した頭痛・気象病対策No.1だそうです。
そして、頭痛や気象病の起こりそうな時間帯の確認や、痛み・服薬記録として体調管理の1つになりそうだと思い、さっそくダウンロードしました。
予想される天気は、マークで表示されていてます。そして、この気象条件から体調の変動をグラフ化し、ポイントとなりそうなところには、「注意」など一言添えられていて、すごくわかりやすいです。
  • 2016.06.05 Sunday
  • 10:58

Deaf Report

「聴くこと と 聞くこと」(加筆中)

私は、水頭症を合併した二分脊椎症者として、生まれました。
移動手段は、外出時は就学直前ぐらいから手動車椅子を利用。高校在学中からは、元々、手動車椅子の操作が下手だった事や、行動範囲を拡げる事を考えて、電動車椅子に切り替えています。自宅では、ぎこちないハイハイを長い間していましたが、2009年に急激な運動機能の低下をして以降は、ずり這いをしています。

学習面では、通園施設と幼稚園・保育園を経て、義務教育は身体面を重視して特別支援学校に、高校は社会生活への準備期間として一般校に在籍しました。
様々な症状を経験する事が、年齢を重ねるにつれて増加していっても、自分なりに、楽しむ日々を送っていました。予期せぬ体調不良や症状増加は、それまでも、周りの症者の方々と比較しても幼い頃から早かったので、この先もその点においては、変わりないだろうと思っていました。

ただ、聴覚を除いては…。

2003年のお盆に3ヶ月ぶりの外出で、父と暑い中、汐留に行きました。
張り切りすぎた結果、熱中症により1歳の時から通院している小児科の病院へ救急搬送。熱中症の症状が落ち着いた夕方に、聴覚異常を感じたため、すぐに症状をドクターに伝えるも…

熱中症に伴う一過性症状程度に診られて…相手にされぬまま診察終了。

19歳のこの日が訪れるまでは、健聴だったので、この先もその状況が続くものと思っていました。しかし、自覚症状が現れた数日後に聞こえた救急車のサイレンの音に同じ乗り物とは思えないほどで、左耳からはJ-POP、右耳からパンクロックを聞くぐらいの差があり、J-POPのような感覚が押し流されるほどでした。そして、このサイレンの音を聞いたその次の瞬間には…

「もう、回復どころか悪化するのは、間違いないだろう」と確信へと変わりました。
その後もまるで、その予測は「正解だよ」と言われているかのように、毎日低音から順に一つずつ消え去っていくことの連続…だんだんと左耳から入ってくる音も、右耳と変わらなくなっていったのです。
今まで、聞こえていたことに感謝した上で、別れを告げていました。

症状への理解を得る事は、困難だと判断。脳外科医に、小児科で伝えた経緯と共に説明をした結果、早期の耳鼻科受診を勧められました。
この病院では、小児科でオーダーを出してもらう事が必須なので、再度受診しました。難色を示して、相手にされなかったあの日とはまるで違い、ものすごくスムーズな対応でした。

そして2004年2月、念願だった耳鼻科の初診。この日にドクターからかけて頂いた言葉に、感動した事を今でも、鮮明に覚えています。

「私は、二分脊椎症について研究をしているけど、研究が足りなかったらゴメンね。」

それまで、多くのドクターに出会って来ましたが、このような強いメッセージを届けてくれた事はありませんでした。
聴覚症状としては、「音のある世界」にいられたものの、雑音が多すぎて「音のない世界」への移住が相当進んでいました。そのため、病院の予約・キャンセルも、元々FAXも機能的に難しいという事を伝えた上で、メール対応可能と言っていただいた場合には、ありがたくお願いするようになりました。
私は利用した事がありませんが、数年前から少しずつ聴覚障害者が利用しやすい通話環境がアプリなども含めて拡がりを見せています。その一つに、「電話リレーサービス」があります。このサービスは、聴覚障害者が電話を一人でかけられるように、聴覚障害者と電話のかけ先(聞こえる人)を電話リレーサービスセンターにいるオペレーターが、テレビ電話を活用して、文字や手話と音声の通訳をすることにより、電話で即時双方向につなぐサービスです。
しかし、私が利用するには向いていないと思っています。理由としては、私は家では寝たままの姿勢で過ごしています。外出時は、電動車椅子に乗っている分、手の動きにもゆとりはできます。ですが仮に、スマホを固定した状態にできたしても、体勢が不安定なので、コミュニケーションをする以前に、相手に自分の姿を見せる状態を持続する事が困難だからです。
他に調べた範囲内では、チャットを活用しているサービス団体もあるようです。
いずれにしても、いきなり本番は無理なのは想像できます。まず、体験を重ねていくことが必須です。
そのため現段階では、メールが視覚から情報が得られて、確実に連絡が取れる手段となります。そして、自分で連絡できる事に対する喜びも大きいのです。
今後、多様な連絡ツールが利用可能となる事に希望を持ちながら、技術進歩の情報にも、接し続けたいです。そして、出来ることなら、まず、当事者の1人として体験できる機会を増やして頂く事から、裾が拡がればいいなぁと強く思っています。

2006年10月 病名「 巨大水頭症の悪化による聴覚失認 または 皮質聾」という診断に至りました。ABR検査では、脳と耳から指令が出ていて正常。まだ、診断の可能性を諦めきれずにいたので、自ら希望して撮影したMRIの結果を診て、

「聴覚神経が圧迫されているため、音声認識ができない状態である」事の説明を受けました。
診断前の一時期、耳かけ型補聴器を病院からの貸し出しという形で、使用していました。しかし、振動から得られる感覚を求めすぎるあまりに音量を、常に、最大にして使用していましたが…

「これは、聴覚本来の機能も失う事になり、耳にとって負担が大きい」
というドクターからの話を聴いて、利用を中止しました。それ以降は、全く使ったことがありません。さらに、この日を迎えられるまでの間には、感音性難聴の可能性に触れられた事もあり、人工内耳の手術の話も出たことがありました。
ですが、MRI画像を見てドクターが、安堵の表情を浮かべながら…

「あの時、急いでオペをしなくて良かった。」

と話してくれた事が、今でも鮮明に脳裏に焼き付いています。
この診断を受けて、聴覚障害者としての証明と利用可能な福祉サービスをスムーズに受けるために、身体障害者手帳を更新しました。それまでの障害に加えて、「聴覚障害2級」が記載されています(手帳上では、聴力障害とされている)。私自身も手帳更新時に知りましたが、聴覚障害としては2級が最も重度となります。一般に、聴覚障害をほとんど有していると思われている「言語不明瞭」の部分がありません。むしろ、聴覚障害になってからの方が、相手に伝えたいと思う意思を強く持つことで、はっきりした発音となり、健聴の頃から知っている方にも、「今の方が聞きやすい」と言われるほどです。世間一般の考え方で見ると、障害が増える事はマイナスと捉えられる事が多くあります。確かに、障害が増えれば不自由さは多くなり、必要となる説明は長くなる一方です。
また、同じ二分脊椎症を有する方であっても、水頭症の有無によって、子どもの頃から目には見えない心の壁も感じてきたのも事実です。
具体的には、特に運動機能や学習面において、「お宅は大変そうだけど、うちはその点に問題ないから」と、はっきりと言われる事も幼い頃から良くあって、つらくなることもありました。症状が増えるにつれて、その溝は深まる一方で…同じ病名と診断された症者の中であっても、1つは、自分の身の周りの事が一通りできる運動機能的に私よりは軽度の当事者、もう1つは、自分と同程度の介助を必要とする症者といった感じに大きく2つに分かれている事を、受け止めるしかありませんでした。しかし、後に私より軽度な方々に様々な症状が発生し、慌てている姿を目にすると、先にいろいろと経験出来ていて良かったと思います。
さらに、聴覚障害診断までの数年間、他のあらゆる症状をベテランに訴えても、診断が不可能な事の連続でした。
そのため、心因性と判断される事がとても多かったのです。その事が要因となり、心に大きな雪だるまが出来るほど、積もり積もったものとなっていくばかりでした。頭では、解らない事もあると理解しつつも、どうしても納得のいかない時をずっと過ごしていました。
そのような日々が長く続いていても、症状そのものとの付き合いは、尋常でない激しいものに襲われていない限り、楽しむ事は変わっていませんでした。
しかし、さすがに診断には絶望的な気持ちが膨れ上がって、次第に…


「もう、私が生きているうちに納得のいく診断は、されないのではないか」

と、心は諦めの境地に向いてしまっていました。

そして、「ここまで、調べ尽くしてくれた上での結果だから、受け入れよう」

とMRI診断の直前は、一つの覚悟をするかのような勢いで、自分に言い聞かせるようにしていました。

ところが、聴覚障害の診断を受けられたことで、他の症状についても諦めきれずに伝えながら待つ事ができれば、心因性診断が減少して…
いつか、解明へとつなげる事ができるかもしれないと、「希望の光」を見ることが出来ました。
ドクターによれば、このケースの聴覚障害を正確に理解している耳鼻科医は、当時の時点で…世界で10人程度だと聴いて、良い出会いに恵まれた事に感謝しました。その一方で、たくさんの誤診が続いているであろう現実を想像したら、ゾッとせずには、いられませんでした。

幼い頃に、中耳炎や外耳道炎を繰り返していた影響からなのか、自然とある程度の読唇術が身についていた事がどこに行ってもほとんど困る事はなく、楽しく過ごしていました。実は、聴覚異常を本格的に感じるまで、何か問題が発生すれば、開業医の耳鼻科をその都度、受診する程度で、ずっと聴覚症状には注目することが、そもそもありませんでした。そして、脳外科医が耳鼻科受診を勧めてくれたのは、1人の二分脊椎症者の方が聴覚障害を発症した事を知っていたからでした。しかし脳外科としては、問題にならない程度の小さなシャントトラブルの積み重ねが引き金となって、聴覚障害につながる症例については、ご存知ではなかったようです。
2006年4月にシャントトラブルがCTで確認されて、脳外科診の翌日に入院して、その2日後に手術しました。
退院後の初めて耳鼻科診で、シャントの再建術によって聴力の回復の可能性があった事を聴きました。しかし、オペ以前の3年間CTを撮り損ねているうちにシャントトラブルを起こして、聴覚神経を圧迫しすぎている事が要因となり、回復はしませんでした。
この経験から、私と母はシャントのチェックを目的としたCTの撮影が、耳鼻科の観点からも重要である事を、水頭症を有している方とそのご家族に伝え続けています。ですが依然として、水頭症と聴覚障害との関連性への関心や認知度などは、広められていない状況でなかなか変化を感じられないままです。

就学前から英語が好きで、ひらがなより先にアルファベットを遊び感覚であっという間に覚えてしまうほどでした。
母の主導の下、色々と学習機関に連れて行ってもらっていました。私には、元々の障害の一つとして四肢機能麻痺があります。これにより、書字速度も一般に比べ遅いため、たくさん書いて覚える事は現実的ではありません。この点を、考慮しながらどこに行けばいいかを良く選んでくれて、行く先々、全部大好きになりました。

その中で今、振り返ると中学時代に1年半通った地元の個人塾が唇の動きを読み取るための基礎づくりとなりました。ここでは、外国人に通じる英語を目指して、発音の徹底を求められる厳しい授業の連続でした。
先生の唇の動きと発音を吸収して自分も発音練習したり、発音された単語を書いたりするトレーニングを徹底されて、正解した時の喜びは絶大でした。
この頃はまだまだ、読唇術という言葉すら知らない時でしたが、音声以外からも情報を得る方法を知る大きな機会となり、原点です。
更なる精度向上を求めて、2007年6月から3ヶ月間(週1回)、東京都主催の読話講習会に参加しました。

この講習で学んだことをきっかけに、それまで感覚で身につけていたもの加えて、知識を増やすことができました。そして読唇術というものは、そもそもどういうものであるのかから始まり、相手にどのような対応をしてもらう事が、読み取りやすくする事に、つながるのかなど全体が網羅されていました。さらに、コミュニケーションをする時には、もちろん、読み取る側になるばかりではありません。読み取ってもらう側になる事も、必ず想定する必要があります。その点への意識を高めるために、当事者同士がペアを組み、相手の話を読み取る事も実践しました。読唇術は、もちろん唇の動きを読み取る事によって、コミュニケーションが成立します。さらに、唇だけを見ているのではなく、舌・表情筋そして、相手の反応を見てスムーズになります。

さらに理想としては、口の動きを親指1本が入る程度にして、スペースに余裕があり可能ならば、前方斜め45度から話して頂けると格段に読みとりが行いやすくなります。そして、ここで学んだポイントが大きなヒントとなり、あくまでも内容の理解は別として、日本語・英語・中国語・韓国語の違いは、読み取れるようになりました。

この他のポイントとしては、テレビ・本・雑誌などで、様々な情報にふれて知っている言葉を増やしておくことが重要です。それから、これは私がここまで運動機能的に1人で動けない事が関係しているために、より感じやすいと認めた上で…、メールでのコミュニケーションも、語彙を増やす手段としてとても有効だと思っていて、フル活用してスマホにしてから、LINEをなくして過ごすことは、完全に不可能と感じるほどです。残念ながら、ニュースではメールの悪用事例・事件を目の当たりにする事が、ほとんどです。そのリスクについては、決して軽視できるものではないのも心得ています。その点に注意しながらも、会話をしていない場合、どのような事態に陥いる要因の一つとなる危険性も考えられないでしょうか。それは、聴覚障害自体から発生するコミュニケーション障害に加えて、さらにバリアとなる引き金となりかねないと、一種の危機感があるのです。
本レポートは、聴覚障害当事者の1人として書かせていただいておりますが、音声言語でのコミュニケーションが困難・もしくは不可能な方々は、多くいらっしゃいます。言語障害を有する場合や、気管切開またはガンなどによって声帯摘出をされた方たちです。
その中で最近、より関心を寄せられた著名人が歌手 つんくさんです。

2016年3月の報道を見て、以下の通りブログに書かせていただきました。

「被災地の子供たちとコンサート」

これは、NHK「おはよう日本」で放送された歌手 つんく♂さんが中心となって、取り組まれている活動です。

一昨年、ガンのため声帯摘出。
歌を歌うことで、パワーやハートを伝える事は出来なくなりました。

しかしこの経験が、「まだまだ音楽を関わる方法はたくさんある」と新たな発見につながったのです。

コンサートで合唱する歌の作詞。

そして、指揮者と参加して、歌詞に込めた「生きる喜び」を全身で伝えていました(o^^o)♪

コンサート後、関係者の前で話す姿もありました。

現在のコミュニケーション手段は、筆談やパソコンに書いたものを代読してもらう他、LINEも活用されています。

この姿を見て、多くの聴覚障害当事者・聞こえにくい人々・声が出しにくい人・失語症の方など…
多くの人たちに、コミュニケーションの取り方は多様であることを、伝えてくれたので嬉しく、心が温まりました☆彡

さらに、聴覚障害者には、話をする事が難しい「コミュニケーション障害」と、災害発生時には、給水や食事などの提供に関する内容をうまく知る事ができない「情報障害」があると、「音のない世界と音のある世界をつなぐ 〜ユニバーサルデザインで世界をかえたい!〜 松森果林著 -岩波ジュニア新書- 」にも、明記されていて、コミュニケーションツールは、日常的に複数を使いこなせる事が大切となります。そうすれば、突然の事に遭遇してしまった時としても、最初こそ少しずつかもしれませんが、自分らしく居られるポイントを増やすことが出来て、小さな安心を積み重ねられる、きっかけになるだろうと思います。そして、その言葉を発する時に自分だったら、どのように唇・舌・表情筋を動かしているか、知っておく事で言葉数が格段に増えて、相手との会話のキャッチボールがより長く続けられるコツになると思います。

ここまでは、読唇術をするための準備段階です。

そして、この先が本番となります。

普段、ほとんど日本語を話していますが、人の口形や話し方、そして方言などによって少しずつそれぞれ違うものです。
そのため、単に日本語である事にこだわり過ぎると、意味を理解する事ができなかったり、たまには1単語も読み取れなくなるのです。

結果として話がつながらず、頭の中で混乱し、楽しめなくなるのです。
そこを少しでも、クリアにしていくために大事なのが、多言語に触れることなのです。
私は、幼い頃から英語が好きでずっと発音重視の教育を受けさせてもらいました。中国語は、高校の選択科目としてかじっただけです。韓国語は、テレビドラマなどを眺めるだけです。
それでも、言葉にこんなにも違いがあるのかと、たくさん気づかせれてくれるほど、感じるものが多いです。
日本語は、はっきりした発音で静かに話す標準語がベースとなっています。

それでも、口形やその人が慣れ親しみ使ってきた方言によって、全く違う言語に見える事が多々あります。

それは、同居する家族であっても例外ではないと日々、感じています。

私の両親は、母は京都出身、父は埼玉出身です。

母は、口形もテキストにしたいほど読唇術に最適で、生活に困らない程度の手話も知ってくれているので、コミュニケーションはスムーズです。
手話を知ったのは、小1の時でした。きっかけは、身近に1人の聴覚障害当事者の方がいて、少しでもコミュニケーションを楽しみたくて、少しずつ覚えていきました。
成長するにつれて、声も出すのも不可能な症状を襲われる事も多くなり、自分の意思を伝達するためのツールとして、活用し始めました。指文字を母から教えてもらって以降、使う事が増えました。聴覚異常を感じた際にも、小児科医に、手話を使いながら症状を伝えようとしました。
しかし、「話せないなら手話を使うことを理解するけど、話せる状況で使うのは、話す事から逃げている。」と言われて、一瞬戸惑いました。
そこで、すかさず対応してくれたのが母でした。
手話を使いながら「私に症状を伝えなさい」と言ってくれた事に、救われました。今振り返ってみても、母に感謝する気持ちに変わりはありません。そして、症状そのものを体験する事にも、場合によって怖さを感じることも多いです。そして、症状を伝えられない事はそれ以上に不安や恐怖をよびかねないと思った事が、未だに頭から離れることはありません。
一方で父は、口形から言葉を読み取るのは難しい上に、一つも手話を知らないので、とにかく読唇術を行う以外の手段がない現状が変わる事なく、今に至っています。そのため、彼と話す時は、いかに少しでも聴き直さない事を意識した上で、話し方は、どの言語に近くて、多く話す言葉をとにかくインプットし続けているので、ある種の緊張状態の中にずっといるのです。

ここで、母とのコミュニケーション手段の一つとしてふれた手話について、さらにお話させていただきます。

手話は、世界共通と思われがちですが、その国によって、それぞれにあります。
ですが、単語は共通しているものは多くある事から、通じやすいようです。

以下は、「耳と脳」を読了した時にブログに掲載したものです。「日本手話と日本語対応手話」についての解説を、原文のまま紹介させていただきます。さらに、私にとって、読みやすいものがどれかについても明記しています。


ろう者による自然生成言語としての日本手話と、聴者が日本語に対応させてつくった日本語対応手話は言語的には全く別物である。
韓国手話、台湾手話、日本手話は単語において60%(諸説あり)ほど共通しており、日本手話の話者は韓国人や台湾人との手話コミュニケーションが聴者のそれに比べると難しくない。

また、日本語対応手話が日本語の文法に合わせた手や指、腕を使う手指動作だけで単語を表現するのに対して、日本手話は、視線・眉・頬・口・舌・首の傾きや振り・あごを引いたり出したりなど非手指動作も用いている。SVO型の語順の文法も用いられている。日本手話はその意味で、日本語あるいは日本語対応手話とは全く異なる体系をもつ言語である。日本手話では聴覚言語に固有といわれるプロソディ変化の表現も可能である。プロソディとは、発話において現れる音声学的性質で、その言語の一般的な書記記録からは予測されないものすべてをいいます。具体的には抑揚あるいは音調、強勢、音長、リズムなどを含むが、これらのうちで文脈によって異なりうるものを指すのであって、その言語で決まっているアクセント(高低アクセントあるいは強勢アクセント)、声調言語の声調、音長を弁別する言語における長母音・短母音の区別といった性質は含まない。
韓国手話、台湾手話、日本手話の共通性は、日本統治の影響と考える説や日本手話がろう者による自然生成言語であるために、文化的背景が同じ地域の民族で共通項があるのだとする見解など諸説がある。
人工内耳装用しても、健聴者と同等の聴力を得るわけではない(重度難聴から軽度難聴あるいは中等度難聴の状態になるだけ)。また、装用してから初めて文法体系を学習させるのは非常に不利である。聴覚口話法やキュードスピーチなどと併用して行うだけでなく、日本語対応手話の学習も併せて決して否定されるものではない。例えば、健聴の両親のもとに生まれたろう児に対して人工内耳装用までの期間、日本語対応手話を用いたコミュニケーションを積極的に行えば、あらかじめ語順(文法)を学習することができる。生活のなかでの所作・作法といったしつけ教育は作業記憶として後々に抽象的な言語(「しゃきっとする」など)を獲得していく際の手助けになるであろう。日本語対応手話の語順を学ぶことは、書記言語の学習効果もあがることが期待できる。

先ほどのキュードスピーチとは、読話の補助をするために,手指による手掛かり(キュー・サイン)を用いてコミュニケーションをする方法のこと言い、この中にもあるように、主に言語確立がまだ出来ていない方々が活用されています。
このような解説をしていただけると、当事者としてありがたいですし、自分も誰かに説明するときのテキストにしたいです(^-^)ろう者が国際交流を行う際に公式に用いるために作られた手話、「国際手話」もあります。各国の手話を元にした一種のピジン言語です。世界ろう連盟やデフリンピックをはじめとするろう者の公的な国際交流の場や、他国への旅行・交流などのより私的な場でも意思疎通を図るために用いられています。しかし、各国の手話の方がそれぞれに浸透しており、広まっていないのが現状です。

私は、日本語対応手話の方が読み取り慣れています。
読話講習会を受講していた時に、ろう者による日本手話のDVDを見たことがありますが…。
それは、手話で話されている当事者の方の話す事への集中力がずば抜けていて、早すぎて一語も読み取れなかった経験があります。
今は、手話があるニュースを見ていると話しているのが、聴者か聴覚障害当事者のかはすぐに判断できるようになっています。
聴者は、手話で話す時にも口話の時と同じように、唇を動かします。一方、聴覚障害当事者はポイントとなるところのみ唇を動かすので、ここが大きな違いとなります。


さらに、「ろうを生きる 難聴を生きる」で日本の手話の原点を知り、次の通りブログに記載しました。


「ろうを生きる 難聴を生きる」

今回は、短縮版の再放送で、日本の障害児教育の先駆者が紹介されていました。

古河太四郎は、教師でした。

人の暮らしが少しでも楽になるようにと思い、実行の最中に、書類の不備により懲役刑を受ける事に…。

この時古河は、獄舎の窓ごしに、聞こえない子どもたちがいじめられている姿を目にします。

「教育の機会さえ与えれば、この子たちの人生は変わるはずだ」。

そう感じた古河は、明治11年に京都盲唖院(のちの 京都府立盲学校と京都府立聾学校)を設立しました。

彼はまず、五十音に合わせた指文字を考案。
さらに、手話を使った教育に加えて発音の指導もしました。
さらに、京都府立聾学校に残されている史料を読み解くと、発音の方法も絵で示すことで、聴覚障害児自身が特にどのように舌を動かせばいいのか習得できるように丁寧に解説されています。

もし、彼がここまで熱心に、障害児教育に携わっていなかったら…

障害児への指導の広がりや、障害児自身の学ぶ事の喜びを日本で味わえる日は来なかったかもしれないと思い、感謝の気持ちでいっぱいになりました((#^.^#)

さらに、世界の手話の歴史は次のようになっています。
ミシェル・ド・レペの肖像写真1760年に、フランスのミシェル・ド・レペという司祭が、フランス・パリに最初の聾学校を設立しました。そして、耳の聞こえない双子の姉妹を、手話を使って教育しました。これが世界で初の聾学校・聾教育です。

聾学校が設立される以前は、ろう者は互いに孤立していました。もちろん、家族や集落の中に複数のろう者がいたり、ろう者同士が出会ったりする機会はありました。しかし、世代を超えた伝承を可能にするようなろう者の社会は存在しませんでした。ろう者は十分な教育を受けられず、時には人として扱われることがないような状況だったのです。レペによってろう者の集団が作られ、手話はお互いの共通言語として、発達していきました。

そして、後に多くの国々が国立パリ聾学校をお手本にして聾学校を設立しました。それゆえ、教育方法や教師とともにフランス手話が各国・各地域に持ち込まれることになりました。

ギャローデットの肖像写真アメリカでは、レペの弟子から手話法を学んだギャローデットによって、手話が広められました。ギャローデットは後にギャローデット大学(米国でろう者のための唯一の総合大学)を設立しました。そのギャローデット大学の言語学者ウィリアム・ストーキーは、1960年に『手話の構造』という論文を発表しました。これは「手話は独自の文法を持つ言語である」という主旨のもので、はじめて言語学的に手話がひとつの言語だと認められたものです。

2006年には、手話は言語であると定義した国連障害者権利条約が国連総会で採択されました。これでやっと、手話は言語であることが国際的に認知されたのです。他の国々では、手話が公用語のひとつとして認められていたり、手話を使う権利を憲法で保障するなど、手話を言語として認める傾向になりつつあります。
音声言語と同じように、方言があり地域によって一部の手話単語が異なります。有名な例(手話単語の方言)では、「名前」の手話単語が東日本と西日本で異なることが挙げられる。日本手話では地域方言の他に個人方言も多く観察されれます。
国内では、筑波技術大学が聴覚障害者及び視覚障害者の特性に配慮し、学部教育全体を通じた効果的・弾力的な履修が出来るよう、次のような指導上の配慮を図ることにより、新しい高等教育を展開します。

皆さんも、慣れない土地に行ったり、遠方から来られた方に出会った時に、その地方の方言をネイティブのままで話されると、分からないという事は実感された事がありませんか?

「音のある世界」から「音のない世界」に入りたての頃や、または、どうしても読唇術が難しい口形の方に出会った時に、私が味わう感覚はこの現象と、とてもよく似ているのです。

英語と中国語は、発音に似ている部分がある言語です。ある程度、唇・舌・表情筋をしっかり動かさないと発音出来ないのです。
韓国語は、濃音と激音という固有の強い発声が不可欠な言語で、英語や中国語よりさらに、しっかり唇・舌・あごを動かすことで可能となるはずなのにと思うのですが…。感情を強く出していない限り、「いったい、どうしたらそんなに唇も動かさずに発音出来るのか」と、疑問に思う程なので、発音できる事に感心してしまいます。

このようなポイントを知っておくことによって、話す言語がほとんど日本語であっても「今、話している相手のこの話し方は何語に近い!」と大きな手がかりとしてフル活用し、よりコミュニケーションを楽しむことが出来るのです。

なかなか、実際に人とお会いする事が出来なくても、テレビで色々な方を目にすることで、楽しみながら自然と読唇術のトレーニングになると、日々実感しています。人の口形はそれぞれ異なりますが、必ず似たような形をしている方はいて、その形によって読唇術を行う時に、ポイントとなる所はそれぞれにあります。
ここから、皆様によりお伝えしやすくするために、「誰々のような口形の人は…」というスタイルで、例を挙げていきます。この中で多言語に向いている事もお話しますが、あくまでも読唇術の観点だけを対象とします。実際にその口形をした方がその言語をどの程度話せるかは、個別の話は、本作においてふれる事はありません。


SMAPの草なぎ剛さんのような口形の人は、唇の薄さと舌の使い方が韓国語を話す事に向いています。そのため日本語を話す際には、ほんの気持ち程度に意識して、口を開かないと言葉と言葉の境がわかりにくくなってしまいます。

SMAPの木村拓哉さんのような口形の人は、次の単語へのつながりが非常になめらかなので、英語を話す時に最適です。

SMAPの稲垣吾郎さんのような口形の人は、木村拓哉さんのような口形の人よりもさらに繊細な発音に適していて、イタリア語に向いています。

SMAPの中居正広さんのような口形のような人は、ほんの少し意識した状態で、日本語を話すとわかりやすくなります。

SMAPの香取慎吾さんのような口形の人は、少々の早口からゆっくり話す時も、常に日本語を話す事が最適です。それは、読唇術のテキストにぴったりなほどです。

嵐の大野智さんのような口形の人は、どのタイミングで見ても唇の開き方が小さいため、一言を読み取るのも極めて難しいです。

嵐の二宮和也さんのような口形の人は、大野智さんのような口形の人よりは、唇の開け方は大きいものの、言葉の区切りが分かりくく、結果的に話の理解にたどり着くことが困難な場合が多いです。

嵐の相葉雅紀さんのような口形の人は、少しだけ丁寧に話すという意識をしてもらえることで、わかりやすくなります。

嵐の松本潤さんのような口形の人は、日本語に最適な部分と、SMAPの木村拓哉さんのような口形の人と同じような英語に向いている部分を合わせ持っています。そのため、日本語を読み取っていることに対して意識過ぎない事が、ポイントとなります。

嵐の櫻井翔さんのような口形の人は、自然体なスピードで話してもらえれば、読心術に最適となります。

ものまね芸人のコロッケさんのような口形の人は、何も意識していない場合は、唇の中心部分の動きが際立つ傾向あります。ですので、1度気持ちよく口を開けて笑った後に口を完全に閉じないうちのやや大きめに開いているタイミングでお話してもらえると、格段にわかりやすくなります。

「日本エレキテル連合」の中野聡子さんのような口形の人は、唇がかわいらしすぎるほど小さいため、言葉を読み取るには難しすぎます。

「日本エレキテル連合」の松本小雪さんのような口形の人は、自然体な話し方であれば、日本語を読み取る時には最適となります。

落語家 桂歌丸さんのような口形のような人は、言葉の節目・つながりなどのポイントが掴めないので、ジェスチャーなどがサポートとなります。

落語家 三遊亭小遊三さんのような口形の人は、口の開け方が小さい時にはどうしても、読み取れない場合もあります。それでも、読み取れた部分によって分からなかった言葉を想像が出来て、話を理解する事が可能となります。

落語家 三遊亭好楽さんのような口形の人は、時には、早すぎたりすることにより、読み取れない言葉もありますが口の開け方も程よくわかりやすいです。

落語家 林家木久扇さんのような口形の人は、唇の開き方が大きければ、読み取りやすくなる言葉も増やさすこともできます。

落語家 春風亭昇太さんのような口形の人は、読み取りやすい部分とそうでないところを周期的に繰り返す傾向になりやすいため、慣れるには時間を要する事が多くなります。

落語家 林家たい平さんのような口形の人は、私の母と同じだけ読心術のテキストに最適です。

様々な例を挙げた中で、口の開け具合について少し意識してと、書かせていただきました。これは、先にもお話せて頂いた事の繰り返しなりますが、大げさなほど開けて欲しい訳ではありません。ベストな開け方としては、「あ」と発音する時に、親指1本が余裕で入る程度となります。また個人によって、異なる場合もありますが…大きすぎる声や、とてもゆっくりに話していただくのではなく、自然体なスピードで話していただく事を、希望しています。



また、2015年に出会った書籍「耳と脳 臨床聴覚コミュニケーション学試論 中川雅文著 -医歯薬出版株式会社-」に以下のように書かれています。

言語ごとに異なるパスバンドに対する感度の違いは、人種ごとに異なる頭部の大きさや耳の形状の違い、さらには住環境を含めての日常に溢れるノイズなど様々な要因が複雑に絡んで生じたものなのであろう。トマティス博士の唱えたパスバンド理論はアナログ解析装置時代のデータがベースとなっている。例えば2003年に新しく決まった等価レベルでは40phone時の音圧レベルが10kHzで5dB程度のエラーが確認されている。パスバンドの定義もデジタル時代にふさわしい再評価が必要な時期がきていて、これまで説明として使われていた周波数にエラーが含まれていた可能性があると筆者は考えている。しかし、トマティスのコンセプトそのものの秀逸性を損なうようなエラーではないことを付け加えておく。

本書には、トマティスのパスバンド理論で研究された日本語を含む8言語の好まれる周波数が言語ごとに棒グラフで以下のように示されています。パスバンドに関する解説と共にご覧下さい。

パスバンドとはその言語が多用する周波数帯のことである。例えば通勤電車の中での電車の引き起こすノイズは日本語に対してはマスカーとして作用するが、英語の場合には日本語に対するほどにはマスキングはしない。だから日本人同士で車両の左右で向かい合って会話するのはよほど大きな声を出さないとダメだが、英語ならそれほど大きな声でなくてもお互いが会話できたりする。それほど言語によって多用するあるいは重視す周波数は異なる。移住すればすぐにその現地のことばを身につけられる。そういう話はよく耳にするが、おそらく言語のもつ固有の周波数帯が形成される一番の要因として環境や建築やインフラといった要素が大きく関与しているのであろう。

日本語 200〜1500Hz
ロシア語 200〜8000Hz
ドイツ語 300〜6000Hz
中国語 500〜3000Hz
フランス語 1000〜2000Hz
イタリア語 2000〜4000Hz
英語(米国) 1000〜4000Hz
英語(英国) 2000〜12000Hz

ここを読んだ時に、聞こえないもしくは聞こえにくい人々にとって、日本語でコミュニケーションをとる事そのものが、難易度が高いと非常に納得しました。
自分の話している内容が、おかしくなっていないかは、相手の表情を見て確認しています。自分が発している声の音量は、喉元の振動によって判断しています。
私の場合は、「チェックウーマン」のおかげで、人から音量に関しては、ほとんど指摘される事はありません。会話をしている際に、「うるさい」と言われた時と、そうではない時の喉元の振動を多く記憶する事でスムーズとなっています。聞こえない私に「美声で!」と日々求められる事には、ある種のプレッシャーがありますが、小さな事でも認められるのは、うれしいものです。

ここまで、読唇術が可能であっても、どうしても得られない情報があります。それは、イントネーション。

皆さんは、例えば「橋・端・箸」を伝える時に、一瞬、考えてから発した経験はありませんか?

私は、数年前に母との会話の中で、以下の経験をしました。



「イカナカッタ論争」

ある日、スーパーの広告を渡されて、

「何が食べたい?」と聴かれ、

「イカがいい」と答えたら、

彼女はすぐに買い物に行ってくれまし
た。

そして、数時間後に夕食となりました。

食事を置き始める時に、

「イカナカッタ」と言われました。

私が、キョトンとして戸惑っていると再び

「イカナカッタ」と言われので、

「スーパーに行かなかったの?」と聴くと

「買い物に行ったから、魚がある」という返答がありました。

この瞬間、「はっ!」と、気づいて

「イカがなかったんだね?」と聴き直すと

「そう、聞こえないから、より聴き方が重要だね!ブログに書けば?」

と言われて、美味しく食べ終わった後で、しっかり書きました。

この話は、音のある世界にいるか否か以前に「言葉のアヤ」の要素が大きいと、母に言われました。ですが、どのように情報確認を取るかという事の方が、音のない世界にいる私としては、より重要と感じた実例であり、伝えやすい内容なので挙げさせて頂きました。


皆さんは、「聞く」と「聴く」を普段使い分けをされていますか?

私は、「耳と脳 臨床聴覚コミュニケーション学試論 中川雅文著 -医歯薬出版株式会社-」と出会うまでは使い分けをしていませんでした。

耳鼻科医に、進捗状況を確認してもらった際にも、

「一般の人は、あまり『聴く』に馴染みがないと思うから、『聞く』に統一した方がいいかも。」

と言われたのですが、次の通りに
書籍「耳と脳 臨床聴覚コミュニケーション学試論 中川雅文著 -医歯薬出版株式会社-」記述されているのを読んで、使い分けの重要性などを感じた経緯を説明したら、納得をして頂きました。

ブログに掲載したものです。


今、もっと印象的となったのは…「聞く」と「聴く」の違い。

本書には以下の通りに説明されています。


「聞」という文字は「門(もんがまえ)」と「(音が転じて耳と書くようになった)耳」の2つの文字から成り立っている。音波がゲートの中に入っていくようなイメージであろうか。一方の「聴」という文字は「耳」と「十」と「目」と「心」の4つのパーツから成っている。部首である「耳」、これはこの場合、耳そのものを表している。「十」はたくさんという意味で、たくさん「目」配りして、注意を向けよという意味を含んでいる。さらに「心=脳」で受け止めよと言う意味をも内包している。「聴く」という漢字は「聞く」にはない「心で受け止め咀嚼(そしゃく)し、理解すること」という意味が含まれているのである。



私は、「聞く」は不可能だけど「聴く」は可能。

もっと聴く事を高めなければと意識させてくれる言葉となりましたし、ずっとこの思いが深まるものである事は確実です!

ここが心に響き、納得したその日から、「聴く」事の重要性をより意識するようになっています。
聴者であれば、「聞く」事で得られる情報も、そうではない私と同じような立場である人々にとっては、いかに「聴く」事でカバーするか、対応力が不可欠です。

先ほどの「イカナカッタ論争」は小さな事であり、ゆっくり聴く事で分かるので最終的にクリアとなります。しかし、もっと複雑だったり大切な事柄については、いつ・どのように、そして誰に、どのタイミングで確認や聴いてみるか、難しいこともあります。
そして、ここまでさまざまな事を把握していて、診察時に受けた口話テストにおいても96%の確率でできると認定されています。しかし、この立場にあっても、どうしても不可能の場合があることも、これまでに経験してきています。
その時は、早く相手に読み取れない事を伝える事こそが、会話を円滑にするための近道です。

今、お読みくださっている方々の中に、聴覚障害当事者にとってサポートしてくれる情報・アイテム・福祉サービス・パートナーについて、ご認識のあるのはどれほどでしょうか?

まず、「電話お願い手帳」については、私も偶然数年前に頂くまで知りませんでした。また、報道でも取り上げられていない様子を見ていると、おそらく広域には知られていないものと想像しています。
これはその名の通り、当事者が電話をしたいけれど音声認識が不可能だったり、聞こえづらいために自身だけでは、どうすることもできない時、誰かに助けを求めるために必須な基本的なメッセージがまとめられている手のひらサイズの手帳です。電話以外では、避難所などでアナウンスされた内容を確認する際に、ポイントをつかむ事が出来るページもあります。指で指し示すだけで、最初のアクションは起こすことができ、筆談が苦手という場合にも有効なアイテムだと思います。

次に、「目で聴くテレビ」。
この番組は、聴覚に障害のある方のための放送局です。
1995年の阪神大震災の教訓をふまえ、全日本ろうあ連盟、全日本難聴者中途失聴者団体連合会などが中心となり、98年からCS放送(通信)をスタート。
聴覚障害者自身がキャスターや
カメラマンとして番組制作に参加。
ニュースや地域の話題からスポーツ、手話学習、災害時の情報まで、手話と字幕をつけてさまざまな情報を届けてくれています。
私が見た回数はわずかですが、欲しい情報が凝縮されていて、とても最適な内容となっています。


さらに、日々の生活を支えとなる物をご紹介します。

1つは、振動時計。難聴などの聴覚障害当事者にとっては、音で時刻を知らせてくれるだけの目覚まし時計は、役に立ちません。
そこで設定時刻になったら、バイブレーション(振動)で知らせてくれる振動時計をご紹介します。
振動だけでなく、光でも知らせてくれるものや、時刻だけでなく電話の着信も知らせてくれるものなども有りますので、自分の環境や使い方に合うものを選ぶことができます。

2つ目は、光で知るチャイム。
玄関チャイムやインターホンで来客を知るのは一般家庭では当たり前のことになりましたが、耳の不自由な方にとってはそれがなかなか難しいことなのです。
音量が小さかったり少し離れた場所にいたりすると、大事な来客に気づかいというような事も往々にして起こりえます。
そんな不便を軽減してくれるのが、光で来客を教えてくれるチャイム。訪問者が玄関先の押釦を押せば、室内の本体から音とともに光が点滅して来訪者のあることと知らせてくれます。

3つ目は、聴覚障害者用通信装置
(ファックス、テレビ電話など)
一般の電話に接続することが出来、音声の代わりに文字等により通信が可能な機器であり、障がい者が容易に使用し得るものを家電量販店で既製品の中から選んで、希望の機種のお見積りを作成してもらいます。認められて限度額内であれば、公費負担により支給されます。
ただし、聴覚障害を補う目的以外の複合機などの高度な機能が付いたものは認められません。また、限度額を超えた場合には、その超えた分は自己負担となります。
先にお伝えした通り、病院との連絡を取る手段として、特に自分から発信するには、運動機能的に不可能であるため、対応可能であればメールで連絡を取っています。この他の友人・知人などに対しても、メールを連絡手段としているます。
しかし、福祉サービスを受ける時などには、全くFAXがない状態では連絡に支障があります。ですので、基本的には連絡を受けるばかりです。しかし、自分では連絡完結できない場合には、音声電話を含めて母にお願いしています。

さらに、身の危険を知らせる火災報知器は、このようになっています。
聴覚当事者にとって、火災の初期段階での警報受信は次の2点が重要ポイントです。

1)警報音と同時に点滅光によって火災の発生を感知しうる事。
2)離れた部屋で発生する火災警報は聞き取りにくいため、連動タイプの報知器とする事。

現状では、上記要望を満たす上に面倒な配線工事が不要な「ホーチキの新無線連動方式」が良い選択肢であると思います。 具体的にはホーチキのWEBカタロ グをご参照下さい
このシリーズの火災警報機を消防法で定められた設置場所に取り付けて、聴覚障害のある方が日常居住する部屋と寝室に「無線LEDフラッシャ−」を取り付けておけば、いざというときに大いに役だってくれるものと思います。

他にもわさびの臭いで火災を知らせる「臭気発生装置」があります。
火災警報器の音が聞こえない!その不安、恐怖から開放されます。

わさびのにおいの発生装置の臨床検査では14人中、鼻づまりの被験者1人を除き、全員が約1〜2分で起きるという結果を得ました。
臭気発生装置開発の背景
住宅やビル火災で被災される方は、65 歳以上の高齢者が50%以上を締めております(消防白書)。

臭気発生装置(WA-1型)は、住宅用火災報知器に連動して、音の代わりに「わさび」の臭いで危険を知らせる製品です。

聴覚障害者向けとして振動、光、掲示板方式の警報器が開発されています。これらの機能をサポートしながら、避難の条件を格段に高める方式として、臭気警報方式が開発されました。

また、健常者など幅広い皆様に役立てるシステムとなっております。わさび臭は、深い眠りでも起きる可能性が高く、火災時の素早い退避行動を促進することが期待されております。

わさびの警報装置

わさび臭の覚醒(目覚め)効果を滋賀医科大学の臨床試験で立証
滋賀医科大学精神医学講座と共同で、耳の聞こえにくい方・正常聴覚者を対象に、わさび臭に覚醒効果があるか臨床試験を実施しました。

滋賀医科大学
その結果、臭気ガスを吸引することで覚醒することがわかりました。

被験者(聴覚障害者・健常者)14人のうち、鼻づまりの被験者1人をのぞく全員がわさびのにおい成分を嗅いでから約1〜2分で起きるという結果を得ました。

中でも耳の聞こえにくい方は、正常聴覚者より短時間で覚醒しました。また、医師立会いの元、臨床試験で臭気ガスが人体に対し問題ないことを確認しました。

火災警報機は通常「台所、寝室、階段ホール」と言われていますが細かくは各自治体の条例によって定められていますので日本火災報知機工業会のHPでご確認下さい。

このわさびの香りで知らせる火災報知器の開発により、「イグノーベル賞」を受賞しました。

「イグノーベル賞」とは、1991年に創設された「人々を笑わせ、そして考えさせてくれる研究」に対して与えられるノーベル賞のパロディーです。

そして、人や物以外で聴覚障害当事者のパートナーになってくれているのが、聴導犬です。
聴導犬(ちょうどうけん)とは、聴覚障害者の生活を安全で安心できるものにするために、生活で必要な音をタッチして教え、音源に導く身体障害者補助犬のことです。
2016年4月1日現在、日本国内の聴導犬の実働数は64頭。盲導犬と比べまだまだ不足している状況である(潜在する聴導犬希望者は、1万人いるという推測があります。)
また、聴導犬も、身体障害者補助犬法の適用を受けており、公共機関だけでなくてデパートやスーパー、ホテルなどでは、受け入れを拒むことは禁止されているのですが、残念ながら…盲導犬同様、受け入れを拒否する事例があります。中には、大手百貨店に入居しているテナントの飲食店において、法律に無理解な従業員が、自分の判断で入店を拒否したケースもあります。
2008年現在、指定されたリハビリテーションセンター以外で、聴導犬の認定試験ができる補助犬育成団体は、厚生労働大臣が指定する社会福祉法人日本聴導犬協会だけです。 国際的に見ても、身体障害者補助犬の訓練と認定は、ユーザーとなる障害者のニーズと犬の習性を周知している補助犬育成団体内で行われることで、補助犬ユーザーへの責任の所在が明確になるといわれています。その根拠として、日本での盲導犬認定は、盲導犬育成団体内で行われている事。さらに、聴導犬育成団体内での認定においても「身体障害者補助犬法」により、訓練士のほかに、医師(特に耳鼻科医)、言語聴覚士などの専門家の連動が義務付けられている事が要因となっています。また、障害者相談員などの「当事者」認定委員を含めることで、「当事者」のニーズを把握した上での厳密な認定試験が行われています。脳梗塞などの中途失聴による言語回復が望まれる者以外、たとえば先天性聴覚障害者とリハビリテーションセンターとの関係はもともと薄いと言われ、リハビリテーション医よりも、各地の耳鼻科医との連携が望まれています。厚生労働大臣指定法人は、わずか6箇所しかなく、4つのリハビリテーションセンター(横浜、千葉、兵庫、名古屋)と、補助犬育成団体では2団体(長野(聴導犬と介助犬の認定)、山梨(介助犬のみ))が指定されているだけで、盲導犬育成団体のように補助犬育成団体が認定団体となることを望む補助犬ユーザーの声もあります。

上記のリハビリテーションセンターでは4箇所が介助犬訓練所、3箇所が聴導犬訓練所として、厚生労働省に届出をしている。現実に施設内での合同訓練を行っているリハビリテーションセンターもあり、補助犬育成団体での認定と共に、客観的な認定を行うことが義務付けられています。
聴導犬の育成について、一例としては、聴導犬候補の子犬(主に捨てられた犬たちの適性を見て、保健所などの協力を得て選ばれる)をソーシャライザーと呼ばれる子犬育てのボランティア宅で、人間を仲間とし信頼できるように愛情をもって育て、その後の10回以上([社会福祉法人]日本聴導犬協会では)にわたる適性テストを経て、聴導犬として育てる仕組みがあります。他に、ユニークな試みとしては、特定非営利活動法人日本補助犬協会が、引きこもりの若者に子犬を育ててもらうことによって聴導犬の育成と若者の自立支援を狙った「あすなろ学校」といった例があります。
聴導犬の育成に拍車をかけるため、(福)日本聴導犬協会では、日本で最大規模の聴導犬・介助犬訓練施設(650坪)を2008年8月末に竣工。その施設を活用して、2009年2月より「日本聴導犬・介助犬訓練士学院」[学院長・信州大学元学長 森本尚武)を開校し、後進の育成にも取り組んでいます。
できるだけ早く、多くの待ち望んでいる方とパートナーとなれる聴導犬が、増える事を願っています。

このようにその都度、どうすれば話しやすくなる方法やツールなどを、探すのも一つの楽しい発見につながります。
そうは言っても…、目の前にいる方の声が、聞こえない事への寂しさがないと言えば、事実と大きく異って、ウソになります。それでも、「音のない世界」を楽しんでいる事は確かであり、「音のある世界」に戻りたい願望はありません。
ここまで色々ありすぎるほど、たくさんの事を経験しています。厄介な面も多々ありますし激痛を伴う時には、さすがにゆとりは持てるものではありせん。それでも、ここまで症状が増えるのは、「それなりに楽しむだろう」と知られている事にあると感じています。そして、「音のない世界」への移住も、「神様からのプレゼント」だと思うのです。
そして今の世界を味わいたての頃に、まず気づけたこと…
それは、「聞こえる機能がすごかったんだ!」という点でした。
人よりも、色々発見していてそれを両親や周りの人も楽しんでくれている様子を見ながら、私自身も喜びを多く感じてきて、自信のようなものもありました。
しかし、聞こえる機能に関しては私にとっても、「ごく自然なものとして、捉えていたんだ」と。
それ以来、何かしらの機能が失われていく度に感謝の気持ちが、より多くなっています。

家族以外との会話の中でも、特に印象深く残っている中で、いくつか紹介させていただきます。

高校時代に担任としてお世話になった恩師たちに、卒業後も数回再会するチャンスがあり、楽しい時間を過ごせました。
初めての再会は、2004年成人の日。
3人目の担任で2年間クラスの一員として、お世話になった間柄です。彼女とは、在学中に女性の先生の中では最も話していました。学校生活に関係する事はもちろん、プライベートな部分も相当、話続ける私にいつも合わせてくれるタイプでした。そのため、先生と生徒という関係性は確かですが、そんな堅苦しいような立場はまず考えることがほとんどありませんでした。私の様子を察しながら時に…ママ・人生の先輩・そして友人のように様々な場面で、いつも寄り添って頂きありがたかったです。
卒業してからも、たまに連絡を取り合っていたので、「今、話したらこんな感じだろうか」など想像できる状態を、自然と保つ事が出来ていました。
成人の日に彼女との再会したかった理由は、第一に私は地元の学校に在籍した事がなく、唯一のつながりが、中学時代に通った個人塾。一般の成人式に自分が出席する姿も想像できず違和感があったので、せっかくだから自分に合っていると心から思える一日にしたいという強い希望からでした。雑音が多い中、なんとか音声電話ができて快く私の思いを聞いてくれました。
そして当日、電車で当時お住まいだったお宅の最寄り駅まで一人で行き、再会。
駅前のお店でお茶をしながら、コミュニケーションもスムーズに出来ました。
その会話の中で、「残されている聴力は、保たれるのでは?」と期待の言葉をかけてもらって、笑顔で返事をしました。しかし、内心では…「聞こえる状況でお会い出来るのは、もう不可能だろうから心の準備をしておこう」と思っていました。
その後、メールを中心に連絡は取り続けていたものの、じっくり会ってお話をする機会に恵まれず、月日だけが過ぎていきました。
再会を願う気持ちが高まる中、2013年7月。ついに、叶う時がやってきました。きっかけは、同年5月に私にとっての初エッセイ「ブログを書き続けるわけ」を医学雑誌に掲載させて頂いたことをお知らせした事でした。すぐにメールを頂いて、ランチをご一緒する事になったのです。
そして、ランチの日を迎えました。
お互いの明るさは、変わりなく話は弾みました。
しかし180度、私の世界に変わった事がありました。それは、2004年からこの日までの間に彼女は私の自宅を2回訪ねてくれていたので、すでに分かっていた事ですが…

音声からは、話を理解する事が完全に不可能になったという現実でした。

この状況にあっても、それまでたくさん話した時の雰囲気をずっと覚え続けていたこと、読唇術を身につけていた事でゆとりを持てたのです。
このヒトトキに自信を持つことできたので、他にもお礼を伝えたい先生方がいるし、エッセイの事を伝えて欲しいと伝えたら、またも喜んで引き受けてくれました。

先生達へ送って頂いたことで、手紙やメールで連絡が数人と取ることができるようになりました。まず、在学中に大変お世話になった事と、突然のエッセイを御一読頂いたことへのお礼を伝えました。

この事がきっかけとなり、10月に2番目の担任として、お世話になった恩師との再会が実現しました。
先に再会していた先生以外は、高校時代に寄り添ってくれた先生には卒業後、1人もお会いすることがなく…

10年7ヵ月という年月が経っていました。
この恩師は、先に再会した方と同様に私の様子を察して、その時々によって対応の仕方をバラエティーに富んだものにして頂き、大きなハートで支え続けてもらいました。ただ、なかなかしっかり話せないまま留年した1年間を見届けて頂き、進級決定を共に喜んでくれたところで異動された事もあり、ずっと心残りでした。ですから、やっとこの日を迎えられたことに、嬉しさと安堵感が湧いてきたことを今も忘れられません。
そして、本当に久しぶりなのにも関わらず、楽しく話せて嬉しかったです。

しかし、ひとつの問題がありました。
それは、記憶していた先生の口形や話すテンポは合っていたのですが、読唇術をするには難しかったのです。このため、ほとんど私から話し続けて…この時は終わりました。この現実は、想定を大幅に超える出来事で、マシンガントークのようになってしまったことに対して、申し訳なさを感じたことは未だに色濃く、脳に刻まれています。
そのような感じだったのにもかかわらず、お礼メールを送ったところ、「また会って、今度は一杯やりましょう!」という内容の返信を頂けて、在学中と同じように助けられて嬉しかったです。そして、今度はもっと言葉のキャッチボールを楽しみたい!!
このものすごく強い思いから、彼女と似たような話し方・口形の女性をテレビなどで見つけると、食い入るように見つめながら、2人で話す時のシーンを思い浮かべていました。でも、なかなかコツを掴む事に辿り着けず、メールのやりとりを続けながらも、時ばかりが過ぎていきました。
そして、ようやく大丈夫と思えるようになった2015年8月。
「デートの先行予約ってアリですか?」と、メールで聴いたら、快い返信を頂く事が出来ました。

そして同年10月、2年ぶりの再会ができて、学校でお世話になった先生とは、初めての女子会が実現しました。
この日も、最初からワクワクしていました。そして、注目していた読唇術もスムーズとなり、ほぼ一方的に話し続けた前回とは大きく違い、聴きたい内容も伝えられて、またひとつ小さな自信がつきました。さらに、またお会いしたい気持ちも、ためらう事なく全面に出て来ました。
これからも、形を少しずつ変える事はあるとは思いますが、お2人とのつながりを大切に、そして楽しみ続けたいです。

また、時を遡ると…まだ大幅な運動機能低下をする前に、こんな事もありました。

整形外科の病院で、順番待ちをしている時の事でした。
同じドクターに診てもらうために、待合室のベンチに座っていた初対面の男性が突然話しかけてきて…

「一人で来たの?」

「ちゃんと話せているけど、本当に聞こえないの?」

「唇の動き読み取っているの?すごいね!!」

英語も好きだと話したら…

「英語も勉強するなんて偉いね!!」

周囲の人にも広めていました(笑)

「電動車椅子のバッテリーは1回の充電で、どれくらい使えるの?」

「電動車椅子の費用はどれくらいかかるの?」


と、ほぼ質問攻めで終了しました。


そして、いざ診察へ。

そうしたらドクターからさっそく…

「さっきまで、何を話していたの? おじさんの声ばかり聞こえていたけど。」

と、聴かれて

「ほとんど、質問攻めだったよ。 私は聞こえないけど、体でおじさんの声の振動をたくさん感じて、どっちが聴覚障害者かわからなかった。」

と、答えたら

「本当に分からないね!!」

と、側にいたスタッフさんたちと大爆笑して、診察終了となりました!!





他にも、様々な事を楽しむスタイルも大きく変わったり、新たに好きになったり、じっくり味わうようになった事が増えました。

楽しみ方が変わったものの中で代表とも言いたいのが、音楽です。
聞こえていた時も、多少は歌詞を楽しむ事はしていましたが、どうしてもノリの良さなどの方が、勝っている状態だったと思います。
今は一言ずつ味わうように、じっくり読んでいます。
さらに、新たな楽しみ方が増えました。
リズムは振動によって楽しめます。さらに、キレのいいダンスを見られると、歌詞を覚えているものであれば、歌詞が出ていなかったり、歌手の口元が見えない状況でも、かなりノルことができます。

さらに、ダンスの振り付けの中に手話またはそれに近い表現が入っている曲も多くなり、より楽しみやすくなっています。

初めて、一部の振り付けが手話に近いと思ったのが、SMAP「世界に一つだけの花」です。
最初の頃は、メッセージ性の強さから純粋に、この曲そのものが大好きになりました。高校の卒業式の際に、使われていた場面を、今も頭の中で楽しく回想しています。この曲のCDが発売されたのが2003年3月。この年の8月に、聴覚異常を感じ始めた私にとっては、健聴の耳で聞くことができて、自信をもって歌えるラストソングとなりました。こんなに大好きになれる歌が、最後となったことに幸せを感じています。この曲は、今も自信もって歌い続けられているうちの1つで、心のパワーとなっています。また歌い続けられている限り、運動機能などに更なる障害が増えたとしても、明るく過ごせると思っています。
この他には記憶の範囲内では、「Not alone〜幸せになろう〜」と「Yes we are」の一部に手話または手話のような表現が入った振り付けとともに歌っていて、どちらも好きになりました。そして、これから他の歌手も含めて、どんな曲と出逢えるのだろうかと、待ち遠しい思いで胸が高鳴りました。
最近の曲の中で、他の歌手グループで印象深く残っているのは乃木坂46とAKB48です。
乃木坂46は、2015年10月にリリースされた「今、話したい誰かがいる」のミュージックビデオの中で、聴覚障害と健常者が、手話と筆談によって、少しずつコミュニケーションをとるうちに、お互いの心の壁がなくなるというストーリーを、メンバー達が演じています。この映像を見た時に、たとえたった一言だとしても、伝えられる事、それ自体が大きな喜びや次への架け橋になると思い、なんだか心がホッコリしました。
AKB48は、朝ドラの主題歌にもなった「365日の紙飛行機」で、曲の中で最もメッセージとして発信したいと思って書かれたであろう…

「人生は紙飛行機
願い乗せて飛んで行くよ
風の力の限り
ただ進むだけ
その距離を競うより
どう飛んだか どこを飛んだか
それが一番 大切なんだ
さぁ 心のままに
365日」
の部分のほぼ全体にわたって、手話を使いながら歌っているので、私も手話で一緒に歌っていてます!

歌番組以外にも、テレビで音楽を楽しめる機会がありました。見られたことがとても嬉しくて、2015年8月と2016年1月にそれぞれ、見てすぐにブログに以下の通り掲載しました。

今、タイミング良く見たら手書きで楽譜を書いたり、絵の具の色によって「目で楽しめる音楽」をベストなスタイルで届けてくれて、嬉し過ぎます!(2015年8月)

今回は、ベートーベンの「運命」。

CG画像を駆使し、音の長短・楽器の増減をグラフのような図形などを組み合わせ、「見える音楽」を楽しめました(⌒‐⌒)

昨年この番組を初めて見て、また楽しめる事を期待していたので、嬉しいです(^-^)

次は、どの曲を何を使って表現してくれるかなぁ?(2016年1月)

次に、音そのものを音として認識は不可能ですが、高低差は体の振動となって感じることができます。高いほど頭の近くで、低いほど腹部に近くなります。
この高低差を感じる方法は、人の声のポイントをつかむ時にも、活用できます。

スポーツを見ることも大好きで、よくテレビ観戦しています。
いろいろな競技を楽しんでいる中で、「聴くこと」にポイントをおくと、フィギュアスケートと大相撲が大好きです。

フィギュアスケートは、記憶にある曲を使用していれば、頭の中で演奏を思い浮かべながら、選手の演技全体を楽しみます。知らない曲での演技の場合は、流れている曲から感じる振動と演技を、組合わながら世界観に浸ります。高校生ぐらいから少しずつ関心はありましたが、最初は、なんとなく見ていました。それが今では、シーズン中はテレビ放送をワクワクしながら見るぐらいまでに、夢中にさせてくれるものへと、大きく変わっています。
大相撲は、子供の頃からテレビを見ていたので、自然なものとして受け止めていましたが、それほど好きではありませんでした。ところが、数年前から自分でも驚くほど好きになり、今では本場所中に、ブログとLINEで何かを伝えられずにはいられないほどになりました。
中でも、イチオシ力士は臥牙丸 関。
彼は、なかなか決め切れない取り組みが多くてハラハラの連続のため、正直15日間は落ち着けないのが本音です。
でも、感情を豊かに表すキャラクターが体の大きさからは、とても反比例していて、たまらなくなるのです。
負けた時は、今にも泣き崩れそうなくらいの状況で、花道を引き上げていきます。
勝った時には、満面の笑みで土俵から下がり、奥にあるモニターで自分の取り組みを確認する際も、周りの人に見て欲しくてたまらないお茶目な一面も。さらにインタビューがあると、インタビュアーから「もう、時間がありません。」と言われるまで、話が止まらず物足りない表情を浮かべることもありました。
彼の話は、口形がわかりくくて読唇術には向いていません。そのため、字幕放送のおかげで楽しむ事が出来ています。
このように音楽や声の振動によって楽しめることは多くあります。今後も、どのように更なる深掘りができるのか、想像するだけでも笑顔がこぼれそうです。

次に、トーク番組や落語も楽しみ方が、奥深いものとなっています。
この2つも、子どもの頃から好きでよく見ていました。まずトーク番組に関しては、健聴時には分かりやすいところだけを切り取って、そのポイントとなるものがいくつか集まると、自分なりにまるでジグソーパズルを組み立てるかの要領で、ストーリーを自己完結させて満足でした。このため、うまくタイミングが合えば集中して見られていました。一方で、一旦迷路に入り込んでしまうと…脳内で空中分解を引き起こし、そこでその内容に関する思考は完全に停止していました。なので、この事態が発生中に不意に感想などを求められたら、表現をする事が出来るまでに時間がかかり過ぎて、貝になる事が多すぎていました。結果として、よく母に「それで終わり?」と、よくガッカリされたものです。今となっては、そのような反応されてしまう事が、手に取るように理解できます。しかしその時には、「なぜ、この状況が伝わらないのだろうか。これは私だけの感覚なのだろうか」という疑問とともに、もどかしい思いが増幅していくばかりで、悔しさが際立っていた事が思い出されます。
ところが、このような混乱が「音のない」状況で見るようになったら、信じられないほどのスピードで頭の中が、まるで霧が晴れるかのように吸収できるようなった情報量が、大幅にアップしました。その方の声が聞こえないことに関して残念な思いは間違いなく、私の心の中にあります。一方で、ここを字幕放送やテロップから分かる言葉たちを一点に見つめられるようになったり、その会場を訪れているかのような臨場感を味わえる最大のチャンスだと、自然と気づくことができるようになったのです。
この変化を得られたことで、かつての断片的程度にしか吸収出来なくて見たらそこで終わりの基本から、抜け出せる事が格段に増えたのです。こうなると、誰かに見た内容と合わせて感想を伝えたくて、そこに寄せる思いは高鳴り続けます。さらに、ブロクにも発信したいとより素直に思えるようになり、自分が書いた記事に反応が寄せられる事も、徐々にではあるものの増えて様々な角度から同時に楽しむ事が出来ています。伝える力・書く事のスキルには、まだまだ課題山積ですが…、番組そのものを楽しむ・その内容と感想を誰かに伝え、さらにブログ記事として書き続ける事の連続こそが、今の私にとってのサイクルであり、とにかく回数を経験する事が重要と考えながら、コツコツと実行中です。

そして、落語も幼い頃からよく見ているもので、成長などにより楽しみ方が変化し続けているものの1つです。
ただ、トーク番組と同様に健聴時には、まず、話のテンポにいかについていくかに始まり…自分が理解できる範囲内の特徴的なツボがないと、ただ、キョトンとしながらテレビ画面を見つめているだけでした。その結果、面白いと思えるところを見つける主導的な部分は大きく欠如。ただ、ひたすらなまでに、そのツボとなるものが、やってくる事を待ち続けるという完全受動的な見方をしていました。これは、特に落語という全体の情報そのものから、ほんの少しだけ切り取り、音声から理解できるところ限定して見ていたために、このような状態が発生したと考えられます。
ところが、これまた音声情報を失った事で、まるで高級昆布を噛み締めて、じっくりとその味を噛み締めるかのように、深掘りできるようになったのです。
落語に関して触れるに際して、改めて落語とは一体どういうものなのかなど、情報となるページを検索したところ…
「あー!こういう事を伝えるポイントといしている日本固有の伝統なんだ!」という事が明確になりました。
さらに、基本表現は「仕草」・「表情」・「書く」・「服装・効果音」などに至るまで、豊富である事に気づくことができました。この事によって、手話によるコミュニケーションをする時と同じように、読み取りやすいポイントが凝縮された話術芸能であるという点に結びついたのです。
もちろん、字幕放送があればストーリーがより明確になりますが、仮になくても、落語家の方の姿がはっきり見える状況であれば、聴者とともにその世界を共有できるものであり、その旨みのようなものをたとえ少しずつであっても、味わえる状況にいられている事に、改めて小さな幸せを感じています。
落語に比べると、まだまだ歴史が浅く知名度も乏しく、番組でお目にかかる事にも恵まれていないですが、手話落語もあります。
特徴としては、主な対象は聴覚障害者ですが、健常者も一緒に楽しめるようになっています。演者は手話を用い、基本的に自分では口を使いません。
目に見える形で認知度が上がらないのには、以下のような難題などがある事が、理由として思い浮かびます。
まず、手話のわからない健聴者向けに通訳が入る場合が多いことにあります。通常の落語でよく用いる語呂合わせなどの手法は取り入れるのが難しいため、もっぱら小噺をメインに据えた高座になることが多いのです。また、落語には手話にない単語が登場することも多く、その分工夫が求められる現状に加えて、取り組んでいる演者が少ない事も大きな要因となっていると想像しています。
クリアーすべき点は、山積しています。地道な作業などの繰り返しとなるとは思いますが…

「静けさの中に隠れている多くの面白さ」

を共有しやすくなる事を、願わずにはいられません。

さらに、私が生まれた頃からの歴史がある英語落語。その醍醐味は、落語を単純に訳して一つの噺とするのではなくて、どう英語で表現すれば文化も宗教も習慣も異なる人々に理解してもらえるか?、にあると思います。ですが、国は違っても、ユーモア、人の情け、失敗を笑い飛ばしてまた「顔晴ろう」(がんばろう)と思う心は共通で、それが英語落語が共感を呼ぶ理由ではないかと思います。さらに、私にとっては日本語では意味が捉えきれなかったりする部分も、納得できるきっかけとなっています。
そして、先ほどの「顔晴ろう」(がんばろう)には、顔・表情を晴れやかにできるようできる瞬間を大切にしようという、思いが込められています。
一般に使われる事が非常に多い「頑張ろう」という言葉には、抵抗感がある私も「顔晴ろう」には心が和みます。

これからも、江戸時代から伝わる落語・発展途上中の手話落語、そして海の向こう側まで渡った「RAKUGO」までそれぞれに発見などができる事を、まず、私自身に対して期待して更なる発信になればと思います。



ですが、振動も様々なものが存在します。楽しめる場合ばかりではありません。「音のない世界」にいるからこそ、聴者より感じる事が多すぎて、聞こえていれば、わずかな差とだと思える事も、過剰反応をしてしまう事もあります。

例えば、レストランで注文したものがテ
ーブルに置かれる時。これは、電動車椅子に乗っている事によって、膝とテーブルの近いことも事実ではありますが、この他にも理由があります。少しでも勢いがついている状態で置かれると、振動が大きくなるため、びっくりしてしまうのです。これは、動作を見る事で心の準備をしていても追いつかず困ってしまいます。どうにかして、軽減できる方法があればと、ずっと願い続けています。
他には、外出時に母の運転で乗車している福祉車両のタイヤの空気圧変化を、感じることです。私は、幼い頃からずっと乗用車に乗って、数え切れないほどの通院・通学・外出を経験させてもらっていますが、2006年に「TOYOTA Noah」にして、中列の位置に電動車椅子のまま乗るようになるまでには、経験する事はありませんでした。
これは、一般の方にとっては気づかない程度のわずかな空気の減少であっても、まるでディズニー映画「アラジン」に出てくる魔法のじゅうたんに乗って、どこかに行くかのように、「フワッ」と浮き上がるような感覚があるのです。
さらに、自然現象では地震や雷に対しても、察知が早くなったり、感じ方が変わりました。地震は、震度1でもかなり正確に感じてしまうため、まず、テレビのテロップ表示をじっと見つめて、自分の居住区または隣接区で観測された事が、確認できれば納得します。でも、表示が出ないと…納得するまでスマホで確認します。
雷は稲光を見た後、お腹を中心に下から振動を感じます。さらに、近年のは激しく数多くの和太鼓みたいな響きを一斉に感じますので、驚き方も半端なものではありません。
気象変動には、元々振り回されやすく頻繁に「不連続線」から引き起こされる症状を、経験し続けています。
「不連続線」とは、気圧変動によって様々な症状が表れる病気の一つで、症状は人それぞれ全く異なり、頭痛・めまい・関節痛など、その人によって様々です。
そして私の場合は、低気圧に左右されて、検査で確認した事はありませんが、脳圧が上がる感覚があり、頭痛・頭重感・平地から標高が高い所などに移動した時などに経験する耳づまりが、同じ場所でおとなしくいる状態であっても、症状は出てしまいます。さらに最もひどい時には、生きているのか心配されるほど眠り続ける事もありました。
長く付き合っていても、成人してから数年が過ぎるまでは、その都度ひたすら…その症状が通り過ぎるのを、待つばかりでした。
母は、私が幼い頃に小児科医から「障害当事者は、低気圧に弱い」と聞いていたそうです。しかし、病名はずっと知らずにいました。
そしてある時、「天気に体調が左右される事はありますか?」と耳鼻科医に質問されて、先ほどお話した内容と同様に、諸症状を説明したところ、この診断に至ったのです。
そして、徐々にポイントが分かるようになり、現在では、以前ほどは振り回されやすい状況には、なりにくくなっています。
ちなみに台風が発生したら、まだフィリピンに停滞している状況でも、影響は受け始めてしまうのです…正直、この過敏反応はいりません(笑)
近年では、天気予報の中でも「気象病」として、従来からの情報と共に、関節痛・喘息などの症状が、予想されている天気から、どの程度現れそうかをマークなどで表示している番組も、まだ一部だと思われますが…あります。
また、何気なくスマホでチェックしていたら、「頭痛ーる」というアプリを発見しました。
このアプリは、気象予報士が開発した頭痛・気象病対策No.1だそうです。
そして、頭痛や気象病の起こりそうな時間帯の確認や、痛み・服薬記録として体調管理の1つになりそうだと思い、さっそくダウンロードしました。
予想される天気は、マークで表示されていてます。そして、この気象条件から体調の変動をグラフ化し、ポイントとなりそうなところには、「注意」など一言添えられていて、すごくわかりやすいです。
  • 2016.06.04 Saturday
  • 23:45

Deaf Report

「聴くこと と 聞くこと」(加筆中)

私は、水頭症を合併した二分脊椎症者として、生まれました。
移動手段は、外出時は就学直前ぐらいから手動車椅子を利用。高校在学中からは、元々、手動車椅子の操作が下手だった事や、行動範囲を拡げる事を考えて、電動車椅子に切り替えています。自宅では、ぎこちないハイハイを長い間していましたが、2009年に急激な運動機能の低下をして以降は、ずり這いをしています。

学習面では、通園施設と幼稚園・保育園を経て、義務教育は身体面を重視して特別支援学校に、高校は社会生活への準備期間として一般校に在籍しました。
様々な症状を経験する事が、年齢を重ねるにつれて増加していっても、自分なりに、楽しむ日々を送っていました。予期せぬ体調不良や症状増加は、それまでも、周りの症者の方々と比較しても幼い頃から早かったので、この先もその点においては、変わりないだろうと思っていました。

ただ、聴覚を除いては…。

2003年のお盆に3ヶ月ぶりの外出で、父と暑い中、汐留に行きました。
張り切りすぎた結果、熱中症により1歳の時から通院している小児科の病院へ救急搬送。熱中症の症状が落ち着いた夕方に、聴覚異常を感じたため、すぐに症状をドクターに伝えるも…

熱中症に伴う一過性症状程度に診られて…相手にされぬまま診察終了。

19歳のこの日が訪れるまでは、健聴だったので、この先もその状況が続くものと思っていました。しかし、自覚症状が現れた数日後に聞こえた救急車のサイレンの音に同じ乗り物とは思えないほどで、左耳からはJ-POP、右耳からパンクロックを聞くぐらいの差があり、J-POPのような感覚が押し流されるほどでした。そして、このサイレンの音を聞いたその次の瞬間には…

「もう、回復どころか悪化するのは、間違いないだろう」と確信へと変わりました。
その後もまるで、その予測は「正解だよ」と言われているかのように、毎日低音から順に一つずつ消え去っていくことの連続…だんだんと左耳から入ってくる音も、右耳と変わらなくなっていったのです。
今まで、聞こえていたことに感謝した上で、別れを告げていました。

症状への理解を得る事は、困難だと判断。脳外科医に、小児科で伝えた経緯と共に説明をした結果、早期の耳鼻科受診を勧められました。
この病院では、小児科でオーダーを出してもらう事が必須なので、再度受診しました。難色を示して、相手にされなかったあの日とはまるで違い、ものすごくスムーズな対応でした。

そして2004年2月、念願だった耳鼻科の初診。この日にドクターからかけて頂いた言葉に、感動した事を今でも、鮮明に覚えています。

「私は、二分脊椎症について研究をしているけど、研究が足りなかったらゴメンね。」

それまで、多くのドクターに出会って来ましたが、このような強いメッセージを届けてくれた事はありませんでした。
聴覚症状としては、「音のある世界」にいられたものの、雑音が多すぎて「音のない世界」への移住が相当進んでいました。そのため、病院の予約・キャンセルも、元々FAXも機能的に難しいという事を伝えた上で、メール対応可能と言っていただいた場合には、ありがたくお願いするようになりました。
私は利用した事がありませんが、数年前から少しずつ聴覚障害者が利用しやすい通話環境がアプリなども含めて拡がりを見せています。その一つに、「電話リレーサービス」があります。このサービスは、聴覚障害者が電話を一人でかけられるように、聴覚障害者と電話のかけ先(聞こえる人)を電話リレーサービスセンターにいるオペレーターが、テレビ電話を活用して、文字や手話と音声の通訳をすることにより、電話で即時双方向につなぐサービスです。
しかし、私が利用するには向いていないと思っています。理由としては、私は家では寝たままの姿勢で過ごしています。外出時は、電動車椅子に乗っている分、手の動きにもゆとりはできます。ですが仮に、スマホを固定した状態にできたしても、体勢が不安定なので、コミュニケーションをする以前に、相手に自分の姿を見せる状態を持続する事が困難だからです。
他に調べた範囲内では、チャットを活用しているサービス団体もあるようです。
いずれにしても、いきなり本番は無理なのは想像できます。まず、体験を重ねていくことが必須です。
そのため現段階では、メールが視覚から情報が得られて、確実に連絡が取れる手段となります。そして、自分で連絡できる事に対する喜びも大きいのです。
今後、多様な連絡ツールが利用可能となる事に希望を持ちながら、技術進歩の情報にも、接し続けたいです。そして、出来ることなら、まず、当事者の1人として体験できる機会を増やして頂く事から、裾のが拡がればいいなぁと強く思っています。

2006年10月 病名「 巨大水頭症の悪化による聴覚失認 または 皮質聾」という診断に至りました。ABR検査では、脳と耳から指令が出ていて正常。まだ、診断の可能性を諦めきれずにいたので、自ら希望して撮影したMRIの結果を診て、

「聴覚神経が圧迫されているため、音声認識ができない状態である」事の説明を受けました。
診断前の一時期、耳かけ型補聴器を病院からの貸し出しという形で、使用していました。しかし、振動から得られる感覚を求めすぎるあまりに音量を、常に、最大にして使用していましたが…

「これは、聴覚本来の機能も失う事になり、耳にとって負担が大きい」
というドクターからの話を聴いて、利用を中止しました。それ以降は、全く使ったことがありません。さらに、この日を迎えられるまでの間には、感音性難聴の可能性に触れられた事もあり、人工内耳の手術の話も出たことがありました。
ですが、MRI画像を見てドクターが、安堵の表情を浮かべながら…

「あの時、急いでオペをしなくて良かった。」

と話してくれた事が、今でも鮮明に脳裏に焼き付いています。
この診断を受けて、聴覚障害者としての証明と利用可能な福祉サービスをスムーズに受けるために、身体障害者手帳を更新しました。それまでの障害に加えて、「聴覚障害2級」が記載されています(手帳上では、聴力障害とされている)。私自身も手帳更新時に知りましたが、聴覚障害としては2級が最も重度となります。一般に、聴覚障害をほとんど有していると思われている「言語不明瞭」の部分がありません。むしろ、聴覚障害になってからの方が、相手に伝えたいと思う意思を強く持つことで、はっきりした発音となり、健聴の頃から知っている方にも、「今の方が聞きやすい」と言われるほどです。世間一般の考え方で見ると、障害が増える事はマイナスと捉えられる事が多くあります。確かに、障害が増えれば不自由さは多くなり、必要となる説明は長くなる一方です。
また、同じ二分脊椎症を有する方であっても、水頭症の有無によって、子どもの頃から目には見えない心の壁も感じてきたのも事実です。
具体的には、特に運動機能や学習面において、「お宅は大変そうだけど、うちはその点に問題ないから」と、はっきりと言われる事も幼い頃から良くあって、つらくなることもありました。症状が増えるにつれて、その溝は深まる一方で…同じ病名と診断された症者の中であっても、1つは、自分の身の周りの事が一通りできる運動機能的に私よりは軽度の当事者、もう1つは、自分と同程度の介助を必要とする症者といった感じに大きく2つに分かれている事を、受け止めるしかありませんでした。しかし、後に私より軽度な方々に様々な症状が発生し、慌てている姿を目にすると、先にいろいろと経験出来ていて良かったと思います。
さらに、聴覚障害診断までの数年間、他のあらゆる症状をベテランに訴えても、診断が不可能な事の連続でした。
そのため、心因性と判断される事がとても多かったのです。その事が要因となり、心に大きな雪だるまが出来るほど、積もり積もったものとなっていくばかりでした。頭では、解らない事もあると理解しつつも、どうしても納得のいかない時をずっと過ごしていました。
そのような日々が長く続いていても、症状そのものとの付き合いは、尋常でない激しいものに襲われていない限り、楽しむ事は変わっていませんでした。
しかし、さすがに診断には絶望的な気持ちが膨れ上がって、次第に…


「もう、私が生きているうちに納得のいく診断は、されないのではないか」

と、心は諦めの境地に向いてしまっていました。

そして、「ここまで、調べ尽くしてくれた上での結果だから、受け入れよう」

とMRI診断の直前は、一つの覚悟をするかのような勢いで、自分に言い聞かせるようにしていました。

ところが、聴覚障害の診断を受けられたことで、他の症状についても諦めきれずに伝えながら待つ事ができれば、心因性診断が減少して…
いつか、解明へとつなげる事ができるかもしれないと、「希望の光」を見ることが出来ました。
ドクターによれば、このケースの聴覚障害を正確に理解している耳鼻科医は、当時の時点で…世界で10人程度だと聴いて、良い出会いに恵まれた事に感謝しました。その一方で、たくさんの誤診が続いているであろう現実を想像したら、ゾッとせずには、いられませんでした。

幼い頃に、中耳炎や外耳道炎を繰り返していた影響からなのか、自然とある程度の読唇術が身についていた事がどこに行ってもほとんど困る事はなく、楽しく過ごしていました。実は、聴覚異常を本格的に感じるまで、何か問題が発生すれば、開業医の耳鼻科をその都度、受診する程度で、ずっと聴覚症状には注目することが、そもそもありませんでした。そして、脳外科医が耳鼻科受診を勧めてくれたのは、1人の二分脊椎症者の方が聴覚障害を発症した事を知っていたからでした。しかし脳外科としては、問題にならない程度の小さなシャントトラブルの積み重ねが引き金となって、聴覚障害につながる症例については、ご存知ではなかったようです。
2006年4月にシャントトラブルがCTで確認されて、脳外科診の翌日に入院して、その2日後に手術しました。
退院後の初めて耳鼻科診で、シャントの再建術によって聴力の回復の可能性があった事を聴きました。しかし、オペ以前の3年間CTを撮り損ねているうちにシャントトラブルを起こして、聴覚神経を圧迫しすぎている事が要因となり、回復はしませんでした。
この経験から、私と母はシャントのチェックを目的としたCTの撮影が、耳鼻科の観点からも重要である事を、水頭症を有している方とそのご家族に伝え続けています。ですが依然として、水頭症と聴覚障害との関連性への関心や認知度などは、広められていない状況でなかなか変化を感じられないままです。

就学前から英語が好きで、ひらがなより先にアルファベットを遊び感覚であっという間に覚えてしまうほどでした。
母の主導の下、色々と学習機関に連れて行ってもらっていました。私には、元々の障害の一つとして四肢機能麻痺があります。これにより、書字速度も一般に比べ遅いため、たくさん書いて覚える事は現実的ではありません。この点を、考慮しながらどこに行けばいいかを良く選んでくれて、行く先々、全部大好きになりました。

その中で今、振り返ると中学時代に1年半通った地元の個人塾が唇の動きを読み取るための基礎づくりとなりました。ここでは、外国人に通じる英語を目指して、発音の徹底を求められる厳しい授業の連続でした。
先生の唇の動きと発音を吸収して自分も発音練習したり、発音された単語を書いたりするトレーニングを徹底されて、正解した時の喜びは絶大でした。
この頃はまだまだ、読唇術という言葉すら知らない時でしたが、音声以外からも情報を得る方法を知る大きな機会となり、原点です。
更なる精度向上を求めて、2007年6月から3ヶ月間(週1回)、東京都主催の読話講習会に参加しました。

この講習で学んだことをきっかけに、それまで感覚で身につけていたもの加えて、知識を増やすことができました。そして読唇術というものは、そもそもどういうものであるのかから始まり、相手にどのような対応をしてもらう事が、読み取りやすくする事に、つながるのかなど全体が網羅されていました。さらに、コミュニケーションをする時には、もちろん、読み取る側になるばかりではありません。読み取ってもらう側になる事も、必ず想定する必要があります。その点への意識を高めるために、当事者同士がペアを組み、相手の話を読み取る事も実践しました。読唇術は、もちろん唇の動きを読み取る事によって、コミュニケーションが成立します。さらに、唇だけを見ているのではなく、舌・表情筋そして、相手の反応を見てスムーズになります。

さらに理想としては、口の動きを親指1本が入る程度にして、スペースに余裕があり可能ならば、前方斜め45度から話して頂けると格段に読みとりが行いやすくなります。そして、ここで学んだポイントが大きなヒントとなり、あくまでも内容の理解は別として、日本語・英語・中国語・韓国語の違いは、読み取れるようになりました。

この他のポイントとしては、テレビ・本・雑誌などで、様々な情報にふれて知っている言葉を増やしておくことが重要です。それから、これは私がここまで運動機能的に1人で動けない事が関係しているために、より感じやすいと認めた上で…、メールでのコミュニケーションも、語彙を増やす手段としてとても有効だと思っていて、フル活用してスマホにしてから、LINEをなくして過ごすことは、完全に不可能と感じるほどです。残念ながら、ニュースではメールの悪用事例・事件を目の当たりにする事が、ほとんどです。そのリスクについては、決して軽視できるものではないのも心得ています。その点に注意しながらも、会話をしていない場合、どのような事態に陥いる要因の一つとなる危険性も考えられないでしょうか。それは、聴覚障害自体から発生するコミュニケーション障害に加えて、さらにバリアとなる引き金となりかねないと、一種の危機感があるのです。
本レポートは、聴覚障害当事者の1人として書かせていただいておりますが、音声言語でのコミュニケーションが困難・もしくは不可能な方々は、多くいらっしゃいます。言語障害を有する場合や、気管切開またはガンなどによって声帯摘出をされた方たちです。
その中で最近、より関心を寄せられた著名人が歌手 つんくさんです。

2016年3月の報道を見て、以下の通りブログに書かせていただきました。

「被災地の子供たちとコンサート」

これは、NHK「おはよう日本」で放送された歌手 つんく♂さんが中心となって、取り組まれている活動です。

一昨年、ガンのため声帯摘出。
歌を歌うことで、パワーやハートを伝える事は出来なくなりました。

しかしこの経験が、「まだまだ音楽を関わる方法はたくさんある」と新たな発見につながったのです。

コンサートで合唱する歌の作詞。

そして、指揮者と参加して、歌詞に込めた「生きる喜び」を全身で伝えていました(o^^o)♪

コンサート後、関係者の前で話す姿もありました。

現在のコミュニケーション手段は、筆談やパソコンに書いたものを代読してもらう他、LINEも活用されています。

この姿を見て、多くの聴覚障害当事者・聞こえにくい人々・声が出しにくい人・失語症の方など…
多くの人たちに、コミュニケーションの取り方は多様であることを、伝えてくれたので嬉しく、心が温まりました☆彡

さらに、聴覚障害者には、話をする事が難しい「コミュニケーション障害」と、災害発生時には、給水や食事などの提供に関する内容をうまく知る事ができない「情報障害」があると、「音のない世界と音のある世界をつなぐ 〜ユニバーサルデザインで世界をかえたい!〜 松森果林著 -岩波ジュニア新書- 」にも、明記されていて、コミュニケーションツールは、日常的に複数を使いこなせる事が大切となります。そうすれば、突然の事に遭遇してしまった時としても、最初こそ少しずつかもしれませんが、自分らしく居られるポイントを増やすことが出来て、小さな安心を積み重ねられる、きっかけになるだろうと思います。そして、その言葉を発する時に自分だったら、どのように唇・舌・表情筋を動かしているか、知っておく事で言葉数が格段に増えて、相手との会話のキャッチボールがより長く続けられるコツになると思います。

ここまでは、読唇術をするための準備段階です。

そして、この先が本番となります。

普段、ほとんど日本語を話していますが、人の口形や話し方、そして方言などによって少しずつそれぞれ違うものです。
そのため、単に日本語である事にこだわり過ぎると、意味を理解する事ができなかったり、たまには1単語も読み取れなくなるのです。

結果として話がつながらず、頭の中で混乱し、楽しめなくなるのです。
そこを少しでも、クリアにしていくために大事なのが、多言語に触れることなのです。
私は、幼い頃から英語が好きでずっと発音重視の教育を受けさせてもらいました。中国語は、高校の選択科目としてかじっただけです。韓国語は、テレビドラマなどを眺めるだけです。
それでも、言葉にこんなにも違いがあるのかと、たくさん気づかせれてくれるほど、感じるものが多いです。
日本語は、はっきりした発音で静かに話す標準語がベースとなっています。

それでも、口形やその人が慣れ親しみ使ってきた方言によって、全く違う言語に見える事が多々あります。

それは、同居する家族であっても例外ではないと日々、感じています。

私の両親は、母は京都出身、父は埼玉出身です。

母は、口形もテキストにしたいほど読唇術に最適で、生活に困らない程度の手話も知ってくれているので、コミュニケーションはスムーズです。
手話を知ったのは、小1の時でした。きっかけは、身近に1人の聴覚障害当事者の方がいて、少しでもコミュニケーションを楽しみたくて、少しずつ覚えていきました。
成長するにつれて、声も出すのも不可能な症状を襲われる事も多くなり、自分の意思を伝達するためのツールとして、活用し始めました。指文字を母から教えてもらって以降、使う事が増えました。聴覚異常を感じた際にも、小児科医に、手話を使いながら症状を伝えようとしました。
しかし、「話せないなら手話を使うことを理解するけど、話せる状況で使うのは、話す事から逃げている。」と言われて、一瞬戸惑いました。
そこで、すかさず対応してくれたのが母でした。
手話を使いながら「私に症状を伝えなさい」と言ってくれた事に、救われました。今振り返ってみても、母に感謝する気持ちに変わりはありません。そして、症状そのものを体験する事にも、場合によって怖さを感じることも多いです。そして、症状を伝えられない事はそれ以上に不安や恐怖をよびかねないと思った事が、未だに頭から離れることはありません。
一方で父は、口形から言葉を読み取るのは難しい上に、一つも手話を知らないので、とにかく読唇術を行う以外の手段がない現状が変わる事なく、今に至っています。そのため、彼と話す時は、いかに少しでも聴き直さない事を意識した上で、話し方は、どの言語に近くて、多く話す言葉をとにかくインプットし続けているので、ある種の緊張状態の中にずっといるのです。

ここで、母とのコミュニケーション手段の一つとしてふれた手話について、さらにお話させていただきます。

手話は、世界共通と思われがちですが、その国によって、それぞれにあります。
ですが、単語は共通しているものは多くある事から、通じやすいようです。

以下は、「耳と脳」を読了した時にブログに掲載したものです。「日本手話と日本語対応手話」についての解説を、原文のまま紹介させていただきます。さらに、私にとって、読みやすいものがどれかについても明記しています。


ろう者による自然生成言語としての日本手話と、聴者が日本語に対応させてつくった日本語対応手話は言語的には全く別物である。
韓国手話、台湾手話、日本手話は単語において60%(諸説あり)ほど共通しており、日本手話の話者は韓国人や台湾人との手話コミュニケーションが聴者のそれに比べると難しくない。

また、日本語対応手話が日本語の文法に合わせた手や指、腕を使う手指動作だけで単語を表現するのに対して、日本手話は、視線・眉・頬・口・舌・首の傾きや振り・あごを引いたり出したりなど非手指動作も用いている。SVO型の語順の文法も用いられている。日本手話はその意味で、日本語あるいは日本語対応手話とは全く異なる体系をもつ言語である。日本手話では聴覚言語に固有といわれるプロソディ変化の表現も可能である。プロソディとは、発話において現れる音声学的性質で、その言語の一般的な書記記録からは予測されないものすべてをいいます。具体的には抑揚あるいは音調、強勢、音長、リズムなどを含むが、これらのうちで文脈によって異なりうるものを指すのであって、その言語で決まっているアクセント(高低アクセントあるいは強勢アクセント)、声調言語の声調、音長を弁別する言語における長母音・短母音の区別といった性質は含まない。
韓国手話、台湾手話、日本手話の共通性は、日本統治の影響と考える説や日本手話がろう者による自然生成言語であるために、文化的背景が同じ地域の民族で共通項があるのだとする見解など諸説がある。
人工内耳装用しても、健聴者と同等の聴力を得るわけではない(重度難聴から軽度難聴あるいは中等度難聴の状態になるだけ)。また、装用してから初めて文法体系を学習させるのは非常に不利である。聴覚口話法やキュードスピーチなどと併用して行うだけでなく、日本語対応手話の学習も併せて決して否定されるものではない。例えば、健聴の両親のもとに生まれたろう児に対して人工内耳装用までの期間、日本語対応手話を用いたコミュニケーションを積極的に行えば、あらかじめ語順(文法)を学習することができる。生活のなかでの所作・作法といったしつけ教育は作業記憶として後々に抽象的な言語(「しゃきっとする」など)を獲得していく際の手助けになるであろう。日本語対応手話の語順を学ぶことは、書記言語の学習効果もあがることが期待できる。

先ほどのキュードスピーチとは、読話の補助をするために,手指による手掛かり(キュー・サイン)を用いてコミュニケーションをする方法のこと言い、この中にもあるように、主に言語確立がまだ出来ていない方々が活用されています。
このような解説をしていただけると、当事者としてありがたいですし、自分も誰かに説明するときのテキストにしたいです(^-^)ろう者が国際交流を行う際に公式に用いるために作られた手話、「国際手話」もあります。各国の手話を元にした一種のピジン言語です。世界ろう連盟やデフリンピックをはじめとするろう者の公的な国際交流の場や、他国への旅行・交流などのより私的な場でも意思疎通を図るために用いられています。しかし、各国の手話の方がそれぞれに浸透しており、広まっていないのが現状です。

私は、日本語対応手話の方が読み取り慣れています。
読話講習会を受講していた時に、ろう者による日本手話のDVDを見たことがありますが…。
それは、手話で話されている当事者の方の話す事への集中力がずば抜けていて、早すぎて一語も読み取れなかった経験があります。
今は、手話があるニュースを見ていると話しているのが、聴者か聴覚障害当事者のかはすぐに判断できるようになっています。
聴者は、手話で話す時にも口話の時と同じように、唇を動かします。一方、聴覚障害当事者はポイントとなるところのみ唇を動かすので、ここが大きな違いとなります。


さらに、「ろうを生きる 難聴を生きる」で日本の手話の原点を知り、次の通りブログに記載しました。


「ろうを生きる 難聴を生きる」

今回は、短縮版の再放送で、日本の障害児教育の先駆者が紹介されていました。

古河太四郎は、教師でした。

人の暮らしが少しでも楽になるようにと思い、実行の最中に、書類の不備により懲役刑を受ける事に…。

この時古河は、獄舎の窓ごしに、聞こえない子どもたちがいじめられている姿を目にします。

「教育の機会さえ与えれば、この子たちの人生は変わるはずだ」。

そう感じた古河は、明治11年に京都盲唖院(のちの 京都府立盲学校と京都府立聾学校)を設立するしました。

彼はまず、五十音に合わせた指文字を考案。
さらに、手話を使った教育に加えて発音の指導もしました。
さらに、京都府立聾学校に残されている史料を読み解くと、発音の方法も絵で示すことで、聴覚障害児自身が特にどのように舌を動かせばいいのか習得できるように丁寧に解説されています。

もし、彼がここまで熱心に、障害児教育に携わっていなかったら…

障害児への指導の広がりや、障害児自身の学ぶ事の喜びを日本で味わえる日は来なかったかもしれないと思い、感謝の気持ちでいっぱいになりました((#^.^#)

さらに、世界の手話の歴史は次のようになっています。
ミシェル・ド・レペの肖像写真1760年に、フランスのミシェル・ド・レペという司祭が、フランス・パリに最初の聾学校を設立しました。そして、耳の聞こえない双子の姉妹を、手話を使って教育しました。これが世界で初の聾学校・聾教育です。

聾学校が設立される以前は、ろう者は互いに孤立していました。もちろん、家族や集落の中に複数のろう者がいたり、ろう者同士が出会ったりする機会はありました。しかし、世代を超えた伝承を可能にするようなろう者の社会は存在しませんでした。ろう者は十分な教育を受けられず、時には人として扱われることがないような状況だったのです。レペによってろう者の集団が作られ、手話はお互いの共通言語として、発達していきました。

そして、後に多くの国々が国立パリ聾学校をお手本にして聾学校を設立しました。それゆえ、教育方法や教師とともにフランス手話が各国・各地域に持ち込まれることになりました。

ギャローデットの肖像写真アメリカでは、レペの弟子から手話法を学んだギャローデットによって、手話が広められました。ギャローデットは後にギャローデット大学(米国でろう者のための唯一の総合大学)を設立しました。そのギャローデット大学の言語学者ウィリアム・ストーキーは、1960年に『手話の構造』という論文を発表しました。これは「手話は独自の文法を持つ言語である」という主旨のもので、はじめて言語学的に手話がひとつの言語だと認められたものです。

2006年には、手話は言語であると定義した国連障害者権利条約が国連総会で採択されました。これでやっと、手話は言語であることが国際的に認知されたのです。他の国々では、手話が公用語のひとつとして認められていたり、手話を使う権利を憲法で保障するなど、手話を言語として認める傾向になりつつあります。
音声言語と同じように、方言があり地域によって一部の手話単語が異なります。有名な例(手話単語の方言)では、「名前」の手話単語が東日本と西日本で異なることが挙げられる。日本手話では地域方言の他に個人方言も多く観察されれます。
国内では、筑波技術大学が聴覚障害者及び視覚障害者の特性に配慮し、学部教育全体を通じた効果的・弾力的な履修が出来るよう、次のような指導上の配慮を図ることにより、新しい高等教育を展開します。

皆さんも、慣れない土地に行ったり、遠方から来られた方に出会った時に、その地方の方言をネイティブのままで話されると、分からないという事は実感された事がありませんか?

「音のある世界」から「音のない世界」に入りたての頃や、または、どうしても読唇術が難しい口形の方に出会った時に、私が味わう感覚はこの現象と、とてもよく似ているのです。

英語と中国語は、発音に似ている部分がある言語です。ある程度、唇・舌・表情筋をしっかり動かさないと発音出来ないのです。
韓国語は、濃音と激音という固有の強い発声が不可欠な言語で、英語や中国語よりさらに、しっかり唇・舌・あごを動かすことで可能となるはずなのにと思うのですが…。感情を強く出していない限り、「いったい、どうしたらそんなに唇も動かさずに発音出来るのか」と、疑問に思う程なので、発音できる事に感心してしまいます。

このようなポイントを知っておくことによって、話す言語がほとんど日本語であっても「今、話している相手のこの話し方は何語に近い!」と大きな手がかりとしてフル活用し、よりコミュニケーションを楽しむことが出来るのです。

なかなか、実際に人とのお会いする事が出来なくても、テレビで色々な方を目にすることで、楽しみながら自然と読唇術のトレーニングになると、日々実感しています。人の口形はそれぞれ異なりますが、必ず似たような形をしている方はいて、その形によって読唇術を行う時に、ポイントとなる所はそれぞれにあります。
ここから、皆様によりお伝えしやすくするために、「誰々のような口形の人は…」というスタイルで、例を挙げていきます。この中で多言語に向いている事もお話しますが、あくまでも読唇術の観点だけを対象とします。実際にその口形をした方がその言語をどの程度話せるかは、個別の話は、本作においてふれる事はありません。


SMAPの草なぎ剛さんのような口形の人は、唇の薄さと舌の使い方が韓国語を話す事に向いています。そのため日本を話す際には、ほんの気持ち程度に意識して、口を開かないと言葉と言葉の境がわかりにくくなってしまいます。

SMAPの木村拓哉さんのような口形の人は、次の単語へのつながりが非常になめらかなので、英語を話す時に最適です。

SMAPの稲垣吾郎さんのような口形の人は、木村拓哉さんのような口形の人よりもさらに繊細な発音に適していて、イタリア語に向いています。

SMAPの中居正広さんのような口形のような人は、ほんの少し意識した状態で、日本語を話すとわかりやすくなります。

SMAPの香取慎吾さんのような口形の人は、少々の早口からゆっくり話す時も、常に日本語を話す事が最適です。それは、読唇術のテキストにぴったりなほどです。

嵐の大野智さんのような口形の人は、どのタイミングで見ても唇の開き方が小さいため、一言を読み取るのも極めて難しいです。

嵐の二宮和也さんのような口形の人は、大野智さんのような口形の人よりは、唇の開け方は大きいものの、言葉の区切りが分かりくく、結果的に話の理解にたどり着くことが困難な場合が多いです。

嵐の相葉雅紀さんのような口形の人は、少しだけ丁寧に話すという意識をしてもらえることで、わかりやすくなります。

嵐の松本潤さんのような口形の人は、日本語に最適な部分と、SMAPの木村拓哉さんのような口形の人と同じような英語に向いている部分を合わせ持っています。そのため、日本語を読み取っていることに対して意識過ぎない事が、ポイントとなります。

嵐の櫻井翔さんのような口形の人は、自然体なスピードで話してもらえれば、読心術に最適となります。

ものまね芸人のコロッケさんのような口形の人は、何も意識していない場合は、唇の中心部分の動きが際立つ傾向あります。ですので、1度気持ちよく口を開けて笑った後に口を完全に閉じないうちのやや大きめに開いているタイミングでお話してもらえると、格段にわかりやすくなります。

「日本エレキテル連合」の中野聡子さんのような口形の人は、唇がかわいらしすぎるほど小さいため、言葉を読み取るには難しすぎます。

「日本エレキテル連合」の松本小雪さんのような口形の人は、自然体な話し方であれば、日本語を読み取る時には最適となります。

落語家 桂歌丸さんのような口形のような人は、言葉の節目・つながりなどのポイントが掴めないので、ジャスチャーなどがサポートとなります。

落語家 三遊亭小遊三さんのような口形の人は、口の開け方が小さい時にはどうしても、読み取れない場合もあります。それでも、読み取れた部分によって分からなかった言葉を想像が出来て、話を理解する事が可能となります。

落語家 三遊亭好楽さんのような口形の人は、時には、早すぎたりすることにより、読み取れない言葉もありますが口の開け方も程よくわかりやすいです。

落語家 林家木久扇さんのような口形の人は、唇の開き方が大きければ、読み取りやすくなる言葉も増やさすこともできます。

落語家 春風亭昇太さんのような口形の人は、読み取りやすい部分とそうでないところを周期的に繰り返す傾向になりやすいため、慣れるには時間を要する事が多くなります。

落語家 林家たい平さんのような口形の人は、私の母と同じだけ読心術のテキストに最適です。

様々な例を挙げた中で、口の開け具合について少し意識してと、書かせていただきました。これは、先にもお話せて頂いた事の繰り返しなりますが、大げさなほど開けて欲しい訳ではありません。ベストな開け方としては、「あ」と発音する時に、親指1本が余裕で入る程度となります。また個人によって、異なる場合もありますが…大きすぎる声や、とてもゆっくりに話していただくのではなく、自然体なスピードで話していただく事を、希望しています。



また、2015年に出会った書籍「耳と脳 臨床聴覚コミュニケーション学試論 中川雅文著 -医歯薬出版株式会社-」に以下のように書かれています。

言語ごとに異なるパスバンドに対する感度の違いは、人種ごとに異なる頭部の大きさや耳の形状の違い、さらには住環境を含めての日常に溢れるノイズなど様々な要因が複雑に絡んで生じたものなのであろう。トマティス博士の唱えたパスバンド理論はアナログ解析装置時代のデータがベースとなっている。例えば2003年に新しく決まった等価レベルでは40phone時の音圧レベルが10kHzで5dB程度のエラーが確認されている。パスバンドの定義もデジタル時代にふさわしい再評価が必要な時期がきていて、これまで説明として使われていた周波数にエラーが含まれていた可能性があると筆者は考えている。しかし、トマティスのコンセプトそのものの秀逸性を損なうようなエラーではないことを付け加えておく。

本書には、トマティスのパスバンド理論で研究された日本語を含む8言語の好まれる周波数が言語ごとに棒グラフで以下のように示されています。パスバンドに関する解説と共にご覧下さい。

パスバンドとはその言語が多用する周波数帯のことである。例えば通勤電車の中での電車の引き起こすノイズは日本語に対してはマスカーとして作用するが、英語の場合には日本語に対するほどにはマスキングはしない。だから日本人同士で車両の左右の向かい合って会話するのはよほど大きな声を出さないとダメだが、英語ならそれほど大きな声でなくてもお互いが会話できたりする。それほど言語によって多用するあるいは重視す周波数は異なる。移住すればすぐにその現地のことばを身につけられる。そういう話はよく耳にするが、おそらく言語のもつ固有の周波数帯が形成される一番の要因として環境や建築やインフラといった要素が大きく関与しているのであろう。

日本語 200〜1500Hz
ロシア語 200〜8000Hz
ドイツ語 300〜6000Hz
中国語 500〜3000Hz
フランス語 1000〜2000Hz
イタリア語 2000〜4000Hz
英語(米国) 1000〜4000Hz
英語(英国) 2000〜12000Hz

ここを読んだ時に、聞こえないもしくは聞こえにくい人々にとって、日本語でコミュニケーションをとる事そのものが、難易度が高いと非常に納得しました。
自分の話している内容が、おかしくなっていないかは、相手の表情を見て確認しています。自分が発している声の音量は、喉元の振動によって判断しています。
私の場合は、「チェックウーマン」のおかげで、人から音量に関しては、ほとんど指摘される事はありません。会話をしている際に、「うるさい」と言われた時と、そうではない時の喉元の振動を多く記憶する事でスムーズとなっています。聞こえない私に「美声で!」と日々求められる事には、ある種のプレッシャーがありますが、小さな事でも認められるのは、うれしいものです。

ここまで、読唇術が可能であっても、どうしても得られない情報があります。それは、イントネーション。

皆さんは、例えば「橋・端・箸」を伝える時に、一瞬、考えてから発した経験はありませんか?

私は、数年前に母との会話の中で、以下の経験をしました。



「イカナカッタ論争」

ある日、スーパーの広告を渡されて、

「何が食べたい?」と聴かれ、

「イカがいい」と答えたら、

彼女はすぐに買い物に行ってくれまし
た。

そして、数時間後に夕食となりました。

食事を置き始める時に、

「イカナカッタ」と言われました。

私が、キョトンとして戸惑っていると再び

「イカナカッタ」と言われので、

「スーパーに行かなかったの?」と聴くと

「買い物に行ったから、魚がある」という返答がありました。

この瞬間、「はっ!」と、気づいて

「イカがなかったんだね?」と聴き直すと

「そう、聞こえないから、より聴き方が重要だね!ブログに書けば?」

と言われて、美味しく食べ終わった後で、しっかり書きました。

この話は、音のある世界にいるか否か以前に「言葉のアヤ」の要素が大きいと、母に言われました。ですが、どのように情報確認を取るかという事の方が、音のない世界にいる私としては、より重要と感じた実例であり、伝えやすい内容なので挙げさせて頂きました。


皆さんは、「聞く」と「聴く」を普段使い分けをされていますか?

私は、「耳と脳 臨床聴覚コミュニケーション学試論 中川雅文著 -医歯薬出版株式会社-」と出会うまでは使い分けをしていませんでした。

耳鼻科医に、進捗状況を確認してもらった際にも、

「一般の人は、あまり『聴く』に馴染みがないと思うから、『聞く』に統一した方がいいかも。」

と言われたのですが、次の通りに
書籍「耳と脳 臨床聴覚コミュニケーション学試論 中川雅文著 -医歯薬出版株式会社-」記述されているのを読んで、使い分けの重要性などを感じた経緯を説明したら、納得をして頂きました。

ブログに掲載したものです。


今、もっと印象的となったのは…「聞く」と「聴く」の違い。

本書には以下の通りに説明されています。


「聞」という文字は「門(もんがまえ)」と「(音が転じて耳と書くようになった)耳」の2つの文字から成り立っている。音波がゲートの中に入っていくようなイメージであろうか。一方の「聴」という文字は「耳」と「十」と「目」と「心」の4つのパーツから成っている。部首である「耳」、これはこの場合、耳そのものを表している。「十」はたくさんという意味で、たくさん「目」配りして、注意を向けよという意味を含んでいる。さらに「心=脳」で受け止めよと言う意味をも内包している。「聴く」という漢字は「聞く」にはない「心で受け止め咀嚼(そしゃく)し、理解すること」という意味が含まれているのである。



私は、「聞く」は不可能だけど「聴く」は可能。

もっと聴く事を高めなければと意識させてくれる言葉となりましたし、ずっとこの思いが深まるものである事は確実です!

ここが心に響き、納得したその日から、「聴く」事の重要性をより意識するようになっています。
聴者であれば、「聞く」事で得られる情報も、そうではない私と同じような立場である人々にとっては、いかに「聴く」事でカバーするか、対応力が不可欠です。

先ほどの「イカナカッタ論争」は小さな事であり、ゆっくり聴く事で分かるので最終的にクリアとなります。しかし、もっと複雑だったり大切な事柄については、いつ・どのように、そして誰に、どのタイミングで確認や聴いてみるか、難しいこともあります。
そして、ここまでさまざまな事を把握していて、診察時に受けた口話テストにおいても96%の確率でできると認定されています。しかし、この立場にあっても、どうしても不可能の場合があることも、これまでに経験してきています。
その時は、早く相手に読み取れない事を伝える事こそが、会話を円滑にするための近道です。

今、お読みくださっている方々の中に、聴覚障害当事者にとってサポートしてくれる情報・アイテム・福祉サービス・パートナーについて、ご認識のあるのはどれほどでしょうか?

まず、「電話お願い手帳」については、私も偶然数年前に頂くまで知りませんでした。また、報道でも取り上げられていない様子を見ていると、おそらく広域には知られていないものと想像しています。
これはその名の通り、当事者が電話をしたいけれど音声認識が不可能だったり、聞こえづらいために自身だけでは、どうすることもできない時、誰かに助けを求めるために必須な基本的なメッセージがまとめられている手のひらサイズの手帳です。電話以外では、避難所などでアナウンスされた内容を確認する際に、ポイントをつかむ事が出来るページもあります。指で指し示すだけで、最初のアクションは起こすことができ、筆談が苦手という場合にも有効なアイテムだと思います。

次に、「目で聴くテレビ」。
この番組は、聴覚に障害のある方のための放送局です。
1995年の阪神大震災の教訓をふまえ、全日本ろうあ連盟、全日本難聴者中途失聴者団体連合会などが中心となり、98年からCS放送(通信)をスタート。
聴覚障害者自身がキャスターや
カメラマンとして番組制作に参加。
ニュースや地域の話題からスポーツ、手話学習、災害時の情報まで、手話と字幕をつけてさまざまな情報を届けてくれています。
私が見た回数はわずかですが、欲しい情報が凝縮されていて、とても最適な内容となっています。


さらに、日々の生活を支えとなる物をご紹介します。

1つは、振動時計。難聴などの聴覚障害当事者ととっては、音で時刻を知らせてくれるだけの目覚まし時計は役に立ちません。
そこで設定時刻になったら、バイブレーション(振動)で知らせてくれる振動時計をご紹介します。
振動だけでなく、光でも知らせてくれるものや、時刻だけでなく電話の着信も知らせてくれるものなども有りますので、自分の環境や使い方に合うものを選ぶことができます。

2つ目は、光で知るチャイム。
玄関チャイムやインターホンで来客を知るのは一般家庭では当たり前のことになりましたが、耳の不自由な方にとってはそれがなかなか難しいことなのです。
音量が小さかったり少し離れた場所にいたりすると、大事な来客に気づかいというような事も往々にして起こりえます。
そんな不便を軽減してくれるのが、光で来客を教えてくれるチャイム。訪問者が玄関先の押釦を押せば、室内の本体から音とともに光が点滅して来訪者のあることと知らせてくれます。

3つ目は、聴覚障害者用通信装置
(ファックス、テレビ電話など)
一般の電話に接続することが出来、音声の代わりに文字等により通信が可能な機器であり、障がい者が容易に使用し得るものを家電量販店で既製品の中から選んで、希望の機種のお見積りを作成してもらいます。認められて限度額内であれば、公費負担により支給されます。
ただし、聴覚障害を補う目的以外の複合機などの高度な機能が付いたものは認められません。また、限度額を超えた場合には、その超えた分は自己負担となります。
先にお伝えした通り、病院との連絡を取る手段として、特に自分から発信するには、運動機能的に不可能であるため、対応可能であればメールで連絡を取っています。この他の友人・知人などに対しても、メールを連絡手段としているます。
しかし、福祉サービスを受ける時などには、全くFAXがない状態では連絡に支障があります。ですので、基本的には連絡を受けるばかりです。しかし、自分では連絡完結できない場合には、音声電話を含めて母にお願いしています。

さらに、身の危険を知らせる火災報知器は、このようになっています。
聴覚当事者にとって、火災の初期段階での警報受信は次の2点が重要ポイントです。

1)警報音と同時に点滅光によって火災の発生を感知しうる事。
2)離れた部屋で発生する火災警報は聞き取りにくいため、連動タイプの報知器とする事。

現状では、上記要望を満たす上に面倒な配線工事が不要な「ホーチキの新無線連動方式」が良い選択肢であると思います。 具体的にはホーチキのWEBカタロ グをご参照下さい
このシリーズの火災警報機を消防法で定められた設置場所に取り付けて、聴覚障害のある方が日常居住する部屋と寝室に「無線LEDフラッシャ−」を取り付けておけば、いざというときに大いに役だってくれるものと思います。

他にもわさびの臭いで火災を知らせる「臭気発生装置」があります。
火災警報器の音が聞こえない!その不安、恐怖から開放されます。

ワサビのにおいの発生装置の臨床検査では14人中、鼻づまりの被験者1人を除き、全員が約1〜2分で起きるという結果を得ました。
臭気発生装置開発の背景
住宅やビル火災で被災される方は、65 歳以上の高齢者が50%以上を締めております(消防白書)。

臭気発生装置(WA-1型)は、住宅用火災報知器に連動して、音の代わりに「わさび」の臭いで危険を知らせる製品です。

聴覚障害者向けとして振動、光、掲示板方式の警報器が開発されています。これらの機能をサポートしながら、避難の条件を格段に高める方式として、臭気警報方式が開発されました。

また、健常者など幅広い皆様に役立てるシステムとなっております。わさび臭は、深い眠りでも起きる可能性が高く、火災時の素早い退避行動を促進することが期待されております。

わさびの警報装置

わさび臭の覚醒(目覚め)効果を滋賀医科大学の臨床試験で立証
滋賀医科大学精神医学講座と共同で、耳の聞こえにくい方・正常聴覚者を対象に、わさび臭に覚醒効果があるか臨床試験を実施しました。

滋賀医科大学
その結果、臭気ガスを吸引することで覚醒することがわかりました。

被験者(聴覚障害者・健常者)14人のうち、鼻づまりの被験者1人をのぞく全員がワサビのにおい成分を嗅いでから約1〜2分で起きるという結果を得ました。

中でも耳の聞こえにくい方は、正常聴覚者より短時間で覚醒しました。また、医師立会いの元、臨床試験で臭気ガスが人体に対し問題ないことを確認しました。

火災警報機は通常「台所、寝室、階段ホール」と言われていますが細かくは各自治体の条例によって定められていますので日本火災報知機工業会のHPでご確認下さい。

このわさびの香りで知らせる火災報知器の開発により、「イグノーベル賞」を受賞しました。

「イグノーベル賞」とは、1991年に創設された「人々を笑わせ、そして考えさせてくれる研究」に対して与えられるノーベル賞のパロディーです。

そして、人や物以外で聴覚障害当事者のパートナーになってくれているのが、聴導犬です。
聴導犬(ちょうどうけん)とは、聴覚障害者の生活を安全で安心できるものにするために、生活で必要な音をタッチして教え、音源に導く身体障害者補助犬のことです。
2016年4月1日現在、日本国内の聴導犬の実働数は64頭。盲導犬と比べまだまだ不足している状況である(潜在する聴導犬希望者は、1万人いるという推測があります。
また、聴導犬も、身体障害者補助犬法の適用を受けており、公共機関だけでなくてデパートやスーパー、ホテルなどでは、受け入れを拒むことは禁止されているのですが、残念ながら…盲導犬同様、受け入れを拒否する事例があります。中には、大手百貨店に入居しているテナントの飲食店において、法律に無理解な従業員が、自分の判断で入店を拒否したケースもあります。
2008年現在、指定されたリハビリテーションセンター以外で、聴導犬の認定試験ができる補助犬育成団体は、厚生労働大臣が指定する社会福祉法人日本聴導犬協会だけです。 国際的に見ても、身体障害者補助犬の訓練と認定は、ユーザーとなる障害者のニーズと犬の習性を周知している補助犬育成団体内で行われることで、補助犬ユーザーへの責任の所在が明確になると言われています。その根拠として、日本での盲導犬認定は、盲導犬育成団体内で行われている事。さらに、聴導犬育成団体内での認定においても「身体障害者補助犬法」により、訓練士のほかに、医師(特に耳鼻科医)、言語聴覚士などの専門家の連動が義務付けられている事が要因となっています。また、障害者相談員などの「当事者」認定委員を含めることで、「当事者」のニーズを把握した上での厳密な認定試験が行われています。脳梗塞などの中途失聴による言語回復が望まれる者以外、たとえば先天性聴覚障がい者とリハビリテーションセンターとの関係はもともと薄いと言われ、リハビリテーション医よりも、各地の耳鼻科医との連携が望まれています。厚生労働大臣指定法人は、わずか6箇所しかなく、4つのリハビリテーションセンター(横浜、千葉、兵庫、名古屋)と、補助犬育成団体では2団体(長野(聴導犬と介助犬の認定)、山梨(介助犬のみ))が指定されているだけで、盲導犬育成団体のように補助犬育成団体が認定団体となることを望む補助犬ユーザーの声もあります。

上記のリハビリテーションセンターでは4箇所が介助犬訓練所、3箇所が聴導犬訓練所として、厚生労働省に届出をしている。現実に施設内での合同訓練を行っているリハビリテーションセンターもあり、補助犬育成団体での認定と共に、客観的な認定を行うことが義務付けられています。
聴導犬の育成について、一例としては、聴導犬候補の子犬(主に捨てられた犬たちの適性を見て、保健所などの協力を得て選ばれる)をソーシャライザーと呼ばれる子犬育てのボランティア宅で、人間を仲間とし信頼できるように愛情をもって育て、その後の10回以上([社会福祉法人]日本聴導犬協会では)にわたる適性テストを経て、聴導犬として育てる仕組みがあります。他に、ユニークな試みとしては、特定非営利活動法人日本補助犬協会が、引きこもりの若者に子犬を育ててもらうことによって聴導犬の育成と若者の自立支援を狙った「あすなろ学校」といった例があります。
聴導犬の育成に拍車をかけるため、(福)日本聴導犬協会では、日本で最大規模の聴導犬・介助犬訓練施設(650坪)を2008年8月末に竣工。その施設を活用して、2009年2月より「日本聴導犬・介助犬訓練士学院」[学院長・信州大学元学長 森本尚武)を開校し、後進の育成にも取り組んでいます。
できるだけ早く、多くの待ち望んでいる方とパートナーとなれる聴導犬が、増える事を願っています。

このようにその都度、どうすれば話しやすくなる方法やツールなどを、探すのも一つの楽しい発見につながります。
そうは言っても…、目の前にいる方の声が、聞こえない事への寂しさがないと言えば、事実と大きく異って、ウソになります。それでも、「音のない世界」を楽しんでいる事は確かであり、「音のある世界」に戻りたい願望はありません。
ここまで色々ありすぎるほど、たくさんの事を経験しています。厄介な面も多々ありますし激痛を伴う時には、さすがにゆとりは持てるものではありせん。それでも、ここまで症状が増えるのは、「それなりに楽しむだろう」と知られている事にあると感じています。そして、「音のない世界」への移住も、「神様からのプレゼント」だと思うのです。
そして今の世界を味わいたての頃に、まず気づけたこと…
それは、「聞こえる機能がすごかったんだ!」という点でした。
人よりも、色々発見していてそれを両親や周りの人も楽しんでくれている様子を見ながら、私自身も喜びを多く感じてきて、自信のようなものもありました。
しかし、聞こえる機能に関しては私にとっても、「ごく自然なものとして、捉えていたんだ」と。
それ以来、何かしらの機能が失われていく度に感謝の気持ちが、より多くなっています。

家族以外との会話の中でも、特に印象深く残っている中で、いくつか紹介させていただきます。

高校時代に担任としてお世話になった恩師たちに、卒業後も数回再会するチャンスがあり、楽しい時間を過ごせました。
初めての再会は、2004年成人の日。
3人目の担任で2年間クラスの一員として、お世話になった間柄です。彼女とは、在学中に女性の先生の中では最も話していました。学校生活に関係する事はもちろん、プライベートな部分も相当、話続ける私にいつも合わせてくれるタイプでした。そのため、先生と生徒という関係性は確かですが、そんな堅苦しいような立場はまず考えることがほとんどありませんでした。私の様子を察しながら時に…ママ・人生の先輩・そして友人のように様々な場面で、いつも寄り添って頂きありがたかったです。
卒業してからも、たまに連絡を取り合っていたので、「今、話したらこんな感じだろうか」など想像できる状態を、自然と保つ事が出来ていました。
成人の日に彼女との再会したかった理由は、第一に私は地元の学校に在籍した事がなく、唯一のつながりが、中学時代に通った個人塾。一般の成人式に自分が出席する姿も想像できず違和感があったので、せっかくだから自分に合っていると心から思える一日にしたいという強い希望からでした。雑音が多い中、なんとか音声電話ができて快く私の思いを聞いてくれました。
そして当日、電車で当時お住まいだったお宅の最寄り駅まで一人で行き、再会。
駅前のお店でお茶をしながら、コミュニケーションもスムーズに出来ました。
その会話の中で、「残されている聴力は、保たれるのでは?」と期待の言葉をかけてもらって、笑顔で返事をしました。しかし、内心では…「聞こえる状況でお会い出来るのは、もう不可能だろうから心の準備をしておこう」と思っていました。
その後、メールを中心に連絡は取り続けていたものの、じっくり会ってお話をする機会に恵まれず、月日だけが過ぎていきました。
再会を願う気持ちが高まる中、2013年7月。ついに、叶う時がやってきました。きっかけは、同年5月に私にとっての初エッセイ「ブログを書き続けるわけ」を医学雑誌に掲載させて頂いたことをお知らせした事でした。すぐにメールを頂いて、ランチをご一緒する事になったのです。
そして、ランチの日を迎えました。
お互いの明るさは、変わりなく話は弾みました。
しかし180度、私の世界に変わった事がありました。それは、2004年からこの日までの間に彼女は私の自宅を2回訪ねてくれていたので、すでに分かっていた事ですが…

音声からは、話を理解する事が完全に不可能になったという現実でした。

この状況にあっても、それまでたくさん話した時の雰囲気をずっと覚え続けていたことや、読唇術を身につけていた事でゆとりを持てたのです。
このヒトトキに自信を持つことできたので、他にもお礼を伝えたい先生方がいるし、エッセイの事を伝えて欲しいと伝えたら、またも喜んで引き受けてくれました。

先生達へ送って頂いたことで、手紙やメールで連絡が数人と取ることができるようになりました。まず、在学中に大変お世話になった事と、突然のエッセイを御一読頂いたことへのお礼を伝えました。

この事がきっかけとなり、10月に2番目の担任として、お世話になった恩師との再会が実現しました。
先に再会していた先生以外は、高校時代に寄り添ってくれた先生には卒業後、1人もお会いすることがなく…

10年7ヵ月という年月が経っていました。
この恩師は、先に再会した方と同様に私の様子を察して、その時々によって対応の仕方をバラエティーに富んだものにして頂き、大きなハートで支え続けてもらいました。ただ、なかなかしっかり話せないまま留年した1年間を見届けて頂き、進級決定を共に喜んでくれたところで異動された事もあり、ずっと心残りでした。ですから、やっとこの日を迎えられたことに、嬉しさと安堵感が湧いてきたことを今も忘れられません。
そして、本当に久しぶりなのにも関わらず、楽しく話せて嬉しかったです。

しかし、ひとつの問題がありました。
それは、記憶していた先生の口形や話すテンポは合っていたのですが、読唇術をするには難しかったのです。このため、ほとんど私から話し続けて、この時は終わりました。この現実は、想定より大幅に超える出来事で、マシンガントークのようになってしまったことに対して、申し訳なさを感じたことは未だに色濃く、脳に刻まれています。
そのような感じだったのに、お礼メールを送ったところ、「また会って、今度は一杯やりましょう」という内容の返信を頂けて、在学中と同じように助けられて嬉しかったです。そして、今度はもっと言葉のキャッチボールを楽しみたい!!
このものすごく強い思いから、彼女と似たような話し方・口形の女性をテレビなどで見つけると、食い入るように見つめながら、2人で話す時のシーンを思い浮かべていました。でも、なかなかコツを掴む事に辿り着けず、メールのやりとりを続けながらも、時ばかりが過ぎていきました。
そして、ようやく大丈夫と思えるようになった2015年8月。
「デートの先行予約ってアリですか?」と、メールで聴いたら、快い返信を頂く事が出来ました。

そして同年10月、2年ぶりの再会ができて、学校でお世話になった先生とは、初めての女子会が実現しました。
この日も、最初からワクワクしていました。そして、注目していた読唇術もスムーズとなり、ほぼ一方的に話し続けた前回とは大きく違い、聴きたい内容も伝えられて、またひとつ小さな自信がつきました。さらに、またお会いしたい気持ちも、ためらう事なく全面に出て来ました。
これからも、形を少しずつ変える事はあるとは思いますが、お2人とのつながりを大切に、そして楽しみ続けたいです。

また、時を遡ると…まだ大幅な運動機能低下をする前に、こんな事もありました。

整形外科の病院で、順番待ちをしている時の事でした。
同じドクターに診てもらうために、待合室のベンチに座っていた初対面の男性が突然話しかけてきて…

「一人で来たの?」

「ちゃんと、話せているけど本当に聞こえないの?」

「唇の動き読み取っているの?すごいね!!」

英語も好きだと話したら…

「英語も勉強するなんて偉いね!!」

周囲の人にも広めていました(笑)

「電動車椅子のバッテリーは1回の充電で、どれくらい使えるの?」

「電動車椅子の費用はどれくらいかかるの?」


とほぼ質問攻めで終了しました。


そして、いざ診察へ。

そうしたらドクターからさっそく…

「さっきまで、何を話していたの? おじさんの声ばかり聞こえていたけど。」

と聴かれて、

「ほとんど、質問攻めだったよ。 私は聞こえないけど、体でおじさんの声の振動をたくさん感じて、どっちが聴覚障害者かわからなかった。」

と答えたら、

「本当に分からないね!!」

と側にいたスタッフさんたちと大爆笑して、診察終了となりました!!





他にも、様々な事を楽しむスタイルも大きく変わったり、新たに好きになったり、じっくり味わうようになった事が増えました。

楽しみ方が変わったものの中で代表とも言いたいのが、音楽です。
聞こえていた時も、多少は歌詞を楽しむ事はしていましたが、どうしてもノリの良さなどの方が、勝っている状態だったと思います。
今は一言ずつ味わうように、じっくり読んでいます。
さらに、新たな楽しみ方が増えました。
リズムは振動によって楽しめます。さらに、キレのいいダンスを見られると、歌詞を覚えているものであれば、歌詞が出ていなかったり、歌手の口元が見えない状況でも、かなりノルことができます。

さらに、ダンスの振り付けの中に手話またはそれに近い表現が入っている曲も多くなり、より楽しみやすくなっています。

初めて一部の振り付けが手話に近いと思ったのが、SMAP「世界に一つだけの花」です。
最初の頃は、メッセージ性の強さから純粋にこの曲そのものが大好きになりました。高校の卒業式の際に、使われていた場面も今も頭の中で、楽しく回想しています。この曲のCDが発売されたのが2003年3月。この年の8月に、聴覚異常を感じ始めた私にとっては、健聴の耳で聞くことができ、自信をもって歌えるラストソングとなりました。こんなに大好きになれる歌が最後となったことに幸せを感じています。この曲は、今も自信もって歌い続けられているうちの1つで、心のパワーとなっています。また歌い続けられている限り、運動機能などに更なる障害が増えたとしても、明るく過ごせると思っています。
この他には記憶の範囲内では、「Not alone〜幸せになろう〜」と「Yes we are」の一部に手話または手話のような表現が入った振り付けで歌っていて、どちらも好きになりました。そして、これから他の歌手も含めて、どんな曲と出逢えるのだろうかと待ち遠しい思いで、胸が高鳴りました。
最近の曲の中で、他の歌手グループで印象深く残っているのは、乃木坂46とAKB48です。
乃木坂46は、2015年10月にリリースされた「今、話したい誰かがいる」のミュージックビデオの中で、聴覚障害と健常者が、手話と筆談によって、少しずつコミュニケーションをとるうちに、お互い心の壁がなくなるというストーリーをメンバー達が演じています。この映像を見た時に、たとえたった一言だとしても、伝えられる事、それ自体が大きな喜びや次への架け橋になると思い、なんだか心がホッコリしました。
AKB48は、朝ドラの主題歌にもなった「365日の紙飛行機」で、曲の中で最もメッセージとして発信したいと思って書かれたであろう…

「人生は紙飛行機
願い乗せて飛んで行くよ
風の力の限り
ただ進むだけ
その距離を競うより
どう飛んだか どこを飛んだか
それが一番 大切なんだ
さぁ 心のままに
365日」
の部分のほぼ全体手話を使いながら、歌っているので、私も手話で一緒に歌っていてます!

歌番組以外にも、テレビで音楽を楽しめる機会がありました。見られたことがとても嬉しくて、2015年8月と2016年1月にそれぞれ、見てすぐにブログに以下の通り掲載しました。

今、タイミング良く見たら手書きで楽譜を書いたり、絵の具の色によって「目で楽しめる音楽」をベストなスタイルで届けてくれて、嬉し過ぎます!(2015年8月)

今回は、ベートーベンの「運命」。

CG画像を駆使し、音の長短・楽器の増減をグラフのような図形などを組み合わせ、「見える音楽」を楽しめました(⌒‐⌒)

昨年、この番組を初めて見て、また楽しめる事を期待していたので、嬉しいです(^-^)

次は、どの曲を何を使って表現してくれるかなぁ?(2016年1月)

次に、音そのものを音として認識は不可能ですが、高低差は体の振動となって感じることができます。高いほど頭の近くで、低いほど腹部に近くなります。
この高低差を感じる方法は、人の声のポイントをつかむ時にも、活用できます。

スポーツを見ることも大好きで、よくテレビ観戦しています。
いろいろな競技を楽しんでいる中で、「聴くこと」にポイントをおくと、フィギュアスケートと大相撲が大好きです。

フィギュアスケートは、記憶にある曲を使用していれば、頭の中で演奏を思い浮かべながら、選手の演技全体を楽しみます。知らない曲での演技の場合は、流れている曲から感じる振動と演技を組合わながら、世界観に浸ります。高校生ぐらいから少しずつ関心はありましたが、最初はなんとなく見ていました。それが今では、シーズン中はテレビ放送をワクワクしながら見るぐらいまでに、夢中にさせてくれるものへと、大きく変わりました。
大相撲は、子供の頃からテレビを見ていたので、自然なものとして受け止めていましたが、それほど好きではありませんでした。ところが、数年前から自分でも驚くほど好きになり、今では、本場所中はブログとLINEで何かを伝えられずにはいられないほどになりました。
中でも、イチオシ力士は臥牙丸 関。
彼は、なかなか決め切れない取り組みが多くて、ハラハラの連続のため正直、15日間は落ち着けないのが本音です。
でも、感情を豊かに表すキャラクターが体の大きさからは、とても反比例していて、たまらなくなるのです。
負けた時は、今にも泣き崩れそうなくらいの状況で、花道を引き上げていきます。
勝った時には、満面の笑みで土俵から下がり、奥にあるモニターで自分の取り組みを確認する際も、周りの人に見て欲しくてたまらないお茶目な一面も。さらに、インタビューがあるとインタビュアーから「もう、時間がありません。」と言われるまで、話が止まらず物足りない表情を浮かべることもありました。
彼の話は、口形がわかりくくて読唇術には向いていません。字幕放送のおかげで楽しむ事が出来ています。
このように音楽や声の振動によって楽しめることは多くあります。今後も、どのように更なる深掘りができるのか、想像するだけでも笑顔がこぼれそうです。

次に、トーク番組や落語も楽しみ方が奥深いものとなりました。
この2つも、子どもの頃から好きでよく見ています。まずトーク番組に関しては、健聴時には分かりやすいところだけを切り取って、そのポイントとなるものがいくつか集まると、自分なりにまるでジグソーパズルを組み立てるかの要領で、ストーリーを自己完結させて満足でした。このため、うまくタイミングが合えば集中して見られていました。一方で、一旦迷路に入り込んでしまうと…脳内で空中分解を引き起こし、そこでその内容に関する思考は完全に停止していました。なので、この事態が発生中に不意に感想などを求められたら、表現をする事が出来るまでに時間がかかり過ぎて、貝になる事が多すぎていました。結果として、よく母に「それで終わり?」と、よくガッカリされたものです。今となっては、そのような反応されてしまう事が、手に取るように理解できます。しかしその時には、「なぜ、この状況が伝わらないのだろうか。私特有の感覚なのだろうか」という疑問とともに、もどかしい思いが増幅していくばかりで、悔しさが際立っていた事が思い出されます。
ところが、このような混乱が「音のない」状況で見るようになったら、みるみる間に頭の中で、まるで霧が晴れるかのように吸収できるようなった情報量が、大幅にアップしました。その方の声は、聞こえないことについては残念な思いは間違いなく私の心の中にあります。一方で、ここを字幕放送やテロップから分かる言葉たちを一点に見つめられるようになったり、その会場を訪れているかのような臨場感を味わえる最大のチャンスだと自然と気づくことができるようになったのです。
この変化を得られたことで、かつての断片的程度にしか吸収出来なくて見たらそこで終わりの基本から、抜け出せる事が格段に増えたのです。こうなると、誰かに見た内容と合わせて感想を伝えたくて、そこに寄せる思いは高鳴り続けます。さらに、ブロクにも発信したいとより素直に思えるようになり、自分が書いた記事に反応が寄せられる事も徐々にではあるものの増えて、いろんな角度から同時に楽しむ事が出来ています。伝える力・書く事のスキルは、まだまだ課題山積ですが…、番組そのものを楽しむ・その内容と感想を誰かに伝え、さらに、ブログ記事として書き続ける事の連続こそが、今の私にとってのサイクルであり、とにかく回数を経験する事が重要と考えながら、コツコツと実行中です。

そして、落語も幼い頃からよく見ているもので、成長などにより楽しみ方が変化し続けているものの1つです。
ただ、トーク番組と同様に健聴時には、まず、話のテンポにいかについていくかに始まり…自分が理解できる範囲内の特徴的なツボがないと、ただ、きょとんとしながらテレビ画面を見つめているだけで、面白いと思えるところを見つける主導的な部分は大きく欠如。ただひたすらなまでに、そのツボとなるものが、やってくる事を待ち続けるという完全受動的な見方をしていました。これは、特に落語という全体の情報そのものから、ほんの少しだけ切り取り、音声から理解できるところ限定して見ていたために、このような状態が発生したと考えられます。
ところが、これまた音声情報を失った事で、まるで高級昆布を噛み締めて、じっくりとその味を噛み締めるかのように、深掘りできるようになったのです。
落語に関して触れるに際して、改めて落語とは一体どういうものなのかなど、情報となるページを検索したところ、「あー!こういう事を伝えるポイントといしている日本固有の伝統なんだ!」という事が明確になりました。さらに、基本表現は「仕草」・「表情」・「書く」・「服装・効果音」などに至るまで、豊富である事に気づくことができました。この事によって、手話によるコミュニケーションをする時と、同じように読み取りやすいポイントが凝縮された話術芸能であるという点に結びついたのです。
もちろん、字幕放送があればストーリーがより明確になりますが、仮になくても、落語家の方の姿がはっきり見える状況であれば、聴者とともにその世界を共有できるものであり、その旨みのようなものをたとえ少しずつであっても、味わえる状況にいられている事に、改めて小さな幸せを感じています。
落語に比べると、まだまだ歴史が浅く知名度も乏しく、番組でお目にかかる事にも恵まれていないですが、手話落語もあります。
特徴としては、主な対象は聴覚障害者ですが、健常者も一緒に楽しめるようになっています。演者は手話を用い、基本的に自分では口を使いません。
目に見える形で認知度が上がらないのには、以下のような難題などがある事が理由として、思い浮かびます。
まず、手話のわからない健常者向けに通訳が入る場合が多いことにあります。通常の落語でよく用いる語呂合わせなどの手法は取り入れるのが難しいため、もっぱら小噺をメインに据えた高座になることが多いのです。また、落語には手話にない単語が登場することも多く、その分工夫が求められる現状に加えて、取り組んでいる演者が少ない事も大きな要因となっていると想像しています。
クリアーすべき点は、山積しています。地道な作業などの繰り返しとなるとは思いますが…
「静けさの中に隠れている多くの面白さ」

を共有しやすくなる事を、願わずにはいられません。

さらに、私が産まれた頃からの歴史がある英語落語。その醍醐味は、落語を単純に訳して一つの噺とするのではなくて、どう英語で表現すれば文化も宗教も習慣も異なる人々に理解してもらえるか?、にあると思います。ですが、国は違っても、ユーモア、人の情け、失敗を笑い飛ばしてまた「顔晴ろう」(がんばろう)と思う心は共通で、それが英語落語が共感を呼ぶ理由ではないかと思います。さらに、日本語では意味が捉えきれなかったりする部分も納得できるきっかけとなっています。
そして、先ほどの「顔晴ろう」(がんばろう)には、顔・表情を晴れやかにできるようできる瞬間を大切にしようという、思いが込められています。
「頑張ろう」という言葉に抵抗感がある私も、「顔晴ろう」には心が和みます。

これからも、江戸時代から伝わる落語・発展途上中の手話落語、そして海の向こう側まで渡った「RAKUGO」までそれぞれに発見などができる事を、まず、私自身に対して期待して更なる発信になればと思います。



ですが、振動も様々なものが存在します。楽しめる場合ばかりではありません。「音のない世界」にいるからこそ、聴者より感じる事が多すぎて、聞こえていれば、わずかな差とだと思える事も、過剰反応をしてしまう事もあります。

例えば、レストランで注文したものがテ
ーブルに置かれる時。これは、電動車椅子に乗っている事によって、膝とテーブルの近いことも事実ではありますが、この他にも理由があります。少しでも勢いがついている状態で置かれると、振動が大きくなるため、びっくりしてしまうのです。これは、動作を見る事で心の準備をしていても追いつかず、困ってしまいます。どうにか、軽減方法があればとずっと願い続けています。
他には、外出時に母の運転で乗車している福祉車両のタイヤの空気圧変化を感じることです。私は、幼い頃からずっと乗用車に乗って、数え切れないほどの通院・通学・外出を経験させてもらっていますが、2006年に「TOYOTA Noah」にして、中列の位置に電動車椅子のまま乗るようになるまでには経験がなかった事です。
これは、一般の方にとっては気づかない程度のわずかな空気の減少であっても、まるでディズニー映画「アラジン」に出てくる魔法のじゅうたんに乗って、どこかに行くかのように、「フワッ」と浮き上がる感覚があるのです。
さらに、自然現象では地震や雷に対しても、察知が早くなったり、感じ方が変わりました。地震は、震度1でもかなり正確に感じてしまうため、まず、テレビのテロップ表示をじっと見つめて、自分の居住区または隣接区で観測された事が確認できれば、それで納得します。でも、表示が出ないと…納得するまでスマホで確認します。
雷は稲光を見た後、お腹を中心に下から振動を感じます。さらに、近年のは激しく数多くの和太鼓みたいな響きを一斉に感じますので、驚き方も半端ではありません。
気象変動には、元々振り回されやすく頻繁に「不連続線」から引き起こされる症状を経験し続けています。「不連続線」とは、気圧変動によって様々な症状が表れる病気の一つで、症状は人それぞれ全く異なり、頭痛・めまい・関節痛など、その人によって様々です。
そして私の場合は、低気圧に左右されて、検査で確認した事はありませんが、脳圧が上がる感覚があり、頭痛・頭重感・平地から標高が高い所などに移動した時などに経験する耳づまりが、その場所におとなしくいる状態であっても、症状は出てしまいます。さらに、最もひどい時には、生きているのか心配されるほど眠り続ける事もありました。
長く付き合っていても、成人をすぎるまでは、その都度ひたすら、その症状が通り過ぎるのを待つばかりでした。
母は、私が幼い頃に小児科医から「障害当事者は、低気圧に弱い」と聞いていたそうです。しかし、病名はずっと知らずにいました。
そしてある時、「天気に体調が左右される事はありますか?」と耳鼻科医に質問されて、先ほどお話した内容と同様に、諸症状を説明したところ、この診断に至ったのです。
そして、徐々にポイントが分かるようになり、現在では、以前ほどは振り回されやすい状況にはなりにくくなっています。
ちなみに台風が発生したら、まだフィリピンに停滞している状況でも、影響は受け始めてしまうのです…正直、この過敏反応はいりません(笑)
近年では、天気予報の中でも「気象病」として、従来からの情報と共に、関節痛・喘息などの症状が、予想されている天気から、どの程度現れそうかをマークなどで表示している番組も、まだ一部でしょうけどあります。
また、何気なくスマホでチェックしていたら、「頭痛ーる」というアプリを発見しました。
このアプリは、気象予報士が開発した頭痛・気象病対策No.1だそうです。
そして、頭痛や気象病の起こりそうな時間帯の確認や、痛み・服薬記録として体調管理の1つになりそうだと思い、さっそくダウンロードしました。
予想される天気は、マークで表示されていてます。そして、この気象条件から体調の変動をグラフ化し、ポイントとなりそうなところには、「注意」など一言添えられていて、すごくわかりやすいです。
  • 2016.06.04 Saturday
  • 15:55

Deaf Report

「聴くこと と 聞くこと」(加筆中)

私は、水頭症を合併した二分脊椎症者として、生まれました。
移動手段は、外出時は就学直前ぐらいから手動車椅子を利用。高校在学中からは、元々、手動車椅子の操作が下手だった事や、行動範囲を拡げる事を考えて、電動車椅子に切り替えています。自宅では、ぎこちないハイハイを長い間していましたが、2009年に急激な運動機能の低下をして以降は、ずり這いをしています。

学習面では、通園施設と幼稚園・保育園を経て、義務教育は身体面を重視して特別支援学校に、高校は社会生活への準備期間として一般校に在籍しました。
様々な症状を経験する事が、年齢を重ねるにつれて増加していっても、自分なりに、楽しむ日々を送っていました。予期せぬ体調不良や症状増加は、それまでも、周りの症者の方々と比較しても幼い頃から早かったので、この先もその点においては、変わりないだろうと思っていました。

ただ、聴覚を除いては…。

2003年のお盆に3ヶ月ぶりの外出で、父と暑い中、汐留に行きました。
張り切りすぎた結果、熱中症により1歳の時から通院している小児科の病院へ救急搬送。熱中症の症状が落ち着いた夕方に、聴覚異常を感じたため、すぐに症状をドクターに伝えるも…

熱中症に伴う一過性症状程度に診られて…相手にされぬまま診察終了。

19歳のこの日が訪れるまでは、健聴だったので、この先もその状況が続くものと思っていました。しかし、自覚症状が現れた数日後に聞こえた救急車のサイレンの音に同じ乗り物とは思えないほどで、左耳からはJ-POP、右耳からパンクロックを聞くぐらいの差があり、J-POPのような感覚が押し流されるほどでした。そして、このサイレンの音を聞いたその次の瞬間には…

「もう、回復どころか悪化するのは、間違いないだろう」と確信へと変わりました。
その後もまるで、その予測は「正解だよ」と言われているかのように、毎日低音から順に一つずつ消え去っていくことの連続…だんだんと左耳から入ってくる音も、右耳と変わらなくなっていったのです。
今まで、聞こえていたことに感謝した上で、別れを告げていました。

症状への理解を得る事は、困難だと判断。脳外科医に、小児科で伝えた経緯と共に説明をした結果、早期の耳鼻科受診を勧められました。
この病院では、小児科でオーダーを出してもらう事が必須なので、再度受診しました。難色を示して、相手にされなかったあの日とはまるで違い、ものすごくスムーズな対応でした。

そして2004年2月、念願だった耳鼻科の初診。この日にドクターからかけて頂いた言葉に、感動した事を今でも、鮮明に覚えています。

「私は、二分脊椎症について研究をしているけど、研究が足りなかったらゴメンね。」

それまで、多くのドクターに出会って来ましたが、このような強いメッセージを届けてくれた事はありませんでした。
聴覚症状としては、「音のある世界」にいられたものの、雑音が多すぎて「音のない世界」への移住が相当進んでいました。そのため、病院の予約・キャンセルも、元々FAXも機能的に難しいという事を伝えた上で、メール対応可能と言っていただいた場合には、ありがたくお願いするようになりました。
私は利用した事がありませんが、数年前から少しずつ聴覚障害者が利用しやすい通話環境がアプリなども含めて拡がりを見せています。その一つに、「電話リレーサービス」があります。このサービスは、聴覚障害者が電話を一人でかけられるように、聴覚障害者と電話のかけ先(聞こえる人)を電話リレーサービスセンターにいるオペレーターが、テレビ電話を活用して、文字や手話と音声の通訳をすることにより、電話で即時双方向につなぐサービスです。
しかし、私が利用するには向いていないと思っています。理由としては、私は家では寝たままの姿勢で過ごしています。外出時は、電動車椅子に乗っている分、手の動きにもゆとりはできます。ですが仮に、スマホを固定した状態にできたしても、体勢が不安定なので、コミュニケーションをする以前に、相手に自分の姿を見せる状態を持続する事が困難だからです。
他に調べた範囲内では、チャットを活用しているサービス団体もあるようです。
いずれにしても、いきなり本番は無理なのは想像できます。まず、体験を重ねていくことが必須です。
そのため現段階では、メールが視覚から情報が得られて、確実に連絡が取れる手段となります。そして、自分で連絡できる事に対する喜びも大きいのです。
今後、多様な連絡ツールが利用可能となる事に希望を持ちながら、技術進歩の情報にも、接し続けたいです。そして、出来ることなら、まず、当事者の1人として体験できる機会を増やして頂く事から、裾のが拡がればいいなぁと強く思っています。

2006年10月 病名「 巨大水頭症の悪化による聴覚失認 または 皮質聾」という診断に至りました。ABR検査では、脳と耳から指令が出ていて正常。まだ、診断の可能性を諦めきれずにいたので、自ら希望して撮影したMRIの結果を診て、

「聴覚神経が圧迫されているため、音声認識ができない状態である」事の説明を受けました。
診断前の一時期、耳かけ型補聴器を病院からの貸し出しという形で、使用していました。しかし、振動から得られる感覚を求めすぎるあまりに音量を、常に、最大にして使用していましたが…

「これは、聴覚本来の機能も失う事になり、耳にとって負担が大きい」
というドクターからの話を聴いて、利用を中止しました。それ以降は、全く使ったことがありません。さらに、この日を迎えられるまでの間には、感音性難聴の可能性に触れられた事もあり、人工内耳の手術の話も出たことがありました。
ですが、MRI画像を見てドクターが、安堵の表情を浮かべながら…

「あの時、急いでオペをしなくて良かった。」

と話してくれた事が、今でも鮮明に脳裏に焼き付いています。
この診断を受けて、聴覚障害者としての証明と利用可能な福祉サービスをスムーズに受けるために、身体障害者手帳を更新しました。それまでの障害に加えて、「聴覚障害2級」が記載されています(手帳上では、聴力障害とされている)。私自身も手帳更新時に知りましたが、聴覚障害としては2級が最も重度となります。一般に、聴覚障害をほとんど有していると思われている「言語不明瞭」の部分がありません。むしろ、聴覚障害になってからの方が、相手に伝えたいと思う意思を強く持つことで、はっきりした発音となり、健聴の頃から知っている方にも、「今の方が聞きやすい」と言われるほどです。世間一般の考え方で見ると、障害が増える事はマイナスと捉えられる事が多くあります。確かに、障害が増えれば不自由さは多くなり、必要となる説明は長くなる一方です。
また、同じ二分脊椎症を有する方であっても、水頭症の有無によって、子どもの頃から目には見えない心の壁も感じてきたのも事実です。
具体的には、特に運動機能や学習面において、「お宅は大変そうだけど、うちはその点に問題ないから」と、はっきりと言われる事も幼い頃から良くあって、つらくなることもありました。症状が増えるにつれて、その溝は深まる一方で…同じ病名と診断された症者の中であっても、1つは、自分の身の周りの事が一通りできる運動機能的に私よりは軽度の当事者、もう1つは、自分と同程度の介助を必要とする症者といった感じに大きく2つに分かれている事を、受け止めるしかありませんでした。しかし、後に私より軽度な方々に様々な症状が発生し、慌てている姿を目にすると、先にいろいろと経験出来ていて良かったと思います。
さらに、聴覚障害診断までの数年間、他のあらゆる症状をベテランに訴えても、診断が不可能な事の連続でした。
そのため、心因性と判断される事がとても多かったのです。その事が要因となり、心に大きな雪だるまが出来るほど、積もり積もったものとなっていくばかりでした。頭では、解らない事もあると理解しつつも、どうしても納得のいかない時をずっと過ごしていました。
そのような日々が長く続いていても、症状そのものとの付き合いは、尋常でない激しいものに襲われていない限り、楽しむ事は変わっていませんでした。
しかし、さすがに診断には絶望的な気持ちが膨れ上がって、次第に…


「もう、私が生きているうちに納得のいく診断は、されないのではないか」

と、心は諦めの境地に向いてしまっていました。

そして、「ここまで、調べ尽くしてくれた上での結果だから、受け入れよう」

とMRI診断の直前は、一つの覚悟をするかのような勢いで、自分に言い聞かせるようにしていました。

ところが、聴覚障害の診断を受けられたことで、他の症状についても諦めきれずに伝えながら待つ事ができれば、心因性診断が減少して…
いつか、解明へとつなげる事ができるかもしれないと、「希望の光」を見ることが出来ました。
ドクターによれば、このケースの聴覚障害を正確に理解している耳鼻科医は、当時の時点で…世界で10人程度だと聴いて、良い出会いに恵まれた事に感謝しました。その一方で、たくさんの誤診が続いているであろう現実を想像したら、ゾッとせずには、いられませんでした。

幼い頃に、中耳炎や外耳道炎を繰り返していた影響からなのか、自然とある程度の読唇術が身についていた事がどこに行ってもほとんど困る事はなく、楽しく過ごしていました。実は、聴覚異常を本格的に感じるまで、何か問題が発生すれば、開業医の耳鼻科をその都度、受診する程度で、ずっと聴覚症状には注目することが、そもそもありませんでした。そして、脳外科医が耳鼻科受診を勧めてくれたのは、1人の二分脊椎症者の方が聴覚障害を発症した事を知っていたからでした。しかし脳外科としては、問題にならない程度の小さなシャントトラブルの積み重ねが引き金となって、聴覚障害につながる症例については、ご存知ではなかったようです。
2006年4月にシャントトラブルがCTで確認されて、脳外科診の翌日に入院して、その2日後に手術しました。
退院後の初めて耳鼻科診で、シャントの再建術によって聴力の回復の可能性があった事を聴きました。しかし、オペ以前の3年間CTを撮り損ねているうちにシャントトラブルを起こして、聴覚神経を圧迫しすぎている事が要因となり、回復はしませんでした。
この経験から、私と母はシャントのチェックを目的としたCTの撮影が、耳鼻科の観点からも重要である事を、水頭症を有している方とそのご家族に伝え続けています。ですが依然として、水頭症と聴覚障害との関連性への関心や認知度などは、広められていない状況でなかなか変化を感じられないままです。

就学前から英語が好きで、ひらがなより先にアルファベットを遊び感覚であっという間に覚えてしまうほどでした。
母の主導の下、色々と学習機関に連れて行ってもらっていました。私には、元々の障害の一つとして四肢機能麻痺があります。これにより、書字速度も一般に比べ遅いため、たくさん書いて覚える事は現実的ではありません。この点を、考慮しながらどこに行けばいいかを良く選んでくれて、行く先々、全部大好きになりました。

その中で今、振り返ると中学時代に1年半通った地元の個人塾が唇の動きを読み取るための基礎づくりとなりました。ここでは、外国人に通じる英語を目指して、発音の徹底を求められる厳しい授業の連続でした。
先生の唇の動きと発音を吸収して自分も発音練習したり、発音された単語を書いたりするトレーニングを徹底されて、正解した時の喜びは絶大でした。
この頃はまだまだ、読唇術という言葉すら知らない時でしたが、音声以外からも情報を得る方法を知る大きな機会となり、原点です。
更なる精度向上を求めて、2007年6月から3ヶ月間(週1回)、東京都主催の読話講習会に参加しました。

この講習で学んだことをきっかけに、それまで感覚で身につけていたもの加えて、知識を増やすことができました。そして読唇術というものは、そもそもどういうものであるのかから始まり、相手にどのような対応をしてもらう事が、読み取りやすくする事に、つながるのかなど全体が網羅されていました。さらに、コミュニケーションをする時には、もちろん、読み取る側になるばかりではありません。読み取ってもらう側になる事も、必ず想定する必要があります。その点への意識を高めるために、当事者同士がペアを組み、相手の話を読み取る事も実践しました。読唇術は、もちろん唇の動きを読み取る事によって、コミュニケーションが成立します。さらに、唇だけを見ているのではなく、舌・表情筋そして、相手の反応を見てスムーズになります。

さらに理想としては、口の動きを親指1本が入る程度にして、スペースに余裕があり可能ならば、前方斜め45度から話して頂けると格段に読みとりが行いやすくなります。そして、ここで学んだポイントが大きなヒントとなり、あくまでも内容の理解は別として、日本語・英語・中国語・韓国語の違いは、読み取れるようになりました。

この他のポイントとしては、テレビ・本・雑誌などで、様々な情報にふれて知っている言葉を増やしておくことが重要です。それから、これは私がここまで運動機能的に1人で動けない事が関係しているために、より感じやすいと認めた上で…、メールでのコミュニケーションも、語彙を増やす手段としてとても有効だと思っていて、フル活用してスマホにしてから、LINEをなくして過ごすことは、完全に不可能と感じるほどです。残念ながら、ニュースではメールの悪用事例・事件を目の当たりにする事が、ほとんどです。そのリスクについては、決して軽視できるものではないのも心得ています。その点に注意しながらも、会話をしていない場合、どのような事態に陥いる要因の一つとなる危険性も考えられないでしょうか。それは、聴覚障害自体から発生するコミュニケーション障害に加えて、さらにバリアとなる引き金となりかねないと、一種の危機感があるのです。
本レポートは、聴覚障害当事者の1人として書かせていただいておりますが、音声言語でのコミュニケーションが困難・もしくは不可能な方々は、多くいらっしゃいます。言語障害を有する場合や、気管切開またはガンなどによって声帯摘出をされた方たちです。
その中で最近、より関心を寄せられた著名人が歌手 つんくさんです。

2016年3月の報道を見て、以下の通りブログに書かせていただきました。

「被災地の子供たちとコンサート」

これは、NHK「おはよう日本」で放送された歌手 つんく♂さんが中心となって、取り組まれている活動です。

一昨年、ガンのため声帯摘出。
歌を歌うことで、パワーやハートを伝える事は出来なくなりました。

しかしこの経験が、「まだまだ音楽を関わる方法はたくさんある」と新たな発見につながったのです。

コンサートで合唱する歌の作詞。

そして、指揮者と参加して、歌詞に込めた「生きる喜び」を全身で伝えていました(o^^o)♪

コンサート後、関係者の前で話す姿もありました。

現在のコミュニケーション手段は、筆談やパソコンに書いたものを代読してもらう他、LINEも活用されています。

この姿を見て、多くの聴覚障害当事者・聞こえにくい人々・声が出しにくい人・失語症の方など…
多くの人たちに、コミュニケーションの取り方は多様であることを、伝えてくれたので嬉しく、心が温まりました☆彡

さらに、聴覚障害者には、話をする事が難しい「コミュニケーション障害」と、災害発生時には、給水や食事などの提供に関する内容をうまく知る事ができない「情報障害」があると、「音のない世界と音のある世界をつなぐ 〜ユニバーサルデザインで世界をかえたい!〜 松森果林著 -岩波ジュニア新書- 」にも、明記されていて、コミュニケーションツールは、日常的に複数を使いこなせる事が大切となります。そうすれば、突然の事に遭遇してしまった時としても、最初こそ少しずつかもしれませんが、自分らしく居られるポイントを増やすことが出来て、小さな安心を積み重ねられる、きっかけになるだろうと思います。そして、その言葉を発する時に自分だったら、どのように唇・舌・表情筋を動かしているか、知っておく事で言葉数が格段に増えて、相手との会話のキャッチボールがより長く続けられるコツになると思います。

ここまでは、読唇術をするための準備段階です。

そして、この先が本番となります。

普段、ほとんど日本語を話していますが、人の口形や話し方、そして方言などによって少しずつそれぞれ違うものです。
そのため、単に日本語である事にこだわり過ぎると、意味を理解する事ができなかったり、たまには1単語も読み取れなくなるのです。

結果として話がつながらず、頭の中で混乱し、楽しめなくなるのです。
そこを少しでも、クリアにしていくために大事なのが、多言語に触れることなのです。
私は、幼い頃から英語が好きでずっと発音重視の教育を受けさせてもらいました。中国語は、高校の選択科目としてかじっただけです。韓国語は、テレビドラマなどを眺めるだけです。
それでも、言葉にこんなにも違いがあるのかと、たくさん気づかせれてくれるほど、感じるものが多いです。
日本語は、はっきりした発音で静かに話す標準語がベースとなっています。

それでも、口形やその人が慣れ親しみ使ってきた方言によって、全く違う言語に見える事が多々あります。

それは、同居する家族であっても例外ではないと日々、感じています。

私の両親は、母は京都出身、父は埼玉出身です。

母は、口形もテキストにしたいほど読唇術に最適で、生活に困らない程度の手話も知ってくれているので、コミュニケーションはスムーズです。
手話を知ったのは、小1の時でした。きっかけは、身近に1人の聴覚障害当事者の方がいて、少しでもコミュニケーションを楽しみたくて、少しずつ覚えていきました。
成長するにつれて、声も出すのも不可能な症状を襲われる事も多くなり、自分の意思を伝達するためのツールとして、活用し始めました。指文字を母から教えてもらって以降、使う事が増えました。聴覚異常を感じた際にも、小児科医に、手話を使いながら症状を伝えようとしました。
しかし、「話せないなら手話を使うことを理解するけど、話せる状況で使うのは、話す事から逃げている。」と言われて、一瞬戸惑いました。
そこで、すかさず対応してくれたのが母でした。
手話を使いながら「私に症状を伝えなさい」と言ってくれた事に、救われました。今振り返ってみても、母に感謝する気持ちに変わりはありません。そして、症状そのものを体験する事にも、場合によって怖さを感じることも多いです。そして、症状を伝えられない事はそれ以上に不安や恐怖をよびかねないと思った事が、未だに頭から離れることはありません。
一方で父は、口形から言葉を読み取るのは難しい上に、一つも手話を知らないので、とにかく読唇術を行う以外の手段がない現状が変わる事なく、今に至っています。そのため、彼と話す時は、いかに少しでも聴き直さない事を意識した上で、話し方は、どの言語に近くて、多く話す言葉をとにかくインプットし続けているので、ある種の緊張状態の中にずっといるのです。

ここで、母とのコミュニケーション手段の一つとしてふれた手話について、さらにお話させていただきます。

手話は、世界共通と思われがちですが、その国によって、それぞれにあります。
ですが、単語は共通しているものは多くある事から、通じやすいようです。

以下は、「耳と脳」を読了した時にブログに掲載したものです。「日本手話と日本語対応手話」についての解説を、原文のまま紹介させていただきます。さらに、私にとって、読みやすいものがどれかについても明記しています。


ろう者による自然生成言語としての日本手話と、聴者が日本語に対応させてつくった日本語対応手話は言語的には全く別物である。
韓国手話、台湾手話、日本手話は単語において60%(諸説あり)ほど共通しており、日本手話の話者は韓国人や台湾人との手話コミュニケーションが聴者のそれに比べると難しくない。

また、日本語対応手話が日本語の文法に合わせた手や指、腕を使う手指動作だけで単語を表現するのに対して、日本手話は、視線・眉・頬・口・舌・首の傾きや振り・あごを引いたり出したりなど非手指動作も用いている。SVO型の語順の文法も用いられている。日本手話はその意味で、日本語あるいは日本語対応手話とは全く異なる体系をもつ言語である。日本手話では聴覚言語に固有といわれるプロソディ変化の表現も可能である。プロソディとは、発話において現れる音声学的性質で、その言語の一般的な書記記録からは予測されないものすべてをいいます。具体的には抑揚あるいは音調、強勢、音長、リズムなどを含むが、これらのうちで文脈によって異なりうるものを指すのであって、その言語で決まっているアクセント(高低アクセントあるいは強勢アクセント)、声調言語の声調、音長を弁別する言語における長母音・短母音の区別といった性質は含まない。
韓国手話、台湾手話、日本手話の共通性は、日本統治の影響と考える説や日本手話がろう者による自然生成言語であるために、文化的背景が同じ地域の民族で共通項があるのだとする見解など諸説がある。
人工内耳装用しても、健聴者と同等の聴力を得るわけではない(重度難聴から軽度難聴あるいは中等度難聴の状態になるだけ)。また、装用してから初めて文法体系を学習させるのは非常に不利である。聴覚口話法やキュードスピーチなどと併用して行うだけでなく、日本語対応手話の学習も併せて決して否定されるものではない。例えば、健聴の両親のもとに生まれたろう児に対して人工内耳装用までの期間、日本語対応手話を用いたコミュニケーションを積極的に行えば、あらかじめ語順(文法)を学習することができる。生活のなかでの所作・作法といったしつけ教育は作業記憶として後々に抽象的な言語(「しゃきっとする」など)を獲得していく際の手助けになるであろう。日本語対応手話の語順を学ぶことは、書記言語の学習効果もあがることが期待できる。

先ほどのキュードスピーチとは、読話の補助をするために,手指による手掛かり(キュー・サイン)を用いてコミュニケーションをする方法のこと言い、この中にもあるように、主に言語確立がまだ出来ていない方々が活用されています。
このような解説をしていただけると、当事者としてありがたいですし、自分も誰かに説明するときのテキストにしたいです(^-^)ろう者が国際交流を行う際に公式に用いるために作られた手話、「国際手話」もあります。各国の手話を元にした一種のピジン言語です。世界ろう連盟やデフリンピックをはじめとするろう者の公的な国際交流の場や、他国への旅行・交流などのより私的な場でも意思疎通を図るために用いられています。しかし、各国の手話の方がそれぞれに浸透しており、広まっていないのが現状です。

私は、日本語対応手話の方が読み取り慣れています。
読話講習会を受講していた時に、ろう者による日本手話のDVDを見たことがありますが…。
それは、手話で話されている当事者の方の話す事への集中力がずば抜けていて、早すぎて一語も読み取れなかった経験があります。
今は、手話があるニュースを見ていると話しているのが、聴者か聴覚障害当事者のかはすぐに判断できるようになっています。
聴者は、手話で話す時にも口話の時と同じように、唇を動かします。一方、聴覚障害当事者はポイントとなるところのみ唇を動かすので、ここが大きな違いとなります。


さらに、「ろうを生きる 難聴を生きる」で日本の手話の原点を知り、次の通りブログに記載しました。


「ろうを生きる 難聴を生きる」

今回は、短縮版の再放送で、日本の障害児教育の先駆者が紹介されていました。

古河太四郎は、教師でした。

人の暮らしが少しでも楽になるようにと思い、実行の最中に、書類の不備により懲役刑を受ける事に…。

この時古河は、獄舎の窓ごしに、聞こえない子どもたちがいじめられている姿を目にします。

「教育の機会さえ与えれば、この子たちの人生は変わるはずだ」。

そう感じた古河は、明治11年に京都盲唖院(のちの 京都府立盲学校と京都府立聾学校)を設立するしました。

彼はまず、五十音に合わせた指文字を考案。
さらに、手話を使った教育に加えて発音の指導もしました。
さらに、京都府立聾学校に残されている史料を読み解くと、発音の方法も絵で示すことで、聴覚障害児自身が特にどのように舌を動かせばいいのか習得できるように丁寧に解説されています。

もし、彼がここまで熱心に、障害児教育に携わっていなかったら…

障害児への指導の広がりや、障害児自身の学ぶ事の喜びを日本で味わえる日は来なかったかもしれないと思い、感謝の気持ちでいっぱいになりました((#^.^#)

さらに、世界の手話の歴史は次のようになっています。
ミシェル・ド・レペの肖像写真1760年に、フランスのミシェル・ド・レペという司祭が、フランス・パリに最初の聾学校を設立しました。そして、耳の聞こえない双子の姉妹を、手話を使って教育しました。これが世界で初の聾学校・聾教育です。

聾学校が設立される以前は、ろう者は互いに孤立していました。もちろん、家族や集落の中に複数のろう者がいたり、ろう者同士が出会ったりする機会はありました。しかし、世代を超えた伝承を可能にするようなろう者の社会は存在しませんでした。ろう者は十分な教育を受けられず、時には人として扱われることがないような状況だったのです。レペによってろう者の集団が作られ、手話はお互いの共通言語として、発達していきました。

そして、後に多くの国々が国立パリ聾学校をお手本にして聾学校を設立しました。それゆえ、教育方法や教師とともにフランス手話が各国・各地域に持ち込まれることになりました。

ギャローデットの肖像写真アメリカでは、レペの弟子から手話法を学んだギャローデットによって、手話が広められました。ギャローデットは後にギャローデット大学(米国でろう者のための唯一の総合大学)を設立しました。そのギャローデット大学の言語学者ウィリアム・ストーキーは、1960年に『手話の構造』という論文を発表しました。これは「手話は独自の文法を持つ言語である」という主旨のもので、はじめて言語学的に手話がひとつの言語だと認められたものです。

2006年には、手話は言語であると定義した国連障害者権利条約が国連総会で採択されました。これでやっと、手話は言語であることが国際的に認知されたのです。他の国々では、手話が公用語のひとつとして認められていたり、手話を使う権利を憲法で保障するなど、手話を言語として認める傾向になりつつあります。
音声言語と同じように、方言があり地域によって一部の手話単語が異なります。有名な例(手話単語の方言)では、「名前」の手話単語が東日本と西日本で異なることが挙げられる。日本手話では地域方言の他に個人方言も多く観察されれます。
国内では、筑波技術大学が聴覚障害者及び視覚障害者の特性に配慮し、学部教育全体を通じた効果的・弾力的な履修が出来るよう、次のような指導上の配慮を図ることにより、新しい高等教育を展開します。

皆さんも、慣れない土地に行ったり、遠方から来られた方に出会った時に、その地方の方言をネイティブのままで話されると、分からないという事は実感された事がありませんか?

「音のある世界」から「音のない世界」に入りたての頃や、または、どうしても読唇術が難しい口形の方に出会った時に、私が味わう感覚はこの現象と、とてもよく似ているのです。

英語と中国語は、発音に似ている部分がある言語です。ある程度、唇・舌・表情筋をしっかり動かさないと発音出来ないのです。
韓国語は、濃音と激音という固有の強い発声が不可欠な言語で、英語や中国語よりさらに、しっかり唇・舌・あごを動かすことで可能となるはずなのにと思うのですが…。感情を強く出していない限り、「いったい、どうしたらそんなに唇も動かさずに発音出来るのか」と、疑問に思う程なので、発音できる事に感心してしまいます。

このようなポイントを知っておくことによって、話す言語がほとんど日本語であっても「今、話している相手のこの話し方は何語に近い!」と大きな手がかりとしてフル活用し、よりコミュニケーションを楽しむことが出来るのです。

なかなか、実際に人とのお会いする事が出来なくても、テレビで色々な方を目にすることで、楽しみながら自然と読唇術のトレーニングになると、日々実感しています。人の口形はそれぞれ異なりますが、必ず似たような形をしている方はいて、その形によって読唇術を行う時に、ポイントとなる所はそれぞれにあります。
ここから、皆様によりお伝えしやすくするために、「誰々のような口形の人は…」というスタイルで、例を挙げていきます。この中で多言語に向いている事もお話しますが、あくまでも読唇術の観点だけを対象とします。実際にその口形をした方がその言語をどの程度話せるかは、個別の話は、本作においてふれる事はありません。


SMAPの草なぎ剛さんのような口形の人は、唇の薄さと舌の使い方が韓国語を話す事に向いています。そのため日本を話す際には、ほんの気持ち程度に意識して、口を開かないと言葉と言葉の境がわかりにくくなってしまいます。

SMAPの木村拓哉さんのような口形の人は、次の単語へのつながりが非常になめらかなので、英語を話す時に最適です。

SMAPの稲垣吾郎さんのような口形の人は、木村拓哉さんのような口形の人よりもさらに繊細な発音に適していて、イタリア語に向いています。

SMAPの中居正広さんのような口形のような人は、ほんの少し意識した状態で、日本語を話すとわかりやすくなります。

SMAPの香取慎吾さんのような口形の人は、少々の早口からゆっくり話す時も、常に日本語を話す事が最適です。それは、読唇術のテキストにぴったりなほどです。

嵐の大野智さんのような口形の人は、どのタイミングで見ても唇の開き方が小さいため、一言を読み取るのも極めて難しいです。

嵐の二宮和也さんのような口形の人は、大野智さんのような口形の人よりは、唇の開け方は大きいものの、言葉の区切りが分かりくく、結果的に話の理解にたどり着くことが困難な場合が多いです。

嵐の相葉雅紀さんのような口形の人は、少しだけ丁寧に話すという意識をしてもらえることで、わかりやすくなります。

嵐の松本潤さんのような口形の人は、日本語に最適な部分と、SMAPの木村拓哉さんのような口形の人と同じような英語に向いている部分を合わせ持っています。そのため、日本語を読み取っていることに対して意識過ぎない事が、ポイントとなります。

嵐の櫻井翔さんのような口形の人は、自然体なスピードで話してもらえれば、読心術に最適となります。

ものまね芸人のコロッケさんのような口形の人は、何も意識していない場合は、唇の中心部分の動きが際立つ傾向あります。ですので、1度気持ちよく口を開けて笑った後に口を完全に閉じないうちのやや大きめに開いているタイミングでお話してもらえると、格段にわかりやすくなります。

「日本エレキテル連合」の中野聡子さんのような口形の人は、唇がかわいらしすぎるほど小さいため、言葉を読み取るには難しすぎます。

「日本エレキテル連合」の松本小雪さんのような口形の人は、自然体な話し方であれば、日本語を読み取る時には最適となります。

落語家 桂歌丸さんのような口形のような人は、言葉の節目・つながりなどのポイントが掴めないので、ジャスチャーなどがサポートとなります。

落語家 三遊亭小遊三さんのような口形の人は、口の開け方が小さい時にはどうしても、読み取れない場合もあります。それでも、読み取れた部分によって分からなかった言葉を想像が出来て、話を理解する事が可能となります。

落語家 三遊亭好楽さんのような口形の人は、時には、早すぎたりすることにより、読み取れない言葉もありますが口の開け方も程よくわかりやすいです。

落語家 林家木久扇さんのような口形の人は、唇の開き方が大きければ、読み取りやすくなる言葉も増やさすこともできます。

落語家 春風亭昇太さんのような口形の人は、読み取りやすい部分とそうでないところを周期的に繰り返す傾向になりやすいため、慣れるには時間を要する事が多くなります。

落語家 林家たい平さんのような口形の人は、私の母と同じだけ読心術のテキストに最適です。

様々な例を挙げた中で、口の開け具合について少し意識してと、書かせていただきました。これは、先にもお話せて頂いた事の繰り返しなりますが、大げさなほど開けて欲しい訳ではありません。ベストな開け方としては、「あ」と発音する時に、親指1本が余裕で入る程度となります。また個人によって、異なる場合もありますが…大きすぎる声や、とてもゆっくりに話していただくのではなく、自然体なスピードで話していただく事を、希望しています。



また、2015年に出会った書籍「耳と脳 臨床聴覚コミュニケーション学試論 中川雅文著 -医歯薬出版株式会社-」に以下のように書かれています。

言語ごとに異なるパスバンドに対する感度の違いは、人種ごとに異なる頭部の大きさや耳の形状の違い、さらには住環境を含めての日常に溢れるノイズなど様々な要因が複雑に絡んで生じたものなのであろう。トマティス博士の唱えたパスバンド理論はアナログ解析装置時代のデータがベースとなっている。例えば2003年に新しく決まった等価レベルでは40phone時の音圧レベルが10kHzで5dB程度のエラーが確認されている。パスバンドの定義もデジタル時代にふさわしい再評価が必要な時期がきていて、これまで説明として使われていた周波数にエラーが含まれていた可能性があると筆者は考えている。しかし、トマティスのコンセプトそのものの秀逸性を損なうようなエラーではないことを付け加えておく。

本書には、トマティスのパスバンド理論で研究された日本語を含む8言語の好まれる周波数が言語ごとに棒グラフで以下のように示されています。パスバンドに関する解説と共にご覧下さい。

パスバンドとはその言語が多用する周波数帯のことである。例えば通勤電車の中での電車の引き起こすノイズは日本語に対してはマスカーとして作用するが、英語の場合には日本語に対するほどにはマスキングはしない。だから日本人同士で車両の左右の向かい合って会話するのはよほど大きな声を出さないとダメだが、英語ならそれほど大きな声でなくてもお互いが会話できたりする。それほど言語によって多用するあるいは重視す周波数は異なる。移住すればすぐにその現地のことばを身につけられる。そういう話はよく耳にするが、おそらく言語のもつ固有の周波数帯が形成される一番の要因として環境や建築やインフラといった要素が大きく関与しているのであろう。

日本語 200〜1500Hz
ロシア語 200〜8000Hz
ドイツ語 300〜6000Hz
中国語 500〜3000Hz
フランス語 1000〜2000Hz
イタリア語 2000〜4000Hz
英語(米国) 1000〜4000Hz
英語(英国) 2000〜12000Hz

ここを読んだ時に、聞こえないもしくは聞こえにくい人々にとって、日本語でコミュニケーションをとる事そのものが、難易度が高いと非常に納得しました。
自分の話している内容が、おかしくなっていないかは、相手の表情を見て確認しています。自分が発している声の音量は、喉元の振動によって判断しています。
私の場合は、「チェックウーマン」のおかげで、人から音量に関しては、ほとんど指摘される事はありません。会話をしている際に、「うるさい」と言われた時と、そうではない時の喉元の振動を多く記憶する事でスムーズとなっています。聞こえない私に「美声で!」と日々求められる事には、ある種のプレッシャーがありますが、小さな事でも認められるのは、うれしいものです。

ここまで、読唇術が可能であっても、どうしても得られない情報があります。それは、イントネーション。

皆さんは、例えば「橋・端・箸」を伝える時に、一瞬、考えてから発した経験はありませんか?

私は、数年前に母との会話の中で、以下の経験をしました。



「イカナカッタ論争」

ある日、スーパーの広告を渡されて、

「何が食べたい?」と聴かれ、

「イカがいい」と答えたら、

彼女はすぐに買い物に行ってくれまし
た。

そして、数時間後に夕食となりました。

食事を置き始める時に、

「イカナカッタ」と言われました。

私が、キョトンとして戸惑っていると再び

「イカナカッタ」と言われので、

「スーパーに行かなかったの?」と聴くと

「買い物に行ったから、魚がある」という返答がありました。

この瞬間、「はっ!」と、気づいて

「イカがなかったんだね?」と聴き直すと

「そう、聞こえないから、より聴き方が重要だね!ブログに書けば?」

と言われて、美味しく食べ終わった後で、しっかり書きました。

この話は、音のある世界にいるか否か以前に「言葉のアヤ」の要素が大きいと、母に言われました。ですが、どのように情報確認を取るかという事の方が、音のない世界にいる私としては、より重要と感じた実例であり、伝えやすい内容なので挙げさせて頂きました。


皆さんは、「聞く」と「聴く」を普段使い分けをされていますか?

私は、「耳と脳 臨床聴覚コミュニケーション学試論 中川雅文著 -医歯薬出版株式会社-」と出会うまでは使い分けをしていませんでした。

耳鼻科医に、進捗状況を確認してもらった際にも、

「一般の人は、あまり『聴く』に馴染みがないと思うから、『聞く』に統一した方がいいかも。」

と言われたのですが、次の通りに
書籍「耳と脳 臨床聴覚コミュニケーション学試論 中川雅文著 -医歯薬出版株式会社-」記述されているのを読んで、使い分けの重要性などを感じた経緯を説明したら、納得をして頂きました。

ブログに掲載したものです。


今、もっと印象的となったのは…「聞く」と「聴く」の違い。

本書には以下の通りに説明されています。


「聞」という文字は「門(もんがまえ)」と「(音が転じて耳と書くようになった)耳」の2つの文字から成り立っている。音波がゲートの中に入っていくようなイメージであろうか。一方の「聴」という文字は「耳」と「十」と「目」と「心」の4つのパーツから成っている。部首である「耳」、これはこの場合、耳そのものを表している。「十」はたくさんという意味で、たくさん「目」配りして、注意を向けよという意味を含んでいる。さらに「心=脳」で受け止めよと言う意味をも内包している。「聴く」という漢字は「聞く」にはない「心で受け止め咀嚼(そしゃく)し、理解すること」という意味が含まれているのである。



私は、「聞く」は不可能だけど「聴く」は可能。

もっと聴く事を高めなければと意識させてくれる言葉となりましたし、ずっとこの思いが深まるものである事は確実です!

ここが心に響き、納得したその日から、「聴く」事の重要性をより意識するようになっています。
聴者であれば、「聞く」事で得られる情報も、そうではない私と同じような立場である人々にとっては、いかに「聴く」事でカバーするか、対応力が不可欠です。

先ほどの「イカナカッタ論争」は小さな事であり、ゆっくり聴く事で分かるので最終的にクリアとなります。しかし、もっと複雑だったり大切な事柄については、いつ・どのように、そして誰に、どのタイミングで確認や聴いてみるか、難しいこともあります。
そして、ここまでさまざまな事を把握していて、診察時に受けた口話テストにおいても96%の確率でできると認定されています。しかし、この立場にあっても、どうしても不可能の場合があることも、これまでに経験してきています。
その時は、早く相手に読み取れない事を伝える事こそが、会話を円滑にするための近道です。

今、お読みくださっている方々の中に、聴覚障害当事者にとってサポートしてくれる情報・アイテム・福祉サービス・パートナーについて、ご認識のあるのはどれほどでしょうか?

まず、「電話お願い手帳」については、私も偶然数年前に頂くまで知りませんでした。また、報道でも取り上げられていない様子を見ていると、おそらく広域には知られていないものと想像しています。
これはその名の通り、当事者が電話をしたいけれど音声認識が不可能だったり、聞こえづらいために自身だけでは、どうすることもできない時、誰かに助けを求めるために必須な基本的なメッセージがまとめられている手のひらサイズの手帳です。電話以外では、避難所などでアナウンスされた内容を確認する際に、ポイントをつかむ事が出来るページもあります。指で指し示すだけで、最初のアクションは起こすことができ、筆談が苦手という場合にも有効なアイテムだと思います。

次に、「目で聴くテレビ」。
この番組は、聴覚に障害のある方のための放送局です。
1995年の阪神大震災の教訓をふまえ、
全日本ろうあ連盟、全日本難聴者中途失聴者団体連合会
などが中心となり、98年からCS放送(通信)をスタート。
聴覚障害者自身がキャスターや
カメラマンとして番組制作に参加。
ニュースや地域の話題からスポーツ、手話学習、災害時の情報まで、手話と字幕をつけてさまざまな情報を届けてくれています。
私が見た回数はわずかですが、欲しい情報が凝縮されていて、とても最適な内容となっています。


さらに、日々の生活を支えとなる物をご紹介します。

1つは、振動時計。難聴などの聴覚障害当事者ととっては、音で時刻を知らせてくれるだけの目覚まし時計は役に立ちません。
そこで設定時刻になったら、バイブレーション(振動)で知らせてくれる振動時計をご紹介します。
振動だけでなく、光でも知らせてくれるものや、時刻だけでなく電話の着信も知らせてくれるものなども有りますので、自分の環境や使い方に合うものを選ぶことができます。

2つ目は、光で知るチャイム。
玄関チャイムやインターホンで来客を知るのは一般家庭では当たり前のことになりましたが、耳の不自由な方にとってはそれがなかなか難しいことなのです。
音量が小さかったり少し離れた場所にいたりすると、大事な来客に気づかいというような事も往々にして起こりえます。
そんな不便を軽減してくれるのが、光で来客を教えてくれるチャイム。訪問者が玄関先の押釦を押せば、室内の本体から音とともに光が点滅して来訪者のあることと知らせてくれます。

3つ目は、聴覚障害者用通信装置
(ファックス、テレビ電話など)
一般の電話に接続することが出来、音声の代わりに文字等により通信が可能な機器であり、障がい者が容易に使用し得るものを家電量販店で既製品の中から選んで、希望の機種のお見積りを作成してもらいます。認められて限度額内であれば、公費負担により支給されます。
ただし、聴覚障害を補う目的以外の複合機などの高度な機能が付いたものは認められません。また、限度額を超えた場合には、その超えた分は自己負担となります。
先にお伝えした通り、病院との連絡を取る手段として、特に自分から発信するには、運動機能的に不可能であるため、対応可能であればメールで連絡を取っています。この他の友人・知人などに対しても、メールを連絡手段としているます。
しかし、福祉サービスを受ける時などには、全くFAXがない状態では連絡に支障があります。ですので、基本的には連絡を受けるばかりです。しかし、自分では連絡完結できない場合には、音声電話を含めて母にお願いしています。

さらに、身の危険を知らせる火災報知器は、このようになっています。
聴覚当事者にとって、火災の初期段階での警報受信は次の2点が重要ポイントです。

1)警報音と同時に点滅光によって火災の発生を感知しうる事。
2)離れた部屋で発生する火災警報は聞き取りにくいため、連動タイプの報知器とする事。

現状では、上記要望を満たす上に面倒な配線工事が不要な「ホーチキの新無線連動方式」が良い選択肢であると思います。 具体的にはホーチキのWEBカタロ グをご参照下さい
このシリーズの火災警報機を消防法で定められた設置場所に取り付けて、聴覚障害のある方が日常居住する部屋と寝室に「無線LEDフラッシャ−」を取り付けておけば、いざというときに大いに役だってくれるものと思います。

他にもわさびの臭いで火災を知らせる「臭気発生装置」があります。
火災警報器の音が聞こえない!その不安、恐怖から開放されます。

ワサビのにおいの発生装置の臨床検査では14人中、鼻づまりの被験者1人を除き、全員が約1〜2分で起きるという結果を得ました。
臭気発生装置開発の背景
住宅やビル火災で被災される方は、65 歳以上の高齢者が50%以上を締めております(消防白書)。

臭気発生装置(WA-1型)は、住宅用火災報知器に連動して、音の代わりに「わさび」の臭いで危険を知らせる製品です。

聴覚障害者向けとして振動、光、掲示板方式の警報器が開発されています。これらの機能をサポートしながら、避難の条件を格段に高める方式として、臭気警報方式が開発されました。

また、健常者など幅広い皆様に役立てるシステムとなっております。わさび臭は、深い眠りでも起きる可能性が高く、火災時の素早い退避行動を促進することが期待されております。

わさびの警報装置

わさび臭の覚醒(目覚め)効果を滋賀医科大学の臨床試験で立証
滋賀医科大学精神医学講座と共同で、耳の聞こえにくい方・正常聴覚者を対象に、わさび臭に覚醒効果があるか臨床試験を実施しました。

滋賀医科大学
その結果、臭気ガスを吸引することで覚醒することがわかりました。

被験者(聴覚障害者・健常者)14人のうち、鼻づまりの被験者1人をのぞく全員がワサビのにおい成分を嗅いでから約1〜2分で起きるという結果を得ました。

中でも耳の聞こえにくい方は、正常聴覚者より短時間で覚醒しました。また、医師立会いの元、臨床試験で臭気ガスが人体に対し問題ないことを確認しました。

火災警報機は通常「台所、寝室、階段ホール」と言われていますが細かくは各自治体の条例によって定められていますので日本火災報知機工業会のHPでご確認下さい。

このわさびの香りで知らせる火災報知器の開発により、「イグノーベル賞」を受賞しました。

「イグノーベル賞」とは、1991年に創設された「人々を笑わせ、そして考えさせてくれる研究」に対して与えられるノーベル賞のパロディーです。そして、人や物以外で聴覚障害当事者のパートナーになってくれているのが、聴導犬です。
聴導犬(ちょうどうけん)とは、聴覚障害者の生活を安全で安心できるものにするために、生活で必要な音をタッチして教え、音源に導く身体障害者補助犬のことです。
2016年4月1日現在、日本国内の聴導犬の実働数は64頭。盲導犬と比べまだまだ不足している状況である(潜在する聴導犬希望者は、1万人いるという推測があります。
また、聴導犬も、身体障害者補助犬法の適用を受けており、公共機関だけでなくてデパートやスーパー、ホテルなどでは、受け入れを拒むことは禁止されているのですが、残念ながら…盲導犬同様、受け入れを拒否する事例があります。中には、大手百貨店に入居しているテナントの飲食店において、法律に無理解な従業員が、自分の判断で入店を拒否したケースもあります。
2008年現在、指定されたリハビリテーションセンター以外で、聴導犬の認定試験ができる補助犬育成団体は、厚生労働大臣が指定する社会福祉法人日本聴導犬協会だけです。 国際的に見ても、身体障害者補助犬の訓練と認定は、ユーザーとなる障害者のニーズと犬の習性を周知している補助犬育成団体内で行われることで、補助犬ユーザーへの責任の所在が明確になると言われています。その根拠として、日本での盲導犬認定は、盲導犬育成団体内で行われている事。さらに、聴導犬育成団体内での認定においても「身体障害者補助犬法」により、訓練士のほかに、医師(特に耳鼻科医)、言語聴覚士などの専門家の連動が義務付けられている事が要因となっています。また、障害者相談員などの「当事者」認定委員を含めることで、「当事者」のニーズを把握した上での厳密な認定試験が行われています。脳梗塞などの中途失聴による言語回復が望まれる者以外、たとえば先天性聴覚障がい者とリハビリテーションセンターとの関係はもともと薄いと言われ、リハビリテーション医よりも、各地の耳鼻科医との連携が望まれています。厚生労働大臣指定法人は、わずか6箇所しかなく、4つのリハビリテーションセンター(横浜、千葉、兵庫、名古屋)と、補助犬育成団体では2団体(長野(聴導犬と介助犬の認定)、山梨(介助犬のみ))が指定されているだけで、盲導犬育成団体のように補助犬育成団体が認定団体となることを望む補助犬ユーザーの声もあります。

上記のリハビリテーションセンターでは4箇所が介助犬訓練所、3箇所が聴導犬訓練所として、厚生労働省に届出をしている。現実に施設内での合同訓練を行っているリハビリテーションセンターもあり、補助犬育成団体での認定と共に、客観的な認定を行うことが義務付けられています。
聴導犬の育成について、一例としては、聴導犬候補の子犬(主に捨てられた犬たちの適性を見て、保健所などの協力を得て選ばれる)をソーシャライザーと呼ばれる子犬育てのボランティア宅で、人間を仲間とし信頼できるように愛情をもって育て、その後の10回以上([社会福祉法人]日本聴導犬協会では)にわたる適性テストを経て、聴導犬として育てる仕組みがあります。他に、ユニークな試みとしては、特定非営利活動法人日本補助犬協会が、引きこもりの若者に子犬を育ててもらうことによって聴導犬の育成と若者の自立支援を狙った「あすなろ学校」といった例があります。
聴導犬の育成に拍車をかけるため、(福)日本聴導犬協会では、日本で最大規模の聴導犬・介助犬訓練施設(650坪)を2008年8月末に竣工。その施設を活用して、2009年2月より「日本聴導犬・介助犬訓練士学院」[学院長・信州大学元学長 森本尚武)を開校し、後進の育成にも取り組んでいます。
できるだけ早く、多くの待ち望んでいる方とパートナーとなれる聴導犬が、増える事を願っています。

このようにその都度、どうすれば話しやすくなる方法やツールなどを、探すのも一つの楽しい発見につながります。
そうは言っても…、目の前にいる方の声が、聞こえない事への寂しさがないと言えば、事実と大きく異って、ウソになります。それでも、「音のない世界」を楽しんでいる事は確かであり、「音のある世界」に戻りたい願望はありません。
ここまで色々ありすぎるほど、たくさんの事を経験しています。厄介な面も多々ありますし激痛を伴う時には、さすがにゆとりは持てるものではありせん。それでも、ここまで症状が増えるのは、「それなりに楽しむだろう」と知られている事にあると感じています。そして、「音のない世界」への移住も、「神様からのプレゼント」だと思うのです。
そして今の世界を味わいたての頃に、まず気づけたこと…
それは、「聞こえる機能がすごかったんだ!」という点でした。
人よりも、色々発見していてそれを両親や周りの人も楽しんでくれている様子を見ながら、私自身も喜びを多く感じてきて、自信のようなものもありました。
しかし、聞こえる機能に関しては私にとっても、「ごく自然なものとして、捉えていたんだ」と。
それ以来、何かしらの機能が失われていく度に感謝の気持ちが、より多くなっています。

家族以外との会話の中でも、特に印象深く残っている中で、いくつか紹介させていただきます。

高校時代に担任としてお世話になった恩師たちに、卒業後も数回再会するチャンスがあり、楽しい時間を過ごせました。
初めての再会は、2004年成人の日。
3人目の担任で2年間クラスの一員として、お世話になった間柄です。彼女とは、在学中に女性の先生の中では最も話していました。学校生活に関係する事はもちろん、プライベートな部分も相当、話続ける私にいつも合わせてくれるタイプでした。そのため、先生と生徒という関係性は確かですが、そんな堅苦しいような立場はまず考えることがほとんどありませんでした。私の様子を察しながら時に…ママ・人生の先輩・そして友人のように様々な場面で、いつも寄り添って頂きありがたかったです。
卒業してからも、たまに連絡を取り合っていたので、「今、話したらこんな感じだろうか」など想像できる状態を、自然と保つ事が出来ていました。
成人の日に彼女との再会したかった理由は、第一に私は地元の学校に在籍した事がなく、唯一のつながりが、中学時代に通った個人塾。一般の成人式に自分が出席する姿も想像できず違和感があったので、せっかくだから自分に合っていると心から思える一日にしたいという強い希望からでした。雑音が多い中、なんとか音声電話ができて快く私の思いを聞いてくれました。
そして当日、電車で当時お住まいだったお宅の最寄り駅まで一人で行き、再会。
駅前のお店でお茶をしながら、コミュニケーションもスムーズに出来ました。
その会話の中で、「残されている聴力は、保たれるのでは?」と期待の言葉をかけてもらって、笑顔で返事をしました。しかし、内心では…「聞こえる状況でお会い出来るのは、もう不可能だろうから心の準備をしておこう」と思っていました。
その後、メールを中心に連絡は取り続けていたものの、じっくり会ってお話をする機会に恵まれず、月日だけが過ぎていきました。
再会を願う気持ちが高まる中、2013年7月。ついに、叶う時がやってきました。きっかけは、同年5月に私にとっての初エッセイ「ブログを書き続けるわけ」を医学雑誌に掲載させて頂いたことをお知らせした事でした。すぐにメールを頂いて、ランチをご一緒する事になったのです。
そして、ランチの日を迎えました。
お互いの明るさは、変わりなく話は弾みました。
しかし180度、私の世界に変わった事がありました。それは、2004年からこの日までの間に彼女は私の自宅を2回訪ねてくれていたので、すでに分かっていた事ですが…

音声からは、話を理解する事が完全に不可能になったという現実でした。

この状況にあっても、それまでたくさん話した時の雰囲気をずっと覚え続けていたことや、読唇術を身につけていた事でゆとりを持てたのです。
このヒトトキに自信を持つことできたので、他にもお礼を伝えたい先生方がいるし、エッセイの事を伝えて欲しいと伝えたら、またも喜んで引き受けてくれました。

先生達へ送って頂いたことで、手紙やメールで連絡が数人と取ることができるようになりました。まず、在学中に大変お世話になった事と、突然のエッセイを御一読頂いたことへのお礼を伝えました。

この事がきっかけとなり、10月に2番目の担任として、お世話になった恩師との再会が実現しました。
先に再会していた先生以外は、高校時代に寄り添ってくれた先生には卒業後、1人もお会いすることがなく…

10年7ヵ月という年月が経っていました。
この恩師は、先に再会した方と同様に私の様子を察して、その時々によって対応の仕方をバラエティーに富んだものにして頂き、大きなハートで支え続けてもらいました。ただ、なかなかしっかり話せないまま留年した1年間を見届けて頂き、進級決定を共に喜んでくれたところで異動された事もあり、ずっと心残りでした。ですから、やっとこの日を迎えられたことに、嬉しさと安堵感が湧いてきたことを今も忘れられません。
そして、本当に久しぶりなのにも関わらず、楽しく話せて嬉しかったです。

しかし、ひとつの問題がありました。
それは、記憶していた先生の口形や話すテンポは合っていたのですが、読唇術をするには難しかったのです。このため、ほとんど私から話し続けて、この時は終わりました。この現実は、想定より大幅に超える出来事で、マシンガントークのようになってしまったことに対して、申し訳なさを感じたことは未だに色濃く、脳に刻まれています。
そのような感じだったのに、お礼メールを送ったところ、「また会って、今度は一杯やりましょう」という内容の返信を頂けて、在学中と同じように助けられて嬉しかったです。そして、今度はもっと言葉のキャッチボールを楽しみたい!!
このものすごく強い思いから、彼女と似たような話し方・口形の女性をテレビなどで見つけると、食い入るように見つめながら、2人で話す時のシーンを思い浮かべていました。でも、なかなかコツを掴む事に辿り着けず、メールのやりとりを続けながらも、時ばかりが過ぎていきました。
そして、ようやく大丈夫と思えるようになった2015年8月。
「デートの先行予約ってアリですか?」と、メールで聴いたら、快い返信を頂く事が出来ました。

そして同年10月、2年ぶりの再会ができて、学校でお世話になった先生とは、初めての女子会が実現しました。
この日も、最初からワクワクしていました。そして、注目していた読唇術もスムーズとなり、ほぼ一方的に話し続けた前回とは大きく違い、聴きたい内容も伝えられて、またひとつ小さな自信がつきました。さらに、またお会いしたい気持ちも、ためらう事なく全面に出て来ました。
これからも、形を少しずつ変える事はあるとは思いますが、お2人とのつながりを大切に、そして楽しみ続けたいです。

また、時を遡ると…まだ大幅な運動機能低下をする前に、こんな事もありました。

整形外科の病院で、順番待ちをしている時の事でした。
同じドクターに診てもらうために、待合室のベンチに座っていた初対面の男性が突然話しかけてきて…

「一人で来たの?」

「ちゃんと、話せているけど本当に聞こえないの?」

「唇の動き読み取っているの?すごいね!!」

英語も好きだと話したら…

「英語も勉強するなんて偉いね!!」

周囲の人にも広めていました(笑)

「電動車椅子のバッテリーは1回の充電で、どれくらい使えるの?」

「電動車椅子の費用はどれくらいかかるの?」


とほぼ質問攻めで終了しました。


そして、いざ診察へ。

そうしたらドクターからさっそく…

「さっきまで、何を話していたの? おじさんの声ばかり聞こえていたけど。」

と聴かれて、

「ほとんど、質問攻めだったよ。 私は聞こえないけど、体でおじさんの声の振動をたくさん感じて、どっちが聴覚障害者かわからなかった。」

と答えたら、

「本当に分からないね!!」

と側にいたスタッフさんたちと大爆笑して、診察終了となりました!!





他にも、様々な事を楽しむスタイルも大きく変わったり、新たに好きになったり、じっくり味わうようになった事が増えました。

楽しみ方が変わったものの中で代表とも言いたいのが、音楽です。
聞こえていた時も、多少は歌詞を楽しむ事はしていましたが、どうしてもノリの良さなどの方が、勝っている状態だったと思います。
今は一言ずつ味わうように、じっくり読んでいます。
さらに、新たな楽しみ方が増えました。
リズムは振動によって楽しめます。さらに、キレのいいダンスを見られると、歌詞を覚えているものであれば、歌詞が出ていなかったり、歌手の口元が見えない状況でも、かなりノルことができます。

さらに、ダンスの振り付けの中に手話またはそれに近い表現が入っている曲も多くなり、より楽しみやすくなっています。

初めて一部の振り付けが手話に近いと思ったのが、SMAP「世界に一つだけの花」です。
最初の頃は、メッセージ性の強さから純粋にこの曲そのものが大好きになりました。高校の卒業式の際に、使われていた場面も今も頭の中で、楽しく回想しています。この曲のCDが発売されたのが2003年3月。この年の8月に、聴覚異常を感じ始めた私にとっては、健聴の耳で聞くことができ、自信をもって歌えるラストソングとなりました。こんなに大好きになれる歌が最後となったことに幸せを感じています。この曲は、今も自信もって歌い続けられているうちの1つで、心のパワーとなっています。また歌い続けられている限り、運動機能などに更なる障害が増えたとしても、明るく過ごせると思っています。
この他には記憶の範囲内では、「Not alone〜幸せになろう〜」と「Yes we are」の一部に手話または手話のような表現が入った振り付けで歌っていて、どちらも好きになりました。そして、これから他の歌手も含めて、どんな曲と出逢えるのだろうかと待ち遠しい思いで、胸が高鳴りました。
最近の曲の中で、他の歌手グループで印象深く残っているのは、乃木坂46とAKB48です。
乃木坂46は、2015年10月にリリースされた「今、話したい誰かがいる」のミュージックビデオの中で、聴覚障害と健常者が、手話と筆談によって、少しずつコミュニケーションをとるうちに、お互い心の壁がなくなるというストーリーをメンバー達が演じています。この映像を見た時に、たとえたった一言だとしても、伝えられる事、それ自体が大きな喜びや次への架け橋になると思い、なんだか心がホッコリしました。
AKB48は、朝ドラの主題歌にもなった「365日の紙飛行機」で、曲の中で最もメッセージとして発信したいと思って書かれたであろう…

「人生は紙飛行機
願い乗せて飛んで行くよ
風の力の限り
ただ進むだけ
その距離を競うより
どう飛んだか どこを飛んだか
それが一番 大切なんだ
さぁ 心のままに
365日」
の部分のほぼ全体手話を使いながら、歌っているので、私も手話で一緒に歌っていてます!

歌番組以外にも、テレビで音楽を楽しめる機会がありました。見られたことがとても嬉しくて、2015年8月と2016年1月にそれぞれ、見てすぐにブログに以下の通り掲載しました。

今、タイミング良く見たら手書きで楽譜を書いたり、絵の具の色によって「目で楽しめる音楽」をベストなスタイルで届けてくれて、嬉し過ぎます!(2015年8月)

今回は、ベートーベンの「運命」。

CG画像を駆使し、音の長短・楽器の増減をグラフのような図形などを組み合わせ、「見える音楽」を楽しめました(⌒‐⌒)

昨年、この番組を初めて見て、また楽しめる事を期待していたので、嬉しいです(^-^)

次は、どの曲を何を使って表現してくれるかなぁ?(2016年1月)

次に、音そのものを音として認識は不可能ですが、高低差は体の振動となって感じることができます。高いほど頭の近くで、低いほど腹部に近くなります。
この高低差を感じる方法は、人の声のポイントをつかむ時にも、活用できます。

スポーツを見ることも大好きで、よくテレビ観戦しています。
いろいろな競技を楽しんでいる中で、「聴くこと」にポイントをおくと、フィギュアスケートと大相撲が大好きです。

フィギュアスケートは、記憶にある曲を使用していれば、頭の中で演奏を思い浮かべながら、選手の演技全体を楽しみます。知らない曲での演技の場合は、流れている曲から感じる振動と演技を組合わながら、世界観に浸ります。高校生ぐらいから少しずつ関心はありましたが、最初はなんとなく見ていました。それが今では、シーズン中はテレビ放送をワクワクしながら見るぐらいまでに、夢中にさせてくれるものへと、大きく変わりました。
大相撲は、子供の頃からテレビを見ていたので、自然なものとして受け止めていましたが、それほど好きではありませんでした。ところが、数年前から自分でも驚くほど好きになり、今では、本場所中はブログとLINEで何かを伝えられずにはいられないほどになりました。
中でも、イチオシ力士は臥牙丸 関。
彼は、なかなか決め切れない取り組みが多くて、ハラハラの連続のため正直、15日間は落ち着けないのが本音です。
でも、感情を豊かに表すキャラクターが体の大きさからは、とても反比例していて、たまらなくなるのです。
負けた時は、今にも泣き崩れそうなくらいの状況で、花道を引き上げていきます。
勝った時には、満面の笑みで土俵から下がり、奥にあるモニターで自分の取り組みを確認する際も、周りの人に見て欲しくてたまらないお茶目な一面も。さらに、インタビューがあるとインタビュアーから「もう、時間がありません。」と言われるまで、話が止まらず物足りない表情を浮かべることもありました。
彼の話は、口形がわかりくくて読唇術には向いていません。字幕放送のおかげで楽しむ事が出来ています。
このように音楽や声の振動によって楽しめることは多くあります。今後も、どのように更なる深掘りができるのか、想像するだけでも笑顔がこぼれそうです。

次に、トーク番組や落語も楽しみ方が奥深いものとなりました。
この2つも、子どもの頃から好きでよく見ています。まずトーク番組に関しては、健聴時には分かりやすいところだけを切り取って、そのポイントとなるものがいくつか集まると、自分なりにまるでジグソーパズルを組み立てるかの要領で、ストーリーを自己完結させて満足でした。このため、うまくタイミングが合えば集中して見られていました。一方で、一旦迷路に入り込んでしまうと…脳内で空中分解を引き起こし、そこでその内容に関する思考は完全に停止していました。なので、この事態が発生中に不意に感想などを求められたら、表現をする事が出来るまでに時間がかかり過ぎて、貝になる事が多すぎていました。結果として、よく母に「それで終わり?」と、よくガッカリされたものです。今となっては、そのような反応されてしまう事が、手に取るように理解できます。しかしその時には、「なぜ、この状況が伝わらないのだろうか。私特有の感覚なのだろうか」という疑問とともに、もどかしい思いが増幅していくばかりで、悔しさが際立っていた事が思い出されます。
ところが、このような混乱が「音のない」状況で見るようになったら、みるみる間に頭の中で、まるで霧が晴れるかのように吸収できるようなった情報量が、大幅にアップしました。その方の声は、聞こえないことについては残念な思いは間違いなく私の心の中にあります。一方で、ここを字幕放送やテロップから分かる言葉たちを一点に見つめられるようになったり、その会場を訪れているかのような臨場感を味わえる最大のチャンスだと自然と気づくことができるようになったのです。
この変化を得られたことで、かつての断片的程度にしか吸収出来なくて見たらそこで終わりの基本から、抜け出せる事が格段に増えたのです。こうなると、誰かに見た内容と合わせて感想を伝えたくて、そこに寄せる思いは高鳴り続けます。さらに、ブロクにも発信したいとより素直に思えるようになり、自分が書いた記事に反応が寄せられる事も徐々にではあるものの増えて、いろんな角度から同時に楽しむ事が出来ています。伝える力・書く事のスキルは、まだまだ課題山積ですが…、番組そのものを楽しむ・その内容と感想を誰かに伝え、さらに、ブログ記事として書き続ける事の連続こそが、今の私にとってのサイクルであり、とにかく回数を経験する事が重要と考えながら、コツコツと実行中です。

そして、落語も幼い頃からよく見ているもので、成長などにより楽しみ方が変化し続けているものの1つです。
ただ、トーク番組と同様に健聴時には、まず、話のテンポにいかについていくかに始まり…自分が理解できる範囲内の特徴的なツボがないと、ただ、きょとんとしながらテレビ画面を見つめているだけで、面白いと思えるところを見つける主導的な部分は大きく欠如。ただひたすらなまでに、そのツボとなるものが、やってくる事を待ち続けるという完全受動的な見方をしていました。これは、特に落語という全体の情報そのものから、ほんの少しだけ切り取り、音声から理解できるところ限定して見ていたために、このような状態が発生したと考えられます。
ところが、これまた音声情報を失った事で、まるで高級昆布を噛み締めて、じっくりとその味を噛み締めるかのように、深掘りできるようになったのです。
落語に関して触れるに際して、改めて落語とは一体どういうものなのかなど、情報となるページを検索したところ、「あー!こういう事を伝えるポイントといしている日本固有の伝統なんだ!」という事が明確になりました。さらに、基本表現は「仕草」・「表情」・「書く」・「服装・効果音」などに至るまで、豊富である事に気づくことができました。この事によって、手話によるコミュニケーションをする時と、同じように読み取りやすいポイントが凝縮された話術芸能であるという点に結びついたのです。
もちろん、字幕放送があればストーリーがより明確になりますが、仮になくても、落語家の方の姿がはっきり見える状況であれば、聴者とともにその世界を共有できるものであり、その旨みのようなものをたとえ少しずつであっても、味わえる状況にいられている事に、改めて小さな幸せを感じています。
落語に比べると、まだまだ歴史が浅く知名度も乏しく、番組でお目にかかる事にも恵まれていないですが、手話落語もあります。
特徴としては、主な対象は聴覚障害者ですが、健常者も一緒に楽しめるようになっています。演者は手話を用い、基本的に自分では口を使いません。
目に見える形で認知度が上がらないのには、以下のような難題などがある事が理由として、思い浮かびます。
まず、手話のわからない健常者向けに通訳が入る場合が多いことにあります。通常の落語でよく用いる語呂合わせなどの手法は取り入れるのが難しいため、もっぱら小噺をメインに据えた高座になることが多いのです。また、落語には手話にない単語が登場することも多く、その分工夫が求められる現状に加えて、取り組んでいる演者が少ない事も大きな要因となっていると想像しています。
クリアーすべき点は、山積しています。地道な作業などの繰り返しとなるとは思いますが…
「静けさの中に隠れている多くの面白さ」

を共有しやすくなる事を、願わずにはいられません。

さらに、私が産まれた頃からの歴史がある英語落語。その醍醐味は、落語を単純に訳して一つの噺とするのではなくて、どう英語で表現すれば文化も宗教も習慣も異なる人々に理解してもらえるか?、にあると思います。ですが、国は違っても、ユーモア、人の情け、失敗を笑い飛ばしてまた「顔晴ろう」(がんばろう)と思う心は共通で、それが英語落語が共感を呼ぶ理由ではないかと思います。さらに、日本語では意味が捉えきれなかったりする部分も納得できるきっかけとなっています。
そして、先ほどの「顔晴ろう」(がんばろう)には、顔・表情を晴れやかにできるようできる瞬間を大切にしようという、思いが込められています。
「頑張ろう」という言葉に抵抗感がある私も、「顔晴ろう」には心が和みます。

これからも、江戸時代から伝わる落語・発展途上中の手話落語、そして海の向こう側まで渡った「RAKUGO」までそれぞれに発見などができる事を、まず、私自身に対して期待して更なる発信になればと思います。



ですが、振動も様々なものが存在します。楽しめる場合ばかりではありません。「音のない世界」にいるからこそ、聴者より感じる事が多すぎて、聞こえていれば、わずかな差とだと思える事も、過剰反応をしてしまう事もあります。

例えば、レストランで注文したものがテ
ーブルに置かれる時。これは、電動車椅子に乗っている事によって、膝とテーブルの近いことも事実ではありますが、この他にも理由があります。少しでも勢いがついている状態で置かれると、振動が大きくなるため、びっくりしてしまうのです。これは、動作を見る事で心の準備をしていても追いつかず、困ってしまいます。どうにか、軽減方法があればとずっと願い続けています。
他には、外出時に母の運転で乗車している福祉車両のタイヤの空気圧変化を感じることです。私は、幼い頃からずっと乗用車に乗って、数え切れないほどの通院・通学・外出を経験させてもらっていますが、2006年に「TOYOTA Noah」にして、中列の位置に電動車椅子のまま乗るようになるまでには経験がなかった事です。
これは、一般の方にとっては気づかない程度のわずかな空気の減少であっても、まるでディズニー映画「アラジン」に出てくる魔法のじゅうたんに乗って、どこかに行くかのように、「フワッ」と浮き上がる感覚があるのです。
さらに、自然現象では地震や雷に対しても、察知が早くなったり、感じ方が変わりました。地震は、震度1でもかなり正確に感じてしまうため、まず、テレビのテロップ表示をじっと見つめて、自分の居住区または隣接区で観測された事が確認できれば、それで納得します。でも、表示が出ないと…納得するまでスマホで確認します。
雷は稲光を見た後、お腹を中心に下から振動を感じます。さらに、近年のは激しく数多くの和太鼓みたいな響きを一斉に感じますので、驚き方も半端ではありません。
気象変動には、元々振り回されやすく頻繁に「不連続線」から引き起こされる症状を経験し続けています。「不連続線」とは、気圧変動によって様々な症状が表れる病気の一つで、症状は人それぞれ全く異なり、頭痛・めまい・関節痛など、その人によって様々です。
そして私の場合は、低気圧に左右されて、検査で確認した事はありませんが、脳圧が上がる感覚があり、頭痛・頭重感・平地から標高が高い所などに移動した時などに経験する耳づまりが、その場所におとなしくいる状態であっても、症状は出てしまいます。さらに、最もひどい時には、生きているのか心配されるほど眠り続ける事もありました。
長く付き合っていても、成人をすぎるまでは、その都度ひたすら、その症状が通り過ぎるのを待つばかりでした。
母は、私が幼い頃に小児科医から「障害当事者は、低気圧に弱い」と聞いていたそうです。しかし、病名はずっと知らずにいました。
そしてある時、「天気に体調が左右される事はありますか?」と耳鼻科医に質問されて、先ほどお話した内容と同様に、諸症状を説明したところ、この診断に至ったのです。
そして、徐々にポイントが分かるようになり、現在では、以前ほどは振り回されやすい状況にはなりにくくなっています。
ちなみに台風が発生したら、まだフィリピンに停滞している状況でも、影響は受け始めてしまうのです…正直、この過敏反応はいりません(笑)
  • 2016.06.03 Friday
  • 11:17

Deaf Report

「聴くこと と 聞くこと」(加筆中)

私は、水頭症を合併した二分脊椎症者として、生まれました。
移動手段は、外出時は就学直前ぐらいから手動車椅子を利用。高校在学中からは、元々、手動車椅子の操作が下手だった事や、行動範囲を拡げる事を考えて、電動車椅子に切り替えています。自宅では、ぎこちないハイハイを長い間していましたが、2009年に急激な運動機能の低下をして以降は、ずり這いをしています。

学習面では、通園施設と幼稚園・保育園を経て、義務教育は身体面を重視して特別支援学校に、高校は社会生活への準備期間として一般校に在籍しました。
様々な症状を経験する事が、年齢を重ねるにつれて増加していっても、自分なりに、楽しむ日々を送っていました。予期せぬ体調不良や症状増加は、それまでも、周りの症者の方々と比較しても幼い頃から早かったので、この先もその点においては、変わりないだろうと思っていました。

ただ、聴覚を除いては…。

2003年のお盆に3ヶ月ぶりの外出で、父と暑い中、汐留に行きました。
張り切りすぎた結果、熱中症により1歳の時から通院している小児科の病院へ救急搬送。熱中症の症状が落ち着いた夕方に、聴覚異常を感じたため、すぐに症状をドクターに伝えるも…

熱中症に伴う一過性症状程度に診られて…相手にされぬまま診察終了。

19歳のこの日が訪れるまでは、健聴だったので、この先もその状況が続くものと思っていました。しかし、自覚症状が現れた数日後に聞こえた救急車のサイレンの音に同じ乗り物とは思えないほどで、左耳からはJ-POP、右耳からパンクロックを聞くぐらいの差があり、J-POPのような感覚が押し流されるほどでした。そして、このサイレンの音を聞いたその次の瞬間には…

「もう、回復どころか悪化するのは、間違いないだろう」と確信へと変わりました。
その後もまるで、その予測は「正解だよ」と言われているかのように、毎日低音から順に一つずつ消え去っていくことの連続…だんだんと左耳から入ってくる音も、右耳と変わらなくなっていったのです。
今まで、聞こえていたことに感謝した上で、別れを告げていました。

症状への理解を得る事は、困難だと判断。脳外科医に、小児科で伝えた経緯と共に説明をした結果、早期の耳鼻科受診を勧められました。
この病院では、小児科でオーダーを出してもらう事が必須なので、再度受診しました。難色を示して、相手にされなかったあの日とはまるで違い、ものすごくスムーズな対応でした。

そして2004年2月、念願だった耳鼻科の初診。この日にドクターからかけて頂いた言葉に、感動した事を今でも、鮮明に覚えています。

「私は、二分脊椎症について研究をしているけど、研究が足りなかったらゴメンね。」

それまで、多くのドクターに出会って来ましたが、このような強いメッセージを届けてくれた事はありませんでした。
聴覚症状としては、「音のある世界」にいられたものの、雑音が多すぎて「音のない世界」への移住が相当進んでいました。そのため、病院の予約・キャンセルも、元々FAXも機能的に難しいという事を伝えた上で、メール対応可能と言っていただいた場合には、ありがたくお願いするようになりました。
私は利用した事がありませんが、数年前から少しずつ聴覚障害者が利用しやすい通話環境がアプリなども含めて拡がりを見せています。その一つに、「電話リレーサービス」があります。このサービスは、聴覚障害者が電話を一人でかけられるように、聴覚障害者と電話のかけ先(聞こえる人)を電話リレーサービスセンターにいるオペレーターが、テレビ電話を活用して、文字や手話と音声の通訳をすることにより、電話で即時双方向につなぐサービスです。
しかし、私が利用するには向いていないと思っています。理由としては、私は家では寝たままの姿勢で過ごしています。外出時は、電動車椅子に乗っている分、手の動きにもゆとりはできます。ですが仮に、スマホを固定した状態にできたしても、体勢が不安定なので、コミュニケーションをする以前に、相手に自分の姿を見せる状態を持続する事が困難だからです。
他に調べた範囲内では、チャットを活用しているサービス団体もあるようです。
いずれにしても、いきなり本番は無理なのは想像できます。まず、体験を重ねていくことが必須です。
そのため現段階では、メールが視覚から情報が得られて、確実に連絡が取れる手段となります。そして、自分で連絡できる事に対する喜びも大きいのです。
今後、多様な連絡ツールが利用可能となる事に希望を持ちながら、技術進歩の情報にも、接し続けたいです。そして、出来ることなら、まず、当事者の1人として体験できる機会を増やして頂く事から、裾のが拡がればいいなぁと強く思っています。

2006年10月 病名「 巨大水頭症の悪化による聴覚失認 または 皮質聾」という診断に至りました。ABR検査では、脳と耳から指令が出ていて正常。まだ、診断の可能性を諦めきれずにいたので、自ら希望して撮影したMRIの結果を診て、

「聴覚神経が圧迫されているため、音声認識ができない状態である」事の説明を受けました。
診断前の一時期、耳かけ型補聴器を病院からの貸し出しという形で、使用していました。しかし、振動から得られる感覚を求めすぎるあまりに音量を、常に、最大にして使用していましたが…

「これは、聴覚本来の機能も失う事になり、耳にとって負担が大きい」
というドクターからの話を聴いて、利用を中止しました。それ以降は、全く使ったことがありません。さらに、この日を迎えられるまでの間には、感音性難聴の可能性に触れられた事もあり、人工内耳の手術の話も出たことがありました。
ですが、MRI画像を見てドクターが、安堵の表情を浮かべながら…

「あの時、急いでオペをしなくて良かった。」

と話してくれた事が、今でも鮮明に脳裏に焼き付いています。
この診断を受けて、聴覚障害者としての証明と利用可能な福祉サービスをスムーズに受けるために、身体障害者手帳を更新しました。それまでの障害に加えて、「聴覚障害2級」が記載されています(手帳上では、聴力障害とされている)。私自身も手帳更新時に知りましたが、聴覚障害としては2級が最も重度となります。聴覚障害をほとんど有していると思われている「言語不明瞭」の部分がありません。むしろ、聴覚障害になってからの方が、相手に伝えたいと思う意思を強く持つことで、はっきりした発音となり、健聴の頃から知っている方にも、「今の方が聞きやすい」と言われるほどです。世間一般の考え方で見ると、障害が増える事はマイナスと捉えられる事が多くあります。確かに、障害が増えれば不自由さは多くなり、必要となる説明は長くなる一方です。
また、同じ二分脊椎症を有する方であっても、水頭症の有無によって、子どもの頃から、目には見えない心の壁も感じてきたのも事実です。
具体的には、特に運動機能や学習面において、「お宅は大変そうだけど、うちはその点に問題ないから」と、はっきりと言われる事も幼い頃から良くあって、つらくなることもありました。症状が増えるにつれて、その溝は深まる一方で、同じ病名と診断された症者の中であっても、1つは自分の身の周りの事が一通りできる運動機能的に私よりは軽度の当事者、もう1つは、自分と同程度の介助を必要とする症者といった感じに大きく2つに分かれている事を、受け止めるしかありませんでした。しかし、後に私より軽度な方々に様々な症状が発生し、慌てている姿を目にすると、先にいろいろと経験出来ていて良かったと思います。
さらに、聴覚障害診断までの数年間、他のあらゆる症状をベテランに訴えても、診断が不可能な事の連続でした。
そのため、心因性と判断される事がとても多かったのです。その事が要因となり、心に大きな雪だるまが出来るほど、積もり積もったものとなっていくばかりでした。頭では、解らない事もあると理解しつつも、どうしても納得のいかない時を、ずっと過ごしていました。
そのような日々が長く続いていても、症状そのものとの付き合いは、尋常でない激しいものに襲われていない限り、楽しむ事は変わっていませんでした。
しかし、さすがに診断には絶望的な気持ちが膨れ上がって、次第に…


「もう、私が生きているうちに納得のいく診断は、されないのではないか」

と、心は諦めの境地に向いてしまっていました。

そして、「ここまで、調べ尽くしてくれた上での結果だから、受け入れよう」

とMRI診断の直前は、一つの覚悟をするかのような勢いで、自分に言い聞かせるようにしていました。

ところが、聴覚障害の診断を受けられたことで、他の症状についても諦めきれずに伝えながら待つ事ができれば、心因性診断が減少して…
いつか、解明へとつなげる事ができるかもしれないと、「希望の光」を見ることが出来ました。
ドクターによれば、このケースの聴覚障害を正確に理解している耳鼻科医は、当時の時点で…世界で10人程度だと聴いて、良い出会いに恵まれた事に感謝しました。その一方で、たくさんの誤診が続いているであろう現実を想像したら、ゾッとせずには、いられませんでした。

幼い頃に、中耳炎や外耳道炎を繰り返していた影響からなのか、自然とある程度の読唇術が身についていた事がどこに行ってもほとんど困る事はなく、楽しく過ごしていました。実は、聴覚異常を本格的に感じるまで、何か問題が発生すれば、開業医の耳鼻科をその都度、受診する程度で、ずっと聴覚症状には注目することが、そもそもありませんでした。そして、脳外科医が耳鼻科受診を勧めてくれたのは、1人の二分脊椎症者の方が聴覚障害を発症した事を知っていたからでした。しかし脳外科としては、問題にならない程度の小さなシャントトラブルの積み重ねが引き金となって、聴覚障害につながる症例については、ご存知ではなかったようです。
2006年4月にシャントトラブルがCTで確認されて、脳外科診の翌日に入院して、その2日後に手術しました。
退院後の初めて耳鼻科診で、シャントの再建術によって聴力の回復の可能性があった事を聴きました。しかし、オペ以前の3年間CTを撮り損ねているうちにシャントトラブルを起こして、聴覚神経を圧迫しすぎていて、回復はしませんでした。
この経験から、私と母は、シャントのチェックを目的としたCTの撮影が耳鼻科の観点からも重要である事を、水頭症を有している方とそのご家族に伝え続けています。ですが依然として、水頭症と聴覚障害との関連性への関心や認知度などは、広められていない状況でなかなか変化を感じられないままです。

就学前から英語が好きで、ひらがなより先にアルファベットを遊び感覚であっという間に覚えてしまうほどでした。
母の主導の下、色々と学習機関に連れて行ってもらっていました。私には、元々の障害の一つとして、四肢機能麻痺があります。これにより、書字速度も一般に比べ遅いため、たくさん書いて覚える事は、現実的ではありません。この点を、考慮しながらどこに行けばいいかを良く選んでくれて、行く先々、全部大好きになりました。

その中で、今、振り返ると中学時代に1年半通った地元の個人塾が唇の動きを読み取るための基礎づくりとなりました。ここでは、外国人に通じる英語を目指して、発音の徹底を求められる厳しい授業の連続でした。
先生の唇の動きと発音を、吸収して自分も発音練習したり、発音された単語を書いたりするトレーニングを徹底されて、正解した時の喜びは絶大でした。
この頃はまだまだ、読唇術という言葉すら知らない時でしたが、音声以外からも情報を得る方法を知る大きな機会となり、原点です。
更なる精度向上を求めて、2007年6月から3ヶ月間(週1回)、東京都主催の読話講習会に参加しました。

この講習で学んだことをきっかけに、それまで感覚で身につけていたもの加えて、知識を増やすことができました。そして、読唇術というものは、そもそもどういうものであるのかから始まり、相手にどのような対応をしてもらう事が、読み取りやすくする事に、つながるのかなど全体が網羅されていました。さらに、コミュニケーションをする時には、もちろん、読み取る側になるばかりではありません。読み取ってもらう側になる事も、必ず想定する必要があります。その点への意識を高めるために、当事者同士がペアを組み、相手の話を読み取る事も実践しました。読唇術は、もちろん唇の動きを読み取る事によって、コミュニケーションが成立します。さらに、唇だけを見ているのではなく、舌・表情筋そして、相手の反応を見てスムーズになります。

さらに理想としては、口の動きを親指1本が入る程度にして、スペースに余裕があり可能ならば、前方斜め45度から話して頂けると、格段に読みとりが行いやすくなります。そして、ここで学んだポイントが大きなヒントとなり、あくまでも内容の理解は別として、日本語・英語・中国語・韓国語の違いは、読み取れるようになりました。

この他のポイントとしては、テレビ・本・雑誌などで、様々な情報にふれて知っている言葉を増やしておくことが重要です。それから、これは私がここまで運動機能的に1人で動けない事が関係しているために、より感じやすいと認めた上で…、メールでのコミュニケーションも、語彙を増やす手段としてとても有効だと思っていて、フル活用してスマホにしてから、LINEをなくして過ごすことは、完全に不可能と感じるほどです。残念ながら、ニュースではメールの悪用事例・事件を目の当たりにする事が、ほとんどです。そのリスクについては、決して軽視できるものではないのも心得ています。その点に注意しながらも、会話をしていない場合、どのような事態に陥いる要因の一つとなる危険性も考えられないでしょうか。それは、聴覚障害自体から発生するコミュニケーション障害に加えて、さらにバリアとなる引き金となりかねないと、一種の危機感があるのです。
本レポートは、聴覚障害当事者の1人として書かせていただいておりますが、音声言語でのコミュニケーションが困難・もしくは不可能な方々は、多くいらっしゃいます。言語障害を有する場合や、気管切開またはガンなどによって声帯摘出をされた方たちです。
その中で最近、より関心を寄せられた著名人が、歌手 つんくさんです。

2016年3月の報道を見て、以下の通りブログに書かせていただきました。

「被災地の子供たちとコンサート」

これは、NHK「おはよう日本」で放送された歌手 つんく♂さんが中心となって、取り組まれている活動です。

一昨年、ガンのため声帯摘出。
歌を歌うことで、パワーやハートを伝える事は出来なくなりました。

しかしこの経験が、「まだまだ音楽を関わる方法はたくさんある」と新たな発見につながったのです。

コンサートで合唱する歌の作詞。

そして、指揮者と参加して、歌詞に込めた「生きる喜び」を全身で伝えていました(o^^o)♪

コンサート後、関係者の前で話す姿もありました。

現在のコミュニケーション手段は、筆談やパソコンに書いたものを代読してもらう他、LINEも活用されています。

この姿を見て、多くの聴覚障害当事者・聞こえにくい人々・声が出しにくい人・失語症の方など…
多くの人たちに、コミュニケーションの取り方は多様であることを、伝えてくれたので嬉しく、心が温まりました☆彡

さらに、聴覚障害者には、話をする事が難しい「コミュニケーション障害」と、災害発生時には、給水や食事などの提供に関する内容をうまく知る事ができない「情報障害」があると、「音のない世界と音のある世界をつなぐ 〜ユニバーサルデザインで世界をかえたい!〜 松森果林著 -岩波ジュニア新書- 」にも、明記されていて、コミュニケーションツールは、日常的に複数を使いこなせる事が大切となります。そうすれば、突然の事に遭遇してしまった時としても、最初こそ少しずつかもしれませんが、自分らしく居られるポイントを増やすことが出来て、小さな安心を積み重ねられる、きっかけになるだろうと思います。そして、その言葉を発する時に自分だったら、どのように唇・舌・表情筋を動かしているか、知っておく事で言葉数が格段に増えて、相手との会話のキャッチボールがより長く続けられるコツになると思います。

ここまでは、読唇術をするための準備段階です。

そして、この先が本番となります。

普段、ほとんど日本語を話していますが、人の口形や話し方、そして方言などによって少しずつそれぞれ違うものです。
そのため、単に日本語である事にこだわり過ぎると、意味を理解する事ができなかったり、たまには1単語も読み取れなくなるのです。

結果として話がつながらず、頭の中で混乱し、楽しめなくなるのです。
そこを少しでも、クリアにしていくために大事なのが、多言語に触れることなのです。
私は、幼い頃から英語が好きでずっと発音重視の教育を受けさせてもらいました。中国語は、高校の選択科目としてかじっただけです。韓国語は、テレビドラマなどを眺めるだけです。
それでも、言葉にこんなにも違いがあるのかと、たくさん気づかせれてくれるほど、感じるものが多いです。
日本語は、はっきりした発音で静かに話す標準語がベースとなっています。

それでも、口形やその人が慣れ親しみ使ってきた方言によって、全く違う言語に見える事が多々あります。

それは、同居する家族であっても例外ではないと日々、感じています。

私の両親は、母は京都出身、父は埼玉出身です。

母は、口形もテキストにしたいほど読唇術に最適で、生活に困らない程度の手話も知ってくれているので、コミュニケーションはスムーズです。
手話を知ったのは、小1の時でした。きっかけは、身近に1人の聴覚障害当事者の方がいて、少しでもコミュニケーションを楽しみたくて、少しずつ覚えていきました。
成長するにつれて、声も出すのも不可能な症状を襲われる事も多くなり、自分の意思を伝達するためのツールとして、活用し始めました。指文字を母から教えてもらって以降、使う事が増えました。聴覚異常を感じた際にも、小児科医に、手話を使いながら症状を伝えようとしました。
しかし、「話せないなら手話を使うことを理解するけど、話せる状況で使うのは、話す事から逃げている。」と言われて、一瞬戸惑いました。
そこで、すかさず対応してくれたのが母でした。
手話を使いながら「私に症状を伝えなさい」と言ってくれた事に、救われました。今振り返ってみても、母に感謝する気持ちに変わりはありません。そして、症状そのものを体験する事にも、場合によって怖さを感じることも多いです。そして、症状を伝えられない事はそれ以上に不安や恐怖をよびかねないと思った事が、未だに頭から離れることはありません。
一方で父は、口形から言葉を読み取るのは難しい上に、一つも手話を知らないので、とにかく読唇術を行う以外の手段がない現状が変わる事なく、今に至っています。そのため、彼と話す時は、いかに少しでも聴き直さない事を意識した上で、話し方は、どの言語に近くて、多く話す言葉をとにかくインプットし続けているので、ある種の緊張状態の中にずっといるのです。

ここで、母とのコミュニケーション手段の一つとしてふれた手話について、さらにお話させていただきます。

手話は、世界共通と思われがちですが、その国によって、それぞれにあります。
ですが、単語は共通しているものは多くある事から、通じやすいようです。

以下は、「耳と脳」を読了した時にブログに掲載したものです。「日本手話と日本語対応手話」についての解説を、原文のまま紹介させていただきます。さらに、私にとって、読みやすいものがどれかについても明記しています。


ろう者による自然生成言語としての日本手話と、聴者が日本語に対応させてつくった日本語対応手話は言語的には全く別物である。
韓国手話、台湾手話、日本手話は単語において60%(諸説あり)ほど共通しており、日本手話の話者は韓国人や台湾人との手話コミュニケーションが聴者のそれに比べると難しくない。

また、日本語対応手話が日本語の文法に合わせた手や指、腕を使う手指動作だけで単語を表現するのに対して、日本手話は、視線・眉・頬・口・舌・首の傾きや振り・あごを引いたり出したりなど非手指動作も用いている。SVO型の語順の文法も用いられている。日本手話はその意味で、日本語あるいは日本語対応手話とは全く異なる体系をもつ言語である。日本手話では聴覚言語に固有といわれるプロソディ変化の表現も可能である。プロソディとは、発話において現れる音声学的性質で、その言語の一般的な書記記録からは予測されないものすべてをいいます。具体的には抑揚あるいは音調、強勢、音長、リズムなどを含むが、これらのうちで文脈によって異なりうるものを指すのであって、その言語で決まっているアクセント(高低アクセントあるいは強勢アクセント)、声調言語の声調、音長を弁別する言語における長母音・短母音の区別といった性質は含まない。
韓国手話、台湾手話、日本手話の共通性は、日本統治の影響と考える説や日本手話がろう者による自然生成言語であるために、文化的背景が同じ地域の民族で共通項があるのだとする見解など諸説がある。
人工内耳装用しても、健聴者と同等の聴力を得るわけではない(重度難聴から軽度難聴あるいは中等度難聴の状態になるだけ)。また、装用してから初めて文法体系を学習させるのは非常に不利である。聴覚口話法やキュードスピーチなどと併用して行うだけでなく、日本語対応手話の学習も併せて決して否定されるものではない。例えば、健聴の両親のもとに生まれたろう児に対して人工内耳装用までの期間、日本語対応手話を用いたコミュニケーションを積極的に行えば、あらかじめ語順(文法)を学習することができる。生活のなかでの所作・作法といったしつけ教育は作業記憶として後々に抽象的な言語(「しゃきっとする」など)を獲得していく際の手助けになるであろう。日本語対応手話の語順を学ぶことは、書記言語の学習効果もあがることが期待できる。

先ほどのキュードスピーチとは、読話の補助をするために,手指による手掛かり(キュー・サイン)を用いてコミュニケーションをする方法のこと言い、この中にもあるように、主に言語確立がまだ出来ていない方々が活用されています。
このような解説をしていただけると、当事者としてありがたいですし、自分も誰かに説明するときのテキストにしたいです(^-^)ろう者が国際交流を行う際に公式に用いるために作られた手話、「国際手話」もあります。各国の手話を元にした一種のピジン言語です。世界ろう連盟やデフリンピックをはじめとするろう者の公的な国際交流の場や、他国への旅行・交流などのより私的な場でも意思疎通を図るために用いられています。しかし、各国の手話の方がそれぞれに浸透しており、広まっていないのが現状です。

私は、日本語対応手話の方が読み取り慣れています。
読話講習会を受講していた時に、ろう者による日本手話のDVDを見たことがありますが…。
それは、手話で話されている当事者の方の話す事への集中力がずば抜けていて、早すぎて一語も読み取れなかった経験があります。
今は、手話があるニュースを見ていると話しているのが、聴者か聴覚障害当事者のかはすぐに判断できるようになっています。
聴者は、手話で話す時にも口話の時と同じように、唇を動かします。一方、聴覚障害当事者はポイントとなるところのみ唇を動かすので、ここが大きな違いとなります。


さらに、「ろうを生きる 難聴を生きる」で日本の手話の原点を知り、次の通りブログに記載しました。


「ろうを生きる 難聴を生きる」

今回は、短縮版の再放送で、日本の障害児教育の先駆者が紹介されていました。

古河太四郎は、教師でした。

人の暮らしが少しでも楽になるようにと思い、実行の最中に、書類の不備により懲役刑を受ける事に…。

この時古河は、獄舎の窓ごしに、聞こえない子どもたちがいじめられている姿を目にします。

「教育の機会さえ与えれば、この子たちの人生は変わるはずだ」。

そう感じた古河は、明治11年に京都盲唖院(のちの 京都府立盲学校と京都府立聾学校)を設立するしました。

彼はまず、五十音に合わせた指文字を考案。
さらに、手話を使った教育に加えて発音の指導もしました。
さらに、京都府立聾学校に残されている史料を読み解くと、発音の方法も絵で示すことで、聴覚障害児自身が特にどのように舌を動かせばいいのか習得できるように丁寧に解説されています。

もし、彼がここまで熱心に、障害児教育に携わっていなかったら…

障害児への指導の広がりや、障害児自身の学ぶ事の喜びを日本で味わえる日は来なかったかもしれないと思い、感謝の気持ちでいっぱいになりました((#^.^#)

さらに、世界の手話の歴史は次のようになっています。
ミシェル・ド・レペの肖像写真1760年に、フランスのミシェル・ド・レペという司祭が、フランス・パリに最初の聾学校を設立しました。そして、耳の聞こえない双子の姉妹を、手話を使って教育しました。これが世界で初の聾学校・聾教育です。

聾学校が設立される以前は、ろう者は互いに孤立していました。もちろん、家族や集落の中に複数のろう者がいたり、ろう者同士が出会ったりする機会はありました。しかし、世代を超えた伝承を可能にするようなろう者の社会は存在しませんでした。ろう者は十分な教育を受けられず、時には人として扱われることがないような状況だったのです。レペによってろう者の集団が作られ、手話はお互いの共通言語として、発達していきました。

そして、後に多くの国々が国立パリ聾学校をお手本にして聾学校を設立しました。それゆえ、教育方法や教師とともにフランス手話が各国・各地域に持ち込まれることになりました。

ギャローデットの肖像写真アメリカでは、レペの弟子から手話法を学んだギャローデットによって、手話が広められました。ギャローデットは後にギャローデット大学(米国でろう者のための唯一の総合大学)を設立しました。そのギャローデット大学の言語学者ウィリアム・ストーキーは、1960年に『手話の構造』という論文を発表しました。これは「手話は独自の文法を持つ言語である」という主旨のもので、はじめて言語学的に手話がひとつの言語だと認められたものです。

2006年には、手話は言語であると定義した国連障害者権利条約が国連総会で採択されました。これでやっと、手話は言語であることが国際的に認知されたのです。他の国々では、手話が公用語のひとつとして認められていたり、手話を使う権利を憲法で保障するなど、手話を言語として認める傾向になりつつあります。
音声言語と同じように、方言があり地域によって一部の手話単語が異なります。有名な例(手話単語の方言)では、「名前」の手話単語が東日本と西日本で異なることが挙げられる。日本手話では地域方言の他に個人方言も多く観察されれます。
国内では、筑波技術大学が聴覚障害者及び視覚障害者の特性に配慮し、学部教育全体を通じた効果的・弾力的な履修が出来るよう、次のような指導上の配慮を図ることにより、新しい高等教育を展開します。

皆さんも、慣れない土地に行ったり、遠方から来られた方に出会った時に、その地方の方言をネイティブのままで話されると、分からないという事は実感された事がありませんか?

「音のある世界」から「音のない世界」に入りたての頃や、または、どうしても読唇術が難しい口形の方に出会った時に、私が味わう感覚はこの現象と、とてもよく似ているのです。

英語と中国語は、発音に似ている部分がある言語です。ある程度、唇・舌・表情筋をしっかり動かさないと発音出来ないのです。
韓国語は、濃音と激音という固有の強い発声が不可欠な言語で、英語や中国語よりさらに、しっかり唇・舌・あごを動かすことで可能となるはずなのにと思うのですが…。感情を強く出していない限り、「いったい、どうしたらそんなに唇も動かさずに発音出来るのか」と、疑問に思う程なので、発音できる事に感心してしまいます。

このようなポイントを知っておくことによって、話す言語がほとんど日本語であっても「今、話している相手のこの話し方は何語に近い!」と大きな手がかりとしてフル活用し、よりコミュニケーションを楽しむことが出来るのです。

なかなか、実際に人とのお会いする事が出来なくても、テレビで色々な方を目にすることで、楽しみながら自然と読唇術のトレーニングになると、日々実感しています。人の口形はそれぞれ異なりますが、必ず似たような形をしている方はいて、その形によって読唇術を行う時に、ポイントとなる所はそれぞれにあります。
ここから、皆様によりお伝えしやすくするために、「誰々のような口形の人は…」というスタイルで、例を挙げていきます。この中で多言語に向いている事もお話しますが、あくまでも読唇術の観点だけを対象とします。実際にその口形をした方がその言語をどの程度話せるかは、個別の話は、本作においてふれる事はありません。


SMAPの草なぎ剛さんのような口形の人は、唇の薄さと舌の使い方が韓国語を話す事に向いています。そのため日本を話す際には、ほんの気持ち程度に意識して、口を開かないと言葉と言葉の境がわかりにくくなってしまいます。

SMAPの木村拓哉さんのような口形の人は、次の単語へのつながりが非常になめらかなので、英語を話す時に最適です。

SMAPの稲垣吾郎さんのような口形の人は、木村拓哉さんのような口形の人よりもさらに繊細な発音に適していて、イタリア語に向いています。

SMAPの中居正広さんのような口形のような人は、ほんの少し意識した状態で、日本語を話すとわかりやすくなります。

SMAPの香取慎吾さんのような口形の人は、少々の早口からゆっくり話す時も、常に日本語を話す事が最適です。それは、読唇術のテキストにぴったりなほどです。

嵐の大野智さんのような口形の人は、どのタイミングで見ても唇の開き方が小さいため、一言を読み取るのも極めて難しいです。

嵐の二宮和也さんのような口形の人は、大野智さんのような口形の人よりは、唇の開け方は大きいものの、言葉の区切りが分かりくく、結果的に話の理解にたどり着くことが困難な場合が多いです。

嵐の相葉雅紀さんのような口形の人は、少しだけ丁寧に話すという意識をしてもらえることで、わかりやすくなります。

嵐の松本潤さんのような口形の人は、日本語に最適な部分と、SMAPの木村拓哉さんのような口形の人と同じような英語に向いている部分を合わせ持っています。そのため、日本語を読み取っていることに対して意識過ぎない事が、ポイントとなります。

嵐の櫻井翔さんのような口形の人は、自然体なスピードで話してもらえれば、読心術に最適となります。

ものまね芸人のコロッケさんのような口形の人は、何も意識していない場合は、唇の中心部分の動きが際立つ傾向あります。ですので、1度気持ちよく口を開けて笑った後に口を完全に閉じないうちのやや大きめに開いているタイミングでお話してもらえると、格段にわかりやすくなります。

「日本エレキテル連合」の中野聡子さんのような口形の人は、唇がかわいらしすぎるほど小さいため、言葉を読み取るには難しすぎます。

「日本エレキテル連合」の松本小雪さんのような口形の人は、自然体な話し方であれば、日本語を読み取る時には最適となります。

落語家 桂歌丸さんのような口形のような人は、言葉の節目・つながりなどのポイントが掴めないので、ジャスチャーなどがサポートとなります。

落語家 三遊亭小遊三さんのような口形の人は、口の開け方が小さい時にはどうしても、読み取れない場合もあります。それでも、読み取れた部分によって分からなかった言葉を想像が出来て、話を理解する事が可能となります。

落語家 三遊亭好楽さんのような口形の人は、時には、早すぎたりすることにより、読み取れない言葉もありますが口の開け方も程よくわかりやすいです。

落語家 林家木久扇さんのような口形の人は、唇の開き方が大きければ、読み取りやすくなる言葉も増やさすこともできます。

落語家 春風亭昇太さんのような口形の人は、読み取りやすい部分とそうでないところを周期的に繰り返す傾向になりやすいため、慣れるには時間を要する事が多くなります。

落語家 林家たい平さんのような口形の人は、私の母と同じだけ読心術のテキストに最適です。

様々な例を挙げた中で、口の開け具合について少し意識してと書かせていただきましたが、これは、大げさなほど開けて欲しい訳ではありません。ベストな開け方としては、「あ」と発音する時に、親指1本が余裕で入る程度となります。



また、2015年に出会った書籍「耳と脳 臨床聴覚コミュニケーション学試論 中川雅文著 -医歯薬出版株式会社-」に以下のように書かれています。

言語ごとに異なるパスバンドに対する感度の違いは、人種ごとに異なる頭部の大きさや耳の形状の違い、さらには住環境を含めての日常に溢れるノイズなど様々な要因が複雑に絡んで生じたものなのであろう。トマティス博士の唱えたパスバンド理論はアナログ解析装置時代のデータがベースとなっている。例えば2003年に新しく決まった等価レベルでは40phone時の音圧レベルが10kHzで5dB程度のエラーが確認されている。パスバンドの定義もデジタル時代にふさわしい再評価が必要な時期がきていて、これまで説明として使われていた周波数にエラーが含まれていた可能性があると筆者は考えている。しかし、トマティスのコンセプトそのものの秀逸性を損なうようなエラーではないことを付け加えておく。

本書には、トマティスのパスバンド理論で研究された日本語を含む8言語の好まれる周波数が言語ごとに棒グラフで以下のように示されています。パスバンドに関する解説と共にご覧下さい。

パスバンドとはその言語が多用する周波数帯のことである。例えば通勤電車の中での電車の引き起こすノイズは日本語に対してはマスカーとして作用するが、英語の場合には日本語に対するほどにはマスキングはしない。だから日本人同士で車両の左右の向かい合って会話するのはよほど大きな声を出さないとダメだが、英語ならそれほど大きな声でなくてもお互いが会話できたりする。それほど言語によって多用するあるいは重視す周波数は異なる。移住すればすぐにその現地のことばを身につけられる。そういう話はよく耳にするが、おそらく言語のもつ固有の周波数帯が形成される一番の要因として環境や建築やインフラといった要素が大きく関与しているのであろう。

日本語 200〜1500Hz
ロシア語 200〜8000Hz
ドイツ語 300〜6000Hz
中国語 500〜3000Hz
フランス語 1000〜2000Hz
イタリア語 2000〜4000Hz
英語(米国) 1000〜4000Hz
英語(英国) 2000〜12000Hz

ここを読んだ時に、聞こえないもしくは聞こえにくい人々にとって、日本語でコミュニケーションをとる事そのものが、難易度が高いと非常に納得しました。
自分の話している内容が、おかしくなっていないかは、相手の表情を見て確認しています。自分が発している声の音量は、喉元の振動によって判断しています。
私の場合は、「チェックウーマン」のおかげで、人から音量に関しては、ほとんど指摘される事はありません。会話をしている際に、「うるさい」と言われた時と、そうではない時の喉元の振動を多く記憶する事でスムーズとなっています。聞こえない私に「美声で!」と日々求められる事には、ある種のプレッシャーがありますが、小さな事でも認められるのは、うれしいものです。

ここまで、読唇術が可能であっても、どうしても得られない情報があります。それは、イントネーション。

皆さんは、例えば「橋・端・箸」を伝える時に、一瞬、考えてから発した経験はありませんか?

私は、数年前に母との会話の中で、以下の経験をしました。



「イカナカッタ論争」

ある日、スーパーの広告を渡されて、

「何が食べたい?」と聴かれ、

「イカがいい」と答えたら、

彼女はすぐに買い物に行ってくれまし
た。

そして、数時間後に夕食となりました。

食事を置き始める時に、

「イカナカッタ」と言われました。

私が、キョトンとして戸惑っていると再び

「イカナカッタ」と言われので、

「スーパーに行かなかったの?」と聴くと

「買い物に行ったから、魚がある」という返答がありました。

この瞬間、「はっ!」と、気づいて

「イカがなかったんだね?」と聴き直すと

「そう、聞こえないから、より聴き方が重要だね!ブログに書けば?」

と言われて、美味しく食べ終わった後で、しっかり書きました。

この話は、音のある世界にいるか否か以前に「言葉のアヤ」の要素が大きいと、母に言われました。ですが、どのように情報確認を取るかという事の方が、音のない世界にいる私としては、より重要と感じた実例であり、伝えやすい内容なので挙げさせて頂きました。


皆さんは、「聞く」と「聴く」を普段使い分けをされていますか?

私は、「耳と脳 臨床聴覚コミュニケーション学試論 中川雅文著 -医歯薬出版株式会社-」と出会うまでは使い分けをしていませんでした。

耳鼻科医に、進捗状況を確認してもらった際にも、

「一般の人は、あまり『聴く』に馴染みがないと思うから、『聞く』に統一した方がいいかも。」

と言われたのですが、次の通りに
書籍「耳と脳 臨床聴覚コミュニケーション学試論 中川雅文著 -医歯薬出版株式会社-」記述されているのを読んで、使い分けの重要性などを感じた経緯を説明したら、納得をして頂きました。

ブログに掲載したものです。


今、もっと印象的となったのは…「聞く」と「聴く」の違い。

本書には以下の通りに説明されています。


「聞」という文字は「門(もんがまえ)」と「(音が転じて耳と書くようになった)耳」の2つの文字から成り立っている。音波がゲートの中に入っていくようなイメージであろうか。一方の「聴」という文字は「耳」と「十」と「目」と「心」の4つのパーツから成っている。部首である「耳」、これはこの場合、耳そのものを表している。「十」はたくさんという意味で、たくさん「目」配りして、注意を向けよという意味を含んでいる。さらに「心=脳」で受け止めよと言う意味をも内包している。「聴く」という漢字は「聞く」にはない「心で受け止め咀嚼(そしゃく)し、理解すること」という意味が含まれているのである。



私は、「聞く」は不可能だけど「聴く」は可能。

もっと聴く事を高めなければと意識させてくれる言葉となりましたし、ずっとこの思いが深まるものである事は確実です!

ここが心に響き、納得したその日から、「聴く」事の重要性をより意識するようになっています。
聴者であれば、「聞く」事で得られる情報も、そうではない私と同じような立場である人々にとっては、いかに「聴く」事でカバーするか、対応力が不可欠です。

先ほどの「イカナカッタ論争」は小さな事であり、ゆっくり聴く事で分かるので最終的にクリアとなります。しかし、もっと複雑だったり大切な事柄については、いつ・どのように、そして誰に、どのタイミングで確認や聴いてみるか、難しいこともあります。
そして、ここまでさまざまな事を把握していて、診察時に受けた口話テストにおいても96%の確率でできると認定されています。しかし、この立場にあっても、どうしても不可能の場合があることも、これまでに経験してきています。
その時は、早く相手に読み取れない事を伝える事こそが、会話を円滑にするための近道です。

今、お読みくださっている方々の中に、聴覚障害当事者にとってサポートしてくれる情報・アイテム・福祉サービス・パートナーについて、ご認識のあるのはどれほどでしょうか?

まず、「電話お願い手帳」については、私も偶然数年前に頂くまで知りませんでした。また、報道でも取り上げられていない様子を見ていると、おそらく広域には知られていないものと想像しています。
これはその名の通り、当事者が電話をしたいけれど音声認識が不可能だったり、聞こえづらいために自身だけでは、どうすることもできない時、誰かに助けを求めるために必須な基本的なメッセージがまとめられている手のひらサイズの手帳です。電話以外では、避難所などでアナウンスされた内容を確認する際に、ポイントをつかむ事が出来るページもあります。指で指し示すだけで、最初のアクションは起こすことができ、筆談が苦手という場合にも有効なアイテムだと思います。

次に、「目で聴くテレビ」。
この番組は、聴覚に障害のある方のための放送局です。
1995年の阪神大震災の教訓をふまえ、
全日本ろうあ連盟、全日本難聴者中途失聴者団体連合会
などが中心となり、98年からCS放送(通信)をスタート。
聴覚障害者自身がキャスターや
カメラマンとして番組制作に参加。
ニュースや地域の話題からスポーツ、手話学習、災害時の情報まで、手話と字幕をつけてさまざまな情報を届けてくれています。
私が見た回数はわずかですが、欲しい情報が凝縮されていて、とても最適な内容となっています。


さらに、日々の生活を支えとなる物をご紹介します。

1つは、振動時計。難聴などの聴覚障害当事者ととっては、音で時刻を知らせてくれるだけの目覚まし時計は役に立ちません。
そこで設定時刻になったら、バイブレーション(振動)で知らせてくれる振動時計をご紹介します。
振動だけでなく、光でも知らせてくれるものや、時刻だけでなく電話の着信も知らせてくれるものなども有りますので、自分の環境や使い方に合うものを選ぶことができます。

2つ目は、光で知るチャイム。
玄関チャイムやインターホンで来客を知るのは一般家庭では当たり前のことになりましたが、耳の不自由な方にとってはそれがなかなか難しいことなのです。
音量が小さかったり少し離れた場所にいたりすると、大事な来客に気づかいというような事も往々にして起こりえます。
そんな不便を軽減してくれるのが、光で来客を教えてくれるチャイム。訪問者が玄関先の押釦を押せば、室内の本体から音とともに光が点滅して来訪者のあることと知らせてくれます。

3つ目は、聴覚障害者用通信装置
(ファックス、テレビ電話など)
一般の電話に接続することが出来、音声の代わりに文字等により通信が可能な機器であり、障がい者が容易に使用し得るものを家電量販店で既製品の中から選んで、希望の機種のお見積りを作成してもらいます。認められて限度額内であれば、公費負担により支給されます。
ただし、聴覚障害を補う目的以外の複合機などの高度な機能が付いたものは認められません。また、限度額を超えた場合には、その超えた分は自己負担となります。
先にお伝えした通り、病院との連絡を取る手段として、特に自分から発信するには、運動機能的に不可能であるため、対応可能であればメールで連絡を取っています。この他の友人・知人などに対しても、メールを連絡手段としているます。
しかし、福祉サービスを受ける時などには、全くFAXがない状態では連絡に支障があります。ですので、基本的には連絡を受けるばかりです。しかし、自分では連絡完結できない場合には、音声電話を含めて母にお願いしています。

さらに、身の危険を知らせる火災報知器は、このようになっています。
聴覚当事者にとって、火災の初期段階での警報受信は次の2点が重要ポイントです。

1)警報音と同時に点滅光によって火災の発生を感知しうる事。
2)離れた部屋で発生する火災警報は聞き取りにくいため、連動タイプの報知器とする事。

現状では、上記要望を満たす上に面倒な配線工事が不要な「ホーチキの新無線連動方式」が良い選択肢であると思います。 具体的にはホーチキのWEBカタロ グをご参照下さい
このシリーズの火災警報機を消防法で定められた設置場所に取り付けて、聴覚障害のある方が日常居住する部屋と寝室に「無線LEDフラッシャ−」を取り付けておけば、いざというときに大いに役だってくれるものと思います。

他にもわさびの臭いで火災を知らせる「臭気発生装置」があります。
火災警報器の音が聞こえない!その不安、恐怖から開放されます。

ワサビのにおいの発生装置の臨床検査では14人中、鼻づまりの被験者1人を除き、全員が約1〜2分で起きるという結果を得ました。
臭気発生装置開発の背景
住宅やビル火災で被災される方は、65 歳以上の高齢者が50%以上を締めております(消防白書)。

臭気発生装置(WA-1型)は、住宅用火災報知器に連動して、音の代わりに「わさび」の臭いで危険を知らせる製品です。

聴覚障害者向けとして振動、光、掲示板方式の警報器が開発されています。これらの機能をサポートしながら、避難の条件を格段に高める方式として、臭気警報方式が開発されました。

また、健常者など幅広い皆様に役立てるシステムとなっております。わさび臭は、深い眠りでも起きる可能性が高く、火災時の素早い退避行動を促進することが期待されております。

わさびの警報装置

わさび臭の覚醒(目覚め)効果を滋賀医科大学の臨床試験で立証
滋賀医科大学精神医学講座と共同で、耳の聞こえにくい方・正常聴覚者を対象に、わさび臭に覚醒効果があるか臨床試験を実施しました。

滋賀医科大学
その結果、臭気ガスを吸引することで覚醒することがわかりました。

被験者(聴覚障害者・健常者)14人のうち、鼻づまりの被験者1人をのぞく全員がワサビのにおい成分を嗅いでから約1〜2分で起きるという結果を得ました。

中でも耳の聞こえにくい方は、正常聴覚者より短時間で覚醒しました。また、医師立会いの元、臨床試験で臭気ガスが人体に対し問題ないことを確認しました。

火災警報機は通常「台所、寝室、階段ホール」と言われていますが細かくは各自治体の条例によって定められていますので日本火災報知機工業会のHPでご確認下さい。

このわさびの香りで知らせる火災報知器の開発により、「イグノーベル賞」を受賞しました。

「イグノーベル賞」とは、1991年に創設された「人々を笑わせ、そして考えさせてくれる研究」に対して与えられるノーベル賞のパロディーです。そして、人や物以外で聴覚障害当事者のパートナーになってくれているのが、聴導犬です。
聴導犬(ちょうどうけん)とは、聴覚障害者の生活を安全で安心できるものにするために、生活で必要な音をタッチして教え、音源に導く身体障害者補助犬のことです。
2016年4月1日現在、日本国内の聴導犬の実働数は64頭。盲導犬と比べまだまだ不足している状況である(潜在する聴導犬希望者は、1万人いるという推測があります。
また、聴導犬も、身体障害者補助犬法の適用を受けており、公共機関だけでなくてデパートやスーパー、ホテルなどでは、受け入れを拒むことは禁止されているのですが、残念ながら…盲導犬同様、受け入れを拒否する事例があります。中には、大手百貨店に入居しているテナントの飲食店において、法律に無理解な従業員が、自分の判断で入店を拒否したケースもあります。
2008年現在、指定されたリハビリテーションセンター以外で、聴導犬の認定試験ができる補助犬育成団体は、厚生労働大臣が指定する社会福祉法人日本聴導犬協会だけです。 国際的に見ても、身体障害者補助犬の訓練と認定は、ユーザーとなる障害者のニーズと犬の習性を周知している補助犬育成団体内で行われることで、補助犬ユーザーへの責任の所在が明確になると言われています。その根拠として、日本での盲導犬認定は、盲導犬育成団体内で行われている事。さらに、聴導犬育成団体内での認定においても「身体障害者補助犬法」により、訓練士のほかに、医師(特に耳鼻科医)、言語聴覚士などの専門家の連動が義務付けられている事が要因となっています。また、障害者相談員などの「当事者」認定委員を含めることで、「当事者」のニーズを把握した上での厳密な認定試験が行われています。脳梗塞などの中途失聴による言語回復が望まれる者以外、たとえば先天性聴覚障がい者とリハビリテーションセンターとの関係はもともと薄いと言われ、リハビリテーション医よりも、各地の耳鼻科医との連携が望まれています。厚生労働大臣指定法人は、わずか6箇所しかなく、4つのリハビリテーションセンター(横浜、千葉、兵庫、名古屋)と、補助犬育成団体では2団体(長野(聴導犬と介助犬の認定)、山梨(介助犬のみ))が指定されているだけで、盲導犬育成団体のように補助犬育成団体が認定団体となることを望む補助犬ユーザーの声もあります。

上記のリハビリテーションセンターでは4箇所が介助犬訓練所、3箇所が聴導犬訓練所として、厚生労働省に届出をしている。現実に施設内での合同訓練を行っているリハビリテーションセンターもあり、補助犬育成団体での認定と共に、客観的な認定を行うことが義務付けられています。
聴導犬の育成について、一例としては、聴導犬候補の子犬(主に捨てられた犬たちの適性を見て、保健所などの協力を得て選ばれる)をソーシャライザーと呼ばれる子犬育てのボランティア宅で、人間を仲間とし信頼できるように愛情をもって育て、その後の10回以上([社会福祉法人]日本聴導犬協会では)にわたる適性テストを経て、聴導犬として育てる仕組みがあります。他に、ユニークな試みとしては、特定非営利活動法人日本補助犬協会が、引きこもりの若者に子犬を育ててもらうことによって聴導犬の育成と若者の自立支援を狙った「あすなろ学校」といった例があります。
聴導犬の育成に拍車をかけるため、(福)日本聴導犬協会では、日本で最大規模の聴導犬・介助犬訓練施設(650坪)を2008年8月末に竣工。その施設を活用して、2009年2月より「日本聴導犬・介助犬訓練士学院」[学院長・信州大学元学長 森本尚武)を開校し、後進の育成にも取り組んでいます。
できるだけ早く、多くの待ち望んでいる方とパートナーとなれる聴導犬が、増える事を願っています。

このようにその都度、どうすれば話しやすくなる方法やツールなどを、探すのも一つの楽しい発見につながります。
そうは言っても…、目の前にいる方の声が、聞こえない事への寂しさがないと言えば、事実と大きく異って、ウソになります。それでも、「音のない世界」を楽しんでいる事は確かであり、「音のある世界」に戻りたい願望はありません。
ここまで色々ありすぎるほど、たくさんの事を経験しています。厄介な面も多々ありますし激痛を伴う時には、さすがにゆとりは持てるものではありせん。それでも、ここまで症状が増えるのは、「それなりに楽しむだろう」と知られている事にあると感じています。そして、「音のない世界」への移住も、「神様からのプレゼント」だと思うのです。
そして今の世界を味わいたての頃に、まず気づけたこと…
それは、「聞こえる機能がすごかったんだ!」という点でした。
人よりも、色々発見していてそれを両親や周りの人も楽しんでくれている様子を見ながら、私自身も喜びを多く感じてきて、自信のようなものもありました。
しかし、聞こえる機能に関しては私にとっても、「ごく自然なものとして、捉えていたんだ」と。
それ以来、何かしらの機能が失われていく度に感謝の気持ちが、より多くなっています。

家族以外との会話の中でも、特に印象深く残っている中で、いくつか紹介させていただきます。

高校時代に担任としてお世話になった恩師たちに、卒業後も数回再会するチャンスがあり、楽しい時間を過ごせました。
初めての再会は、2004年成人の日。
3人目の担任で2年間クラスの一員として、お世話になった間柄です。彼女とは、在学中に女性の先生の中では最も話していました。学校生活に関係する事はもちろん、プライベートな部分も相当、話続ける私にいつも合わせてくれるタイプでした。そのため、先生と生徒という関係性は確かですが、そんな堅苦しいような立場はまず考えることがほとんどありませんでした。私の様子を察しながら時に…ママ・人生の先輩・そして友人のように様々な場面で、いつも寄り添って頂きありがたかったです。
卒業してからも、たまに連絡を取り合っていたので、「今、話したらこんな感じだろうか」など想像できる状態を、自然と保つ事が出来ていました。
成人の日に彼女との再会したかった理由は、第一に私は地元の学校に在籍した事がなく、唯一のつながりが、中学時代に通った個人塾。一般の成人式に自分が出席する姿も想像できず違和感があったので、せっかくだから自分に合っていると心から思える一日にしたいという強い希望からでした。雑音が多い中、なんとか音声電話ができて快く私の思いを聞いてくれました。
そして当日、電車で当時お住まいだったお宅の最寄り駅まで一人で行き、再会。
駅前のお店でお茶をしながら、コミュニケーションもスムーズに出来ました。
その会話の中で、「残されている聴力は、保たれるのでは?」と期待の言葉をかけてもらって、笑顔で返事をしました。しかし、内心では…「聞こえる状況でお会い出来るのは、もう不可能だろうから心の準備をしておこう」と思っていました。
その後、メールを中心に連絡は取り続けていたものの、じっくり会ってお話をする機会に恵まれず、月日だけが過ぎていきました。
再会を願う気持ちが高まる中、2013年7月。ついに、叶う時がやってきました。きっかけは、同年5月に私にとっての初エッセイ「ブログを書き続けるわけ」を医学雑誌に掲載させて頂いたことをお知らせした事でした。すぐにメールを頂いて、ランチをご一緒する事になったのです。
そして、ランチの日を迎えました。
お互いの明るさは、変わりなく話は弾みました。
しかし180度、私の世界に変わった事がありました。それは、2004年からこの日までの間に彼女は私の自宅を2回訪ねてくれていたので、すでに分かっていた事ですが…

音声からは、話を理解する事が完全に不可能になったという現実でした。

この状況にあっても、それまでたくさん話した時の雰囲気をずっと覚え続けていたことや、読唇術を身につけていた事でゆとりを持てたのです。
このヒトトキに自信を持つことできたので、他にもお礼を伝えたい先生方がいるし、エッセイの事を伝えて欲しいと伝えたら、またも喜んで引き受けてくれました。

先生達へ送って頂いたことで、手紙やメールで連絡が数人と取ることができるようになりました。まず、在学中に大変お世話になった事と、突然のエッセイを御一読頂いたことへのお礼を伝えました。

この事がきっかけとなり、10月に2番目の担任として、お世話になった恩師との再会が実現しました。
先に再会していた先生以外は、高校時代に寄り添ってくれた先生には卒業後、1人もお会いすることがなく…

10年7ヵ月という年月が経っていました。
この恩師は、先に再会した方と同様に私の様子を察して、その時々によって対応の仕方をバラエティーに富んだものにして頂き、大きなハートで支え続けてもらいました。ただ、なかなかしっかり話せないまま留年した1年間を見届けて頂き、進級決定を共に喜んでくれたところで異動された事もあり、ずっと心残りでした。ですから、やっとこの日を迎えられたことに、嬉しさと安堵感が湧いてきたことを今も忘れられません。
そして、本当に久しぶりなのにも関わらず、楽しく話せて嬉しかったです。

しかし、ひとつの問題がありました。
それは、記憶していた先生の口形や話すテンポは合っていたのですが、読唇術をするには難しかったのです。このため、ほとんど私から話し続けて、この時は終わりました。この現実は、想定より大幅に超える出来事で、マシンガントークのようになってしまったことに対して、申し訳なさを感じたことは未だに色濃く、脳に刻まれています。
そのような感じだったのに、お礼メールを送ったところ、「また会って、今度は一杯やりましょう」という内容の返信を頂けて、在学中と同じように助けられて嬉しかったです。そして、今度はもっと言葉のキャッチボールを楽しみたい!!
このものすごく強い思いから、彼女と似たような話し方・口形の女性をテレビなどで見つけると、食い入るように見つめながら、2人で話す時のシーンを思い浮かべていました。でも、なかなかコツを掴む事に辿り着けず、メールのやりとりを続けながらも、時ばかりが過ぎていきました。
そして、ようやく大丈夫と思えるようになった2015年8月。
「デートの先行予約ってアリですか?」と、メールで聴いたら、快い返信を頂く事が出来ました。

そして同年10月、2年ぶりの再会ができて、学校でお世話になった先生とは、初めての女子会が実現しました。
この日も、最初からワクワクしていました。そして、注目していた読唇術もスムーズとなり、ほぼ一方的に話し続けた前回とは大きく違い、聴きたい内容も伝えられて、またひとつ小さな自信がつきました。さらに、またお会いしたい気持ちも、ためらう事なく全面に出て来ました。
これからも、形を少しずつ変える事はあるとは思いますが、お2人とのつながりを大切に、そして楽しみ続けたいです。

また、時を遡ると…まだ大幅な運動機能低下をする前に、こんな事もありました。

整形外科の病院で、順番待ちをしている時の事でした。
同じドクターに診てもらうために、待合室のベンチに座っていた初対面の男性が突然話しかけてきて…

「一人で来たの?」

「ちゃんと、話せているけど本当に聞こえないの?」

「唇の動き読み取っているの?すごいね!!」

英語も好きだと話したら…

「英語も勉強するなんて偉いね!!」

周囲の人にも広めていました(笑)

「電動車椅子のバッテリーは1回の充電で、どれくらい使えるの?」

「電動車椅子の費用はどれくらいかかるの?」


とほぼ質問攻めで終了しました。


そして、いざ診察へ。

そうしたらドクターからさっそく…

「さっきまで、何を話していたの? おじさんの声ばかり聞こえていたけど。」

と聴かれて、

「ほとんど、質問攻めだったよ。 私は聞こえないけど、体でおじさんの声の振動をたくさん感じて、どっちが聴覚障害者かわからなかった。」

と答えたら、

「本当に分からないね!!」

と側にいたスタッフさんたちと大爆笑して、診察終了となりました!!





他にも、様々な事を楽しむスタイルも大きく変わったり、新たに好きになったり、じっくり味わうようになった事が増えました。

楽しみ方が変わったものの中で代表とも言いたいのが、音楽です。
聞こえていた時も、多少は歌詞を楽しむ事はしていましたが、どうしてもノリの良さなどの方が、勝っている状態だったと思います。
今は一言ずつ味わうように、じっくり読んでいます。
さらに、新たな楽しみ方が増えました。
リズムは振動によって楽しめます。さらに、キレのいいダンスを見られると、歌詞を覚えているものであれば、歌詞が出ていなかったり、歌手の口元が見えない状況でも、かなりノルことができます。

さらに、ダンスの振り付けの中に手話またはそれに近い表現が入っている曲も多くなり、より楽しみやすくなっています。

初めて一部の振り付けが手話に近いと思ったのが、SMAP「世界に一つだけの花」です。
最初の頃は、メッセージ性の強さから純粋にこの曲そのものが大好きになりました。高校の卒業式の際に、使われていた場面も今も頭の中で、楽しく回想しています。この曲のCDが発売されたのが2003年3月。この年の8月に、聴覚異常を感じ始めた私にとっては、健聴の耳で聞くことができ、自信をもって歌えるラストソングとなりました。こんなに大好きになれる歌が最後となったことに幸せを感じています。この曲は、今も自信もって歌い続けられているうちの1つで、心のパワーとなっています。また歌い続けられている限り、運動機能などに更なる障害が増えたとしても、明るく過ごせると思っています。
この他には記憶の範囲内では、「Not alone〜幸せになろう〜」と「Yes we are」の一部に手話または手話のような表現が入った振り付けで歌っていて、どちらも好きになりました。そして、これから他の歌手も含めて、どんな曲と出逢えるのだろうかと待ち遠しい思いで、胸が高鳴りました。
最近の曲の中で、他の歌手グループで印象深く残っているのは、乃木坂46とAKB48です。
乃木坂46は、2015年10月にリリースされた「今、話したい誰かがいる」のミュージックビデオの中で、聴覚障害と健常者が、手話と筆談によって、少しずつコミュニケーションをとるうちに、お互い心の壁がなくなるというストーリーをメンバー達が演じています。この映像を見た時に、たとえたった一言だとしても、伝えられる事、それ自体が大きな喜びや次への架け橋になると思い、なんだか心がホッコリしました。
AKB48は、朝ドラの主題歌にもなった「365日の紙飛行機」で、曲の中で最もメッセージとして発信したいと思って書かれたであろう…

「人生は紙飛行機
願い乗せて飛んで行くよ
風の力の限り
ただ進むだけ
その距離を競うより
どう飛んだか どこを飛んだか
それが一番 大切なんだ
さぁ 心のままに
365日」
の部分のほぼ全体手話を使いながら、歌っているので、私も手話で一緒に歌っていてます!

歌番組以外にも、テレビで音楽を楽しめる機会がありました。見られたことがとても嬉しくて、2015年8月と2016年1月にそれぞれ、見てすぐにブログに以下の通り掲載しました。

今、タイミング良く見たら手書きで楽譜を書いたり、絵の具の色によって「目で楽しめる音楽」をベストなスタイルで届けてくれて、嬉し過ぎます!(2015年8月)

今回は、ベートーベンの「運命」。

CG画像を駆使し、音の長短・楽器の増減をグラフのような図形などを組み合わせ、「見える音楽」を楽しめました(⌒‐⌒)

昨年、この番組を初めて見て、また楽しめる事を期待していたので、嬉しいです(^-^)

次は、どの曲を何を使って表現してくれるかなぁ?(2016年1月)

次に、音そのものを音として認識は不可能ですが、高低差は体の振動となって感じることができます。高いほど頭の近くで、低いほど腹部に近くなります。
この高低差を感じる方法は、人の声のポイントをつかむ時にも、活用できます。

スポーツを見ることも大好きで、よくテレビ観戦しています。
いろいろな競技を楽しんでいる中で、「聴くこと」にポイントをおくと、フィギュアスケートと大相撲が大好きです。

フィギュアスケートは、記憶にある曲を使用していれば、頭の中で演奏を思い浮かべながら、選手の演技全体を楽しみます。知らない曲での演技の場合は、流れている曲から感じる振動と演技を組合わながら、世界観に浸ります。高校生ぐらいから少しずつ関心はありましたが、最初はなんとなく見ていました。それが今では、シーズン中はテレビ放送をワクワクしながら見るぐらいまでに、夢中にさせてくれるものへと、大きく変わりました。
大相撲は、子供の頃からテレビを見ていたので、自然なものとして受け止めていましたが、それほど好きではありませんでした。ところが、数年前から自分でも驚くほど好きになり、今では、本場所中はブログとLINEで何かを伝えられずにはいられないほどになりました。
中でも、イチオシ力士は臥牙丸 関。
彼は、なかなか決め切れない取り組みが多くて、ハラハラの連続のため正直、15日間は落ち着けないのが本音です。
でも、感情を豊かに表すキャラクターが体の大きさからは、とても反比例していて、たまらなくなるのです。
負けた時は、今にも泣き崩れそうなくらいの状況で、花道を引き上げていきます。
勝った時には、満面の笑みで土俵から下がり、奥にあるモニターで自分の取り組みを確認する際も、周りの人に見て欲しくてたまらないお茶目な一面も。さらに、インタビューがあるとインタビュアーから「もう、時間がありません。」と言われるまで、話が止まらず物足りない表情を浮かべることもありました。
彼の話は、口形がわかりくくて読唇術には向いていません。字幕放送のおかげで楽しむ事が出来ています。
このように音楽や声の振動によって楽しめることは多くあります。今後も、どのように更なる深掘りができるのか、想像するだけでも笑顔がこぼれそうです。

次に、トーク番組や落語も楽しみ方が奥深いものとなりました。
この2つも、子どもの頃から好きでよく見ています。まずトーク番組に関しては、健聴時には分かりやすいところだけを切り取って、そのポイントとなるものがいくつか集まると、自分なりにまるでジグソーパズルを組み立てるかの要領で、ストーリーを自己完結させて満足でした。このため、うまくタイミングが合えば集中して見られていました。一方で、一旦迷路に入り込んでしまうと…脳内で空中分解を引き起こし、そこでその内容に関する思考は完全に停止していました。なので、この事態が発生中に不意に感想などを求められたら、表現をする事が出来るまでに時間がかかり過ぎて、貝になる事が多すぎていました。結果として、よく母に「それで終わり?」と、よくガッカリされたものです。今となっては、そのような反応されてしまう事が、手に取るように理解できます。しかしその時には、「なぜ、この状況が伝わらないのだろうか。私特有の感覚なのだろうか」という疑問とともに、もどかしい思いが増幅していくばかりで、悔しさが際立っていた事が思い出されます。
ところが、このような混乱が「音のない」状況で見るようになったら、みるみる間に頭の中で、まるで霧が晴れるかのように吸収できるようなった情報量が、大幅にアップしました。その方の声は、聞こえないことについては残念な思いは間違いなく私の心の中にあります。一方で、ここを字幕放送やテロップから分かる言葉たちを一点に見つめられるようになったり、その会場を訪れているかのような臨場感を味わえる最大のチャンスだと自然と気づくことができるようになったのです。
この変化を得られたことで、かつての断片的程度にしか吸収出来なくて見たらそこで終わりの基本から、抜け出せる事が格段に増えたのです。こうなると、誰かに見た内容と合わせて感想を伝えたくて、そこに寄せる思いは高鳴り続けます。さらに、ブロクにも発信したいとより素直に思えるようになり、自分が書いた記事に反応が寄せられる事も徐々にではあるものの増えて、いろんな角度から同時に楽しむ事が出来ています。伝える力・書く事のスキルは、まだまだ課題山積ですが…、番組そのものを楽しむ・その内容と感想を誰かに伝え、さらに、ブログ記事として書き続ける事の連続こそが、今の私にとってのサイクルであり、とにかく回数を経験する事が重要と考えながら、コツコツと実行中です。

そして、落語も幼い頃からよく見ているもので、成長などにより楽しみ方が変化し続けているものの1つです。
ただ、トーク番組と同様に健聴時には、まず、話のテンポにいかについていくかに始まり…自分が理解できる範囲内の特徴的なツボがないと、ただ、きょとんとしながらテレビ画面を見つめているだけで、面白いと思えるところを見つける主導的な部分は大きく欠如。ただひたすらなまでに、そのツボとなるものが、やってくる事を待ち続けるという完全受動的な見方をしていました。これは、特に落語という全体の情報そのものから、ほんの少しだけ切り取り、音声から理解できるところ限定して見ていたために、このような状態が発生したと考えられます。
ところが、これまた音声情報を失った事で、まるで高級昆布を噛み締めて、じっくりとその味を噛み締めるかのように、深掘りできるようになったのです。
落語に関して触れるに際して、改めて落語とは一体どういうものなのかなど、情報となるページを検索したところ、「あー!こういう事を伝えるポイントといしている日本固有の伝統なんだ!」という事が明確になりました。さらに、基本表現は「仕草」・「表情」・「書く」・「服装・効果音」などに至るまで、豊富である事に気づくことができました。この事によって、手話によるコミュニケーションをする時と、同じように読み取りやすいポイントが凝縮された話術芸能であるという点に結びついたのです。
もちろん、字幕放送があればストーリーがより明確になりますが、仮になくても、落語家の方の姿がはっきり見える状況であれば、聴者とともにその世界を共有できるものであり、その旨みのようなものをたとえ少しずつであっても、味わえる状況にいられている事に、改めて小さな幸せを感じています。
落語に比べると、まだまだ歴史が浅く知名度も乏しく、番組でお目にかかる事にも恵まれていないですが、手話落語もあります。
特徴としては、主な対象は聴覚障害者ですが、健常者も一緒に楽しめるようになっています。演者は手話を用い、基本的に自分では口を使いません。
目に見える形で認知度が上がらないのには、以下のような難題などがある事が理由として、思い浮かびます。
まず、手話のわからない健常者向けに通訳が入る場合が多いことにあります。通常の落語でよく用いる語呂合わせなどの手法は取り入れるのが難しいため、もっぱら小噺をメインに据えた高座になることが多いのです。また、落語には手話にない単語が登場することも多く、その分工夫が求められる現状に加えて、取り組んでいる演者が少ない事も大きな要因となっていると想像しています。
クリアーすべき点は、山積しています。地道な作業などの繰り返しとなるとは思いますが…
「静けさの中に隠れている多くの面白さ」

を共有しやすくなる事を、願わずにはいられません。

さらに、私が産まれた頃からの歴史がある英語落語。その醍醐味は、落語を単純に訳して一つの噺とするのではなくて、どう英語で表現すれば文化も宗教も習慣も異なる人々に理解してもらえるか?、にあると思います。ですが、国は違っても、ユーモア、人の情け、失敗を笑い飛ばしてまた「顔晴ろう」(がんばろう)と思う心は共通で、それが英語落語が共感を呼ぶ理由ではないかと思います。さらに、日本語では意味が捉えきれなかったりする部分も納得できるきっかけとなっています。
そして、先ほどの「顔晴ろう」(がんばろう)には、顔・表情を晴れやかにできるようできる瞬間を大切にしようという、思いが込められています。
「頑張ろう」という言葉に抵抗感がある私も、「顔晴ろう」には心が和みます。

これからも、江戸時代から伝わる落語・発展途上中の手話落語、そして海の向こう側まで渡った「RAKUGO」までそれぞれに発見などができる事を、まず、私自身に対して期待して更なる発信になればと思います。



ですが、振動も様々なものが存在します。楽しめる場合ばかりではありません。「音のない世界」にいるからこそ、聴者より感じる事が多すぎて、聞こえていれば、わずかな差とだと思える事も、過剰反応をしてしまう事もあります。

例えば、レストランで注文したものがテ
ーブルに置かれる時。これは、電動車椅子に乗っている事によって、膝とテーブルの近いことも事実ではありますが、この他にも理由があります。少しでも勢いがついている状態で置かれると、振動が大きくなるため、びっくりしてしまうのです。これは、動作を見る事で心の準備をしていても追いつかず、困ってしまいます。どうにか、軽減方法があればとずっと願い続けています。
他には、外出時に母の運転で乗車している福祉車両のタイヤの空気圧変化を感じることです。私は、幼い頃からずっと乗用車に乗って、数え切れないほどの通院・通学・外出を経験させてもらっていますが、2006年に「TOYOTA Noah」にして、中列の位置に電動車椅子のまま乗るようになるまでには経験がなかった事です。
これは、一般の方にとっては気づかない程度のわずかな空気の減少であっても、まるでディズニー映画「アラジン」に出てくる魔法のじゅうたんに乗って、どこかに行くかのように、「フワッ」と浮き上がる感覚があるのです。
さらに、自然現象では地震や雷に対しても、察知が早くなったり、感じ方が変わりました。地震は、震度1でもかなり正確に感じてしまうため、まず、テレビのテロップ表示をじっと見つめて、自分の居住区または隣接区で観測された事が確認できれば、それで納得します。でも、表示が出ないと…納得するまでスマホで確認します。
雷は稲光を見た後、お腹を中心に下から振動を感じます。さらに、近年のは激しく数多くの和太鼓みたいな響きを一斉に感じますので、驚き方も半端ではありません。
気象変動には、元々振り回されやすく頻繁に「不連続線」から引き起こされる症状を経験し続けています。「不連続線」とは、気圧変動によって様々な症状が表れる病気の一つで、症状は人それぞれ全く異なり、頭痛・めまい・関節痛など、その人によって様々です。
そして私の場合は、低気圧に左右されて、検査で確認した事はありませんが、脳圧が上がる感覚があり、頭痛・頭重感・平地から標高が高い所などに移動した時などに経験する耳づまりが、その場所におとなしくいる状態であっても、症状は出てしまいます。さらに、最もひどい時には、生きているのか心配されるほど眠り続ける事もありました。
長く付き合っていても、成人をすぎるまでは、その都度ひたすら、その症状が通り過ぎるのを待つばかりでした。
母は、私が幼い頃に小児科医から「障害当事者は、低気圧に弱い」と聞いていたそうです。しかし、病名はずっと知らずにいました。
そしてある時、「天気に体調が左右される事はありますか?」と耳鼻科医に質問されて、先ほどお話した内容と同様に、諸症状を説明したところ、この診断に至ったのです。
そして、徐々にポイントが分かるようになり、現在では、以前ほどは振り回されやすい状況にはなりにくくなっています。
ちなみに台風が発生したら、まだフィリピンに停滞している状況でも、影響は受け始めてしまうのです…正直、この過敏反応はいりません(笑)
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  • 2016.05.31 Tuesday
  • 14:42